マホウトコロ   作:西野圭吾

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第15話 帰らなきゃ

 

朝凪島で迎える二度目の朝は、拍子抜けするほど穏やかだった。

 

昨夜から黒曜の門は一度も現れていない。島を覆う結界にも異常はなく、定時観測用の魔法具も静かなまま。窓の外では海鳥が鳴き、開け放した窓からは潮の匂いを含んだ柔らかな風が入り込んでいる。

 

宿舎の小さな食堂では、スズメが朝食を用意していた。

 

焼き魚。味噌汁。白米。出汁巻き卵。それから、昨夜のうちに本校から転送されてきた漬物。

 

前日の昼食を《途中からうまくなる料理》へ変貌させた奎星に台所を任せるという選択肢は、今朝のスズメには最初から存在しなかった。

 

その奎星はといえば、机へ突っ伏し、ほとんど目を閉じたまま箸だけを動かしていた。

 

「眠い……」

 

「昨夜、いつまでも姿くらましをしようとするからです」

 

「だって楽しかったし……」

 

「人の背後へ移動して抱きつくための魔法ではありません」

 

「間違えただけだって〜……」

 

「三回も?」

 

「三回間違えただけ……」

 

スズメは答えず、味噌汁を一口飲んだ。

 

奎星も眠そうに白米を口へ運ぶ。学校にいれば、この時間にはもう御影との朝練が終わっている頃だろう。日向たちは食堂で騒ぎ、岳は人の分まで食べ、伊織が淡々と突っ込み、楓が誰かを叱っている。

 

それを思うと、向かいにスズメしかいない朝食は不思議なくらい静かだった。

 

嫌ではない。

 

むしろ、かなり落ち着く。

 

二人で食事をすること自体は、もう珍しいことではない。奎星が編入したばかりの二週間から始まり、水月庵にも行ったし、ここへ来てからも毎食ほとんど一緒だ。それでも学校から完全に離れ、朝から晩まで二人きりという状況には、今までとは少し違う空気があった。

 

奎星は箸を置くと、頬杖をついた。

 

「……なあ、スズメちゃん」

 

「何ですか」

 

「俺さ」

 

窓の外へ目を向ける。

 

海は穏やかだった。

 

「ホントは、学校で門が出ないほうがいいって思ってんだ」

 

スズメの箸が僅かに止まった。

 

「そうなのですか?」

 

「うん」

 

奎星は欠伸を噛み殺し、少しだけ真面目な顔になる。

 

「俺のせいっていうか……まあ、理由が分かったほうがいいだろ?」

 

「……ええ」

 

「俺が学校にいると門が出る。でも俺が離れたら出ねえ。だったら、俺が何か関係してんだなって分かるじゃん。神代榊なのか、蓮根家なのか、俺自身なのかは知らねえけど」

 

湯呑みの縁を指先でなぞりながら、奎星は続けた。

 

「逆にさ。俺がここにいるのに学校で出たら……じゃあ、どうすりゃいいんだってなっちゃう」

 

スズメはしばらく奎星を見ていた。

 

言っていることは間違っていない。

 

朝凪島で何も起きなければ、少なくとも奎星の存在と門の出現に何らかの関連がある可能性は高まる。それが良い結果とは限らなくても、調べるべき方向は絞れる。

 

ただ、その言葉の奥には。

 

《自分だけが危険で済むなら、そのほうがいい》

 

そんな考えも、少なからず混じっているのだろう。

 

以前なら、また一人で背負おうとしている、と叱ったかもしれない。

 

けれど今は少し違う。

 

奎星は《自分が原因だ》と決めつけてここへ来たわけではない。何かを確かめるためなら協力する、と自分で考え、そのうえで朝凪島へ来ることを選んだ。

 

だからスズメは、あえて軽い声を出した。

 

「……では、ずっとここにいますか?」

 

「え?」

 

奎星が顔を上げる。

 

スズメは、にこりと笑っていた。

 

「学校へ戻らずに。この島で二人で暮らしますか」

 

「…………」

 

奎星が固まる。

 

波の音。

 

海鳥の声。

 

湯気の立つ味噌汁。

 

その向こうで、スズメが微笑んでいる。

 

一瞬。

 

本気なのかと思った。

 

本当に。

 

一瞬だけ。

 

「…………マジ?」

 

「…………」

 

スズメの目が細くなる。

 

その顔を見て、奎星もようやく冗談だと察した。

 

しかし遅かった。

 

耳が少し熱い。

 

それを誤魔化すように、奎星は妙に堂々と胸を張った。

 

「じゃ、結婚しちゃおっか!」

 

「冗談です」

 

「スズメちゃ〜ん!」

 

即答だった。

 

スズメは何事もなかったように味噌汁を飲む。

 

「朝から何を言っているのですか」

 

「そっちが先に二人で暮らすとか言ったんじゃん!」

 

「あなたが一瞬、本気にするとは思いませんでした」

 

「してねえし!」

 

「そうですか」

 

「してねえから!」

 

「はいはい」

 

「はいは一回!」

 

昨日まで黒曜の門や神代冥司の話をしていたとは思えないほど、のどかな朝だった。

 

だから。

 

その音が鳴った瞬間。

 

二人とも、すぐには意味を理解できなかった。

 

ぼうっ――!

