十二月二十五日。
国立魔法学校マホウトコロは、朝から完全に浮かれていた。
普段なら白い羊脂玉の壁には赤や緑の飾り布が渡され、廊下を歩けば頭上を小さな星の光が追いかけてくる。大食堂の天井には魔法で作られた雪がゆっくりと降り続けていたが、床へ落ちる寸前に光の粒へ変わるため、濡れる心配もない。
何より、今日は授業がなかった。それだけで、生徒たちの機嫌は最高潮だった。
「クリスマス最高ぉぉぉぉぉ!!」
大食堂へ飛び込んだ瞬間、奎星が両腕を上げた。
「朝からうるさい!」
すぐ後ろから楓の声が飛ぶ。
「今日くらいいいだろ!」
「まだ始まってもいないのよ!」
「始まってる! 俺の中では昨日の夜から!」
日向が横から入る。
「俺も!」
「君たち、昨日二時まで起きてたでしょ」
伊織が言った。
奎星と日向が同時に止まる。
「……何で知ってんの?」
「同じ部屋だから」
「そうだった」
「馬鹿なの?」
岳はすでに、料理の並ぶ長机を見ていた。
普段の大食堂でも食事の量は十分すぎるほど多い。だが今日は明らかに違った。和洋入り混じった料理が長い机いっぱいに並び、丸焼きの鶏から寿司、煮物、菓子、ケーキまで、もはや統一感など最初から捨てられている。薬師寺が提案したらしい巨大な鍋まであった。
「岳」
奎星が隣を見る。
返事がない。
「岳?」
もういない。
「速っ!」
五メートル先で皿を持っていた。
「食べる」
「見れば分かる!」
今日ばかりは、教師たちも普段ほど細かいことを言わなかった。
土御門は下級生たちと一緒になって飾り付けの星を飛ばし、早瀬は箒を持ち込もうとした生徒を「大食堂の中だけは駄目!」と笑いながら追い返している。
薬師寺は赤い帽子を被っていた。
「ふぉっふぉっふぉ。めりーくりすますじゃ」
「似合いすぎ!」
奎星が指を差す。
「本物じゃん!」
「何の本物ですか」
スズメが横で呆れる。
「サンタ!」
「薬師寺先生です」
「知ってるよ!」
少し離れた教師席には九重院もいる。あの星迎祭の日よりも顔色はずっと戻っていて、今日は杖も机へ置いたまま、生徒たちの騒ぎを止める気配がなかった。
その隣で、御影玄一郎だけはいつも通りだった。腕を組み、笑ってもいない。赤い帽子も被っていない。
「御影先生!」
奎星が走っていく。
「サンタ帽子は!?」
「ない」
「なんで!」
「必要ない」
「今日クリスマスだぞ!?」
「知ってる」
奎星は近くにあった赤い帽子を取った。
「はい!」
御影の頭へ乗せようとする。
御影が無言で奎星の手首を掴んだ。
「痛い痛い痛い!」
「やめろ」
「今日、無礼講だろ!」
「誰が言った」
「俺!」
「却下だ」
「独裁!」
「神代のあとに、その言葉を軽々しく使うな」
「それ言われたら何も言えねえ!」
少し離れた場所で、スズメが吹き出した。
奎星が振り返る。
「今笑っただろ!」
「笑っていません」
「絶対笑った!」
「烏丸先生です」
「そこじゃない!」
いつものやり取り。本当に、いつもの光景だった。
それが、妙に嬉しかった。
*
昼を過ぎる頃には、大食堂の騒ぎはさらに酷くなっていた。
上級課程も中級課程も下級課程も関係ない。教師も混じり、小妖まで料理の皿を運びながら、時々そのまま輪の中へ入っている。
「レンコン!」
「おう!」
天ぷらが小さな包みを持って走ってきた。頭には、どこから手に入れたのか赤い三角帽子を被っている。
「天ぷらサンタじゃん!」
「テンプラ!」
「かわいいな!」
「レンコン!」
「そこだけ直らねえな!」
その向こうでは、日向が箒部の仲間と何かの勝負を始め、楓に見つかって止められていた。伊織は下級生から魔法具について延々と質問され、岳はずっと食べている。
