マホウトコロ   作:西野圭吾

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第19話 計算外

 

「《対・蓮根奎星》」

 

月白澄がそう告げると、両手首、首元、腰、両足首に取りつけられた六枚の黒曜石が、一斉に赤黒い光を帯びた。

 

「…………」

 

奎星はしばらく黙っていたが、やがて真顔のまま口を開いた。

 

「……ダッサ」

 

「…………」

 

「もっといい名前なかったの?」

 

「そこですか!?」

 

スズメの声と同時に、澄の杖先へ赤い光が集まった。

 

「ステューピファイ」

 

速い。

 

奎星は反射的に右へ跳んだ。赤い閃光が制服の脇を掠め、そのまま背後の黒曜石の床へ弾ける。

 

「いきなり撃つ!?」

 

「戦うんでしょ」

 

「そうだけど!」

 

奎星は着地と同時に神代榊を振り返した。

 

「エクスペリアームス!」

 

真正面。普段なら十分に速い。

 

しかし澄は、奎星が呪文を口にするより早く半歩左へ動いていた。赤い光はその肩口を抜け、闇の奥へ消えていく。

 

「……え?」

 

「撃つ前、右肩が少し上がる」

 

澄は淡々と言った。

 

「それから、強く狙うときは右足を半歩前へ出す」

 

奎星の足元へ視線を落とす。

 

確かに、右足が前にある。

 

「…………」

 

奎星は無言で戻した。

 

「戻しても遅いよ」

 

「うるせえ!」

 

再び神代榊を振る。

 

「ステューピファイ!」

 

今度は足を動かさない。

 

澄が僅かに身体を沈め、避ける。

 

「今度は撃ったあと動かない」

 

奎星の顔が引きつった。

 

一学期、楓に負けた直後。

 

――俺、撃ったあと足止まってるな……。

 

自分で気づき、御影から何度も直された癖だった。

 

今では昔ほど露骨ではない。それでも、完全に消えたわけではなかったらしい。

 

「……何で知ってんだよ」

 

澄は答えない。代わりに杖を振る。

 

「デパルソ」

 

「プロテゴ!」

 

透明な盾へ衝撃が叩きつけられ、奎星の靴が床を滑る。

 

その瞬間、澄の杖先が僅かに下がった。

 

次が来る。

 

奎星は盾を解きながら左へ飛ぼうとした。

 

「そっち」

 

「え?」

 

白い閃光が既に飛んでいた。

 

「ディフィンド」

 

「っ!」

 

奎星は咄嗟に身体を反対へ捻る。切断呪文が袖を浅く裂いた。

 

「いって!」

 

「蓮根君!」

 

スズメがすぐに前へ出る。

 

「プロテゴ!」

 

澄の追撃を防いだ。

 

だが、澄はその防壁を見ても驚かなかった。むしろ、待っていたように口を開く。

 

「三歩」

 

「……何です?」

 

「烏丸スズメは、生徒を庇うとき必ず相手より三歩前へ出る」

 

スズメの顔が変わった。

 

「盾を張ったあとは、右斜めから反撃する」

 

「――ステューピファイ!」

 

スズメが撃つ。

 

その瞬間、澄はもう右側にはいなかった。

 

「……!」

 

左へ。先回りしている。

 

赤い光が空を切った。

 

澄はさらに続けた。

 

「攻撃呪文より防御を優先する。相手に傷を負わせる可能性がある術はほとんど使わない。生徒が近くにいると、さらに選択肢が減る」

 

「何で……」

 

スズメが呟く。

 

「私の戦い方まで」

 

「神代様は、君たちをよく見ている」

 

澄の杖が上がった。

 

「特に」

 

その視線が奎星へ向く。

 

「君をね」

 

赤い光がスズメへ向かう。

 

「ステューピファイ」

 

「スズメちゃん!」

 

奎星が前へ出た。

 

「プロテゴ!」

 

盾が展開し、閃光が弾ける。

 

「…………」

 

澄は無表情だった。

 

奎星の顔が止まる。

 

「……わざとか」

 

「うん」

 

あっさり認めた。

 

「君は烏丸スズメへの攻撃を、自分への攻撃より優先して止める」

 

