星迎祭の騒ぎから一夜明けると、マホウトコロは奇妙なほど平静を取り戻していた。
もちろん、生徒たちの間に不安が消えたわけではない。三門巡りの最中、競技が急に中止され、夜には外出禁止まで出たのだ。何かが起きたことくらい、誰にでも分かる。それでも学校側は朝の全校集会で、あくまで「試練空間の術式に一時的な不具合が生じ、一部の参加生徒が巻き込まれた事故だった」とだけ説明した。原因は調査中、再発防止の確認が終わるまで祭りの残りの行事はすべて中止。黒曜の環の名も、神代冥司の名も、生徒たちへ告げられることはなかった。
そのまま授業も再開された。
教室ではいつもどおり教師が板書し、生徒たちも教科書を開く。だが、普段より私語が少なく、ふとした拍子に誰もが窓の外や扉のほうを見てしまうあたり、校内に流れる空気は明らかにいつもとは違っていた。
昼前になると、白峰魔法学校の生徒たちが帰り支度を始めた。交流行事は星迎祭の一環として組まれていたため、中止になった以上、長く滞在する理由はない。東北へ戻るため、彼らは発着場へ集められていた。
奎星は授業が終わると、そのまま発着場へ向かった。
海から吹く風は前日より少し強い。空には大きなウミツバメが何羽も待機し、その背へ荷物が積み込まれていく。白と淡青の制服がそこかしこで揺れていた。
「蓮根君」
呼ばれて振り向く。
澪だった。
白峰の外套を羽織り、荷物を片手に抱えている。隣には柊木もいた。白峰の教師として、生徒たちを引率して帰るのだろう。
「もう帰んのか」
「そうみたい」
澪は肩を竦める。
「せっかく一位取れそうだったのにね」
「ほんとだよ。三門目までめっちゃいい感じだったじゃん」
「第一門で迷子になったけどね」
「迷子じゃねえって!」
澪が笑う。
その笑い方は、もう昨日までとほとんど変わらなかった。
「日向は?」
「教室。楓に昨日の授業のノート借りに行った」
「昨日の授業?」
「実質サボったからな、あいつ。医務室で寝てただけだし」
「確かに」
澪は少しだけ真面目な顔になる。
「……大丈夫?」
「ん?」
「昨日のこと」
奎星は一瞬だけ黙った。
白峰の生徒たちには、澪と日向が術式事故で昏睡した、という説明が通されている。けれど、澪自身はその中身を知っている。
黒い門。
幻覚。
そして、自分たちの班が巻き込まれたこと。
奎星はポケットの上から星型のキーホルダーへ軽く触れた。
「まあ、何とか」
「何とか、ね」
「澪は?」
「少し頭重かったけど、もう平気」
「そっか」
短い沈黙が落ちる。
やがて澪は、いつもの少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「でも、あんたが原因かもしれないって話、本気でちょっと面白くないわね」
「ひどくね?」
「だって、競技中に黒曜の門出してくる男とか迷惑でしょ」
「俺が出したわけじゃねえよ!」
「似たようなもんじゃない?」
「違うわ!」
二人が言い合っていると、少し離れたところで御影と柊木が向かい合った。
奎星たちもそちらを見る。
柊木は手に小さな金属板のようなものを持っていた。掌に収まるほどの薄い長方形で、表面に白峰の紋章と細かな魔法陣が刻まれている。
「御影先生」
柊木がそれを差し出す。
「白峰の火映しの主座標です」
御影が受け取る。
「主座標?」
奎星が小声で澪へ訊いた。
「暖炉で使う火映しの接続先。遠距離用の通話座標みたいなもの」
「へえ、ビデオ通話だ」
「あなたの理解、雑すぎる」
二人の前で、柊木はまっすぐ御影を見た。
「今回の件、白峰も無関係ではないと考えています。何かあれば、いつでも連絡をください」
