マホウトコロ   作:西野圭吾

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第13話 それぞれの仕事

 

鳴海景の魔法は、当たらない。

 

正確には、当てさせない。

 

冬真が杖を上げるより早く肩を見る。足が踏み出される前に重心を見て、呼吸が変われば攻撃の瞬間を読む。

 

「ステューピファイ!」

 

赤い閃光が通路を走った。

 

しかし、鳴海はすでにそこにはいなかった。半歩だけ身体をずらして冬真の魔法を紙一重で避けると、ほとんど間を置かずに杖を返す。

 

「エクスペリアームス!」

 

「プロテゴ」

 

冬真の正面へ小さな盾が生まれ、赤い光が弾けた。

 

大きく退かない。盾を張った場所から半歩だけ右へ動き、すぐさま次の魔法へ繋げる。

 

「インペディメンタ!」

 

これも鳴海は避けた。

 

「やっぱ当たんないな」

 

冬真が苦笑する。

 

鳴海は杖を下ろさなかった。

 

「退いてください、三枝先輩」

 

「それは無理」

 

「僕は蓮根先輩を止めないといけません」

 

「それも無理」

 

「なら」

 

鳴海の目が細くなる。

 

決闘のときの顔だった。

 

人の多い場所では視線すら合わせるのが苦手だった後輩が、杖を持った途端に別人になる。

 

「退かします」

 

「やってみろ」

 

二人の杖が同時に動いた。

 

赤と白、二本の魔法が交差する。

 

冬真が避ける。鳴海も避ける。

 

三発。

 

四発。

 

五発。

 

どちらの魔法も当たらない。

 

ただし、その理由は違った。

 

鳴海は読んでいる。

 

対して冬真は、必要なぶんだけ動いていた。

 

半歩。盾。一歩。身体を僅かに傾ける。

 

星迎祭の決闘大会で見せたのと同じだった。大きく避けない。強すぎる盾も使わない。必要な魔力を、必要な動きにだけ使う。

 

だから消耗が少ない。

 

一方で、鳴海の額には少しずつ汗が浮かび始めていた。

 

「…………」

 

冬真はそれを見逃さなかった。

 

鳴海は強い。

 

相手が何をするか読むことに関しては、学年を考えれば異常なほど鋭い。

 

けれど、読むということは、見続けなければならないということでもある。

 

杖先。

 

肩。

 

足。

 

呼吸。

 

一瞬たりとも冬真から目を離せない。

 

「鳴海」

 

「何ですか」

 

「俺のどこ見てる?」

 

鳴海の眉が僅かに寄る。

 

「……何の話ですか」

 

「いや」

 

冬真は笑った。

 

「確認」

 

杖を上げる。

 

鳴海の肩が動き、右へ避けた。

 

だが、魔法は来ない。

 

「…………?」

 

冬真が杖を下げた。

 

「今、右行ったな」

 

鳴海の目が僅かに見開かれる。

 

「もう一回」

 

今度は左肩を動かす。

 

鳴海は動かない。

 

冬真も撃たない。

 

「…………」

 

「なるほど」

 

「何がです?」

 

「やっぱ見てる」

 

冬真の構えが変わった。

 

鳴海の視線が鋭くなる。

 

肩。

 

右足。

 

杖先。

 

呼吸。

 

全部を見る。

 

次に何が来る。

 

その瞬間。

 

冬真は盾を出した。

 

「プロテゴ」

 

「……?」

 

小さな盾。

 

何も飛んできていない。攻撃でもなければ、防御する必要もない。

 

それなのに冬真は、自分の正面へ盾を置いた。

 

鳴海から、自分の上半身を隠すように。

 

「――!」

 

気づいたときには遅かった。

 

盾の向こうから、杖先だけが僅かに覗く。

 

星迎祭。

 

小鳥遊真白との決闘。

 

あのときも冬真は、同じことをした。

 

「インカーセラス」

 

床を這った縄が、鳴海の両足へ絡みついた。

 

「っ!」

 

鳴海が跳ぼうとする。

 

遅い。

 

一本目が足首。

 

二本目が膝。

 

三本目が腰。

 

「フィニート!」

 

鳴海が切ろうとしたが、冬真のほうが速かった。

 

「エクスペリアームス」

 

鳴海の杖が飛ぶ。

 

