マホウトコロ   作:西野圭吾

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第7話 基本の魔法1

 

放課後になっても、蓮根奎星の一日は終わらなかった。

 

一般の生徒たちが授業を終え、寮や部活動へ散っていく頃になると、彼にはもう一つの授業が待っている。

 

烏丸スズメによる補習である。

 

日中、二年二組の教室へ混ざることを許されたとはいえ、魔法を学び始めてわずか二週間の奎星と、十年以上それを学んできた同級生たちとの間には、埋めようのないほど巨大な空白がある。

 

彼らが十一年間かけて覚えてきたものを、奎星はこれから追いかけなくてはならない。

 

したがって通常授業が終われば、森の端にある例の小部屋へ戻り、夕食までスズメと勉強する。

 

――はずだった。

 

「それでさ! 日向が実はクィディッチ部のエースなんだよ!」

 

丸机の向こうで、スズメが教科書を開いた。

 

「蓮根君」

 

「得点王だって! あいつあんな感じなのに!」

 

「蓮根君」

 

「で、岳がさ、昼飯めちゃくちゃ食うんだよ。マジで俺の倍くらい――」

 

「蓮根君」

 

「何?」

 

「補習を始めてもよろしいですか?」

 

「いいよ」

 

「では教科書の四十二頁を――」

 

「あと楓がめっちゃ頭いい!」

 

スズメは静かに教科書を閉じた。

 

夕暮れの光が障子を淡い橙色に染めている。窓の外では海から上がってきた風が木々を揺らし、遠くで部活動へ向かう生徒たちの声が聞こえていた。

 

奎星は朝からあった出来事を、ほとんど一から十まで話していた。

 

大食堂がどれほど広かったか。

 

岳がどれほど食べたか。

 

一般社会の高校について質問攻めにされたこと。

 

日向が箒で飛ぶと腹立たしいほど格好よかったこと。

 

そして自分は校舎の梁へ激突したこと。

 

「そこはもう知っています」

 

スズメが言った。

 

「見てたもんな」

 

「見ていました」

 

「俺が落ちたとき焦った?」

 

「早瀬先生がいましたから」

 

「ちょっとくらい焦っただろ」

 

「まったく」

 

「嘘つけ」

 

「補習を始めます」

 

奎星は笑いながら、座布団の上で胡座をかいた。

 

一日中授業を受けたはずなのに、妙に元気だった。

 

むしろ朝よりもよく喋る。

 

スズメは呆れたように彼を見ていたが、その実、少しだけ安心していた。

 

昨日まで。

 

奎星はずっと、窓の外の生徒たちを眺めていた。

 

友達できるかな。

 

早く外に出たい。

 

何度もそう口にした。

 

そして今日。

 

ちゃんと友人を作って帰ってきた。

 

「伊織は静かなんだけど、あいつたぶん一番口悪いよ」

 

「榊君は優秀な生徒ですよ」

 

「知ってんの?」

 

「魔法史を教えていますから」

 

「楓も?」

 

「水無瀬さんは学年でも成績上位です」

 

「やっぱり!」

 

「朝比奈君は、もう少し提出物を期限内に出せば成績が上がるのですが」

 

「あいつっぽいな」

 

「岩戸君は――」

 

スズメが言葉を止める。

 

奎星が待つ。

 

「……食堂でよく見ます」

 

奎星は吹き出した。

 

「教師から見てもそれなんだ!」

 

「非常に目立ちますから」

 

「いい奴らだよ」

 

その言い方が、少しだけ柔らかかった。

 

奎星は窓の外へ目を向けた。

 

夕日が森の向こうへ落ちかけている。

 

「学校生活、ほんとに楽しい!」

 

スズメが瞬きをする。

 

奎星が振り返った。

 

そこには、何の裏もなかった。

 

照れ隠しも。

 

いつもの軽口も。

 

ただ嬉しそうな、十七歳の少年の顔だった。

 

「スズメちゃんのおかげだ!」

 

「…………」

 

スズメは一瞬。

 

言葉を失った。

 

朝起こす。

 

教える。

 

