マホウトコロ   作:西野圭吾

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最終回 学校

 

神代冥司が立っていた。

 

星迎祭の開会式で九重院紫苑が生徒たちへ語りかけた、校舎正面の壇上。その中央に、長い黒髪と濃い紫の和装を纏った男がいる。

 

まるで、初めからそこが自分の場所だったかのように。

 

そして、その後ろ。

 

「…………!」

 

御影の目が見開かれた。

 

九重院が倒れていた。

 

白を基調とした長衣は土と埃に汚れ、いつも丁寧に整えられていた銀髪も乱れている。杖は数メートル離れた場所へ転がり、片腕を床についたまま、起き上がることすらできていなかった。

 

「馬鹿な……」

 

御影の声が掠れる。

 

「九重院が……!?」

 

奎星も言葉を失った。

 

ついさっきまで。

 

黒曜の門へ引き寄せられた何百人もの生徒を、一人で止めた人だ。

 

御影が異変へ誰より早く気づくほどの魔女。

 

入学初日、奎星の膨大な魔力が暴走しかけたときも、砕けた測定水晶の破片すべてを完全に制御した。

 

その九重院が。

 

倒れている。

 

「校長先生……?」

 

日向が呟いた。

 

「九重院先生!」

 

スズメが一歩踏み出そうとする。

 

しかし、その瞬間。

 

「皆さん」

 

神代の声が校庭へ響いた。

 

大声ではなかった。

 

いつもの。

 

妙に穏やかな声。

 

なのに。

 

校舎中から向けられていた視線が、一斉に神代へ集まった。

 

「怯える必要はありません」

 

奎星の眉が寄る。

 

「……は?」

 

神代は壇上から、生徒たちを見渡した。

 

「彼らもまた被害者なのです。誤った考えを植えつけられ、正しい判断ができなくなっているだけです」

 

ゆっくりと。

 

その指が。

 

奎星たちへ向けられた。

 

「九重院紫苑と同じように」

 

「…………」

 

奎星の背筋に、ぞっとするものが走った。

 

視線を感じる。

 

一つ。

 

二つではない。

 

校舎の窓。

 

回廊。

 

教室。

 

そこかしこに、生徒たちがいた。

 

下級課程。

 

中級課程。

 

上級課程。

 

皆。

 

こちらを見ている。

 

だが。

 

その目は。

 

助けを求めるものではなかった。

 

怖がっている。

 

奎星たちを。

 

「……あいつら……」

 

教室の窓辺にいた下級生が、小さく呟く。

 

「門から出てきた……」

 

別の生徒が身を寄せ合う。

 

「黒曜の人たち……?」

 

「神代校長を襲いに来たの?」

 

「九重院先生みたいに……?」

 

「…………は?」

 

奎星の顔から。

 

血の気が引いた。

 

「今……何て言った?」

 

日向も同じ言葉を聞いていた。

 

「神代……校長?」

 

楓が、日向の肩を借りたまま顔を上げる。

 

「何それ……」

 

伊織も眼鏡の奥で目を見開いていた。

 

神代校長。

 

聞き間違いではない。

 

一人ではない。

 

あちらでも。

 

こちらでも。

 

「神代校長」

 

そう呼んでいる。

 

まるで。

 

最初から。

 

この学校の校長が神代冥司だったかのように。

 

御影の目が動いた。

 

壇上。

 

九重院。

 

生徒。

 

校舎。

 

窓。

 

回廊。

 

教室。

 

そして。

 

「…………」

 

一つの教室で。

 

土御門が。

 

両腕を背中へ回され、魔法の縄で椅子へ縛りつけられていた。

 

その隣には薬師寺。

 

別の窓には早瀬。

 

白峰から応援に来た教員たちもいる。

 

全員。

 

拘束されている。

 

杖もない。

 

その周囲には生徒たちがいて、教師を守ろうとも、助けようともしていない。

 

むしろ。

 

困惑と恐怖の目で。

 

自分たちの教師を見ている。

 

まるで。

 

危険人物を見るように。

 

「……征士郎」

 

御影が小さく呟いた。

 

探す。

 

一階。

 

二階。

 

回廊。

 

校庭。

 

拘束された教師たち。

 

倒れた九重院。

 

どこにも。

 

いない。

 

真壁征士郎だけが。

 

いなかった。

 

倒れてもいない。

 

縛られてもいない。

 

姿そのものが。

 

ない。

 

「…………」

 

何があった。

 

考える。

 

だが。

 

それを追う時間はなかった。

 

御影は。

 

全てを理解した。

 

黒曜の門。

 

大量の生徒。

 

自分たちを内側へ誘導した敵。

 

外へ残った九重院と真壁。

 

そして。

 

門の中で時間を使わされた。

 

その間に。

 

学校そのものを。

 

「……やられた」

 

御影の口から。

 

言葉が落ちる。

 

奎星が見る。

 

「御影先生……?」

 

御影は神代を見た。

 

左頬の傷が。

 

僅かに歪む。

 

「マホウトコロが……」

 

握った杖が軋む。

 

「堕ちた」

 

あの門の中。

 

声が言っていた。

 

――マホウトコロに伝えるのです。

 

――今に堕とす、と。

 

神代冥司は。

 