「岳!」
奎星が見つける。
「何皿目?」
「分かんない」
「怖っ!」
冬真と鳴海もいた。
鳴海は人混みそのものにかなり疲れているらしく壁際へ逃げていたが、冬真が適度に人を遮っているおかげで、星迎祭の頃よりはずっと平静そうだった。
スズメは教師たちの輪へ混じっている。
笑っている。
時々、奎星の視線がそちらへ向く。そして、目が合いそうになると逸らす。
「…………」
「何やってんの?」
横から日向が声をかけた。
「うわっ!」
「声でか」
「急に来んな!」
日向が奎星の視線の先を見る。
「スズメちゃん?」
「違う」
「見てたじゃん」
「見てない」
「見てた」
「お前さ」
奎星の目が細くなる。
「楓へのプレゼント、ちゃんと持ってんだろうな」
日向の顔が変わった。
「声!!」
「お前から始めたんだろ!」
「ここで言うなよ!」
「じゃあそっちも言うな!」
二人が睨み合う。
数秒後、同時に口を開いた。
「あとでな」
「あとで」
拳を軽く合わせる。
秘密は、まだ生きている。
たぶん。
*
夕方。
食事も、ゲームも、魔法を使った余興も一通り終わった頃、大食堂の中央へ巨大な箱が運ばれてきた。
いや、正確には、箱が自分で歩いてきた。四本の細い脚を生やし、とことこと。
「何あれ!」
奎星が立ち上がる。
土御門が杖を振った。
「皆さんが用意した贈り物が全部入っていますよー!」
箱が中央で止まる。
中には、生徒と教師、全員分。何百もの包みが詰められていた。
大食堂が一気にざわつく。
九重院が前へ出る。
「それでは、今年のクリスマス会最後の催しです」
「プレゼント!」
下級生の誰かが叫ぶ。
「そうですね」
九重院が微笑む。
「名前を呼ばれた方から前へ。贈り物は術式が完全に無作為で選びます。誰が用意した物かは、受け取るまで分かりません」
日向が奎星を見る。
「御影先生の引くぞ」
「俺も」
「一個しかないぞ」
「じゃ勝負」
「何の?」
「気合い」
伊織が横から言った。
「無作為の意味を理解してる?」
「気合いで乱数は曲げられる」
「曲がらないよ」
交換会が始まった。
名前が一人ずつ呼ばれる。下級生、中級課程、上級課程、そして教師。箱の中から包みが飛び出し、空中で一度回ってから本人の腕へ収まる。
岳は、高級な魔法菓子の詰め合わせを引いた。
「勝った」
「何に!?」
日向が叫ぶ。
伊織は、自動で机の上を片づける小型魔法具を引いた。
「便利」
「お前こういうの当てるよな!」
楓は、暖かそうな膝掛けだった。
「普通に嬉しい」
「まとも!」
奎星が驚く。
「普通が一番なのよ!」
日向は、巨大な魚の形をした帽子を引いた。
「何これ!?」
被ると、魚の口から日向の顔が出た。
奎星が椅子から転げ落ちる。
「似合ってる!!」
「絶対お前のだろ!」
「俺じゃねえ!」
「じゃ誰だよ!」
教師側でも、薬師寺が例の《気分雲》を引いた。
箱を開けた瞬間、頭上へふわりと小さな快晴の空が浮かぶ。
「ふぉっふぉっふぉ」
奎星と日向が同時に机を叩いた。
「薬師寺先生、めっちゃ晴れてる!!」
「大当たりじゃん!!」
「お前のか!」
日向が胸を張る。
「俺!」
「いい仕事した!」
二人が拳を合わせる。
楓は頭を抱えた。
「本当にしょうもない……」
そして。
「蓮根奎星君」
九重院の声が響いた。
「来た!!」
奎星が勢いよく立ち上がり、前へ出る。
箱が震えた。
何百もの贈り物の中から、一つ、長細い包みが飛び出した。
「おお!」
両手で受け取る。
「何だこれ」
包装を開ける。