 

居間から、青白い光が漏れた。

 

「……火映し?」

 

最初に反応したのはスズメだった。

 

椅子を引いて立ち上がる。

 

定時連絡の時間までは、まだかなりある。

 

奎星も箸を置いた。

 

「御影先生?」

 

「分かりません」

 

二人が急いで居間へ向かうと、暖炉の炎が激しく揺れていた。普段の火映しのように静かに通信面を作るのではなく、青白い炎が何度も波打ち、早く接続しろと急かすように火花を散らしている。

 

スズメの顔から、先ほどまでの柔らかさが消えた。

 

杖を振る。

 

「接続します」

 

炎が一枚の青白い鏡へ変わる。

 

そこに現れたのは、真壁だった。

 

「二人とも!」

 

いつもの穏やかな顔ではない。

 

額には汗が浮かび、呼吸も僅かに乱れている。さらに映像の奥からは、大勢の足音と怒鳴り声、何かが倒れる音、呪文の炸裂音まで絶え間なく聞こえていた。

 

「真壁さん?」

 

奎星の眠気が一瞬で吹き飛ぶ。

 

「どうしたの?」

 

「二人とも、すぐに戻れ!」

 

真壁は画面の向こうで振り返り、誰かへ向かって叫んだ。

 

「そっちは御影に任せろ! 下級課程を先に止めろ!」

 

そして再び奎星たちを見る。

 

「門が校庭に現れた!!」

 

「…………」

 

奎星の顔から血の気が引いた。

 

数秒。

 

本当に何も言えなかった。

 

やがて両手で頭を抱える。

 

「マジかよ……!」

 

一番起きてほしくなかったことだった。

 

自分はここにいる。

 

朝凪島。

 

本島から離れた、独立した結界の中。

 

それなのに。

 

黒曜の門は。

 

マホウトコロへ出た。

 

「白峰にも既に連絡は送ってある! 教師だけでは手が足りん! 二人とも急いでくれ!!」

 

「分かりました」

 

スズメの声が変わった。

 

つい十数秒前まで奎星と冗談を言っていた人間とは思えない。

 

すぐに杖を取り、宿舎の壁際に設置されている非常用の転移術式へ向かう。

 

奎星も食堂へ駆け戻り、椅子の背へ掛けていた上着を引っ掴むと、そのまま神代榊を腰へ差した。

 

「荷物は!?」

 

「置いていきます!」

 

「了解!」

 

床へ埋め込まれた円形術式が青く光る。

 

スズメが素早く座標を入力した。

 

マホウトコロ本島。

 

校内の防護結界へ直接入ることはできないため、指定された外縁転移標へ。

 

「蓮根君!」

 

「いる!」

 

二人が術式の中央へ立つ。

 

奎星が最後に振り返る。

 

食べかけの朝食。

 

まだ湯気の残る味噌汁。

 

ほんの少し前まで。

 

あんなに平和だった。

 

次の瞬間。

 

世界が青白い光に飲み込まれた。

 

 

足元が戻る。

 

最初に感じたのは、海風だった。

 

次に森。

 

そして、羊脂玉で造られた白い校舎。

 

見慣れたマホウトコロ。

 

けれど。

 

奎星の知っている、いつもの学校ではなかった。

 

「……何だよ、これ」

 

転移標へ降り立った奎星が、呆然と呟いた。

 

校庭の正門側。

 

そこに。

 

黒曜の門があった。

 

今まで見たものとは、比べものにならない。

 

三門巡りの試練空間へ現れた門よりも、冬真を呼び寄せた門よりも、遥かに巨大だった。高さは校舎の二階へ届きそうなほどで、漆黒の表面には無数の赤黒い文字が走り、まるで巨大な心臓の鼓動に合わせるように明滅している。

 

門の内側には、やはり何もない。

 

光を呑み込む。

 

底のない闇。

 

そして。

 

その正面へ。

 

大量の生徒が集まっていた。

 

「帰らなきゃ……」

 

上級生が呟く。

 

「早く……帰らなきゃ……」

 

中級生が歩く。

 

「お母さん……」

 

まだ幼い下級課程の子供まで。

 

誰も彼も目の焦点が合っていない。

 

裸足の者がいる。

 

授業中だったのか、教科書を胸へ抱えたまま歩いている者もいる。

 

杖を握っているのに、周囲の教師すら見えていない。

 

ただ一つ。

 

黒い門だけを見ている。

 

歩いている。

 

走っている。

 

何かへ帰ろうとするように。

 

「止まりなさい!」

 

聞き慣れた柔らかな声が、今は鋭く校庭へ響いた。

 

土御門芽衣子が杖を振る。

 

「インカーセラス!」

 

何本もの縄が地面を這い、門へ走ろうとする三人の生徒の腰と腕へ絡みつく。だが締め上げない。転ばせもしない。身体を傷つけないぎりぎりの力で、前へ進むことだけを止めている。

 

「先生……離して……」

 

普段なら、土御門の一言で大人しくなる生徒が。

 

今は焦点の合わない目で、身体へ食い込んだ縄を自分から引き千切ろうとしていた。

 

土御門の顔が歪む。

 

それでも声は優しかった。

 

「駄目です。帰るのは、ちゃんと目を覚ましてからにしましょうね」

 

別の場所では。

 

ぴいいいいっ!!

