マホウトコロ   作:西野圭吾

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第14話 六分間

 

神代冥司の杖先に集まった赤黒い光が、朝日を押し退けるように膨れ上がった。

 

真正面に立つ御影玄一郎は、一歩も動かない。

 

その背後では、真壁と斎賀が巨大術式の解析へ戻っている。

 

止める。

 

読む。

 

壊す。

 

それぞれが、自分の仕事をする。

 

神代の杖が振り下ろされた。

 

「――!」

 

赤黒い光が、一本の巨大な槍となって校庭を走る。

 

御影は盾を出さなかった。

 

少なくとも、真正面には。

 

杖先を斜め下へ振る。

 

「プロテゴ!」

 

半透明の防壁が地面へ傾いて展開された。

 

激突。

 

受けるのではない。

 

滑らせる。

 

神代の魔法は盾の表面を削りながら斜めへ逸れ、御影の左を通過した。直後、百メートル以上先の石垣へ突き刺さる。

 

爆発。

 

地面が揺れる。

 

石と土が空高く噴き上がった。

 

御影はもう動いていた。

 

「ステューピファイ!」

 

赤い閃光が神代の顔へ向かう。

 

神代は首を僅かに傾けるだけで避けた。

 

「その程度で――」

 

言い終わる前に、御影が間合いへ入った。

 

近い。

 

杖同士が触れそうな距離。

 

神代の眉が僅かに動く。

 

御影の左手が神代の杖を持つ手首へ伸びた。

 

神代は半歩退きながら杖を引く。

 

「エクスペリアームス!」

 

至近距離。

 

神代の胸元へ赤い光。

 

赤黒い盾が瞬時に展開される。

 

爆ぜた。

 

互いに二歩。

 

神代が下がる。

 

御影も衝撃で滑る。

 

だが、そこで止まったのは御影だけだった。

 

次の瞬間には前へ出ている。

 

「インカーセラス!」

 

神代の足元から縄。

 

切られる。

 

「ディフィンド」

 

白い刃。

 

神代が逸らす。

 

御影。

 

さらに前。

 

神代の目が細くなった。

 

「……なるほど」

 

杖が振られる。

 

黒い光が横薙ぎに走った。

 

御影はしゃがまない。

 

後ろへ退かない。

 

前へ踏み込んだ。

 

神代の腕の内側。

 

魔法が最も広がる前。

 

「っ」

 

御影の肩を、赤黒い光の端が掠める。

 

長衣が裂けた。

 

血が散る。

 

それでも御影は止まらない。

 

「デパルソ!」

 

神代の杖を持つ腕へ。

 

神代が身を捻る。

 

衝撃は外れる。

 

だが、そのせいで杖先が地下から逸れた。

 

それでいい。

 

御影は即座に距離を取った。

 

神代が彼を見る。

 

「私を倒すつもりがないのですか?」

 

「ある」

 

御影は短く答えた。

 

「できるならな」

 

「随分と消極的ですね」

 

「そう見えるか」

 

神代の杖先に、再び古代文字が集まる。

 

今度は五つ。

 

大きさの違う赤黒い円。

 

御影は術式を見た。

 

全部を見る必要はない。

 

杖先。

 

神代の視線。

 

円の角度。

 

どこへ撃つ。

 

何を狙う。

 

それだけ分かればいい。

 

一つ目。

 

上。

 

御影は右へ出る。

 

直後、さっきまで頭があった場所を黒い刃が通過する。

 

二つ目。

 

正面。

 

盾。

 

ただし小さい。

 

「プロテゴ」

 

着弾点だけを覆う防壁で角度を変え、魔法を校庭の空いた場所へ流す。

 

三つ目。

 

足元。

 

撃たれる前に。

 

「レダクト!」

 

神代と御影の間に残っていた石畳が爆ぜた。

 

土煙。

 

神代の視界が一瞬だけ切れる。

 

その瞬間。

 

ばちん!!

