マホウトコロ   作:西野圭吾

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第3話 星帰り

 

「御影先生!」

 

古い訓練場へ駆け込んできた伊織の声に、全員が振り返った。

 

外周を終えたばかりの奎星たちは地面へ座り込み、柊木は次の訓練について御影と話していた。そこへ飛び込んできた伊織は、肩で息をしながら、眼鏡を押し上げる暇すらなく叫ぶ。

 

「通信です!」

 

御影の表情が変わった。

 

「誰だ」

 

「真壁さんです!」

 

次の瞬間、御影玄一郎は走っていた。

 

「…………え?」

 

奎星が目を丸くする。

 

速い。

 

いや、そんなことより、走り方がおかしい。

 

普段の御影なら、何があっても必要以上に慌てることはない。生徒が危険な目に遭っていても、顔を険しくすることはあっても、動きそのものは常に最短で、無駄がない。

 

その御影が、今は明らかに急いでいた。

 

古い石造りの建物へ向かって、本気で走っている。

 

「御影先生が……走ってる……」

 

日向が呆然と呟く。

 

「いや、いつも走るでしょ」

 

楓が言う。

 

「そういう意味じゃなくて! あんな必死に走ってんの初めて見た!」

 

柊木は何も言わなかった。ただ、遠ざかっていく御影の背中を見て、ほんの少しだけ目を細める。

 

「行きましょう」

 

その一言で、生徒たちも立ち上がった。

 

 

地下の通信室へ、御影が階段を駆け下りていく。最後の数段はほとんど飛ぶように降り、開け放たれていた扉を潜った。

 

そこにはスズメがいた。

 

そして中央の石台。銀白色に輝く術式の向こうへ、男の姿が映っていた。

 

濃紺の魔法省制服。坊主頭。顎から口元を覆う髭。見慣れた姿だった。十二年前から、ほとんど変わらない。ただ、少し白いものが増えた。

 

「…………」

 

御影は入口で足を止めた。

 

石台の向こうで、真壁征士郎も同じように黙っている。

 

数秒、何も言わない。

 

お互いが生きていることを、確かめるように。

 

御影の肩から、ほんの僅かに力が抜けた。そして、いつもの仏頂面へ戻る。

 

「……相変わらず疲れた顔してるな」

 

真壁が眉を寄せる。

 

『それはお前もだ、玄一郎』

 

「俺は元からだ」

 

『自覚があるなら少し直せ』

 

「お前に言われたくない」

 

真壁の口元が少しだけ上がった。

 

御影も笑ったわけではない。けれど、スズメには分かった。安心している。

 

今まで見たことがないほど走ってきて、顔を見た途端、ほんの少しだけいつもの御影玄一郎に戻った。

 

「御影先生!」

 

後ろから足音が響く。

 

奎星、日向、楓、岳、澪、冬真。その最後に、柊木と伊織も入ってくる。

 

狭い部屋へ一気に人が増えた。

 

『おい、全員来たのか』

 

真壁が苦笑する。

 

奎星が石台の前へ割り込んだ。

 

「真壁さん!」

 

『近い』

 

「生きてた!」

 

『君たちもな』

 

「当たり前じゃん!」

 

『当たり前ではないだろう』

 

真壁の声は呆れていたが、その顔にははっきりと安堵があった。

 

一人、二人、三人。楓、岳、伊織。門へ入ったことを聞いていた三人もいる。

 

全員、いる。

 

真壁は一度だけ目を閉じた。

 

『……よかった』

 

小さな声だった。

 

奎星が笑う。

 

「真壁さん、なんか顔やべえぞ。寝てる?」

 

『寝てない』

 

「やっぱり」

 

『君にだけは生活習慣を心配されたくない』

 

「なんで!?」

 

「蓮根」

 

御影の声が飛ぶ。

 

「黙れ」

 

「はい」

 

一瞬で静かになる。

 

真壁の表情も変わった。

 

ここからは、報告だった。

 

 

「こっちから話す」

 

御影が石台の前へ立つ。

 

「門の内部で、黒曜の環の構成員と思われる連中と交戦した」

 

『何人だ』

 

「正確には分からん。空間を分断され、三組に分けられた」

 

御影と柊木。奎星とスズメ。日向、澪、冬真。それぞれ別の場所で敵と戦った。

 

御影は簡潔に説明していく。

 

「俺と柊木の相手は黒曜石の術式を複数使っていた。制圧した。蓮根と烏丸も一人を倒した」

 

『澄か』

 

奎星が反応する。

 

「知ってんの?」

 

『記録で名前だけは追えている。続けろ』

 

御影が頷く。

 

「朝比奈たちも突破した。その後、水無瀬、榊、岩戸を発見。全員連れて門の外へ戻った」

 

真壁の目が一瞬だけ柔らかくなる。

 

しかし、御影の次の言葉で、また険しくなった。

 

「戻ったときには、全部終わっていた」

 

部屋が静まる。

 

誰も、あの光景を忘れていない。

 

神代冥司。自分の学校の正面。倒れている九重院。拘束されている教師たち。そして、自分たちへ敵を見る目を向けた生徒たち。

 

「門の中での戦闘も」

 

御影が低く言う。

 

