最初の一撃で、校長室の机が消し飛んだ。
神代冥司が杖を横へ払っただけだった。黒い光が半月状に走り、御影玄一郎は正面へ盾を展開する。
「プロテゴ!」
衝突。
重い。
ただの牽制に見えた一発で、御影の靴底が床を半歩滑った。
その左右から、真壁と斎賀が同時に出る。
「ステューピファイ!」
「エクスペリアームス!」
二色の光を、神代は身体すら大きく動かさずに受け流した。杖先で空中へ小さな円を描くと、二つの魔法は軌道を変え、互いに交差して背後の壁へ突き刺さる。
「玄一郎!」
真壁の声に、御影はすでに踏み込んでいた。
「インカーセラス!」
床から拘束縄が噴き出し、神代の足首へ迫る。
その直前。
「デパルソ!」
横から斎賀の魔法が飛んだ。
御影の縄と斎賀の魔法が、ほとんど同じ場所へ入る。
「玄弥!」
「そっち来ると思わねえじゃん!」
「見れば分かる!」
「十二年ぶりに無茶言うな!」
神代が杖を振る。
二人が言い合っている間を、黒い光が一直線に抜けた。
「伏せろ!」
真壁が叫び、巨大な盾を展開する。
「プロテゴ!」
御影と斎賀の頭上を黒い奔流が通過し、歴代校長の肖像画が三枚まとめて吹き飛んだ。壁が陥没し、破れた肖像の一人が額縁の外から怒鳴る。
『何をする!!』
「すみません!」
なぜか真壁が謝った。
斎賀が振り返る。
「お前が謝るんだ」
「今そこか!」
神代は静かに三人を見ていた。
呼吸すら乱れていない。
御影が正面、真壁が右、斎賀が左。配置だけを見れば悪くない。
だが、噛み合わない。
御影が前へ出れば斎賀も出る。真壁が二人を守ろうとすれば、斎賀が盾の外へ勝手に飛び出す。斎賀が敵の死角へ入った瞬間、御影の攻撃までそこへ飛んでくる。
十二年前なら、いちいち考えなくても分かっていた。
玄一郎がどこへ立つか。
征士郎が何を見るか。
玄弥がどこへ消えるか。
だが、十二年。
一人は教師になった。
一人は監察官になった。
一人は、生き延びるために一人で戦うことを覚えた。
変わっていないはずがない。
神代が薄く笑う。
「《最強の三人》」
斎賀の眉が動いた。
「……誰がそんな恥ずい名前広めたんだろうな」
「少なくとも、今のあなた方を見て付ける名前ではありませんね」
「うるせえなあ」
「玄弥」
御影が低く言う。
「乗るな」
「乗ってねえよ」
その瞬間、神代の姿が消えた。
「――上!」
真壁の声に、三人が同時に顔を上げる。
天井近くで、神代の濃い紫の和装が宙に翻っていた。
「レダクト!」
黒い光が放たれる。
「散れ!」
三人が三方向へ飛び退いた。
轟音とともに床が爆ぜる。校長室の中央が円形に抉れ、机も椅子も書類も一斉に宙へ舞った。
御影は転がる机を避けながら杖を上げる。
「ステューピファイ!」
神代が空中で盾を展開し、赤い閃光が弾けた。
そこへ真壁が続く。
「デパルソ!」
神代の着地点へ、先に床を押すための一撃を放つ。体勢を崩させるための魔法だった。
だが。
「甘い」
神代は空中で身体を捻った。着地せず、壁へ足をついて再び跳ぶ。
斎賀が目を丸くする。
「俺の真似?」
「自意識過剰です」
「ムカつくなこいつ!」
「玄弥、左!」
御影が叫ぶ。
「分かってる!」
斎賀が左へ飛ぶ。
その先で、真壁が声を上げた。
「玄弥、待て!」
「どっちだよ!」
真壁の拘束縄と斎賀がぶつかりかける。斎賀は咄嗟に机を蹴り、軌道を変更した。
「危ねえ!」
「勝手に入るな!」
