戦いが終わると、学校は驚くほど静かだった。
ついさっきまで、校庭を抉る爆発音が響き、回廊では魔法が飛び交い、地下では霊脈そのものが唸っていた。それが今はない。
聞こえるのは、遠くを走る人の足音と、負傷者を呼ぶ声。崩れた壁から小石が落ちる音。そして、南硫黄島を吹き抜けていく海風だけだった。
「……ほんとに終わった?」
地下から地上へ続く階段を上りながら、日向が何度目か分からない確認をした。
「十二分終わったでしょ」
楓が答える。
「そうだけどさ。なんか、まだ急に神代が出てきそうじゃん」
「縁起でもないこと言わないで」
「分かってるって」
口ではそう言いながらも、日向の歩幅は明らかに速い。
その後ろを伊織、澪、冬真、鳴海が続き、一番後ろでは岳が奎星を背負っていた。
「……岳」
「ん?」
「俺、重くない?」
「別に」
「マジ?」
「軽い」
「俺、もっと筋肉あると思うんだけど」
「今その話する?」
伊織が振り返った。
奎星は岳の背中に顎を乗せたまま言い返す。
「だって暇じゃん」
「さっきまで十二分間ぶっ通しで学校中に守護霊飛ばしてた人の台詞じゃないね」
「俺、回復早いから」
「自分で歩けないのに?」
「歩けるし」
岳が言った。
「歩けなかった」
「地下ではな!」
「一分前」
「細かい!」
前を歩いていた日向が吹き出した。
「元気じゃん!」
「元気だよ!」
「じゃ降りろよ!」
「岳が背負いたそうだから」
岳が首を傾げる。
「別に」
「そこは背負いたかったって言えよ!」
さっきまで命懸けの戦いをしていたとは思えない声が、傷だらけの通路へ響く。
楓が呆れたように息を吐いた。
けれど、その口元も少しだけ笑っていた。
そして。
地上へ続く最後の扉が開いた。
朝の光が差し込む。
日向が真っ先に飛び出した。
「うおおおおおっ!!」
両腕を天へ突き上げる。
「勝ったぁぁぁぁぁぁ!!」
「うるさい!」
楓が怒鳴る。
しかし、その本人も笑っていた。
「でも……勝ったのよね」
「勝った!」
日向が振り返る。
「俺たち勝ったぞ!」
澪も外へ出る。
「学校取り返した……」
伊織が眼鏡を押し上げる。
「正確には、まだ残党確認と校内の安全確認が――」
「今くらい空気読め!」
「事実じゃん」
「伊織ぃ!」
岳も奎星を背負ったまま外へ出た。
奎星は片腕を上げた。
「よっしゃああああ!」
「奎星もやるの!?」
楓が叫ぶ。
「俺、一番頑張った側じゃね!?」
「自分で言うな!」
「天才だから!」
日向も腕を上げる。
「星帰り作戦、大成功ーっ!」
「おおーっ!」
奎星が返す。
岳も小さく拳を上げた。
澪まで少し笑い、伊織は呆れながらも何も止めなかった。
ほんの数秒。
それだけだった。
日向の声が止まった。
「…………」
奎星も、笑顔のまま固まる。
「……あれ?」
全員が。
初めて。
明るくなった朝の中で、マホウトコロを見た。
「…………」
誰も喋らなくなった。
校庭は、なくなっていた。
正確には、形だけなら残っている。
けれど、かつて芝生が広がり、訓練用の魔法人形が並び、星迎祭では星灯籠が浮かんでいた場所とは、とても同じ場所には見えなかった。
巨大な溝。
何メートルも抉れた穴。
隆起した地面。
砕けた石畳。
倒れた魔法灯。
訓練用の石柱はほとんど原形を留めていない。
校舎を見れば、さらに酷い。
窓という窓が割れ、外壁には幾筋もの亀裂が走っている。本館の屋根は一部が崩れ、校庭側の壁には神代の魔法が直撃した跡が黒く残っていた。
東塔と西塔は立っている。
けれど、その周囲にも破損した箇所が見える。
日向の腕がゆっくり下がった。
「……え」
楓が口元へ手を当てる。
「こんな……」
岳も何も言わない。