その声は静かだったが、迷いはなかった。
「白峰は、マホウトコロの味方です」
御影は一瞬だけ黙り、それから頷く。
「助かる」
「生徒たちも動揺していますが、必要ならこちらでも事情を伏せたうえで警戒を強めます」
「頼む」
「そちらも」
柊木の視線が一瞬だけ奎星へ向き、それから校舎全体を見るように動いた。
「どうかお気をつけて」
御影は主座標の板を懐へしまった。
「そちらもな」
そのやり取りを見ていた澪が、小さく息を吐く。
「学校同士でああいう話してると、ちょっと本当に大変なんだって感じする」
「今さら?」
「今さら」
澪はそう言ってから、奎星へ向き直った。
「蓮根君」
「ん?」
「今度会うときは、ちゃんと最後まで競技やりなさいよ」
「お前もな。次は第一門で置いてくから」
「絶対私のほうが速い」
「いや俺だろ」
「飛ぶなら俺だろ」
いつの間にか、後ろから日向が来ていた。
「お前帰るって聞いて来た」
「ありがとう、日向」
澪が言う。
日向は少し照れくさそうに鼻の頭を掻いた。
「まあ、巻き込まれ仲間だし」
「何それ」
奎星が笑う。
白峰の生徒たちを乗せるウミツバメの一羽が、大きく翼を鳴らした。出発の合図らしい。
澪は荷物を持ち直す。
「じゃあ、行くね」
「おう」
「死なないでよ」
「縁起でもねえな!」
「それ、今のあんたが言うの?」
奎星が一瞬だけ詰まる。
昨日の会議で何が話し合われたのかを、澪は知らない。だが、言葉の選び方からして、何かを察したらしい。
奎星は苦笑した。
「……何とかする」
澪はそれで十分だと言うように頷いた。
「それじゃ、また」
「またな」
澪は踵を返し、白峰の列へ戻っていった。
少し進んだところで一度だけ振り返り、軽く手を上げる。奎星と日向も手を上げ返した。
やがて大きなウミツバメたちが順に空へ舞い上がる。白と淡青の一団は、そのまま東北の空へ消えていった。
*
その日の放課後、奎星は二年二組の空き教室へ、楓、伊織、岳を呼び出した。
日向は最初からそこにいる。巻き込まれた当事者なのだから、説明の必要はない。それでも「俺も聞く」と言って、当たり前のように机へ座っていた。
楓は腕を組みながら、じろりと奎星を見る。
「で、何。わざわざ人払いまでして」
「他のやつには聞かせたくねえ話」
その一言で、楓の表情が少し変わる。
伊織は窓際の机へ腰掛け、岳は既に持ち込んだ饅頭を食べていた。
「それ、今食うんだ」
奎星が呆れる。
「腹減った」
「まあいいけど」
奎星は息を吸った。
それから、昨日の三門巡りの終盤から今朝までのことを、できるだけ順番に話した。帰還門の隣へ現れた黒い門。自分と日向が黒曜石を思い出したこと。門へ引きずり込まれ、幻覚を見せられたこと。目を覚ましたあと、門の向こうの声が《蓮根家め》と言ったこと。黒曜の環の奥に神代冥司という人物がいるらしいこと。そして蓮根家が、百年以上前から霊脈と鬼火鳥に関わっていたこと。
話し終える頃には、教室はしんと静まり返っていた。
最初に口を開いたのは伊織だった。
「つまり、今のところ一番濃厚なのは、黒曜の環が蓮根家か神代榊を狙っていて、その影響が奎星の周囲へ出ているかもしれない、ということ?」
「ざっくり言うとそう」
「ざっくりでそれ?」
楓が眉を寄せる。
「何よそれ……大ごとじゃない」
「だから他のやつには言ってねえ」
日向が机へ頬杖をついた。
「門の中、マジでやばかったぞ」
「日向は何見たの?」
楓がふと訊く。
日向がぴたりと止まる。
「え?」
「夢、見せられたんでしょ?」
「いや、まあ、その……」