 

鋭い笛の音が校庭を切り裂いた。

 

早瀬将吾が箒で地面すれすれを飛び、二階の回廊から門へ向かって飛び降りた生徒へ杖を向ける。

 

「アレスト・モメンタム!」

 

落下速度が一気に弱まった。

 

生徒の身体が地面すれすれでふわりと止まる。

 

早瀬は箒から身を乗り出し、そのまま襟首を掴んだ。

 

「お前ら! 飛んで近道しようとすんな! 今日は飛行術じゃねえぞ!!」

 

普段なら笑いが起きそうな言い方だった。

 

今は誰も笑わない。

 

そのすぐ下では、薬師寺和政が大量の小瓶を宙へ浮かせている。

 

「ふぉっ……まったく、老人を走らせるでない!」

 

杖を振ると瓶の栓が一斉に抜け、淡い藤色の霧が門から遠い側へ広がった。霧を吸い込んだ生徒たちの足取りが徐々に鈍り、何人かは教師たちへ支えられながら眠るように座り込んでいく。

 

「量は最低限じゃ! 眠った者から風上へ運べ! 転ばせるでないぞ!」

 

いつもの呑気な笑い声はなかった。

 

そして。

 

校庭の中央。

 

赤い閃光が何度も走る。

 

「ステューピファイ」

 

一人。

 

「エクスペリアームス」

 

二人。

 

「インカーセラス」

 

三人。

 

御影だった。

 

すべて一撃。

 

すべて必要最低限。

 

杖だけを飛ばす。

 

足だけを縛る。

 

どうしても止められない者だけを、その場へ崩れる程度の威力で気絶させる。

 

夏休み。

 

奎星が何度も言われたこと。

 

――必要な分だけ使え。

 

――撃った結果だけを見るな。次を見ろ。

 

今、その言葉を御影自身が完璧な形で実践していた。

 

一人なら止められる。

 

十人でも止められる。

 

おそらく、普通の相手ならもっと多くても。

 

けれど。

 

今、門へ向かっているのは敵ではない。

 

学校の生徒たちだ。

 

しかも百人を超える。

 

誰一人傷つけず。

 

全員を。

 

同時に。

 

止めなければならない。

 

魔法の強さとは、まったく別の難しさがそこにはあった。

 

「蓮根君!」

 

スズメが叫ぶ。

 

「行きます!」

 

「おう!」

 

二人は同時に校庭へ飛び込んだ。

 

スズメはまず、倒れかけた下級生と門の間へ防壁を差し込んだ。

 

「プロテゴ!」

 

透明な壁に子供がぶつかる。

 

それでも止まらない。

 

小さな両手で防壁を叩き続ける。

 

「帰らなきゃ……」

 

「どこへ帰るのですか!」

 

「お母さんが……呼んでる……」

 

スズメの顔が険しくなる。

 

幻覚。

 

声。

 

冬真と同じだ。

 

門は全員へ同じものを見せているわけではない。

 

その人間が。

 

帰りたい場所。

 

会いたい人。

 

欲しいもの。

 

そこへ繋がっているように思わせている。

 

そのとき、奎星の脳裏に昨夜の光景が蘇った。

 

冬真。

 

胸から抜けた黒い気。

 

真壁の守護霊。

 

「……こっちのが早ぇだろ!」

 

神代榊を構える。

 

御影が振り向いた。

 

「蓮根!」

 

もう遅い。

 

奎星は胸の奥へ意識を向けた。

 

学校。

 

日向。

 

楓。

 

岳。

 

伊織。

 

そして。

 

すぐ近くで下級生を止めているスズメ。

 

この場所へ。

 

帰りたいと。

 

今、自分自身が強く思っているもの。

 

「エクスペクト・パトローナム!!」

 

銀白色の光が神代榊から噴き出した。

 

翼が開く。

 

大きな銀色の鴉が奎星の頭上へ現れ、そのまま校庭を低く飛ぶ。

 

「……守護霊?」

 

土御門が目を見開いた。

 

上空の早瀬まで振り返る。

 

「おい、いつ覚えた!?」

 

「昨日!」

 

「昨日!?」

 

御影の眉間の皺が、一瞬だけ深くなる。

 

「後で聞く!」

 

「今は許して!」

 

銀の鴉が生徒たちの頭上を通過する。

 

その光を浴びた少年の身体から、黒い煙のようなものがふわりと浮いた。

 

「……え」

 

少年の足が止まる。

 

焦点の合わなかった瞳へ、光が戻った。

 

「先生……?」

 

そのまま膝から力が抜ける。

 

「大丈夫ですよ」

 

土御門がすぐに抱き止める。

 

奎星の目が輝いた。

 

「効いた!」

 

鴉を旋回させる。

 

二人。

 

三人。

 