叱る。

 

失敗したらやり直させる。

 

教師として当然のことをしてきただけだ。

 

少なくとも、彼女自身はそう思っていた。

 

けれど。

 

奎星にとってのこの二週間は。

 

たぶん。

 

それだけではなかった。

 

スズメは視線を教科書へ落とした。

 

「それは……」

 

少しだけ間があった。

 

「あなたが頑張ったからですよ、蓮根君」

 

今度は奎星が黙った。

 

「…………」

 

「何です?」

 

「今日のスズメちゃん優しくね?」

 

「撤回します」

 

「なんでだよ!」

 

「すぐ余計なことを言うからです」

 

奎星は笑った。

 

けれど。

 

頬は少し嬉しそうだった。

 

「それにさ!」

 

すぐ次の話題へ移る。

 

「明日は御影先生の授業だろ!」

 

「闇の魔術に対する防衛術ですね」

 

「そう!」

 

奎星は杖を抜き、妙に格好をつけて構えた。

 

「ついに魔法バトルだよ!」

 

「人に向けないでください」

 

「はい」

 

すぐ下ろす。

 

「めっちゃ楽しみなんだよね。なんか一番『魔法使い』って感じしない?」

 

「何となく言いたいことは分かりますが」

 

スズメは教科書を開き直した。

 

「対人魔法については、私より御影先生に教わったほうが間違いありません」

 

「そんなに強い?」

 

「以前申し上げたでしょう。元禍祓官です」

 

「でも魔力量なら俺のほうが――」

 

「蓮根君」

 

声が低くなった。

 

「はい」

 

「そういうところです」

 

「すみません」

 

「魔力量だけで御影先生に勝てると思わないことです。あなたでは今、十回戦って十回負けます」

 

「十回も!?」

 

「百回なら百回です」

 

「一回くらいまぐれあるだろ!」

 

「ありません」

 

「言い切るなよ!」

 

スズメは淡々と頁をめくる。

 

「真面目に受けるのですよ」

 

「まっかしてくれよ!」

 

胸を叩く。

 

スズメが不安そうな目をした。

 

「その返事を聞くと余計に心配になります」

 

「あ、そうだ」

 

奎星は何かを思い出したように身を乗り出した。

 

「久我先生もいい人だな!」

 

スズメの指が止まった。

 

「……久我先生を知っているのですか?」

 

「うん」

 

「いつお話を?」

 

「飛行術の後」

 

スズメの目が僅かに細くなる。

 

奎星は気づかず続ける。

 

「早瀬先生に説教されて、そのあと校舎戻ってるとき話しかけてくれてさ。『君が蓮根奎星君か』って」

 

「何を?」

 

「なんか色々」

 

「色々では分かりません」

 

「魔力測定のこと聞いたよ、とか。二週間で通常授業まで来たのもすごいとか」

 

奎星は得意げに胸を張った。

 

「あと俺のこと天才だって!」

 

「…………」

 

「『これだけの魔力量と習得速度を併せ持つ生徒は、そういない』って。めっちゃ褒めてくれた!」

 

「……それは、よかったですね」

 

スズメは微笑んだ。

 

ただし。

 

奎星が学校生活について話したときの笑顔とは、少し違った。

 

「だろ?」

 

「ええ」

 

「スズメちゃんも素直に天才って言えばいいのに」

 

「言いません」

 

「なんで久我先生は言ってくれんの」

 

「では久我先生に補習を頼みますか?」

 

「それは嫌」

 

即答だった。

 

スズメが眉を上げる。

 

「なぜです?」

 

「だって魔法史の質問できないじゃん」

 

「高等魔法理論の先生なので、知識はありますよ」

 

「でもスズメちゃんほどオタクじゃないだろ」

 

「…………褒めていますか?」

 

「めちゃくちゃ」

 

「そうですか」

 

不思議と。

 

悪い気はしなかった。

 

奎星は思い出したように言う。

 

「そういや箒の授業のとき、スズメちゃん久我先生と一緒にいなかった?」

 

「いましたよ」

 

「仲いいの?」

 

「普通です」

 