「――!」

 

さらに縄が伸び、腕と胴を巻き取って壁際へ締めつけた。

 

「…………」

 

数秒、鳴海は身体を動かそうとした。

 

動けない。

 

冬真が盾を消す。

 

「はい」

 

小さく息を吐いた。

 

「先輩の勝ち」

 

鳴海が悔しそうに冬真を見る。

 

「……卑怯です」

 

「決闘大会じゃないんだから許してよ」

 

「視界を……」

 

「読むなら、見えなくすればいいかなって」

 

「…………」

 

鳴海は黙った。

 

冬真は杖を下ろさない。

 

拘束した。

 

それでも、終わりではない。

 

この後輩は今も自分を敵だと思い、奎星を止めようとしている。

 

なら、ここで待つ。

 

奎星の銀の鴉が、ここまで届くのを。

 

「鳴海」

 

「何ですか」

 

「もうちょっとだけ我慢してな」

 

「嫌です」

 

「だよな」

 

冬真が苦笑した。

 

そのときだった。

 

床を、淡い銀色の光が走った。

 

「…………」

 

冬真の目が動く。

 

霊脈の奥から伸びてきた細い銀光が、通路を、壁を伝い、鳴海の足元へ届く。

 

「……何」

 

鳴海が光を見る。

 

その胸元から、黒い靄がゆっくりと浮かび上がった。

 

「っ……!」

 

身体が震え、鳴海の瞳が大きく開く。

 

黒い靄は糸のように細くなりながら、胸から肩へ、肩から頭上へと抜けていき――消えた。

 

「…………」

 

鳴海は何度か瞬きをした。

 

さっきまで冬真を睨んでいた目から、すっと力が抜けていく。

 

「……三枝」

 

声が震えた。

 

「先輩……?」

 

冬真の表情が変わる。

 

「鳴海?」

 

「…………」

 

鳴海は自分の身体を見下ろした。

 

拘束縄。

 

少し離れた場所に落ちた自分の杖。

 

傷だらけの通路。

 

「……え」

 

呼吸が急に浅くなる。

 

「僕……」

 

辺りを見回す。

 

「何して……」

 

「鳴海」

 

「僕、今……三枝先輩に……」

 

「大丈夫」

 

冬真はすぐに言った。

 

鳴海が顔を上げる。

 

「でも」

 

「大丈夫」

 

もう一度、今度は少しゆっくりと繰り返す。

 

「俺もやったから」

 

鳴海の目が揺れた。

 

冬真は杖を振る。

 

「フィニート」

 

拘束縄が解け、支えを失った鳴海の身体が前へ傾いた。

 

冬真が咄嗟に腕を掴む。

 

「っと」

 

「……すみません」

 

「謝んなくていい」

 

「でも僕……」

 

「俺も前に同じことされたんだって」

 

「…………」

 

「黒曜の門のとき」

 

鳴海の動きが止まる。

 

冬真は少し笑った。

 

「覚えてる?」

 

鳴海の顔が変わった。

 

あの日。

 

黒い気に覆われた冬真は、門へ向かって歩いていた。

 

真壁の銀の狼が、それを引き剥がした。

 

そして倒れた冬真へ、鳴海自身が駆け寄った。

 

――三枝先輩!

 

「そう。それ」

 

冬真が鳴海の肩を軽く叩く。

 

「今度は俺が待ってただけ」

 

鳴海は何も言えなかった。

 

代わりに唇を噛み、目が少し赤くなる。

 

冬真は見ないふりをした。

 

「立てる?」

 

「……はい」

 

「じゃあ」

 

落ちていた杖を拾い、鳴海へ渡す。

 

「今度はこっち側な」

 

鳴海は自分の杖を見つめ、それから小さく頷いた。

 

「……はい」

 

 

変化は、一人では終わらなかった。

 

中央回廊では、戦っていた生徒たちが一人、また一人と杖を下ろし始めていた。

 

「……待って」

 

「何で俺たち……」

 

「先生?」

 

「これ……何?」

 

胸や肩から、黒い靄が次々と抜けていく。

 

記憶が完全に戻るわけではない。まだ混乱している。自分がなぜここにいるのか、どうして禍祓官へ魔法を撃っていたのか、数日前の出来事をうまく繋げられない者もいる。

 

それでも、一つだけ確かに変わっていた。

 