夏。八咫小路。森。青白い切断呪文。

 

考えるより先に、身体が動いた。

 

「自分が傷つく可能性を考えない」

 

澄が言う。

 

「それも、君の癖」

 

奎星の奥歯が噛み締められた。

 

「てめえ……」

 

「蓮根君、乗らないでください!」

 

スズメの声が飛ぶ。

 

「分かってる!」

 

「今、完全に乗っています!」

 

「分かってるって!」

 

「分かっている人の顔ではありません!」

 

澄はそのやり取りすら、何度も見たことがあるもののように眺めていた。

 

奎星が先に動く。

 

一発。

 

「エクスペリアームス!」

 

避けられる。

 

二発目。

 

「ステューピファイ!」

 

撃つ前に澄がしゃがむ。

 

三発目。

 

「インカーセラス!」

 

縄が伸びる位置へ、澄は既にいない。

 

「ちっ……!」

 

奎星が距離を詰めようとすれば、今度は澄のデパルソが足元へ飛ぶ。後退させられる。

 

逆にスズメが援護へ入る。

 

「ステューピファイ!」

 

澄は杖を僅かに傾けた。

 

「プロテゴ」

 

防ぐ。

 

スズメがすぐ次へ移ろうとする。その前に、澄が告げた。

 

「次は左」

 

「……っ!」

 

澄の予告通り、スズメの身体が左へ動きかけていた。本人が気づき、途中で止める。

 

その一瞬。

 

「エクスペリアームス」

 

「プロテゴ!」

 

奎星が割り込む。

 

また、庇った。

 

澄の目が僅かに細くなる。

 

「ほら」

 

「……ムカつくな、こいつ」

 

「私もです」

 

珍しく、スズメも即答した。

 

しかし、苛立っても勝てない。

 

二人が左右へ分かれても、澄は乱れなかった。奎星が先に仕掛け、スズメが死角を狙う。澄は奎星の攻撃を避けながら、そのまま身体を回してスズメの魔法を防ぐ。

 

スズメが盾を張る。その盾越しに奎星が撃つ。その位置も読まれる。

 

「デパルソ!」

 

「右へ避ける」

 

「――っ!」

 

奎星は無理やり左へ飛んだ。だが、普段とは逆の動きに身体がついてこない。着地が僅かに遅れる。

 

そこへ。

 

「ステューピファイ」

 

「プロテゴ!」

 

ぎりぎり、盾が間に合う。

 

「くっ……!」

 

奎星の腕が痺れた。

 

スズメがすぐ援護する。だが澄は、その魔法すら当然のように避けた。

 

六枚の黒曜石には、絶えず赤黒い文字が流れていた。

 

戦っているというより、再生されている。

 

奎星がこれまで見せた動き、魔法、間合い、失敗、修正。御影に直された癖さえ含めて、何もかもが記録され、目の前の少年へ映し出されているようだった。

 

「……スズメちゃん!」

 

「はい!」

 

奎星が大きく後ろへ下がる。

 

今度は、火力。

 

読めるなら、読んでみろ。

 

神代榊を両手で握り、杖先へ一気に魔力を流す。空気が震えた。

 

スズメの顔が変わる。

 

「蓮根君、出力を――」

 

「分かってる!」

 

狙うのは澄の身体ではない。その横、床。

 

朝凪島で何度も試した、高火力の爆発呪文。

 

「コンフリンゴ!!」

 

青白い光が黒曜の床へ突き刺さった。

 

轟音とともに爆発が起こる。黒い床が大きくめくれ上がり、衝撃と破片が一気に澄へ襲いかかった。

 

これなら、直接狙わなくても避ける範囲そのものを潰せる。

 

「どうだ!」

 

煙が広がる。

 

スズメが杖を構えたまま目を凝らした。

 

「……いません」

 

「は?」

 

次の瞬間、煙の上から黒い影が落ちた。

 

澄だった。

 

爆発する直前、奎星の杖の振り方を見ただけで上へ跳んでいた。

 

着地。ほぼ無傷。

 

「嘘だろ!?」

 

「高い出力を使うとき、君は杖を両手で握る」

 

澄が言った。

 

「あと、絶対に人間そのものを狙わない」

 

「…………」

 