澪は星迎祭のときにも一度、黒曜の門によって荒れた校庭を見ている。
それでも。
今回とは比べものにならなかった。
伊織が呟く。
「……壊しすぎ」
「誰が?」
奎星が訊く。
伊織は校庭を見る。
「全員」
「俺、地下だったけど」
「じゃあ大人組」
日向がようやく声を出した。
「御影先生たち……ここで戦ってたんだよな」
返事はなかった。
言われなくても分かる。
こんな場所で。
十二分。
ずっと。
奎星は岳の背中から、黙って校庭を見つめた。
自分が地下で銀の鴉を飛ばしている間。
御影たちは。
ここにいた。
*
校庭の中央付近では、すでに負傷者の確認が始まっていた。
魔法省側の禍祓官たちは、神代や黒曜の環を拘束した直後から、今度は互いの怪我を確認し合っている。
「おい、お前腕」
「動く」
「動けばいいって話じゃない」
「お前こそ額から血出てるぞ」
「これは浅い」
「俺も浅い」
「じゃあ医療術師に二人まとめて怒られてこい」
少し離れた場所では、深見が治療担当に肩を掴まれていた。
「だから大丈夫ですって!」
「大丈夫な人は額から血を流しながら笑いません!」
「これはちょっと切っただけで――」
「深見」
鷲尾の低い声が飛ぶ。
「座れ」
「鷲尾さんまで!?」
「俺も座る」
見ると、鷲尾自身も片腕を押さえている。
「……じゃあ座ります」
「最初からそうしろ」
その隣では斎賀が、自分の裂けた袖を見下ろしていた。
「これ服代出る?」
真壁が振り返る。
「出るわけがないだろう」
「作戦中だぞ?」
「お前は正式な禍祓官ではない」
「一番働いたくらいなのに」
「誰がだ」
「俺」
「御影の前で言ってみろ」
斎賀が少し考える。
「やめとく」
「賢明だ」
そんな二人も、無傷ではない。
真壁の制服には泥と血が付き、斎賀の右腕には新しく巻かれた簡易包帯がある。
少し離れた場所。
御影玄一郎は、医療術師に囲まれていた。
「御影先生、座ってください」
「立てる」
「立てるかどうかを聞いていません」
「問題ない」
「左肩からまだ血が出ています」
「止まってる」
「出ています!」
「……」
御影が黙る。
その様子を見ていた斎賀が、真壁へ小声で言った。
「今もああなのかよ」
「昔からだ」
「治療されるの嫌いだったよな」
「嫌いというより、自分の優先順位が低い」
「あー」
「お前も似たようなものだ」
「俺は自分大好きだけど?」
真壁が無言で斎賀を見る。
「何その目」
*
その少し手前。
鳴海景は、冬真の前でずっと立ち止まっていた。
「あの……」
「うん」
「あの……三枝先輩」
「うん」
冬真は急かさない。
鳴海は一度口を閉じた。
たぶん。
頭の中で文章を組み立てている。
普段の彼だった。
決闘中の、相手の一挙手一投足を冷静に読み切る姿はもうない。
何度か息を吸って。
ようやく。
「……すみませんでした」
深く頭を下げた。
冬真が瞬きをする。
「何が?」
「何がって……」
鳴海が顔を上げる。
「僕、三枝先輩に杖を向けて……本気で奎星先輩を止めようとして。魔法も何発も……」
「当たってないよ」
「そういう問題では……」
「俺も当ててない」
「でも拘束されました」
「それは当てた」
「…………」
鳴海の顔がさらに沈む。
冬真は少し笑った。
「鳴海」
「はい」
「地下でも言っただろ」
「……何をですか」
「俺もやったって」
鳴海が黙る。
「黒曜の門のとき、俺も同じだった。自分が何してるか分からないまま、門のほうへ行こうとした」
冬真は少し離れた場所へ視線を向けた。
そこには真壁がいる。
あの日。
銀色のニホンオオカミが、自分から黒い靄を引き剥がした。
倒れた自分へ。
最初に駆け寄ってきた後輩の一人。
――三枝先輩!
