マホウトコロ   作:西野圭吾

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第10話 三門巡り

 

 

星迎祭、二日目。

 

昨夜遅くまで舞踏会と花火で賑わっていたマホウトコロは、朝になるとまるで何事もなかったかのように次の催しへ向けて動き始めていた。

 

もっとも、何事もなかったのは学校だけである。

 

「……眠い」

 

朝食を終えて競技場へ向かう途中、奎星は盛大な欠伸をした。

 

「俺も」

 

隣を歩く日向も同時に欠伸をする。

 

後ろから伊織が二人を見た。

 

「二人とも寝不足?」

 

「まあ」

 

「ちょっとな」

 

ほぼ同時に答えた二人は、ちらりと互いを見る。

 

数秒。

 

「…………」

 

「…………」

 

伊織が眼鏡を押し上げた。

 

「何、その気持ち悪い間」

 

「何でもねえよ!」

 

日向が妙に大きな声を出す。

 

奎星もすぐに話を逸らした。

 

「それよりさ、三門巡りって何?」

 

「今さら?」

 

「知らねえもんは知らねえよ。俺、去年いねえし」

 

星迎祭二日目の朝、校内のあちこちに《三門巡り・参加生徒集合》と書かれた案内が浮かんでいた。奎星は当然のように参加者へ名前を入れられていたものの、何をする催しかについては一切知らない。

 

伊織は、そうだったね、と頷いた。

 

「三門巡りは星迎祭二日目の伝統競技だよ。簡単に言えば、三人一組で三つの試練を突破して、その速さを競う」

 

「競走?」

 

「走るだけじゃないよ」

 

三人が石段を下りると、校庭の向こうに巨大な門が見えてきた。昨日まで屋台の並んでいた広場には観覧席が組まれ、その中央に高さ五メートルほどの朱塗りの門が三基、少し間隔を空けて立っている。

 

ただし、どの門の向こうにも校庭は見えない。

 

一つ目には深い森。

 

二つ目には青空。

 

三つ目には揺れる水面のような光。

 

それぞれまったく違う景色が、門の内側だけに映っていた。

 

奎星の目が輝く。

 

「うお、何あれ!」

 

「転移門。中に入ると、学校が準備した試練用の空間へ飛ばされる」

 

「学校の中にそんな場所あんの?」

 

「実際にどこへ飛ばされるかは非公開。校内の結界内に作った仮設空間だとも、島の別の場所だとも言われてるけど、少なくとも参加者には教えられない」

 

「なんで?」

 

「場所が分かったら事前に対策できるでしょ」

 

「なるほど」

 

珍しくすぐ納得した奎星へ、伊織は説明を続ける。

 

「参加者は三人一組。学校も学年も関係なく、抽選で組まされる。今年は白峰の生徒も参加するから、同じ班に他校生が入ることもある。第一の門をくぐった瞬間に計時開始。中の課題を突破すると次の門が出て、三つ目の課題を終えて帰還門をくぐれば終了」

 

「全部クリアした時間で順位?」

 

「基本はね。ただし危険行為、結界の破壊、他の班への妨害なんかは減点じゃなくて時間加算。あと、一人だけ先へ進むのも無理」

 

「なんで?」

 

「三人分の参加札が揃わないと次の門が開かないようになってる」

 

奎星がにやっとする。

 

「じゃ、足引っ張る奴引いたら終わりじゃん」

 

「その考え方をする人を落とすための競技でもあるんじゃない?」

 

「怖いこと言うなよ」

 

「三門巡りは単純な魔法の強さだけを見る行事じゃないからね。観察力、判断力、魔力の制御、あと協力。毎年、三つの課題の内容は全部変わる」

 

「じゃあ伊織も今日何出るか知らねえの?」

 

「知らない」

 

「よし」

 

「なんで嬉しそうなの?」

 

「お前だけ答え知ってたらずるいじゃん」

 

「僕を何だと思ってるの」

 

「歩く攻略本」

 

「返品していい?」

 

そんな話をしているうちに、三人は参加者の集合場所へ着いた。

 

既に大勢の生徒が集まっている。上級課程だけではなく、中級課程の姿もあり、白と淡青の制服を着た白峰の生徒たちも混ざっていた。胸元にはそれぞれ番号の刻まれた小さな銀札が留められ、教師たちが抽選結果を確認しながら班ごとに整列させている。

 

日向が辺りを見回した。

 

「楓と岳は?」

 

「向こう。楓は白峰の二年とマホウトコロの一年。岳は……」

 

伊織が少し離れた一角を見る。

 

岳が、小柄な中級課程の男子と白峰の女子生徒に挟まれて立っていた。

 

三人とも何かを食べている。

 