「研究仲間?」

 

スズメは一瞬だけ考えた。

 

「研究対象に重なる部分がある、というだけです」

 

「古代魔術?」

 

「久我先生は魔法理論全般が専門です。古い魔術体系も研究されています」

 

「へえ」

 

奎星はそれ以上気にしなかった。

 

スズメは教科書へ目を戻す。

 

「では、本当にそろそろ――」

 

ごぉん。

 

そのとき。

 

夕食を知らせる鐘が鳴った。

 

奎星の顔が変わった。

 

「やばい!」

 

「何がです?」

 

「スズメちゃん夕飯だ!」

 

スズメは時計を見る。

 

そして。

 

教科書を見る。

 

一頁も進んでいない。

 

「……蓮根君」

 

「何?」

 

「あなたのせいで、補習になりませんでした」

 

「何言ってんだよ!」

 

奎星は立ち上がる。

 

「大事な時間だっただろ!」

 

「補習より?」

 

「友情を深める時間だよ!」

 

「私とあなたは教師と生徒です」

 

「細かいこと気にすんなって」

 

「細かくありません」

 

「天ぷらに今日の飯何か聞いてくる!」

 

「逃げないでください、蓮根君!」

 

奎星は既に扉の外だった。

 

スズメは追いかけようとして。

 

やめた。

 

机の上には、結局ほとんど使われなかった教科書。

 

窓の外からは。

 

「天ぷらー! 今日肉!?」

 

という奎星の声が聞こえてくる。

 

スズメは呆れたように息を吐いた。

 

それでも。

 

少しだけ。

 

笑っていた。

 

翌日。

 

闇の魔術に対する防衛術の教室は、他の教室とは雰囲気が違っていた。

 

窓は小さく、壁は厚い。

 

壁際には人型の訓練人形や、奇妙な形をした盾、拘束具、破損した杖などが展示されている。教室というより、どこか武道場や訓練施設に近い。

 

床には円形の白線がいくつも描かれていた。

 

奎星はその中央に立ち、周囲を見回す。

 

「……いいね」

 

隣の日向が振り返る。

 

「何が?」

 

「ここ」

 

奎星は目を輝かせていた。

 

「めちゃくちゃ魔法バトルしそう」

 

伊織が眼鏡を押し上げる。

 

「その発言、御影先生の前ではしないほうがいいよ」

 

「なんで?」

 

楓も小声で言う。

 

「奎星。今日は本当に、余計なこと言わないほうがいいわよ」

 

「俺そんな余計なこと言う?」

 

四人が奎星を見る。

 

「言う」

 

声が揃った。

 

「ひどくない?」

 

そのとき。

 

がらり。

 

扉が開いた。

 

教室の空気が、一瞬で変わった。

 

御影玄一郎が入ってくる。

 

黒い短髪。

 

左頬を縦断する深い傷。

 

仏頂面。

 

大柄な身体には、装飾のほとんどない黒灰色の教師用魔法衣をまとっている。

 

足音は大きくない。

 

それでも。

 

御影が教壇へ立っただけで、教室全体が静かになった。

 

奎星は周囲を見る。

 

日向が姿勢を正している。

 

岳すら食べ物を持っていない。

 

伊織は元から静か。

 

楓も真っ直ぐ前を向いている。

 

「……怖」

 

奎星が小声で呟いた。

 

御影がこちらを見る。

 

「何か言ったか、蓮根」

 

「言ってません!」

 

「声が大きい」

 

「すみません!」

 

御影は教壇へ手を置いた。

 

低い声が、教室に響く。

 

「闇の魔術に対する防衛術。お前たちには下級課程の頃から教えてきたと思うが、攻撃を受けた際に最も重要な呪文は何だ」

 

何人もの声が返る。

 

「プロテゴ」

 

「そうだ」

 

御影は杖を抜く。

 

「プロテゴ。盾の呪文だ。そして、相手を無力化する基本呪文の一つが――」

 

杖を振る。

 

教卓の端に置かれていた訓練用の杖が跳ね上がり、御影の手へ飛び込んだ。

 