宣言通り。

 

やった。

 

「レンコン……」

 

小さな声がした。

 

奎星が反射的に振り向く。

 

校庭の隅。

 

建物の陰へ。

 

小さな影がいくつも集まっていた。

 

小妖たち。

 

普段なら廊下を掃き、食堂へ料理を運び、生徒の荷物を抱えて校内を忙しく歩き回っている彼らが、今は固まるように身を寄せ合っている。

 

その中から。

 

一匹。

 

見覚えのある藍染めの作務衣が。

 

ふらふらと前へ出た。

 

「……天ぷら」

 

大きな黒い目。

 

いつもなら。

 

奎星を見つければ。

 

「レンコン」

 

と嬉しそうに呼ぶ。

 

今は。

 

その目が震えていた。

 

天ぷらは校庭を見た。

 

倒れている九重院。

 

壇上の神代。

 

縛られた教師たち。

 

そして。

 

奎星。

 

全部。

 

見ていたのだろう。

 

小さな身体が震える。

 

「レンコン……」

 

声まで。

 

震えていた。

 

「タスケテ」

 

「…………」

 

何かが。

 

切れた。

 

「てめえぇぇぇ!!」

 

「蓮根!!」

 

奎星が飛び出した。

 

伊織の身体を支えていた腕を離し、神代榊を抜く。

 

そのまま。

 

一直線に。

 

壇上へ。

 

「蓮根、よせ!!」

 

御影が背後から奎星の身体を掴んだ。

 

「離せよ!!」

 

奎星が暴れる。

 

「離せ!!」

 

「落ち着け!」

 

「落ち着けるかよ!!」

 

奎星は神代を指差した。

 

「あいつだろ!! あいつが全部やったんだろ!!」

 

「分かってる!」

 

「だったら!」

 

「今撃つな!!」

 

御影の怒声が。

 

奎星の声を叩き潰した。

 

「何でだよ!!」

 

「周りを見ろ!!」

 

「…………!」

 

「今お前が神代へ攻撃すれば、どう見える!」

 

奎星の顔が止まる。

 

御影が掴んだ腕へ力を込める。

 

「ここの生徒たちは、神代を校長だと思ってる!」

 

「…………」

 

「お前が杖を向ければ、あいつを守るために生徒がお前へ杖を向けるぞ!」

 

奎星の目が。

 

校舎へ向く。

 

上級生。

 

中級生。

 

下級生。

 

何百人。

 

いる。

 

その全員が。

 

怯えた目で。

 

自分を見ている。

 

何人かは。

 

既に。

 

杖を握っていた。

 

震えながら。

 

自分たちへ向けて。

 

「戦力差を考えろ!」

 

御影が言う。

 

「俺たちは十人! そのうち水無瀬、岩戸、榊はまともに動けない! 向こうには学校中の生徒がいる!」

 

「でも……!」

 

「今戦えば!」

 

御影の声が。

 

さらに強くなる。

 

「俺たちは生徒と戦うことになる!!」

 

「…………っ」

 

奎星の歯が。

 

強く噛み締められた。

 

御影の言葉は。

 

正しい。

 

それでも。

 

御影自身も。

 

冷静ではなかった。

 

奎星を掴んでいる手は。

 

僅かに震えている。

 

目の前には。

 

自分が何十年も過ごした学校がある。

 

九重院が倒れている。

 

同僚たちは拘束され。

 

生徒たちは。

 

敵を校長と呼んでいる。

 

今すぐにでも。

 

神代へ杖を向けたい。

 

それを。

 

自分で。

 

抑えているだけだった。

 

「流石ですね、御影玄一郎」

 

神代が拍手する。

 

ぱち。

 

ぱち。

 

妙にゆっくりとした音。

 

「状況の把握が早い」

 

御影が睨む。

 

「……最初からか」

 

「何のことでしょう」

 

「門だ」

 

御影の声が低い。

 

「俺たちを中へ入れたのも」

 

奎星が顔を上げる。

 

御影は続ける。

 

「お前の部下を三組へ分けて当てたのも。全部、俺たちを学校から切り離すためか」

 

神代が。

 

微笑んだ。

 

「門の中にいた私の部下が倒されることは、想定の範囲内でした」

 

「なんだと……!?」

 

日向が声を上げる。

 

神代はまるで。

 

授業の説明でもするように続けた。

 

「彼らには役目を果たしてもらいました。皆さんに《正しいこと》を思い出していただくには、それなりの時間が必要でしたからね」

 

「正しいこと……?」

 

澪が眉を寄せる。

 

「これが?」

 

神代は答えない。

 

スズメは。

 

生徒たちを見ていた。

 

表情。

 

視線。

 

怯え方。

 

神代を見る目。

 

九重院を見る目。

 

「……違う」

 

「烏丸?」

 

御影が僅かに振り返る。

 

スズメの顔が青ざめていた。

 

「洗脳ではありません」

 

奎星が見る。

 

「え?」

 

「少なくとも、単純に命令を聞かされている状態ではない」

 

生徒たちは。

 

神代に操られているようには見えない。

 

怖がっている。

 

迷っている。

 

自分で考えている。

 

けれど。

 

前提だけが。

 

違う。

 

神代冥司は校長。

 

