マホウトコロ   作:西野圭吾

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第5話 雪夜に連なる灯

 

日本魔法省、地下庁舎。

 

《星帰り作戦》の骨格が決まってから、真壁征士郎はほとんど眠っていなかった。

 

昼間は監察局の通常業務へ最低限顔を出し、神代冥司やマホウトコロについて独自に調べていることを悟られないよう、可能な限り普段通りに振る舞う。夜になれば旧・教育管理局の秘匿区画へ潜り、常隠島と連絡を取る。その合間を縫って進めているのが、もう一つの仕事だった。

 

人を集める。

 

ただし、魔法省を通してはならない。

 

禍祓官へ正式な招集を掛ければ、誰を、いつ、どこへ集めるのかが必ず記録に残る。魔法省の内部に神代へ協力する者がいるという疑いが消えていない以上、それでは自分たちから作戦を差し出すようなものだった。

 

だから真壁は、組織ではなく、人間を一人ずつ選んでいた。

 

 

魔法省地下、斎賀玄弥の取調室。

 

机の上には、分厚い人事資料が何冊も積み上がっていた。現役禍祓官、退役者、魔法法執行局へ籍を残す者、別部署へ異動した者、そしてすでに魔法省そのものを辞めた者。

 

真壁は一冊を開き、斎賀の前へ滑らせた。

 

「次だ」

 

「はいはい」

 

斎賀は両手首の魔力拘束具を鳴らしながら、名簿へ視線を落とした。

 

かつて黒曜の環に身を置いていた男。その経歴は、今の真壁にとって何より皮肉で、同時に何より有用でもあった。

 

誰が黒曜の環と接触していたのか。誰が神代に繋がる会合へ姿を見せていたのか。誰が物資を運び、誰が見張りをしていたのか。そして何より、斎賀玄弥自身が誰の顔を見たのか。

 

「こいつ」

 

斎賀の指が、一人の写真の上で止まった。

 

真壁が視線を落とす。

 

魔法法執行局所属。現役禍祓官。勤続十七年。

 

「確実か」

 

「確実。二年前に一度見た」

 

「場所は」

 

「長野。山ん中の古い施設」

 

真壁の表情は変わらない。

 

「何をしていた」

 

「会合の外警備。中までは入ってきてねえ」

 

真壁は名簿の端へ黒い印をつけた。

 

連絡対象外。

 

頁を捲る。

 

「こいつも駄目」

 

「理由」

 

「黒曜石の運搬をしてた」

 

「本人が?」

 

「ああ。俺が受け取った」

 

真壁の筆が、一瞬だけ止まった。

 

斎賀も、そのときだけは笑わなかった。

 

自分がいた側。自分がやったこと。それを今さら、なかったことにはできない。

 

真壁は何も言わず、もう一つ黒い印をつけた。

 

「次」

 

頁が進んでいく。

 

十人。二十人。三十人。

 

「こいつは知らねえ」

 

「なら保留」

 

「こっちは顔を見た気がする」

 

「気がするでは外す理由にならん」

 

「堅えなあ」

 

「人の人生が懸かっている」

 

「分かってるよ」

 

斎賀の声が少し低くなった。

 

適当に疑えば、無実の人間まで敵扱いすることになる。だが、逆に一人でも見落とせば、《星帰り作戦》そのものが神代へ筒抜けになる。

 

だから慎重になるしかなかった。

 

何時間も、二人は名簿を潰していった。

 

やがて、斎賀の指がある頁で止まる。

 

「こいつはいい」

 

真壁が写真を見る。

 

五十代半ば。現役の古参禍祓官。

 

鷲尾宗一。

 

「根拠は」

 

「俺らと何度か現場出ただろ」

 

「ああ」

 

「覚えてねえの?」

 

「覚えている」

 

十二年以上前。

 

真壁、御影、斎賀。三人がまだ禍祓官だった頃、別部隊として何度も同じ現場へ入った男だ。

 

無口で、融通が利かず、現場では誰より先に負傷者を確認する。そのくせ酒が入ると妙に口数が増え、当時まだ三十代だった御影のことをやたら気に入っていた。

 