目が泳いだ。
奎星は、あっと思うより先に口が動いた。
「日向なんか、楓と――」
その瞬間。
「奎星ぃぃぃ!!」
日向が机を蹴って飛びかかってきた。
「うおっ!?」
二人まとめて床へ倒れる。
「言うな言うな言うな!!」
「痛っ、待て待て! まだ最後まで言ってねえ!」
「その最初で十分なんだよ!!」
楓の顔が真っ赤になる。
「ちょっと、何なのよ!」
伊織が呆れたように眼鏡を押し上げた。
「秘密の共有って難しいね」
「そこ感心するとこか?」
奎星が日向に首を絞められながら呻く。
岳だけは平然と饅頭を食べていた。
「日向は楓だったのか」
「岳まで言うな!!」
楓は両手で顔を覆った。
「もう最悪……!」
奎星はようやく日向を引き剥がしながら笑う。
「悪い悪い。でもお前、ほぼ言ってるようなもんだろ」
「お前の夢のこと言うぞ!」
「やめろ!」
今度は奎星が止まる番だった。
「ほら見ろ」
日向が勝ち誇る。
伊織が静かに言った。
「じゃあその件は互いに口外しない、で手を打てば?」
「そうしよう」
「そうする」
二人が即答した。
楓はまだ顔を赤くしたまま、奎星を睨んだ。
「……で、結局、学校はどうするつもりなの?」
その問いには、奎星もすぐには答えられなかった。
会議で出た話を、どこまで今ここで言うべきか迷ったからだ。
けれど、楓も伊織も岳も、もう半端に隠せる段階ではない。
奎星は短く息を吐いた。
「まだ決まってねえ。けど、多分……俺を使って、門が俺のせいで出るのかどうか調べる」
教室の空気が、また少しだけ重くなる。
「使って、って」
楓の声が低くなる。
「何されるのよ」
「まだそこまでは決まってねえよ」
本当は、すでにかなり具体的な案が出ている。
ただ、それを口にする前に。
その夜。
事態はもう一つ動いた。
*
その晩、男子寮は消灯後もどこか落ち着かなかった。
星迎祭の中止、三門巡りの事故、外出制限。昼間は授業が再開されたとはいえ、寮へ戻れば生徒たちは皆ひそひそと同じ話をしている。けれど教員から詳しい説明は出ない。だからこそ、余計に不安だけが膨らんでいた。
奎星も、なかなか寝つけなかった。
同室の日向は寝返りを打ちながら何か寝言を言っている。岳はとっくに熟睡し、伊織も明かりを消したあとすぐ静かになった。
窓の外では、海風が時折低く唸る。
奎星は寝台の上で仰向けになり、暗い天井を見ていた。
すると。
廊下の向こうから、ばたばたと足音が聞こえた。
最初は、誰かがトイレへでも走っているのかと思った。けれど足音は一つではない。何人かの声が重なり、しかも妙に切羽詰まっている。
「冬真先輩、待って!」
「三枝先輩!」
奎星は跳ね起きた。
隣の日向も目を開ける。
「何だ?」
「今、冬真先輩って……」
二人は同時に寝台を降り、扉を開けた。廊下へ出ると、他の部屋からも生徒たちが顔を出している。
さらにその向こう。
談話室の先にある階段を、一人の上級生がふらつくように下りていくところだった。
三枝冬真。
昼間はいつもどおり授業にも出ていた先輩が、今は完全に焦点の合わない目で前だけを見ている。寝巻きのまま、靴も履かず、素足で。
「冬真先輩!」
奎星が駆け寄る。
近くには鳴海と、同級生らしい男子二人がいて、必死に冬真の腕を掴んでいた。
「止まれって!」
「離して……」
冬真の声は低く、いつもの落ち着いた調子とはまるで違った。
「妹が……呼んでる」
その一言に、周囲が凍る。
鳴海が青ざめた顔で振り返った。
「急に、外に行くって……妹の声がするって……」
「冬真先輩!」
奎星が正面へ回り込む。
「どこ行くんすか!」