「もう仲良くなってね?」

 

奎星が言う。

 

「岳の班だけ遠足になりそうだね」

 

「伊織は?」

 

「僕は第十二班。君たちとは別」

 

「俺たち?」

 

奎星が聞き返したところで、上空に浮かんでいた式紙が開いた。

 

教師の声が拡声術式を通して響く。

 

『第七班。マホウトコロ上級課程第二学年、蓮根奎星。同、朝比奈日向。白峰魔法学校上級課程第三学年、常盤澪』

 

「マジ?」

 

奎星が顔を上げる。

 

日向も驚いた。

 

「俺ら一緒じゃん!」

 

「しかも澪も?」

 

人混みの向こうで、白峰の制服姿が片手を上げた。

 

澪だった。

 

「蓮根君!」

 

「おー!」

 

奎星も手を上げ返す。

 

伊織が二人を見比べた。

 

「ずいぶん濃い班になったね」

 

「一位もらったな」

 

「抽選結果を聞いただけで何で優勝した顔できるの?」

 

「日向は空飛ばしたら強い、澪は決闘強い、俺は天才」

 

「最後だけ自己申告だね」

 

「事実!」

 

「はいはい」

 

伊織は自分の班へ向かって歩き出した。

 

「じゃ、頑張って。最初から飛ばしすぎて失格にならないようにね」

 

「お前もな!」

 

「僕は君じゃないから大丈夫」

 

「それどういう意味!?」

 

返事の代わりに、伊織は片手だけ上げた。

 

奎星と日向はそのまま第七班の待機場所へ向かう。

 

その途中。

 

日向が突然、奎星の肩を小突いた。

 

「なあ」

 

「ん?」

 

声が少し小さい。

 

「昨日」

 

奎星も一瞬で意味を察した。

 

二人は歩きながら、ほぼ同時に顔を近づける。

 

「お前どうだった?」

 

「お前こそ」

 

「先に言えよ」

 

「日向から言えよ」

 

「お前のほうが気になるんだよ!」

 

「俺だって気になる!」

 

数秒揉めた末、日向が折れた。

 

「……まあ」

 

口元が緩む。

 

「かなりよかった」

 

奎星の眉が上がる。

 

「お」

 

「ちゃんと踊ったし」

 

「うん」

 

「途中で一回足踏まれたけど」

 

「楓に?」

 

「俺が」

 

「お前が踏んだのかよ!」

 

「しょうがねえだろ! 初めてだったんだから!」

 

「で?」

 

「で、って?」

 

「付き合った?」

 

日向の目が泳いだ。

 

「…………」

 

奎星が足を止める。

 

「え?」

 

「…………」

 

「付き合ってねえの?」

 

「いや!」

 

日向も止まった。

 

「かなりいい感じではあったんだよ!」

 

「でも付き合ってねえの?」

 

「そこだけ繰り返すな!」

 

「舞踏会で告るって男子寮中に宣言してたじゃん!」

 

「曲終わる直前までは言おうと思ってた!」

 

「直前までは!?」

 

「いざ言おうとしたら楓が先に『来年も一緒に踊れたらいいね』とか言うから頭真っ白になって!」

 

「それもう行けの合図だろ!」

 

「分かってるよ! 後から分かったんだよ!」

 

日向が両手で頭を抱える。

 

奎星は呆れた顔をした。

 

「ダメだこりゃ」

 

「うるせえ! でもな!」

 

日向が勢いよく顔を上げる。

 

「帰るとき手ぇ繋いだ」

 

「…………」

 

今度は奎星が黙った。

 

「向こうから?」

 

「……俺から」

 

「おお」

 

「で、楓も離さなかった」

 

「おお!」

 

一気に評価が変わった。

 

奎星が日向の肩を叩く。

 

「めっちゃうまくいってんじゃん!」

 

「だろ!?」

 

「付き合ってねえけど!」

 

「最後にそれ言うな!」

 

二人で笑う。

 

日向は今度こそ、にやにやしながら奎星を見る。

 

「で、お前は?」

 

「俺?」

 

「行ったんだろ。あそこ」

 

場所までは知らない。

 

けれど、昨夜の奎星が誰のところへ向かったのかは、日向なりに察していたらしい。

 

奎星は少しだけ頬を掻いた。

 

「……俺も」

 

思い出す。

 

走ってきたスズメ。

 

必死に伝えてくれた言葉。

 

抱きしめたこと。

 

一緒に踊ったこと。

 

顔がすぐ近くまで来たこと。

 

同じ星型のキーホルダー。

 

全部一気に浮かびそうになり、慌てて途中で止めた。

 

「だいぶうまくいった」

 

日向の顔が明るくなる。

 

「マジ?」

 