「だから着弾点が分かる」

 

奎星の口が半開きになった。

 

「そこまで!?」

 

スズメが澄へ杖を向ける。

 

「ステューピファイ!」

 

澄は見もせず身体を半歩ずらした。

 

「先生は、生徒が大きな魔法を使った直後に必ず援護する」

 

赤い光が横を抜ける。

 

「……っ」

 

スズメの顔にも、はっきり焦りが浮かんだ。

 

奎星が舌打ちする。

 

「火力じゃこっちの方が上なのに!」

 

「火力だけならね」

 

澄は静かだった。

 

「当たらなければ意味がない」

 

その言葉は、どこかで御影から何度も言われた気がした。だから余計に腹が立つ。

 

奎星はまた攻撃を仕掛けた。

 

一発。二発。三発。

 

どれも届かない。

 

スズメが角度を変える。それでも届かない。

 

二人でタイミングをずらしても、読まれる。

 

奎星は何度も庇わされ、そのたびに攻め手を失った。

 

やがて、奎星の呼吸が明らかに荒くなった。スズメも肩で息をしている。

 

それでも、澄には汗一つなかった。

 

「…………」

 

澄は二人を見た。少し考え、それから杖を上げる。

 

「じゃあ」

 

「何が」

 

六枚の黒曜石が同時に強く発光した。赤黒い文字が、一気に高速で流れ始める。

 

奎星の顔が変わった。

 

空気が震える。

 

知っている。この感じ。

 

「まさか……」

 

澄が両手で杖を握った。

 

奎星と同じように。

 

「コンフリンゴ」

 

青白い光。

 

さっき奎星が放ったものと、ほとんど同じだった。

 

いや、魔力の流れも、膨張の仕方も、そのままだ。

 

「プロテゴ!!」

 

奎星が飛び出した。

 

巨大な防壁が二人の前へ展開される。

 

直後、爆発。

 

「――っ!!」

 

轟音が空間を揺らした。

 

盾全体が白く発光する。奎星の両足が床を滑った。

 

一メートル。

 

二メートル。

 

「ぐっ……!」

 

「蓮根君!」

 

スズメが後ろから奎星の肩を支える。

 

どうにか、止まった。

 

煙と静寂の中、奎星は盾を維持したまま目を見開いていた。

 

「今の……」

 

澄が杖を下ろす。

 

「そう」

 

六枚の黒曜石へ、赤黒い文字が浮かぶ。

 

「君の魔法だよ」

 

澄の目が奎星を捉えた。

 

「蓮根奎星」

 

「…………」

 

「黒曜石が集めた君の魔力、術式、出力、癖。僕はそれを使える」

 

奎星が自分の神代榊を見る。

 

今、自分の魔法を自分が防いだ。

 

「コピー……?」

 

「そういう言い方でもいい」

 

「……マジかよ」

 

奎星が乾いた笑いを漏らす。

 

スズメの顔は笑っていなかった。

 

「だから……」

 

ようやく理解する。

 

澄が奎星の動きを知りすぎていた理由。

 

六枚の黒曜石は、ただ魔力を増幅するためのものではない。

 

蓄積された奎星の情報を、この少年の中へそのまま映している。

 

「神代は」

 

スズメが低く言った。

 

「あなた一人を倒すために、ここまで……」

 

澄は答えない。

 

奎星はしばらくその場に立っていた。呼吸を整え、それから突然、杖を下ろした。

 

「スズメちゃん」

 

「はい?」

 

「下がってて」

 

スズメの目が見開かれる。

 

「何を言っているのですか」

 

「ちょっとだけ」

 

「駄目です」

 

「俺一人でやりたいんだ」

 

「蓮根君!」

 

「お願い」

 

その声は、さっきまでと少し違った。

 

奎星は澄を見ている。怒ってはいない。少なくとも、怒りだけではない。

 

考えている。

 

スズメには、それが分かった。

 

「……理由を言ってください」

 

「こいつ」

 

奎星は杖先で澄を示した。

 

「俺のこと知りすぎなんだよ」

 

「だからこそ二人で――」

 

「二人だと」

 

奎星が少しだけ笑う。

 

「俺、スズメちゃん庇うじゃん」

 

