マホウトコロ   作:西野圭吾

74 / 160
第18話 帰ってきた冬

 

白峰魔法学校の窓から見える雪景色にも、いつの間にか慣れていた。

 

最初の数日は、朝起きるたびに奎星が窓へ張りついていた。南硫黄島ではまず見ることのない雪が、校舎の屋根にも中庭にも森にも積もり、白峰の生徒たちは何事もないようにその中を歩いている。

 

マホウトコロの生徒たちだけが、最初はいちいち騒いだ。

 

日向は雪玉へ魔法を掛けて楓に怒られ、岳は雪の中へ冷やしておいた菓子を忘れて翌朝発掘し、伊織は「普通に冷蔵庫を使ったほうが早い」と言った。

 

奎星は雪だるまを作ろうとして途中で飽きた。そして、その頭部だけが三日ほど中庭に残った。

 

「怖いんだけど、あれ」

 

澪が言った。

 

「芸術」

 

「胴体作りなさいよ」

 

「想像に任せるタイプ」

 

「怠けただけでしょ」

 

そんな生活も、今日で終わる。

 

白峰魔法学校の正面玄関前には、マホウトコロの生徒たちの荷物が並んでいた。

 

あの日、神代に奪われた学校を取り戻したあと、授業を続ける場所として校舎の一部を貸してくれた白峰。怪我人を受け入れ、教師を受け入れ、生徒を受け入れ、復旧作業にまで人を出してくれた。

 

その助けを借りて、国立魔法学校マホウトコロの再建が、ついに終わった。

 

完全に元通り、というわけではないらしい。

 

古い設備の点検はまだ続く。神代が霊脈へ重ねていた術式の痕跡も、専門家が長期的に調べることになっている。

 

それでも、授業ができる。生徒が暮らせる。教師が働ける。もう、帰っていい。

 

「……なんか」

 

日向が白峰の校舎を見上げた。

 

「いざ帰るってなると、ちょっと寂しいな」

 

「数日前まで『寒い』『雪多すぎ』『早く島帰りてえ』って騒いでたの誰よ」

 

楓が横を見る。

 

「俺」

 

「堂々と言わないで」

 

岳は白峰の生徒から渡された紙袋を両手で抱えていた。

 

「これ、持って帰っていいって」

 

「何それ」

 

奎星が覗く。

 

「菓子」

 

「また!?」

 

「向こうからくれた」

 

「岳、白峰でも餌付けされてんじゃん」

 

「違う」

 

「何が?」

 

「交流」

 

伊織が冷静に言った。

 

「食文化交流だね」

 

「それ言えば全部許されると思ってない?」

 

少し離れたところでは、マホウトコロの教師たちが白峰側と最後の確認をしていた。

 

九重院はまだ長時間立っていることこそ避けていたが、もう自分の足で歩いている。その隣には御影、土御門、薬師寺、早瀬、スズメたちの姿があった。

 

白峰側の中心には柊木志乃がいる。

 

「本当に、お世話になりました」

 

スズメが深く頭を下げる。

 

柊木はいつもの穏やかな表情で首を横へ振った。

 

「こちらこそ。白峰の生徒にとっても、得るものの多い時間でした」

 

「得るもの?」

 

近くを通った奎星が反応する。

 

柊木が見る。

 

「ええ」

 

「俺から?」

 

「なぜ自分だと思ったのですか」

 

「有名人だから?」

 

澪が横から言った。

 

「魔法法規六十一点の?」

 

「いつまで言うんだよ!」

 

白峰の生徒たちから笑い声が上がる。

 

もう、星迎祭の頃とは違う。

 

最初にマホウトコロへ来たとき、白峰の学生総代である常盤澪は、雪のように静かで近寄りがたい少女に見えた。

 

今は奎星の肩を普通に叩く。

 

「次に会うときは、学校壊れてないといいわね」

 

「俺が壊したんじゃねえ!」

 

「でもあなたがいる場所、大体何か起きるじゃない」

 

「偏見!」

 

「一学期」

 

「……」

 

「夏休み」

 

「…………」

 

「星迎祭」

 

「俺のせいじゃない!」

 

「今回」

 

「神代だろ!!」

 

澪が笑う。

 

「冗談よ」

 

「四連続で並べてから言うな!」

 

