神代冥司の杖先に集まった赤黒い光が、朝日を押し退けるように膨れ上がった。
真正面に立つ御影玄一郎は、一歩も動かない。
その背後では、真壁と斎賀が巨大術式の解析へ戻っている。
止める。
読む。
壊す。
それぞれが、自分の仕事をする。
神代の杖が振り下ろされた。
「――!」
赤黒い光が、一本の巨大な槍となって校庭を走る。
御影は盾を出さなかった。
少なくとも、真正面には。
杖先を斜め下へ振る。
「プロテゴ!」
半透明の防壁が地面へ傾いて展開された。
激突。
受けるのではない。
滑らせる。
神代の魔法は盾の表面を削りながら斜めへ逸れ、御影の左を通過した。直後、百メートル以上先の石垣へ突き刺さる。
爆発。
地面が揺れる。
石と土が空高く噴き上がった。
御影はもう動いていた。
「ステューピファイ!」
赤い閃光が神代の顔へ向かう。
神代は首を僅かに傾けるだけで避けた。
「その程度で――」
言い終わる前に、御影が間合いへ入った。
近い。
杖同士が触れそうな距離。
神代の眉が僅かに動く。
御影の左手が神代の杖を持つ手首へ伸びた。
神代は半歩退きながら杖を引く。
「エクスペリアームス!」
至近距離。
神代の胸元へ赤い光。
赤黒い盾が瞬時に展開される。
爆ぜた。
互いに二歩。
神代が下がる。
御影も衝撃で滑る。
だが、そこで止まったのは御影だけだった。
次の瞬間には前へ出ている。
「インカーセラス!」
神代の足元から縄。
切られる。
「ディフィンド」
白い刃。
神代が逸らす。
御影。
さらに前。
神代の目が細くなった。
「……なるほど」
杖が振られる。
黒い光が横薙ぎに走った。
御影はしゃがまない。
後ろへ退かない。
前へ踏み込んだ。
神代の腕の内側。
魔法が最も広がる前。
「っ」
御影の肩を、赤黒い光の端が掠める。
長衣が裂けた。
血が散る。
それでも御影は止まらない。
「デパルソ!」
神代の杖を持つ腕へ。
神代が身を捻る。
衝撃は外れる。
だが、そのせいで杖先が地下から逸れた。
それでいい。
御影は即座に距離を取った。
神代が彼を見る。
「私を倒すつもりがないのですか?」
「ある」
御影は短く答えた。
「できるならな」
「随分と消極的ですね」
「そう見えるか」
神代の杖先に、再び古代文字が集まる。
今度は五つ。
大きさの違う赤黒い円。
御影は術式を見た。
全部を見る必要はない。
杖先。
神代の視線。
円の角度。
どこへ撃つ。
何を狙う。
それだけ分かればいい。
一つ目。
上。
御影は右へ出る。
直後、さっきまで頭があった場所を黒い刃が通過する。
二つ目。
正面。
盾。
ただし小さい。
「プロテゴ」
着弾点だけを覆う防壁で角度を変え、魔法を校庭の空いた場所へ流す。
三つ目。
足元。
撃たれる前に。
「レダクト!」
神代と御影の間に残っていた石畳が爆ぜた。
土煙。
神代の視界が一瞬だけ切れる。
その瞬間。
ばちん!!
御影が消えた。
神代が左を見る。
いない。
右。
いない。
背後。
杖を向ける。
そこにもいない。
「下だ」
声。
神代の目が落ちる。
御影は崩れた校庭の低い窪みへ姿現ししていた。
地形そのものを盾にする位置。
「エクスペリアームス!」
赤い光が下から跳ね上がる。
神代が防ぐ。
そのわずかな間に、御影はもう別の場所へ姿を消す。
ばちん!!
今度は左。
「ステューピファイ!」
ばちん!!
右。
「インカーセラス!」
ばちん!!