「うん」

 

「何した?」

 

「言わねえ」

 

「なんでだよ!」

 

「お前だって最初隠しただろ!」

 

「俺はちゃんと言った!」

 

「俺も言った! うまくいったって!」

 

「情報量が違え!」

 

日向が食い下がるが、奎星は笑って答えない。

 

少しして。

 

どちらからともなく拳を出した。

 

「まあ」

 

日向が言う。

 

「うまくいったなら」

 

「おう」

 

拳が軽くぶつかる。

 

「よかったな」

 

「お前もな」

 

そのとき。

 

「二人とも何やってんの?」

 

澪がやってきた。

 

拳を合わせたままの二人を見る。

 

奎星と日向は同時に手を下ろした。

 

「何でもない」

 

「男の話」

 

「何それ」

 

「女子には秘密」

 

澪が冷たい目を向ける。

 

「じゃあ私、別の班行こうかな」

 

「待て待て! 一位取んだろ!」

 

「都合いいときだけ引き止めないで」

 

日向が笑う。

 

「澪、こいつ昨日いいことあったらしいぞ」

 

「日向!」

 

奎星が肘で日向を小突く。

 

澪は一瞬だけ奎星を見ると、すぐに何となく察したようだった。

 

「へえ」

 

それ以上は訊かなかった。

 

ただ、少しだけ笑う。

 

「よかったじゃん」

 

「……おう」

 

奎星も普通に笑い返した。

 

舞踏会へ誘ったことも。

 

断られたことも。

 

その後、木陰で話したことも。

 

消えたわけではない。

 

けれど、今の二人の間にはもう、無理に触れなければならない気まずさもなかった。

 

澪は胸元の銀札を指で弾いた。

 

「で、一位取るんでしょ?」

 

奎星がすぐに乗る。

 

「当たり前」

 

日向も拳を鳴らす。

 

「俺、昨日から調子いいからな」

 

「舞踏会で?」

 

「そこじゃねえよ!」

 

「じゃクィディッチ?」

 

「それ!」

 

「昨日じゃん」

 

三人が言い合っていると、開始を告げる鐘が校庭へ響いた。

 

参加者たちの声が一気に静まる。

 

奎星も前を向いた。

 

そのとき。

 

教師たちが並ぶ観覧台の一角に、見慣れた姿を見つけた。

 

スズメ。

 

今日は競技の監督役らしく、他の教師たちと一緒に記録板を持って立っている。

 

偶然。

 

目が合った。

 

「…………」

 

昨夜のことが。

 

一瞬で戻ってきた。

 

スズメの表情も、ほんの僅かに変わった。

 

奎星は周囲を一度確認すると、制服のポケットへ手を入れた。

 

銀色の小さな星。

 

昨夜スズメから受け取ったキーホルダーをつまみ、胸元の高さまで上げてみせる。

 

遠くからでも。

 

分かったらしい。

 

スズメの目が少し丸くなった。

 

そのあと。

 

笑った。

 

本当に僅かな。

 

教師席に並ぶ他の誰にも気づかれないくらいの笑み。

 

奎星も嬉しくなって笑う。

 

するとスズメはすぐに教師の顔へ戻り、人差し指を小さく前へ向けた。

 

口が動く。

 

――前を向きなさい。

 

「…………」

 

奎星は吹き出しかけた。

 

「はいはい」

 

聞こえない距離で呟き、キーホルダーをポケットへ戻す。

 

スズメの眉が遠くで少し動いた気がした。

 

――はいは一度。

 

たぶん、そう言っている。

 

奎星は今度こそ前を向いた。

 

「何笑ってんの?」

 

日向が訊く。

 

「別に」

 

「怪し」

 

「前見ろって」

 

「お前に言われたくねえ」

 

二人の横で。

 

澪だけが、一度だけ教師席のほうを見た。

 

けれど何も言わなかった。

 

 

三門巡りは、班ごとに三分間隔で開始された。

 

同じ転移先へ同時に何十組も送り込めば競技にならないため、試練空間そのものが班ごとに複製されているらしい。参加する側にはその仕組みすらほとんど説明されていなかったが、門の周囲には御影を含む複数の教師が配置され、異常があれば即座に競技を止められるようになっている。

 

第七班の番が近づく。

 

奎星、日向、澪の三人は、第一の門の前へ並んだ。

 

胸元の銀札が淡く光り始める。

 

門の向こうには。

 

深い霧に包まれた竹林が見えていた。

 

「最後に確認します」

 

担当教師が三人を見る。

 

「危険を感じた場合は胸元の参加札を握り、『棄権』と宣言してください。即座にこちらへ戻されます。ただし三名のうち一人でも棄権した場合、その班は競技終了です」

 