布を引っ張ると、黒いマフラーが出てきた。暖かく、素材もかなり良さそうだった。
ただし、正面には白い文字で大きく、
《安全第一》
と書かれている。
「…………」
大食堂が静かになる。
奎星も止まった。
「…………は?」
一拍置いて、爆笑が起きた。
日向が机へ突っ伏し、楓まで顔を背けている。伊織は笑いを堪えようとして失敗し、岳が一言だけ告げた。
「似合う」
「似合わねえよ!!」
奎星がマフラーを掲げる。
「誰だこれ!!」
教師席で、一人だけ手を上げた。
「俺だ」
「御影先生なんだよこれ!」
「マフラーだ」
「見れば分かる!」
「防寒具だ」
「文字!!」
御影は何でもない顔をしている。
「大事だろう」
「ダサすぎるだろ!!」
「お前には必要だ」
「何で!」
「危険な場所へすぐ行く」
「そういう安全第一!?」
「よく似合っているぞ」
奎星の顔が引きつる。
「なめんな!」
大食堂がまた笑いに包まれる。
スズメも完全に笑っていた。
「スズメちゃんまで笑うな!」
「すみません……でも」
「でも何!」
「似合っています」
「裏切り者!!」
奎星は結局、マフラーを首へ巻いた。黒い布の胸元には、《安全第一》の文字が輝いている。
日向が写真を撮ろうとして、奎星に追い回された。
*
しばらく後。
「御影玄一郎先生」
奎星が即座に椅子へ座る。
「来た」
日向も身を乗り出した。
「御影先生!」
御影は嫌そうな顔のまま前へ出る。
箱が震えた。
ぽん、と小さな包みが飛び出す。
奎星が囁いた。
「絶対変なの来い」
「日頃の行い」
日向も祈る。
御影が包みを開けた。
「…………」
手袋だった。
ただし、白く、ふわふわしている。手の甲には小さな兎がつき、指先は淡い桃色だ。
どう見ても可愛い。
あまりにも可愛い。
御影玄一郎が、無言でそれを持っている。
「…………」
奎星の肩が震える。
「…………っ」
必死に耐える。
御影が奎星を見る。
「笑うな」
それで終わった。
「ぶっははははははははは!!」
奎星が椅子から転げ落ちた。
「御影先生!! 何それ!!」
「黙れ」
「可愛っ!! めっちゃ可愛い!!」
「蓮根」
「つけてみてよ!!」
「断る」
そのとき、下級課程の小さな女子生徒が、おずおずと手を上げた。
「……あの」
御影が見る。
「私が、選びました……」
「…………」
少女の顔には、明らかな期待が浮かんでいる。
御影は手袋を見て、少女を見て、もう一度手袋を見た。
「…………」
奎星は気づいた。
「先生」
御影が白い手袋をつける。
大食堂から、
「おおー!」
と声が上がった。
奎星はもう駄目だった。
「似合ってる!!」
机を叩く。
「御影先生、めちゃくちゃ似合ってる!!」
「…………」
「最強の禍祓官、兎さん手袋!!」
御影が近づいてきた。
「うわ、待って」
白く、ふわふわした兎のついた拳が上がる。
「待って待って待って!!」
ごん。
「痛ってぇ!!」
奎星が頭を抱える。
「暴力教師!」
「黙れ」
御影はそのまま自分の席へ戻った。
兎の手袋は、外さなかった。
それを見て、下級生の少女がものすごく嬉しそうに笑っていた。
奎星は頭を押さえながら、少しだけ笑った。
*
夜。
プレゼント交換が終わってからも、大食堂の騒ぎはしばらく続いた。
誰の贈り物が誰へ行ったのか。あれは誰が選んだのか。これは絶対に先生の趣味だ。そんな話だけで、いくらでも時間が潰れる。
やがて、九重院が立ち上がった。
「皆さん」
少しずつ、声が静まる。
「今年のクリスマス会は、これで終了とします」
「えー!」
下級生からすぐに声が上がった。
九重院が笑う。