「俺たちを足止めすること自体が目的だった可能性が高い」

 

真壁が頷いた。

 

『同意する』

 

「敵は強かった。だが」

 

御影の目が細くなる。

 

「あれで俺たちを倒し切るつもりだったとは思えん」

 

柊木も静かに頷く。

 

「戦闘時間を稼ぐこと。私たちを学校から隔離すること。その二つが優先されていたように感じました」

 

『その間に』

 

真壁が言う。

 

『神代が動いた』

 

御影の顔が硬くなる。

 

「話せ」

 

今度は、真壁が報告する番だった。

 

『お前たちが門へ入った後、神代冥司本人がマホウトコロへ現れた』

 

「どこからだ」

 

『分からん』

 

御影の眉間へ皺が刻まれる。

 

『転移術だ。少なくとも私にはそう見えた。外周結界の破損も、通常の侵入経路を使った痕跡もない。気づいたときには校庭にいた』

 

「……直接か」

 

『ああ』

 

柊木の表情も険しくなる。

 

マホウトコロへ外部から直接転移する。それ自体が異常だった。

 

真壁は続ける。

 

『早瀬、高宮、土御門の三人が先に接触した』

 

御影の目が動く。

 

『数秒だった』

 

「…………」

 

『全員やられた』

 

奎星たちは何も言えなかった。

 

あの三人は、自分たちが日頃授業を受けている教師だ。弱いわけがない。

 

それを、数秒。

 

『その後、九重院校長が神代と交戦した』

 

御影は黙って聞く。

 

真壁は、見たままを話した。

 

九重院が神代と正面から戦ったこと。盾、拘束、気絶呪文。地形そのものを利用した連続攻撃。神代を校舎正面まで吹き飛ばしたこと。

 

「……校長が押していた?」

 

澪が思わず訊く。

 

『少なくとも、正面からの戦闘ではな』

 

真壁は迷わず答えた。

 

『神代本人も、九重院校長を正面から倒すのは面倒だと言っていた』

 

御影は何も言わない。

 

驚いてはいなかった。

 

あの人なら、そうだろう。

 

ただ、続きがある。

 

『その直後だ』

 

真壁の声が重くなる。

 

『神代は九重院校長ではなく、地面へ魔法を撃った』

 

御影の目が鋭くなる。

 

「地面?」

 

『ああ』

 

「どんな魔法だ」

 

『分からん。見たことがない。赤黒い魔力だった。地面の奥へ潜っていった』

 

真壁は一度言葉を切った。

 

『それから、すべてがおかしくなった』

 

空気が重くなる。

 

『生徒たちが神代を校長と呼び始めた』

 

奎星の拳が握られる。

 

『九重院校長を敵として認識した。教師たちもだ。九重院校長は、生徒を攻撃できなかった』

 

誰も口を開かない。

 

『それで倒された』

 

御影の目が伏せられる。

 

ほんの一瞬だけ。

 

それから。

 

「九重院は」

 

『生きている』

 

真壁が即答する。

 

『少なくとも私が離脱した時点では、生きていた』

 

御影が短く息を吐いた。

 

『校長が残した折り鶴で、私はここまで来た。お前たちを常隠島へ送ったのも、あの人の仕込みだ』

 

御影は懐へ手を入れた。

 

今はもう光を失った、白い紙の小さな折り鶴を取り出す。

 

それを見る。

 

「……相変わらずだな」

 

『ああ』

 

九重院紫苑は、倒される直前まで、その後のことを考えていた。

 

 

しばらく、誰も言葉を発しなかった。

 

御影は石台の上へ浮かぶ術式を見ている。真壁が話した内容。神代の転移。九重院との戦闘。地面。赤黒い魔力。直後の生徒たちの認識変化。

 

守護霊。黒い靄。鬼火鳥。神代榊。霊脈。

 

「…………」

 

御影の右手が、ゆっくり顎へ触れた。人差し指が顎に添えられ、目が細くなる。

 

奎星が横を見る。

 

「御影先生?」

 

反応がない。

 

「御影先生」

 

何もない。

 

「おーい」

 

御影の視線は石台へ向いている。だが、見ていない。頭の中でもっと別のものを見ている。

 

奎星が真壁の映像を見る。

 

「壊れた?」

 

『放っておけ』

 

「え?」

 

『玄一郎は考え事を始めると聞かないんだ』

 

真壁は慣れた声だった。

 

『昔からそうだ。声をかけても無駄だ』

 

「先生ってそんな感じだったの?」

 

『むしろ今より酷かった』

 

「おい」

 

御影が突然言う。

 

奎星がびくっとする。

 

「聞いてたの!?」

 

「うるさい」

 

「どっちだよ!」

 

御影はもう奎星を見ていなかった。

 

「征士郎」

 

『何だ』

 

「お前」

 

御影の目が鋭くなる。

 

「生徒を戻すときに守護霊を使ったな」

 

真壁が少し止まる。

 

『門へ引き寄せられていたときか?』

 

「ああ」

 

『使った。私の狼と、蓮根君の鴉だ』

 

奎星も思い出す。

 

星迎祭の校庭。真壁の巨大なニホンオオカミ。その後ろを飛んだ、自分の銀の鴉。守護霊が近づいた生徒から、黒い靄が抜けた。

 