九重院紫苑は学校へ害を与えた人間。

 

御影たちは敵。

 

その前提の上で。

 

普通に考えている。

 

「認識そのものが……」

 

スズメが呟く。

 

「書き換えられています」

 

御影の顔が険しくなる。

 

「そんな規模の術式……」

 

「普通なら無理です」

 

スズメは校舎を見る。

 

そして。

 

足元。

 

地面。

 

その下へ。

 

視線を落とした。

 

「でも」

 

思い出す。

 

蓮根家。

 

古い記録。

 

鬼火鳥。

 

霊脈。

 

マホウトコロが建つ。

 

この島。

 

「……霊脈」

 

「何?」

 

奎星が聞く。

 

スズメが顔を上げる。

 

「マホウトコロの地下を通る霊脈です」

 

御影の目が変わった。

 

「まさか」

 

「神代は……」

 

スズメが壇上の男を見る。

 

「学校の結界だけではありません。地下を流れる霊脈そのものを掌握した」

 

一瞬。

 

全員が黙った。

 

「学校全体に繋がっている魔力の流れを使って……生徒たちの認識へ干渉している」

 

神代が。

 

楽しそうに目を細めた。

 

「流石は魔法史の教師ですね」

 

「…………」

 

「正解です、烏丸スズメ」

 

奎星が神代を睨む。

 

「何がしてえんだよ……」

 

「以前、お話ししたでしょう」

 

神代が。

 

奎星を見る。

 

「君には理解できないと」

 

「今なら聞いてやるよ」

 

「蓮根君」

 

スズメが止める。

 

だが。

 

神代はもう話し始めていた。

 

「人は、間違える」

 

穏やかな声が。

 

校庭へ広がる。

 

「恐怖で判断を誤る。怒りに任せて他者を傷つける。愛する者のために規則を破る。自分だけは正しいと思い込み、何度も同じ過ちを繰り返す」

 

奎星の目が細くなる。

 

門の中で。

 

自分へ見せられた未来。

 

「教師も」

 

神代は御影を見る。

 

「生徒も」

 

奎星。

 

日向。

 

楓。

 

岳。

 

伊織。

 

冬真。

 

澪。

 

一人ずつ。

 

見る。

 

「魔法省も」

 

そして。

 

倒れた九重院を。

 

一瞥する。

 

「校長でさえも」

 

「…………」

 

「だから」

 

神代は両腕を広げた。

 

その背後。

 

羊脂玉の校舎。

 

マホウトコロ。

 

すべてが。

 

自分のものだと言うように。

 

「私が管理するのです」

 

「……管理?」

 

「学ぶもの。使う魔法。進む道。守るべきもの。信じるべきもの」

 

神代は笑う。

 

「人間に自由など与えるから、間違える」

 

奎星の顔が歪んだ。

 

「ふざけんな……」

 

「私の願いは、もうすぐ叶う」

 

神代の声には。

 

本気の確信があった。

 

「すべてを私に委ねればいい」

 

校舎の窓から。

 

生徒たちが聞いている。

 

「そうすれば、誰も道を誤らない。誰も無益な争いを起こさない。誰も間違った選択によって、大切なものを失うこともない」

 

御影の目が。

 

一瞬だけ。

 

変わった。

 

小夜。

 

斎賀。

 

さっき。

 

門の中で見たもの。

 

神代は。

 

それすら。

 

知っているのかもしれない。

 

「私がすべてを管理すれば」

 

神代は。

 

静かに。

 

言い切った。

 

「何も悪いことは起きない」

 

「……気持ち悪い」

 

奎星が言った。

 

神代の目が細くなる。

 

「君はやはり理解できませんか」

 

「理解したくもねえよ」

 

奎星は吐き捨てた。

 

「間違えるから何だよ」

 

「…………」

 

「間違えたら自分で直せばいいだろ」

 

御影の手の中で。

 

拳を握る。

 

「失敗して、怒られて、もう一回やって」

 

朝練。

 

御影。

 

授業。

 

友達。

 

スズメ。

 

「それ全部取り上げて、てめえの言うことだけ聞かせて」

 

神代を睨む。

 

「それ、生きてんのかよ」

 

「蓮根君」

 

スズメが小さく呼ぶ。

 

神代は。

 

しばらく何も言わなかった。

 

やがて。

 

「だから子供なのですよ」

 

「十七だよ」

 

「そういうところです」

 

「何だよ!」

 

「蓮根、今は喧嘩するな!」

 

御影が怒鳴った。

 

奎星はなおも何か言いかけたが。

 

御影は。

 

もう神代を見ていなかった。

 

考えていた。

 

姿くらまし。

 

自分一人なら。

 

あるいは。

 

二人。

 

三人なら。

 

連れて飛べるかもしれない。

 

だが。

 

十人。

 

しかも。

 

楓、岳、伊織は門から戻ったばかり。

 

奎星も消耗している。

 

まして。

 

この島の結界の中。

 

どこまで姿くらましが通るかも分からない。

 

却下。

 

神代へ直接仕掛ける。

 

自分。

 

柊木。

 

スズメ。

 

奎星。

 

日向。

 

冬真。

 

澪。

 

戦える人間を集めれば。

 

勝機が。

 

ないとは言わない。

 

だが。

 