「…………」

 

否定できない。

 

「それまで読まれてるなら、ずっとそこ使われる」

 

「ですが」

 

「大丈夫」

 

「その言葉が一番信用できません」

 

「じゃあ」

 

奎星は一瞬考えた。

 

「多分大丈夫」

 

「悪化しました」

 

それでも、奎星の目は澄から離れない。

 

スズメは数秒迷った末に、ゆっくり数歩後ろへ下がった。

 

「危険だと思ったら入ります」

 

「うん」

 

「勝手に決めないでください」

 

「うん」

 

「無茶も駄目です」

 

「それは無理かも」

 

「蓮根君」

 

「頑張る」

 

「何をですか」

 

澄が二人を見ていた。

 

「……勝てるの?」

 

奎星が振り向く。

 

「何が?」

 

「一人で」

 

澄は淡々と言った。

 

「君が何をするか、僕はほとんど知ってる」

 

「そうだな」

 

「魔法も使える」

 

「うん」

 

「癖も知ってる」

 

「うん」

 

「なら、何をするの?」

 

奎星は少し考えた。

 

それから、にっと笑った。

 

「俺が計算できない男ってのを見せてやるよ」

 

「…………」

 

澄の眉が僅かに寄った。

 

奎星は神代榊を持ったまま、急にその場で軽く跳ね始めた。

 

とん。

 

とん。

 

スズメが目を瞬く。

 

「……何をしているのですか?」

 

「準備運動」

 

「今!?」

 

奎星は首を左右へ倒し、肩を回し、足首を軽く捻る。さらにもう一度跳ねた。

 

とん。

 

とん。

 

澄も、さすがに意味が分からない顔をした。

 

「…………?」

 

奎星がそれを見た。

 

「お」

 

「何」

 

「初めてその顔した」

 

次の瞬間、奎星は走った。

 

「……え?」

 

澄の目が見開かれる。

 

杖を構えたまま、魔法を撃つ距離へ入るのではない。

 

さらに近づく。

 

五メートル。

 

三メートル。

 

二メートル。

 

「蓮根君!?」

 

スズメも声を上げる。

 

澄が反射的に杖を向けた。

 

「ステューピ――」

 

遅い。

 

奎星が床を蹴った。

 

身体ごと跳ぶ。

 

膝が上がる。

 

「うおおおおお!!」

 

「――っ!?」

 

飛び膝蹴り。

 

どんっ!!

 

奎星の膝が、澄の胸へまともに入った。

 

「ぐっ……!」

 

細い身体が後ろへ吹き飛ぶ。

 

スズメは完全に固まった。

 

「…………」

 

魔法使い同士の決闘。

 

杖。呪文。防御。駆け引き。

 

そこへ、飛び膝蹴り。

 

「……は?」

 

スズメの口から、教師らしからぬ声が漏れた。

 

奎星は着地に失敗し、自分も床へ転がった。

 

「いってぇ!」

 

「蓮根君!?」

 

「膝も痛い!」

 

「当たり前でしょう!!」

 

澄も床へ手をつき、咳き込む。

 

「げほっ……何……」

 

明らかに動揺していた。

 

奎星がそれを見る。

 

「効いてんじゃん」

 

「……何で」

 

「何でって」

 

奎星は立ち上がる。

 

「蹴ったから」

 

「そうじゃない!」

 

初めて、澄の声が荒れた。

 

「君はそんな戦い方してない!」

 

「うん」

 

「記録にない!」

 

「だろうな!」

 

奎星が笑った。

 

「俺も今初めてやった!」

 

スズメが額を押さえた。

 

「そんな自信満々に言うことではありません!」

 

だが、澄にとっては致命的だった。

 

記録にない。

 

黒曜石にない。

 

神代が集めた蓮根奎星の戦闘情報に、ない。

 

奎星が杖を持ったまま突っ込んでくる。

 

澄が距離を取る。

 

奎星は魔法を撃つ――と見せて、床へ手をついた。

 

「え」

 

そのまま、足払い。

 

「っ!」

 

澄が跳ぶ。

 

奎星も、何も考えていなかった。

 

「うおっ、避けた!」

 

「何なんだ君は!」

 

「知らねえよ!」

 