「エクスペリアームス」

 

奎星の目が輝く。

 

御影はそれを見た。

 

「今、目を輝かせた奴」

 

奎星がさっと真顔になる。

 

「誰でしょう」

 

「お前だ」

 

「はい」

 

「この二つが基本だ」

 

御影は生徒たちを見回す。

 

「派手な呪文ではない。だが、実戦で生き残りたいなら、まずこれを徹底的に覚えろ」

 

奎星は腕を組みながら聞いていた。

 

早く撃ってみたかった。

 

盾を出す。

 

相手の杖を吹き飛ばす。

 

そしてその後。

 

もっと。

 

何かこう。

 

轟音が鳴るようなやつ。

 

炎。

 

稲妻。

 

爆発。

 

そんなものを想像していた。

 

御影の声が続く。

 

「このクラスには今日から」

 

一度。

 

奎星を見る。

 

「魔法を始めて二週間の奴もいる」

 

教室の視線が集まった。

 

奎星は軽く手を挙げる。

 

「どうも」

 

「返事はいらん」

 

「はい」

 

「お前たちは十一年学んでいる。蓮根にとって、ここにいる全員が先輩だ。手本になるよう努力しろ」

 

教室の背筋が。

 

さらに伸びた。

 

奎星は隣の日向を見る。

 

「お前も?」

 

「今喋るな!」

 

日向が口だけ動かす。

 

怖いらしい。

 

御影は簡単な指示を飛ばした。

 

「水無瀬、朝比奈。防御組。榊、岩戸は攻撃組。昨日の続きだ。他も二人一組。三メートル以上距離を取れ」

 

生徒たちが一斉に動き出す。

 

「蓮根」

 

「はい!」

 

「お前はこっちだ」

 

「個人レッスン?」

 

「そうだ」

 

奎星は少し嬉しそうに御影の元へ向かった。

 

元禍祓官。

 

魔法界でも名の知られた実力者。

 

そんな人間から直接教わる。

 

それだけで胸が躍った。

 

教室の端。

 

人型の訓練人形が置かれた場所まで来る。

 

御影は一本の予備杖を人形の手へ固定した。

 

「まずエクスペリアームスを教える」

 

「はい」

 

「目標は、人形の杖だけを飛ばすことだ」

 

「それだけ?」

 

御影の眉間が僅かに深くなる。

 

「それだけだ」

 

奎星は少し肩を落とした。

 

「もっとこう……戦う感じかと思ってた」

 

「戦う感じ?」

 

「ばちばち魔法撃ち合ったり」

 

周囲の生徒たちの動きが、ほんの少し止まった。

 

御影は奎星を見た。

 

「基礎が最も重要だ」

 

「でも俺、スズメちゃんとの補習で制御も結構――」

 

「烏丸が何を教えたかは聞いている」

 

御影は遮った。

 

「だから言っている。派手なことをやろうとするな」

 

奎星の口が尖る。

 

「……はい」

 

「不満か」

 

「ちょっと」

 

「帰るか?」

 

「やります!」

 

御影は杖を構えた。

 

「見ていろ」

 

人形へ向ける。

 

動きは小さい。

 

力んでいるようには見えない。

 

「エクスペリアームス」

 

ぱしん。

 

人形の手から杖だけが抜け、御影の少し前へ落ちた。

 

奎星が眉を上げる。

 

「地味」

 

「蓮根」

 

「すみません」

 

「やれ」

 

人形へ杖を戻す。

 

奎星が構えた。

 

「狙うのは杖だけだ。人形そのものを飛ばすな」

 

「分かってます」

 

「魔力を出しすぎるな」

 

「分かってます」

 

「お前の『分かってる』は信用していない」

 

「ひどいな」

 

奎星は人形を見る。

 

手。

 

杖。

 

そこだけ。

 

「エクスペリアームス!」

 

赤い閃光が迸った。

 

ドンッ!