「そこ俺の道だった!」
「知らん!」
神代が、初めて小さく息を吐いた。
呆れたように。
「……本当に」
杖が振られる。
黒い閃光が三人へ分裂した。
御影は盾を展開し、真壁も盾を構える。斎賀は身を翻して避けた。
その後ろで、本棚が爆発する。
大量の本が降り注ぎ、そのうちの一冊が斎賀の頭へ落ちた。
ぼす。
「…………」
斎賀が本を拾い、表紙を見る。
『歴代校長記録・第三巻』。
「玄一郎」
「何だ」
「めっちゃ煽られてる」
「分かってる」
「腹立つ?」
「集中しろ」
真壁が神代から視線を外さずに言った。
「二人とも」
「何だ」
「うん?」
「一度、昔の動きを忘れろ」
御影の目が動く。
斎賀も、僅かに笑みを消した。
神代が静かに杖を構えている。
真壁は続けた。
「合わないのは当然だ。十二年経っている」
斎賀が鼻から息を吐く。
「じゃどうする?」
「今を見ろ」
短い。
それだけだった。
御影が神代を見る。
斎賀も、真壁も。
もう、互いの昔の癖を当てにしない。
今、どこへいる。
何を撃った。
何を見る。
それだけを見る。
神代の杖が動いた。
三人も同時に動いた。
*
次の十秒で、神代の眉が初めて僅かに動いた。
御影が正面から撃つ。
「エクスペリアームス!」
神代が右へ流す。
そこには誰もいない。
さっきまでなら斎賀がいた。
だが、いない。
神代の視線が一瞬だけ動く。
上。
「正解」
斎賀が天井近くの梁へ立っていた。
いつ上がったのか、神代が杖を向ける。
その瞬間、真壁が背後から仕掛けた。
「インカーセラス!」
縄が迫る。
神代が切り払う。
「ディフィンド」
そこへ御影が続く。
「ステューピファイ!」
神代が盾を展開する。
斎賀が落ちる。
「デパルソ!」
上からの一撃に、神代が半歩退いた。
避ける。
その先には、真壁がもういる。
「エクスペリアームス!」
神代の袖を掠めた。
「…………」
神代の目が少し細くなる。
斎賀が着地する。
御影は何も言わない。
真壁も。
次に神代が御影へ三発撃ち込んだ。
御影は二発を盾で流す。
三発目を避けない。
真壁の盾が横から滑り込んだ。
「プロテゴ!」
衝突。
その盾を足場に、斎賀が蹴る。
「借りるぜ!」
「盾を足場にするな!」
斎賀の身体が横へ飛ぶ。
神代が追う。
だが、斎賀は途中で壁を蹴った。
方向を変更する。
神代の背後に御影が正面、真壁が右、斎賀が左後方。
三方向から杖が向けられた。
神代が僅かに腰を落とす。
「ステューピファイ!」
御影が撃つ。
神代が防ぐ。
「インペディメンタ!」
真壁の魔法で、神代の動きが一瞬だけ鈍る。
そして、斎賀は撃たなかった。
「…………?」
神代の視線が斎賀へ向く。
その一瞬、御影がもう二発目を撃っていた。
「エクスペリアームス!」
神代が反応し、盾を正面へ向ける。
斎賀が笑った。
「そっち見たな」
神代の目が動く。
遅い。
斎賀は床にはいなかった。
横。
壁。
三歩。
文字通り、壁を走っていた。
一歩。
二歩。
蹴る。
神代の頭上へ身体を反転させ、杖先を至近距離へ突きつける。
「デパルソ!」
ドンッ!!
初めて、直撃した。
神代冥司の身体が吹き飛ぶ。
「――!」
机の残骸を越え、椅子を弾き、真っ直ぐ校長室の窓へ向かう。
ガシャアアアアアアアン――!!
巨大な窓硝子が砕けた。
紫の和装と黒い羽織をまとった神代の身体が、朝の空へ放り出される。
三階。
下は校庭。
落下。
ドォン!!