「了解」

 

澪が頷く。

 

「他の班の試練空間へは干渉できません。内部の生物、道具、構造物はすべて学校側の管理下にありますが、無用な破壊は禁止。次の門が開く条件は試練ごとに異なります」

 

奎星が訊く。

 

「答え教えてくれない?」

 

「教えません」

 

「一個くらい」

 

「教えません」

 

「ヒント」

 

「入りなさい」

 

日向が奎星の背中を押す。

 

「諦めろ!」

 

澪も続く。

 

「一位取るんでしょ?」

 

「取る!」

 

教師が杖を上げた。

 

「第七班――開始!」

 

門をくぐる。

 

世界が反転した。

 

 

足元が消えるような感覚は、一秒もなかった。

 

次の瞬間には。

 

三人とも竹林の中へ立っていた。

 

「うおっ」

 

奎星が振り返る。

 

さっきまであったはずの門がない。

 

四方。

 

全部。

 

竹。

 

しかも普通の竹林ではなかった。

 

地面から真っ直ぐ伸びるものもあれば、途中で直角に折れ曲がったもの、空中へ浮かんだまま逆さに生えているものまである。淡い霧の中では距離感すら狂い、数十メートル先に見えた竹が瞬きをしただけで目の前へ移動している。

 

三人の前。

 

宙に金色の文字が浮かんだ。

 

《第一門 迷い竹》

 

《三つの鈴を鳴らし、出口を見つけよ》

 

それだけ。

 

奎星が待つ。

 

「…………」

 

文字が消えた。

 

「終わり?」

 

澪が頷く。

 

「みたい」

 

「説明少な!」

 

日向はもう周囲を見ている。

 

「とりあえず三つの鈴探せばいいんだろ」

 

「どこにあんだよ」

 

「それを探すんじゃない?」

 

澪が一歩踏み出した。

 

ちりん。

 

どこかで鈴が鳴った。

 

三人が止まる。

 

「今聞こえた?」

 

奎星が言う。

 

「右」

 

日向が即答する。

 

澪は首を傾げた。

 

「左じゃない?」

 

「俺は右に聞こえた」

 

「俺も……上?」

 

三人。

 

全員違う。

 

「なるほど」

 

澪が周囲を見る。

 

「音も惑わせてくるんだ」

 

奎星は神代榊を抜いた。

 

「じゃ全部吹っ飛ばして探す?」

 

「開始十秒で減点されたいの?」

 

「冗談だよ」

 

「顔が本気だった」

 

日向が竹の間へ首を突っ込む。

 

「とりあえず進もうぜ。止まってたら時間食う」

 

三人は走り出した。

 

ところが、真っ直ぐ進んでいるはずなのに数十秒後には同じ場所へ戻ってきた。

 

地面に落ちている白い石。

 

さっき奎星が蹴ったものだった。

 

「戻ってる」

 

澪の眉が寄る。

 

日向が竹を見上げる。

 

「マジかよ。道動いてんじゃね?」

 

「動いてる」

 

奎星が言った。

 

二人が見る。

 

「分かんの?」

 

「ほら」

 

奎星が一本の竹を指差した。

 

幹の途中に細い傷がある。

 

「さっき俺ここ通ったとき、杖ぶつけたんだよ」

 

「お前、歩いてるだけでぶつけたの?」

 

「そこはいいだろ」

 

「で?」

 

「傷、さっきはこっち側だった」

 

今は。

 

反対側。

 

竹そのものが。

 

音もなく回転している。

 

澪の目が細くなる。

 

「道が動いてるんじゃない。竹が向きを変えて視界を作り替えてる」

 

日向が笑う。

 

「じゃ、竹無視すればいいんだな」

 

「どうやって?」

 

日向が上を見る。

 

「上」

 

「飛ぶのは禁止じゃないよな?」

 

三人が同時に空中の文字があった場所を見る。

 

当然。

 

禁止とは書いていなかった。

 

奎星が笑った。

 

「さすがエース」

 

「箒ないけどな」

 

「意味ねえじゃん!」

 

「だから飛行術で――」

 

「この竹の密度じゃ頭ぶつけるよ」

 

澪が冷静に止める。

 

奎星が腕を組んだ。

 

「じゃ音も道も信用できない」

 

「でも、鈴はどこかにある」

 

澪が言う。

 

そのとき。

 

奎星の視線が止まった。

 

霧の中。

 

一本の竹の葉だけが。

 

僅かに震えている。

 

風は。

 

ほとんどない。

 

「……あれ」

 

「何?」

 

「音じゃなくて、振動見ればよくね?」

 

鈴が鳴る。

 

音の方向は歪められる。

 

けれど。

 

本当に鈴がある場所では。

 