 

御影が消えた。

 

神代が左を見る。

 

いない。

 

右。

 

いない。

 

背後。

 

杖を向ける。

 

そこにもいない。

 

「下だ」

 

声。

 

神代の目が落ちる。

 

御影は崩れた校庭の低い窪みへ姿現ししていた。

 

地形そのものを盾にする位置。

 

「エクスペリアームス!」

 

赤い光が下から跳ね上がる。

 

神代が防ぐ。

 

そのわずかな間に、御影はもう別の場所へ姿を消す。

 

ばちん!!

 

今度は左。

 

「ステューピファイ!」

 

ばちん!!

 

右。

 

「インカーセラス!」

 

ばちん!!

 

正面。

 

「デパルソ!」

 

神代の眉間へ、僅かに皺が寄った。

 

威力ではない。

 

一発一発は、神代なら防げる。

 

問題は、撃たせないことだった。

 

大きな術式を組み始めれば間合いへ入る。

 

地下へ杖を向ければ射線へ立つ。

 

広範囲魔法なら発動前の術式を崩す。

 

避けられるものは避ける。

 

逸らせるものは逸らす。

 

校庭に開いた穴も、崩れた石垣も、倒れた魔法灯も使う。

 

本当に受けなければならないものだけを、盾で受ける。

 

神代の火力のほうが上だった。

 

比べるまでもない。

 

一発を真正面から受ければ、御影の盾のほうが先に壊れる。

 

だから、まともに受けない。

 

勝つための戦いではない。

 

通さないための戦い。

 

何十年。

 

数え切れないほどの現場で、もっと速い相手と戦った。

 

もっと狡猾な相手とも。

 

何をしてくるか分からない闇の魔法使いを追い、仲間を守り、人質を逃がし、逃げ道を塞ぎ、殺さずに捕らえてきた。

 

強い魔法を知っていることと。

 

戦場で生き残ることは。

 

同じではない。

 

神代の杖が、御影の脇を狙う。

 

御影は見ていなかった。

 

それでも身体を捻る。

 

黒い光が長衣を掠めた。

 

返す杖。

 

「エクスペリアームス!」

 

神代が弾く。

 

その隙に御影が一歩、さらに間合いへ入る。

 

神代が初めて後ろへ大きく跳んだ。

 

着地。

 

その瞳が御影を真っ直ぐ捉える。

 

「勝てないと理解していないのですか」

 

御影は荒くなり始めた呼吸を一度だけ整えた。

 

左肩から血が落ちている。

 

頬にも新しい傷。

 

長衣の裾は焼けていた。

 

それでも杖先は、一度も下がっていない。

 

「勝つ必要はない」

 

神代の目が僅かに動く。

 

御影は言った。

 

「六分、お前をここに立たせておけば俺の勝ちだ」

 

沈黙。

 

ほんの一瞬。

 

神代の表情から、何かが消えた。

 

「……そうですか」

 

次の攻撃には、もう言葉がなかった。

 

 

「玄弥!」

 

真壁の声が飛ぶ。

 

斎賀は空を見上げたまま答えた。

 

「どこ!」

 

「三時方向、二層目!」

 

「それ先に言え!」

 

「今分かったんだ!」

 

巨大な円環。

 

二層目。

 

右。

 

流れが一度集まり、そこから三方向へ分かれている箇所。

 

斎賀が見つける。

 

「これか!」

 

「そこだ!」

 

ばちん!!

 

斎賀が消える。

 

次に現れたのは校舎の外壁だった。

 

垂直の壁。

 

足場などない。

 

それでも一歩。

 

二歩。

 

斎賀は壁を走る。

 

三歩目で強く蹴り、身体を空中へ放り出した。

 

「っと!」

 

落下が始まる前。

 

さらに。

 

ばちん!!

 

消える。

 

今度は巨大円環のすぐ下。

 

空中。

 

何もない場所へ姿現しした。

 

ほんの一秒にも満たない。

 

その間に杖を振る。

 

「デパルソ!」

 

衝撃波。

 

赤黒い古代文字の一点へ直撃。

 

ばきん!!