 

人形ごと吹き飛んだ。

 

後ろの壁へ激突する。

 

周囲が静かになる。

 

奎星は口を開けた。

 

「…………」

 

御影が言う。

 

「何を狙った」

 

「杖」

 

「俺には人形の人生そのものを否定したように見えたが」

 

教室のあちこちから笑いが漏れる。

 

奎星は耳が少し赤くなった。

 

「強かった?」

 

「強すぎだ」

 

人形を元に戻す。

 

二度目。

 

「今度は思い切り絞れ」

 

「はい」

 

「エクスペリアームス」

 

ぽふっ。

 

杖が。

 

一ミリほど動いた。

 

奎星が目を細める。

 

「……今動いた?」

 

御影が腕を組む。

 

「弱すぎだ」

 

「極端だな俺!」

 

「知っている」

 

三度目。

 

人形の腕ごと跳ねる。

 

四度目。

 

杖は飛ぶが、勢い余って天井近くまで上がる。

 

五度目。

 

弱い。

 

六度目。

 

少し強い。

 

七度目。

 

奎星は一度杖を下ろした。

 

「待って」

 

御影が黙って見る。

 

奎星は目を閉じる。

 

これまでと同じ。

 

浮遊。

 

召喚。

 

発光。

 

全部そうだった。

 

魔力を出すことは難しくない。

 

むしろ簡単だ。

 

奎星にとって難しいのは。

 

出さないこと。

 

五千を超える水を抱えながら。

 

コップ一杯だけ注ぐ。

 

しかも。

 

相手の身体にはぶつけず。

 

手元の杖だけを。

 

「…………」

 

目を開く。

 

構える。

 

「エクスペリアームス」

 

ぱしっ。

 

杖が抜けた。

 

一メートルほど飛び。

 

床に落ちた。

 

御影の眉が。

 

ほんの僅かに動いた。

 

奎星が見る。

 

「どう?」

 

「もう一度」

 

「褒めてよ」

 

「もう一度」

 

新しい位置。

 

「エクスペリアームス」

 

成功。

 

三回目。

 

成功。

 

四回目。

 

人形の手の角度を変える。

 

成功。

 

御影は何も言わない。

 

奎星は知らない。

 

この呪文は。

 

ただ対象へ魔力をぶつければよいわけではない。

 

相手を傷つけず。

 

持っている物だけへ干渉する。

 

奎星ほどの魔力量を持つ者にとって。

 

その調整は。

 

普通の魔法使いより、むしろ難しい。

 

五千を超える魔力がありながら。

 

百の魔法使いと同じ威力へ落とす。

 

さらにそこから。

 

標的の一点だけへ。

 

それを。

 

七度目で掴んだ。

 

「…………」

 

御影は奎星の横顔を見る。

 

少年本人は。

 

何も気づいていない。

 

「お、今の完璧じゃね?」

 

喜んでいる。

 

だから。

 

御影は言った。

 

「まだだ」

 

「えー!」

 

それでいい。

 

調子に乗らせる必要はない。

 

この少年の才能は。

 

放っておいても伸びる。

 

なら。

 

急がせないほうがいい。

 

むしろ。

 

ゆっくりでいい。

 

力に精神が追いつくまで。

 

「次はプロテゴだ」

 

「おお!」

 

「まず俺が弱い呪文を撃つ。それを防げ」

 

「待ってました!」

 

奎星の顔が再び輝く。

 

御影が嫌そうに見る。

 

「その顔をやめろ」

 

「なんで!」

 

「遊びじゃない」

 

「分かってるって」

 

しばらく。

 

訓練は続いた。

 

防御。

 

失敗。

 

もう一度。

 

防御。

 

強すぎて盾が大きく広がる。

 

絞る。

 

弱すぎて割れる。

 

もう一度。

 

五度。

 

十度。

 

十五度。

 

やがて。

 

奎星の前に。

 

必要最低限の大きさの透明な盾が生まれた。

 

御影の弱い攻撃呪文が、それへ当たる。

 

ぱん。

 

弾ける。

 

「おお……」

 

奎星は自分の盾を見る。

 

楽しい。

 

昨日まで知らなかったことが。

 

今日。

 

できるようになる。

 

それは。

 

どうしようもなく楽しかった。

 