斎賀が椅子へ背を預ける。

 

「玄一郎のこと、やたら気に入ってたじゃん」

 

「慕っていたな」

 

「なら連絡してみろよ」

 

真壁は鷲尾の写真をしばらく見つめたあと、名簿の端へ、今度は黒ではなく小さな丸をつけた。

 

 

連絡は、一人ずつ行った。

 

魔法省の通信網は使わない。記録の残る火映しも避ける。真壁が直接訪ねられる相手には自分の足で会いに行き、それが難しい相手には、監察局時代に使っていた緊急用の秘匿通信を利用した。

 

最初は、鷲尾宗一だった。

 

霞が関から少し離れた古い詰所。勤務を終えた鷲尾は、真壁の話を最後まで聞くと、腕を組んだまま長いこと黙っていた。

 

「……御影は?」

 

やがて、最初に訊いたのはそれだった。

 

「生きている」

 

真壁が答える。

 

「現在はマホウトコロの生徒たちと、安全な場所にいる」

 

鷲尾の目が、ほんの僅かに動いた。

 

「神代冥司が、本当に学校を?」

 

「ああ」

 

「九重院校長も?」

 

「拘束されている可能性が高い」

 

「…………」

 

再び沈黙。

 

真壁は急かさなかった。

 

やがて鷲尾は椅子から立ち上がり、壁へ立てかけていた杖を取った。

 

「いつだ」

 

「何がだ」

 

「集合」

 

真壁が見る。

 

「まだ聞いていないこともあるだろう」

 

「お前が来た」

 

鷲尾はそれだけ言った。

 

「真壁征士郎が、魔法省の正式命令でもないのに、わざわざ一人で俺のところへ来た。それで十分だ」

 

一人。

 

次に訪ねたのは、退役してから八咫小路の外れで小さな魔法具店を営んでいる女だった。

 

久世環。

 

禍祓官だった頃は、結界解除と救出術を専門にしていた。

 

真壁が九重院紫苑の名を出した瞬間、彼女の返事は決まった。

 

「昔、あの人に娘を助けてもらった」

 

理由は、それだけだった。

 

「場所を教えて」

 

参加。

 

次。

 

現役の若い禍祓官。

 

倉橋哲人

 

真壁とは、廊下で顔を合わせれば頭を下げる程度。直接話したのも数回しかない。

 

だから真壁は、最初から断られる可能性も考えていた。

 

ところが。

 

話を最後まで聞き終えた倉橋は、信じられないものを見るような顔で真壁を見ていた。

 

「……三人で戦うんですか」

 

「何?」

 

「御影玄一郎、真壁征士郎……それと」

 

僅かに躊躇する。

 

「斎賀玄弥」

 

真壁は黙った。

 

倉橋の目が、ほんの少し輝いている。

 

「俺……」

 

「…………」

 

「あなたたち三人を見て、禍祓官になったんです」

 

真壁の眉が寄った。

 

「斎賀が今まで何をしていたかは知っているな」

 

「知っています」

 

「なら」

 

「それでもです」

 

倉橋は真っ直ぐ答えた。

 

「子供の頃、あなたたちの任務記録を何度も読みました」

 

危険な任務。

 

闇の魔法使い。

 

人質救出。

 

魔法災害。

 

三人で出て。

 

三人で帰る。

 

いつしか《最強の三人》と呼ばれた禍祓官たち。

 

「俺が憧れた三人と、今の斎賀玄弥が同じじゃないことくらい分かっています」

 

倉橋は少しだけ笑った。

 

「でも、真壁さんがもう一度隣に立たせると決めたなら」

 

杖を取る。

 

「俺は、あなたを信じます」

 

真壁は、一瞬だけ何も言えなかった。

 

――だったら俺らは真壁さんを信じよう。

 

常隠島。

 

石台の向こう。

 

奎星の声が蘇る。

 

「……そうか」

 

結局、口から出たのはそれだけだった。

 

 

一人。

 

また一人。

 

人が集まった。

 

かつて真壁たち三人と共に現場へ出た者。御影玄一郎を慕っていた者。九重院紫苑へ恩を受けた者。黒曜の環を長年追ってきた者。

 