 

硝子が割れるような音が空へ響いた。

 

円環の一部が歪む。

 

一文字。

 

二文字。

 

繋がっていた術式が連鎖的に砕けていく。

 

「入った!」

 

斎賀が笑う。

 

直後。

 

足場がないことを思い出す。

 

「やべ」

 

落ちる。

 

ばちん!!

 

消失。

 

数十メートル下。

 

崩れた校庭。

 

ばちん!!

 

膝をついて姿を現した。

 

「……毎回これ、膝に来るな」

 

「歳を考えろ!」

 

遠くから真壁が怒鳴る。

 

「お前に言われたくねえ!」

 

だが、空では確かに変化が起きていた。

 

円環の一層がずれる。

 

神代が御影と戦いながら、左手を僅かに上げた。

 

砕けた古代文字が止まる。

 

赤黒い光。

 

逆流。

 

崩れた支点の周囲へ、新しい文字が生まれる。

 

真壁の顔が険しくなった。

 

「再構築している……!」

 

斎賀が空を見る。

 

「早くない?」

 

「黙って次を探せ!」

 

「お前が探すんだろ!」

 

「探してる!」

 

真壁の視線が円環を走る。

 

神代は一度崩された箇所へ同じ支点を置かなかった。

 

位置を変えた。

 

接続順も。

 

流れる方向も。

 

一つ壊されただけで、構造そのものを組み替えている。

 

斎賀の笑みが少し薄くなった。

 

「……本当に化け物だな」

 

「だから今やってる」

 

真壁は一瞬も目を離さない。

 

「玄弥。次」

 

「はいよ」

 

その向こう。

 

御影へ、巨大な黒い球体が落ちた。

 

斎賀の顔が動く。

 

「玄一郎――」

 

「見るな!」

 

御影の怒声が飛ぶ。

 

真壁も叫んだ。

 

「こっちだ、玄弥!」

 

斎賀が歯を見せる。

 

「分かってるよ!」

 

爆発。

 

校庭が揺れる。

 

土煙が数十メートルまで膨れ上がった。

 

それでも。

 

数秒後。

 

ばちん!!

 

神代の真横へ御影が現れた。

 

生きている。

 

「インカーセラス!」

 

神代が振り向く。

 

斎賀はもう見なかった。

 

空。

 

術式。

 

自分の仕事。

 

 

黒い球体が地面へ落ちる直前、御影は姿くらましで逃げていた。

 

ただし、遠くへではない。

 

神代の右後方。

 

最短。

 

ばちん!!

 

姿を現す。

 

「インカーセラス!」

 

縄が神代の杖へ絡む。

 

「……」

 

神代が杖を捻る。

 

黒い炎が走り、縄が焼け切れる。

 

その炎がそのまま御影へ。

 

近い。

 

御影は防壁を張らない。

 

横に倒れていた訓練用の石柱へ杖を向けた。

 

「デパルソ!」

 

石柱が滑る。

 

炎との間へ入る。

 

衝突。

 

爆発。

 

砕けた石が御影の肩と背中へ当たる。

 

一つ。

 

二つ。

 

痛い。

 

だが、黒い炎を直接受けるより遥かにましだった。

 

御影は破片の中を前へ出る。

 

神代が杖を振る。

 

大きい。

 

広範囲。

 

その予備動作を見た瞬間、御影は迷わなかった。

 

間合いを潰す。

 

「エクスペリアームス!」

 

神代の腕へ。

 

神代が攻撃を中断して弾く。

 

御影は止まらない。

 

左手で神代の袖を掴む。

 

「――!」

 

一瞬。

 

四十七歳の男と年齢もわからない男二人が、杖の届かないほど近い距離で睨み合った。

 

御影が身体ごと押す。

 

神代の重心が半歩崩れる。

 

「離しなさい」

 

「嫌だ」

 

「子供ですか、あなたは」

 

「生徒にも言われる」

 

神代の左手が御影の胸へ向く。

 

杖はない。

 

それでも赤黒い文字が浮かんだ。

 