周囲には。

 

何百人もの生徒。

 

神代は。

 

必ず使う。

 

自分たちが守ろうとする生徒を。

 

盾に。

 

却下。

 

教師たちを先に解放。

 

無理だ。

 

教室に近づく時点で。

 

生徒たちが敵になる。

 

九重院の救出。

 

同じ。

 

外部へ連絡。

 

手段がない。

 

火映し。

 

伝書。

 

ウミツバメ。

 

すべて。

 

学校側にある。

 

御影の思考が。

 

一つ。

 

また一つ。

 

道を潰していく。

 

「…………」

 

ない。

 

何を考えても。

 

詰んでいる。

 

その事実を。

 

御影玄一郎は。

 

認めざるを得なかった。

 

そのとき。

 

かさ。

 

足元で。

 

小さな音がした。

 

「…………?」

 

御影は目を動かさない。

 

視界の端。

 

紙。

 

白い。

 

小さな。

 

折り鶴。

 

いつからいたのか。

 

分からない。

 

風に飛ばされたようなふりをして。

 

少しずつ。

 

少しずつ。

 

御影の靴へ近づいてくる。

 

神代は。

 

気づいていない。

 

壇上。

 

生徒たちへ。

 

自分の新しい秩序を語っている。

 

御影は。

 

視線を上げたまま。

 

足だけを。

 

僅かに動かした。

 

折り鶴。

 

靴の下。

 

踏む。

 

ぱき。

 

紙とは思えない。

 

小さな。

 

魔力の感触。

 

次の瞬間。

 

声が。

 

頭の中へ響いた。

 

『御影君』

 

「…………!」

 

九重院紫苑。

 

その声だった。

 

『この折り鶴を聞いているということは』

 

いつもの。

 

穏やかな声。

 

『マホウトコロが、堕ちたということです』

 

御影の目が。

 

僅かに揺れた。

 

『あなたたちは逃げなさい』

 

「…………」

 

『学校を離れてください』

 

御影の奥歯が。

 

強く噛み締められる。

 

逃げろ。

 

今まで。

 

何度。

 

聞いた。

 

十二歳。

 

父親。

 

――小夜を連れて逃げろ。

 

二〇一四年。

 

斎賀。

 

――先行け。

 

そして。

 

今。

 

九重院。

 

『歴代校長のみが知る秘匿島があります』

 

声は続く。

 

『常隠島――とこがくれじま』

 

聞いたことがない。

 

御影ですら。

 

知らない。

 

『マホウトコロの歴代校長が、学校そのものを維持できなくなった場合に備え、残した場所です』

 

折り鶴から。

 

微かな魔力が。

 

足裏へ流れ込む。

 

複雑な。

 

転移術式。

 

『この折り鶴へ、常隠島への転移術式を組み込みました』

 

御影の呼吸が。

 

一度。

 

止まる。

 

『外部からは絶対に掴むことのできない座標です。神代にも』

 

九重院の声が。

 

ほんの少し。

 

柔らかくなった。

 

『そこへ行きなさい』

 

「…………」

 

『生きて』

 

一拍。

 

『そして、いつの日か』

 

倒れているはずの校長の声が。

 

御影の頭の中で。

 

確かに笑った。

 

『学校を取り戻して』

 

声が。

 

消えた。

 

「…………」

 

御影は。

 

一秒。

 

目を閉じた。

 

それだけ。

 

次に開いたときには。

 

決めていた。

 

「全員」

 

低い声。

 

柊木が見る。

 

スズメも。

 

奎星も。

 

「俺の近くへ来い」

 

「え?」

 

奎星が眉を寄せる。

 

「何で」

 

「説明は後だ」

 

御影の声音で。

 

スズメがすぐ察した。

 

「全員、近くへ!」

 

柊木も動く。

 

「澪ちゃん、こちらへ」

 

「はい」

 

日向は楓を支えたまま御影へ寄る。

 

奎星も伊織の腕を肩へ回し直す。

 

岳はまだ一人では危うい。

 

御影が空いている腕で、その身体を支えた。

 

「先生?」

 

「掴まれ」

 

冬真。

 

澪。

 

柊木。

 

スズメ。

 

奎星。

 

伊織。

 

日向。

 

楓。

 

岳。

 

御影。

 

十人が。

 

一か所へ固まる。

 

「全員、誰かに触れろ」

 

「何するの?」

 

日向が訊く。

 

「いいから!」

 

御影が珍しく。

 

説明を省いた。

 

「絶対に離すな!」

 

それだけで。

 

全員。

 

動いた。

 

腕。

 

肩。

 

手首。

 

服。

 

何でもいい。

 

一つの。

 

繋がった輪になる。

 

壇上。

 

神代の声が。

 

止まった。

 

「…………」

 

初めて。

 

その顔から。

 

僅かに余裕が消える。

 

「何をしている……?」

 

御影が。

 

足元へ力を込める。

 

折り鶴。

 

九重院の術式。

 

起動。

 

白い光が。

 

靴の下から広がった。

 

神代の目が見開かれる。

 

「それは――」

 

杖が上がる。

 

「全員離すな!!」

 

御影が叫んだ。

 

「御影先生!?」

 

奎星の足元まで。

 

光が来る。

 