四人。

 

黒い靄が身体から引き剥がされるたび、生徒たちは夢から起こされたように辺りを見回し、その場へ膝をついていく。

 

だが。

 

足りない。

 

奎星の鴉一羽では。

 

到底。

 

「蓮根君!」

 

校舎側から真壁が走ってきた。

 

彼は奎星の頭上を飛ぶ鴉を見た瞬間、一度だけ目を見開いた。

 

「……もう形まで出したのか」

 

「真壁さん!」

 

「昨日教えたばかりだぞ!」

 

「俺もびっくりしてる!」

 

「君はびっくりしてない顔だろ!」

 

言いながらも。

 

真壁は笑わない。

 

杖を構える。

 

その瞬間。

 

周囲の空気が変わった。

 

「エクスペクト・パトローナム!」

 

銀白色の光が噴き上がる。

 

量だけなら。

 

奎星の魔法のほうが派手なことすらある。

 

けれど、これは違った。

 

光に無駄がない。

 

溢れ出した銀色は一瞬も形を迷わず、地面へ四肢をつく。

 

巨大なニホンオオカミ。

 

昨夜も見た守護霊が、明るい校庭へ降り立った。

 

「……っ」

 

奎星が思わず目を見張る。

 

明るい場所で真正面から見ると、余計に分かる。

 

強い。

 

ただ大きいわけではない。

 

形が濃い。

 

輪郭が揺れない。

 

銀色の毛並み一本一本まで存在するように見え、その足が地面を踏むたび、清浄な魔力が波紋となって周囲へ広がっていく。

 

狼が走った。

 

その後ろを、奎星の鴉が飛ぶ。

 

銀の狼。

 

銀の鴉。

 

二つの守護霊が校庭を横切る。

 

狼の光が触れた場所では、一度に何人もの生徒から黒い気が抜けた。そこへ奎星の鴉が残った靄を追い払い、教師たちが崩れ落ちる身体を受け止めていく。

 

「すっげ……」

 

奎星は思わず呟いた。

 

自分の魔力量は。

 

真壁より遥かに大きい。

 

数字で知っている。

 

けれど。

 

今の守護霊は。

 

明らかに真壁のほうが上だった。

 

出力だけではない。

 

魔法の完成度。

 

安定性。

 

術への理解。

 

込める感情。

 

積み重ねてきた経験。

 

全部が違う。

 

大量の魔力を持っているからといって、それだけで強い魔法使いになれるわけではない。

 

一学期から何度も教えられてきたことが、今さら別の形で胸へ落ちた。

 

そして。

 

もう一つ。

 

「……真壁さん、何思い出してんだろ」

 

ふと、そんな疑問が浮かんだ。

 

守護霊には、強い幸福が必要だ。

 

昨日、スズメから聞いた。

 

真壁は。

 

何を思い出して。

 

あんな狼を出しているのだろう。

 

一瞬だけ。

 

夏休みの山で見た光景が脳裏を過ぎる。

 

御影。

 

真壁。

 

そして。

 

斎賀玄弥。

 

十二年前まで三人で戦っていたという男たち。

 

もしかしたら。

 

あの頃なのかもしれない。

 

戻れないからこそ。

 

今も胸の奥へ残っている時間。

 

「蓮根! 止まるな!」

 

御影の怒声が飛んだ。

 

「はい!」

 

奎星は我に返り、すぐ鴉へ意識を戻す。

 

そのとき。

 

校庭の端を、小さな影が駆け抜けた。

 

下級課程の男の子。

 

教師たちの隙間を抜けてしまった。

 

門まで。

 

あと五メートル。

 

「危ない!」

 

土御門の拘束縄は、別の生徒を止めている。

 

早瀬は上空。

 

御影も遠い。

 

奎星が走る。

 

間に合わない。

 

少年の足が、黒曜の門の闇へ踏み込もうとする。

 

「っ!」

 

考えるより先に。

 

昨夜教わった感覚が戻った。

 

場所。

 

身体。

 

空間。

 

迷うな。

 

そこへ行け。

 

ぱんっ!

 

奎星の姿が消えた。

 

次の瞬間。

 

黒曜の門の直前。

 

ぱんっ!

 

「うわっ!」

 

少年の身体を横から抱える。

 

勢いを殺しきれず、二人まとめて地面へ転がった。

 

「痛っ!」

 

奎星は少年を庇い、背中から石畳へ落ちる。

 

顔を上げれば。

 

黒い闇まで。

 

一メートルもない。

 

「……あぶねえ!」

 

少年を抱えたまま、すぐに身体を転がして門から距離を取った。

 

その光景を見た何人かの大人が。

 

完全に止まっていた。

 

「……今」

 

土御門が目を丸くする。

 

早瀬が箒の上から叫ぶ。

 

「姿くらまし!?」

 

薬師寺まで丸眼鏡をずらした。

 

「昨日まで使えんかったじゃろ!?」

 

真壁が狼を操りながら振り返る。

 

「待て待て待て! 本当に昨日教えたんだぞ!?」

 

スズメは頭を抱えた。

 

「だから本人には言わないでください!」

 

「何を!?」

 