御影の目が鋭くなる。

 

即座に袖を離す。

 

後ろへ。

 

いや。

 

横。

 

赤黒い衝撃が御影の脇腹を掠めた。

 

「っ……!」

 

長衣が裂ける。

 

皮膚が焼けた。

 

御影は数歩滑る。

 

倒れない。

 

杖を上げる。

 

神代が初めて、小さく息を吐いた。

 

「本当に、しつこい」

 

「言っただろ」

 

御影の呼吸も、もう隠せるほど浅くはなかった。

 

「よく言われる」

 

 

地下では、銀色の鴉が飛び続けていた。

 

「七分!」

 

伊織の声が霊脈中枢へ響く。

 

残り五分。

 

奎星は目を閉じたまま、両手で神代榊を握っている。

 

銀の光は、もう中枢だけに留まっていなかった。幾つもの霊脈へ枝分かれし、校内の壁や床を通って広がり続けている。

 

そのたびに、遠くで誰かの声が変わる。

 

「……何で」

 

「先生……?」

 

「黒曜の環……?」

 

一人。

 

また一人。

 

戻っている。

 

だが、奎星自身の余裕は減っていた。

 

「っ……」

 

膝が僅かに揺れる。

 

スズメがすぐに気づいた。

 

「蓮根君」

 

「大丈夫」

 

「まだ何も言っていません」

 

「言うこと分かるから」

 

「なら休んでください」

 

「今!?」

 

「終わったらです!」

 

「びっくりした!」

 

そのやり取りを聞いて、入口側の日向が吹き出しかける。

 

「元気じゃん!」

 

「朝比奈君、前!」

 

楓に怒鳴られた。

 

「はい!」

 

もう、生徒同士で撃ち合う光はかなり減っている。

 

代わりに。

 

黒曜の環だけが、はっきりと残り始めていた。

 

 

東塔。

 

第一魔力室。

 

白峰の第一班が最後の階段を駆け下りた。

 

扉の向こうから、低い振動音が響いている。

 

「ここです!」

 

先頭の教師が扉を開く。

 

巨大な縦長の空間。

 

中央を通る太い魔力導管。

 

普段なら淡い白光を運んでいるはずの管には、赤黒い古代文字が絡みつき、脈打っていた。

 

その根元。

 

金属と羊脂玉で作られた古い制御盤。

 

中央に、大きな切断弁。

 

「見つけた!」

 

一人が駆け寄る。

 

しかし、弁へ触れる直前。

 

赤黒い光が弾けた。

 

「プロテゴ!」

 

盾。

 

衝撃。

 

教師が後ろへ滑る。

 

「神代の術式が絡んでる!」

 

「解除班、外周から!」

 

三人が杖を向ける。

 

一層。

 

二層。

 

剥がしていく。

 

だが、その奥に白い文字が浮かんだ。

 

学校本来の術式。

 

『権限照合』

 

「校長権限……!」

 

 

西塔。

 

旧変換室。

 

こちらも同じだった。

 

赤黒い古代文字。

 

その奥にある、古い学校設備の認証術式。

 

『権限照合』

 

「柊木先生!」

 

 

本館最奥。

 

二つの声が、ほぼ同時に柊木の伝達魔法から響いた。

 

『東塔、切断弁へ到達! 校長権限が必要です!』

 

『西塔も同じです!』

 

柊木が九重院を見る。

 

九重院は壁へ身体を預けたまま、薄く目を開いた。

 

「……杖を」

 

治療担当が顔を強張らせる。

 

「校長、今は――」

 

「振りません」

 

九重院の声は弱い。

 

「触れるだけです」

 

柊木は一瞬迷い、それから自分の杖を九重院の前へ差し出した。

 

九重院の指が、杖へ触れる。

 

震えている。

 

力はほとんど残っていない。

 

それでも。

 

魔力が一筋だけ流れた。

 

校長として。

 

この学校から認められている魔力。

 

柊木はその光を伝達魔法へ乗せる。

 

「東塔、西塔」

 

白い光が二方向へ走る。

 