「まだ残りたい方は残っていただいて構いません。ただし、あまり夜遅くならないように。明日から冬季休暇へ入るとはいえ、生活習慣を崩しすぎないよう気をつけてください」
奎星の目が輝いた。
冬休み。
その言葉だけで、未来が広がる。
東京。実家。ゲーセン。ラーメン。寝坊。昼まで寝る。何もない日。
最高。
「冬休みぃぃ……」
感動している奎星を、伊織が横から見た。
「まだ始まってないよ」
「今始まった!」
「九重院校長の話は?」
「終わった!」
「そういうところだね」
生徒たちが少しずつ帰る準備を始める。包みを抱える者、食べ残した菓子を持って帰ろうとする者、最後まで話を続けている者。教師たちも片づけを始めていた。
その中で、奎星と日向の目が合った。
「…………」
「…………」
日向がほんの僅かに顎を動かす。
奎星も頷いた。
今だ。
二人は同時に立ち上がり、それぞれ別の方向へ向かった。
*
「楓!」
日向の声が聞こえた。
少し離れたところで、帰ろうとしていた楓が振り返る。
「何?」
「ちょっと」
「何よ」
「いいから」
「怪しいんだけど」
「いいから!」
「声でかい!」
二人が大食堂の反対側へ消えていく。
奎星は少しだけ笑った。
「頑張れよ」
小さく呟き、自分も目的の人物を探す。
いた。
教師席の近くで、本を数冊抱え、土御門と話している。
烏丸スズメ。
「スズメちゃん!」
スズメが振り返る。
「蓮根君?」
「ちょっといい?」
「烏丸先生です」
「今それいる?」
「必要です」
「いいから!」
奎星が大食堂の隅を指す。
スズメは怪訝そうな顔をしたが、奎星についてきた。
大食堂の隅、大きな窓の近く。外はもう真っ暗だった。冬の夜だが、南硫黄島に雪はない。室内から漏れる赤や金の光だけが、窓硝子へ映っている。遠くでは、まだ笑い声が聞こえていた。
奎星は急に緊張した。
「…………」
スズメが待つ。
「どうしました?」
「いや」
「はい」
「その」
さっき御影へ「兎さん手袋」と叫んでいた人間とは思えないほど、言葉が出てこない。
「蓮根君?」
「ちょっと待って!」
「何を?」
「心の準備!」
「何のですか?」
「それ聞くな!」
スズメの目が少し細くなる。
「変ですね」
「うるさい!」
奎星は自分の鞄を開いた。
中の一番下。交換会用とは別に隠していた、小さな包みを取り出す。
「これ」
スズメが瞬きをする。
「……?」
「はい」
差し出す。
スズメはすぐには受け取らなかった。
「プレゼントなら、もういただきましたよ?」
彼女の腕には、先ほど交換会で当たった小さな包みがある。
「うん」
奎星が頷く。
「でも、これは個人的なやつ!」
「個人的な……?」
「いや!」
奎星はすぐに手を振った。
「別に、その、変な意味じゃないよ!」
「…………」
「スズメちゃんにはめちゃくちゃ世話になってるし!」
「はい」
「今年の六月から!」
「五月末ですね」
「細かい!」
「大事です」
「半年くらいずっと!」
指を折る。
「魔法教えてもらって、補習してもらって、学校入れてもらって、観測塔で探しに来てもらって、第零書庫もあって、夏もあって、二学期も、星迎祭も、常隠島も、星帰りも……」
言っていくうちに、その数の多さに自分でも驚いた。
半年。
たった半年なのに、本当にいろいろあった。
奎星は少しだけ笑った。
「だから」
包みを差し出す。
「ありがとうってやつ」
スズメは包みを見て、それから奎星を見る。
病室。レジリメンス。自分が聞いた言葉。
――愛してる。
――スズメちゃんのこと。
奎星は今、それを言わない。言えない。ただ、少し顔を赤くして、「変な意味じゃない」と必死に言っている。
