マホウトコロ   作:西野圭吾

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第3話 星帰り

 

古い訓練場へ駆け込んできた伊織の声に、全員が振り返った。

 

外周を終えたばかりの奎星たちは地面へ座り込み、柊木は次の訓練について御影と話していた。そこへ飛び込んできた伊織は肩で息をしながら、眼鏡を押し上げる暇すらなく叫ぶ。

 

「通信です!」

 

御影の表情が変わった。

 

「誰だ」

 

「真壁さんです!」

 

次の瞬間。

 

御影玄一郎は走っていた。

 

「…………え?」

 

奎星が目を丸くする。

 

速い。

 

いや、そんなことより。

 

走り方がおかしい。

 

普段の御影なら、何があっても必要以上に慌てることはない。生徒が危険な目に遭っていても、顔を険しくすることはあっても、動きそのものは常に最短で、無駄がない。

 

その御影が。

 

今は、明らかに急いでいた。

 

古い石造りの建物へ向かって、本気で走っている。

 

「御影先生が……走ってる……」

 

日向が呆然と呟く。

 

「いや、いつも走るでしょ」

 

楓が言う。

 

「そういう意味じゃなくて! あんな必死に走ってんの初めて見た!」

 

柊木は何も言わなかった。

 

ただ、遠ざかっていく御影の背中を見て、ほんの少しだけ目を細める。

 

「行きましょう」

 

その一言で、生徒たちも立ち上がった。

 

 

地下の通信室。

 

御影が階段を駆け下りる。

 

最後の数段はほとんど飛ぶように降り、開け放たれていた扉を潜った。

 

そこにはスズメがいた。

 

そして。

 

中央の石台。

 

銀白色に輝く術式の向こうへ。

 

男の姿が映っていた。

 

濃紺の魔法省制服。

 

坊主頭。

 

顎から口元を覆う髭。

 

見慣れた。

 

十二年前から、ほとんど変わらない。

 

ただ、少し白いものが増えた。

 

「…………」

 

御影は。

 

入口で足を止めた。

 

石台の向こう。

 

真壁征士郎も。

 

同じように黙った。

 

数秒。

 

何も言わない。

 

お互い。

 

生きている。

 

それを。

 

確かめるように。

 

御影の肩から、ほんの僅かに力が抜けた。

 

そして。

 

いつもの仏頂面へ戻る。

 

「……相変わらず疲れた顔してるな」

 

真壁が眉を寄せる。

 

『それはお前もだ、玄一郎』

 

「俺は元からだ」

 

『自覚があるなら少し直せ』

 

「お前に言われたくない」

 

真壁の口元が。

 

少しだけ上がった。

 

御影も。

 

笑ったわけではない。

 

けれど。

 

スズメには分かった。

 

安心している。

 

今まで見たことがないほど走ってきて。

 

顔を見た途端。

 

ほんの少しだけ。

 

いつもの御影玄一郎に戻った。

 

「御影先生!」

 

後ろから足音。

 

奎星。

 

日向。

 

楓。

 

岳。

 

澪。

 

冬真。

 

その最後に、柊木と伊織も入ってくる。

 

狭い部屋へ一気に人が増えた。

 

『おい、全員来たのか』

 

真壁が苦笑する。

 

奎星が石台の前へ割り込んだ。

 

「真壁さん!」

 

『近い』

 

「生きてた!」

 

『君たちもな』

 

「当たり前じゃん!」

 

『当たり前ではないだろう』

 

真壁の声は呆れていたが、その顔にははっきりと安堵があった。

 

一人。

 

二人。

 

三人。

 

楓。

 

岳。

 

伊織。

 

門へ入ったことを聞いていた三人もいる。

 

全員。

 

いる。

 

真壁は一度だけ目を閉じた。

 

『……よかった』

 

小さな声だった。

 

奎星が笑う。

 

「真壁さん、なんか顔やべえぞ。寝てる?」

 

『寝てない』

 

「やっぱり」

 

『君にだけは生活習慣を心配されたくない』

 

「なんで!?」

 

「蓮根」

 

御影の声。

 

「黙れ」

 

「はい」

 

一瞬で静かになる。

 

真壁の表情も変わった。

 

ここからは。

 

報告だった。

 

 

「こっちから話す」

 

御影が石台の前へ立つ。

 

「門の内部で、黒曜の環の構成員と思われる連中と交戦した」

 

『何人だ』

 

「正確には分からん。空間を分断され、三組に分けられた」

 

御影と柊木。

 

奎星とスズメ。

 

日向、澪、冬真。

 

それぞれ別の場所で敵と戦った。

 

御影は簡潔に説明していく。

 

「俺と柊木の相手は黒曜石の術式を複数使っていた。制圧した。蓮根と烏丸も一人を倒した」

 

『澄か』

 

奎星が反応する。

 

「知ってんの?」

 

『記録で名前だけは追えている。続けろ』

 

御影が頷く。

 

「朝比奈たちも突破した。その後、水無瀬、榊、岩戸を発見。全員連れて門の外へ戻った」

 

真壁の目が一瞬だけ柔らかくなる。

 

しかし。

 

御影の次の言葉で、また険しくなった。

 

「戻ったときには、全部終わっていた」

 

部屋が静まる。

 

誰も。

 

あの光景を忘れていない。

 

神代冥司。

 

自分の学校の正面。

 

倒れている九重院。

 

拘束されている教師たち。

 

そして。

 

自分たちへ。

 

敵を見る目を向けた生徒たち。

 

「門の中での戦闘も」

 

御影が低く言う。

 

「俺たちを足止めすること自体が目的だった可能性が高い」

 

真壁が頷いた。

 

『同意する』

 

「敵は強かった。だが」

 

御影の目が細くなる。

 