そして、三人に憧れて禍祓官になった者。

 

現役もいた。

 

退役者もいた。

 

所属も、立場も、年齢も違う。

 

ある男は、真壁から話を聞いたあとに訊いた。

 

「魔法省の命令は?」

 

「ない」

 

「つまり、勝手に動くことになる」

 

「ああ」

 

「最悪、処分されるな」

 

「そうなる」

 

「免職も?」

 

「あり得る」

 

「犯罪者扱いは?」

 

「状況次第では」

 

男は腕を組み、数秒黙った。

 

「で?」

 

「……何だ」

 

「だから、集合はいつなんだ」

 

真壁が黙る。

 

男は笑った。

 

「聞きたいのはそこだよ」

 

別の男――深見玲司は、もっと簡単だった。

 

「魔法省と真壁さん、どっちにつくかって話です?」

 

「ああ」

 

「真壁さん」

 

即答。

 

「理由は」

 

「魔法省はでかすぎる」

 

深見は肩を竦める。

 

「俺は省庁そのものが善人か悪人かなんて知らない。でも、真壁征士郎が馬鹿みたいに真面目なのは知ってる」

 

「…………」

 

「そのあんたが省を疑ってるなら、俺も疑う。それだけです」

 

また一人。

 

そして。

 

気づけば十五人。

 

真壁自身を除き、現役と退役を合わせて十五人の禍祓官が、正式な招集命令もないのに集まろうとしていた。

 

誰も、魔法省という看板に忠誠を誓って来たわけではない。

 

御影を信じた。

 

九重院を信じた。

 

真壁を信じた。

 

あるいは、隣で杖を振った仲間を信じた。

 

目の前の人間を信じて。

 

来た。

 

 

その日の夜。

 

午前零時を過ぎていた。

 

魔法省地下庁舎。

 

真壁は一人、旧記録区画へ向かっていた。

 

まだ調べたいものが残っている。

 

神代冥司。

 

黒曜の環。

 

マホウトコロへ直接転移するために使われた可能性のある経路。

 

さらに、ここ数年の内部資料閲覧履歴。

 

どこかに。

 

何かが残っているはずだった。

 

だが、地下四階へ降りたところで。

 

真壁の足が止まった。

 

「…………」

 

おかしい。

 

静かすぎる。

 

深夜なのだから静かなこと自体は不自然ではない。しかし、いるはずの警備担当がいない。

 

夜間巡回の時間。

 

通常なら二人。

 

さらに廊下の角へ設置された警備灯まで消えている。

 

真壁の目が細くなった。

 

右手が自然に杖へ伸びる。

 

足音を殺して進む。

 

警備室。

 

無人。

 

机にはまだ湯気の残った茶があり、椅子だけが倒れていた。

 

その瞬間。

 

真壁の表情が変わった。

 

「……玄弥」

 

踵を返す。

 

走った。

 

階段を下りる。

 

地下拘束区画。

 

長い廊下。

 

一つ目の角。

 

二つ目。

 

そして三つ目を曲がった瞬間。

 

轟音が響いた。

 

「!」

 

真壁はさらに速度を上げた。

 

斎賀の取調室。

 

扉が半分壊れている。

 

その向こうから。

 

声。

 

「っぶねえな!」

 

聞き慣れた、妙に軽い声。

 

直後。

 

何かが壁へ叩きつけられる。

 

真壁が扉へ辿り着き、中を見た。

 

「…………」

 

三人。

 

全員、魔法省職員。

 

そのうち二人は禍祓官。もう一人は拘束区画の管理担当。

 

対する斎賀玄弥は。

 

両手首へ魔力拘束具。

 

杖はない。

 

その状態で、三人を相手にしていた。

 

一人の職員が杖を振る。

 

「ステューピファイ!」

 

赤い光。

 

斎賀は目の前の椅子を蹴り飛ばした。

 

「なっ――」

 

床を滑った椅子が閃光の軌道へ入り、爆発して木片を撒き散らす。

 

その影へ。

 

斎賀の姿が消えた。

 

「右だ!」

 

違う。

 