冬真はまた鳴海を見る。
「そのとき、鳴海は俺に謝れって言った?」
「……言ってません」
「だろ?」
「でも」
「じゃあ俺も言わない」
「…………」
「気にすんな」
あまりにもあっさりしていた。
鳴海は困ったように冬真を見る。
「……それでいいんですか」
「いいよ」
「本当に?」
「本当に」
冬真は爽やかに笑う。
「むしろ久しぶりに鳴海とちゃんと戦えて面白かった」
「僕は全然面白くなかったです」
「そこはちょっとくらい乗ってよ」
「負けましたし」
「そこなんだ?」
鳴海が一瞬だけ口元を緩めた。
冬真はその肩を軽く叩く。
「次は普通に決闘しよう」
「……はい」
「人のいないところで」
鳴海の顔が少し明るくなる。
「それなら」
「そこは即答なんだ」
今度は、二人とも少し笑った。
*
「岳」
奎星が小さく言った。
「ん?」
「降ろして」
「なんで」
「歩けるから」
「歩けない」
「歩けるって」
「さっきも言ってた」
「今はマジ」
岳が少し首を動かす。
「どこ行くの」
奎星は答えなかった。
視線の先。
負傷者たちの向こう。
御影玄一郎がいる。
それだけで岳は理解したらしい。
少し屈む。
「無理だったら言えよ」
「大丈夫」
奎星は岳の背中から降りた。
両足が地面へ触れる。
「…………」
一秒。
二秒。
立っている。
「ほら」
岳を見る。
「歩ける」
「立ってるだけ」
「細けえな」
一歩。
足を出す。
身体が少し揺れる。
二歩目。
大丈夫。
三歩。
四歩。
「奎星」
楓が心配そうに呼ぶ。
奎星は片手を上げた。
「へーき」
日向が言う。
「全然平気そうに見えねえよ」
「うっせぇ」
それでも歩く。
御影のところまで。
一歩ずつ。
御影も、近づいてくる奎星へ気づいた。
医療術師との会話を止める。
「…………」
奎星は御影の前まで来た。
そこで初めて。
改めて見る。
「……先生」
「何だ」
「ボロボロじゃん」
御影の長衣は裂け、左腕には簡易的な止血が施されている。頬にも傷が増え、脇腹の衣服には焼けた跡まであった。
御影は奎星を上から下まで見た。
「お前に言われたくない」
「俺はボロボロじゃない」
「立てていないだろう」
「立ってる!」
言った瞬間。
足がもつれた。
「あ」
視界が傾く。
地面が近づく。
その前に。
御影の腕が伸びた。
「馬鹿」
肩と胸を支えられ、奎星の身体が止まる。
「……ほら立ててる」
「俺が立たせてる」
「細けえなあ……」
声が。
少し遠い。
「あれ」
御影の顔がぼやける。
「先生」
「蓮根」
「俺……」
言葉が続かない。
急に。
全部の疲れが来た。
十二分。
神代。
心。
銀の鴉。
終わったと分かった途端。
身体が。
もういいと。
勝手に決めたみたいだった。
「おい」
御影の手が肩へ回る。
遠くから日向の声。
スズメの声もした気がする。
「蓮根君!」
でも。
もう。
よく聞こえない。
奎星は目を閉じた。
その直前。
確かに。
聞いた。
「蓮根」
御影玄一郎の声。
低く。
いつもと同じ。
けれど。
ほんの少しだけ。
違った。
「……よくやったな」
奎星は。
笑おうとした。
できたかどうかは分からない。
そこで。
意識が途切れた。
*
次に目を開けたとき。
白かった。
「…………」
奎星はしばらく天井を見つめた。
白い。
知らない天井。
「……また?」
声が掠れている。
身体を動かそうとする。
重い。
痛いわけではない。
ただ、全身が自分のものではないみたいに重かった。
ゆっくり顔を横へ向ける。
窓がある。
その外。
雪。
白い雪が静かに降っていた。
「…………雪?」