「あれで俺たちを倒し切るつもりだったとは思えん」

 

柊木も静かに頷く。

 

「戦闘時間を稼ぐこと。私たちを学校から隔離すること。その二つが優先されていたように感じました」

 

『その間に』

 

真壁が言う。

 

『神代が動いた』

 

御影の顔が硬くなる。

 

「話せ」

 

今度は。

 

真壁が報告する番だった。

 

『お前たちが門へ入った後、神代冥司本人がマホウトコロへ現れた』

 

「どこからだ」

 

『分からん』

 

御影の眉間へ皺が刻まれる。

 

『転移術だ。少なくとも私にはそう見えた。外周結界の破損も、通常の侵入経路を使った痕跡もない。気づいたときには校庭にいた』

 

「……直接か」

 

『ああ』

 

柊木の表情も険しくなる。

 

マホウトコロへ外部から直接転移する。

 

それ自体が。

 

異常だった。

 

真壁は続ける。

 

『早瀬、高宮、土御門の三人が先に接触した』

 

御影の目が動く。

 

『数秒だった』

 

「…………」

 

『全員やられた』

 

奎星たちは何も言えなかった。

 

あの三人は。

 

自分たちが日頃授業を受けている教師だ。

 

弱いわけがない。

 

それを。

 

数秒。

 

『その後、九重院校長が神代と交戦した』

 

御影は黙って聞く。

 

真壁は、見たままを話した。

 

九重院が。

 

神代と正面から戦ったこと。

 

盾。

 

拘束。

 

気絶呪文。

 

地形そのものを利用した連続攻撃。

 

神代を校舎正面まで吹き飛ばしたこと。

 

「……校長が押していた?」

 

澪が思わず訊く。

 

『少なくとも、正面からの戦闘ではな』

 

真壁は迷わず答えた。

 

『神代本人も、九重院校長を正面から倒すのは面倒だと言っていた』

 

御影は何も言わない。

 

驚いてはいなかった。

 

あの人なら。

 

そうだろう。

 

ただ。

 

続きがある。

 

『その直後だ』

 

真壁の声が重くなる。

 

『神代は九重院校長ではなく、地面へ魔法を撃った』

 

御影の目が鋭くなる。

 

「地面?」

 

『ああ』

 

「どんな魔法だ」

 

『分からん。見たことがない。赤黒い魔力だった。地面の奥へ潜っていった』

 

真壁は一度言葉を切った。

 

『それから、すべてがおかしくなった』

 

空気が重くなる。

 

『生徒たちが神代を校長と呼び始めた』

 

奎星の拳が握られる。

 

『九重院校長を敵として認識した。教師たちもだ。九重院校長は、生徒を攻撃できなかった』

 

誰も。

 

口を開かない。

 

『それで倒された』

 

御影の目が伏せられる。

 

ほんの一瞬だけ。

 

それから。

 

「九重院は」

 

『生きている』

 

真壁が即答する。

 

『少なくとも私が離脱した時点では、生きていた』

 

御影が短く息を吐いた。

 

『校長が残した折り鶴で、私はここまで来た。お前たちを常隠島へ送ったのも、あの人の仕込みだ』

 

御影は懐へ手を入れた。

 

今はもう光を失った。

 

白い紙。

 

小さな折り鶴。

 

それを見る。

 

「……相変わらずだな」

 

『ああ』

 

九重院紫苑は。

 

倒される直前まで。

 

その後のことを考えていた。

 

 

しばらく。

 

誰も言葉を発しなかった。

 

御影は石台の上へ浮かぶ術式を見ている。

 

真壁が話した内容。

 

神代の転移。

 

九重院との戦闘。

 

地面。

 

赤黒い魔力。

 

直後。

 

生徒の認識変化。

 

守護霊。

 

黒い靄。

 

鬼火鳥。

 

神代榊。

 

霊脈。

 

「…………」

 

御影の右手が。

 

ゆっくり顎へ触れた。

 

人差し指。

 

顎。

 

目が細くなる。

 

奎星が横を見る。

 

「御影先生?」

 

反応がない。

 

「御影先生」

 

何も。

 

「おーい」

 

御影の視線は石台へ向いている。

 

だが。

 

見ていない。

 

頭の中。

 

もっと別のものを見ている。

 

奎星が真壁の映像を見る。

 

「壊れた?」

 

『放っておけ』

 

「え?」

 

『玄一郎は考え事を始めると聞かないんだ』

 

真壁は慣れた声だった。

 

『昔からそうだ。声をかけても無駄だ』

 

「先生ってそんな感じだったの?」

 

『むしろ今より酷かった』

 

「おい」

 

御影が突然言う。

 

奎星がびくっとする。

 

「聞いてたの!?」

 

「うるさい」

 

「どっちだよ!」

 

御影はもう奎星を見ていなかった。

 

「征士郎」

 

『何だ』

 

「お前」

 

御影の目が鋭くなる。

 

「生徒を戻すときに守護霊を使ったな」

 

真壁が少し止まる。

 

『門へ引き寄せられていたときか?』

 

「ああ」

 

『使った。私の狼と、蓮根君の鴉だ』

 

奎星も思い出す。

 

星迎祭。

 

校庭。

 

真壁の巨大なニホンオオカミ。

 

その後ろを飛んだ。

 

自分の銀の鴉。

 

守護霊が近づいた生徒から。

 

黒い靄が抜けた。

 

御影の指が。

 

また顎へ触れる。

 

「……元に戻す」

 

真壁が眉を寄せた。

 

『何?』

 

「生徒を元に戻す」

 

『玄一郎』

 

「神代が地面へ撃った」

 

御影の声が、少しずつ速くなる。

 