目の前にいる相手が、《敵》ではないと分かる。

 

「杖を下ろせ!」

 

鷲尾宗一が叫んだ。

 

ただし、今度その声が向けられたのは生徒ではない。

 

黒曜の環。

 

黒い外套の男へ。

 

「生徒を巻き込むな!」

 

「ステューピファイ!」

 

赤い光を、黒曜の男が盾で防ぐ。

 

その横で、ついさっきまで禍祓官と戦っていた生徒が反射的に杖を上げた。

 

「エクスペリアームス!」

 

黒曜の男の杖が宙を飛ぶ。

 

「……え」

 

撃った本人が、一番驚いていた。

 

鷲尾も一瞬だけその生徒を見る。

 

「助かった」

 

「…………はい!」

 

返事は少し遅れた。

 

けれど、確かに戻っている。

 

別の場所では、深見が二人の黒曜の環を相手にしていた。

 

「インカーセラス!」

 

一人を縛る。

 

二人目。

 

死角から杖が上がった。

 

「隊――」

 

生徒の声。

 

「先生、後ろ!」

 

深見が振り返る。

 

「プロテゴ!」

 

黒い魔法を盾で受け、そのまま杖を返した。

 

「ステューピファイ!」

 

直撃。

 

深見が振り返る。

 

「……今、隊長って言おうとした?」

 

「言ってません!」

 

「言ったよね!?」

 

「今それどころじゃないです!」

 

「そうだった!」

 

生徒が戻る。

 

一人。

 

二人。

 

五人。

 

十人。

 

徐々に、しかし確実に盤面が変わっていく。

 

これまで黒曜の環には、最大の盾があった。

 

生徒たちだ。

 

敵として戦わせながら、こちらは傷つけることができない。その制約が、禍祓官たちを縛り続けていた。

 

けれど、奎星の銀の鴉が、一人ずつその盾を剥がしている。

 

そして地下、霊脈中枢へ続く入口でも同じ変化が起きていた。

 

「神代校長を――」

 

攻撃しようとしていた生徒が、不意に止まる。

 

胸から黒い靄が抜けた。

 

「……え?」

 

その隣でも。

 

「俺……何で……」

 

五人の禍祓官たちは、その変化を見逃さなかった。

 

倉橋哲人がすぐに判断する。

 

「久世さん」

 

「うん」

 

「ここ、何人残せます」

 

久世環は戦況を見渡した。

 

生徒。

 

日向。

 

楓。

 

岳。

 

澪。

 

そして、次々と戻り始めたマホウトコロの生徒たち。

 

「今なら」

 

一拍。

 

「三人減らしても持つ」

 

日向が振り返る。

 

「マジ?」

 

「君たちが無茶しなければね」

 

「じゃ余裕!」

 

楓が睨む。

 

「今の聞いてた!?」

 

「聞いてた!」

 

倉橋はすぐに二人の禍祓官を指した。

 

「中央回廊へ! 鷲尾さんたちと合流。黒曜の環を押し返せ!」

 

「了解!」

 

二人が走り出す。

 

来た道ではない。

 

戦闘音が大きく響く方角。

 

迎撃隊が黒曜の環の主戦力を引き受けている、その戦場へ。

 

戦力が戻っていく。

 

倉橋は残った人数を確認した。

 

自分。

 

久世。

 

もう一人。

 

「まだ行ける」

 

久世が言う。

 

「もう少し戻れば、あと一人出せるよ」

 

倉橋が地下の奥を見る。

 

そこでは奎星が、まだ目を閉じたまま銀の鴉を飛ばし続けている。

 

「……すごいな」

 

誰にも聞こえないほど小さな声で、倉橋は呟いた。

 

「本当に盤面をひっくり返してる」

 

伊織が計測文字を確認し、声を上げた。

 

「五分!」

 

十二分のうち、五分が経過した。

 

残り七分。

 

銀色はもう、学校の一部を細く走るだけの光ではない。

 

明確な流れとなって広がり始めていた。

 

 

校庭。

 

巨大な円環が空を覆っていた。

 

何千、何万もの赤黒い古代文字。

 

その中心に神代冥司。

 

御影、真壁、斎賀の三人は動かない。

 

いや。

 

動けない。

 

迂闊に飛び込めば何が起きるのか、分からない。

 