奎星が叫ぶ。

 

「何でもありません!」

 

「絶対なんかある!」

 

「後です!」

 

奎星は下級生を抱き上げ、安全な場所にいる教師へ預けた。

 

「この子頼む!」

 

そして再び門を見る。

 

そこでは。

 

二人の生徒が、教師たちに交じって必死に他の生徒を止めていた。

 

「奎星!」

 

日向。

 

そして。

 

冬真。

 

「お前ら!」

 

「こっち手ぇ足んねえ!」

 

日向は門へ向かう中級生を後ろから羽交い締めにしている。冬真も二人の生徒をインカーセラスでまとめて止めると、すぐに杖を構え直した。

 

奎星が駆け寄る。

 

「大丈夫なの!?」

 

日向が叫び返した。

 

「経験済みだからな!!」

 

「俺もだ!」

 

冬真も続ける。

 

二人の耳にも。

 

微かに。

 

声は聞こえているらしい。

 

帰れ。

 

こっちへ。

 

欲しいものがある。

 

会いたい人がいる。

 

けれど。

 

一度。

 

知っている。

 

これは偽物だ。

 

日向は三門巡りで。

 

冬真は昨夜。

 

門に触れ。

 

一度、その呼び声から戻っている。

 

その経験が、二人を辛うじて踏み留まらせていた。

 

「無理すんなよ!」

 

「お前にだけは言われたくねえ!」

 

日向が叫ぶ。

 

「それ俺も思う!」

 

冬真まで言った。

 

「先輩まで!?」

 

三人で生徒を止める。

 

奎星の守護霊。

 

真壁の守護霊。

 

御影の非殺傷魔法。

 

教師たち。

 

それでも。

 

止まらない。

 

人数が多すぎる。

 

門から離れた校舎の扉が開くたび、新しい生徒が現れる。階段から。廊下から。中庭から。まるで学校そのものが一つの巨大な川になり、全員が黒曜の門という一点へ流れ込もうとしているようだった。

 

「くそっ!」

 

日向が一人を押さえる。

 

そのとき。

 

彼の視線が。

 

人混みの向こうで止まった。

 

「…………」

 

赤い髪飾り。

 

見慣れた横顔。

 

「……楓?」

 

楓だった。

 

目の焦点が合っていない。

 

杖を握ったまま、人混みの隙間を縫うように門へ向かっている。

 

「楓!!」

 

日向の顔色が変わった。

 

押さえていた生徒を冬真へ任せ、そのまま走り出す。

 

「日向!」

 

奎星も後を追った。

 

楓は止まらない。

 

「楓!! 止まれ!!」

 

反応がない。

 

門まで。

 

十メートル。

 

日向が人を掻き分ける。

 

「楓!!」

 

五メートル。

 

あと少し。

 

手を伸ばせば。

 

届く。

 

はずだった。

 

楓が。

 

黒い闇の中へ一歩踏み込んだ。

 

姿が消えた。

 

「…………」

 

日向の足が止まる。

 

「楓……?」

 

ほんの一秒。

 

理解できなかった。

 

次の瞬間。

 

「楓!!」

 

日向が門へ飛び込もうとした。

 

「待て!」

 

奎星が後ろから飛びつく。

 

「離せ!!」

 

「駄目だ!」

 

「楓が入ったんだぞ!!」

 

「分かってる!」

 

「じゃあ離せよ!!」

 

日向が暴れる。

 

本気だ。

 

奎星一人では抑えきれない。

 

冬真がすぐに追いつき、反対側の腕を掴んだ。

 

「朝比奈!」

 

「離してください!」

 

「今入っても助けられる保証ねえだろ!」

 

奎星も必死だった。

 

目の前で楓が消えた。

 

自分だって。

 

追いたい。

 

今すぐ。

 

それでも。

 

「行くならちゃんと行く! 今一人で飛び込むな!!」

 

「っ……!」

 

日向の身体が。

 

ほんの一瞬だけ止まった。

 

その間にも。

 

また生徒が門へ向かう。

 

真壁の狼が一団の間を駆け抜ける。

 

奎星の鴉が別の集団へ飛ぶ。

 

御影の拘束魔法が三人をまとめて止める。

 

それでも。

 

間に合わない。

 

そして。

 

ついに。

 

九重院紫苑が動いた。

 

これまで校舎正面の高い回廊から全体を見下ろし、教師たちへ指示を飛ばしていた校長が。

 

ゆっくり杖を上げた。

 

御影が。

 

誰より先に気づいた。

 

顔色が変わる。

 

「全員!!」

 

校庭中へ届く声で叫ぶ。

 

「伏せろ!!!!」

 

意識のある者たちが、一斉に反応した。

 

冬真は日向と奎星の頭を押さえ、自分も地面へ伏せる。

 

スズメは近くにいた下級生を抱き込む。

 

真壁が狼を呼び戻しながら身体を低くする。

 

土御門。

 

早瀬。

 

薬師寺。

 

他の教師たち。

 

全員。

 

伏せた。

 

高い回廊で。

 

九重院が杖を横へ向ける。

 

その顔には、いつもの穏やかな笑みはなかった。

 