正面。
「デパルソ!」
神代の眉間へ、僅かに皺が寄った。
威力ではない。
一発一発は、神代なら防げる。
問題は、撃たせないことだった。
大きな術式を組み始めれば間合いへ入る。
地下へ杖を向ければ射線へ立つ。
広範囲魔法なら発動前の術式を崩す。
避けられるものは避ける。
逸らせるものは逸らす。
校庭に開いた穴も、崩れた石垣も、倒れた魔法灯も使う。
本当に受けなければならないものだけを、盾で受ける。
神代の火力のほうが上だった。
比べるまでもない。
一発を真正面から受ければ、御影の盾のほうが先に壊れる。
だから、まともに受けない。
勝つための戦いではない。
通さないための戦い。
何十年。
数え切れないほどの現場で、もっと速い相手と戦った。
もっと狡猾な相手とも。
何をしてくるか分からない闇の魔法使いを追い、仲間を守り、人質を逃がし、逃げ道を塞ぎ、殺さずに捕らえてきた。
強い魔法を知っていることと。
戦場で生き残ることは。
同じではない。
神代の杖が、御影の脇を狙う。
御影は見ていなかった。
それでも身体を捻る。
黒い光が長衣を掠めた。
返す杖。
「エクスペリアームス!」
神代が弾く。
その隙に御影が一歩、さらに間合いへ入る。
神代が初めて後ろへ大きく跳んだ。
着地。
その瞳が御影を真っ直ぐ捉える。
「勝てないと理解していないのですか」
御影は荒くなり始めた呼吸を一度だけ整えた。
左肩から血が落ちている。
頬にも新しい傷。
長衣の裾は焼けていた。
それでも杖先は、一度も下がっていない。
「勝つ必要はない」
神代の目が僅かに動く。
御影は言った。
「六分、お前をここに立たせておけば俺の勝ちだ」
沈黙。
ほんの一瞬。
神代の表情から、何かが消えた。
「……そうですか」
次の攻撃には、もう言葉がなかった。
*
「玄弥!」
真壁の声が飛ぶ。
斎賀は空を見上げたまま答えた。
「どこ!」
「三時方向、二層目!」
「それ先に言え!」
「今分かったんだ!」
巨大な円環。
二層目。
右。
流れが一度集まり、そこから三方向へ分かれている箇所。
斎賀が見つける。
「これか!」
「そこだ!」
ばちん!!
斎賀が消える。
次に現れたのは校舎の外壁だった。
垂直の壁。
足場などない。
それでも一歩。
二歩。
斎賀は壁を走る。
三歩目で強く蹴り、身体を空中へ放り出した。
「っと!」
落下が始まる前。
さらに。
ばちん!!
消える。
今度は巨大円環のすぐ下。
空中。
何もない場所へ姿現しした。
ほんの一秒にも満たない。
その間に杖を振る。
「デパルソ!」
衝撃波。
赤黒い古代文字の一点へ直撃。
ばきん!!
硝子が割れるような音が空へ響いた。
円環の一部が歪む。
一文字。
二文字。
繋がっていた術式が連鎖的に砕けていく。
「入った!」
斎賀が笑う。
直後。
足場がないことを思い出す。
「やべ」
落ちる。
ばちん!!
消失。
数十メートル下。
崩れた校庭。
ばちん!!
膝をついて姿を現した。
「……毎回これ、膝に来るな」
「歳を考えろ!」
遠くから真壁が怒鳴る。
「お前に言われたくねえ!」
だが、空では確かに変化が起きていた。
円環の一層がずれる。
神代が御影と戦いながら、左手を僅かに上げた。
砕けた古代文字が止まる。
赤黒い光。
逆流。
崩れた支点の周囲へ、新しい文字が生まれる。
真壁の顔が険しくなった。
「再構築している……!」
斎賀が空を見る。
「早くない?」
「黙って次を探せ!」
「お前が探すんだろ!」
「探してる!」
真壁の視線が円環を走る。
神代は一度崩された箇所へ同じ支点を置かなかった。
位置を変えた。
接続順も。
流れる方向も。
一つ壊されただけで、構造そのものを組み替えている。
斎賀の笑みが少し薄くなった。
「……本当に化け物だな」
「だから今やってる」
真壁は一瞬も目を離さない。
「玄弥。次」
「はいよ」
その向こう。
御影へ、巨大な黒い球体が落ちた。
斎賀の顔が動く。
「玄一郎――」
「見るな!」
御影の怒声が飛ぶ。
真壁も叫んだ。
「こっちだ、玄弥!」
斎賀が歯を見せる。
「分かってるよ!」
爆発。
校庭が揺れる。
土煙が数十メートルまで膨れ上がった。
それでも。
数秒後。
ばちん!!
神代の真横へ御影が現れた。
生きている。
「インカーセラス!」
神代が振り向く。
斎賀はもう見なかった。
空。
術式。
自分の仕事。
*
黒い球体が地面へ落ちる直前、御影は姿くらましで逃げていた。
ただし、遠くへではない。
神代の右後方。
最短。
ばちん!!