日向も横から笑った。

 

「でも否定しづらいな」

 

「お前も全部いたからな!?」

 

「俺は巻き込まれた側」

 

「俺もだよ!」

 

楓が呆れたように二人を見る。

 

「どっちも事件のほうへ自分から走っていくでしょ」

 

「それは……」

 

「まあ……」

 

二人とも声が小さくなる。

 

伊織が言った。

 

「学習してる」

 

「うるせえ!」

 

騒ぐ五人を少し離れた場所から見て、柊木が小さく笑った。

 

御影がその隣へ来る。

 

左肩の怪我も、もう外から見ただけではほとんど分からない。

 

「世話になった」

 

柊木が振り返る。

 

「御影先生」

 

「ああ」

 

「次は、もう少し平和な形でお会いしたいですね」

 

「同感だ」

 

「交流試合くらいで」

 

「それも十分面倒だ」

 

「教師が言うことですか?」

 

「生徒が増える」

 

柊木が笑う。

 

「確かに」

 

ほんの短いやり取りだった。けれど、あの星帰り作戦を一緒に戦った者同士には、それで十分だった。

 

「奎星」

 

澪が呼ぶ。

 

「ん?」

 

「これ」

 

小さな紙袋が投げられる。

 

奎星は慌てて受け取った。

 

「何?」

 

「白峰の菓子」

 

「おお!」

 

「岳にだけ渡したら、あとで騒ぎそうだから」

 

「俺を何だと思ってんだよ」

 

「騒ぐ人」

 

「正解!」

 

「認めるんだ」

 

奎星は袋を持ち上げる。

 

「ありがとな」

 

澪は一瞬だけ黙った。それから、

 

「またね」

 

と、ごく普通に言った。

 

奎星も笑う。

 

「おう。またな」

 

別れは、それくらいでよかった。

 

もう、二度と会えないわけではない。星迎祭でも会った。学校を取り戻すために一緒に戦った。これからだって、また会える。

 

だから、さよならではなかった。

 

*

 

数時間後。

 

巨大なウミツバメが雲を抜けた。

 

奎星はその背中から、身を乗り出すようにして下を見ていた。

 

「まだ?」

 

「まだ」

 

日向が答える。

 

「もう見える?」

 

「見えない」

 

「嘘だろ」

 

「何が?」

 

「俺の目ならそろそろ見えると思った」

 

伊織が言う。

 

「何の根拠もないね」

 

「天才視力」

 

「普通の視力だよ」

 

「お前俺の眼球見たことあんの?」

 

「ないけど見たくもない」

 

「ひど」

 

海。どこまでも続く青。

 

冬でも、南へ来れば、白峰とは空気がまるで違う。雪はない。冷たい風は吹いているが、そこには塩の匂いが混じっている。

 

奎星は何度も前を見る。

 

まだ。まだ。

 

そして、雲が切れた。

 

「――あ」

 

島。

 

南硫黄島。

 

険しい山。濃い緑。その斜面。羊脂玉の校舎。

 

奎星の口が、ゆっくり開く。

 

「……戻ってる」

 

窓がある。屋根がある。倒れていた魔法灯が立っている。

 

校庭も、あの日、巨大な穴と溝だらけだった場所が、もう一度、学校になっている。

 

「うおおおおおお!!」

 

奎星が立ち上がった。

 

「戻ってる!!」

 

「立つな!」

 

日向が服を掴む。

 

「落ちるぞ!」

 

「学校だ!!」

 

「見れば分かる!」

 

「マホウトコロだぞ!!」

 

「知ってるって!」

 

ウミツバメが高度を下げていく。

 

近づけば、完全に以前と同じではないことも分かった。

 

新しく積み直された石。交換された羊脂玉。色の僅かに違う屋根瓦。

 

校庭の一角には、修復したばかりなのか新しい芝が広がっている。

 

傷が、なくなったわけではない。

 

でも、それでよかった。

 

あの日が消えたわけではないから。全部なかったことにして元へ戻す必要などない。直して、また使えばいい。

 

ウミツバメが着陸場へ降りる。

 

ずしん、と懐かしい衝撃。

 

奎星は真っ先に飛び降りた。

 

「帰ってきたぁぁぁ!」

 

「走らない!」

 

楓の声。

 

無視。

 