土煙が上がった。
「…………」
斎賀が窓枠へ着地し、下を見た。
「入った」
真壁がすぐ隣まで来る。
「直撃だ」
御影は、すでに窓へ向かっていた。
「降りるぞ」
「相変わらず感想ねえなあ」
御影は迷いなく、割れた窓から飛び出した。
「玄一郎!?」
真壁が一瞬だけ声を上げる。
「……昔からそうだった」
そう言って、自分も飛ぶ。
斎賀が笑った。
「そうそう」
三人が落下する。
校庭まで十数メートル。御影が杖を下へ向けた。
「アレスト・モメンタム」
落下速度が緩む。
御影が着地し、その横へ真壁も降り立った。
斎賀だけは途中の外壁を一度蹴り、
「っと」
回転して着地する。
真壁が見る。
「普通に降りられないのか」
「こっちのがカッコいいだろ」
「四十七だぞ」
「お前にだけは言われたくねえ!」
「俺は普通に降りた」
「喧嘩は後だ」
御影の声に、二人とも同時に前を見る。
校庭の中央には土煙が立ち込めていた。
その中心で、神代が倒れている。
斎賀が首を傾けた。
「玄一郎」
「何だ」
「別に」
斎賀の杖が、くるりと指の間で回る。
「このまま倒しちまっても良いんだろ?」
御影は一秒も迷わなかった。
「ああ」
斎賀の口元が上がる。
土煙の向こうへ、杖を向ける。
「だってよ」
「残念だったな」
沈黙。
風が煙を払う。
神代冥司は地面へ片膝をついていた。
濃い紫の和装。
黒い羽織。
長い髪。
さっきまでと同じ姿だった。
ただ、黒い羽織には土がつき、長い髪も少し乱れている。
近くには杖が地面へ斜めに突き刺さっていた。
だが、顔には苦痛がない。
怒りもない。
むしろ、笑っていた。
今までの穏やかな微笑とは違う。
口の端だけを薄く吊り上げている。
「……私が」
神代が立ち上がる。
「この程度だとでも?」
右手で、地面へ刺さった杖の柄を握る。
ゆっくりと引き抜いた。
御影の目が細くなる。
神代は三人を見る。
その瞳に、初めて明確な戦意が宿った。
*
同時刻。
本館、北側旧搬送路。
「止まって」
柊木志乃が右手を上げた。
二十五人の全員が、ぴたりと止まる。
ほんの数秒前まで、校舎の反対側から巨大な破砕音が聞こえていた。
何かが割れた。
続いて、外から重い着地音。
白峰の若い教師が、僅かに顔を引きつらせる。
「……今の、何でしょう」
柊木は少し考えた。
「気にしないでください」
「でも」
「迎撃隊です」
「それは分かりますけど」
「なら、なおさら気にしない」
穏やかな声だった。
しかし、目は前だけを見ている。
「私たちの仕事は、こちらです」
旧搬送路。
天ぷらたちが開いた、学校内部の古い道。
白峰から来た二十五人は数名ずつに分かれ、壁沿いへ展開していた。
中央にいる柊木の手には、伊織が何度も書き直した簡易地図がある。
小妖たちが、指と身振りと短い言葉で教えてくれた。
教師たちの位置。
一つ、本館一階東。
一つ、二階。
一つ、北棟連絡路。
そして最奥。
九重院紫苑。
「最初は、この先です」
柊木が小さく言った。
古い扉の向こうから、足音が二つ聞こえる。
黒曜の環。
柊木は指を二本上げた。
左右の白峰教員が頷く。
扉が開く。
「――誰だ!」
黒い外套をまとった二人が杖を構える。
だが、杖が上がるより早く、柊木が放った。
「エクスペリアームス」
一発で、二人の杖が同時に宙を舞う。
「な――」
白峰の教員たちが左右から続く。
「ステューピファイ!」
二人が倒れた。
柊木は足を止めない。
「拘束を」
「はい!」
後続が黒曜の環を縛る。
柊木は正面の教室へ向かい、杖を構えた。
「アロホモラ」
鍵は開かない。
扉の表面へ黒い術式が浮かび上がる。
「通常の鍵ではありません!」
「分かっています」
柊木が術式を見る。
複雑な黒曜石の封鎖術式。
彼女は一秒だけ見つめた。
「解除班」
二人が前へ出る。
それでも、柊木自身が杖を置いた。
「外周から。中央へ触れないでください」
「はい」
三本の杖から魔力が流れ、術式の端を一つずつ剥がしていく。
黒い文字が崩れた。
ぱき。
扉が開く。