神代の顔から。

 

笑みが消えた。

 

「逃がすとでも……!」

 

細い杖が。

 

真っ直ぐ。

 

御影へ向く。

 

「アバダ・ケダブラ!!」

 

緑。

 

死の光。

 

奎星の顔が変わる。

 

「先生!!」

 

速い。

 

避けられない。

 

神代と。

 

御影。

 

その間を。

 

緑の閃光が。

 

一直線に走る。

 

御影は。

 

逃げなかった。

 

神代を。

 

真っ直ぐ睨んだ。

 

「神代冥司」

 

光が迫る。

 

十メートル。

 

五メートル。

 

御影の左頬の傷が。

 

歪む。

 

「必ず貴様を倒す」

 

緑の光が。

 

届く。

 

その。

 

寸前。

 

十人の姿が。

 

白い光の中へ。

 

消えた。

 

次の瞬間。

 

死の呪文が。

 

誰もいなくなった地面へ直撃した。

 

轟音。

 

校庭が抉れる。

 

白い光の残滓だけが。

 

宙へ散った。

 

「…………」

 

神代は。

 

杖を構えたまま。

 

消えた場所を見ていた。

 

長い。

 

沈黙。

 

そして。

 

ゆっくりと。

 

振り返る。

 

壇上の後ろ。

 

倒れている。

 

九重院紫苑。

 

「……やってくれましたね」

 

神代の声から。

 

初めて。

 

完全に温度が消えた。

 

「九重院紫苑……」

 

「…………」

 

九重院は。

 

動けない。

 

息をするのも。

 

やっと。

 

それでも。

 

顔だけを。

 

僅かに上げた。

 

そして。

 

口元に。

 

小さな。

 

皮肉な笑みを浮かべた。

 

神代が。

 

目を細める。

 

九重院は何も言わない。

 

言う必要など。

 

なかった。

 

校長は。

 

まだ。

 

負けていなかった。

 

 

潮の匂いがした。

 

「――っ!」

 

奎星の身体が。

 

地面へ投げ出された。

 

「いってぇ!」

 

「蓮根君!」

 

スズメも膝をつく。

 

次々と。

 

人が現れる。

 

日向。

 

楓。

 

伊織。

 

岳。

 

冬真。

 

澪。

 

柊木。

 

そして。

 

御影。

 

十人。

 

全員。

 

いる。

 

「……どこ」

 

日向が顔を上げる。

 

海。

 

青い空。

 

濃い緑の木々。

 

遠く。

 

波が。

 

白い砂浜へ打ち寄せている。

 

奎星は。

 

荒い息をしながら。

 

周囲を見回した。

 

「マホウトコロ……じゃない」

 

当たり前だ。

 

校舎が。

 

ない。

 

ウミツバメも。

 

発着場も。

 

何もない。

 

小さな島。

 

それだけ。

 

御影だけが。

 

すぐに立ち上がった。

 

「常隠島」

 

「……え?」

 

スズメが見る。

 

御影は短く答える。

 

「九重院が残した避難場所だ」

 

「校長先生が……?」

 

「歴代校長だけが知ってる島らしい」

 

御影は。

 

それ以上。

 

まだ説明しなかった。

 

「全員ここで待て」

 

「御影先生?」

 

「建物を確認する」

 

「私も」

 

柊木が立ち上がる。

 

「いや」

 

御影は。

 

浜辺の生徒たちを見る。

 

楓。

 

岳。

 

伊織。

 

三人とも。

 

まだまともに立てない。

 

奎星も。

 

さっきまで澄と戦い続けていた。

 

日向。

 

冬真。

 

澪。

 

顔には。

 

疲労。

 

混乱。

 

そして。

 

何より。

 

現実を。

 

まだ。

 

受け止めきれていない。

 

「柊木」

 

「はい」

 

「こいつらを見てろ」

 

一瞬。

 

柊木は御影を見る。

 

それから。

 

静かに頷いた。

 

「分かりました」

 

御影は。

 

一人。

 

島の内側へ歩き始めた。

 

 

宿舎は。

 

すぐに見つかった。

 

浜辺から少し林へ入ったところ。

 

古い。

 

木造。

 

二階建て。

 

外から見れば。

 

山小屋を少し大きくしたような建物だった。

 

杖を構えたまま。

 

御影が扉を開く。

 

「…………」

 

人はいない。

 

玄関。

 

廊下。

 

居間。

 

長い机。

 

椅子。

 

簡素な暖炉。

 

奥には。

 

寝室。

 

一つ。

 

二つ。

 

三つ。

 

二十人ほどなら。

 

寝泊まりできる。

 

水。

 

使える。

 

魔法の灯りも。

 

生きている。

 

さらに。

 

地下。

 

「……食料庫か」

 

扉を開ける。

 

棚。

 

保存食。

 

米。

 

乾物。

 

缶詰。

 

魔法で鮮度を固定された肉。

 

魚。

 

野菜。

 

水。

 

薬草。

 

最低限の治療用品。

 

御影が。

 

一つずつ確認する。

 

今いる人数。

 

消費量。

 

節約。

 

一か月。

 

少なくとも。

 

その程度なら。

 

籠もれる。

 

宿舎の居間へ戻る。

 

そこで。

 