冬真は、まるで奎星が目に入っていないようだった。
「早く行かないと……あの子が、一人で……」
一歩。
また一歩。
友人たちが身体ごと押さえているのに、止まらない。いや、止まれないのだ。まるで何かに引かれているように、無理やり前へ進もうとしている。
「危ない!」
鳴海が叫ぶ。
冬真の肩がごり、と嫌な音を立てた。
掴まれた腕を振りほどこうとしたせいだろう。関節に無理な力が掛かっているのに、本人はまるで気づいていない。素足も床に擦れ、足の甲が赤くなっていた。
「先輩、やめてください!」
奎星と日向も加わって身体を押さえる。
けれど、冬真は止まらなかった。
むしろ、押さえれば押さえるほど、引かれる力へ逆らうように前へ出ようとする。足首が捻れ、廊下の角へ膝をぶつけても、表情一つ変えない。
「……っ、やべえぞこれ」
日向の声が強張る。
冬真の視線は、寮の玄関の先――校庭のさらに向こうを見ていた。
その目線の先に、何があるのか。
奎星はぞっとしながら振り返った。
開け放たれた玄関の先、夜の校庭の端。
そこに。
黒い門があった。
月明かりの中へ、闇がそのまま立ち上がったような門。表面には赤黒い文字が脈打ち、開いた内側には何も見えない。
「……また」
奎星の喉が凍りつく。
「黒曜の門だ……!」
その瞬間、後ろから鋭い声が飛んだ。
「全員下がれ!」
御影だった。
その隣には真壁もいる。どうやら騒ぎを聞いてすぐ駆けつけたらしい。二人とも寝間着ではなく、すでに上着を羽織り、杖を手にしていた。
御影は冬真の前へ回り込む。
「三枝、聞こえるか」
返事はない。
「止まれ」
冬真は、それでも歩こうとした。
御影が腕を掴む。
真壁も反対側から肩を押さえる。
大人二人の力でようやく動きが鈍る。だが、それでも冬真の足はなお前へ出ようとしていた。爪先が石畳を引っかき、素足の皮膚が裂ける。膝も、肩も、身体中のあちこちが悲鳴を上げているはずなのに、本人は痛みに無反応だった。
「……駄目だ」
真壁が低く言う。
「意識が完全に持っていかれてる」
御影が黒い門を見る。
「あれに繋がれているのか」
冬真がかすれた声を漏らす。
「……妹が……寒いって……」
鳴海が顔を歪めた。
「先輩……」
その姿を見ていた奎星は、昨日の自分を思い出していた。
都合のいい世界。
欲しかったもの。
離れがたいもの。
門は、人間の一番深いところへ手を突っ込んでくる。
「真壁さん!」
奎星が叫ぶ。
「昨日みたいに起こせないの!?」
「暴れた状態で開心術は危険だ!」
真壁は一瞬だけ考え、すぐ決断した。
「試す」
彼は冬真から手を離し、一歩後ろへ下がる。
そして杖を構えた。
「エクスペクト・パトローナム!」
銀白色の光が杖先から奔流のように溢れ出す。
次の瞬間、その光は巨大な一頭の獣の形を取った。
狼だった。
だが、ただの狼ではない。肩まで銀色の毛並みを逆立てた、精悍で力強いニホンオオカミの守護霊。細身でありながら圧倒的な存在感を持ち、鋭い瞳が冬真ではなく、その先の黒い門を睨みつけている。
「うわ……」
日向が息を呑む。
奎星も目を見開いた。
真壁に、恐ろしく似合っていた。
守護霊の狼は低く唸り、そのまま冬真の周囲を大きく回った。銀の光が輪のように広がり、冬真の身体へ絡みついていた目に見えない何かを炙り出す。
すると。
冬真の胸元から、もやもやとした黒い気が立ち上り始めた。
「出た!」
鳴海が叫ぶ。
黒い気は最初は煙のようだったが、やがて糸のように細くまとまり、無理やり引き剥がされるように冬真の身体から抜けていく。冬真の膝ががくりと折れた。
御影が咄嗟に支えた。