御影の指が、また顎へ触れる。

 

「……元に戻す」

 

真壁が眉を寄せた。

 

『何?』

 

「生徒を元に戻す」

 

『玄一郎』

 

「神代が地面へ撃った」

 

御影の声が、少しずつ速くなる。

 

「地面の下へ魔法が流れた。直後に、校内の生徒全体へ認識異常が出た」

 

真壁の顔が変わる。

 

御影は続けた。

 

「マホウトコロの地面の下には霊脈がある」

 

奎星、岳、伊織、楓。全員が夏休みの出来事へ繋がる。

 

鬼火鳥。青白い炎。神代榊が示した方角。

 

「鬼火鳥は霊脈を辿って移動する」

 

御影が言う。

 

「蓮根家も昔から、その流れを知っていた」

 

伊織がすぐに理解した。

 

「神代は霊脈を利用した?」

 

「可能性は高い」

 

「学校全体へ?」

 

「ああ」

 

御影は地面を見る。ここではない、遠く離れたマホウトコロの地面を。

 

「何を流したかまでは分からん。黒曜石に使っていた魔力か、古代魔術を組み込んだ術式か。だが」

 

目が上がる。

 

「神代は霊脈を使って、生徒全体へ何かを流した」

 

真壁の声が低くなる。

 

『……だとしたら』

 

御影が頷く。

 

「逆もできるかもしれん」

 

「逆?」

 

奎星が訊く。

 

御影が呟く。

 

「元に戻す……」

 

『何を考えている』

 

「守護霊だ」

 

真壁が黙った。

 

御影の目が、石台の向こうの古い友人を捉える。

 

「守護霊の魔法は、あの黒い靄に効いた」

 

『ああ』

 

「生徒一人ずつへ使えば、解除できる可能性がある」

 

『だが数が多すぎる』

 

「だから一人ずつやらない」

 

真壁の目が大きくなる。

 

御影が言った。

 

「霊脈に流す」

 

沈黙。

 

奎星たちは、まだ意味を理解できていない。

 

だが、真壁、スズメ、柊木の三人の大人は、すぐに分かった。

 

『……まさか』

 

真壁が呟く。

 

御影は止めない。

 

「神代が霊脈を使って術式を学校全体へ走らせたなら、同じ経路を使う」

 

『守護霊を』

 

「ああ」

 

『マホウトコロ全体へ?』

 

「可能性にすぎん」

 

御影は断言しなかった。

 

「神代の術式がどういうものか分からん。守護霊だけで完全に解除できる保証もない」

 

『だが』

 

真壁の顔が明らかに変わっていく。考えている。組み立てている。

 

『可能性はある』

 

「だろ」

 

『門へ引き寄せられていた生徒へは効いた。同じ黒曜由来の精神干渉なら』

 

「ああ」

 

『……みんなが戻る可能性はある』

 

奎星の顔が明るくなる。

 

「じゃあやろうぜ!」

 

真壁が即座に言った。

 

『簡単に言うな』

 

「え?」

 

『マホウトコロの霊脈だぞ』

 

真壁の声が重い。

 

『南硫黄島一帯を通り、学校の結界や古い術式にまで影響している規模だ。そこへ守護霊を流し込んで、全域を走らせるなんて』

 

一拍。

 

『普通の魔法量じゃ無理だぞ』

 

「…………」

 

普通の魔法量。

 

沈黙。

 

真壁、御影、柊木、スズメ、伊織、冬真、楓、澪、日向、岳。

 

一人、また一人と、同じ方向を見る。

 

最後には、全員が蓮根奎星を見ていた。

 

「…………」

 

奎星は左右を見る。後ろを見る。もう一度、全員を見る。

 

「……なに?」

 

誰も答えない。

 

奎星が自分を指差す。

 

「俺?」

 

「お前だ」

 

御影が言う。

 

「何が!?」

 

「霊脈へ守護霊を流す」

 

「待って待って待って、話飛んだ!」

 

「飛んでない」

 

「俺まだ理解してない!」

 

「理解しろ」

 

「今!?」

 

御影はスズメを見た。

 

「烏丸」

 

「はい」

 

「蓮根の守護霊術をもっと磨かせろ」

 

奎星が止まる。

 

「え」

 

「この島にも、マホウトコロほどの規模ではないが霊脈はあるはずだ」

 

スズメも石台へ刻まれた古代文字を見る。

 

「訓練に利用するのですね」

 

「ああ。小規模で試す。守護霊を出すだけじゃない。流れへ乗せ、形を崩さず、可能な限り遠くまで走らせる」

 

「分かりました」

 

即答だった。

 

奎星が二人を見る。

 

「ちょっと待って」

 

スズメの表情は真剣だった。

 

けれど、別の懸念が浮かぶ。

 

「御影先生」

 

「何だ」

 

「それは、かなり危険です」

 

「ああ」

 

「神代の術式が霊脈そのものへ残っているなら」

 

スズメは奎星を見る。

 

「こちらから守護霊を流すということは、向こうとも繋がることになります」

 

奎星の笑顔が消える。

 

「つまり?」

 

「神代の術式が逆流する可能性があります」

 

日向が眉を寄せた。

 