「九重院校長の権限を送ります」

 

九重院が目を閉じたまま、掠れた声で言った。

 

「……国立魔法学校マホウトコロ校長、九重院紫苑の名において」

 

東。

 

西。

 

二つの制御盤に、同時に白い文字が灯る。

 

「主導管の切断を……許可します」

 

『権限承認』

 

東塔。

 

第一班の教師が弁を掴んだ。

 

「回します!」

 

重い。

 

二人。

 

三人。

 

加わる。

 

ぎぎぎぎ、と古い機構が動き始める。

 

西塔でも。

 

「せーの!」

 

白峰の教師たちが切断弁へ力を掛ける。

 

赤黒い文字が抵抗する。

 

学校本来の白い術式が、それを押し返す。

 

東。

 

「あと少し!」

 

西。

 

「止めないで!」

 

二つの弁が。

 

同時に。

 

最後まで回った。

 

がこん。

 

低い音が二つ。

 

校内へ響いた。

 

 

空を覆っていた巨大な円環が、揺れた。

 

真壁が顔を上げる。

 

「――!」

 

赤黒い古代文字。

 

何千。

 

何万。

 

そのうち、校舎へ繋がっていた外周部分が一斉に光を失った。

 

東塔。

 

消える。

 

西塔。

 

消える。

 

校舎の壁を走っていた文字。

 

屋根。

 

石柱。

 

地面。

 

次々に剥がれていく。

 

巨大だった円環が、一気に縮んだ。

 

何百メートルもの空を覆っていた術式が崩れ、神代自身の周囲に残る数層だけになる。

 

斎賀が目を丸くした。

 

「……俺らが壊した?」

 

「違う」

 

真壁は即答した。

 

御影が神代から目を離さず言う。

 

「柊木たちだ」

 

斎賀が一瞬だけ校舎を見る。

 

「……やるじゃん」

 

真壁の口元が、ほんの僅かに上がった。

 

「俺たちだけで戦っているわけじゃない」

 

神代も空を見た。

 

巨大術式。

 

消失。

 

東西の主導管から流れ込んでいた学校の魔力が途絶える。

 

その足元で、校庭を覆っていた赤黒い文字まで次々と薄くなっていく。

 

神代冥司は黙っていた。

 

驚きも。

 

怒りも。

 

見せない。

 

ただ、一度だけ東塔を見て。

 

次に西塔。

 

それから本館へ視線を向けた。

 

「九重院紫苑」

 

小さな声。

 

御影が聞いた。

 

「生きてたぞ」

 

「そのようですね」

 

「残念だったな」

 

神代は御影を見る。

 

数秒。

 

そして。

 

口元へ。

 

ほんの僅かに笑みを戻した。

 

「いいえ」

 

杖を持ち直す。

 

空に残った術式が、全てその一本へ吸い込まれるように消えていく。

 

斎賀の笑みが止まった。

 

真壁も杖を構え直す。

 

神代は静かに言った。

 

「ようやく、余計なものがなくなりましたね」

 

次の瞬間。

 

御影の顔が変わった。

 

「散れ!」

 

神代が消えた。

 

「――!」

 

ばちん、という姿くらましの音すら聞こえなかった。

 

御影の背後。

 

「玄一郎!」

 

真壁が叫ぶ。

 

御影は振り返らない。

 

前へ飛ぶ。

 

一瞬前まで背中があった場所を、細い赤黒い光が貫いた。

 

神代。

 

今度は大規模な術式ではない。

 

杖一本。

 

一人。

 

それだけ。

 

なのに。

 

速い。

 

「ステューピファイ!」

 

真壁が撃つ。

 

神代が避ける。

 

その先へ斎賀。

 

「デパルソ!」

 

神代の盾。

 

衝撃。

 

斎賀が舌打ちする。

 

「硬っ!」

 

神代の杖が返る。

 

三発。

 

細い。

 

速い。

 

斎賀が一発を避け、二発目を壁際へ姿くらましで逃がす。

 

三発目。

 