姿を現す。
「インカーセラス!」
縄が神代の杖へ絡む。
「……」
神代が杖を捻る。
黒い炎が走り、縄が焼け切れる。
その炎がそのまま御影へ。
近い。
御影は防壁を張らない。
横に倒れていた訓練用の石柱へ杖を向けた。
「デパルソ!」
石柱が滑る。
炎との間へ入る。
衝突。
爆発。
砕けた石が御影の肩と背中へ当たる。
一つ。
二つ。
痛い。
だが、黒い炎を直接受けるより遥かにましだった。
御影は破片の中を前へ出る。
神代が杖を振る。
大きい。
広範囲。
その予備動作を見た瞬間、御影は迷わなかった。
間合いを潰す。
「エクスペリアームス!」
神代の腕へ。
神代が攻撃を中断して弾く。
御影は止まらない。
左手で神代の袖を掴む。
「――!」
一瞬。
四十七歳の男と年齢もわからない男二人が、杖の届かないほど近い距離で睨み合った。
御影が身体ごと押す。
神代の重心が半歩崩れる。
「離しなさい」
「嫌だ」
「子供ですか、あなたは」
「生徒にも言われる」
神代の左手が御影の胸へ向く。
杖はない。
それでも赤黒い文字が浮かんだ。
御影の目が鋭くなる。
即座に袖を離す。
後ろへ。
いや。
横。
赤黒い衝撃が御影の脇腹を掠めた。
「っ……!」
長衣が裂ける。
皮膚が焼けた。
御影は数歩滑る。
倒れない。
杖を上げる。
神代が初めて、小さく息を吐いた。
「本当に、しつこい」
「言っただろ」
御影の呼吸も、もう隠せるほど浅くはなかった。
「よく言われる」
*
地下では、銀色の鴉が飛び続けていた。
「七分!」
伊織の声が霊脈中枢へ響く。
残り五分。
奎星は目を閉じたまま、両手で神代榊を握っている。
銀の光は、もう中枢だけに留まっていなかった。幾つもの霊脈へ枝分かれし、校内の壁や床を通って広がり続けている。
そのたびに、遠くで誰かの声が変わる。
「……何で」
「先生……?」
「黒曜の環……?」
一人。
また一人。
戻っている。
だが、奎星自身の余裕は減っていた。
「っ……」
膝が僅かに揺れる。
スズメがすぐに気づいた。
「蓮根君」
「大丈夫」
「まだ何も言っていません」
「言うこと分かるから」
「なら休んでください」
「今!?」
「終わったらです!」
「びっくりした!」
そのやり取りを聞いて、入口側の日向が吹き出しかける。
「元気じゃん!」
「朝比奈君、前!」
楓に怒鳴られた。
「はい!」
もう、生徒同士で撃ち合う光はかなり減っている。
代わりに。
黒曜の環だけが、はっきりと残り始めていた。
*
東塔。
第一魔力室。
白峰の第一班が最後の階段を駆け下りた。
扉の向こうから、低い振動音が響いている。
「ここです!」
先頭の教師が扉を開く。
巨大な縦長の空間。
中央を通る太い魔力導管。
普段なら淡い白光を運んでいるはずの管には、赤黒い古代文字が絡みつき、脈打っていた。
その根元。
金属と羊脂玉で作られた古い制御盤。
中央に、大きな切断弁。
「見つけた!」
一人が駆け寄る。
しかし、弁へ触れる直前。
赤黒い光が弾けた。
「プロテゴ!」
盾。
衝撃。
教師が後ろへ滑る。
「神代の術式が絡んでる!」
「解除班、外周から!」
三人が杖を向ける。
一層。
二層。
剥がしていく。
だが、その奥に白い文字が浮かんだ。
学校本来の術式。
『権限照合』
「校長権限……!」
*
西塔。
旧変換室。
こちらも同じだった。
赤黒い古代文字。
その奥にある、古い学校設備の認証術式。
『権限照合』
「柊木先生!」
*
本館最奥。
二つの声が、ほぼ同時に柊木の伝達魔法から響いた。
『東塔、切断弁へ到達! 校長権限が必要です!』
『西塔も同じです!』
柊木が九重院を見る。
九重院は壁へ身体を預けたまま、薄く目を開いた。
「……杖を」
治療担当が顔を強張らせる。
「校長、今は――」
「振りません」
九重院の声は弱い。
「触れるだけです」
柊木は一瞬迷い、それから自分の杖を九重院の前へ差し出した。
九重院の指が、杖へ触れる。
震えている。
力はほとんど残っていない。
それでも。
魔力が一筋だけ流れた。
校長として。
この学校から認められている魔力。