「逆流?」

 

「蓮根君の精神へ」

 

沈黙。

 

御影は驚かなかった。最初から、そこまで考えていた。

 

「ああ」

 

奎星が御影を見る。

 

「『ああ』じゃないんだけど」

 

「精神へ入ってくる可能性は高い」

 

「何それ怖っ!」

 

御影は平然としている。

 

「だから閉心術も覚えろ」

 

「…………へ?」

 

「守護霊を使いながら、自分の精神を閉じる」

 

奎星の口が開く。

 

「同時に?」

 

「ああ」

 

「二個?」

 

「ああ」

 

「俺が?」

 

「ああ」

 

「いつまでに?」

 

「奪還までに」

 

「無茶じゃない!?」

 

御影は何も言わない。

 

スズメが静かに頷いた。

 

「分かりました」

 

奎星が勢いよく振り向く。

 

「分かったの!?」

 

「覚えさせます」

 

「なんなの!? それ!」

 

「必要です」

 

「スズメちゃんまで!」

 

「烏丸先生です」

 

「今そこ!?」

 

真壁が石台の向こうで額を押さえていた。

 

『……大丈夫なのか』

 

御影が答える。

 

「やらせる」

 

『質問への答えになってない』

 

「やる」

 

「俺の意思は!?」

 

御影が見る。

 

「嫌か」

 

奎星が止まる。

 

学校。神代。九重院。友達。

 

数秒。

 

「…………やる」

 

「なら決まりだ」

 

「聞く意味あった!?」

 

「ある」

 

「どこに!?」

 

少しだけ、部屋の緊張が緩んだ。

 

だが、やることは決まった。

 

 

真壁が記録用の紙へ何かを書き込む。

 

『こちらも動く』

 

全員の目が石台へ戻る。

 

『信用できる人間を集める』

 

御影が頷く。

 

『禍祓官だ。現役、退役は問わん』

 

「現役は慎重に選べ」

 

『分かっている』

 

魔法省内部に、黒曜の環へ情報を流している人間がいる可能性。一人なのか、複数なのか。役職は、部署は。何も分からない。

 

『昔一緒に仕事をした人間を中心に当たる。組織ではなく、一人ずつ私が判断する』

 

柊木が一歩前へ出た。

 

「白峰にもいます」

 

真壁が彼女を見る。

 

「協力してくれる教員。卒業生にも、実戦経験のある魔法使いがいます」

 

柊木は御影へ顔を向けた。

 

「御影先生。以前お渡ししたものを持っていますね?」

 

御影は懐へ手を入れる。

 

取り出したのは、掌ほどの薄い金属板。白峰魔法学校の紋章と、細かな魔法陣が刻まれている。

 

奎星が目を見開く。

 

「あ、それ」

 

澪も気づく。

 

「火映しの主座標」

 

御影が頷いた。

 

「持ってる」

 

「この場所から返し標を経由すれば、火映しの術式へ接続できるかもしれません」

 

伊織が石台へ近づく。

 

「理屈としてはできると思います。この石台、外部術式との同期を前提に作られてる」

 

「なら白峰へ連絡を取ります」

 

柊木の声が静かに強くなる。

 

「こちらだけで戦う必要はありません」

 

御影が短く頷いた。

 

「頼む」

 

 

それから、真壁が少しだけ黙った。

 

さっきまでとは違う沈黙だった。何かを言おうとしている。

 

スズメが気づく。

 

「真壁さん?」

 

『……それから』

 

真壁は一度、全員を見る。

 

『みんな、落ち着いて聞いてくれ』

 

御影の目が僅かに動いた。

 

嫌な予感ではない。もっと別のものだった。

 

『今話した通り、魔法省はもはや全面的には信用できない』

 

誰も否定しない。

 

『だから私は、組織の外にいる人間にも協力を求めている』

 

一拍。

 

『今』

 

真壁が言った。

 

『斎賀玄弥に協力してもらっている』

 

空気が変わった。

 

「…………は?」

 

岳が最初に声を出した。

 

その顔から一瞬で血の気が引き、次に怒りが浮かんだ。

 

「斎賀だと!?」

 

奎星も、日向も、楓も、伊織も表情が変わる。

 

夏休み。山。鬼火鳥。黒曜の狩人。そして、御影と戦った男。

 

スズメの顔から表情が消えた。

 

けれど、目だけが冷たくなる。

 

斎賀玄弥。

 

彼の率いた黒曜の狩人たちは、鬼火鳥を傷つけた。捕らえた。尾羽を奪った。奎星を狙った。自分たちへ魔法を向けた。

 

そして、御影玄一郎を本気で殺しかねない戦いへ引きずり込んだ。

 

許せるか。そんな簡単な話ではない。

 

御影も黙っていた。

 

「…………玄弥が」

 

小さな声。

 

真壁だけが、そこに混ざった感情を知っている。

 

怒り。困惑。痛み。

 

そして、ほんの僅かに隠しきれないもの。

 

安堵。

 

十二年前、帰ってこなかった。探しても見つからなかった。もう一度、敵として会った。

 

その男が今、少なくともこちら側へ戻ろうとしている。

 

御影にとって、簡単に喜べることではない。

 

それでも、嬉しくないはずがなかった。

 

