『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 封印都市ヤーナム』 作:丹波りん
時計塔。
エルメロイ教室に与えられた私室には、普段よりも多くの資料が積み上げられていた。
古びた羊皮紙。複数の報告書。古い地図。そして、何かの術式を写し取ったと思われる紙片。
それらを前に、エルメロイⅡ世は深く眉間に皺を寄せていた。
口元には火を点けたばかりの葉巻。
白い煙が、ゆっくりと天井へ昇っている。
室内には盗聴を防ぐための簡易結界が張られていた。
「そこまで警戒する必要がある話なのかな、義兄上?」
向かいのソファに腰掛けたライネス・エルメロイ・アーチゾルテが、楽しそうに笑った。
その傍らにはトリムマウが控えている。
彼女は静かな所作で二人分の紅茶を用意し、ライネスのカップへと注いでいた。
「君が私の部屋まで来て、わざわざ結界まで張らせたんだろう」
「それはそうだが」
ライネスは紅茶を受け取り、優雅に口をつける。
「お兄様は随分と疑り深くなりましたね」
「……その呼び方をする時は、大抵ろくでもない話を持ってきた時だ」
「ふふ。よく分かっているじゃないか」
ライネスは心底楽しそうだった。
Ⅱ世は葉巻を灰皿へ押しつける。
「で?」
「ん?」
「ヤーナムの話だろう」
「ああ」
ライネスは机の上に並べられた資料へ目を向けた。
「封印都市ヤーナム」
その名前だけが、妙に異質だった。
「時計塔から正式に調査依頼が出されたようだね」
「そうだ」
Ⅱ世は一枚の書類を手に取る。
「私はその調査担当に選ばれた」
「時計塔らしい人選ですこと」
「余計なお世話だ」
「そうかな?」
ライネスは笑う。
「少なくとも、これほど資料が不足している事件を前にして、放っておけるたちではないだろう?」
Ⅱ世は答えなかった。
図星だった。
今回の依頼は、ヤーナムという封印された都市についての調査。
都市の歴史。
そこに残された神秘。
そして、現在も残されている可能性がある魔術的遺物。
時計塔としても興味を持つ理由は十分にある。
だが、資料を読めば読むほど不可解だった。
「私のほうでも時計塔から渡された資料には目を通したさ」
ライネスが言った。
「ただ、それだけではないとも」
「独自に調べたのか」
「もちろん」
ライネスは楽しそうに答えた。
「義兄上に何も情報を渡さず送り出すほど、意地悪ではないさ」
「愚妹が言うと説得力がないな」
「ひどい言い草じゃないか」
ライネスは笑いながら、別の資料を差し出した。
「こちらは時計塔の記録ではなく、私が集めた情報だ」
Ⅱ世は受け取った。
「……古い」
「ああ」
「どこから?」
「それは秘密だ」
「……君は本当に」
Ⅱ世は眉間を押さえた。
だが、資料の内容には興味を引かれた。
ヤーナム。
封印都市。
その名が記録されているのは、かなり古い時代だった。
「ヤーナムは、時計塔よりも遥か以前から存在していた都市だと考えられている」
ライネスが説明する。
「そして、かつてそこにはビルゲンワースという学び舎が存在していた」
「魔術組織だった、という記録は?」
「明確には」
ライネスは首を振る。
「ただ、研究者たちが集まり、地下に存在する古い遺跡を調査していたことは複数の資料から確認できる」
「地下遺跡……」
Ⅱ世の目が細くなる。
「何かを発掘したという記録もある」
「そうとも」
だが、それ以上は分からない。
何を発掘したのか。
それが何だったのか。
その後、何が起きたのか。
資料はそこから不自然なほど途切れている。
「ビルゲンワースは、その後に分裂したらしい」
「医療協会とメンシス学派、か」
「そのように考えられているみたいだ」
ライネスは頷いた。
「ただし、これも断片的な記録しか残っていない。どの時点で分裂したのか、何が原因だったのかも不明」
Ⅱ世は資料をめくる。
「そして医療協会が、ヤーナムで血の医療を始めた」
「ええ」
「特殊な血を用いた治療」
「ヤーナムの外から患者が訪れるほど有名だったようだね」
「万能の治療に近いものだった、と」
「少なくとも当時の人々はそう考えていたのだろうさ」
しかし。
その都市では、やがて風土病が流行する。
発熱。
皮膚の変色。
錯乱。
そして、獣のような身体への変化。
いずれも断片的な記録に過ぎない。
「血の医療がありながら、病が蔓延した」
「そこが興味深いところだろう?」
ライネスは楽しそうに言う。
「医療そのものが病の原因だった可能性もある」
「可能性の話だ」
「だから調べるのだろう?」
「……君は本当に楽しそうだな」
「そうとも」
ライネスは即答した。
「義兄上が厄介事に巻き込まれていく様子を見るのは、とても楽しいからな」
「性格が悪いぞ」
「褒め言葉として受け取っておこう」
Ⅱ世はため息をつき、葉巻を咥え直した。
「それで、過去にも時計塔は調査隊を送っている」
「みたいだね」
ライネスの表情が少しだけ真剣になる。
「今回が初めてではない」
「結果は?」
「調査隊は帰還している」
「なら問題ないじゃないか」