「自分のことでしょう!?」

 

スズメの突っ込みが飛んだ。

 

澄が着地する。

 

その瞬間、奎星は肩から体当たりした。

 

「ぐっ!」

 

二人で転がる。

 

杖同士がぶつかる。

 

澄が奎星の腕を押し返す。奎星も、別に格闘が上手いわけではない。

 

むしろ、滅茶苦茶だった。

 

肘をどこへ置けばいいかも分かっていない。起き上がり方も雑。殴り方も、蹴り方も、魔法使いとしては最悪。

 

だから、読めない。

 

「離れろ!」

 

澄が至近距離で杖を向ける。

 

奎星は杖を持った右手で、その腕を押した。魔法が天井のない闇へ飛ぶ。

 

「近いと当てづらいだろ!」

 

「君もだろ!」

 

「そうだよ!」

 

「何で嬉しそうなの!?」

 

「条件同じになったから!」

 

澄の顔が歪む。

 

奎星は笑っていた。

 

ようやく、同じ場所だ。

 

知識じゃない。記録じゃない。

 

今、この瞬間に何をするか。自分にも分からない。

 

なら、向こうにも分からない。

 

澄が奎星を蹴り離す。

 

「っ!」

 

今度は奎星が転がった。

 

澄が即座に杖を構える。

 

「ステューピファイ!」

 

奎星は起き上がらない。床へ寝転がったまま、杖を向ける。

 

「デパルソ!」

 

「何――」

 

狙いは澄ではない。自分の横、床。

 

反動で、奎星の身体が横へ滑った。

 

赤い光が、さっきまで頭のあった場所を通過する。

 

スズメが目を見開く。

 

似た動き。

 

夏休み、御影と斎賀の戦い。

 

魔法を相手へ撃つのではなく、自分の移動へ使う。

 

奎星がその戦いを見ていたわけではない。ただ、思いついただけだ。

 

だからこそ、滅茶苦茶だった。

 

「もう一回!」

 

奎星が床へ杖を向ける。

 

「デパルソ!」

 

どんっ!

 

今度は自分から澄へ滑っていく。

 

「馬鹿なの!?」

 

澄が叫んだ。

 

「今さら!?」

 

奎星が返す。

 

澄が杖を振る。

 

奎星は横へ転がる。立つ。撃たない。走る。

 

途中で急に止まる。

 

「エクスペリアームス!」

 

今度こそ魔法。

 

澄が一瞬だけ反応を遅らせた。

 

赤い光が黒い杖へ掠る。

 

「っ……!」

 

完全には飛ばない。けれど、澄の指が開く。

 

そこへ、奎星が踏み込んだ。

 

「インカーセラス!」

 

「――!」

 

縄が、今まで何度撃っても発動前に見切られていた拘束呪文が、近距離から澄の右腕へ巻きつく。

 

「くっ!」

 

澄が切ろうとする。

 

奎星は止めない。

 

「インカーセラス!」

 

二発目。左腕。

 

「やめ――」

 

「三発目!」

 

「インカーセラス!」

 

胴、脚。一気に巻く。

 

澄が倒れる。

 

それでも杖を動かそうとする。

 

奎星は走り込み、その手元だけへ神代榊を向けた。

 

「エクスペリアームス!」

 

赤い光。

 

今度こそ、黒い杖が高く飛んだ。

 

からん。

 

床へ落ちる。

 

六枚の黒曜石が激しく点滅する。

 

奎星は息を切らしたまま、澄へ杖を向けていた。

 

「……どうよ」

 

「…………」

 

「計算できた?」

 

澄は答えなかった。というより、答えられない顔だった。

 

スズメもしばらく何も言わなかった。

 

「…………」

 

奎星が振り返る。

 

「スズメちゃん?」

 

「……何ですか」

 

「勝った」

 

「見れば分かります」

 

「褒めて」

 

「嫌です」

 

「何で!?」

 

「飛び膝蹴りをする魔法使いをどう褒めればいいのですか!」

 

「効いたじゃん!」

 

「効きましたけど!」

 

「じゃあいいじゃん!」

 

「よくありません!」

 

スズメは完全に頭を抱えていた。

 

それでも、目だけは奎星を見る。

 