荷物も日向へ押しつける。

 

「おい!?」

 

「持っといて!」

 

「ふざけんな!」

 

奎星は校舎へ向かって走った。

 

羊脂玉の壁。銀の鈴。風。匂い。

 

全部、知っている。

 

「レンコン!」

 

声。

 

奎星が急停止した。

 

「――!」

 

本校舎の入口。

 

小さな影が走ってくる。

 

「天ぷら!!」

 

「レンコン!」

 

奎星も走る。

 

「天ぷらぁぁぁ!!」

 

「レンコン!」

 

「蓮根なぁぁぁ!!」

 

そのまましゃがみ込み、小さな小妖を両腕で抱き上げた。

 

「会いたかったぞお前!」

 

「レンコン!」

 

「ずっとレンコンだな!」

 

「レンコン!」

 

「まあいい!」

 

天ぷらが嬉しそうに両腕を上げる。

 

「テンプラ!」

 

「知ってる!」

 

遅れて日向たちが追いついた。

 

「早すぎんだよ!」

 

「荷物!」

 

「置いてきた!」

 

「お前が持ってこいよ!」

 

大声。笑い声。

 

その向こう、廊下から別の生徒たちも出てくる。

 

「帰ってきた!」

 

「マホウトコロだ!」

 

「寮開いてるって!」

 

「大食堂も!」

 

「小妖戻ってる!」

 

次々に、学校へ声が戻っていく。

 

奎星は天ぷらを抱えたまま、校舎を見上げた。

 

ここだ。

 

帰ってきた。

 

今度こそ。

 

本当に。

 

*

 

翌日。

 

大食堂は久しぶりに、生徒と教師で埋まっていた。

 

朝食でも昼食でもない。

 

全校集会だった。

 

「何?」

 

日向が椅子へ座りながら訊く。

 

「また事件?」

 

「帰ってきた翌日に言うな!」

 

奎星が即座に返す。

 

「縁起悪すぎるだろ!」

 

楓も睨む。

 

「次言ったら殴るわよ」

 

「楓、それ奎星の精神世界で神代に否定されてたぞ」

 

「何の話?」

 

「いや何でもない!」

 

奎星が慌てて割り込む。

 

伊織が横を見る。

 

「精神世界?」

 

「何でもないって!」

 

前方。

 

教師席では、九重院が立ち上がった。

 

大食堂が静かになる。

 

「皆さん」

 

まだ完全に本調子ではない。それでも、校長の声だった。

 

「まずは改めて、おかえりなさい」

 

少し間があった。

 

それから、あちこちから声が返る。

 

「ただいま!」

 

一人、二人。すぐ、大食堂全体へ広がった。

 

「ただいまー!」

 

「ただいま!」

 

奎星も両手を口元へ当てる。

 

「ただいまぁぁぁぁ!!」

 

御影が遠くから睨んだ。

 

奎星の声量が半分になる。

 

「……ただいま」

 

日向が笑う。

 

九重院も、ほんの僅かに笑っていた。

 

「さて」

 

声を戻す。

 

「復旧後の授業予定については、すでに各担当教師から説明があると思います。設備の都合上、一部の授業では教室が変更されますが、基本的には以前と同じ日程へ戻します」

 

奎星の顔が曇る。

 

「授業戻るんだ……」

 

「何を期待してたの?」

 

伊織が訊く。

 

「復旧祝いで一か月休み」

 

「留年したい?」

 

「それは嫌」

 

九重院が続ける。

 

「ですが」

 

奎星が顔を上げた。

 

何となく、いい言葉の気配を感じた。

 

「今年は、皆さんに少し特別な時間があってもいいでしょう」

 

大食堂がざわつく。

 

日向の目が輝く。

 

「来た」

 

「何が?」

 

「絶対いいやつ」

 

「静かにしなさい」

 

楓が言う。

 

九重院は一度、大食堂を見渡した。

 

この数週間、ここにいる者たちは、互いに杖を向けた。敵だと思わされた。逃げた。戦った。学校を失った。そして、取り返した。

 

「もうすぐ十二月二十五日です」

 

ざわめきが少し変わる。

 

「今年は、学校でクリスマス会を行います」

 

一瞬、静止。

 

そのあと、大食堂が爆発した。

 

「うおおおおおおお!!」

 