「ステューピファイ」

 

声は。

 

驚くほど静かだった。

 

次の瞬間。

 

赤い光が。

 

校庭を覆った。

 

一本ではない。

 

一筋でもない。

 

九重院の杖先から放たれた気絶呪文が巨大な波となり、扇状に何十、何百という細い光へ分岐する。

 

赤。

 

赤。

 

赤。

 

視界のすべてが赤く染まった。

 

「うわっ……!」

 

奎星は地面へ伏せたまま腕で顔を庇う。

 

魔法の波が頭上を通過した。

 

そして。

 

校庭に立っていた生徒たちが。

 

一斉に倒れた。

 

一人。

 

十人。

 

五十人。

 

百人。

 

糸を切られた人形のように、次々とその場へ崩れ落ちていく。

 

さっきまで門へ走っていた者も。

 

教師の拘束を振り切ろうとしていた者も。

 

校舎から出てきたばかりの者も。

 

全員。

 

倒れた。

 

最後の赤い光が消える。

 

そのあとに来たのは。

 

静寂だった。

 

ほんの数秒前まで、叫び声と足音と呪文の音に満ちていた校庭が。

 

嘘のように静かになる。

 

奎星はゆっくり顔を上げた。

 

「…………」

 

黒曜の門だけが。

 

立っている。

 

その手前。

 

校庭一面に。

 

マホウトコロの生徒たちが倒れていた。

 

「す……」

 

奎星の口が開く。

 

「すげえ……」

 

本当に。

 

それしか出てこなかった。

 

九重院は杖を下ろした。

 

その手が。

 

僅かに震えている。

 

「……二度は、できません」

 

呼吸が乱れていた。

 

額には汗が浮かび、顔色も白い。

 

「今のでも……私の可愛い生徒たちには、多くの負担を与えてしまいました」

 

声が、ほんの少しだけ震えた。

 

眠らせるための気絶呪文。

 

いくら一人一人へ向ける威力を抑えたとはいえ、これだけの人数へ一度に魔法を通した。

 

生徒たちにも。

 

術者である九重院にも。

 

負担がないはずがない。

 

何より。

 

自分の杖で。

 

自分の学校の生徒を。

 

百人単位で撃った。

 

必要だと分かっていても。

 

九重院にとって。

 

それは最も選びたくなかった方法だったのだろう。

 

御影が回廊へ上がる。

 

九重院のすぐ横まで行き、倒れた生徒たちを見る。

 

「あんたがやらなきゃ、もっと入ってた」

 

「…………」

 

「必要だった」

 

九重院は何も言わない。

 

御影も慰めるような言葉は使わなかった。

 

ただ。

 

「責任なら、後で俺も持つ」

 

九重院が僅かに笑った。

 

「あなたは、そういうことを言う方でしたか?」

 

「今だけだ」

 

「……そうですか」

 

その瞬間。

 

校庭の端にある転移標が。

 

白く輝いた。

 

「来た!」

 

真壁が振り返る。

 

光の中から、複数の人影が現れた。

 

先頭。

 

柊木志乃。

 

白峰魔法学校の防衛術教師。

 

その後ろには、白峰の教職員が数名。

 

そして。

 

一人だけ。

 

生徒の制服がいた。

 

「澪!?」

 

奎星が目を丸くする。

 

常盤澪は転移の揺れから立ち直ると、すぐに校庭を見る。

 

そして。

 

言葉を失った。

 

「…………何、これ」

 

柊木も。

 

後ろの教師たちも。

 

一瞬、その場で動けなかった。

 

地面を埋めるように倒れた生徒たち。

 

校舎の壁に残る呪文の跡。

 

教師たちの緊張した顔。

 

その向こう。

 

校舎の二階へ届きそうな巨大な黒曜の門。

 

星迎祭であれほど華やかだった正門側の校庭とは。

 

同じ場所に見えなかった。

 

柊木が息を呑む。

 

「……ここまでとは」

 

御影が近づく。

 

「来てくれて助かる」

 

「火映しでは、生徒が門へ向かっているとしか……」

 

「数が増えた」

 

澪が一歩前へ出た。

 

柊木が即座に腕を伸ばして止める。

 

「澪ちゃん。あなたは待機です」

 

「嫌です」

 

「澪」

 

「私も門を経験しています」

 

「だからといって――」

 

「白峰の学生総代です」

 

澪は胸を張った。

 

「マホウトコロがこんな状態なのに、総代だけ安全なところにいろって言われても無理です」

 

「それは権限ではなく屁理屈です」

 

「でも来ました」

 

「……あなたは」

 

柊木が頭を押さえる。

 

奎星が横から言った。

 

「俺も多分同じことする」

 

「蓮根君は黙っていて」

 

「はい」

 

即座に引いた奎星を見て、澪が一瞬だけ口元を動かした。

 

だが。

 

笑っている場合ではない。

 

教師たちはすぐに倒れた生徒の確認を始めた。

 

薬師寺が一人ずつ呼吸と魔力反応を確かめ、土御門が下級課程の子供たちを浮遊呪文で安全な位置へ運ぶ。早瀬は再び箒で上空へ上がり、校舎内や裏手にまだ動いている生徒がいないか確認へ向かった。