柊木はその光を伝達魔法へ乗せる。
「東塔、西塔」
白い光が二方向へ走る。
「九重院校長の権限を送ります」
九重院が目を閉じたまま、掠れた声で言った。
「……国立魔法学校マホウトコロ校長、九重院紫苑の名において」
東。
西。
二つの制御盤に、同時に白い文字が灯る。
「主導管の切断を……許可します」
『権限承認』
東塔。
第一班の教師が弁を掴んだ。
「回します!」
重い。
二人。
三人。
加わる。
ぎぎぎぎ、と古い機構が動き始める。
西塔でも。
「せーの!」
白峰の教師たちが切断弁へ力を掛ける。
赤黒い文字が抵抗する。
学校本来の白い術式が、それを押し返す。
東。
「あと少し!」
西。
「止めないで!」
二つの弁が。
同時に。
最後まで回った。
がこん。
低い音が二つ。
校内へ響いた。
*
空を覆っていた巨大な円環が、揺れた。
真壁が顔を上げる。
「――!」
赤黒い古代文字。
何千。
何万。
そのうち、校舎へ繋がっていた外周部分が一斉に光を失った。
東塔。
消える。
西塔。
消える。
校舎の壁を走っていた文字。
屋根。
石柱。
地面。
次々に剥がれていく。
巨大だった円環が、一気に縮んだ。
何百メートルもの空を覆っていた術式が崩れ、神代自身の周囲に残る数層だけになる。
斎賀が目を丸くした。
「……俺らが壊した?」
「違う」
真壁は即答した。
御影が神代から目を離さず言う。
「柊木たちだ」
斎賀が一瞬だけ校舎を見る。
「……やるじゃん」
真壁の口元が、ほんの僅かに上がった。
「俺たちだけで戦っているわけじゃない」
神代も空を見た。
巨大術式。
消失。
東西の主導管から流れ込んでいた学校の魔力が途絶える。
その足元で、校庭を覆っていた赤黒い文字まで次々と薄くなっていく。
神代冥司は黙っていた。
驚きも。
怒りも。
見せない。
ただ、一度だけ東塔を見て。
次に西塔。
それから本館へ視線を向けた。
「九重院紫苑」
小さな声。
御影が聞いた。
「生きてたぞ」
「そのようですね」
「残念だったな」
神代は御影を見る。
数秒。
そして。
口元へ。
ほんの僅かに笑みを戻した。
「いいえ」
杖を持ち直す。
空に残った術式が、全てその一本へ吸い込まれるように消えていく。
斎賀の笑みが止まった。
真壁も杖を構え直す。
神代は静かに言った。
「ようやく、余計なものがなくなりましたね」
次の瞬間。
御影の顔が変わった。
「散れ!」
神代が消えた。
「――!」
ばちん、という姿くらましの音すら聞こえなかった。
御影の背後。
「玄一郎!」
真壁が叫ぶ。
御影は振り返らない。
前へ飛ぶ。
一瞬前まで背中があった場所を、細い赤黒い光が貫いた。
神代。
今度は大規模な術式ではない。
杖一本。
一人。
それだけ。
なのに。
速い。
「ステューピファイ!」
真壁が撃つ。
神代が避ける。
その先へ斎賀。
「デパルソ!」
神代の盾。
衝撃。
斎賀が舌打ちする。
「硬っ!」
神代の杖が返る。
三発。
細い。
速い。
斎賀が一発を避け、二発目を壁際へ姿くらましで逃がす。
三発目。
「プロテゴ!」
真壁が横から止める。
盾が砕けた。
「……っ!」
真壁が二歩下がる。
神代はもう次を撃っている。
御影。
正面。
「プロテゴ!」
今度は盾を傾ける余裕すらない。
衝突。
御影の腕が下がりかける。
それでも膝はつかない。
神代が続けて二発目。
御影は盾を捨てた。
左。
身体をずらす。
赤黒い光が脇を抜ける。
三発目。
御影は神代へ走った。
「またですか」
「これが一番効く」
近距離。
大技を撃たせない。
神代の杖。
御影の杖。
交差。
赤。
黒。
白。
数メートルの間で魔法が弾け続ける。
真壁が右。
斎賀が左。
三人。
再び。
今度は、もう昔の動きを思い出そうとはしていなかった。
目の前にいる二人を見る。
今、何をしているか。
どこが空いたか。
何が必要か。
御影が正面を止めれば、真壁が横から射線を切る。
真壁が神代の足を止めれば、斎賀が死角へ入る。
斎賀が無茶な角度へ飛べば、御影がその帰り道を空ける。