「地面の下へ魔法が流れた。直後に、校内の生徒全体へ認識異常が出た」

 

真壁の顔が変わる。

 

御影は続けた。

 

「マホウトコロの地面の下には霊脈がある」

 

奎星。

 

岳。

 

伊織。

 

楓。

 

全員が。

 

夏休みの出来事へ繋がる。

 

鬼火鳥。

 

青白い炎。

 

神代榊が示した方角。

 

「鬼火鳥は霊脈を辿って移動する」

 

御影が言う。

 

「蓮根家も昔から、その流れを知っていた」

 

伊織がすぐに理解した。

 

「神代は霊脈を利用した?」

 

「可能性は高い」

 

「学校全体へ?」

 

「ああ」

 

御影は地面を見る。

 

ここではない。

 

遠く離れた。

 

マホウトコロの地面を。

 

「何を流したかまでは分からん。黒曜石に使っていた魔力か、古代魔術を組み込んだ術式か。だが」

 

目が上がる。

 

「神代は霊脈を使って、生徒全体へ何かを流した」

 

真壁の声が低くなる。

 

『……だとしたら』

 

御影が頷く。

 

「逆もできるかもしれん」

 

「逆?」

 

奎星が訊く。

 

御影が呟く。

 

「元に戻す……」

 

『何を考えている』

 

「守護霊だ」

 

真壁が。

 

黙った。

 

御影の目が、石台の向こうの古い友人を捉える。

 

「守護霊の魔法は、あの黒い靄に効いた」

 

『ああ』

 

「生徒一人ずつへ使えば、解除できる可能性がある」

 

『だが数が多すぎる』

 

「だから一人ずつやらない」

 

真壁の目が。

 

大きくなる。

 

御影が言った。

 

「霊脈に流す」

 

沈黙。

 

奎星たちは。

 

まだ意味を理解できていない。

 

だが。

 

真壁。

 

スズメ。

 

柊木。

 

三人の大人は。

 

すぐに分かった。

 

『……まさか』

 

真壁が呟く。

 

御影は止めない。

 

「神代が霊脈を使って術式を学校全体へ走らせたなら、同じ経路を使う」

 

『守護霊を』

 

「ああ」

 

『マホウトコロ全体へ?』

 

「可能性にすぎん」

 

御影は断言しなかった。

 

「神代の術式がどういうものか分からん。守護霊だけで完全に解除できる保証もない」

 

『だが』

 

真壁の顔が。

 

明らかに変わっていく。

 

考えている。

 

組み立てている。

 

『可能性はある』

 

「だろ」

 

『門へ引き寄せられていた生徒へは効いた。同じ黒曜由来の精神干渉なら』

 

「ああ」

 

『……みんなが戻る可能性はある』

 

奎星の顔が明るくなる。

 

「じゃあやろうぜ!」

 

真壁が即座に言った。

 

『簡単に言うな』

 

「え?」

 

『マホウトコロの霊脈だぞ』

 

真壁の声が重い。

 

『南硫黄島一帯を通り、学校の結界や古い術式にまで影響している規模だ。そこへ守護霊を流し込んで、全域を走らせるなんて』

 

一拍。

 

『普通の魔法量じゃ無理だぞ』

 

「…………」

 

普通の。

 

魔法量。

 

沈黙。

 

真壁。

 

御影。

 

柊木。

 

スズメ。

 

伊織。

 

冬真。

 

楓。

 

澪。

 

日向。

 

岳。

 

一人。

 

また一人。

 

同じ方向を見る。

 

最後には。

 

全員が。

 

蓮根奎星を見ていた。

 

「…………」

 

奎星は。

 

左右を見る。

 

後ろを見る。

 

もう一度。

 

全員を見る。

 

「……なに?」

 

誰も答えない。

 

奎星が自分を指差す。

 

「俺?」

 

「お前だ」

 

御影が言う。

 

「何が!?」

 

「霊脈へ守護霊を流す」

 

「待って待って待って、話飛んだ!」

 

「飛んでない」

 

「俺まだ理解してない!」

 

「理解しろ」

 

「今!?」

 

御影はスズメを見た。

 

「烏丸」

 

「はい」

 

「蓮根の守護霊術をもっと磨かせろ」

 

奎星が止まる。

 

「え」

 

「この島にも、マホウトコロほどの規模ではないが霊脈はあるはずだ」

 

スズメも石台へ刻まれた古代文字を見る。

 

「訓練に利用するのですね」

 

「ああ。小規模で試す。守護霊を出すだけじゃない。流れへ乗せ、形を崩さず、可能な限り遠くまで走らせる」

 

「分かりました」

 

即答だった。

 

奎星が二人を見る。

 

「ちょっと待って」

 

スズメの表情は真剣だった。

 

けれど。

 

別の懸念が浮かぶ。

 

「御影先生」

 

「何だ」

 

「それは、かなり危険です」

 

「ああ」

 

「神代の術式が霊脈そのものへ残っているなら」

 

スズメは奎星を見る。

 

「こちらから守護霊を流すということは、向こうとも繋がることになります」

 

奎星の笑顔が消える。

 

「つまり?」

 

「神代の術式が逆流する可能性があります」

 

日向が眉を寄せた。

 

「逆流?」

 

「蓮根君の精神へ」

 

沈黙。

 

御影は驚かなかった。

 

最初から。

 

そこまで考えていた。

 

「ああ」

 

奎星が御影を見る。

 

「『ああ』じゃないんだけど」

 

「精神へ入ってくる可能性は高い」

 

「何それ怖っ!」

 

御影は平然としている。

 

「だから閉心術も覚えろ」

 

「…………へ?」

 

「守護霊を使いながら、自分の精神を閉じる」

 

奎星の口が開く。

 

「同時に?」

 

「ああ」

 