下。

 

斎賀は床すれすれまで身体を落とし、机の下を滑り抜けていた。

 

そのまま相手の軸足へ蹴りを入れる。

 

「ぐっ!」

 

一人が崩れた。

 

斎賀は立たない。

 

本来なら床へ手をついて身体を起こすところだが、両手は拘束されている。だから壁へ肩をぶつけ、その反動だけで強引に身体を起こした。

 

二人目が杖を向ける。

 

「止まれ!」

 

「止まったら撃たない?」

 

「黙れ!」

 

「じゃ無理だな」

 

閃光。

 

斎賀は横へ跳んだ。

 

昔、御影との戦いで木の幹を蹴り、予測された着地点そのものを変えたのと同じ動きだった。

 

今度は、取調室の壁。

 

足をつく。

 

蹴る。

 

身体が反対側へ飛んだ。

 

「な――」

 

空中で身体を捻る。

 

踵が。

 

杖を持つ手首へ直撃。

 

杖が飛んだ。

 

斎賀はそのまま床へ着地する。

 

だが。

 

三人目。

 

背後。

 

すでに杖先が向いている。

 

「終わりだ」

 

「そう?」

 

斎賀の目だけが笑った。

 

男が呪文を放とうとする。

 

その瞬間。

 

「エクスペリアームス」

 

赤い閃光。

 

杖が宙へ飛んだ。

 

男が振り返る。

 

壊れた扉の向こう。

 

真壁征士郎。

 

「……真壁監察官」

 

「随分な夜間業務だな」

 

真壁の声に、ほとんど感情はなかった。

 

ただし。

 

目だけが冷たい。

 

男の顔が引きつる。

 

「これは――」

 

「ステューピファイ」

 

「ぐっ!」

 

赤い光が胸へ直撃する。

 

倒れる。

 

真壁は止まらない。

 

先ほど軸足を蹴られた一人が、床に転がる杖へ手を伸ばした。

 

「インカーセラス」

 

縄が両腕を縛り上げる。

 

残る一人。

 

斎賀に杖を蹴り飛ばされた男が、腰の予備杖へ手を伸ばす。

 

真壁のほうが速かった。

 

「エクスペリアームス」

 

二本目も飛ぶ。

 

「動くな」

 

三人。

 

制圧。

 

荒れていた取調室へ、急に静けさが戻った。

 

真壁はしばらく倒れている三人を見下ろしたあと、斎賀へ視線を移した。

 

両手。

 

拘束具。

 

杖なし。

 

頬には新しい擦り傷。

 

服も乱れている。

 

それでも。

 

立っている。

 

「…………」

 

真壁は小さく呟いた。

 

「相変わらず意味不明だな……」

 

斎賀が笑う。

 

「褒めてる?」

 

「褒めてない」

 

「三対一だぜ?」

 

「お前が昔から意味不明なのは知ってる」

 

「ひでえなあ。助けてやったのに」

 

「誰をだ」

 

「お前を」

 

「助けたのは俺だ」

 

斎賀が声を上げて笑った。

 

真壁はそれを無視し、倒れた三人へ視線を戻す。

 

そして。

 

一人の顔で。

 

止まった。

 

名簿。

 

黒い印。

 

「…………」

 

斎賀も気づいた。

 

「そいつ」

 

「ああ」

 

二年前。

 

長野。

 

黒曜の環の会合。

 

外警備。

 

斎賀が「確実に見た」と証言した男。

 

真壁はその場へしゃがみ込み、男の袖を捲った。

 

手首。

 

そこに。

 

小さな黒曜石の欠片を加工した、薄い指輪が嵌まっていた。

 

魔法省職員が使う装備ではない。

 

斎賀の笑みが消えた。

 

「黒曜の環だ」

 

「……ああ」

 

証拠。

 

ついに。

 

目の前へ出た。

 

魔法省内部に、神代側の人間がいる。

 

可能性ではない。

 

事実。

 

しかも、そいつらは。

 

斎賀玄弥を殺しに来た。

 

真壁は立ち上がった。

 

「玄弥」

 

「ん?」

 

「ここを出るぞ」

 