結果として。
それは。
十二年前と同じ形になった。
御影が前。
真壁が全体。
斎賀が壊す。
完全に。
三人だった。
*
「八分!」
地下。
残り四分。
奎星の膝が、今度こそ大きく揺れた。
スズメが肩へ手を添える。
「蓮根君」
「まだ」
「分かっています」
「まだ、いける」
「はい」
スズメは止めなかった。
止められない。
銀の鴉は学校の半分以上へ届いている。
戻った生徒たちは、今度は自分たちで周囲へ声を掛け始めていた。
「杖下ろせ!」
「黒曜の環が敵だ!」
「神代校長じゃない! 九重院先生だ!」
混乱。
怒声。
泣き声。
それでも。
もう。
神代の作った日常には戻れない。
銀が。
広がり続ける。
*
中央回廊。
「押せ!」
鷲尾が杖を振る。
「ステューピファイ!」
黒曜の環が倒れる。
横から、霊脈隊から戻ってきた禍祓官が合流した。
「鷲尾さん!」
「遅い!」
「地下が持ち直しました!」
「ならこっちは片づけるぞ!」
深見も笑う。
「隊長たちにいいとこ全部持ってかれる前に!」
戻った生徒たちが、その後ろで負傷者を運ぶ。
戦える者は杖を取る。
戦えない者は下がる。
誰かに命令されたからではない。
自分で。
選んでいる。
盤面は、もう完全に変わっていた。
*
校庭。
「九分!」
遠く地下から聞こえるはずのない声を。
神代が聞いたわけではない。
それでも。
その瞬間だった。
神代の視線が、足元へ落ちた。
一度。
すぐに御影へ戻る。
御影は見逃さなかった。
「気になるか」
神代は答えない。
攻撃。
御影へ。
今までなら、御影を倒すための一撃だった。
だが。
違う。
御影の右。
地下へ向かう旧階段の方向。
御影が気づく。
一歩。
射線へ入る。
「プロテゴ!」
逸らす。
神代の目が細くなる。
次。
左。
御影ではない。
校舎地下へ繋がる別の地面。
「デパルソ!」
御影が先に地面を爆ぜさせ、神代の足場をずらす。
杖先が逸れる。
「…………」
神代は何も言わない。
三発目。
御影の肩を狙う。
いや。
違う。
御影をどかすための攻撃。
御影は盾。
衝撃。
五メートル滑る。
その間に神代が前へ出る。
地下へ。
御影が。
ばちん!!
消える。
神代の前。
ばちん!!
現れる。
「退け」
神代の声。
短い。
御影が杖を上げる。
「断る」
魔法が衝突する。
神代の会話が減った。
視線が何度も地下へ向く。
術式の再構築も速い。
一つ壊されれば、次。
真壁が読むより先に変える。
斎賀が狙えば、即座に場所を移す。
そして。
攻撃の目的が変わっていた。
御影玄一郎を倒すことではない。
突破すること。
地下へ行くこと。
蓮根奎星を止めること。
それだけ。
真壁が気づく。
「玄一郎!」
「ああ!」
「追い詰めてる!」
神代の瞳が真壁へ向く。
一瞬。
斎賀が笑った。
「聞こえた?」
「玄弥、黙れ!」
「はいはい!」
それでも。
神代は言い返さなかった。
もう、そんなことへ使う時間が惜しい。
神代が消える。
ばちん!!
御影も消える。
ばちん!!
神代。
校舎側。
ばちん!!
御影。
その前。
「…………」
「…………」
二人の目が合う。
神代が右へ。
御影が右へ。
左。
御影も。
下。
御影が杖を向ける。
どこへ行っても。
いる。
火力なら勝っている。
魔力量も。
古代魔術も。
学校の霊脈への理解も。
それでも。
通れない。
御影玄一郎が。
通さない。
神代の杖先に赤黒い光が凝縮される。
御影も構える。
「本当に」
神代が初めて、少しだけ低い声を出した。
「邪魔ですね」
御影の口元が僅かに上がった。
「教師だからな」
「関係がありますか?」
「生徒がやってる最中に」
一歩。
「教師が道を空けるわけにいかん」
神代の魔法。
御影。
横へ。
逸らす。
真壁。
「インペディメンタ!」
神代の足が僅かに鈍る。
斎賀。
横。
「はい、残念」
「デパルソ!」
神代が盾。
御影がもう正面にいる。
三本。
完全に。
塞ぐ。
*
「十時方向! 内周!」
真壁が叫んだ。
斎賀が走る。
「何層!」
「一層!」
「近っ!」
ばちん!!