「二個?」

 

「ああ」

 

「俺が?」

 

「ああ」

 

「いつまでに?」

 

「奪還までに」

 

「無茶じゃない!?」

 

御影は何も言わない。

 

スズメが。

 

静かに頷いた。

 

「分かりました」

 

奎星が勢いよく振り向く。

 

「分かったの!?」

 

「覚えさせます」

 

「なんなの!? それ!」

 

「必要です」

 

「スズメちゃんまで!」

 

「烏丸先生です」

 

「今そこ!?」

 

真壁が石台の向こうで額を押さえていた。

 

『……大丈夫なのか』

 

御影が答える。

 

「やらせる」

 

『質問への答えになってない』

 

「やる」

 

「俺の意思は!?」

 

御影が見る。

 

「嫌か」

 

奎星が止まる。

 

学校。

 

神代。

 

九重院。

 

生徒たち。

 

友達。

 

数秒。

 

「…………やる」

 

「なら決まりだ」

 

「聞く意味あった!?」

 

「ある」

 

「どこに!?」

 

少しだけ。

 

部屋の緊張が緩んだ。

 

だが。

 

やることは。

 

決まった。

 

 

真壁が記録用の紙へ何かを書き込む。

 

『こちらも動く』

 

全員の目が石台へ戻る。

 

『信用できる人間を集める』

 

御影が頷く。

 

『禍祓官だ。現役、退役は問わん』

 

「現役は慎重に選べ」

 

『分かっている』

 

魔法省内部に。

 

黒曜の環へ情報を流している人間がいる可能性。

 

一人なのか。

 

複数なのか。

 

役職は。

 

部署は。

 

何も分からない。

 

『昔一緒に仕事をした人間を中心に当たる。組織ではなく、一人ずつ私が判断する』

 

柊木が一歩前へ出た。

 

「白峰にもいます」

 

真壁が彼女を見る。

 

「協力してくれる教員。卒業生にも、実戦経験のある魔法使いがいます」

 

柊木は御影へ顔を向けた。

 

「御影先生。以前お渡ししたものを持っていますね?」

 

御影は懐へ手を入れる。

 

取り出した。

 

掌ほどの薄い金属板。

 

白峰魔法学校の紋章。

 

細かな魔法陣。

 

奎星が目を見開く。

 

「あ、それ」

 

澪も気づく。

 

「火映しの主座標」

 

御影が頷いた。

 

「持ってる」

 

「この場所から返し標を経由すれば、火映しの術式へ接続できるかもしれません」

 

伊織が石台へ近づく。

 

「理屈としてはできると思います。この石台、外部術式との同期を前提に作られてる」

 

「なら白峰へ連絡を取ります」

 

柊木の声が静かに強くなる。

 

「こちらだけで戦う必要はありません」

 

御影が短く頷いた。

 

「頼む」

 

 

それから。

 

真壁が。

 

少しだけ黙った。

 

さっきまでとは違う沈黙だった。

 

何かを。

 

言おうとしている。

 

スズメが気づく。

 

「真壁さん?」

 

『……それから』

 

真壁は一度。

 

全員を見る。

 

『みんな、落ち着いて聞いてくれ』

 

御影の目が僅かに動いた。

 

嫌な予感。

 

ではない。

 

もっと。

 

別のもの。

 

『今話した通り、魔法省はもはや全面的には信用できない』

 

誰も否定しない。

 

『だから私は、組織の外にいる人間にも協力を求めている』

 

一拍。

 

『今』

 

真壁が言った。

 

『斎賀玄弥に協力してもらっている』

 

空気が。

 

変わった。

 

「…………は?」

 

岳。

 

最初に声を出した。

 

その顔から。

 

一瞬で血の気が引き。

 

次に。

 

怒りが浮かんだ。

 

「斎賀だと!?」

 

奎星も。

 

日向も。

 

楓も。

 

伊織も。

 

表情が変わる。

 

夏休み。

 

山。

 

鬼火鳥。

 

黒曜の狩人。

 

そして。

 

御影と戦った男。

 

スズメの顔から。

 

表情が消えた。

 

けれど。

 

目だけが。

 

冷たくなる。

 

斎賀玄弥。

 

彼の率いた黒曜の狩人たちは、鬼火鳥を傷つけた。

 

捕らえた。

 

尾羽を奪った。

 

奎星を狙った。

 

自分たちへ魔法を向けた。

 

そして。

 

御影玄一郎を。

 

本気で殺しかねない戦いへ引きずり込んだ。

 

許せるか。

 

そんな簡単な話ではない。

 

御影も。

 

黙っていた。

 

「…………玄弥が」

 

小さな声。

 

真壁だけが。

 

そこに混ざった感情を知っている。

 

怒り。

 

困惑。

 

痛み。

 

そして。

 

ほんの僅かに。

 

隠しきれないもの。

 

安堵。

 

十二年前。

 

帰ってこなかった。

 

探しても見つからなかった。

 

もう一度。

 

敵として会った。

 

その男が。

 

今。

 

少なくとも。

 

こちら側へ戻ろうとしている。

 

御影にとって。

 

簡単に喜べることではない。

 

それでも。

 

嬉しくないはずがなかった。

 

岳が一歩前へ出た。

 

「ふざけんな!」

 

石室へ声が響く。

 

「岳」

 

伊織が見る。

 

だが。

 

今度は止めなかった。

 

岳の拳は。

 

震えている。

 

「あんな奴、協力させんのかよ!」

 

『岩戸君』

 

「あいつらが鬼火鳥に何したか見ただろ!」

 

真壁は答えない。

 

岳は止まらない。

 

「足枷つけて! 羽むしって! 傷つけて!」

 

夏の山。

 

動けない鬼火鳥。

 