斎賀が少し止まる。

 

「正式な移送?」

 

「違う」

 

「許可は?」

 

「ない」

 

「申請」

 

「してない」

 

「征士郎」

 

斎賀の顔に、少しずつ笑みが戻る。

 

「お前、悪いことできるようになったな」

 

真壁が睨む。

 

「黙れ」

 

「玄一郎が聞いたらびっくりするぞ」

 

「お前を置いていくぞ」

 

「それは困る」

 

真壁は倒れた三人から杖を回収すると、そのうち一本を使い、斎賀の拘束具を調べた。

 

魔法省正式規格。

 

被疑者の魔力そのものを制限する拘束。

 

監察官権限だけでは解除できない。

 

斎賀が両手を上げた。

 

「外れない?」

 

「外せん」

 

「じゃこのまま?」

 

「ああ」

 

「かっこ悪くね?」

 

「今気にするところか」

 

「十二年ぶりの復帰なんだぜ?」

 

「復帰ではない」

 

「細けえなあ」

 

「お前の罪状は何一つ消えてない」

 

斎賀の表情が、ほんの一瞬だけ変わった。

 

「ああ」

 

それだけ。

 

今度は茶化さなかった。

 

 

廊下へ出た瞬間。

 

警報が鳴った。

 

甲高い音。

 

赤い光。

 

『地下拘束区画にて異常発生』

 

『全職員――』

 

真壁が杖を振る。

 

天井の警報装置が火花を散らし、音が途切れた。

 

「走れ」

 

「俺、囚人なんだけど」

 

「走れるだろ」

 

「さっき見てた?」

 

「見た」

 

「じゃ走れるわ」

 

二人で廊下を駆ける。

 

角を曲がった。

 

前方。

 

三人の魔法省職員。

 

「真壁監察官!」

 

一人が叫ぶ。

 

「止まってください!」

 

真壁は一瞬だけ迷った。

 

敵か。

 

味方か。

 

分からない。

 

今の魔法省では、それが一番厄介だった。

 

「斎賀玄弥をどこへ!」

 

「退け!」

 

「できません!」

 

三本の杖が上がる。

 

真壁も杖を上げた。

 

その瞬間。

 

別方向から白い光が飛んだ。

 

三人の前へ。

 

巨大な盾が展開される。

 

真壁の目が見開かれた。

 

「こっちです!」

 

聞き覚えのある声。

 

暗い地下通路から、人影が現れる。

 

一人。

 

二人。

 

三人。

 

五人。

 

さらにその後ろ。

 

真壁が連絡を取った禍祓官たち。

 

先頭。

 

巨大な盾を展開したまま、鷲尾宗一が面倒そうな顔をしていた。

 

「……お前たち」

 

「遅い」

 

「なぜここにいる」

 

「監察局の動きがおかしかった」

 

その横で久世環が答える。

 

「それと、あんたが斎賀の拘束区画へ走っていったって連絡が来た。嫌な予感がしてね」

 

若い倉橋が。

 

斎賀を見る。

 

「…………」

 

斎賀も見る。

 

「何?」

 

「いや」

 

倉橋は、かなり複雑な顔をしていた。

 

憧れた。

 

子供の頃、記録で読んだ。

 

伝説のように思っていた。

 

斎賀玄弥。

 

それが今。

 

両手へ拘束具をつけ。

 

髪を乱し。

 

取調室から脱走しようとしている。

 

「……思ってた再会と違うなって」

 

斎賀が笑う。

 

「俺も」

 

「玄弥」

 

真壁が低く言う。

 

「今は黙れ」

 

「はいはい」

 

そのとき。

 

奥から複数の足音が響いた。

 

多い。

 

真壁たちが振り返る。

 

十人以上の魔法省職員。

 

その中には、真壁が知っている顔もいる。

 

そして。

 

斎賀が。

 

名簿へ黒い印をつけた顔も。

 

一人。

 

「来るぞ!」

 

鷲尾たちが一斉に杖を上げた。

 

「真壁さん!」

 

倉橋が叫ぶ。

 

「斎賀を連れて出てください!」

 

「だが」

 

「そのために来たんでしょう!」

 

赤。

 

青。

 

白。

 

狭い廊下で魔法がぶつかり、眩しい閃光が壁を走る。

 

「プロテゴ!」

 

巨大な盾。

 

その横から深見が撃ち返す。

 

「行け!」

 

真壁は、一瞬だけ足を止めた。

 

昔。

 

十二年前。

 

同じように。

 

残る者がいた。

 

人質を先へ。

 

自分は後ろへ。

 

斎賀玄弥。

 

そして。

 

最後に聞いた声。

 

――絶対戻れよ!!