「プロテゴ!」

 

真壁が横から止める。

 

盾が砕けた。

 

「……っ!」

 

真壁が二歩下がる。

 

神代はもう次を撃っている。

 

御影。

 

正面。

 

「プロテゴ!」

 

今度は盾を傾ける余裕すらない。

 

衝突。

 

御影の腕が下がりかける。

 

それでも膝はつかない。

 

神代が続けて二発目。

 

御影は盾を捨てた。

 

左。

 

身体をずらす。

 

赤黒い光が脇を抜ける。

 

三発目。

 

御影は神代へ走った。

 

「またですか」

 

「これが一番効く」

 

近距離。

 

大技を撃たせない。

 

神代の杖。

 

御影の杖。

 

交差。

 

赤。

 

黒。

 

白。

 

数メートルの間で魔法が弾け続ける。

 

真壁が右。

 

斎賀が左。

 

三人。

 

再び。

 

今度は、もう昔の動きを思い出そうとはしていなかった。

 

目の前にいる二人を見る。

 

今、何をしているか。

 

どこが空いたか。

 

何が必要か。

 

御影が正面を止めれば、真壁が横から射線を切る。

 

真壁が神代の足を止めれば、斎賀が死角へ入る。

 

斎賀が無茶な角度へ飛べば、御影がその帰り道を空ける。

 

結果として。

 

それは。

 

十二年前と同じ形になった。

 

御影が前。

 

真壁が全体。

 

斎賀が壊す。

 

完全に。

 

三人だった。

 

 

「八分!」

 

地下。

 

残り四分。

 

奎星の膝が、今度こそ大きく揺れた。

 

スズメが肩へ手を添える。

 

「蓮根君」

 

「まだ」

 

「分かっています」

 

「まだ、いける」

 

「はい」

 

スズメは止めなかった。

 

止められない。

 

銀の鴉は学校の半分以上へ届いている。

 

戻った生徒たちは、今度は自分たちで周囲へ声を掛け始めていた。

 

「杖下ろせ!」

 

「黒曜の環が敵だ!」

 

「神代校長じゃない! 九重院先生だ!」

 

混乱。

 

怒声。

 

泣き声。

 

それでも。

 

もう。

 

神代の作った日常には戻れない。

 

銀が。

 

広がり続ける。

 

 

中央回廊。

 

「押せ!」

 

鷲尾が杖を振る。

 

「ステューピファイ!」

 

黒曜の環が倒れる。

 

横から、霊脈隊から戻ってきた禍祓官が合流した。

 

「鷲尾さん!」

 

「遅い!」

 

「地下が持ち直しました!」

 

「ならこっちは片づけるぞ!」

 

深見も笑う。

 

「隊長たちにいいとこ全部持ってかれる前に!」

 

戻った生徒たちが、その後ろで負傷者を運ぶ。

 

戦える者は杖を取る。

 

戦えない者は下がる。

 

誰かに命令されたからではない。

 

自分で。

 

選んでいる。

 

盤面は、もう完全に変わっていた。

 

 

校庭。

 

「九分!」

 

遠く地下から聞こえるはずのない声を。

 

神代が聞いたわけではない。

 

それでも。

 

その瞬間だった。

 

神代の視線が、足元へ落ちた。

 

一度。

 

すぐに御影へ戻る。

 

御影は見逃さなかった。

 

「気になるか」

 

神代は答えない。

 

攻撃。

 

御影へ。

 

今までなら、御影を倒すための一撃だった。

 

だが。

 

違う。

 

御影の右。

 

地下へ向かう旧階段の方向。

 

御影が気づく。

 

一歩。

 

射線へ入る。

 

「プロテゴ!」

 

逸らす。

 

神代の目が細くなる。

 

次。

 

左。

 

御影ではない。

 

校舎地下へ繋がる別の地面。

 

「デパルソ!」

 

御影が先に地面を爆ぜさせ、神代の足場をずらす。

 

杖先が逸れる。

 

「…………」

 

神代は何も言わない。

 

三発目。

 

御影の肩を狙う。

 

いや。

 

違う。

 

御影をどかすための攻撃。

 

御影は盾。

 

衝撃。

 

五メートル滑る。

 

その間に神代が前へ出る。

 

地下へ。

 

御影が。

 

ばちん!!