その中で、真壁の目だけが異常な速度で動いていた。

 

円。

 

外周。

 

内周。

 

古代文字。

 

接続。

 

魔力の流れ。

 

一つずつ追っていく。

 

「…………」

 

神代が杖を上げる。

 

円環が一段回転した。

 

空気が沈み、風もないのに御影の長衣が揺れる。

 

斎賀が横目で真壁を見る。

 

「征士郎」

 

「黙れ」

 

「まだ何も言ってねえじゃん」

 

「今考えている」

 

「分かった?」

 

「黙れと言った」

 

「はい」

 

斎賀が本当に黙った。

 

それだけで、御影が一瞬だけ二人を見る。

 

珍しい。

 

真壁は術式から目を離さない。

 

「……一枚じゃない」

 

御影が聞く。

 

「何がだ」

 

「この術式」

 

真壁の杖先が僅かに動く。

 

「巨大な一つの円に見えるが、違う。複数の術式を重ねている」

 

斎賀が空を見上げる。

 

「どれくらい?」

 

「分からん」

 

「分からんの?」

 

「ふざける時間があるなら手伝え!」

 

「何すればいい?」

 

真壁の目が、一つの箇所で止まった。

 

巨大な円環の外側。一見すれば同じ文字が並んでいるように見える。

 

だが、一部だけ流れが逆だった。

 

「支点がある」

 

「どこ」

 

「北東。外周から三番目の環」

 

斎賀が目を凝らす。

 

「どれ?」

 

「三番目だ!」

 

「いっぱいある!」

 

「玄弥!」

 

「分かった分かった!」

 

真壁が杖を向ける。

 

「あそこだ!」

 

細い白光が伸び、一点を指し示した。

 

斎賀の目がそこへ合う。

 

笑った。

 

「なるほど」

 

その瞬間。

 

神代がこちらを見た。

 

真壁の顔色が変わる。

 

「まずい」

 

神代の杖が動く。

 

支点の配置が変わった。

 

「変えやがった!」

 

斎賀が叫ぶ。

 

「こっちの動きを見てる!」

 

「当たり前だ!」

 

真壁はすぐに新しい構成を追う。

 

だが、また変わる。

 

解析。

 

変更。

 

解析。

 

変更。

 

これでは間に合わない。

 

「玄一郎!」

 

真壁が叫んだ。

 

御影が見る。

 

「何だ!」

 

「こいつの視線を切れ!」

 

御影は一秒だけ真壁を見る。

 

それだけで意味を理解した。

 

「どれくらいだ」

 

「一分!」

 

「長いな」

 

「やれ!」

 

「分かった」

 

御影が一人、前へ出た。

 

斎賀が眉を上げる。

 

「玄一郎?」

 

「お前は征士郎とやれ」

 

「一人で?」

 

「一分だろ」

 

真壁が苦い顔をする。

 

「無茶するなよ」

 

御影は振り返らずに答えた。

 

「誰に言ってる」

 

斎賀の目が僅かに止まる。

 

真壁も、何も言わなかった。

 

十二年前。

 

何度も聞いた。

 

同じような言葉。

 

だが、今は三人いる。

 

御影が杖を上げた。

 

「神代!」

 

神代の視線が御影へ向く。

 

「何です?」

 

「こっちだ」

 

「……随分と単純な挑発ですね」

 

「効いたなら十分だ」

 

神代の瞳が僅かに細くなる。

 

御影が走った。

 

神代の杖が正面を向く。

 

黒い光。

 

「プロテゴ!」

 

衝突。

 

盾が軋む。

 

御影は退かない。

 

さらに二発。

 

三発。

 

一人で受ける。

 

「玄一郎!」

 

真壁の声。

 

「見るな!」

 

御影が怒鳴った。

 

「自分の仕事しろ!」

 

真壁の歯が一瞬だけ鳴る。

 

それでも、すぐに空へ視線を戻した。

 

「玄弥!」

 

「見てる!」

 

二人で術式を追う。

 

その間、御影は一人で神代の正面に立ち続けた。

 

「ステューピファイ!」

 

赤い閃光。

 

神代が弾く。

 

「インカーセラス!」

 

縄。

 

切られる。

 

「コンフリンゴ!」

 

爆発。

 

神代が盾を張る。

 

直後、反撃。

 