 

白峰の教師たちも即座に加わる。

 

奎星はその人波の中で。

 

友人たちを探した。

 

「日向!」

 

少し離れたところにいた日向が振り向く。

 

顔色が悪い。

 

冬真も隣にいる。

 

奎星は駆け寄った。

 

「楓は……」

 

言いながら。

 

止まる。

 

知っている。

 

見ていた。

 

楓が。

 

あの門へ入っていくところを。

 

自分も。

 

この目で。

 

それでも。

 

口から出てしまった。

 

「……楓」

 

日向は答えない。

 

ただ、黒曜の門を見る。

 

その横顔を見て、奎星も何も言えなくなった。

 

「……伊織は?」

 

返事がない。

 

奎星が辺りを見回す。

 

「岳は?」

 

「…………」

 

日向は。

 

ゆっくり右手を開いた。

 

そこにあったものを見た瞬間。

 

奎星の呼吸が止まった。

 

細い黒縁の眼鏡。

 

片方のレンズに、小さな傷がある。

 

見間違えるはずがない。

 

「……伊織の」

 

日向が静かに頷いた。

 

「門の前に落ちてた」

 

声が低い。

 

奎星が眼鏡を見る。

 

「伊織は?」

 

「……見てねえ」

 

「じゃあ、まだ――」

 

「でも」

 

日向が遮った。

 

拳が。

 

ゆっくり握られる。

 

眼鏡が壊れないように、ぎりぎりのところで力を止めながら。

 

「岳は見た」

 

「…………」

 

「入ってくの」

 

奎星の顔から表情が消えた。

 

日向は門を見たまま続ける。

 

「楓追ってる途中だった。反対側から岳が歩いてきて……呼んだけど、聞こえてなかった」

 

声が。

 

僅かに掠れる。

 

「止められなかった」

 

奎星は何も言わなかった。

 

日向の手の中にある伊織の眼鏡。

 

目の前で消えた楓。

 

日向が見た岳。

 

伊織自身の姿だけは、誰も見ていない。

 

けれど。

 

門の直前へ。

 

眼鏡だけが残っていた。

 

答えを考えないようにするほうが難しかった。

 

楓。

 

岳。

 

伊織。

 

三人とも。

 

もう。

 

向こう側にいる。

 

奎星はゆっくり手を伸ばし、伊織の眼鏡へ触れた。

 

受け取ろうとして。

 

やめる。

 

「持ってて」

 

日向が見る。

 

「俺なくしそう」

 

「……お前ならな」

 

ほんの僅かに。

 

いつもの返しが戻る。

 

だが、どちらも笑わなかった。

 

「全員、集まれ!」

 

御影の声が校庭へ響いた。

 

意識のある者たちが、黒曜の門から十分距離を取った場所へ集まる。

 

九重院。

 

御影。

 

真壁。

 

柊木。

 

スズメ。

 

薬師寺。

 

土御門。

 

早瀬。

 

白峰の教師たち。

 

そして。

 

奎星。

 

日向。

 

澪。

 

冬真。

 

周囲では他の教師たちが、まだ倒れた生徒の確認を続けている。

 

巨大な黒曜の門は。

 

何事もなかったように。

 

開いたままだった。

 

御影は集まった者たちを一度見渡した。

 

「状況を確認する」

 

誰も喋らない。

 

「現在、門の中へ入ったことが確認、あるいはほぼ確実と判断できる生徒は複数。全員の氏名はまだ把握できていない」

 

一度。

 

日向の手元へ視線が落ちる。

 

伊織の眼鏡。

 

「水無瀬、榊、岩戸も中だ」

 

奎星の手が神代榊を握った。

 

御影は続ける。

 

「門を閉じる方法は分からん。外側から攻撃して消える保証もない。守護霊で生徒への誘導を解除することはできたが、門そのものは残っている」

 

真壁が頷く。

 

「昨日までとは規模が違いすぎる。三門巡りの試練空間に出たものとも、昨夜のものとも術式量がまるで違う」

 

黒い門の表面を、赤黒い文字が走る。

 

一つの生き物のように。

 

ゆっくりと。

 

「おそらく、向こう側に核がある」

 

真壁の言葉に、柊木が門を見る。

 

「つまり」

 

「中へ入らなければ、どうにもならない可能性が高い」

 

御影が即答した。

 

「ああ」

 

奎星が顔を上げる。

 

その目は。

 

もう迷っていなかった。

 

「行く」

 

スズメが横を見る。

 

「蓮根君」

 

「行くよ」

 

声は低い。

 

騒いでもいない。

 

いつものように勢いだけで言ったわけでもない。

 

「楓も、伊織も、岳もいる」

 

日向も一歩前へ出る。

 

「俺も行く」

 

握った拳の中に。

 

伊織の眼鏡がある。

 

「楓も……あいつらも、連れて帰る」

 

冬真が続く。

 

「俺も行きます」

 

澪は最初から下がる気などない顔だった。

 

「私も」

 

御影は四人を見る。

 