岳が一歩前へ出た。

 

「ふざけんな!」

 

石室へ声が響く。

 

「岳」

 

伊織が見る。

 

だが、今度は止めなかった。

 

岳の拳は震えている。

 

「あんな奴、協力させんのかよ!」

 

『岩戸君』

 

「あいつらが鬼火鳥に何したか見ただろ!」

 

真壁は答えない。

 

岳は止まらない。

 

「足枷つけて! 羽むしって! 傷つけて!」

 

夏の山。動けない鬼火鳥。短く切られた尾羽。脚につけられた違法な拘束具。

 

岳は、誰より近くであの鳥たちを世話した。

 

「奎星だって狙われた!」

 

奎星が岳を見る。

 

「岳」

 

「俺は許せねえ!」

 

「岳!」

 

奎星が肩を掴んだ。

 

岳が振り払おうとする。だが、奎星は離さなかった。

 

「離せ!」

 

「落ち着けって!」

 

「お前は平気なのかよ!」

 

「平気じゃねえよ!」

 

声がぶつかった。

 

岳が止まる。

 

奎星も笑っていない。

 

「あいつらに殺されかけたんだぞ!」

 

「分かってる!」

 

「じゃあ!」

 

「でも!」

 

奎星の手に力が入る。

 

「学校取り戻すんだぞ!」

 

全員が見る。

 

「神代と真正面から戦うんだ!」

 

奎星の声は大きかった。

 

「味方は一人だって多いほうがいいだろ!」

 

「…………奎星」

 

「俺だって忘れてねえよ」

 

奎星の声が少しだけ低くなる。

 

「夏休みのことも。鬼火鳥のことも。御影先生とあいつが戦ったことも」

 

御影の目が奎星へ向く。

 

「許したわけじゃない」

 

その言葉だけは、はっきり言った。

 

「でも」

 

奎星は石台を見る。

 

真壁。

 

「真壁さんが」

 

一拍。

 

「信じるって決めたんだろ」

 

真壁の瞳が僅かに揺れる。

 

奎星は続ける。

 

「だったら」

 

岳を見る。

 

「俺らは真壁さんを信じよう」

 

「…………」

 

岳は何も言わない。

 

奎星の手。自分の肩。石台の向こうの真壁。

 

長い沈黙。

 

真壁はその言葉を聞きながら、別の病室を思い出していた。

 

一学期。第零書庫事件のあと。まだ傷だらけだった少年。

 

――でも、信じるって決めたら信じたいじゃん。

 

あのとき、自分はもう少し人を疑えと言った。久我に裏切られたばかりだったから。簡単に人を信じるなと。

 

それでも、奎星は真壁を信じた。

 

御影が信じる人間だから。実際に話したから。それだけで。

 

そして今、同じ少年が真壁自身へ、その言葉を返している。

 

『……全く』

 

真壁が小さく呟く。

 

奎星が見る。

 

「何?」

 

『いや』

 

真壁はほんの少し笑った。

 

『何でもない』

 

全く。

 

この子は。

 

十二年前に失った友人を信じようと決めた自分を、今度は十七歳の少年に肯定されるとは思わなかった。

 

岳は長く息を吐いた。

 

拳はまだ握られている。怒りも消えていない。

 

「……俺は」

 

低い声。

 

「許さねえからな」

 

奎星が頷く。

 

「うん」

 

「協力するからって、やったこと消えねえからな」

 

「うん」

 

「鬼火鳥に謝ったって足りねえ」

 

「それは本人に言え」

 

「言う」

 

「おう」

 

岳は奎星の手を振り払った。

 

今度は、怒りに任せた動きではなかった。

 

スズメも何も言わない。

 

許してはいない。自分も同じだ。

 

ただ、今、戦う相手は別にいる。

 

御影が石台を見る。

 

「征士郎」

 

『何だ』

 

「玄弥は」

 

一度、言葉が止まる。

 

「……協力すると言ったのか」

 

『ああ』

 

真壁は迷わず答えた。

 

『自分からな』

 

「そうか」

 

それだけ。

 

御影は、それ以上何も言わなかった。

 

けれど、拳が一度だけ小さく握られた。

 

 

真壁は机へ一枚の紙を広げた。

 

『では』

 

全員の表情が変わる。

 

『現時点での作戦を共有する』

 

奎星も岳も、切り替えた。

 

『もちろん、味方を必要数集められた場合を前提とする。霊脈の構造もまだ調べる必要がある。神代の術式が本当に守護霊で解除できるかも確定ではない』

 

真壁は最初から、不確定なものを不確定なまま話す。

 

『そのうえで』

 

紙の中央へ、マホウトコロ。

 

『第一目標。学校への侵入』

 

その周囲に、黒曜の環と支配された生徒。

 

『第二目標。神代の術式を受けている生徒の解放』

 

そして中心に。

 

『蓮根君』

 

「はい」

 

『君がマホウトコロの霊脈へ守護霊を流す』

 

奎星が今度はふざけず頷いた。

 

『その間』

 

線が一本、奎星の周囲へ引かれる。

 

『全員で君を守る』

 

日向、楓、岳、伊織、澪、冬真。全員が奎星を見る。

 

「全員って」

 