中には、土御門芽衣子と薬師寺和政がいた。
二人とも拘束されたままだった。
手首、足首、胴。
黒い魔法の縄が何重にも巻きついている。
土御門は顔色がひどく悪かった。いつもなら柔らかな色をしている頬に血の気がなく、唇も乾き切っている。背中を起こしていることすら難しいのか、椅子へ身体を預けたまま浅い呼吸を繰り返していた。
薬師寺も同じだった。
百歳を超えてなお、いつも笑っている老人。
だが今は、丸眼鏡がずれ、白髭も乱れ、俯いている。
「……先生」
白峰の一人が息を呑む。
土御門が僅かに顔を上げた。
焦点がなかなか合わない。
「……白峰……?」
声は掠れていた。
柊木はすぐに近づく。
「助けに来ました」
「……生徒、は」
最初に、それだった。
柊木の目が少しだけ細くなる。
「今、仲間が助けています」
「そう……」
土御門の肩から、僅かに力が抜けた。
薬師寺の瞼が動く。
「……水……」
後ろから治療担当がすぐに入った。
「拘束を先に!」
「待ってください」
柊木が止める。
縄を見る。
黒い術式が僅かに脈打っている。
「魔力へ繋がっています」
一人が気づいた。
「無理に切れば反発します」
「解除を」
「はい」
白峰の術者が慎重に、一つ、また一つと術式を剥がしていく。
黒い縄が緩む。
その下に現れた手首は赤紫に腫れていた。
土御門の腕が力なく落ちる。
柊木が支える。
「ゆっくり」
「……柊木先生……?」
「はい」
「星迎祭の……」
「覚えていてくださってよかったです」
土御門がほんの少し笑おうとした。
けれど、力がない。
「……ひどい顔でしょう」
「今は鏡を見ないほうがいいですね」
土御門の口元が、本当に少しだけ動いた。
「……御影先生みたいなこと、言いますね」
柊木は一瞬だけ黙った。
「それは少し不本意です」
後ろで、白峰の教師が小さく笑う。
緊張が一瞬だけ和らいだ。
その間にも救出は進む。
薬師寺の拘束が解除される。
魔力反応は弱い。
だが、生きている。
治療担当が水を少量ずつ含ませる。
薬師寺は何とか目を開いた。
「……わしの……薬……」
「今はあなたが飲む側です」
「……不味いのは……嫌じゃ……」
柊木の目が僅かに丸くなる。
土御門が掠れた声で言った。
「……元気ですね」
「ふぉ……ふぉ……」
笑い声は途中で咳に変わった。
それでも、生きている。
「第一地点、確保!」
柊木が振り返る。
「ここへ治療要員を二名残します。動かせる状態になっても、まだ移動させないでください」
「了解!」
「次へ」
土御門が、その背中へ声をかけた。
「柊木先生……」
柊木が振り返る。
「九重院校長を……」
「分かっています」
土御門の目を見る。
「必ず」
柊木たちは再び走った。
*
同じ頃。
地下。
「二分!」
伊織の声が霊脈中枢へ響く。
銀の鴉が黒い霊脈を、一筋、また一筋と押し返している。
その先の通路では、
「プロテゴ!!」
五人の禍祓官が魔法を激突させていた。
日向、楓、岳、澪、冬真。
その後ろで、奎星は目を閉じたまま動かない。
隣にいるのはスズメだけだった。
十二分。
その時計は止まらない。
*
本館二階。
「ステューピファイ!」
赤い光が黒曜の環を倒す。
柊木が走り抜ける。
「右!」
白峰の教師が扉を開けた。
中には早瀬が窓際の床へ座らされ、腕を背後で拘束されていた。
「早瀬先生!」
「…………」
反応がない。
一瞬、空気が凍る。
治療担当が駆け寄った。
首。
呼吸。
「あります!」
全員の息が戻る。
「意識消失。魔力枯渇がかなり進んでいます!」
「拘束解除」
「はい!」
柊木が周囲を見る。
箒はない。
杖もない。
早瀬の手には、長時間縛られていた跡が残っている。
それでも呼吸はある。
生きている。
「第二地点、確保」
柊木が言った。
「次」
足を止めない。
廊下の遠くから戦闘音が聞こえる。
中央では、禍祓官たちが戦っている。
迎撃隊の残った十人が敵を引き受けていた。
さらに一度、地面が小さく揺れた。
白峰の一人が天井を見る。
「また……」
柊木は腕時計を見る。