日向が立つ。

 

奎星も立つ。

 

「クリスマス!!」

 

「座りなさい!」

 

楓が二人の服を引っ張る。

 

下級生まで騒ぎ始める。

 

中級課程の誰かが、もう杖から紙吹雪を出した。

 

「まだ当日じゃありません!」

 

土御門が笑いながら止める。

 

薬師寺は教師席で楽しそうに笑っていた。

 

「ふぉっふぉっふぉ。よいではないか、めでたい」

 

「薬師寺先生まで煽らないでください」

 

早瀬が頭を抱える。

 

奎星が日向と拳を合わせた。

 

「食うぞ!」

 

「おう!」

 

岳も言う。

 

「食う」

 

「お前が一番本気じゃん」

 

九重院が少し待つ。

 

ようやく静かになったところで、

 

「それから」

 

と、もう一つ続けた。

 

「せっかくですので、全校で贈り物の交換を行おうと思います」

 

「全校?」

 

奎星が眉を上げる。

 

「何人いると思ってんの?」

 

伊織が言う。

 

「一人一個でしょ」

 

「教師も参加します」

 

九重院が言った。

 

その瞬間、生徒側の空気が変わる。

 

「教師も!?」

 

日向が御影を見る。

 

御影の顔が、明らかに嫌そうだった。

 

奎星の目が輝く。

 

「御影先生も!?」

 

「……」

 

「プレゼント買うの!?」

 

「黙れ」

 

「何買うの!?」

 

「蓮根」

 

「はい」

 

「外周十周追加するぞ」

 

「クリスマスに!?」

 

「今日だ」

 

「もっと嫌だ!!」

 

大食堂が笑いに包まれる。

 

土御門が補足した。

 

「一人一つ、誰に当たっても問題のないものを用意してくださいね。当日は全員分を魔法で混ぜて、完全にランダムで交換します」

 

「先生のやつ当たる可能性ある?」

 

日向が訊く。

 

「もちろんです」

 

「御影先生の欲しい!」

 

「何で?」

 

楓が引く。

 

「絶対変なの入れてくるじゃん」

 

「入れない」

 

遠くから御影が答えた。

 

「聞こえてんの!?」

 

奎星が笑う。

 

伊織はもう計算している。

 

「生徒と教師全員なら、特定の人のものを引く確率はかなり低いね」

 

「確率とかいいんだよ」

 

「じゃ何が重要なの?」

 

奎星と日向が、同時に言った。

 

「面白さ」

 

「面白さだろ」

 

楓が顔を覆う。

 

「嫌な予感しかしない」

 

*

 

その日の夜。

 

男子寮。

 

奎星、日向、岳、伊織の部屋では、クリスマス会議が始まっていた。

 

「条件は一つ」

 

奎星が机の上へ両手をつく。

 

「誰に当たっても笑えるもの」

 

伊織が本から目を上げる。

 

「違うよ」

 

「何が?」

 

「誰に当たっても問題のないもの」

 

「同じじゃん」

 

「全然違う」

 

日向が頷く。

 

「笑えれば問題ない」

 

「君らの問題判定がおかしい」

 

岳は菓子を食べている。

 

「食べ物でいいんじゃない」

 

「普通すぎる!」

 

奎星と日向が同時に否定した。

 

岳が菓子を食べる。

 

「普通でいいだろ」

 

「星帰り乗り越えた最初のクリスマスだぞ!?」

 

奎星が言う。

 

「俺たち歴史に残るプレゼント出すから!」

 

「プレゼント交換で歴史を作らないで」

 

伊織が言った。

 

「八咫小路行くぞ」

 

日向が提案する。

 

奎星の顔が明るくなる。

 

「それだ!」

 

「変な店いっぱいあるし」

 

「俺知ってる! 魔法具屋も古本屋も箒屋もある!」

 

「僕らも知ってるよ」

 

伊織が見る。

 

「最初に連れていったの僕らだから」

 

「でも俺、スズメちゃんと普通の日も行ったし」

 

「聞いてない」

 

「甘味処も――」

 

「聞いてない」

 

「杖屋も――」

 

「聞いてない」

 

日向が奎星の肩を掴む。

 

「じゃ決まり!」

 

岳も頷く。

 

「何か食べたい」

 