そして。

 

楽しすぎた。

 

だから。

 

また。

 

余計なことを言った。

 

「御影先生!」

 

「何だ」

 

「もっと派手な魔法教えてよ!」

 

教室が。

 

止まった。

 

本当に。

 

止まった。

 

日向が奎星を見る。

 

目が言っていた。

 

馬鹿。

 

楓の顔が引きつる。

 

岳ですら口を開けている。

 

伊織はそっと眼鏡を直し。

 

視線を逸らした。

 

巻き込まれないためである。

 

御影は動かなかった。

 

ただ。

 

元から深かった眉間の皺が。

 

さらに深くなる。

 

奎星の笑顔が消える。

 

「…………」

 

やべ。

 

そう思った。

 

だが。

 

遅い。

 

「蓮根」

 

声は大きくなかった。

 

むしろ。

 

低く。

 

静かだった。

 

そのほうが怖い。

 

「はい」

 

「派手な魔法とは何だ」

 

「いや……その」

 

「炎か?」

 

御影が一歩近づく。

 

「爆発か?」

 

奎星は答えられない。

 

「人を吹き飛ばせば満足か」

 

「違――」

 

「なんのために、お前は魔法を学ぶ」

 

御影の目が。

 

真っ直ぐ奎星を射抜いた。

 

「人を殺すためか?」

 

「違います」

 

今度は。

 

奎星もすぐ答えた。

 

「なら何だ」

 

「…………」

 

「派手なら価値があるのか?」

 

御影の声が教室に響く。

 

誰も喋らない。

 

「大きな音が鳴れば、優れた魔法か。相手を血まみれにすれば強いのか。建物を壊せば才能か」

 

一つ一つ。

 

言葉が重かった。

 

奎星は目を伏せた。

 

そんなつもりではなかった。

 

誰かを傷つけたいわけではない。

 

殺したいなんて。

 

一度も思っていない。

 

ただ。

 

凄い魔法を使いたかった。

 

派手なやつ。

 

強そうなやつ。

 

できるようになったら。

 

きっと。

 

スズメに見せられる。

 

「見てよ、すげえだろ」

 

そう言って。

 

驚かせて。

 

もしかしたら。

 

褒めてもらえる。

 

二週間。

 

何度も。

 

「調子に乗らないでください」

 

と言われた。

 

それでも。

 

できたときには。

 

ほんの少し笑ってくれた。

 

だから。

 

もっと。

 

凄いことができたら。

 

もっと褒めてくれるかもしれない。

 

たった。

 

それだけだった。

 

なのに。

 

自分が今口にした言葉は。

 

そう聞こえなかった。

 

奎星は自分の杖を見た。

 

神代榊。

 

鬼火鳥の尾羽。

 

まだ二週間しか使っていない。

 

それでも。

 

手にはすっかり馴染んでいる。

 

五千を超える魔力量。

 

測定不能。

 

水晶を壊した。

 

羽根を天井へ打ち込んだ。

 

箒を暴走させた。

 

そして。

 

最初の日。

 

スズメが言った。

 

――あなたの魔法は危険です。

 

――いずれ周囲に危害を及ぼす可能性がある。

 

もし。

 

あのとき。

 

誰かがいたら。

 

もし。

 

昨日。

 

箒で壁ではなく人へぶつかっていたら。

 

もし。

 

今。

 

あの人形ではなく。

 

楓や岳や伊織や日向へ。

 

さっきのエクスペリアームスを全力で撃っていたら。

 

「…………」

 

背中が。

 

冷たくなった。

 

才能は時に凶器になります。

 

スズメの言葉が。

 

今さら。

 

違う重さで胸へ落ちた。

 

奎星は杖を下げた。

 

「……すみませんでした」

 

御影は何も言わない。

 

奎星は深く頭を下げた。

 

教室が静かになる。

 

「俺」

 

言葉を探す。

 

「誰か傷つけたいとか、そういう意味じゃなくて」

 

「分かっている」

 

奎星が少し顔を上げる。

 

御影の声は。

 

もう怒鳴るものではなかった。

 