南硫黄島ではない。
少なくとも。
マホウトコロでは絶対にない。
「どこだ、ここ……」
そこで。
ベッドのすぐ横に人がいることへ気づいた。
椅子。
濃紺の教員衣。
膝の上に閉じた本。
そして。
椅子へ座ったまま眠っている烏丸スズメ。
「…………」
奎星は黙った。
窓の外では雪が降っている。
部屋は暖かい。
静かだった。
寝息すらほとんど聞こえない。
スズメは少しだけ俯いた姿勢で眠っていた。普段ならきちんと整っている黒髪も少し乱れていて、目の下には薄く疲労の色が残っている。
「……またいる」
奎星が小さく呟く。
一学期。
第零書庫。
目を覚ました病室。
夏。
黒曜の狩人。
死にかけて戻ったあと。
そして今回。
気がつけば。
いつも。
いる。
奎星はしばらく、その寝顔を見ていた。
神代との最後の会話を思い出す。
自分から。
心の扉を開けた。
見せた。
日向。
楓。
岳。
伊織。
御影。
真壁。
学校。
天ぷら。
ばあちゃん。
全部。
自分にとって大事なもの。
そして。
スズメ。
――俺の守護霊、何で出たと思う?
――これからだった。
もしあのとき。
最初に神代へ精神へ入られたとき。
スズメの声が聞こえなかったら。
自分の仕事を思い出せなかったら。
あそこまで辿り着けなかったかもしれない。
「……スズメちゃんのおかげで、勝てたんだよな」
小さな声。
起こすつもりはない。
ただ。
思った。
神代に教えられた。
自分が何を大切にしているのか。
人が間違えても、それでも一緒に生きていけること。
自分がどんな毎日を好きなのか。
そして。
誰を。
愛しているのか。
「…………」
そこまで思い出したところで。
スズメの睫毛が動いた。
「…………ん」
奎星の身体が一瞬固まる。
スズメがゆっくり顔を上げた。
目が合う。
「…………」
「…………」
数秒。
スズメの眠そうな目が、少しずつ焦点を取り戻していく。
「……蓮根君?」
「うす」
スズメの目が大きく開いた。
「起きたのですか!?」
「今」
立ち上がろうとして、スズメが椅子を鳴らした。
「気分は!? どこか痛みますか? 吐き気は? 頭痛は?」
「ちょ、待って待って!」
「待てません!」
「元気! たぶん!」
「たぶんでは困ります!」
杖を取り出しかける。
奎星が笑った。
いつものスズメだ。
「大丈夫だって」
「あなたの『大丈夫』は信用できません」
「ひど」
「実績があります」
「否定できねえ……」
スズメはようやく少しだけ力を抜いた。
椅子へ座り直す。
そのとき。
自分がさっきまでじっと見られていたことを思い出したらしい。
「……何を見ていたのですか」
「……や、別に」
奎星は視線を逸らした。
「なんか、事件の後、俺いつも病室いるなと思って」
スズメが一拍黙る。
「その原因を作っているのは、ほとんどあなた自身です」
「今回俺悪くなくね?」
「最後に自分で心の扉を開けた人が何を言っているのですか」
「…………」
奎星はその言葉を聞き流した。
今は。
まだ。
「てか、ここどこ?」
「白峰魔法学校です」
「やっぱ白峰?」
窓を見る。
雪。
「雪降ってんじゃん」
「降りますよ」
「南硫黄島から気候変わりすぎだろ」
「白峰ですから」
「説明になってなくない?」
スズメは少し笑った。
奎星はベッドへ背中を預ける。
「で」
少し真面目な顔になる。
「学校、どうなった?」
スズメの表情も変わった。
「……マホウトコロは現在、通常授業を再開できる状態ではありません」
「やっぱそんな壊れてた?」
「覚えていませんか?」
「校庭出てから途中まで」
「なら見たでしょう」