「お前の目的だけ違う!」

 

「八咫小路なら食べるものある」

 

「あるけど!」

 

伊織が小さく息を吐く。

 

「結局、五人で行くことになるんだろうね」

 

「当然!」

 

奎星が笑った。

 

「久しぶりに五人で東京だ!」

 

*

 

次の休日。

 

八咫小路。

 

冬。

 

奎星たちは、夏とはまるで違う石畳の上に立っていた。

 

古い木造の商家。軒下には赤や緑や金色の飾りが下がり、その中へ日本の魔法社会らしい小さな式紙や魔法灯が混ざっている。

 

ある店の屋根では、雪だるまの式神が勝手に雪を降らせていた。ただし、その下だけ。

 

「うわ!」

 

日向が手を伸ばす。

 

「雪!」

 

「白峰で嫌ってほど見たでしょ」

 

楓が言う。

 

「こっちは東京で降ってんだぞ!」

 

「店の上だけね」

 

奎星はすでに別のものを見ていた。

 

「見ろ!」

 

道の向こう。看板。

 

《一日だけ声が変わる飴》

 

「これだ!」

 

伊織が腕を掴む。

 

「違う」

 

「まだ何も言ってない!」

 

「買おうとしたでしょ」

 

「御影先生に当たったら面白いじゃん!」

 

「食べるとは限らないよ」

 

日向が想像する。

 

「薬師寺先生でも面白くない?」

 

奎星も想像する。

 

「ふぉっふぉっふぉがめっちゃ高い声になる!」

 

二人が笑う。

 

楓が二人の背中を押した。

 

「却下!」

 

次。

 

《勝手に相手を褒める鏡》。

 

「これ!」

 

「いらない」

 

次。

 

《毎朝六時に必ず鳴く目覚まし鶏》。

 

奎星の顔が変わる。

 

「御影先生に――」

 

「自分用に買えば?」

 

楓が言った。

 

「嫌だ!」

 

「なんで人に渡そうとしたのよ!」

 

次。

 

《五分だけ髪型が絶対に崩れなくなる櫛》。

 

日向が見る。

 

「楓とか使いそう」

 

「何?」

 

「何でもない!」

 

次。

 

《食べるたびに味が変わる饅頭》。

 

岳が立ち止まる。

 

「これ」

 

「お前が欲しいだけだろ!」

 

「いいと思う」

 

「目が本気なんだよ!」

 

次。

 

《使用者が隠した物を三日後に忘れた頃、自動的に机の上へ戻す箱》。

 

伊織が見る。

 

「これは実用性ある」

 

奎星と日向が見る。

 

「つまんねえ」

 

「つまんねえ」

 

「君たちと買い物するの疲れるな」

 

五人は、夏の八咫祭とは違う、普通の休日の八咫小路を歩いた。

 

けれど、奎星にとっては初めてではない。

 

あの夏、祭りの翌日。スズメと二人でこの道を歩いた。店へ吸い寄せられるたび、腕や鞄を掴まれて引き戻された。

 

奎星は、無意識に少し先を見る。

 

あの魔法具屋。あの古本屋。道の奥。水月庵。

 

「…………」

 

「奎星?」

 

日向が横から顔を覗く。

 

「何?」

 

「止まってる」

 

「いや」

 

「何見てた?」

 

「別に」

 

歩き出す。

 

日向が少しだけ、奎星の視線の先を見た。

 

けれど何も言わなかった。

 

*

 

一時間後。

 

五人は、とある魔法雑貨店の中にいた。

 

「これだろ」

 

奎星が持ち上げる。

 

小さな箱。

 

ラベルには、

 

《開けた人の頭上に、その日の気分を表す雲が三十分浮かびます》

 

と書かれている。

 

楓が読む。

 

「……嫌」

 

「いいじゃん!」

 

日向も笑っている。

 

「機嫌悪い御影先生に当たったら雷雲出るぞ!」

 

「それを期待して買うのやめなさいよ!」

 

伊織が箱を裏返す。

 

「危険性はないみたいだね」

 

「伊織!」

 

奎星が振り返る。

 

「許可出た!」

 

「安全性だけの話」

 

岳が訊く。

 

「雨降る?」

 

伊織が説明を読む。

 

「小雨くらいは降る可能性がある」

 