「頭を上げろ」

 

奎星はゆっくり姿勢を戻した。

 

御影は人形の手に。

 

もう一度杖を持たせた。

 

「蓮根」

 

「はい」

 

「この呪文を地味だと言ったな」

 

「……はい」

 

「エクスペリアームス」

 

御影は人形を見た。

 

「俺が禍祓官だったころ、一番使った呪文の一つだ」

 

奎星が目を上げる。

 

教室の生徒たちも。

 

静かに聞いている。

 

「ある冬」

 

御影は淡々と話し始めた。

 

「闇の魔法使いを追って、山梨の山中へ入ったことがある」

 

十年ほど前。

 

御影がまだ現役の禍祓官だった頃。

 

違法な呪物を製造し。

 

一般人にまで被害を出した男を追っていた。

 

雪の山。

 

夜。

 

仲間は三人。

 

相手は一人。

 

それでも。

 

追い詰められたのは禍祓官側だった。

 

「相手は俺より魔力量が少なかった」

 

御影が言う。

 

「だが、実戦経験が多かった」

 

木々。

 

雪。

 

暗闇。

 

視界が悪い。

 

どこから呪文が飛んでくるかも分からない。

 

仲間の一人が負傷した。

 

もう一人の杖が折れた。

 

「俺は相手を殺せる呪文を知っていた」

 

奎星は黙って聞く。

 

「撃つ機会もあった」

 

御影は左頬の傷へ。

 

無意識に。

 

指を触れた。

 

「だが撃たなかった」

 

「……なんで?」

 

奎星が尋ねる。

 

御影は彼を見る。

 

「捕まえるために行ったからだ」

 

静かな答えだった。

 

「殺すためではない」

 

奎星は何も言わない。

 

「相手が杖を振り上げた」

 

御影が自分の杖を持ち上げる。

 

「俺が使ったのは」

 

一振り。

 

「エクスペリアームス」

 

それだけ。

 

杖が飛んだ。

 

敵の手から。

 

たった一本の杖が。

 

雪の中へ落ちた。

 

「それで終わった」

 

「…………」

 

「大爆発は起きなかった。炎も出なかった。山も吹き飛ばなかった」

 

御影は奎星を見た。

 

「だが、その一発で三人が生きて帰った」

 

奎星の指が。

 

杖を少し強く握る。

 

「殺すことは、強さじゃない」

 

御影の声は低い。

 

けれど。

 

誰の耳にも。

 

はっきり届いた。

 

「相手を壊すだけなら、力があればできる」

 

一拍。

 

「殺さずに止めるほうが、難しい」

 

奎星の瞳が僅かに揺れる。

 

「自分が怒っていても」

 

御影は続ける。

 

「怖くても」

 

「仲間が傷つけられていても」

 

「それでも必要な力だけを使う」

 

さっきの人形。

 

強すぎれば。

 

人形そのものが飛んだ。

 

弱ければ。

 

杖は抜けない。

 

ちょうどいい力。

 

それを。

 

どんな状況でも。

 

選ぶ。

 

「だから」

 

御影は訓練用の人形を指した。

 

「学ぶ」

 

奎星は人形を見る。

 

つい数分前まで。

 

退屈そうに見えていた。

 

ただ杖を飛ばすだけの魔法。

 

今は。

 

違って見えた。

 

御影が全員へ向き直る。

 

「続けろ」

 

空気が動き出した。

 

生徒たちが再び二人一組になる。

 

日向が奎星を見る。

 

楓も。

 

岳も。

 

伊織も。

 

誰も笑わなかった。

 

ただ。

 

それぞれの場所へ戻った。

 

御影も離れようとする。

 

その背中を。

 

奎星は見た。

 

そして。

 

手元の神代榊を見る。

 

巨大な魔力。

 

天才。

 

測定不能。

 

そんな言葉より。

 

今は。

 

違うものが頭に残っていた。

 

必要な力だけを使う。

 

奎星は顔を上げた。

 

「御影先生!」

 

御影が振り向く。

 

奎星は杖を握って。

 

その元へ走っていった。

 

 

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