「見た」
奎星の顔が引きつる。
「ボロボロだった」
「はい」
スズメは頷いた。
「本館、東西の塔、校庭、複数の回廊。特に神代さんとの戦闘が集中した区域は損傷が大きいです。結界と魔力供給系統についても、安全確認が必要です」
「授業できない?」
「当面は」
「おお……」
奎星は少し考える。
「じゃ休校?」
「違います」
即答だった。
「なんで!?」
「白峰魔法学校が一部校舎を貸してくださることになりました」
「授業あるの!?」
「あります」
「学校壊れたのに!?」
「学校が壊れたからといって、教育まで壊す必要はありません」
「そこ神代みたいなこと言ってない?」
「全然違います!」
奎星が笑う。
「冗談だって」
「冗談にしていい相手を選んでください!」
「はい」
スズメはため息をついた。
「とはいえ、マホウトコロの復旧作業はすでに始まっています。白峰の先生方の一部も残って協力してくださっていますし、魔法省の修復班も入っています」
「もう?」
「もうです」
「早」
「学校ですから」
スズメの声が少し柔らかくなる。
「戻らなければなりません」
奎星は窓の外を見る。
雪。
その向こうに。
今はいない。
羊脂玉の校舎。
「……そっか」
少し笑った。
「じゃ、帰れるな」
「はい」
スズメも頷いた。
「必ず」
少しの沈黙。
奎星は次のことを思い出した。
「神代は?」
スズメの顔が引き締まる。
「すでに魔法省へ引き渡されています」
「…………」
「ただし」
スズメは続けた。
「真壁さんが、引き渡しに条件を出しました」
「真壁さんが?」
「はい」
奎星が少し身体を起こす。
「どんな?」
「今回の事件を隠さないこと」
スズメの声は静かだった。
「神代冥司によるマホウトコロ占拠、生徒への認識干渉、教師の拘束、黒曜の環との関係。そして魔法省内部へ黒曜の環の協力者が入り込んでいた事実」
奎星は黙る。
「そのすべてを」
スズメが言った。
「日本魔法界へ公に発表すること。それが一つです」
「……真壁さんらしいな」
「ええ」
「もう一個は?」
「魔法省内部の黒曜の環の協力者を、徹底的に摘発すること」
奎星の目が少し鋭くなる。
「まだいる?」
「いる可能性が極めて高い、と」
スズメも否定しない。
「今回、真壁さんたちを襲った者だけで全員とは考えられていません。神代がどこまで魔法省内部へ影響を伸ばしていたのか、これから調査されます」
「で、その二つをやらないなら」
「神代の身柄を簡単には引き渡さないと」
「強え」
「真壁さんですから」
その一言で、妙に納得できた。
奎星は天井を見る。
「……魔法省、大変そう」
「大変でしょうね」
「真壁さん寝れる?」
「難しいかもしれません」
「かわいそ」
「原因の一部は私たちです」
「神代だろ!」
「それもそうですね」
二人で少し笑う。
奎星が。
ふと思い出した。
「斎賀は?」
「…………」
スズメの表情が。
ほんの少しだけ冷たくなる。
奎星は分かりやすいな、と思った。
「まだ嫌い?」
「好きになる要素がありましたか?」
「ないかも」
「でしょう」
「でも今回めっちゃ頑張ってたぞ」
「それと、これまでにしたことは別です」
「……うん」
奎星もそこはふざけなかった。
鬼火鳥。
自分を狙ったこと。
スズメへ向けられた杖。
御影との戦い。
消えるものではない。
スズメは続けた。
「斎賀玄弥についても、すでに審理が行われました」
「早くない?」
「状況が状況ですから」
「どうなった?」
「罪そのものがなくなったわけではありません」
スズメははっきり言った。