それから、周囲の教師たちへ視線を移した。

 

「ここでメソメソしていても、生徒たちは帰ってこない」

 

低い声だった。

 

それでも。

 

校庭にいる全員へ届いた。

 

「はっきり言って、現状では門に入る以外の手段がない」

 

九重院が僅かに眉を寄せる。

 

「御影先生」

 

「だが、全員で入るわけにもいかん」

 

御影は倒れている生徒たちを見る。

 

「ここにいる生徒を守る人間が必要だ。門がもう一つ出る可能性もある。外から黒曜の環が来る可能性も否定できん」

 

そして。

 

九重院を見る。

 

「九重院」

 

校長が静かに視線を返す。

 

「あんたは、この学校の最後の砦だ」

 

「…………」

 

「ここを空けるな」

 

九重院はすぐには答えなかった。

 

倒れた生徒たちを見る。

 

黒曜の門を見る。

 

そして。

 

御影を見る。

 

「……分かりました」

 

その言葉に、御影は一度だけ頷く。

 

次に真壁を見る。

 

「征士郎」

 

真壁の目が僅かに動いた。

 

「お前も九重院と一緒に、ここを守れ」

 

「玄一郎」

 

「お前の守護霊が一番広く効く。また同じことが起きたら、九重院一人に全部やらせるな」

 

真壁は何も言わず、しばらく黒曜の門を見つめた。

 

向こうへ行きたい。

 

そう思っているのだろう。

 

黒曜の環。

 

神代冥司。

 

そして。

 

斎賀玄弥。

 

十二年前から続くものが。

 

あの先にあるかもしれない。

 

御影も、それを分かっている。

 

だからこそ。

 

真壁は最後に小さく息を吐いた。

 

「……分かった」

 

御影は柊木へ向き直る。

 

「柊木」

 

「はい」

 

「烏丸」

 

スズメが杖を握り直す。

 

「はい」

 

「俺と一緒に門へ入れ」

 

柊木は即座に頷いた。

 

スズメも。

 

迷わなかった。

 

「分かりました」

 

奎星の表情が僅かに変わる。

 

「スズメちゃんも?」

 

「当然です」

 

「いや、でも――」

 

「蓮根君」

 

一言。

 

奎星は口を閉じた。

 

スズメは奎星を見た。

 

星迎祭の夜。

 

離れないでほしいと言った。

 

朝凪島でも。

 

一人にしないためについていった。

 

今さら。

 

ここでだけ。

 

《あなたは行って、私は待っています》

 

などと言えるはずがない。

 

御影は今度こそ、生徒たちへ向き直った。

 

「蓮根」

 

「はい」

 

「朝比奈」

 

「はい!」

 

「常盤」

 

「はい」

 

「三枝」

 

「はい」

 

四人。

 

御影の視線が一人ずつを通る。

 

「お前たちは、一度あの門の干渉を受けて戻ってきた経験がある」

 

少し間を置く。

 

「だから連れていく」

 

九重院が顔を上げた。

 

「御影先生。生徒を――」

 

「分かっている」

 

御影は九重院を見る。

 

「本来なら、連れていかん」

 

その返事には、一切の迷いがなかった。

 

教師として。

 

本来なら。

 

絶対に。

 

「だが、今回は大人だから安全で、生徒だから危険という状況じゃない。幻覚に一度呑まれ、自力か外力で戻った経験があることのほうが重要だ」

 

日向の拳が強く握られる。

 

その中にある伊織の眼鏡が。

 

小さく光った。

 

奎星は神代榊を抜く。

 

澪も杖を構える。

 

冬真は静かに息を吐いた。

 

御影が訊く。

 

「いけるな?」

 

「いけるよ!!」

 

最初に答えたのは奎星だった。

 

今までより。

 

強く。

 

神代榊を握る。

 

「やってやる!!」

 

日向も一歩出た。

 

「楓を絶対連れて帰る」

 

それから、握った眼鏡へ一瞬だけ視線を落とす。

 

「伊織も。岳も」

 

澪が横で杖を構えた。

 

「白峰まで呼んどいて、何もせず帰る気ないから」

 

冬真も前を見る。

 

昨夜。

 

妹の声に引かれ。

 

自分では止まることすらできなかった門。

 

今度は。

 

自分の足で。

 

自分の意思で。

 

その前へ立っている。

 

「……今度は、俺が行く」

 

御影は四人を見た。

 

気合いだけなら。

 

十分すぎるほどだった。

 

「よし」

 

巨大な黒曜の門が。

 

赤黒い文字を脈打たせる。

 

その向こうには。

 

やはり。

 

何も見えない。

 

何がいるのか。

 

どこへ繋がっているのか。

 

入った生徒たちが無事なのか。

 

誰にも分からない。

 

ただ一つ。

 

分かっていることがある。

 

向こうに。

 

帰ってこなければならない生徒たちがいる。

 

御影が杖を構えた。

 

柊木。

 

スズメ。

 

奎星。

 

日向。

 

澪。

 

冬真。

 

全員が。

 

一斉に前を向く。

 

そして。

 

黒曜の門へ。

 

歩き出した。

 

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