奎星が少し笑う。

 

「なんか俺、姫みたいじゃん」

 

「黙って守られなさい」

 

楓が即答する。

 

「嫌だなその言い方!」

 

「実際そうでしょう」

 

「俺も戦いたい!」

 

冬真が笑う。

 

「守護霊と閉心術を同時にやりながら?」

 

「…………」

 

「さらに決闘?」

 

「…………無理かも」

 

「だろうね」

 

「冬真先輩、圧が優しい!」

 

御影が紙を見る。

 

「問題は護衛だ」

 

真壁も頷く。

 

『ああ』

 

「黒曜の環の構成員はいる」

 

門の中で、御影、柊木、奎星、スズメがそれぞれ戦った相手。学生の強さではない。

 

「学生を主戦力にするな」

 

御影がはっきり言う。

 

奎星たちも反論しなかった。

 

ここ数日、身に染みている。

 

自分たちは強くなっている。冬真、楓、澪。学生の中では抜けている。奎星も異常な速さで成長している。

 

それでも、御影や柊木、真壁、そして斎賀。十年以上、二十年以上、本物の戦場を生きてきた大人たちとは、まだ違う。

 

「黒曜の環の相手は禍祓官が必要だ」

 

御影が言う。

 

「現役、退役。そっちを主軸にする」

 

真壁が頷く。

 

『蓮根君たちの仕事は、神代の術を解除することだ』

 

「勘違いするな」

 

御影が生徒たちを見る。

 

「お前たちに敵の主力を倒せと言っているわけじゃない」

 

奎星が口を尖らせる。

 

「分かってる」

 

「ならいい」

 

『そして』

 

真壁が紙の一番上を見る。

 

『最大の問題』

 

言わなくても、全員分かっている。

 

神代冥司。

 

真壁が名前を書く。

 

部屋の空気がまた重くなる。

 

『仮に生徒全員を元へ戻せたとしても』

 

御影が言う。

 

「神代を倒せるわけじゃない」

 

『ああ』

 

「むしろ術式を潰せば、確実に蓮根を狙う」

 

奎星の顔から笑みが消える。

 

神代冥司。九重院と真正面から渡り合った男。教師三人を数秒で無力化した。

 

御影が腕を組む。

 

「俺一人でも厳しい」

 

奎星が御影を見る。

 

御影玄一郎が自分からそう言う。それだけで、相手がどれほど異常か分かる。

 

柊木が静かに口を開いた。

 

「ですが」

 

全員が見る。

 

「それを倒せるのが誰なのか」

 

柊木は御影、そして石台の向こうの真壁、二人を見る。

 

「お二人とも、もう分かっているのではないですか?」

 

沈黙。

 

御影の目が真壁を見る。

 

真壁も御影を見る。

 

二人は同じものを考えていた。

 

十二年前。

 

どんな危険な任務でも、三人で出た。

 

一人が前へ出すぎれば、一人が戻す。一人が慎重になりすぎれば、もう一人が先へ行く。誰かが失敗すれば、残り二人が埋める。

 

実力だけなら近かった。

 

ずっと、三人で戦った。

 

そして、三人で帰った。

 

その形は、十二年前に壊れた。

 

真壁がゆっくり口を開く。

 

『……ああ』

 

御影は何も言わない。

 

真壁の目が、まっすぐ御影を捉える。

 

『私と』

 

一拍。

 

『玄一郎と』

 

もう一拍。

 

『玄弥』

 

その名前だけ、少し重い。

 

『斎賀玄弥』

 

真壁征士郎が静かに言った。

 

『三人で神代と戦う』

 

誰も声を出さなかった。

 

御影は、石台の向こうにいる古い友人を見る。

 

「…………」

 

十二年前。最後の任務。人質。崩れる施設。一人残った斎賀。

 

その後、何度も夢に見た。

 

三人でもう一度戦う日を。

 

そんなものは、二度と来ないと思っていた。

 

実際、斎賀は敵として戻った。

 

御影自身が、その男を倒した。拘束した。

 

もう、昔へは戻れない。

 

それでも。

 

「玄一郎」

 

柊木が呼ぶ。

 

御影は目を閉じる。

 

ほんの一瞬。

 

そして、開く。

 

「……異論はない」

 

短い言葉だった。

 

だが、真壁には十分だった。

 

 

奎星は御影を見る。真壁を見る。また御影を見る。

 

それから、隣のスズメへ身体を寄せた。

 

「スズメちゃん」

 

「何ですか」

 

奎星は声を落とす。

 

「やっぱ三人って昔すごかったの?」

 

「…………」

 

スズメが奎星を見る。

 

「今、それを訊きます?」

 

「気になるじゃん」

 

「空気を読んでください」

 

「小声じゃん」

 

スズメは小さくため息をつく。だが、答えた。

 

「凄かったですよ」

 

奎星の目が光る。

 

「どんくらい?」

 

「当時の日本魔法界で、御影玄一郎、真壁征士郎、斎賀玄弥の名を知らない者は、ほとんどいませんでした」

 

「マジ?」

 

「特に禍祓官や実戦に関わる魔法使いなら、なおさらです」

 

スズメは石台の向こうの真壁を見る。そして、御影を見る。

 