転移から三分を少し過ぎていた。
まだ九分近く残っている。
長い。
あまりにも長い。
「進みます」
*
北棟。
白峰から星迎祭へ来ていた教員たち三名が、全員拘束されていた。
衰弱している。
一人は意識があり、二人はない。
その先にいた高宮も生きていた。
だが、声を出す力すらほとんど残っていなかった。
一人、また一人と救出する。
けれど、喜んでいる暇はない。
柊木たちが教師を見つけるたび、同じものを目にする。
黒い縄。
魔力を抑え続ける術式。
水分も食事も最低限だったのだろう。
何日も自由に身体を動かせず、杖にも触れられない。
それでも、意識を取り戻した教師が最初に訊くことは、皆ほとんど同じだった。
「生徒は」
「学校は」
「九重院校長は」
誰一人、自分のことから訊かなかった。
柊木はその度に、同じことを答えた。
「取り戻しに来ました」
それだけだった。
*
本館最奥。
古い会議室へ続く回廊だけは、今までと空気が違った。
扉の前には黒曜の環が六人、杖を構えている。
柊木が角の陰から一度だけ確認した。
後ろには、残っている戦闘要員の白峰教員たち。
もう説明は要らない。
柊木が指を三本、二本、一歩と下げる。
一斉に飛び出した。
「侵入者!」
敵が一斉に杖を向ける。
「プロテゴ・マキシマ!」
白峰の盾が展開され、壁のように攻撃を受け止めた。
爆発魔法が衝突し、回廊が揺れる。
柊木は盾の真後ろから一歩だけ出た。
「エクスペリアームス」
一人の杖が飛ぶ。
「ステューピファイ」
二人目が倒れる。
三人目が黒い刃を放った。
柊木は身体を傾けて避け、杖先を向ける。
「デパルソ」
手首だけを弾く。
敵の呪文が天井へ飛んだ。
その横から白峰の教師が続く。
「インカーセラス!」
拘束。
残り三人のうち一人が、背後の扉へ杖を向けた。
柊木の表情が変わる。
扉の向こうには九重院がいる。
「させません」
踏み込む。
敵が撃つ。
「ステューピファイ!」
柊木は避けず、杖を僅かに傾けた。
「プロテゴ」
魔法を弾く。
反射した光が敵の肩へ当たり、体勢が崩れた。
その一瞬。
「エクスペリアームス!」
杖が飛ぶ。
さらに一発。
「ステューピファイ!」
直撃。
敵が倒れる。
後ろでは、最後の二人を白峰の教師たちが同時に抑えていた。
「確保!」
「全員拘束!」
柊木はもう扉の前にいた。
術式は、さっきまでとは比べものにならないほど複雑だった。
「解除班!」
三人が集まり、杖を重ねる。
黒い文字が一つ、二つ、三つと浮かび上がる。
「外層解除!」
「第二層!」
「反発来ます!」
「止めないで!」
赤黒い光が跳ね、柊木の頬を掠めた。
血が細い一筋流れる。
それでも、視線を外さない。
「中央核!」
「見えました!」
「今!」
四本の杖が一点へ向けられる。
「フィニート!」
ぱきん。
黒い術式が砕けた。
扉が開く。
誰も、すぐには入れなかった。
部屋の奥。
壁の前に、一人の人間が座っている。
白を基調とした長衣は、今や灰色に近い。
銀の髪は乱れ、腕と足には黒い拘束が巻きついている。
九重院紫苑。
頭が下がっていた。
「……校長」
柊木が歩く。
速足。
途中から走った。
「九重院校長!」
反応はない。
柊木は膝をつき、首へ指を触れる。
一秒。
二秒。
「…………」
ある。
弱い。
けれど、脈はある。
「生きています!」
白峰の教師たちが一斉に息を吐いた。
「治療!」
「拘束から!」
術者が周囲へ集まる。
九重院の拘束は、他の教師よりさらに深かった。
何重もの黒い術式が腕から床、壁、部屋そのものへ繋がっている。
「……これ」
解除担当の顔が引きつる。
「この人一人に……何重重ねてるんだ」
柊木が九重院を見る。
当然だった。
この人を普通の教師と同じ方法で拘束できるわけがない。
星迎祭。
黒曜の門。
何百人もの生徒が一斉に引き寄せられた。
その群れを、九重院紫苑は一人で止め続けた。
そして、その直後。
学校を奪われた。
「慎重に」
柊木が言う。
「一つでも逆流させれば危険です」
「はい」
解除が始まる。