「魔法生物の違法捕獲への関与、黒曜の環としての活動、魔法省職員やマホウトコロ生徒への攻撃。いずれも残ります」
「うん」
「そのうえで、今回の《星帰り作戦》への協力と神代の拘束に大きく貢献したことが考慮されました」
奎星が聞く。
「減刑?」
「はい。ただし、条件付きです」
「やっぱあるんだ」
「当然です」
スズメの口調が若干強い。
「魔法省内部に残る黒曜の環関係者の捜査へ協力すること。そして、今後行われる黒曜の環の残党捜索にも参加すること」
「……斎賀、めっちゃ使われるじゃん」
「本人も同意したそうです」
「何て?」
スズメは少しだけ間を置く。
「『働けばいいんだろ』と」
奎星が吹き出した。
「言いそう!」
「その直後に真壁さんから、『お前は立場を理解しているのか』と怒られたそうです」
「めっちゃ言いそう!」
「御影先生は黙って見ていたそうです」
「怖っ!」
「斎賀さんも途中から真面目になったとか」
「御影先生、何も言ってないのに?」
「何も言わないからでは?」
「あるわ」
二人で笑った。
しばらくして。
奎星は、枕へ少し深く頭を沈めた。
「……みんなは?」
「無事ですよ」
「日向たち」
「元気です」
「御影先生」
「治療を受けています」
「やっぱ重傷?」
「命に関わる怪我ではありません」
それを聞いて。
奎星の肩から少し力が抜ける。
「……そっか」
「ただし、あなた同様、本人がすぐ動こうとするので医療担当の先生が困っています」
「俺と一緒にすんなよ」
「同じです」
「違う」
「同じです」
「御影先生四十七だぞ」
「年齢の問題ではありません」
「俺若いし」
「若ければ無茶をしていいわけではありません」
「はい」
少し。
静かになる。
それから二人は。
とりとめのない話を始めた。
もっとも。
話題のほとんどは《星帰り作戦》だった。
白峰の教師たちが東西の主導管を止めたこと。
九重院が、ほとんど動けない状態のまま校長権限を通したこと。
天ぷらを始めとした小妖たちが、最後まで学校の中を走り回っていたこと。
復旧作業中に天ぷらが奎星を探していたらしいこと。
「マジ?」
「ずっと『レンコン』と」
「会いてえ」
「回復してからです」
「今行ける」
「行けません」
「俺元気」
「病室です」
「病室だからって病人とは限らないだろ」
「病人だから病室にいるのです」
「論破された」
日向が校庭へ行こうとして倉橋に止められた話。
「足手まといって言われたんだろ?」
「あとで朝比奈君本人から聞いてあげてください」
「絶対キレてるじゃん」
「かなり」
「でも残ったんだな」
「はい」
奎星は少し笑った。
「日向たちらしい」
「そうですね」
御影たち三人の戦い。
禍祓官たちが最後の一分で合流したこと。
「先生たち、本当に一秒も通さなかったんだ」
「はい」
スズメが答える。
「御影先生がそう言っていました」
「…………」
奎星の脳裏へ。
意識が切れる直前の声が戻った。
――蓮根。
――よくやったな。
奎星は。
少しだけ口元を緩めた。
「何です?」
「いや」
「御影先生に何か言われましたか?」
「別に」
「怪しいですね」
「何もない!」
「そうですか」
スズメはそれ以上追及しなかった。
窓の外では。
雪が。
静かに降り続いている。
事件が終わった。
まだ。
やることはいくらでもある。
学校は壊れた。
魔法省もこれから大騒ぎになる。
黒曜の環も終わっていない。
それでも。
今だけは。
何かに追われて走る必要がない。
奎星は。
久しぶりに。
そんな時間を過ごしていた。
「……あ」
スズメが。
ふと。
口にした。
「そういえば」
「何?」