さっきまで、まるで歯が立たなかった。

 

魔力でも術式でも、奎星のほうが上だった。それでも勝てなかったのは、相手が奎星を知りすぎていたからだ。

 

だから奎星は、それまでの奎星を自分から捨てた。

 

上手くやるのではなく、やったことのないことをその場で試した。

 

無茶苦茶。危なっかしい。教師としては頭が痛い。

 

けれど。

 

「……あなたらしいですね」

 

スズメが小さく言った。

 

「ん?」

 

「何でもありません」

 

そのとき。

 

ごごごごご……。

 

音がした。

 

二人が同時に顔を上げる。

 

周囲を取り囲んでいた黒曜石の壁に、亀裂が走っていた。

 

「壁!」

 

大きな亀裂が一本、二本、三本と走る。

 

やがて、轟音とともに壁が崩れ落ちた。

 

その向こう。

 

「……ようやく終わったか」

 

御影が立っていた。

 

ほぼ無傷。

 

隣には柊木。こちらも、普段と大して変わらない。

 

「…………」

 

奎星が固まる。

 

「え」

 

御影が拘束された澄を見る。

 

次に、奎星を見る。

 

服は汚れ、膝は痛そうに押さえている。

 

「何をしてた」

 

「戦ってた!」

 

「なぜ膝を押さえてる」

 

「飛び膝蹴りした」

 

「…………」

 

御影が黙った。

 

柊木が珍しく目を瞬く。

 

スズメが疲れ切った声で言った。

 

「聞かないでください」

 

「いや聞く」

 

「後にしてください」

 

「何があった」

 

「後で!」

 

反対側から、別の壁も崩れる。

 

「うわっ!」

 

日向の声が上がった。

 

黒い破片の向こうから、澪と冬真も現れる。

 

三人とも御影たちよりは明らかに疲れていた。日向は肩で息をし、澪の髪も少し乱れ、冬真も長衣の袖へ埃をつけている。

 

「奎星!」

 

「日向!」

 

二人が互いを見る。

 

「勝った!?」

 

「勝った!」

 

「こっちも!」

 

「俺飛び膝蹴りした!」

 

「は!?」

 

澪が眉を寄せる。

 

「何の報告?」

 

「俺も分からない」

 

冬真が言った。

 

御影が日向たちを見る。

 

「怪我は」

 

「ないです!」

 

日向が即答する。

 

「めっちゃ疲れたけど!」

 

柊木も澪を確認した。

 

「大丈夫ですね?」

 

「はい。冬真先輩がほとんど指示してくれました」

 

「澪が相手の足の癖を見つけたからです」

 

冬真が返す。

 

「日向もずっと囮で走ってくれた」

 

「俺さっきから囮ばっかなんだけど!」

 

「適任だった」

 

「褒められてんのかな、それ!」

 

奎星が笑いかけた。

 

だが、すぐに笑みが消える。

 

まだ終わっていない。

 

「楓たちは」

 

その言葉で、全員の空気が変わった。

 

日向の右手には、まだ伊織の細い黒縁眼鏡がある。

 

御影が奥を見る。

 

崩れた三つの空間の先に、いつの間にか一本の道が新しく現れていた。

 

「行くぞ」

 

誰も休みたいとは言わなかった。

 

 

三人を見つけるまで、それほど時間はかからなかった。

 

黒い道を進んで数分。最初に日向が走った。

 

「楓!!」

 

広い円形の空間。

 

そこに、三人が倒れていた。

 

楓、岳、伊織。

 

互いに少し離れた場所で、目を閉じている。

 

「楓!」

 

日向が膝をつき、身体を抱き起こす。

 

呼吸はある。

 

「生きてる……!」

 

御影は岳へ、冬真は伊織へ走る。

 

「全員、呼吸あります!」

 

「外傷は?」

 

「見える範囲では大きなものはありません!」

 

スズメもすぐに三人へ杖をかざした。

 

「門の影響です。黒い魔力反応が残っています」

 

奎星はその言葉を聞いた瞬間、神代榊を握った。

 

「じゃあ」

 

もう、方法は分かっている。

 

左手がポケットの銀色の星へ触れる。

 

帰る。

 