岳は首を横へ振った。

 

「菓子濡れる」

 

「お前基準かよ!」

 

結局、奎星と日向の強い推薦により、全校プレゼント交換用として《気分雲》が選ばれた。

 

ただし、誰の名前で出すかについて揉めた。

 

「共同名義あり?」

 

「一人一個って言ってたよ」

 

「じゃこれ誰が出す?」

 

奎星と日向が互いを見る。

 

「じゃんけん」

 

「負けた方?」

 

「勝った方だろ!」

 

「なんで!」

 

「面白いやつ出す権利!」

 

「普通プレゼント選びってそういうもんじゃないよね」

 

最終的に、日向が勝った。

 

「よっしゃ!」

 

「くそぉ!」

 

奎星が本気で悔しがる。

 

「じゃ俺もっと変なの探す!」

 

「やめなさい!」

 

楓が腕を掴む。

 

そのまま、五人は次の店へ向かった。

 

*

 

昼。

 

岳の希望で定食屋へ入り、午後は古道具屋、菓子屋、魔法具店、書店、衣料品店と何軒も回った。

 

気づけば、全員の手には、それぞれ交換用の包みがあった。

 

岳は結局、妙に高級な菓子の詰め合わせ。伊織は小型の魔法具。楓は冬用の日用品。日向は《気分雲》。

 

そして奎星は、

 

《一週間だけ、書いた文字の語尾が時々勝手に変になる羽根ペン》

 

を選んだ。

 

「最悪」

 

楓が言った。

 

「誰に当たっても使える!」

 

「使いたくないのよ」

 

「先生に当たってほしい!」

 

「先生を狙うな!」

 

「スズメちゃんが採点に使ったら面白くね?」

 

奎星が笑う。

 

日向も笑った。

 

「『六十一点ですぞ』とかになるかも!」

 

「羽根ペンにそこまでの機能ないよ」

 

伊織が言った。

 

「夢壊すなよ!」

 

買い物は終わった。少なくとも、表向きは。

 

「じゃ、そろそろ帰る?」

 

楓が言った。

 

その瞬間、奎星と日向が同時に反応した。

 

「いや!」

 

「まだ!」

 

二人が止まる。

 

楓が眉を寄せた。

 

「何?」

 

「……飯」

 

奎星が言う。

 

岳が首を傾げる。

 

「さっき食べた」

 

「甘いもの!」

 

日向が言う。

 

岳が頷く。

 

「食べる」

 

「乗った!」

 

楓が怪しそうに二人を見る。

 

「さっきから何なの?」

 

「何が?」

 

奎星。

 

「普通だけど?」

 

日向。

 

二人とも不自然だった。

 

伊織がじっと見る。

 

「…………」

 

奎星の背中に汗が流れる。

 

日向も笑顔が固い。

 

伊織が口を開く。

 

「僕は――」

 

その瞬間、岳が通りの向こうを見る。

 

「新しい店ある」

 

全員が見る。

 

《冬季限定 焼き餅ぜんざい》

 

岳の足が動く。

 

「行く」

 

「行こう!」

 

奎星が即答した。

 

「奎星、甘味食べたかったんじゃないの?」

 

楓が訊く。

 

「そう! これ!」

 

「偶然だね」

 

伊織が言う。

 

「偶然だな!」

 

日向も答える。

 

二人は目を合わせた。

 

今だった。

 

*

 

十分後。

 

甘味処。

 

岳、楓、伊織の三人が卓へ座っている。

 

岳の前には焼き餅ぜんざい。楓は温かい抹茶。伊織は店頭で買った魔法具の説明書を読んでいる。

 

「で」

 

楓が周囲を見る。

 

「奎星と日向は?」

 

伊織が説明書を一枚めくる。

 

「厠」

 

「二人同時に?」

 

「そう言ってた」

 

楓の眉が寄る。

 

「遅くない?」

 

岳がぜんざいを食べる。

 

「混んでるんじゃない」

 

伊織は一瞬だけ入口を見る。それから、何も言わず、また説明書へ視線を落とした。

 

*

 

同じ頃。

 

八咫小路の反対側。

 

「走れ!」

 

「分かってる!」

 

奎星と日向が全力で走っていた。

 

「あと何分!?」

 

「知らん!」

 