足が止まった。

 

壁。

 

古い写真が。

 

何枚も飾られている。

 

着物姿の老人。

 

軍服のような魔法衣を着た男。

 

洋装の女性。

 

時代。

 

違う。

 

けれど。

 

全員。

 

マホウトコロの校長。

 

歴代校長。

 

その一番端。

 

まだ。

 

九重院の写真はない。

 

現役だからだろう。

 

そして。

 

写真の下。

 

一つの額縁。

 

そこへ。

 

古い墨文字で。

 

言葉が書かれていた。

 

御影は。

 

読む。

 

――校舎を失っても、学校は失われない。

 

「…………」

 

その下。

 

続き。

 

――教える者がいて。

 

――学ぶ者がいて。

 

――共に明日を望むかぎり。

 

――そこが、学校である。

 

御影は。

 

しばらく。

 

その言葉を見た。

 

「…………そうかよ」

 

小さく。

 

呟く。

 

そして。

 

もう一度。

 

外へ出た。

 

 

島を一周する。

 

御影は。

 

歩いた。

 

林。

 

岩場。

 

浜辺。

 

小さな高台。

 

転移用らしき石碑。

 

使えるかは。

 

今は分からない。

 

他に建物はない。

 

船もない。

 

桟橋もない。

 

周囲。

 

全部。

 

海。

 

どの方向を見ても。

 

陸地は。

 

見えなかった。

 

一周。

 

約二十分。

 

小さい。

 

完全に。

 

隔離された島。

 

外部と連絡を取る手段も。

 

今のところ。

 

見当たらない。

 

ウミツバメ。

 

なし。

 

通信鏡。

 

なし。

 

折り鶴を外へ飛ばせるか。

 

不明。

 

そもそも。

 

ここが。

 

日本のどこなのかすら。

 

分からない。

 

「……徹底してやがる」

 

外から絶対に掴めない座標。

 

その代わり。

 

こちらからも。

 

簡単には外へ触れられない。

 

避難場所としては。

 

正しい。

 

反撃拠点としては。

 

何もない。

 

だから。

 

作るしかない。

 

御影は。

 

歩き続けた。

 

二十分。

 

それだけの間に。

 

頭の中で。

 

数えた。

 

人数。

 

戦力。

 

怪我。

 

使える魔法。

 

食料。

 

時間。

 

敵。

 

学校。

 

神代。

 

霊脈。

 

洗脳。

 

黒曜の環。

 

九重院。

 

真壁。

 

征士郎は。

 

いない。

 

なぜ。

 

あの場所に。

 

いなかった。

 

分からない。

 

それでも。

 

「…………」

 

御影は。

 

足を止めた。

 

浜辺。

 

そこに。

 

生徒たちがいた。

 

誰も。

 

ほとんど。

 

動いていなかった。

 

 

奎星は。

 

砂浜へ。

 

膝をついていた。

 

両手。

 

砂。

 

指が。

 

強く。

 

めり込んでいる。

 

誰も。

 

話しかけていなかった。

 

スズメは。

 

少し離れたところにいる。

 

近づきたい。

 

でも。

 

何を言えばいいか。

 

分からない。

 

マホウトコロが。

 

奪われた。

 

奎星にとって。

 

ほんの数か月前まで。

 

存在すら知らなかった場所。

 

それなのに。

 

今は。

 

帰る場所だった。

 

友達がいる。

 

先生がいる。

 

小妖がいる。

 

寮がある。

 

大食堂。

 

訓練場。

 

教室。

 

観測塔。

 

全部。

 

置いてきた。

 

天ぷらの。

 

声が。

 

頭から離れない。

 

――レンコン。

 

――タスケテ。

 

「…………くそ」

 

拳が。

 

震える。

 

「くそっ……!」

 

砂を殴る。

 

一度。

 

「くそぉ……!」

 

もう一度。

 

スズメが。

 

僅かに動く。

 

けれど。

 

止まる。

 

今は。

 

奎星だけではない。

 

日向は。

 

楓の隣へ座っていた。

 

何も言わない。

 

楓も。

 

何も言わない。

 

ただ。

 

二人の肩が。

 

少しだけ触れている。

 

岳は。

 

砂浜へ大の字になっていた。

 

普段なら。

 

腹が減ったと言う。

 

今は。

 

言わない。

 

伊織は。

 

眼鏡をかけて。

 

海を見ている。

 

何かを考えようとして。

 

でも。

 

考えが。

 

まとまらない。

 

そんな顔。

 

冬真は。

 

膝を立て。

 

その上へ腕を置いていた。

 

星迎祭。

 

二日前まで。

 

後輩たちと。

 

くだらない話をしていた学校。

 

ない。

 

澪も。

 

少し離れて。

 

海を見ている。

 

本来なら。

 

白峰へ帰るはずだった。

 

なのに。

 

今。

 

常隠島。

 

柊木が。

 

その隣へ立っていた。

 

教師として。

 

何かを言わなければ。

 

そう思う。

 

でも。

 

言葉が。

 

出ない。

 

スズメも。

 

同じだった。

 

「…………」

 

負けた。

 

その言葉だけが。

 

全員の中にあった。

 

負けた。

 

学校を。

 

取られた。

 

何百人もの生徒を。

 