銀の狼がさらに一歩前へ出ると、黒い気はまるで追い払われるように後退し、そのまま黒曜の門のほうへ引きずられていった。
そして。
門が、揺らぐ。
水面へ指を差し入れたみたいに輪郭が波打ち、赤黒い文字がひとつ、またひとつと消えていく。
次の瞬間。
門は何もなかったかのように消失した。
校庭には、海風の音だけが残る。
冬真は御影の腕の中で、完全に意識を失っていた。
「三枝先輩!」
鳴海が駆け寄る。
真壁はまだ杖を下ろしていなかった。銀の狼は彼の傍らへ戻り、一度だけ奎星たちのほうを見てから、静かに霧散していく。
奎星は、しばらく言葉を失っていた。
黒曜の門が。
今度は、自分のいない場所ではなく、自分の寮のすぐそばへ現れた。
しかも、冬真が狙われた。
偶然とは、もう思えなかった。
*
その夜のうちに、再び教員会議室で会議が開かれた。
今度の参加者は、九重院、御影、真壁、スズメ、そして奎星。
冬真は医務室へ運ばれ、幸い命に別状はないと確認された。ただし、黒い気に触れた影響を調べるため、しばらくは安静にすることになったらしい。
会議室の空気は、前日よりさらに重かった。
「今夜の件で、一つ可能性が増えた」
最初に口を開いたのは御影だった。
「黒曜の門は、蓮根が直接触れた試練空間だけでなく、蓮根の生活圏にも出現し得る」
奎星は黙って聞いている。
「しかも今度は三枝が引かれた」
真壁が腕を組んだ。
「三枝君本人を狙ったのか、それとも門へ人を引きずり込むための手段として妹の幻聴を使ったのか。そこは断定できない」
「ただ」
九重院が続ける。
「二度続けて、蓮根君の近くで門が現れたことは事実です」
その言葉に、奎星の胸が少し重くなる。
スズメがすぐ口を開いた。
「ですが、まだ《近くにいた》以上のことは言えません。蓮根君が原因だと決めつけるのは早計です」
「決めつけてはいない」
御影が返す。
「可能性の話だ」
「可能性だけで本人を危険視するのですか?」
「危険視ではない」
御影の声は低いが、感情的ではなかった。
「切り分けだ」
九重院が静かに言う。
「このまま本校で様子を見るより、条件を変えて反応を見るほうが早い、ということですね」
真壁が頷いた。
「学校本体から蓮根君を一時的に離す。門の出現が止まるなら、少なくとも関連性の一端は見えてくる」
奎星は視線を上げた。
「離すって、どこに」
九重院が答える。
「朝凪島です」
「朝凪島?」
「マホウトコロが合宿や集中訓練に使っている離れ島です。本島から結界で切り離された小さな島で、寝台も食料も、生活用の設備もひととおり揃っています」
奎星はそれを聞いて、頭の中で何となく場所を思い浮かべた。確か、上級課程の遠泳訓練や野外魔法実習に使うと誰かが言っていた気がする。
「つまり俺を、そこに隔離するってこと?」
「一時的に、だ」
御影が言う。
「本校から切り離した環境で数日観察する。門の反応が変わるか、誰かが再び引かれる現象が起きるか、あるいは何も起きないか。それを見る」
「そんな……」
スズメが険しい顔になる。
「隔離など、あまりにも極端です」
「極端だからやる価値がある」
「烏丸先生」
真壁がやや穏やかな声で挟んだ。
「今回の件で一番まずいのは、原因を推測のままにしておくことです。仮に本当に蓮根君が何らかの鍵になっているなら、本校に置いたままでは他の生徒がまた巻き込まれる」
スズメは唇を結んだ。
御影が続ける。
「別に蓮根を悪者にするわけではない。責任を押しつけるわけでもない。痛い思いをさせるつもりもない。島には食料も寝台もある。監督もつける」
「でも――」