「十五分で戻らないと怪しまれるぞ!」

 

「もう怪しまれてるだろ!」

 

「言うな!」

 

二人が曲がる。

 

大通り。少し細い道。そこからさらに、装飾品と小さな魔法具を扱う店が並ぶ一角。

 

さっき五人で歩いているとき、二人とも、それぞれ別の店を見つけていた。

 

奎星が日向を見る。

 

「お前どっち?」

 

「こっち!」

 

「じゃ俺あっち!」

 

「何分後!?」

 

「七分!」

 

「短っ!」

 

「俺ら厠行ってる設定だぞ!」

 

「厠で十五分も十分長えよ!」

 

「だから七分!」

 

二人が別れる。

 

三歩進んだところで、日向が止まる。

 

「奎星!」

 

「何!」

 

「絶対岳たちに言うなよ!」

 

「言うわけねえだろ!」

 

「伊織にも!」

 

「一番バレたら終わる!」

 

「楓にも!」

 

奎星がにやりと笑う。

 

「それはお前が一番困るやつじゃん」

 

日向の顔が赤くなる。

 

「うるせえ!」

 

「本命だもんな!」

 

「お前もだろ!!」

 

今度は、奎星が止まった。

 

「…………」

 

日向が笑う。

 

「スズメちゃん」

 

「声でけえ!!」

 

「大好きだもんな?」

 

「なんで知ってんだよ!?」

 

「病室で『スズメちゃんに聞きたいことがある』ってあれだけ騒いでたら分かるわ!」

 

「そこまで分かんねえだろ!」

 

「分かる!」

 

「分かんなくていい!」

 

「じゃ本命じゃないの?」

 

「…………」

 

奎星が黙る。

 

日向の笑みが大きくなる。

 

「本命じゃん」

 

「うるせえな!!」

 

「顔赤っ!」

 

「走ったから!」

 

「冬だぞ!」

 

「走ったら暑い!」

 

「スズメちゃんみたいな言い訳してんじゃん!」

 

「お前マジで黙れ!!」

 

二人は互いを指差した。

 

「お前も楓!」

 

「お前もスズメちゃん!」

 

「言うな!」

 

「そっちも!」

 

「秘密だからな!」

 

「そっちもな!」

 

一秒。

 

それから、拳を合わせる。

 

「七分!」

 

「七分!」

 

散った。

 

*

 

奎星が入った店は、小さかった。

 

夏に来た杖屋ほどではないが、大通りから少し離れていて、店先にも派手な看板はない。

 

硝子窓の中には、栞、髪飾り、小さな置物、羽根飾り、魔法書用の留め具、机へ置く魔法灯が並んでいる。

 

どれも、派手なものではなかった。

 

奎星は、さっきまでの勢いを少し失った。

 

「…………」

 

何がいい。

 

スズメが好きなもの。

 

本。歴史。水羊羹。古い史料。鴉。星。

 

「水羊羹はクリスマスじゃねえよな……」

 

店員が遠くから変な顔をする。

 

奎星は気づかない。

 

棚から棚へ、一つ取る。戻す。別のものを見る。

 

「これ……」

 

また戻す。

 

自分で選ぶ。それが、急に難しい。

 

全校交換用の羽根ペンなら、一秒で決まった。誰に当たるか分からない。笑えればいい。

 

でも、これは違う。

 

誰に渡すか、最初から決まっている。

 

烏丸スズメ。

 

「…………」

 

――愛してる。

 

思い出した。

 

自分で言った。神代に。本人にも聞かれていた。多分。

 

「うわああ……」

 

両手で顔を覆う。

 

店員が本当に心配そうに見る。

 

「大丈夫ですか?」

 

「大丈夫っす……」

 

「贈り物ですか?」

 

「……はい」

 

「大切な方へ?」

 

奎星の手が止まる。

 

「…………」

 

少しだけ笑った。

 

「めちゃくちゃ」

 

店員も小さく笑う。

 

「でしたら、急いで決めなくても」

 

「七分しかないんすよ」

 

「なぜ?」

 

「厠にいることになってて」

 

「……?」

 

「気にしないでください!」

 

奎星はもう一度、棚を見た。

 

そして、一つの小さなものの前で足を止めた。

 

「…………」

 

手を伸ばす。

 

今度は、戻さなかった。

 