短く切られた尾羽。

 

脚につけられた違法な拘束具。

 

岳は。

 

誰より近くで。

 

あの鳥たちを世話した。

 

「奎星だって狙われた!」

 

奎星が岳を見る。

 

「岳」

 

「俺は許せねえ!」

 

「岳!」

 

奎星が。

 

肩を掴んだ。

 

岳が振り払おうとする。

 

だが。

 

奎星は離さなかった。

 

「離せ!」

 

「落ち着けって!」

 

「お前は平気なのかよ!」

 

「平気じゃねえよ!」

 

声がぶつかった。

 

岳が止まる。

 

奎星も。

 

笑っていない。

 

「あいつらに殺されかけたんだぞ!」

 

「分かってる!」

 

「じゃあ!」

 

「でも!」

 

奎星の手に力が入る。

 

「学校取り戻すんだぞ!」

 

全員が。

 

見る。

 

「神代と真正面から戦うんだ!」

 

奎星の声は。

 

大きかった。

 

「味方は一人だって多いほうがいいだろ!」

 

「…………奎星」

 

「俺だって忘れてねえよ」

 

奎星の声が。

 

少しだけ低くなる。

 

「夏休みのことも。鬼火鳥のことも。御影先生とあいつが戦ったことも」

 

御影の目が。

 

奎星へ向く。

 

「許したわけじゃない」

 

その言葉だけは。

 

はっきり言った。

 

「でも」

 

奎星は石台を見る。

 

真壁。

 

「真壁さんが」

 

一拍。

 

「信じるって決めたんだろ」

 

真壁の瞳が。

 

僅かに揺れる。

 

奎星は続ける。

 

「だったら」

 

岳を見る。

 

「俺らは真壁さんを信じよう」

 

「…………」

 

岳は何も言わない。

 

奎星の手。

 

自分の肩。

 

石台の向こう。

 

真壁。

 

長い沈黙。

 

真壁は。

 

その言葉を聞きながら。

 

別の病室を思い出していた。

 

一学期。

 

第零書庫事件のあと。

 

まだ傷だらけだった少年。

 

――でも、信じるって決めたら信じたいじゃん。

 

あのとき。

 

自分は。

 

もう少し人を疑えと言った。

 

久我に裏切られたばかりだったから。

 

簡単に人を信じるなと。

 

それでも。

 

奎星は真壁を信じた。

 

御影が信じる人間だから。

 

実際に話したから。

 

それだけで。

 

そして今。

 

同じ少年が。

 

真壁自身へ。

 

その言葉を返している。

 

『……全く』

 

真壁が小さく呟く。

 

奎星が見る。

 

「何?」

 

『いや』

 

真壁は。

 

ほんの少し笑った。

 

『何でもない』

 

全く。

 

この子は。

 

十二年前に失った友人を信じようと決めた自分を。

 

今度は。

 

十七歳の少年に肯定されるとは思わなかった。

 

岳は。

 

長く息を吐いた。

 

拳は。

 

まだ握られている。

 

怒りも。

 

消えていない。

 

「……俺は」

 

低い声。

 

「許さねえからな」

 

奎星が頷く。

 

「うん」

 

「協力するからって、やったこと消えねえからな」

 

「うん」

 

「鬼火鳥に謝ったって足りねえ」

 

「それは本人に言え」

 

「言う」

 

「おう」

 

岳は奎星の手を振り払った。

 

今度は。

 

怒りに任せた動きではなかった。

 

スズメも。

 

何も言わない。

 

許してはいない。

 

自分も。

 

同じだ。

 

ただ。

 

今。

 

戦う相手は。

 

別にいる。

 

御影が石台を見る。

 

「征士郎」

 

『何だ』

 

「玄弥は」

 

一度。

 

言葉が止まる。

 

「……協力すると言ったのか」

 

『ああ』

 

真壁は迷わず答えた。

 

『自分からな』

 

「そうか」

 

それだけ。

 

御影は。

 

それ以上何も言わなかった。

 

けれど。

 

拳が。

 

一度だけ。

 

小さく握られた。

 

 

真壁は机へ一枚の紙を広げた。

 

『では』

 

全員の表情が変わる。

 

『現時点での作戦を共有する』

 

奎星も。

 

岳も。

 

切り替えた。

 

『もちろん、味方を必要数集められた場合を前提とする。霊脈の構造もまだ調べる必要がある。神代の術式が本当に守護霊で解除できるかも確定ではない』

 

真壁は最初から。

 

不確定なものを。

 

不確定なまま話す。

 

『そのうえで』

 

紙の中央へ。

 

マホウトコロ。

 

『第一目標。学校への侵入』

 

その周囲。

 

黒曜の環。

 

支配された生徒。

 

『第二目標。神代の術式を受けている生徒の解放』

 

そして。

 

中心。

 

『蓮根君』

 

「はい」

 

『君がマホウトコロの霊脈へ守護霊を流す』

 

奎星が。

 

今度はふざけず頷いた。

 

『その間』

 

線が一本。

 

奎星の周囲へ。

 

『全員で君を守る』

 

日向。

 

楓。

 

岳。

 

伊織。

 

澪。

 

冬真。

 

全員が。

 

奎星を見る。

 

「全員って」

 

奎星が少し笑う。

 

「なんか俺、姫みたいじゃん」

 

「黙って守られなさい」

 

楓が即答する。

 

「嫌だなその言い方!」

 

「実際そうでしょう」

 

「俺も戦いたい!」

 

冬真が笑う。

 

「守護霊と閉心術を同時にやりながら?」

 

「…………」

 

「さらに決闘?」

 

「…………無理かも」

 

「だろうね」

 

「冬真先輩、圧が優しい!」

 

御影が紙を見る。

 