 

――誰に言ってんだ!

 

あの日。

 

斎賀は帰らなかった。

 

今。

 

その斎賀が。

 

隣にいる。

 

「征士郎」

 

斎賀が真壁を見る。

 

「行くぞ」

 

「…………」

 

真壁は杖を強く握った。

 

そして、残る者たちへ声を張る。

 

「全員!」

 

鷲尾が振り返る。

 

「絶対に来い!」

 

一瞬。

 

鷲尾が目を丸くした。

 

それから。

 

笑った。

 

「誰に言ってんだ!」

 

真壁の目が僅かに見開かれる。

 

同じ言葉。

 

十二年前とは。

 

違う人間から。

 

返ってきた。

 

ほんの一瞬。

 

胸の奥に、あの日の崩れゆく施設が蘇る。

 

けれど。

 

今度は。

 

違う。

 

真壁は強く頷いた。

 

「行くぞ、玄弥!」

 

「おう!」

 

二人は走った。

 

 

地下から地上へ。

 

一般人には存在すら認識できない通路を抜け、その先の霞が関へ出る。

 

深夜の官庁街。

 

地上へ飛び出した真壁は、一台の大型ワゴンが停まっているのを見つけた。

 

一般社会の車にしか見えない。

 

だが。

 

運転席には魔法使い。

 

後部扉が開く。

 

「乗れ!」

 

真壁が斎賀の背中を押す。

 

「雑!」

 

「急げ!」

 

「囚人への人権!」

 

「お前が言うな!」

 

斎賀を押し込み、真壁も乗る。

 

扉が閉じる。

 

車が動き出す。

 

直後。

 

後方の地下通路から魔法の光が走った。

 

「来た!」

 

追手。

 

四人。

 

五人。

 

さらにその後ろ。

 

だが、追手と車の間へ。

 

鷲尾たちが出る。

 

「プロテゴ・マキシマ!」

 

巨大な盾。

 

いくつもの赤い光が衝突し、夜の官庁街へ魔力の火花が弾けた。

 

「行けぇ!」

 

車が加速する。

 

霞が関の夜を抜ける。

 

国会議事堂。

 

官庁街。

 

普通のタクシー。

 

信号。

 

コンビニ。

 

一般人から見れば。

 

ただ一台の車が、夜の東京を走っているだけだった。

 

その中には。

 

元禍祓官。

 

現監察官。

 

そして。

 

魔法省に拘束されていた犯罪者。

 

斎賀が窓の外を見ている。

 

「…………」

 

「何だ」

 

真壁が訊く。

 

「いや」

 

斎賀は少し笑った。

 

「征士郎が魔法省から囚人連れ出す日が来るとはなあって」

 

「非常事態だ」

 

「報告書どうする?」

 

「…………」

 

「書く?」

 

「黙れ」

 

「書くんだ」

 

「黙れと言ってる!」

 

十二年前と。

 

少しだけ。

 

同じだった。

 

真壁が規則を気にする。

 

斎賀が茶化す。

 

違うのは。

 

一人。

 

いない。

 

御影玄一郎。

 

だが。

 

今度は。

 

会える。

 

そのために走っている。

 

 

車は都心を離れ、人通りのない古い魔法交通管理局の緊急転移場へ入った。

 

正式には、すでに使用停止となっている場所だ。

 

真壁と斎賀が車を降りてから、数分。

 

先ほど魔法省へ残った禍祓官たちが、次々と姿を現した。

 

一人。

 

二人。

 

五人。

 

十人。

 

最後に。

 

鷲尾宗一。

 