*

 

一方、日向も別の店の中で死ぬほど悩んでいた。

 

「楓って何好きなんだ……?」

 

今更だった。

 

長い。ずっと一緒にいる。子供の頃から知っている。何なら怒ったときの眉の角度まで分かる。

 

でも、贈り物となると、分からない。

 

「何でも怒りそう……」

 

店員が訊く。

 

「贈る相手は、よく怒る方なのですか?」

 

「めっちゃ」

 

「……そうですか」

 

「でも優しいです」

 

「はい」

 

「口悪いけど」

 

「はい」

 

「殴るし」

 

「本当に贈る相手で合っていますか?」

 

「合ってます!」

 

日向も店内を見回した。

 

「あと俺が無茶すると怒る」

 

「心配されているのでは?」

 

「…………」

 

日向が止まる。

 

星帰り作戦。校庭へ行こうとした。倉橋に止められた。地下に残った。楓も、ずっと隣にいた。

 

夏も。星迎祭も。もっと前から。

 

「……そういうことか」

 

小さく呟く。

 

そして、ある棚へ向かった。

 

*

 

七分後。

 

二人は、ほぼ同時に元の角へ戻ってきた。

 

奎星は紙袋を一つ。日向も紙袋を一つ。

 

互いを見る。

 

「買った?」

 

「買った」

 

「何?」

 

「言わねえ」

 

「俺も」

 

「見せろよ」

 

「お前が先」

 

「嫌だ」

 

二人は紙袋を背中へ隠す。

 

「隠せ!」

 

「どこに!?」

 

「鞄!」

 

「交換用のプレゼント入ってる!」

 

「その下!」

 

二人して慌てて紙袋を鞄の底へ押し込む。

 

「これでいい?」

 

「膨らんでない?」

 

「お前の方膨らんでる!」

 

「上着入ってることにする!」

 

「冬に上着脱いで鞄入れるの不自然だろ!」

 

「じゃ何!?」

 

「菓子!」

 

「岳に開けられる!」

 

「それ一番駄目だ!」

 

二人はしばらく本気で悩み、最終的に、買った店で掛けてもらった小さな目隠し魔法を信じることにした。

 

「よし」

 

日向が息を整える。

 

「戻るぞ」

 

奎星も頷く。

 

「普通にな」

 

「おう」

 

二人で歩き出す。

 

五歩。

 

「走らなくていい?」

 

「絶対もう十五分過ぎてる」

 

「走れ!!」

 

「お前が普通にって言ったんだろ!!」

 

*

 

甘味処。

 

扉が開いた。

 

「遅くなりましたー!」

 

奎星。

 

「混んでた!」

 

日向。

 

楓がゆっくり二人を見る。

 

「何が?」

 

「…………」

 

奎星と日向が止まる。

 

「厠」

 

「厠」

 

同時だった。

 

岳がぜんざいを食べている。

 

伊織は説明書を読んでいる。

 

楓の目が細くなる。

 

「二人で?」

 

「たまたま!」

 

「混んでて!」

 

「個室が!」

 

「順番!」

 

言葉が噛み合わない。

 

伊織が説明書から目を上げた。

 

「へえ」

 

奎星と日向の背筋が伸びる。

 

「何」

 

「何だよ」

 

伊織は二人を見る。

 

一秒。二秒。

 

「別に」

 

また説明書へ戻る。

 

奎星と日向は目を合わせる。

 

助かった。

 

たぶん。

 

「お前ら食う?」

 

岳が訊く。

 

卓上には焼き餅ぜんざい。

 

奎星の顔が明るくなる。

 

「食う!」

 

日向も座る。

 

「俺も!」

 

楓がため息をつく。

 

「結局食べるのね」

 

「せっかく来たし!」

 

奎星は椅子へ座った。

 

鞄を自分の足元へそっと置く。

 

中には、誰に当たるか分からない変な羽根ペン。そして、誰に渡すか最初から決まっている、もう一つの贈り物。

 

向かいでは、日向も何気ない顔をしながら、自分の鞄を椅子の脚へ引き寄せていた。

 

奎星と日向が、一瞬だけ目を合わせる。

 

何も言わない。

 

岳にも、伊織にも、楓にも。

 

まだ、秘密。

 

クリスマスまで、あと少しだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。