姿くらまし。
空中。
今度は支点が低い。
斎賀が校舎の崩れた庇へ姿を現し、そのまま走る。
一歩。
二歩。
跳ぶ。
「レダクト!」
支点。
砕ける。
神代が即座に再構築。
真壁が追う。
「次、七時!」
「早いって!」
斎賀が地面へ着く前に消える。
ばちん!!
別方向。
「デパルソ!」
二つ目。
破壊。
また組み直される。
「次!」
「もう見てる!」
三人の声が重なる。
御影は神代を止める。
真壁は読む。
斎賀は壊す。
昔。
斎賀が前へ出すぎれば、御影が引いた。
御影が追いすぎれば、真壁が止めた。
真壁が慎重になりすぎれば、斎賀が飛び込んだ。
今は。
誰も昔の癖をなぞってはいない。
それでも。
同じだった。
三人で。
一つの戦場を。
作っている。
*
東塔。
切断された主導管の中から、赤黒い光が完全に消えた。
「東塔、停止確認!」
西塔。
「西塔も停止!」
本館。
柊木の伝達魔法へ、二つの報告が重なる。
柊木は静かに息を吐いた。
「了解しました。設備周辺を封鎖。誰も再接続させないでください」
『了解!』
九重院が薄く目を開く。
「……止まりましたか」
「はい」
柊木が答える。
「学校は、もう神代さんの武器ではありません」
九重院は小さく息を吐いた。
それだけだった。
勝ったとは言わない。
まだ、神代はいる。
地下では奎星が戦っている。
校庭では御影たちがいる。
だから。
自分も。
休む。
それが今の仕事だった。
*
残り三分。
伊織の声が地下へ響いた。
「九分!」
奎星の肩が上下する。
神代榊を握る手には、もう明らかに力が残っていない。
それでも。
銀の鴉は飛んでいる。
スズメが隣にいる。
日向。
楓。
岳。
澪。
伊織。
久世たち。
その向こうには、戻った生徒たち。
そして。
地上。
御影。
真壁。
斎賀。
柊木。
九重院。
鷲尾。
深見。
白峰。
全員。
それぞれの場所で。
三分を作っている。
*
校庭。
神代冥司は、もう喋らなかった。
杖が動く。
御影の左。
突破。
御影が入る。
次。
右。
真壁が止める。
次。
上。
斎賀が潰す。
神代が再構築。
速い。
今までより。
明らかに。
速い。
視線が地下へ落ちる。
一度。
二度。
三度。
御影が数えた。
焦っている。
顔には出ない。
声も荒げない。
魔法も乱れない。
それでも。
分かる。
攻撃に無駄がなくなりすぎた。
御影を倒すための一手を捨て、ただ一歩でも地下へ近づくための一手だけを選び始めている。
神代が御影へ黒い光を撃つ。
御影は避ける。
神代は追わない。
そのまま横を抜ける。
「――!」
御影が気づく。
ばちん!!
姿くらまし。
神代の正面へ。
「しつこい!」
初めて。
神代の声が僅かに強くなった。
御影の目が鋭くなる。
「知ってる」
赤黒い光。
御影。
盾。
砕ける。
身体が後方へ滑った。
靴底が土を削る。
三メートル。
五メートル。
止まる。
神代がその横を抜けようとする。
御影の左足が地面を踏んだ。
まだ。
立つ。
杖。
上がる。
「インカーセラス!」
神代の足元。
一瞬。
止まる。
それだけでいい。
真壁。
「玄弥!」
「分かってる!」
斎賀が飛ぶ。
神代の進路へ。
「デパルソ!」
神代が防ぐ。
その間に。
御影が戻る。
また。
正面。
三人。
神代の前。
並ぶ。
御影の呼吸は荒い。
左腕は血に濡れている。
長衣も、もう元の形を保っていない。
それでも。
杖は真っ直ぐだった。
神代が三人を見る。
今度は何も言わない。
御影も。
真壁も。
斎賀も。
誰も言わない。
地下。
銀の光が。
また一段。
強くなる。
残り。
三分。
神代冥司の杖が上がる。
三本の杖も。
同時に上がった。
ここから先は。
一秒すら。
通さない。