残した。

 

教師たちも。

 

九重院も。

 

小妖も。

 

置いてきた。

 

逃げた。

 

その事実が。

 

重かった。

 

そして。

 

そこへ。

 

足音が近づいた。

 

ざっ。

 

ざっ。

 

砂を踏む。

 

全員が。

 

少しずつ。

 

顔を上げる。

 

御影玄一郎。

 

一人。

 

歩いてくる。

 

奎星は。

 

何も言わなかった。

 

御影は。

 

皆の前まで来る。

 

立つ。

 

海を背に。

 

十人。

 

いや。

 

自分を除けば。

 

九人を見る。

 

「建物は使える」

 

誰も返事をしない。

 

御影は続けた。

 

「二十人程度なら寝られる。水もある。食料もある」

 

日向が。

 

僅かに顔を上げる。

 

「魔法で保存されてる。俺たちの人数なら、一か月は問題ない」

 

「……一か月」

 

伊織が呟いた。

 

「外部との連絡は?」

 

冬真が訊く。

 

「今は分からん」

 

「ここがどこかは?」

 

「分からん」

 

「戻る方法は」

 

「それもこれから調べる」

 

また。

 

沈黙。

 

奎星が。

 

俯いたまま言う。

 

「……じゃあ」

 

声が。

 

掠れている。

 

「何もねえじゃん」

 

スズメが奎星を見る。

 

「俺ら……」

 

奎星の拳が。

 

また砂へ沈む。

 

「逃げてきただけじゃん」

 

「違う」

 

御影が。

 

即答した。

 

奎星が。

 

顔を上げる。

 

御影の目。

 

真っ直ぐ。

 

「違わないだろ」

 

「違う」

 

「学校取られた!」

 

奎星が立ち上がった。

 

「天ぷらも! 校長先生も! みんな置いてきた!」

 

「知ってる」

 

「なら!」

 

「知ってる!!」

 

御影の声が。

 

浜辺へ響いた。

 

奎星が止まる。

 

御影も。

 

怒っている。

 

隠していない。

 

左手。

 

強く。

 

握られている。

 

「俺だって今すぐ戻りたい」

 

低い声。

 

「九重院を連れ戻したい。教師たちを解放したい。生徒の頭ん中から、あの男を校長だと思ってるふざけた術式を引き剥がしたい」

 

御影の目が。

 

険しくなる。

 

「できるなら今この瞬間に神代の前へ戻って、ぶん殴ってやりたい」

 

奎星の目が。

 

少しだけ。

 

見開かれる。

 

杖ではなく。

 

ぶん殴る。

 

珍しい。

 

でも。

 

それほど。

 

怒っている。

 

「だが」

 

御影の声が。

 

変わる。

 

怒りが。

 

消えたわけではない。

 

その上へ。

 

別のものを。

 

置く。

 

冷静さ。

 

覚悟。

 

「今戻ったら負ける」

 

誰も。

 

否定できない。

 

「神代は学校の霊脈を取った。生徒の認識も書き換えた。教師も拘束されている。こっちの戦力も足りない」

 

指を。

 

一つ。

 

折る。

 

「敵の人数」

 

もう一つ。

 

「術式」

 

もう一つ。

 

「学校の中の状況」

 

さらに。

 

「外部との連絡」

 

「…………」

 

「何も分からない」

 

御影は。

 

言い切る。

 

「なら調べる」

 

日向が顔を上げる。

 

「一つずつ」

 

御影は言う。

 

「分からないなら調べる。足りないなら集める。弱いなら強くなる。敵の術式が分からないなら解く」

 

その言葉。

 

奎星は。

 

聞いたことがある気がした。

 

毎朝。

 

訓練場。

 

失敗。

 

「もう一回」

 

御影が。

 

何度も言う。

 

できない。

 

「もう一回」

 

失敗。

 

「もう一回」

 

負ける。

 

なら。

 

次。

 

同じ負け方を。

 

しない。

 

「準備期間は」

 

御影が言った。

 

「一か月を目安にする」

 

柊木が。

 

顔を上げた。

 

「一か月……」

 

「ああ」

 

「その間に、外部との連絡方法を探す」

 

スズメも。

 

御影を見る。

 

「学校の霊脈と、神代の認識改変について調べます」

 

「頼む」

 

「はい」

 

冬真が。

 

ゆっくり立ち上がる。

 

「俺たちは?」

 

御影が見る。

 

「休め」

 

「……それだけ?」

 

「今日だけだ」

 

冬真の目が。

 

僅かに変わる。

 

御影は。

 

生徒たちを見る。

 

奎星。

 

日向。

 

楓。

 

岳。

 

伊織。

 

冬真。

 

澪。

 

「明日から鍛える」

 

奎星の眉が。

 

動いた。

 

「今まで以上に」

 

日向が。

 

僅かに笑う。

 

疲れた。

 

どうしようもなく。

 

疲れている。

 

それでも。

 

その言葉は。

 

妙に。

 

御影だった。

 

「また朝早い?」

 

奎星が訊いた。

 

「当然だ」

 

「マジかよ……」

 

「嫌なら寝てろ」

 

「やるよ!」

 

即答。

 

御影の口元が。

 

ほんの少しだけ。

 

動く。

 