「問題は護衛だ」

 

真壁も頷く。

 

『ああ』

 

「黒曜の環の構成員はいる」

 

門の中。

 

御影。

 

柊木。

 

奎星。

 

スズメ。

 

それぞれが戦った相手。

 

学生の強さではない。

 

「学生を主戦力にするな」

 

御影がはっきり言う。

 

奎星たちも。

 

反論しなかった。

 

ここ数日。

 

身に染みている。

 

自分たちは。

 

強くなっている。

 

冬真。

 

楓。

 

澪。

 

学生の中では抜けている。

 

奎星も。

 

異常な速さで成長している。

 

それでも。

 

御影や柊木。

 

真壁。

 

そして斎賀。

 

十年以上。

 

二十年以上。

 

本物の戦場を生きてきた大人たちとは。

 

まだ違う。

 

「黒曜の環の相手は禍祓官が必要だ」

 

御影が言う。

 

「現役、退役。そっちを主軸にする」

 

真壁が頷く。

 

『蓮根君たちの仕事は、神代の術を解除することだ』

 

「勘違いするな」

 

御影が生徒たちを見る。

 

「お前たちに敵の主力を倒せと言っているわけじゃない」

 

奎星が口を尖らせる。

 

「分かってる」

 

「ならいい」

 

『そして』

 

真壁が。

 

紙の一番上を見る。

 

『最大の問題』

 

言わなくても。

 

全員分かっている。

 

神代冥司。

 

真壁が名前を書く。

 

部屋の空気が。

 

また重くなる。

 

『仮に生徒全員を元へ戻せたとしても』

 

御影が言う。

 

「神代を倒せるわけじゃない」

 

『ああ』

 

「むしろ術式を潰せば、確実に蓮根を狙う」

 

奎星の顔から笑みが消える。

 

神代冥司。

 

九重院と真正面から渡り合った男。

 

教師三人を。

 

数秒で無力化した。

 

御影が腕を組む。

 

「俺一人でも厳しい」

 

奎星が御影を見る。

 

御影玄一郎が。

 

自分からそう言う。

 

それだけで。

 

相手がどれほど異常か分かる。

 

柊木が。

 

静かに口を開いた。

 

「ですが」

 

全員が見る。

 

「それを倒せるのが誰なのか」

 

柊木は。

 

御影。

 

そして。

 

石台の向こうの真壁。

 

二人を見る。

 

「お二人とも、もう分かっているのではないですか?」

 

沈黙。

 

御影の目が。

 

真壁を見る。

 

真壁も。

 

御影を見る。

 

二人。

 

同じものを。

 

考えていた。

 

十二年前。

 

どんな危険な任務でも。

 

三人で出た。

 

一人が前へ出すぎれば。

 

一人が戻す。

 

一人が慎重になりすぎれば。

 

もう一人が先へ行く。

 

誰かが失敗すれば。

 

残り二人が埋める。

 

実力だけなら。

 

近かった。

 

ずっと。

 

三人で戦った。

 

そして。

 

三人で帰った。

 

その形は。

 

十二年前に。

 

壊れた。

 

真壁が。

 

ゆっくり口を開く。

 

『……ああ』

 

御影は何も言わない。

 

真壁の目が。

 

まっすぐ御影を捉える。

 

『私と』

 

一拍。

 

『玄一郎と』

 

もう一拍。

 

『玄弥』

 

その名前だけ。

 

少し重い。

 

『斎賀玄弥』

 

真壁征士郎が。

 

静かに言った。

 

『三人で神代と戦う』

 

誰も。

 

声を出さなかった。

 

御影は。

 

石台の向こうにいる古い友人を見る。

 

「…………」

 

十二年前。

 

最後の任務。

 

人質。

 

崩れる施設。

 

一人残った斎賀。

 

その後。

 

何度も。

 

夢に見た。

 

三人でもう一度戦う日を。

 

そんなものは。

 

二度と来ないと思っていた。

 

実際。

 

斎賀は敵として戻った。

 

御影自身が。

 

その男を倒した。

 

拘束した。

 

もう。

 

昔へは戻れない。

 

それでも。

 

「玄一郎」

 

柊木が呼ぶ。

 

御影は目を閉じる。

 

ほんの一瞬。

 

そして。

 

開く。

 

「……異論はない」

 

短い言葉だった。

 

だが。

 

真壁には。

 

十分だった。

 

 

奎星は。

 

御影を見る。

 

真壁を見る。

 

また御影を見る。

 

それから。

 

隣のスズメへ身体を寄せた。

 

「スズメちゃん」

 

「何ですか」

 

奎星は声を落とす。

 

「やっぱ三人って昔すごかったの?」

 

「…………」

 

スズメが奎星を見る。

 

「今、それを訊きます?」

 

「気になるじゃん」

 

「空気を読んでください」

 

「小声じゃん」

 

スズメは小さくため息をつく。

 

だが。

 

答えた。

 

「凄かったですよ」

 

奎星の目が光る。

 

「どんくらい?」

 

「当時の日本魔法界で、御影玄一郎、真壁征士郎、斎賀玄弥の名を知らない者は、ほとんどいませんでした」

 

「マジ?」

 

「特に禍祓官や実戦に関わる魔法使いなら、なおさらです」

 

スズメは石台の向こうの真壁を見る。

 

そして。

 

御影を見る。

 

「三人とも、単独でも非常に優秀でした」

 

十二年前。

 

三人は。

 

最も多く。

 

最も危険な現場へ出ていた。

 

「ですが」

 

スズメの声が。

 

少しだけ柔らかくなる。

 

「三人でいるときが、一番強かった」

 

奎星が黙る。

 