赤黒い槍が三本。

 

御影は一歩だけ右へ動き、一本目を避ける。

 

二本目は盾。

 

三本目には身体を僅かに反らす。

 

頬を掠めた。

 

細い血が一筋。

 

それでも止まらない。

 

「しつこいですね」

 

神代が言う。

 

「よく言われる」

 

「教師としても?」

 

「特に生徒にな」

 

神代の杖が再び上がる。

 

「では」

 

黒い光が集まる。

 

「少し静かにしていただきましょう」

 

御影の目が細くなった。

 

「やってみろ」

 

 

本館最奥。

 

砕けた窓から、朝の光が差し込んでいた。

 

硝子片はすでに柊木たちによって端へ寄せられている。

 

部屋の中央では、九重院紫苑が壁際へ身体を預けていた。

 

立てない。

 

杖を持つことすら、今は難しい。

 

治療担当が魔力回復薬を少量ずつ飲ませている。

 

「九重院校長」

 

柊木が隣へ膝をつく。

 

「喋らないでください」

 

九重院は答えなかった。

 

紫の瞳は、砕けた窓の外へ向いている。

 

空。

 

巨大な赤黒い円環。

 

校庭。

 

その中心にいる神代。

 

遠すぎて、人影程度にしか見えない。

 

それでも九重院は術式を見ていた。

 

「……違う」

 

「校長?」

 

「神代は……」

 

一度、息を整える。

 

「自分の魔力だけで、あれを作っているのではありません」

 

柊木の目が鋭くなる。

 

「どういうことです?」

 

九重院の指が、僅かに上がる。

 

震えていた。

 

東。

 

学校の端にある塔。

 

そして反対側、西。

 

「……柊木先生」

 

「はい」

 

「あれは」

 

九重院が苦しそうに息を吐く。

 

「学校を、術式の器にしています」

 

柊木の顔から僅かに表情が消えた。

 

九重院は目を閉じない。

 

校長として何十年も見てきた学校だった。

 

改修。

 

結界。

 

校舎への魔力供給。

 

使われなくなった古い経路。

 

今も現役の導管。

 

その全てを知っている。

 

「マホウトコロは……地下の霊脈から汲み上げた魔力を、校内へ分配しています」

 

声は弱い。

 

それでも説明は正確だった。

 

「東塔と西塔。その二つに、校舎へ魔力を分配する主導管がある」

 

柊木が窓の外を見る。

 

「神代は、それを使っている?」

 

「はい」

 

九重院がゆっくり頷く。

 

「霊脈を掌握し……さらに、学校の魔力経路そのものへ、自分の術式を重ねています」

 

だから窓が割れた。

 

だから校庭が隆起した。

 

だから古代文字が、校舎にも、壁にも、塔にも、学校全体へ広がっている。

 

神代冥司は、マホウトコロの中で戦っているのではない。

 

マホウトコロそのものを、自分の術式の一部に変えようとしている。

 

柊木の表情が変わる。

 

「切れば」

 

「神代本人の魔力は落ちません」

 

九重院が即座に言った。

 

「霊脈の掌握も……蓮根君が解除しきらない限り、残ります」

 

「…………」

 

「ですが」

 

九重院が、もう一度東塔を見る。

 

「学校を、武器として使うことはできなくなる」

 

柊木が立ち上がった。

 

「場所を」

 

「東塔地下。第一魔力室」

 

九重院は一度息を継ぐ。

 

「西塔は……二階、旧変換室」

 

「解除方法は?」

 

「壊さないでください」

 

柊木の動きが止まった。

 

九重院が薄く目を開く。

 

「学校の設備です」

 

「…………」

 

「切断弁があります。通常は……校長権限が必要ですが」

 

柊木が少しだけ笑う。

 

「校長がここにいますね」

 

九重院の口元が、ほんの僅かに動いた。

 

「……そうですね」

 

治療担当が困ったように言う。

 

「九重院校長、本当にもう喋らないでください」

 

「すみません」

 

「謝らないで休んでください!」

 

柊木はすぐに杖を抜いた。

 

白峰から来た二十五人。

 

教師たちを救出するため、ここへ来た者たち。

 

今はすでに、治療、護衛、各救出地点へと分かれている。

 

それでも、繋がっている。

 

柊木が伝達魔法を飛ばす。

 