「……帰還した者たちは、その後、全員死亡している」
Ⅱ世の手が止まった。
「全員?」
「ああ」
ライネスは淡々と答える。
「自殺した者。突然発狂した者。原因不明の衰弱死。中には、何の前触れもなく自ら命を絶った者もいる」
「調査記録は?」
「ほとんど残っていない」
「持ち帰った資料は?」
「それが、今回の資料の一部だ」
Ⅱ世は紙面へ視線を落とした。
断片。
断片。
また断片。
まるで誰かが、意図的に歴史を切り刻んだかのようだった。
「……厄介だな」
「だろう?」
「嬉しそうに言うな」
ライネスは笑った。
「だって、お兄様はこういうのがお好きでしょう?」
「私は事件が好きなんじゃない。謎を放置するのが嫌いなんだ」
「それを世間では、事件好きと呼ぶんじゃないか」
Ⅱ世は反論しようとしたが、やめた。
どうせ勝てない。
その時、ライネスが新たな資料を取り出した。
「もう一つある」
「まだあるのか」
「こちらは封印について」
紙には、ヤーナムの入口と思われる場所と、そこに施された術式の一部が描かれていた。
円環状の構造。
その周囲に並ぶ、星辰を思わせる記号。
「……天体術式に似ている」
「だろう?」
Ⅱ世は紙を覗き込んだ。
「ヤーナムは完全に閉ざされているわけでない」
ライネスが説明する。
「一定の周期で、入口の封印に綻びが生じる。その僅かな期間だけ、中へ入ることが可能になる」
「周期的に?」
「らしいね」
「なら、今回の調査はその時期に合わせたわけか」
「時計塔としては、その機会を逃したくないのだろう」
Ⅱ世は黙って術式を見つめた。
「天体課も興味を示しているみたいだ」
「天体課か……」
その言葉を聞いて、Ⅱ世はふと一人の少女を思い出した。
以前、魔眼蒐集列車で共に事件へ巻き込まれた少女。
オルガマリー・アニムスフィア。
短い記憶が脳裏を過ぎる。
「……以前にも天体課の人間と一緒に事件を追ったことがあったな」
「まあ。お兄様にも、そういうお知り合いがいるのですね」
「知り合いというほどでもない」
「ふふ」
トリムマウが静かにⅡ世の空いたカップへ紅茶を注ぐ。
Ⅱ世は礼を言うと、再び資料へ目を戻した。
「しかし、天体課まで興味を示すとなると、時計塔としてはかなり重要視しているわけか」
「ええ」
「断りたいところだが……」
Ⅱ世は言葉を濁した。
今回の依頼を断る理由ならいくらでもある。
過去の調査隊。
帰還後の死亡者。
正体不明の遺跡。
血の医療。
風土病。
そして、天体術式にも似た封印。
どう考えても厄介だ。
だが同時に、ここまで情報が欠落した事件を前にして、自分だけが手を引くという選択肢も取りづらい。
「だから私からも、義兄上を想い腕の良い護衛を一人用意した」
「誰だ?」
「獅子劫界離」
Ⅱ世は僅かに目を上げた。
「君が雇ったのか」
「ええ」
「なるほど」
以前、共に調査を行ったことがある。
現場での判断力。
戦闘能力。
何より、余計なことを言わず仕事をこなすところ。
信用できる人物だった。
「グレイ一人では都市探索の負担が大きいだろう?」
ライネスは紅茶を飲みながら続ける。
「人数は多い方がいい。まして今回は、普通の遺跡調査ではないのだから」
「それは同感だ」
「そうだろう?」
ライネスは満足そうに微笑んだ。
「では、もう一つ」
「……まだあるのか」
「実は、すでに誰かが独自にヤーナムへ向かっている」
Ⅱ世の目が細くなる。
「誰だ?」
「名前までは、今は伏せておこうじゃないか」
「ライネス」
「だが」
ライネスは意味ありげな笑みを浮かべる。
「お兄様なら、こういう場所に自分から飛び込んでいきそうな人物くらい、想像がつくのでは?」
Ⅱ世は黙り込んだ。
しばらく考え。
そして、嫌そうに眉を寄せた。
「……まさか」
「さて?」
「宝石魔術の……」
「ふふ」
ライネスは答えなかった。
それで十分だった。
「君は本当に性格が悪いな」
「知っていますとも、お兄様」
ライネスは楽しそうに笑う。
Ⅱ世は深く息を吐き、灰皿へ葉巻を押しつけた。
「分かった」
「あら」
「時計塔からの正式な依頼だ。断るわけにはいかない」
「では?」
「ヤーナムへ行く」
ライネスの顔に、嬉しそうな笑みが浮かぶ。
「まあ。楽しみですわね、義兄上」
「何がだ」
「お兄様が、どんな謎を持ち帰ってくるのか」
「私は観光に行くんじゃない」
「ええ。分かっているとも」
トリムマウが静かに二人のカップへ紅茶を注ぎ足す。
穏やかな香りが、結界に閉ざされた部屋へ漂う。
机の上には、封印都市ヤーナムに関する断片的な記録。
ビルゲンワース。
医療協会。
メンシス学派。
血の医療。
風土病。
古い遺跡。
そして、天体を思わせる封印。
まだ、それぞれの情報がどのように繋がっているのかは誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは。
時計塔が再びヤーナムへ調査隊を送り込もうとしていること。
そして今回は。
エルメロイⅡ世が、その謎を解く役目を担うことになったという事実だけだった。
内容を変更して再投稿し直します。