スズメの目が柔らかくなった。
「……ありがとうございます」
にっこりと笑う。
「大切にしますね」
「…………」
奎星が止まった。
可愛い、と思った。
めちゃくちゃ可愛い。
神代の前であれほど簡単に「愛してる」と言えたくせに、本人が笑っただけで何も言えない。
「……蓮根君?」
「いや」
顔を逸らす。
「何でもない」
「そうですか?」
「開けてみて!」
スズメが包装を解く。
中から出てきたのは、細い銀色の栞だった。
派手ではない。薄く、古い本へ挟んでも頁を傷めないよう、端が丁寧に丸く加工されている。先端には小さな鴉の羽根、そしてそのすぐ横に小さな星がついていた。
魔法を流すと挟んだ頁を覚え、本を閉じても、次に開いたときにはそこへ淡い光が灯る。古書にも使え、紙を傷めない。
八咫小路で、奎星が七分で死ぬほど悩んで選んだものだった。
スズメはしばらく、それを見つめていた。
「……栞」
「うん」
「私が本を読むから?」
「めちゃくちゃ読むじゃん」
「そうですね」
「あと古い本多いから、傷つけないやつがいいかなって」
スズメの指が小さな鴉へ触れる。そして、星へ。
「……これ」
「なんか」
奎星が頭を掻く。
「スズメちゃんっぽかったから」
「…………」
スズメは何も言わなかった。
その代わり、もう一度笑った。
「とても」
少し間を置く。
「嬉しいです」
奎星の胸が一気に軽くなる。
「マジ!?」
「はい」
「よかったー!」
本気で嬉しそうに笑った。
その顔を見て、今度はスズメが少しだけ目を逸らす。
「それから」
「ん?」
スズメは抱えていた本の下から、小さな箱を出した。
「これを」
奎星が止まる。
「何?」
「見れば分かるでしょう」
「いや、箱じゃん」
「開けてください」
受け取る。
奎星はすぐに包装を解いた。
「…………」
中に入っていたのは腕時計だった。
黒い革の帯に、銀色の文字盤。派手な装飾はなく、魔法社会でも一般社会でも違和感なく使える、ごく普通の形をしている。
ただ、防水、耐魔法、簡単な方角表示の機能があり、魔力を少し流せば、暗い場所でも文字盤が淡く光る。
「うお!」
奎星の目が輝く。
「これ俺に!?」
「はい」
「マジ!?」
「マジです」
「スズメちゃんが俺に選んだの!?」
「そう言っているでしょう」
奎星はすぐ腕へつける。
右。
違う。
左。
「どう?」
腕を差し出す。
「似合う?」
「ええ」
スズメが笑う。
「よく似合っています」
「よっしゃ!」
奎星は腕時計を見る。もう一度、見る。
「めっちゃ嬉しい!」
何の躊躇もなく、そのまま言った。
「ありがとうスズメちゃん!!」
「……はい」
スズメの顔が、ほんの少しだけ赤くなる。
奎星は時計を見るのに夢中で、気づかない。
「冬休みもいっぱい使お〜」
「…………」
スズメが瞬きをした。
「あれ」
「ん?」
「聞いていないのですか?」
奎星が顔を上げる。
「え? 何が?」
スズメは少し不思議そうに言った。
「蓮根君に、冬休みはありませんよ」
「…………」
大食堂の遠くでは、まだ笑い声が聞こえている。飾りの星も、料理も、人の気配も、全部が止まったような気がした。
奎星がゆっくり訊く。
「……は?」
「蓮根君に、冬季休暇はありません」
「聞こえてる」
「はい」
「意味が分かんない」
「星迎祭、その後の黒曜の門、常隠島への避難、星帰り作戦、そして学校復旧中の変則授業」
スズメは一つずつ指を折る。
「加えて、あなたは五月末の編入です」
奎星の顔色が変わった。
嫌な記憶が蘇る。
一学期。
特例試験。
――落ちたら?