全員で。

 

「エクスペクト・パトローナム!」

 

銀白色の光が黒い空間を照らした。

 

大きな鴉。

 

奎星の守護霊が翼を広げる。

 

最初に楓。銀の翼が身体を包み、黒い靄が胸元から抜ける。

 

「……っ!」

 

楓が息を吸った。

 

日向の顔が一気に明るくなる。

 

「楓!」

 

「……ひ、なた……?」

 

「俺! 俺!」

 

「見れば……分かるわよ……」

 

「よかったぁ……!」

 

「うるさ……」

 

まだ力が入らない。

 

それでも、いつもの楓だった。

 

鴉はそのまま岳へ向かう。

 

黒い靄が抜ける。

 

「――っ」

 

岳の目が開く。

 

数秒、天井のない闇を見る。

 

「…………腹減った」

 

奎星の顔が綻んだ。

 

「岳だ!」

 

御影が僅かに息を吐く。

 

「起きて第一声がそれか」

 

「飯……」

 

「帰ってからだ」

 

最後は伊織だった。

 

銀の鴉が身体の上を通る。

 

黒い煙が消える。

 

「……っ」

 

瞼が開き、焦点が合う。

 

「……奎星?」

 

「伊織!」

 

奎星が駆け寄る。

 

伊織は奎星の顔を見る。次に、何かを探すように目を動かした。

 

日向がすぐ気づく。

 

「これ」

 

右手に、眼鏡。

 

「入口んとこに落ちてた」

 

「……ありがとう」

 

日向が渡す。

 

伊織は震える手で受け取ろうとするが、指に力が入らない。

 

奎星が代わりに眼鏡を開き、顔へかけた。

 

「ほら」

 

「……何で君がかけると不安なんだろう」

 

「俺なくしてないじゃん!」

 

「僕が落としたのを日向が拾ったんだけど」

 

「起きてすぐ細けえな!」

 

伊織の口元が、ほんの少しだけ動いた。

 

七人。

 

いや、十人。

 

全員、いる。

 

御影が周囲を確認する。

 

「立てるか」

 

楓は日向の腕を借りながら、どうにか立った。

 

「……ちょっと、きつい」

 

「乗る?」

 

日向が背を向ける。

 

「そこまでじゃない」

 

「じゃ肩」

 

「それで」

 

楓の腕が日向の肩へ回る。

 

日向は慎重に身体を支えた。

 

岳は自力で立とうとして、ぐらりと揺れた。

 

「おい」

 

御影が腕を掴む。

 

「すみません」

 

「肩使え」

 

「先生の?」

 

「他に誰がいる」

 

「潰れません?」

 

御影の眉が寄る。

 

「お前一人くらいで潰れるか」

 

「岳、御影先生より重いんじゃね?」

 

奎星が言う。

 

「蓮根」

 

「はい」

 

「黙れ」

 

「はい」

 

伊織も、まだ足元が覚束ない。

 

奎星が横へ入る。

 

「ほら」

 

「君?」

 

「何だよ」

 

「途中で転ばない?」

 

「俺を何だと思ってんだよ!」

 

「転ぶ人」

 

「転ばねえ!」

 

伊織の腕を自分の肩へ回す。

 

「ちゃんと持ってろよ」

 

「君がね」

 

「はいはい」

 

「はいは一回」

 

後ろで、スズメが僅かに眉を動かした。

 

奎星も一瞬だけ止まる。

 

「……それ俺のやつ」

 

「何が?」

 

伊織は本気で分かっていなかった。

 

「いや、いい」

 

柊木と澪は少し先へ出て、来た道を警戒する。冬真もその反対側へつき、スズメは三人の状態を何度も確認しながら最後尾へ回った。

 

御影が全員を見る。

 

「戻るぞ」

 

来た道、黒曜の門の外へ。

 

今度こそ、全員で。

 

 

戻る道は、行きより長く感じた。

 

楓も、岳も、伊織も、目を覚ましたとはいえ、門の術式に長く捕まっていたせいか、身体にほとんど力が入っていない。

 

日向は楓の歩幅へ合わせる。

 

御影は岳の重さをものともせず歩き、奎星は伊織の身体を支えながら、何度も声をかけた。

 