肩の外套が少し焦げている。

 

久世の袖も裂けている。

 

それでも。

 

全員が自分の足で来た。

 

真壁は一人ずつ確認した。

 

「……全員いるな」

 

「当たり前だ」

 

鷲尾が荒い息を吐く。

 

「絶対来いって言ったの、あんただろ」

 

「…………」

 

真壁は何も言わなかった。

 

ただ、ほんの少しだけ肩から力が抜けた。

 

十五人。

 

一人も。

 

欠けていない。

 

そしてここには。

 

真壁。

 

斎賀。

 

転移陣。

 

さらに。

 

白峰側から柊木志乃が繋いだ、火映しの術式。

 

真壁が杖を上げる。

 

「全員、円内へ!」

 

淡い光が転移陣の外周を走る。

 

斎賀が訊いた。

 

「行き先は?」

 

「白峰魔法学校」

 

「へえ」

 

「何だ」

 

「俺、入れてくれんの?」

 

「柊木先生には話を通してある」

 

「仕事早いなあ」

 

真壁は前を見る。

 

「転移するぞ」

 

白い光が。

 

全員を包んだ。

 

霞が関の夜が。

 

消える。

 

 

次に見えたのは。

 

雪だった。

 

白峰魔法学校。

 

標高の高い山。

 

夜。

 

冷たい空気。

 

石造りの校舎。

 

常隠島とはまるで違う、刺すような冷気が真壁の肺へ入り込む。

 

だが、転移してきた十七人は。

 

寒さより先に。

 

その場に集まっていた人々を見た。

 

人。

 

大勢。

 

柊木から連絡を受けた白峰の有志たち。

 

教員。

 

卒業生。

 

治療術師。

 

元決闘選手。

 

対黒魔術の実務経験者。

 

その数。

 

二十五人。

 

先頭へ立っていた白峰の教師が、真壁を見る。

 

「真壁監察官」

 

「……すみません」

 

真壁は頭を下げた。

 

「学校まで巻き込むことになった」

 

男は首を横に振る。

 

「柊木先生から聞いています」

 

その後ろ。

 

白峰の者たちは。

 

誰一人、帰ろうとしていない。

 

「マホウトコロだけの問題ではありません」

 

別の教師が言う。

 

「学校を一つ、丸ごと奪った相手です」

 

若い卒業生の女が杖を握り直した。

 

「次が白峰じゃない保証なんてない」

 

真壁は一人ずつ顔を見る。

 

その中には、見覚えのない者も多い。

 

真壁征士郎を知らない者。

 

御影玄一郎と直接会ったことのない者。

 

九重院紫苑に、一度も会ったことがない者だっている。

 

それでも。

 

ここにいる。

 

柊木志乃が。

 

繋いだ。

 

人たち。

 

「現在」

 

真壁が口を開く。

 

声が、雪の降る転移場へ響いた。

 

「こちらに集まった戦力を確認する」

 

禍祓官。

 

十五名。

 

白峰魔法学校。

 

有志。

 

二十五名。

 

合計。

 

四十名。

 

「常隠島側には、御影玄一郎、柊木志乃、烏丸スズメ。そして生徒たちがいる」

 

少し離れた場所で。

 

斎賀玄弥が黙って聞いている。

 

両手には。

 

まだ拘束具。

 

その姿を見て訝しむ者もいれば、あからさまに睨む者もいる。

 

当然だった。

 

斎賀は何も言わない。

 

今の自分は。

 

信用を求める立場ではない。

 

何を言ったところで。

 

過去は消えない。

 

なら。

 

結果で示すしかない。

 

真壁は続ける。

 

「目的は一つ」

 

雪。

 

夜風。

 

四十人。

 

四十本の杖。

 

「国立魔法学校マホウトコロの奪還」

 

空気が変わった。

 

「現在、神代冥司はマホウトコロを掌握している。生徒、教員の多くは、何らかの精神干渉を受けている可能性が高い」

 

真壁は一人ずつを見る。

 

「こちらが戦うべき相手は、彼らではない」

 

誰も声を出さない。

 

「黒曜の環」

 

一拍。

 