白い光が廊下を二方向へ走った。

 

『白峰、全員へ』

 

各地点に散っていた二十五人が、一斉に顔を上げる。

 

『作戦変更です』

 

柊木の声が届く。

 

『救出済みの先生方を守る要員は、そのまま治療と護衛を継続。それ以外は二班へ再編してください』

 

土御門のそばに残った二人が顔を上げる。

 

早瀬の治療班。

 

北棟。

 

高宮。

 

それぞれの場所で、白峰の教師たちが杖を取る。

 

『第一班、東塔。第二班、西塔』

 

一人が走り出した。

 

続いて二人。

 

三人。

 

各地点から、白峰の者たちが次々と動き始める。

 

『目標は魔力導管の切断。破壊は禁止。設備を止めます』

 

そして柊木は、はっきりと言った。

 

『これは神代冥司を弱体化させる作戦ではありません』

 

九重院は壁へ身体を預けたまま聞いている。

 

『学校を、これ以上あの男の武器にさせないための作戦です』

 

九重院は静かに目を閉じた。

 

立てない。

 

戦えない。

 

今、校庭へ行ったところで、杖一本まともに振れない。

 

それでも、この学校を知っている。

 

どこに何があるのか。

 

どの魔法がどこを通るのか。

 

誰よりも知っている。

 

校長だから。

 

「……柊木先生」

 

「はい」

 

「東塔は……途中の第三分岐を使ってください。正面階段は……神代の術式が濃い」

 

「分かりました」

 

「西塔は……」

 

九重院が一度、咳き込む。

 

「校長!」

 

「……大丈夫です」

 

「大丈夫ではありません」

 

「ですが……」

 

柊木がしゃがみ込み、九重院と目線を合わせた。

 

「場所だけ教えてください」

 

「…………」

 

「動くのは、私たちの仕事です」

 

九重院の目が僅かに揺れた。

 

数秒の沈黙。

 

それから、小さく頷く。

 

「……お願いします」

 

「はい」

 

柊木は立ち上がった。

 

「白峰魔法学校」

 

杖を上げる。

 

「行きますよ!」

 

遠くから返事が重なった。

 

『了解!』

 

東へ。

 

西へ。

 

白峰の魔法使いたちが走り始めた。

 

 

地下。

 

「もう一人戻った!」

 

日向が叫ぶ。

 

「こっちも!」

 

澪の声が返る。

 

黒い靄が、また一つ消えた。

 

倉橋が周囲を見渡す。

 

入口を攻める敵は減っている。

 

正確には、敵だった生徒が減っていた。

 

今なお立ちはだかっているのは、黒曜の環と、まだ干渉が解けていない一部の生徒だけだ。

 

「久世さん」

 

倉橋が言う。

 

「もう一人出します」

 

「行ける」

 

久世が即答した。

 

「僕と彼で入口は持つ」

 

残る一人の禍祓官も頷く。

 

「生徒たちもいます」

 

日向が杖を上げた。

 

「任せろ!」

 

楓がすぐ横から釘を刺す。

 

「調子に乗らない」

 

岳も前を見据えた。

 

「抜かせない」

 

澪が杖を構える。

 

「白峰の生徒もいること、忘れないでください」

 

「誰も忘れてないって!」

 

日向が言い返す。

 

倉橋は一瞬だけ笑った。

 

「頼んだ」

 

そして、もう一人の禍祓官が中央回廊へ走った。

 

五人いた霊脈隊の護衛。

 

一人、また一人と、本来の対黒曜の環の戦場へ戻っていく。

 

それができる。

 

奎星が生徒を戻しているから。

 

伊織が計測文字を見る。

 

「…………」

 

銀色の広がる速度は、さらに上がっていた。

 

「六分」

 

スズメが奎星を見る。

 

顔色は悪い。

 

汗も止まらない。

 

鼻血の跡も残っている。

 

それでも、銀の鴉は今までで一番はっきりと形を保っていた。

 

半分。

 

六分。

 

残り、六分。

 

 

校庭。

 

神代冥司が、ふと横を見た。

 

遠い中央回廊。

 

それでも分かる。

 

生徒が一人、また一人と杖を下ろしている。

 

地下に張り巡らせた自分の干渉も薄くなっていく。

 

黒曜の環と生徒の戦線が、分離し始めている。

 