――夏季休暇中も学校へ残り、再試験まで補習です。
「待って」
「はい」
「待って待って」
「待っています」
「何が起きてる?」
「出席日数です」
「…………」
「規定に達していません」
「…………」
「このままでは単位取得が難しく」
「…………」
「進級も危ういです」
「…………」
奎星が笑った。
「は!」
一回。
「はは!」
もう一回。
「スズメちゃん!」
明るく呼びかける。
「冗談言うようになったんだね!」
「冗談ではありません」
笑顔が消えた。
「…………」
スズメは続ける。
「冬季休暇中は、毎日補習です」
奎星が自分を指差す。
「俺」
「はい」
「学校救ったんだけど」
「そうですね」
「俺が十二分守護霊出して学校全員戻したんだけど」
「はい」
「神代倒したんだけど!」
「皆さんで、ですね」
「そうだけど!」
一歩下がる。
「学校どころか日本救ったんだけど!?」
「そうかもしれませんね」
スズメは穏やかに頷いた。
「でも、それで単位は取れません」
「…………」
世界を救った。
学校も取り戻した。
神代に、人間の自由について、人生について、愛について語った。
その結果。
単位が、ない。
「…………は!」
奎星が突然、明るくなった。
「ははは!」
スズメを見る。
「面白かった!」
「蓮根君」
「いやー、びっくりした!」
後ろへ一歩。
「じゃ!」
さらに一歩。
「プレゼント大事にするね!」
「蓮根君」
「良いお年を〜!」
くるりと背を向け、走る。
一歩目。
首の後ろを掴まれた。
「う」
止まる。
スズメが奎星の襟首をしっかり握っている。
「逃しませんよ」
「スズメちゃん」
「烏丸先生です」
「今日クリスマス」
「そうですね」
「冬休み」
「あなたにはありません」
「明日から?」
スズメはにっこり笑った。
「いいえ」
奎星の顔が固まる。
「補習は今晩から始まります」
「…………」
「ちょうど皆さんも寮へ戻り始めていますし、静かな教室が使えますね」
「…………」
スズメが歩き出す。
奎星も引きずられる。
「待って」
「教科書は研究室に用意してあります」
「待って待って」
「まず魔法史から」
「今日クリスマス!!」
「知っています」
「クリスマスの夜だぞ!?」
「だから何ですか?」
「普通、恋人とか家族とか友達と過ごす日だろ!」
「では、先生と生徒で勉強しましょう」
「スズメちゃん!!!!」
大食堂の出口が近づく。
奎星が柱へ手を伸ばし、掴んだ。
「嫌だ!!」
スズメが引く。
「離してください」
「冬休みぃぃ!!」
「ありません」
「東京!!」
「単位を取ってからです」
「ゲーセン!!」
「進級してからです」
「ラーメン!!」
「補習のあとなら食べても構いません」
「そこだけ優しい!!」
ずるずると引きずられ、柱から指が一本、二本と外れていく。
最後に小指が離れた。
「誰か助けて!!」
大食堂にいた全員が振り返る。
日向は少し離れたところで、楓と二人、何か小さな包みを持っていた。
目が合った。
日向が親指を立てる。
「頑張れ〜」
「裏切り者ぉぉぉ!!」
伊織もいる。
「出席日数は大事だよ」
「お前は絶対そう言うと思った!!」
岳が言った。
「終わったら菓子ある」
「岳ぅ!!」
「取っとく」
「ありがとぉぉぉ!!」
御影は大食堂の奥、壁際に立っていた。白くふわふわした兎の手袋を、まだつけている。片手でもう片方の手袋の具合を確かめながら、引きずられていく奎星を見ていた。
「御影先生!!」
奎星が助けを求める。
「先生からも言ってよ!!」
御影は少しだけ口元を緩めた。
「頑張れ」
「お前もかよ!!」
「安全第一だ」
「関係ねえだろ!!」
スズメが最後の一歩を引く。
奎星の身体が大食堂から完全に廊下へ消えた。
その直後、復旧したばかりのマホウトコロ中へ声が響いた。
「うそだあああああああああああああああああ!!!!!」
大食堂が一瞬、静寂に包まれる。
そして、爆笑が起きた。
御影は白い兎の手袋を見下ろしながら、ほんの少し笑っていた。
日向も、楓も、岳も、伊織も、教師たちも、生徒たちも、小妖たちも笑っている。
星迎祭。
黒い門。
奪われた学校。
常隠島。
星帰り。
神代冥司との戦い。
この場所へ戻るまで、あまりにも多くのことがあった。
傷ついた。
間違えた。
逃げた。
戦った。
何度も、帰れないかもしれないと思った。
それでも、帰ってきた。
友達と飯を食べて、教師に怒られて、好きな人へ贈り物をして、ダサいマフラーを巻かされて、補習から逃げようとして、捕まる。
そんな、どうしようもなくくだらない毎日へ、蓮根奎星が取り戻したかったものは、たぶん最初からこういうものだった。
世界を救っても、学校を救っても、単位は勝手に増えない。
明日もきっと、御影に走らされ、スズメに赤ペンを入れられ、日向と騒ぎ、楓に怒られ、岳と飯を食い、伊織に正論を言われる。
そして、その次の日も、また何かがある。
だから、きっと明日も楽しい。
復旧したマホウトコロの夜空へ、銀色の星が静かに瞬いていた。
シーズン4 星帰りと黒曜の王 完