そして。

 

「神代冥司だ」

 

斎賀の目が細くなる。

 

真壁の杖を握る手へ、力が入る。

 

十五人。

 

二十五人。

 

数字だけを見れば、まだ少ない。

 

魔法省全体と比べればほんの一部でしかない。

 

黒曜の環の全貌も分からない。

 

神代冥司が、どれほどの戦力を学校へ残しているのかも分からない。

 

それでも。

 

数日前。

 

真壁は一人だった。

 

誰が敵かも分からない魔法省の地下で、九重院の折り鶴だけを握っていた。

 

今は。

 

違う。

 

真壁の後ろには。

 

十五本の杖がある。

 

その先には。

 

白峰の二十五人。

 

そして。

 

常隠島には。

 

御影玄一郎がいる。

 

柊木志乃がいる。

 

烏丸スズメがいる。

 

奎星たちがいる。

 

さらに。

 

真壁のすぐ隣には。

 

両手を拘束されたまま。

 

斎賀玄弥が立っている。

 

十二年前。

 

三人だった。

 

一人を失い。

 

二人になった。

 

やがて御影は禍祓官を辞め。

 

真壁は監察局へ進んだ。

 

三人の道は。

 

完全に途切れたはずだった。

 

それでも。

 

今。

 

その道の先へ。

 

人が集まっている。

 

御影を慕う者。

 

九重院へ恩を返そうとする者。

 

柊木を信じる者。

 

マホウトコロを守ろうとする者。

 

真壁を信じた者。

 

そして。

 

かつての三人に憧れ。

 

同じ禍祓官になった者。

 

誰か一人の力ではない。

 

一人の天才でも。

 

一人の英雄でもない。

 

切れなかった繋がりが。

 

次の一人を呼び。

 

その一人が。

 

さらに次を呼んだ。

 

雪の向こう。

 

四十人の魔法使いを見ながら。

 

斎賀が小さく笑う。

 

「増えたな」

 

真壁が横を見る。

 

「まだ足りん」

 

「相変わらず堅えなあ」

 

「神代を相手にするんだぞ」

 

「分かってるよ」

 

斎賀は白峰の校舎へ目を向けた。

 

それから。

 

もう一度。

 

集まった人々を見る。

 

「でも」

 

口元へ。

 

昔の。

 

少し人を食ったような笑みが浮かぶ。

 

「戦争らしくなってきたじゃん」

 

真壁の眉が寄る。

 

「戦争にするな」

 

「じゃ何だよ」

 

真壁は迷わなかった。

 

「奪還だ」

 

斎賀が。

 

一瞬だけ黙る。

 

そして。

 

笑った。

 

「……そっちのほうがいいな」

 

白峰の夜空へ。

 

静かに雪が舞う。

 

その白い景色の中で、杖を持つ者たちが一人、また一人と並んでいた。

 

マホウトコロを奪った神代冥司は。

 

まだ知らない。

 

自分が切り離した者たちが。

 

一人ずつ。

 

繋がり直していることを。

 

魔法省の中へ置いた黒曜の環の人間たちが。

 

真壁征士郎を。

 

止められなかったことを。

 

十二年前に壊れた三人が。

 

再び。

 

同じ方向を向き始めていることを。

 

そして。

 

その背後へ。

 

すでに四十人の魔法使いが。

 

杖を携え。

 

集まっていることを。

 

最初は。

 

九重院紫苑が残した。

 

一羽の白い折り鶴だった。

 

そこから。

 

真壁へ。

 

斎賀へ。

 

鷲尾へ。

 

久世へ。

 

倉橋へ。

 

柊木へ。

 

白峰へ。

 

小さな火は。

 

人から人へ渡り。

 

消えずに。

 

ここまで来た。

 

雪の夜。

 

白峰の山中。

 

四十の灯が。

 

静かに連なっている。

 

やがて。

 

それは海を越える。

 

奪われた学校へ。

 

帰るために。

 

《星帰り作戦》。

 

そのための戦力は。

 

もう。

 

ただの構想ではなかった。

 

反撃の灯は。

 

確かに。

 

点き始めていた。

 

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