「…………」

 

神代は初めて、少し長くそちらを見た。

 

その間にも銀色は広がっていく。

 

神代の目が僅かに細くなった。

 

「なるほど……」

 

静かな声。

 

「無策で来たわけではないようですね……」

 

御影の口元が僅かに上がる。

 

「今更気づいたか!」

 

遠く、空中で術式の支点へ杖を向けていた斎賀が笑った。

 

「気づくのおっそ」

 

真壁が振り返る。

 

「よせお前ら!」

 

「何でだよ」

 

「煽るな!」

 

「向こうも煽ったじゃん」

 

「だからお前までやる必要はない!」

 

御影が言う。

 

「征士郎」

 

「お前もだ!」

 

「俺は事実を言っただけだ」

 

「同じだ!」

 

斎賀が吹き出す。

 

「征士郎、余裕出てきた?」

 

「誰のせいで消耗してると思ってる!」

 

「神代じゃない?」

 

「主にお前だ!」

 

ほんの数秒。

 

十二年前、三人で任務へ出ていた頃のようなやり取り。

 

だが、神代は笑わなかった。

 

銀の光が広がる。

 

生徒が戻る。

 

黒曜の環が孤立する。

 

霊脈隊から離れた禍祓官が、中央へ増援に向かう。

 

救出隊は教師たちを確保した。

 

そして空では、自分の術式を真壁が解析している。

 

一つ。

 

また一つ。

 

盤面が動いていく。

 

神代の瞳から、温度が完全に消えた。

 

「そうですか」

 

御影が表情を変える。

 

声が違う。

 

神代が杖を下ろした。

 

空の円環が回転を止める。

 

真壁の顔色が変わった。

 

「……待て」

 

斎賀が見る。

 

「何?」

 

「術式が変わる」

 

外周を構成していた巨大な円の一部が解けていく。

 

消えるのではない。

 

組み替わっている。

 

これまで学校全体へ向いていた広範囲の術式が、少しずつ細く絞られていく。

 

「…………」

 

御影の目が鋭くなる。

 

方向は――下。

 

地下。

 

霊脈。

 

「おい」

 

斎賀の笑みが消えた。

 

「こいつ」

 

真壁が先に理解する。

 

「蓮根君を狙っている!」

 

神代の杖先が地面へ向いた。

 

「十二分」

 

静かな声。

 

「待つ必要などありませんでした」

 

御影の身体が動く。

 

神代が一歩前へ出る。

 

「術式を解く必要もない」

 

赤黒い文字が、杖へ集まり始める。

 

その先。

 

地下深く。

 

奎星。

 

「術者がいなくなれば」

 

一拍。

 

「終わる」

 

御影玄一郎が神代の前へ立った。

 

真正面。

 

神代の杖先と地下を繋ぐ、その線上へ。

 

「退いてください」

 

神代が言う。

 

御影は動かない。

 

「御影玄一郎」

 

「言っただろう」

 

杖を上げる。

 

左頬の傷が歪んだ。

 

「俺の仕事は」

 

神代を睨む。

 

「お前を動かさないことだと」

 

神代の瞳が冷える。

 

御影も一歩たりとも退かない。

 

その背後で真壁が叫んだ。

 

「玄弥!」

 

「分かってる!」

 

二人は術式へ走る。

 

真壁が構造を読む。

 

斎賀が壊す。

 

御影が前で止める。

 

十二年前。

 

いつもそうだった。

 

一人で全部をやらない。

 

三人が、それぞれ自分の仕事をする。

 

神代が杖を上げた。

 

「では」

 

赤黒い魔力が膨れ上がる。

 

「まず、あなたから退かしましょう」

 

御影も杖を構える。

 

「やってみろ」

 

 

同じ瞬間。

 

東塔では、白峰の第一班が階段を駆け上がっていた。

 

西塔では、第二班が旧回廊へ飛び込む。

 

本館。

 

九重院紫苑は目を閉じたまま、壁へ身体を預けている。治療担当が脈を測る中、その指先だけが僅かに動いた。

 

校長室でもない。

 

校庭でもない。

 

今いる場所から、この学校を守る。

 

地下では、銀の鴉。

 

残り、六分。

 

そして校庭では、御影玄一郎の前で赤黒い光が太陽を覆った。

 

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