「斎賀さんが前へ出る。御影先生がその穴を埋める。御影先生が追い込みすぎれば真壁さんが止める。真壁さんが慎重になりすぎれば斎賀さんが先へ出る」

 

「…………」

 

「そういう三人だったそうです」

 

奎星が。

 

小さく呟く。

 

「すげえ……」

 

スズメは少し笑う。

 

「当時は」

 

一拍。

 

「《最強の三人》と呼ぶ人もいました」

 

奎星の顔が。

 

完全に少年のものへ戻った。

 

「うわ、カッケえ……」

 

「蓮根」

 

御影が言う。

 

「聞こえてるぞ」

 

「すみません」

 

「余計なことを教えるな、烏丸」

 

「事実です」

 

「おい」

 

真壁が石台の向こうで。

 

少しだけ笑っていた。

 

『懐かしい呼び方だな』

 

「お前まで乗るな」

 

『私は何も言っていない』

 

「顔が言ってる」

 

『お前、そういうの分かるようになったんだな』

 

「切るぞ」

 

『待て』

 

奎星が笑う。

 

日向も。

 

楓も。

 

少しだけ。

 

肩の力が抜ける。

 

これから。

 

神代冥司と戦う。

 

その事実は。

 

変わらない。

 

けれど。

 

戦えるかもしれない。

 

初めて。

 

そんな形が見え始めていた。

 

 

「じゃあさ」

 

日向が手を上げる。

 

全員が見る。

 

「これ、作戦名とかないの?」

 

沈黙。

 

御影が眉を寄せる。

 

「要るか?」

 

「要るでしょ!」

 

「要らん」

 

「絶対いる!」

 

奎星が乗る。

 

「そういうの大事じゃん!」

 

「何が大事なんだ」

 

「士気!」

 

「お前が今覚えた言葉だろ」

 

「違う!」

 

楓が呆れた顔をする。

 

「どうせ二人とも変なのつけるんだからやめなさい」

 

岳が腕を組む。

 

「学校取り返す作戦でいいだろ」

 

伊織が即座に返す。

 

「そのまますぎる」

 

「じゃ奪還作戦」

 

「変わってない」

 

澪が少し考える。

 

「マホウトコロ奪還作戦」

 

「岳から一文字しか進化してないよ」

 

冬真が笑う。

 

柊木まで少し楽しそうに見ている。

 

真壁は困惑していた。

 

『今決める必要があるのか?』

 

「ある!」

 

奎星と日向が同時に答える。

 

御影が深いため息をついた。

 

「勝手にしろ」

 

「よし!」

 

許可ではない。

 

放棄だった。

 

それでも。

 

奎星たちには十分だった。

 

「黒曜ぶっ潰し作戦」

 

日向。

 

「却下」

 

楓。

 

「なんで!?」

 

「頭が悪そう」

 

「じゃあ楓考えろよ!」

 

「そうね……」

 

楓も少し考える。

 

「帰還作戦?」

 

「普通」

 

澪。

 

「じゃあ反攻作戦」

 

伊織。

 

「役所っぽい」

 

奎星。

 

「お前が言う?」

 

「星迎祭から始まったんだよな」

 

冬真が。

 

何気なく言った。

 

そこで。

 

奎星が止まった。

 

星迎祭。

 

楽しかった。

 

三門巡り。

 

クィディッチ。

 

屋台。

 

白峰の生徒たち。

 

笑って。

 

競って。

 

次の日には。

 

全部。

 

奪われた。

 

星を迎える祭り。

 

自分たちは。

 

そこから。

 

学校を追われた。

 

奎星が顔を上げる。

 

「……星帰り」

 

「え?」

 

日向が見る。

 

奎星は。

 

自分でも確かめるように言う。

 

「星帰り作戦」

 

伊織が眼鏡を押し上げる。

 

「どういう意味?」

 

「いや」

 

奎星が少し笑う。

 

「星迎祭で、学校取られたじゃん」

 

「うん」

 

「だったら」

 

石台。

 

その向こう。

 

マホウトコロ。

 

今は。

 

神代冥司がいる場所。

 

「今度は俺らが帰る」

 

誰も喋らない。

 

奎星は言った。

 

「学校に」

 

一拍。

 

「星帰り作戦」

 

日向の口元が上がる。

 

「いいじゃん」

 

岳も頷く。

 

「俺は好きだぞ」

 

楓は少し考える。

 

「……まあ」

 

「何だよ」

 

「あなたが考えたにしては悪くない」

 

「何その言い方!」

 

澪も笑う。

 

「私は賛成」

 

冬真が手を上げる。

 

「俺も」

 

伊織も。

 

「異論なし」

 

全員。

 

決まる。

 

奎星がスズメを見る。

 

「スズメちゃんは?」

 

「私は教師です」

 

「教師も投票!」

 

「……別に反対はしません」

 

「賛成って言えよ!」

 

柊木が小さく笑う。

 

「では」

 

真壁へ向き直る。

 

「星帰り作戦、ということで」

 

『本当に正式名称にするのか……』

 

真壁が額を押さえる。

 

御影は。

 

一言。

 

「好きにしろ」

 

奎星が笑った。

 

「決まり!」

 

 

それから。

 

さらに細かな確認を続けた。

 

真壁は。

 

信頼できる禍祓官を集める。

 

現役だけではない。

 

既に魔法省を離れた者。

 

御影や真壁と過去に現場へ出た者。

 

黒曜の環を追ってきた者。

 

一人ずつ。

 

確かめる。

 

柊木は白峰へ接触する。

 

主座標。

 

火映し。

 

常隠島の返し標。

 

伊織とスズメが接続術式を解析する。

 

御影と柊木は。

 

引き続き生徒を鍛える。

 

そして。

 

奎星。

 

守護霊術。

 

霊脈。

 