空気そのものが揺れる。

 

三人は顔を見合わせた。

 

「蓮根君」

 

澪が笑う。

 

「たまに頭いいね」

 

「たまにいらなくね!?」

 

日向はもう走り出している。

 

「行くぞ!」

 

「お前が仕切るな!」

 

結局。

 

一つ目の鈴は竹の根元。

 

二つ目は空中へ逆さに生えた竹の先。

 

三つ目は、三人が最初に立っていた場所から十メートルも離れていない霧の中に隠されていた。

 

最後の鈴を鳴らした瞬間。

 

竹林全体が一度だけ揺れた。

 

霧が割れ。

 

目の前に青い門が現れる。

 

「出た!」

 

日向が走る。

 

澪がその背中を追った。

 

「三人一緒じゃないと開かないんだから置いていかないで!」

 

「分かってる!」

 

「奎星!」

 

「いる!」

 

三人が同時に門へ飛び込んだ。

 

 

第二の試練へ転移した瞬間。

 

奎星の足元には。

 

何もなかった。

 

「え?」

 

落ちた。

 

「うわあああああ!?」

 

三人の身体が一斉に落下する。

 

下にあるのは雲。

 

そのさらに下。

 

何も見えない。

 

「聞いてねええええ!!」

 

奎星が叫ぶ横で。

 

日向だけが妙に冷静だった。

 

「杖出せ!」

 

三人が同時に杖を抜く。

 

しかし、その必要はなかった。

 

落下開始から数秒後。

 

ふわっ。

 

空気の塊に受け止められたように身体が止まり、三人は巨大な石板の上へ落とされた。

 

「痛っ!」

 

尻餅をついた奎星が顔を上げる。

 

「最初に落とす必要あった!?」

 

返事はない。

 

そこは。

 

空の上だった。

 

大小十数枚の石板が、雲海の上へ浮かんでいる。どれも数メートルずつ離れ、その間には何もない。

 

一番奥。

 

高い場所へ浮かぶ石板の上に、一本の白い旗が立っていた。

 

金色の文字が浮かぶ。

 

《第二門 風渡り》

 

《旗を取り、三名で帰還せよ》

 

奎星が文字を見る。

 

「今度は分かりやすい」

 

日向の顔が。

 

明らかに嬉しそうになる。

 

「これ俺の場所じゃん」

 

「箒ないよ」

 

澪が言う。

 

「なくてもいける」

 

日向は石板の端まで行き、吹いてくる風へ手を出した。

 

目を閉じる。

 

「何してんの?」

 

奎星が訊く。

 

「風見てる」

 

「見えてねえじゃん」

 

「感じてんだよ!」

 

日向は足元と次の石板の位置を確認する。

 

「この石、多分ずっと同じ場所にいるわけじゃない。風に合わせて動いてる」

 

確かに。

 

遠くの石板が。

 

ゆっくり上下している。

 

「だから飛び移る?」

 

澪が訊く。

 

「普通にやったらな」

 

日向は笑った。

 

「でも三人でそれやったら時間かかる」

 

奎星も笑う。

 

「じゃどうする?」

 

「お前、デパルソどれくらい細く撃てる?」

 

「御影先生に死ぬほど練習させられた」

 

「澪、プロテゴで足場作れる?」

 

澪はすぐ意味を理解した。

 

「一瞬なら」

 

「じゃ行ける」

 

日向が説明する。

 

飛んでいる石板の間を一つずつ渡るのではない。

 

澪が斜めに張ったプロテゴへ。

 

奎星が弱いデパルソを撃つ。

 

その反動を利用して。

 

三人をまとめて次の足場へ飛ばす。

 

「待って」

 

澪が日向を見る。

 

「それ、私が失敗したら全員落ちるよね?」

 

「落ちても学校が止めるだろ」

 

「他人事みたいに」

 

「一位取るんだろ?」

 

澪が数秒黙る。

 

にやっとした。

 

「やろう」

 

奎星も杖を構える。

 

「そうこなくちゃ」

 

「お前ら絶対相性悪いと思ってたけど、こういうときだけ合うな」

 

日向が呟いた。

 

「何か言った?」

 

「何も!」

 

最初は。

 

酷かった。

 

「プロテゴ!」

 

斜めに作られた防壁。

 

奎星が撃つ。

 

「デパルソ!」

 

強すぎた。

 

「うおおおお!?」

 

三人まとめて目的の石板を飛び越した。

 

「奎星!!」

 

「ごめん!!」

 

二度目。

 

弱すぎた。

 

石板の縁へ日向だけがしがみつく。

 

「落ちる落ちる落ちる!」

 

「朝比奈、手!」

 

澪が引っ張る。

 