「最後のあれは、本当に驚きました」
「最後?」
「自分から心の扉を神代さんのために開けるなんて」
「…………」
奎星の表情が止まった。
スズメも止まった。
「…………」
「…………」
二人。
見つめ合う。
奎星の眉が。
ゆっくり。
寄る。
「……あれ?」
「…………」
「なんでそのこと知ってるの?」
スズメの目が。
ほんの僅かに。
泳いだ。
「様子がおかしかったので、レジリメンスを唱えました」
「………ん?」
「レジリメンスを唱えました」
「いや聞こえてるけど」
奎星が。
少しずつ。
身体を起こしていく。
「……え?」
「はい?」
「聞いてた?」
スズメが首を傾げる。
「何をですか?」
「いや、その……」
奎星の顔色が。
じわじわ。
変わる。
「色々……」
「色々とは?」
「…………」
スズメは。
分かっている。
絶対に。
分かっている。
顔が。
若干。
楽しんでいる。
奎星の額へ。
汗が浮かぶ。
「いや!」
声が裏返る。
「その……え? 聞いてない?」
スズメは。
何でもない顔をした。
「聞いていましたよ」
「え?」
「はい」
「聞いてたの?」
「何をですか?」
「なんだよそれ!!」
奎星が叫んだ。
スズメの口元が。
ほんの少し。
上がる。
「ですから、何の話でしょう」
「分かってるだろ!!」
「分かりません」
「嘘つけ!!」
「具体的に言っていただかなければ」
「言えるか!!」
「では分かりませんね」
「絶対分かってる!!」
スズメはとうとう。
少し笑った。
その瞬間だった。
廊下。
どたどたどたどたどたっ!!
何人分もの足音。
奎星とスズメが同時に扉を見る。
「何?」
「まさか――」
ばぁん!!
扉が開いた。
「奎星!?」
日向。
「奎星!!」
楓。
その後ろに。
岳。
伊織。
澪。
さらに冬真までいる。
「起きた!?」
「マジで!?」
「いつ!?」
「さっきだよ! てか――」
言い終わる前に。
日向が飛んだ。
「奎星ぃぃぃぃ!!」
「うおっ!?」
抱きつく。
「起きたぁぁぁぁ!!」
「痛え!!」
楓も反対側から抱きついた。
「ほんっとに……心配させて……!」
「楓!? お前まで!?」
岳の巨大な腕が。
二人ごとまとめる。
「よかった」
「岳ぇ!! 圧が違う!!」
澪が笑いながら近づく。
「本当に毎回死にかけるのね、あなた」
「今回死にかけてねえ!」
伊織が冷静に言う。
「精神世界へ敵の全魔力と意識が突っ込んできたら十分死にかけてる判定だと思う」
「伊織今どうでもいい!!」
冬真が笑う。
「元気そうでよかった」
「冬真先輩助けて!!」
「無理」
「爽やかに見捨てるな!!」
完全に。
もみくちゃだった。
奎星は。
人の隙間から。
必死にスズメを見る。
「おいお前ら離れろ!!」
「嫌だ!」
「心配したんだから我慢しなさい!」
「俺はスズメちゃんに聞きてえことがあるんだ!!」
その言葉に。
スズメが。
一瞬。
目を丸くした。
そして。
笑った。
「では」
椅子から立ち上がる。
「皆さんにお任せします」
奎星の顔が変わる。
「は!?」
スズメは扉へ向かう。
「待て待て待て待て!!」
「安静にしてくださいね、蓮根君」
「お前逃げる気だろ!!」
「何のことでしょう」
「スズメちゃん!!」
スズメは。
振り返った。
少しだけ。
本当に。
少しだけ。
悪戯っぽく。
笑っていた。
「元気になったら」
一拍。
「また、お話しましょう」
「今しろよ!!」
扉が閉まった。
「スズメちゃぁぁぁぁん!!」
病室の外。
静かな白峰の回廊へ。
スズメの笑い声が。
ほんの少しだけ。
聞こえた気がした。