閉心術。

 

「…………」

 

話せば話すほど。

 

奎星の課題だけ。

 

異常に増えていく。

 

「俺さ」

 

「何だ」

 

「やること多くない?」

 

「多い」

 

御影は認めた。

 

「普通分散しない?」

 

「できるならする」

 

「俺しかできない?」

 

「ああ」

 

即答。

 

「…………」

 

奎星は天井を見る。

 

「マジかぁ……」

 

スズメが隣で言う。

 

「今日から始めます」

 

「今日!?」

 

「時間がありません」

 

「さっき訓練したんだけど!?」

 

「守護霊は別です」

 

「別腹みたいに言うな!」

 

真壁が笑った。

 

『元気そうで何よりだ』

 

「真壁さん助けて!」

 

『無理だ』

 

「裏切った!」

 

『信じろと言った直後にそれか』

 

「信じてるけど助けて!」

 

真壁の表情が。

 

ほんの少し柔らかくなる。

 

『蓮根君』

 

「ん?」

 

『頼んだぞ』

 

奎星が。

 

止まる。

 

ふざけた顔が。

 

消える。

 

『学校のみんなを』

 

真壁が言う。

 

『連れ戻してくれ』

 

奎星は。

 

神代榊を握った。

 

一学期。

 

何も知らなかった。

 

魔法を覚えて。

 

調子に乗って。

 

失敗した。

 

夏。

 

鬼火鳥を追った。

 

黒曜の環と戦った。

 

死にかけた。

 

秋。

 

星迎祭。

 

門。

 

学校を奪われた。

 

そして今。

 

自分にしかできないことが。

 

ある。

 

「……おう」

 

奎星が笑う。

 

「任せろ」

 

御影が横目で見る。

 

「調子に乗るな」

 

「今の流れで!?」

 

「失敗したら全員戻らん」

 

「急に重くするなよ!」

 

「事実だ」

 

「分かってるって!」

 

笑いが。

 

小さな石室へ響く。

 

こんな状況なのに。

 

誰かが。

 

笑った。

 

真壁は。

 

その光景を。

 

石台の向こうから見ていた。

 

学校は奪われた。

 

校長は倒れた。

 

教師も。

 

生徒も。

 

神代の手にある。

 

魔法省の中にすら。

 

敵がいるかもしれない。

 

斎賀玄弥は。

 

未だ拘束された犯罪者。

 

常隠島にいる者たちは。

 

外へ自由に出ることすらできない。

 

神代冥司の作戦は。

 

完璧だった。

 

門を作った。

 

戦力を分断した。

 

御影玄一郎を。

 

柊木志乃を。

 

烏丸スズメを。

 

蓮根奎星を。

 

学校から消した。

 

残された九重院紫苑へは。

 

正面から挑まなかった。

 

彼女が最も攻撃できないもの。

 

生徒を使った。

 

学校を奪った。

 

誰にも。

 

反撃させないはずだった。

 

完璧だった。

 

ただ。

 

一つ。

 

いや。

 

いくつか。

 

神代冥司が。

 

まだ知らないことがある。

 

黒曜の門へ入れた七人は。

 

帰ってきた。

 

奪われた三人も。

 

取り戻した。

 

九重院紫苑は。

 

倒れる最後の瞬間まで。

 

次の一手を残した。

 

魔法省には。

 

まだ。

 

真壁征士郎がいる。

 

そして。

 

十二年前。

 

神代の側へ消えた男。

 

斎賀玄弥が。

 

もう一度。

 

御影玄一郎と真壁征士郎の隣へ戻ろうとしている。

 

《最強の三人》。

 

十二年前に壊れたその形が。

 

今度は。

 

神代冥司を倒すために。

 

もう一度。

 

繋がろうとしている。

 

そのうえ。

 

神代が利用し続けてきた。

 

鬼火鳥。

 

霊脈。

 

古代魔術。

 

神代榊。

 

それらの中心には。

 

一人の少年がいる。

 

魔法を知って。

 

まだ数か月。

 

大人たちには。

 

遠く及ばない。

 

経験も。

 

技術も。

 

何も足りない。

 

それでも。

 

誰にも真似できないほどの魔力を持ち。

 

誰にも真似できない速さで学び。

 

そして。

 

何度傷ついても。

 

誰かを信じることを。

 

まだやめていない少年。

 

蓮根奎星。

 

神代が。

 

何年もかけて積み上げた計画を。

 

今。

 

その計画の中で生き残った者たちが。

 

一つずつ。

 

ひっくり返そうとしている。

 

御影が石台の前へ立った。

 

真壁を見る。

 

奎星たちを見る。

 

柊木。

 

スズメ。

 

そして。

 

生徒たち。

 

「準備するぞ」

 

短い声。

 

全員が。

 

御影を見る。

 

「帰る」

 

御影玄一郎は言った。

 

「マホウトコロへ」

 

奎星が。

 

神代榊を握る。

 

日向。

 

楓。

 

岳。

 

伊織。

 

澪。

 

冬真。

 

全員。

 

同じ顔になる。

 

「おう!」

 

石台の向こう。

 

真壁も。

 

静かに頷いた。

 

十二年前。

 

帰れなかった三人。

 

星迎祭の日。

 

帰る場所を奪われた生徒たち。

 

今度は。

 

違う。

 

今度は。

 

全員で。

 

帰る。

 

奪われた学校へ。

 

自分たちの場所へ。

 

そして。

 

黒曜の王を。

 

その玉座から引きずり下ろすために。

 

反撃の作戦には。

 

もう。

 

名前があった。

 

――《星帰り作戦》。

 

この日。

 

常隠島の誰にも知られていない地下室で。

 

マホウトコロ奪還作戦が。

 

動き始めた。

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