「スズメちゃん」
今度は奎星が口を開いた。
スズメが振り向く。
奎星は、思ったより落ち着いた声で言った。
「別にいいよ」
「蓮根君」
「死ぬわけじゃないし」
その瞬間。
御影の表情が変わった。
「蓮根」
声が、鋭く落ちる。
奎星がびくりとする。
「その言葉を」
御影は奎星をまっすぐ見た。
「二度と使うな」
会議室が静まり返った。
奎星は息を詰めた。
昨夜のこと。
門の中で、自分に向けて魔法を撃ったこと。
それを知っている全員が、同じものを思い出したのだと分かった。
御影は低い声のまま続ける。
「軽く言うな」
「……ごめん」
奎星は俯いた。
しばらくしてから、もう一度顔を上げる。
「でも」
今度は、さっきよりずっと真面目な声だった。
「俺が隔離されるだけで解決に近づくかもしれないなら、協力するよ」
九重院が奎星を見る。
「本当に?」
「うん」
奎星は神代榊へ手を置いた。
「俺のせいじゃないかもしれない。でも、もし少しでも関係あるなら、確かめたほうがいい。日向も、澪も、冬真先輩も、もう十分巻き込まれてるし」
その言葉に、誰もすぐには返せなかった。
一番先に動いたのは、スズメだった。
彼女は一度だけ目を閉じ、何かを決めるように小さく息を吐く。
それから九重院と御影へ向き直った。
「条件があります」
「何でしょう」
九重院が静かに問う。
スズメは、まっすぐ言った。
「蓮根君を隔離するなら、私も共に隔離させてください」
奎星が目を丸くする。
「え?」
真壁も少しだけ眉を上げた。
御影が訊く。
「理由は」
「私は蓮根君の補習担当であり、これまで神代榊の扱いや魔力制御を最も近くで見てきました。黒曜の門の幻覚から戻った直後の状態も、昨夜の彼の様子も知っています。観察役として最適です」
「観察役なら他の教師でもいい」
「蓮根君が無茶をする確率は、私がいたほうが下がります」
「それは否定できん」
真壁がぼそりと言った。
「真壁さん!」
スズメが思わず振り返る。
「事実だろう」
「それは……」
「だが合理的だ」
御影はしばらくスズメを見ていた。
その視線を、スズメは逸らさない。
やがて御影が九重院を見る。
「こいつは聞かんぞ」
九重院は一度だけ頷いた。
「分かりました」
「校長先生」
「朝凪島へは、蓮根君と烏丸先生の二人で入ってもらいます。生活物資は本校から毎日転送。定時連絡は火映しで。御影先生と真壁さんが交代で監督に入る形にしましょう」
真壁が言う。
「了解した」
御影も短く頷いた。
「なら、出発は明朝だ」
奎星はスズメを見る。
「スズメちゃん、本当に来んの?」
「行きます」
「授業とか仕事は?」
「その間は代理を立てます」
「でも――」
「蓮根君」
スズメの声は静かだったが、有無を言わせない強さがあった。
「あなた一人で行かせるほうが、よほど問題です」
奎星は数秒黙ってから、小さく笑った。
「……はい」
その返事に、スズメはほんの少しだけ表情を緩めた。
こうして。
蓮根奎星と烏丸スズメは、朝凪島へ一時隔離されることになった。
*
翌朝。
朝凪島へ向かう小型の飛行艇が、校舎裏手の小さな船着き場で出発準備をしていた。船体は白く、両脇に海鳥の翼を思わせる細長い帆が取り付けられている。普段は合宿用の荷物運搬にも使われるものらしい。
見送りに来ていたのは、ごく限られた生徒だけだった。
日向。
楓。
伊織。
岳。
そして。
昨夜巻き込まれた冬真も、まだ少し顔色は悪いものの、自分の足で立っていた。
事情を知る者だけ。
それ以外の生徒には、奎星がしばらく神代榊の調整と安全確認のため別施設へ移る、とだけ伝えられている。