 

消える。

 

神代の前。

 

ばちん!!

 

現れる。

 

「退け」

 

神代の声。

 

短い。

 

御影が杖を上げる。

 

「断る」

 

魔法が衝突する。

 

神代の会話が減った。

 

視線が何度も地下へ向く。

 

術式の再構築も速い。

 

一つ壊されれば、次。

 

真壁が読むより先に変える。

 

斎賀が狙えば、即座に場所を移す。

 

そして。

 

攻撃の目的が変わっていた。

 

御影玄一郎を倒すことではない。

 

突破すること。

 

地下へ行くこと。

 

蓮根奎星を止めること。

 

それだけ。

 

真壁が気づく。

 

「玄一郎!」

 

「ああ!」

 

「追い詰めてる!」

 

神代の瞳が真壁へ向く。

 

一瞬。

 

斎賀が笑った。

 

「聞こえた?」

 

「玄弥、黙れ!」

 

「はいはい!」

 

それでも。

 

神代は言い返さなかった。

 

もう、そんなことへ使う時間が惜しい。

 

神代が消える。

 

ばちん!!

 

御影も消える。

 

ばちん!!

 

神代。

 

校舎側。

 

ばちん!!

 

御影。

 

その前。

 

「…………」

 

「…………」

 

二人の目が合う。

 

神代が右へ。

 

御影が右へ。

 

左。

 

御影も。

 

下。

 

御影が杖を向ける。

 

どこへ行っても。

 

いる。

 

火力なら勝っている。

 

魔力量も。

 

古代魔術も。

 

学校の霊脈への理解も。

 

それでも。

 

通れない。

 

御影玄一郎が。

 

通さない。

 

神代の杖先に赤黒い光が凝縮される。

 

御影も構える。

 

「本当に」

 

神代が初めて、少しだけ低い声を出した。

 

「邪魔ですね」

 

御影の口元が僅かに上がった。

 

「教師だからな」

 

「関係がありますか?」

 

「生徒がやってる最中に」

 

一歩。

 

「教師が道を空けるわけにいかん」

 

神代の魔法。

 

御影。

 

横へ。

 

逸らす。

 

真壁。

 

「インペディメンタ!」

 

神代の足が僅かに鈍る。

 

斎賀。

 

横。

 

「はい、残念」

 

「デパルソ!」

 

神代が盾。

 

御影がもう正面にいる。

 

三本。

 

完全に。

 

塞ぐ。

 

 

「十時方向! 内周!」

 

真壁が叫んだ。

 

斎賀が走る。

 

「何層!」

 

「一層!」

 

「近っ!」

 

ばちん!!

 

姿くらまし。

 

空中。

 

今度は支点が低い。

 

斎賀が校舎の崩れた庇へ姿を現し、そのまま走る。

 

一歩。

 

二歩。

 

跳ぶ。

 

「レダクト!」

 

支点。

 

砕ける。

 

神代が即座に再構築。

 

真壁が追う。

 

「次、七時!」

 

「早いって!」

 

斎賀が地面へ着く前に消える。

 

ばちん!!

 

別方向。

 

「デパルソ!」

 

二つ目。

 

破壊。

 

また組み直される。

 

「次!」

 

「もう見てる!」

 

三人の声が重なる。

 

御影は神代を止める。

 

真壁は読む。

 

斎賀は壊す。

 

昔。

 

斎賀が前へ出すぎれば、御影が引いた。

 

御影が追いすぎれば、真壁が止めた。

 

真壁が慎重になりすぎれば、斎賀が飛び込んだ。

 

今は。

 

誰も昔の癖をなぞってはいない。

 

それでも。

 

同じだった。

 

三人で。

 

一つの戦場を。

 

作っている。

 

 

東塔。

 