「お前さっきエースだったじゃん!」

 

「地面ないと無理なんだよ!」

 

「空なのに!?」

 

「箒がないんだよ!!」

 

けれど。

 

三度目から。

 

合い始めた。

 

日向が風と石板の動きを読む。

 

「三秒後! 澪、少し右!」

 

「分かった!」

 

防壁。

 

「奎星、今!」

 

「デパルソ!」

 

押し出される。

 

三人の身体が風へ乗る。

 

次の石板。

 

着地。

 

「よし!」

 

そのまま。

 

次。

 

次。

 

次。

 

いつの間にか。

 

三人とも笑っていた。

 

最後の高台。

 

日向が先に跳ぶ。

 

澪が続く。

 

奎星が最後。

 

旗へ手を伸ばした。

 

「取った!」

 

白い旗が抜ける。

 

同時に。

 

空中の石板が一斉に止まった。

 

金色の光が三人の胸元の銀札へ流れ込む。

 

そして。

 

目の前に二つ目の門が現れた。

 

「今の速くね?」

 

日向が息を弾ませる。

 

「絶対速い!」

 

奎星が言う。

 

澪も笑った。

 

「第一門で迷った分、取り返したかも」

 

「一位あるぞ!」

 

「まだ三門目あるから」

 

「三つ目もぶっちぎる!」

 

日向が旗を放る。

 

旗は空中で光へ変わり、消えた。

 

三人はそのまま門へ飛び込む。

 

 

第三の門を抜けた先は。

 

静かだった。

 

先ほどまでの強い風も。

 

竹林の鈴の音もない。

 

三人が転移したのは、夕暮れのような薄暗さに包まれた石造りの庭だった。

 

四方を高い石壁に囲まれ、床には古い正方形の石板が敷き詰められている。中央には円形の台座があり、その上へ三つの透明な玉が浮かんでいた。

 

赤。

 

青。

 

白。

 

庭の反対側には。

 

閉ざされた大きな門。

 

おそらく。

 

最後の帰還門。

 

三人が周囲を見る。

 

「今度は何?」

 

奎星が呟いたところで。

 

金色の文字が現れた。

 

《第三門 三色の守り》

 

《三つの灯を、同時に門へ届けよ》

 

文字が消える。

 

日向が台座を見る。

 

「あの玉持ってけばいい?」

 

「多分」

 

澪が慎重に近づく。

 

奎星も周囲を観察する。

 

「簡単すぎね?」

 

「絶対なんかある」

 

日向も警戒する。

 

三人が台座まで近づいた。

 

澪が青い玉へ手を伸ばす。

 

触れた瞬間。

 

ごごご、と低い音が響いた。

 

「ほら来た!」

 

庭の四隅。

 

石床が割れる。

 

中から。

 

四体の人形がせり上がってきた。

 

人間と同じほどの大きさ。

 

石でできた身体。

 

顔はない。

 

手には杖のような細い石棒。

 

奎星が杖を抜く。

 

「こういうの夏休みもやったな!」

 

日向も構える。

 

「御影先生の訓練よりデカいぞ!」

 

石人形の杖先が光る。

 

「来る!」

 

赤い光。

 

エクスペリアームス。

 

奎星が横へ避ける。

 

二体目から。

 

ステューピファイ。

 

「プロテゴ!」

 

澪の防壁が受け止めた。

 

日向が撃ち返す。

 

「デパルソ!」

 

石人形が一体後ろへ下がる。

 

だが。

 

倒れない。

 

奎星がその動きを見る。

 

「硬っ!」

 

「倒す必要ないんじゃない!?」

 

澪が叫ぶ。

 

三つの玉。

 

三人。

 

同時に門へ届ける。

 

つまり。

 

一人一個。

 

だが、玉を持てば片手が塞がる。

 

「これ持ちながら行けってことか!」

 

日向が赤い玉を掴む。

 

その瞬間。

 

石人形が一斉に日向へ向いた。

 

「俺!?」

 

四本の杖先。

 

「うわっ!」

 

日向が走り出す。

 

魔法が次々と背後へ飛ぶ。

 

奎星が気づいた。

 

「玉持ってる奴狙うぞ!」

 

「早く言え!」

 

「今分かった!」

 

澪も白い玉を取る。

 

二体の石人形が日向から澪へ向き直る。

 

攻撃が分散した。

 

「なるほど!」

 

奎星が最後の青い玉を掴む。

 

残っていた石人形の一体が奎星へ向く。

 

三人。

 

一人一個。

 

「行くぞ!」

 

奎星が走る。

 

帰還門までは五十メートルほど。

 

ただし。

 

石人形は追ってくる。

 

奎星へ赤い光。

 

身体を捻って避ける。

 