「そうか」

 

岳も。

 

ゆっくり身体を起こした。

 

「飯は?」

 

御影が見る。

 

「ある」

 

「一か月?」

 

「ある」

 

「ならいけます」

 

日向が。

 

思わず吹き出す。

 

「お前そこなんだ」

 

岳は。

 

真顔だった。

 

「大事だろ」

 

「……うん」

 

楓も。

 

少しだけ。

 

笑った。

 

伊織は眼鏡を押し上げる。

 

「外部との通信が見つからなかった場合は?」

 

「別の方法を作る」

 

「方法が分からなかったら?」

 

「調べる」

 

「調べても分からなかったら?」

 

御影が。

 

伊織を見る。

 

「お前も考えろ」

 

伊織の口元が。

 

少しだけ上がる。

 

「はい」

 

澪が。

 

柊木を見る。

 

「先生」

 

「はい」

 

「白峰にも知らせないと」

 

「ええ」

 

柊木は。

 

初めて。

 

はっきりと頷いた。

 

「必ず」

 

スズメが。

 

奎星を見る。

 

砂まみれ。

 

目も赤い。

 

膝も。

 

まだ痛そう。

 

でも。

 

さっきまで。

 

砂へ拳を埋めていた少年が。

 

立っている。

 

奎星が。

 

御影を見る。

 

「先生」

 

「何だ」

 

「俺」

 

神代。

 

夢。

 

ありもしない未来。

 

自分の力。

 

学校。

 

天ぷら。

 

全部。

 

胸の中へある。

 

「もっと強くなる」

 

御影は。

 

すぐには答えなかった。

 

「…………」

 

そして。

 

言う。

 

「強いだけじゃ駄目だ」

 

奎星が。

 

一瞬止まる。

 

それから。

 

少し笑った。

 

「知ってる」

 

「ならいい」

 

御影は。

 

全員を見る。

 

誰も。

 

完全には立ち直っていない。

 

楓も。

 

まだ日向の支えが必要だ。

 

伊織も。

 

岳も。

 

消耗している。

 

澪は。

 

自分の学校でもない場所のために。

 

ここまで来た。

 

冬真も。

 

門に二度も囚われた。

 

スズメも。

 

自分の教師の心へ入り。

 

無理をした。

 

柊木も。

 

白峰の生徒を守りながら。

 

この場所にいる。

 

そして。

 

自分も。

 

負けた。

 

九重院を。

 

置いてきた。

 

学校を。

 

守れなかった。

 

けれど。

 

御影は。

 

思い出す。

 

宿舎。

 

歴代校長の写真。

 

あの言葉。

 

――校舎を失っても、学校は失われない。

 

――教える者がいて。

 

――学ぶ者がいて。

 

――共に明日を望むかぎり。

 

――そこが、学校である。

 

御影は。

 

ゆっくり。

 

周囲を見た。

 

生徒がいる。

 

教師がいる。

 

なら。

 

「……そういうことか」

 

「何?」

 

奎星が訊く。

 

「いや」

 

御影は。

 

海を見る。

 

遠い。

 

どこにあるのかも分からない。

 

この海の向こうに。

 

マホウトコロがある。

 

神代冥司が。

 

いる。

 

今。

 

あの男が。

 

校長を名乗っている。

 

「奪われた」

 

御影が言った。

 

全員が見る。

 

「校舎も」

 

風が。

 

黒灰色の長衣を揺らす。

 

「生徒も」

 

左頬の傷。

 

「仲間も」

 

拳が。

 

ゆっくり。

 

握られる。

 

「全部」

 

奎星が。

 

御影を見る。

 

「だから」

 

御影玄一郎は。

 

真っ直ぐ立った。

 

四十七年前ではない。

 

十二歳でもない。

 

失った過去を取り戻すためでもない。

 

今。

 

まだ。

 

取り戻せるもののために。

 

「全部、取り返す」

 

誰も。

 

声を出さなかった。

 

御影は続ける。

 

「今日、俺たちは負けた」

 

認める。

 

逃げない。

 

「マホウトコロは神代冥司に奪われた」

 

奎星の拳が。

 

握られる。

 

日向も。

 

冬真も。

 

澪も。

 

全員。

 

聞く。

 

「だが」

 

御影の目には。

 

もう。

 

絶望はなかった。

 

怒りだけでもない。

 

それより。

 

ずっと。

 

強いもの。

 

「一回負けたくらいで終わるほど」

 

風が。

 

強く吹いた。

 

「俺は、生徒に教えてない」

 

奎星の目が。

 

大きくなる。

 

御影は。

 

ほんの少しだけ。

 

笑った。

 

「準備しろ」

 

杖を抜く。

 

海の向こうへ。

 

その先にある。

 

奪われた学校へ。

 

向ける。

 

「ここからだ」

 

そして。

 

御影玄一郎は。

 

はっきりと。

 

宣言した。

 

「マホウトコロ奪還作戦を始める」

 

誰も。

 

もう。

 

俯いていなかった。

 

海の向こう。

 

見えない場所で。

 

学校は。

 

敵の手にある。

 

だから。

 

取り戻す。

 

先生と。

 

生徒で。

 

もう一度。

 

シーズン3 星迎祭と黒曜の門

 

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