切断された主導管の中から、赤黒い光が完全に消えた。

 

「東塔、停止確認!」

 

西塔。

 

「西塔も停止!」

 

本館。

 

柊木の伝達魔法へ、二つの報告が重なる。

 

柊木は静かに息を吐いた。

 

「了解しました。設備周辺を封鎖。誰も再接続させないでください」

 

『了解!』

 

九重院が薄く目を開く。

 

「……止まりましたか」

 

「はい」

 

柊木が答える。

 

「学校は、もう神代さんの武器ではありません」

 

九重院は小さく息を吐いた。

 

それだけだった。

 

勝ったとは言わない。

 

まだ、神代はいる。

 

地下では奎星が戦っている。

 

校庭では御影たちがいる。

 

だから。

 

自分も。

 

休む。

 

それが今の仕事だった。

 

 

残り三分。

 

伊織の声が地下へ響いた。

 

「九分!」

 

奎星の肩が上下する。

 

神代榊を握る手には、もう明らかに力が残っていない。

 

それでも。

 

銀の鴉は飛んでいる。

 

スズメが隣にいる。

 

日向。

 

楓。

 

岳。

 

澪。

 

伊織。

 

久世たち。

 

その向こうには、戻った生徒たち。

 

そして。

 

地上。

 

御影。

 

真壁。

 

斎賀。

 

柊木。

 

九重院。

 

鷲尾。

 

深見。

 

白峰。

 

全員。

 

それぞれの場所で。

 

三分を作っている。

 

 

校庭。

 

神代冥司は、もう喋らなかった。

 

杖が動く。

 

御影の左。

 

突破。

 

御影が入る。

 

次。

 

右。

 

真壁が止める。

 

次。

 

上。

 

斎賀が潰す。

 

神代が再構築。

 

速い。

 

今までより。

 

明らかに。

 

速い。

 

視線が地下へ落ちる。

 

一度。

 

二度。

 

三度。

 

御影が数えた。

 

焦っている。

 

顔には出ない。

 

声も荒げない。

 

魔法も乱れない。

 

それでも。

 

分かる。

 

攻撃に無駄がなくなりすぎた。

 

御影を倒すための一手を捨て、ただ一歩でも地下へ近づくための一手だけを選び始めている。

 

神代が御影へ黒い光を撃つ。

 

御影は避ける。

 

神代は追わない。

 

そのまま横を抜ける。

 

「――!」

 

御影が気づく。

 

ばちん!!

 

姿くらまし。

 

神代の正面へ。

 

「しつこい!」

 

初めて。

 

神代の声が僅かに強くなった。

 

御影の目が鋭くなる。

 

「知ってる」

 

赤黒い光。

 

御影。

 

盾。

 

砕ける。

 

身体が後方へ滑った。

 

靴底が土を削る。

 

三メートル。

 

五メートル。

 

止まる。

 

神代がその横を抜けようとする。

 

御影の左足が地面を踏んだ。

 

まだ。

 

立つ。

 

杖。

 

上がる。

 

「インカーセラス!」

 

神代の足元。

 

一瞬。

 

止まる。

 

それだけでいい。

 

真壁。

 

「玄弥!」

 

「分かってる!」

 

斎賀が飛ぶ。

 

神代の進路へ。

 

「デパルソ!」

 

神代が防ぐ。

 

その間に。

 

御影が戻る。

 

また。

 

正面。

 

三人。

 

神代の前。

 

並ぶ。

 

御影の呼吸は荒い。

 

左腕は血に濡れている。

 

長衣も、もう元の形を保っていない。

 

それでも。

 

杖は真っ直ぐだった。

 

神代が三人を見る。

 

今度は何も言わない。

 

御影も。

 

真壁も。

 

斎賀も。

 

誰も言わない。

 

地下。

 

銀の光が。

 

また一段。

 

強くなる。

 

残り。

 

三分。

 

神代冥司の杖が上がる。

 

三本の杖も。

 

同時に上がった。

 

ここから先は。

 

一秒すら。

 

通さない。

 

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