「三人とも、単独でも非常に優秀でした」

 

十二年前、三人は最も多く、最も危険な現場へ出ていた。

 

「ですが」

 

スズメの声が少しだけ柔らかくなる。

 

「三人でいるときが、一番強かった」

 

奎星が黙る。

 

「斎賀さんが前へ出る。御影先生がその穴を埋める。御影先生が追い込みすぎれば真壁さんが止める。真壁さんが慎重になりすぎれば斎賀さんが先へ出る」

 

「…………」

 

「そういう三人だったそうです」

 

奎星が小さく呟く。

 

「すげえ……」

 

スズメは少し笑う。

 

「当時は」

 

一拍。

 

「《最強の三人》と呼ぶ人もいました」

 

奎星の顔が完全に少年のものへ戻った。

 

「うわ、カッケえ……」

 

「蓮根」

 

御影が言う。

 

「聞こえてるぞ」

 

「すみません」

 

「余計なことを教えるな、烏丸」

 

「事実です」

 

「おい」

 

真壁が石台の向こうで、少しだけ笑っていた。

 

『懐かしい呼び方だな』

 

「お前まで乗るな」

 

『私は何も言っていない』

 

「顔が言ってる」

 

『お前、そういうの分かるようになったんだな』

 

「切るぞ」

 

『待て』

 

奎星が笑う。

 

日向も、楓も、少しだけ肩の力が抜ける。

 

これから神代冥司と戦う。その事実は変わらない。

 

けれど、戦えるかもしれない。

 

初めて、そんな形が見え始めていた。

 

 

「じゃあさ」

 

日向が手を上げる。

 

全員が見る。

 

「これ、作戦名とかないの?」

 

沈黙。

 

御影が眉を寄せる。

 

「要るか?」

 

「要るでしょ!」

 

「要らん」

 

「絶対いる!」

 

奎星が乗る。

 

「そういうの大事じゃん!」

 

「何が大事なんだ」

 

「士気!」

 

「お前が今覚えた言葉だろ」

 

「違う!」

 

楓が呆れた顔をする。

 

「どうせ二人とも変なのつけるんだからやめなさい」

 

岳が腕を組む。

 

「学校取り返す作戦でいいだろ」

 

伊織が即座に返す。

 

「そのまますぎる」

 

「じゃ奪還作戦」

 

「変わってない」

 

澪が少し考える。

 

「マホウトコロ奪還作戦」

 

「岳から一文字しか進化してないよ」

 

冬真が笑う。

 

柊木まで少し楽しそうに見えている。

 

真壁は困惑していた。

 

『今決める必要があるのか?』

 

「ある!」

 

奎星と日向が同時に答える。

 

御影が深いため息をついた。

 

「勝手にしろ」

 

「よし!」

 

許可ではない。放棄だった。

 

それでも、奎星たちには十分だった。

 

「黒曜ぶっ潰し作戦」

 

日向。

 

「却下」

 

楓。

 

「なんで!?」

 

「頭が悪そう」

 

「じゃあ楓考えろよ!」

 

「そうね……」

 

楓も少し考える。

 

「帰還作戦?」

 

「普通」

 

澪。

 

「じゃあ反攻作戦」

 

伊織。

 

「役所っぽい」

 

奎星。

 

「お前が言う?」

 

「星迎祭から始まったんだよな」

 

冬真が何気なく言った。

 

そこで、奎星が止まった。

 

星迎祭。

 

楽しかった。

 

三門巡り。クィディッチ。屋台。白峰の生徒たち。

 

笑って、競って。

 

次の日には、全部奪われた。

 

星を迎える祭り。

 

自分たちは、そこから学校を追われた。

 

奎星が顔を上げる。

 

「……星帰り」

 

「え?」

 

日向が見る。

 

奎星は、自分でも確かめるように言う。

 

「星迎祭で、学校取られたじゃん」

 

「うん」

 

「だったら」

 

石台。その向こう。マホウトコロ。今は神代冥司がいる場所。

 

「今度は俺らが帰る」

 

誰も喋らない。

 

奎星は言った。

 

「学校に」

 

一拍。

 

「星帰り作戦」

 

日向の口元が上がる。

 

「いいじゃん」

 

岳も頷く。

 

「俺は好きだぞ」

 

楓は少し考える。

 

「……まあ」

 

「何だよ」

 

「あなたが考えたにしては悪くない」

 

「何その言い方!」

 

澪も笑う。

 

「私は賛成」

 

冬真が手を上げる。

 

「俺も」

 

伊織も。

 

「異論なし」

 

全員、決まる。

 

奎星がスズメを見る。

 

「スズメちゃんは?」

 

「私は教師です」

 

「教師も投票!」

 

「……別に反対はしません」

 

「賛成って言えよ!」

 

柊木が小さく笑う。

 

「では」

 

真壁へ向き直る。

 

「星帰り作戦、ということで」

 

『本当に正式名称にするのか……』

 

真壁が額を押さえる。

 

御影は一言。

 

「好きにしろ」

 

奎星が笑った。

 

「決まり!」

 

 

それから、さらに細かな確認を続けた。

 

真壁は信頼できる禍祓官を集める。現役だけではない。既に魔法省を離れた者。御影や真壁と過去に現場へ出た者。黒曜の環を追ってきた者。

 