「足上げろ」

 

「上げてる」

 

「全然上がってねえって」

 

「君の肩が低い」

 

「身長ほぼ同じだろ!」

 

どうでもいい会話を繰り返した。

 

それが、ありがたかった。

 

伊織が喋る。楓が日向へ文句を言う。岳が飯の話をする。

 

生きている。

 

それを確かめられる。

 

やがて、前方へ光が見えた。

 

白い。本物の光。

 

「出口!」

 

日向の声が上がる。

 

黒い空間の向こうに、門がはっきり見えた。

 

開いている。

 

その向こうには、昼の空と白い校舎がある。

 

「マホウトコロ……」

 

楓が呟いた。

 

御影は立ち止まらない。

 

「気を抜くな。全員出るまでだ」

 

「はい!」

 

一人、また一人と門をくぐる。

 

柊木。

 

澪。

 

楓を支えた日向。

 

冬真。

 

岳を支える御影。

 

スズメ。

 

そして最後に、伊織を支えた奎星。

 

「よいしょ……!」

 

境界を越えた。

 

空気が変わる。

 

風。潮の匂い。日差し。遠く、鳥の声。

 

「…………」

 

奎星は立ち止まった。

 

間違いない。

 

マホウトコロだった。

 

星迎祭の飾りが一部残る校舎。羊脂玉の壁。いつもの校庭。

 

今までいた場所とは、何もかも違う。

 

「戻った……」

 

日向が息を吐く。

 

楓も肩を借りたまま、目を閉じた。

 

「ほんとに……?」

 

「ああ」

 

日向が言う。

 

「本物」

 

校庭を見回す。

 

さっきまで大勢の生徒が倒れていた場所。

 

けれど今、そこに倒れたままの生徒はいない。

 

「……みんなは?」

 

奎星が周囲を見る。

 

大量の生徒が黒曜の門へ引き寄せられ、九重院の巨大な気絶呪文で止められた。

 

その姿がない。

 

既に目を覚ましたのか。医務室へ運ばれたのか。別の場所で治療を受けているのか。

 

ここからでは分からない。

 

ただ、少なくとも誰一人として、あのまま校庭へ倒れっぱなしにはなっていなかった。

 

スズメも少しだけ息を吐く。

 

「外側も、無事に対処できたようですね」

 

「真壁さんと校長だもんな」

 

奎星が言う。

 

「そりゃ大丈夫か」

 

御影が辺りを見回す。

 

「まだ確認はしていない。決めつけるな」

 

「はい」

 

「返事だけはいいな」

 

「いつもいいじゃん」

 

「中身が伴ってない」

 

「ひど」

 

そのとき、背後からごごご……と低い音がした。

 

全員が振り返る。

 

黒曜の門。

 

巨大な、学校の二階へ届きそうだったあの門が揺れている。

 

赤黒い文字が一つずつ消えていく。

 

輪郭が薄くなる。

 

「下がれ!」

 

御影の声に、全員が距離を取る。

 

門は音もなく、少しずつ闇へ溶けた。

 

上、左右、最後に地面へ接していた黒い部分。

 

すべて消える。

 

そこには何も残らなかった。

 

「…………」

 

静かだった。

 

本当に終わった。

 

そう思った。

 

奎星は息を吐こうとした。

 

そのときだった。

 

「…………え」

 

身体が固まった。

 

視線の先は校舎正面。

 

星迎祭の開会式で九重院が立っていた、高い壇上。

 

そこに、誰かが立っている。

 

長い黒髪。その中へ混じる白。濃い紫の和装。黒い羽織。不自然なほど若い顔。

 

そして、何十年もの時間だけを閉じ込めたような古い黒い目。

 

さっきまで奎星の夢の中にいた男。

 

けれど、今度は透けていない。

 

風が、その羽織を確かに揺らしている。

 

奎星の口がゆっくり開いた。

 

「……嘘だろ」

 

スズメが奎星を見る。

 

御影がすぐに壇上へ視線を向ける。

 

その顔から、表情が消えた。

 

壇上の男は、十人を見下ろしていた。

 

穏やかに。

 

まるで、ずっとそこで待っていたかのように。

 

神代冥司が立っていた。

 

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