前方。

 

日向が別の一撃を避けた。

 

「澪、右!」

 

「分かってる!」

 

澪が自分へ飛んできた呪文をプロテゴで弾く。

 

その跳弾が石床へ当たった。

 

床の一部が。

 

沈んだ。

 

「待って!」

 

澪が叫ぶ。

 

日向の足が止まりかける。

 

「何!?」

 

「床!」

 

三人が見る。

 

さっき魔法の当たった石板だけ。

 

少し沈んでいる。

 

次の瞬間。

 

そこから。

 

壁が飛び出した。

 

「うわ!」

 

石壁が三人の間を遮る。

 

「そういうやつかよ!」

 

奎星が笑う。

 

攻撃を避けるだけではない。

 

人形の魔法をどこへ当てさせるかで。

 

道そのものが変わる。

 

「面白え!」

 

「楽しんでる場合!?」

 

日向が叫ぶ。

 

しかし。

 

奎星の目は既に庭全体を見ていた。

 

石板。

 

人形。

 

門。

 

飛んでくる魔法。

 

そして。

 

床の模様。

 

「日向!」

 

「何!」

 

「そのまま真っ直ぐ!」

 

「壁ある!」

 

「今消す!」

 

奎星は振り返る。

 

自分を狙う石人形。

 

杖先が赤く光る。

 

撃たれる直前。

 

一歩ずれる。

 

エクスペリアームスが。

 

奎星ではなく。

 

日向の前にある石板へ命中した。

 

ごごご。

 

壁が沈む。

 

道が開いた。

 

「おお!」

 

日向が駆け抜ける。

 

澪もすぐ意図を理解した。

 

「蓮根君! 左の二枚目!」

 

「了解!」

 

「朝比奈はそのまま!」

 

三人が。

 

別々の方向へ走る。

 

追う石人形。

 

飛ぶ魔法。

 

それを避けながら。

 

わざと床へ当てる。

 

壁が出る。

 

別の壁が沈む。

 

新しい道ができる。

 

まるで。

 

戦いながら迷路そのものを書き換えているようだった。

 

「奎星!」

 

日向の声。

 

横からステューピファイ。

 

奎星は見ていない。

 

澪が防壁を差し込む。

 

「プロテゴ!」

 

弾く。

 

「ありがと!」

 

「あとで水羊羹!」

 

「なんで!?」

 

「昨日の貸し!」

 

「今決めたろ!」

 

日向が笑う。

 

「お前ら喋る余裕あんじゃん!」

 

「日向後ろ!」

 

「え?」

 

エクスペリアームス。

 

「うおっ!」

 

日向の杖が危うく飛びかける。

 

「お前早く言えよ!」

 

奎星が吹き出す。

 

「それ伊織にも言ってたじゃん!」

 

「いいから助けろ!」

 

夏休み。

 

御影の訓練場で。

 

同じようなことを何度もした。

 

相手だけを見るな。

 

仲間を見ろ。

 

自分が何をするかだけでなく。

 

誰が何を見ているか考えろ。

 

あのときは楓も岳も伊織もいた。

 

今日は。

 

澪。

 

日向。

 

いつもとは違う三人。

 

それでも。

 

少しずつ。

 

動きが合っていく。

 

帰還門まで。

 

あと十メートル。

 

ところが。

 

最後の石板を踏んだ瞬間。

 

ごん、と巨大な音がした。

 

三人の前に。

 

一際大きな石壁がせり上がった。

 

「マジか!」

 

日向が止まる。

 

左右。

 

壁。

 

後ろから。

 

四体の石人形。

 

逃げ道がない。

 

澪が周囲を見る。

 

「どこかに沈める床があるはず!」

 

「見えねえ!」

 

奎星は正面の壁を見る。

 

完全に塞がれている。

 

そのとき。

 

日向が叫んだ。

 

「上!」

 

三人が見上げる。

 

石壁の最上部。

 

小さな星形の穴。

 

「あれか!」

 

澪が言う。

 

「でも高すぎる!」

 

十五メートル近い。

 

普通に魔法を撃っても。

 

穴へ正確に通すのは難しい。

 

後ろでは。

 

石人形の杖先が一斉に光る。

 

奎星が言った。

 

「澪!」

 

「何!」

 

「盾!」

 

「どこに!?」

 

奎星が上を指す。

 

「斜め!」

 

一瞬。

 

第二門。

 

澪も気づいた。

 

「また!?」

 

「得意だろ!」

 

「一回しかやってない!」

 

「今二回目!」

 

澪が杖を振る。

 

「プロテゴ!」

 

斜め上。

 

透明な防壁が現れる。

 

「日向!」

 

「分かった!」

 

日向は助走を取った。

 