一層。
二層。
三層。
黒い縄が少しずつ薄くなる。
九重院の指が僅かに動いた。
柊木の目が変わる。
「校長?」
瞼が揺れる。
ゆっくりと開いた紫の瞳は、最初は焦点が合わなかった。
「…………」
呼吸が一つ。
「……ここ……は」
「マホウトコロです」
柊木が答える。
「救出に来ました」
九重院の目が少しだけ柊木へ合う。
「……白峰……」
「はい」
「柊木……先生……」
「覚えていていただけて光栄です」
九重院は辺りを見る。
白峰の教師。
壊れた拘束。
倒れた黒曜の環。
そして外から聞こえる、遠い戦闘音。
「……始まったのですね」
「はい」
柊木の声が少しだけ柔らかくなる。
「マホウトコロを取り戻しに来ました」
九重院の瞳が僅かに揺れた。
「……生徒たちは」
「霊脈へ向かった者たちがいます」
「…………」
「蓮根君が、守護霊を使って認識干渉を解除しています」
九重院が目を閉じる。
ほんの一瞬。
それから訊いた。
「御影先生は」
「神代冥司のもとへ」
九重院の呼吸が止まりかける。
柊木は続けた。
「真壁さんと」
一拍。
「斎賀さんも一緒です」
九重院の目が開いた。
「……三人で?」
「はい」
何を思ったのか、九重院はしばらく何も言わなかった。
ただ、ほんの僅かに目を細める。
「……そうですか」
そのとき、遠く校庭側から重い音が響いた。
ドン。
柊木が振り向く。
九重院も僅かにそちらを見る。
「九重院校長」
「…………」
「今は休んでください」
「いえ」
弱い。
それでも、校長の声だった。
「柊木先生」
「はい」
九重院が何かを言おうとする。
「御影先生たちへ……」
直後、空気が変わった。
「…………?」
柊木が止まる。
風ではない。
魔力。
学校全体、羊脂玉の壁、床、天井、何もかもを内側から押し広げるような圧が広がった。
九重院の顔から血の気が引く。
「……駄目」
「校長?」
「伏せ――」
バァァァァァァァァン!!
世界が硝子の音で埋まった。
「プロテゴ!!」
柊木が反射的に巨大な盾を展開する。
窓は一枚ではなかった。
回廊。
教室。
階段。
本館。
別棟。
大食堂。
校長室。
マホウトコロ中のありとあらゆる窓が、一斉に砕けた。
数千、数万の陽光を反射する硝子片が、校舎内へ、外へと吹き荒れる。
白峰の教師たちが一斉に、救出した教師たちへ盾を張った。
「全員防御!!」
「窓から離れて!」
「治療班、伏せろ!」
轟音。
悲鳴。
硝子。
学校全体が軋む。
床の下から巨大な魔力が噴き上がった。
一人の白峰教師が青ざめる。
「な……」
声が震える。
「何なんですか……これ……」
柊木は答えなかった。
答えられない。
額から冷たい汗が流れる。
九重院だけが理解していた。
「……神代」
その声を柊木が拾う。
九重院は苦しそうに息をしながら、砕けた窓の向こうを見た。
「御影先生…」
*
校庭。
硝子の雨が降っていた。
御影、真壁、斎賀の三人は動かない。
周囲の校舎の窓が一つ残らず砕けている。
遠くの別棟、大食堂、回廊、塔。
すべての窓から、何百枚もの硝子が朝日に光りながら地面へ落ちていた。
その中心にいる神代冥司は、さっきまでと同じ男だった。
濃い紫の和装。
黒い羽織。
長い髪。
一本の杖。
ただ、違う。
真壁の表情から僅かに余裕が消える。
斎賀も笑っていなかった。
御影の左頬の傷が、ゆっくり歪む。
神代は杖を下ろしたまま、三人を見る。
その足元から空気が揺れている。
魔法を撃ってすらいない。
それなのに、学校中の窓が耐えられなかった。
斎賀がぽつりと言った。
「……おいおい」
返事はない。
「玄一郎」
「何だ」
斎賀は神代から目を離さない。
「これ」
一拍。
「さっきまで、遊ばれてた?」
御影は答えなかった。
答える必要がなかった。
三人とも分かっている。
神代冥司が杖を上げる。
今度は、さっきまでのような小さな笑みすらない。
「では」
静かな声。
「続きを始めましょうか」
次の瞬間、三人の背筋を同時に死の気配が走った。
《星帰り作戦》。
残り九分。