一人ずつ、確かめる。

 

柊木は白峰へ接触する。主座標。火映し。常隠島の返し標。

 

伊織とスズメが接続術式を解析する。

 

御影と柊木は、引き続き生徒を鍛える。

 

そして奎星は、守護霊術、霊脈、閉心術。

 

「…………」

 

話せば話すほど、奎星の課題だけ異常に増えていく。

 

「俺さ」

 

「何だ」

 

「やること多くない?」

 

「多い」

 

御影は認めた。

 

「普通分散しない?」

 

「できるならする」

 

「俺しかできない?」

 

「ああ」

 

即答。

 

「…………」

 

奎星は天井を見る。

 

「マジかぁ……」

 

スズメが隣で言う。

 

「今日から始めます」

 

「今日!?」

 

「時間がありません」

 

「さっき訓練したんだけど!?」

 

「守護霊は別です」

 

「別腹みたいに言うな!」

 

真壁が笑った。

 

『元気そうで何よりだ』

 

「真壁さん助けて!」

 

『無理だ』

 

「裏切った!」

 

『信じろと言った直後にそれか』

 

「信じてるけど助けて!」

 

真壁の表情がほんの少し柔らかくなる。

 

『蓮根君』

 

「ん?」

 

『頼んだぞ』

 

奎星が止まる。

 

ふざけた顔が消える。

 

『学校のみんなを』

 

真壁が言う。

 

『連れ戻してくれ』

 

奎星は神代榊を握った。

 

一学期。何も知らなかった。

 

魔法を覚えて、調子に乗って、失敗した。

 

夏。鬼火鳥を追った。黒曜の環と戦った。死にかけた。

 

秋。星迎祭。門。学校を奪われた。

 

そして今、自分にしかできないことがある。

 

「……おう」

 

奎星が笑う。

 

「任せろ」

 

御影が横目で見る。

 

「調子に乗るな」

 

「今の流れで!?」

 

「失敗したら全員戻らん」

 

「急に重くするなよ!」

 

「事実だ」

 

「分かってるって!」

 

笑いが小さな石室へ響く。

 

こんな状況なのに、誰かが笑った。

 

真壁は、その光景を石台の向こうから見ていた。

 

学校は奪われた。

 

校長は倒れた。

 

教師も、生徒も、神代の手にある。

 

魔法省の中にすら、敵がいるかもしれない。

 

斎賀玄弥は、未だ拘束された犯罪者。

 

常隠島にいる者たちは、外へ自由に出ることすらできない。

 

神代冥司の作戦は完璧だった。

 

門を作った。戦力を分断した。御影玄一郎を、柊木志乃を、烏丸スズメを、蓮根奎星を学校から消した。

 

残された九重院紫苑へは、正面から挑まなかった。彼女が最も攻撃できないもの、生徒を使った。

 

学校を奪った。

 

誰にも反撃させないはずだった。

 

完璧だった。

 

ただ、一つ。

 

いや、いくつか。

 

神代冥司がまだ知らないことがある。

 

黒曜の門へ入れた七人は、帰ってきた。

 

奪われた三人も、取り戻した。

 

九重院紫苑は、倒れる最後の瞬間まで次の一手を残した。

 

魔法省には、まだ真壁征士郎がいる。

 

そして、十二年前に神代の側へ消えた男、斎賀玄弥が、もう一度、御影玄一郎と真壁征士郎の隣へ戻ろうとしている。

 

《最強の三人》。

 

十二年前に壊れたその形が、今度は神代冥司を倒すために、もう一度繋がろうとしている。

 

そのうえ、神代が利用し続けてきた鬼火鳥、霊脈、古代魔術、神代榊。

 

それらの中心には、一人の少年がいる。

 

魔法を知って、まだ数か月。

 

大人たちには遠く及ばない。

 

経験も、技術も、何も足りない。

 

それでも、誰にも真似できないほどの魔力を持ち、誰にも真似できない速さで学び、そして何度傷ついても、誰かを信じることをまだやめていない少年。

 

蓮根奎星。

 

神代が何年もかけて積み上げた計画を、今、その計画の中で生き残った者たちが一つずつひっくり返そうとしている。

 

御影が石台の前へ立った。

 

真壁を見る。

 

奎星たちを見る。

 

柊木。スズメ。そして、生徒たち。

 

「準備するぞ」

 

短い声。

 

全員が御影を見る。

 

「帰る」

 

御影玄一郎は言った。

 

「マホウトコロへ」

 

奎星が神代榊を握る。

 

日向、楓、岳、伊織、澪、冬真。

 

全員が同じ顔になる。

 

「おう!」

 

石台の向こうで、真壁も静かに頷いた。

 

十二年前、帰れなかった三人。

 

星迎祭の日、帰る場所を奪われた生徒たち。

 

今度は違う。

 

今度は全員で帰る。

 

奪われた学校へ。

 

自分たちの場所へ。

 

そして、黒曜の王をその玉座から引きずり下ろすために。

 

反撃の作戦には、もう名前があった。

 

――《星帰り作戦》。

 

この日、常隠島の誰にも知られていない地下室で、マホウトコロ奪還作戦が動き始めた。

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