奎星が杖を構える。

 

「いくぞ!」

 

「来い!」

 

日向が跳ぶ。

 

澪の防壁へ足を掛ける。

 

同時に。

 

奎星。

 

「デパルソ!」

 

弱く。

 

正確に。

 

日向の足元。

 

防壁へ。

 

衝撃。

 

「うおおおおお!」

 

日向の身体が一気に上へ飛んだ。

 

「高っ!」

 

「行け!」

 

日向が空中で身体を捻る。

 

右手には赤い玉。

 

左手には杖。

 

星形の穴。

 

「これかぁぁぁ!」

 

杖先を。

 

突っ込む。

 

光った。

 

正面の壁が。

 

一気に沈んだ。

 

「開いた!」

 

澪と奎星が走り出す。

 

着地した日向も転がりながら立ち上がった。

 

帰還門。

 

あと数メートル。

 

だが。

 

閉じている。

 

中央に。

 

三つの丸い窪み。

 

赤。

 

青。

 

白。

 

「同時!」

 

澪が叫ぶ。

 

三人が並ぶ。

 

「せーの!」

 

赤。

 

青。

 

白。

 

三つの玉を。

 

同時に嵌め込んだ。

 

かちり。

 

小さな音。

 

その直後。

 

庭全体へ金色の光が走った。

 

追ってきていた石人形たちがぴたりと動きを止め、杖を下ろす。

 

閉ざされていた門の中央へ、マホウトコロの紋章が浮かんだ。

 

《第三門 達成》

 

文字が現れる。

 

三人が数秒。

 

黙った。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

奎星が両手を上げる。

 

「っしゃああああ!!」

 

日向も叫んだ。

 

「絶対速い!」

 

澪も息を切らしながら笑う。

 

「第一門の迷子がなければね!」

 

「あれ迷子じゃねえ! 罠!」

 

「同じようなもんだろ!」

 

「帰ったら時間見ようぜ!」

 

三人の胸元にある参加札が、同時に金色へ変わった。

 

これで終わり。

 

あとは。

 

目の前に現れた帰還門をくぐればいい。

 

門の内側。

 

揺れる光の向こうには。

 

星迎祭の校庭が見えている。

 

教師。

 

観客。

 

他の参加者たち。

 

「帰るぞ!」

 

日向が先へ行こうとした。

 

そのときだった。

 

奎星の足が。

 

止まった。

 

「…………待って」

 

日向が振り返る。

 

「何?」

 

「蓮根君?」

 

澪も見る。

 

奎星は。

 

帰還門を見ていなかった。

 

その隣。

 

何もなかったはずの石壁。

 

そこを。

 

見ている。

 

「……何だ、あれ」

 

低い音がした。

 

ごり。

 

石と石が擦れるような音。

 

壁に。

 

一本の黒い線が走った。

 

最初は。

 

亀裂に見えた。

 

けれど。

 

違う。

 

黒い線は。

 

上へ。

 

横へ。

 

下へ。

 

四角く。

 

ゆっくり。

 

輪郭を作っていく。

 

日向の笑顔が消えた。

 

「おい……」

 

澪も杖へ手を伸ばす。

 

「これも試練?」

 

「違う」

 

奎星は即答した。

 

理由を説明できたわけではない。

 

ただ。

 

分かった。

 

こんなもの。

 

三門巡りの課題ではない。

 

石壁の表面が。

 

内側から押し出されるように膨らむ。

 

そして。

 

黒いものが。

 

姿を現した。

 

門。

 

帰還門より。

 

一回り小さい。

 

装飾も。

 

学校の紋章もない。

 

表面は光を吸い込むような漆黒で、磨かれているはずなのに鏡のような反射をまるで返さない。

 

ただ。

 

ところどころに。

 

赤黒い文字のような光が。

 

脈打っている。

 

「…………」

 

奎星の呼吸が止まった。

 

知っている。

 

形は違う。

 

大きさも。

 

まるで違う。

 

けれど。

 

あの質感を。

 

あの。

 

赤黒い光を。

 

忘れるはずがない。

 

第零書庫。

 

久我の手。

 

砕けた石。

 

夏休み。

 

黒曜の狩人。

 

日向も。

 

同じものへ辿り着いたらしい。

 

声が低くなる。

 

「奎星……これ」

 

「ああ」

 

奎星は神代榊を抜いた。

 

さっきまで。

 

競技を楽しんでいた顔は。

 

もうなかった。

 

澪が二人を見る。

 

「何なの?」

 

答えるより先に。

 

黒い門の中央で。

 

赤黒い文字が。

 

一つ。

 

灯った。

 

そして。

 

門が。

 

ゆっくり。

 

開き始めた。

 

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