「ほんとに行くのか」
日向が訊く。
「行く」
奎星は荷物を肩へ掛けた。
といっても、着替えと教科書、神代榊、それから星型のキーホルダーくらいのものだ。
「数日で帰ってくる予定だって」
伊織が言う。
「予定、ね」
楓はまだ納得しきれていない顔だった。
「何かあったら、すぐ戻ってきなさいよ」
「何かある前提なのかよ」
「あるでしょ、あんたの場合」
「否定できない」
伊織が即答する。
「お前もか!」
岳は一歩前へ出た。
「朝凪島、飯あるのか」
「そこ?」
奎星が笑う。
「あるって言ってた」
「なら大丈夫だ」
「何の判断だよ」
少し離れたところで、冬真が口を開いた。
「……蓮根」
奎星が振り返る。
冬真は申し訳なさそうに目を伏せた。
「俺のせいで、ごめん」
「何で先輩が謝んの」
「昨夜、俺があんなことにならなければ……」
「違うって」
奎星はすぐに首を振った。
「先輩のせいじゃねえよ。黒曜の門が勝手にやったことだし、先輩だって巻き込まれた側だろ」
冬真はまだ納得しきれない顔をしていたが、奎星は続ける。
「むしろ先輩が無事でよかった」
その言葉に、冬真はようやく少しだけ表情を緩めた。
「……ありがとう」
楓が腕を組んだまま言う。
「でも、ほんとに都合よく隔離されるだけで済むの?」
「だから試すんだろ」
日向が答える。
「奎星が離れたら門が出なくなるかもしれねえし」
「出たらどうすんのよ」
「そのときはそのときだ」
「雑!」
そんなやり取りを聞きながら、奎星はふと真顔になった。
「なあ、みんな」
「何?」
日向が応じる。
奎星はものすごく真剣な顔で言った。
「もし、だいぶ都合のいい世界だなって思ったら、自分に向かって魔法撃つんだぞ! いいな!」
一拍。
全員が止まる。
「は?」
楓が顔をしかめた。
「何言ってんの」
「いや大事だろ! 幻覚かもしれねえじゃん!」
「そんな判断基準で自分を撃つ奴、あんたしかいないわよ!」
「でも戻れたし!」
「それを一般化しないで!」
日向が腹を抱えて笑い出す。
「お前だけだよそんな起き方するの!」
伊織も珍しく口元を押さえていた。
「再現性が低すぎるね」
岳だけが妙に真面目な顔で訊く。
「どの呪文がいい」
「岳まで乗るな!」
そこへ。
「蓮根君」
後ろからスズメの声が飛んだ。
奎星が振り返る。
荷物をまとめ終えたスズメが、完全に呆れた顔で立っていた。
「そんなこと、あなた以外誰もできません」
「いや、できるかもしれねえじゃん!」
「できません」
「試してみないと――」
「試さなくていいです」
スズメは奎星の外套の後ろを掴み、そのまま飛行艇のほうへ引っ張っていく。
「ちょ、待って!」
「待ちません」
「みんなに大事なこと教えてんのに!」
「大事ではありません!」
「あるって!」
「ありません!」
ずるずると引きずられながらも、奎星は最後に振り返って叫んだ。
「じゃあ俺いない間、日向はちゃんと楓に――」
「奎星ぃぃぃ!!」
日向が飛び出しかけ、楓がそれを止め、伊織がため息をつき、岳がなぜか「頑張れ」と言い、冬真まで少し笑った。
朝の船着き場へ、いつもの騒がしい声が広がる。
その中で、スズメは容赦なく奎星を飛行艇へ押し込んだ。
「行きますよ」
「はいはい――」
「はいは一回です」
「うわ、出た」
思わず笑う。
その顔を見て、スズメも本当にわずかだけ口元を緩めた。
飛行艇がゆっくり浮き上がる。
見送る友人たちの姿が少しずつ遠ざかっていく。
朝凪島へ向かう風は、まだ少し冷たかった。
けれど奎星は、その風の先で何が待っているのかを、もう逃げずに見に行くつもりだった。