『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 封印都市ヤーナム』   作:丹波りん

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第十二話 夢の証言

 病室の窓から、朝の光が差し込んでいた。

 薄いカーテン越しの陽射しが、床と壁を淡く照らしている。

 グレイは、その光を感じてゆっくりと目を開いた。

「……」

 しばらく、ぼんやりと天井を見つめる。

 見慣れた天井。

 古びた壁。

 簡素な病室。

 自分たちが拠点として使っている診療所だった。

 グレイはゆっくりと身体を起こした。

 頭が少し重い。

 身体に違和感がないか確かめるように、腕を動かす。

 指を開き、握る。

 肩を回す。

 痛みはない。

 傷もない。

 身体そのものに異常はなさそうだった。

 それでも。

 不安で仕方がない。

 グレイは周囲へ視線を向けた。

 師匠は、すでに起きていた。

 ベッドの上で上半身だけを起こしている。

 眼鏡を掛け直しながら、周囲を確認していた。

 壁。

 窓。

 机。

 扉。

 そして、自分自身の身体。

 まるで。

 今いる場所と、自分の状態を一つずつ確かめているようだった。

 その様子には、普段の落ち着きとは少し違うものがある。

 そして。

 もう一人。

 獅子劫も起きていた。

 彼もベッドの上で上半身を起こしている。

 何も言わない。

 ただ、自分の手のひらをじっと見つめていた。

 指を動かす。

 握る。

 開く。

 何かを確かめるように。

 三人とも。

 まだ口を開かなかった。

 病室には、朝の静けさだけが残っている。

 グレイは二人の様子を見つめた。

 自分だけではない。

 それだけは分かった。

 やがて。

 グレイは、Ⅱ世へ視線を向ける。

「……師匠」

 Ⅱ世が反応した。

 眼鏡越しの視線が、グレイへ向く。

「グレイ」

 それだけだった。

 グレイは少し躊躇った。

 何を言えばいいのか分からない。

 夢。

 そう言ってしまえば簡単なのかもしれない。

 けれど。

 あれを、ただの夢として話していいのか。

「……あの」

「どうした?」

「拙は……夢を見ました」

 Ⅱ世の表情が、僅かに変わった。

「夢?」

「はい」

 グレイは小さく頷く。

「夢の中の拙は、この診療所の患者でした」

 Ⅱ世と獅子劫が黙ってグレイを見る。

「多分、幼い子供です。大人に手を引かれて連れて来られました」

 グレイは、夢の中の光景を一つずつ思い出すように言葉を続ける。

「その後、女性の方に引き渡されました。

 子供は『ヨセフカのお姉ちゃん』と呼んでいたので、

 あの女性がここの診療所の院長なのだと思います」

 グレイの声は、少しずつ小さくなっていく。

「子供は……その女性を信頼しているみたいでした」

 少しの間。

「その後、ベッドに拘束されて、輸血されたのだと思います」

 獅子劫の指が、僅かに止まった。

「夜に目を覚ました時に、体に違和感を覚えました」

 グレイは自分の腕を見る。

「強い痒みや……体の尋常じゃない発熱です」

「……」

「その様子を、女性は記録していたようでした」

 グレイは俯く。

「体が少しずつ……ナニかに変わってゆく感じがして」

 一度、言葉が途切れた。

「とても、恐ろしかったです」

 病室に、沈黙が落ちる。

「その後で……師匠が病室に現れました」

 Ⅱ世が僅かに目を見開く。

「でも、拙を見て、とても驚いた表情をしていたので……」

 グレイはゆっくりと息を吐いた。

「多分、拙は……ナニか、姿が変わっていたのだと思います」

 再び、沈黙。

 グレイが話し終えても、誰もすぐには口を開かなかった。

 やがて。

「……俺も、俺も夢を見た」

 獅子劫が言った。

 Ⅱ世とグレイが、同時に獅子劫へ目を向ける。

「俺は、夢の中で狩人だった」

 獅子劫は、自分の見たものを思い出すように、ゆっくりと言葉を続ける。

「いや……そいつの記憶の追体験みたいなもんだ」

「狩人の記憶?」

 Ⅱ世が尋ねる。

「あぁ」

 獅子劫は頷いた。

「相棒と共に、ここへ向かっていた」

「相棒?」

「あぁ。二人組で行動してたんだろう」

 獅子劫は少し考えてから続ける。

「獣化の兆候が出た患者の処分が任務だった」

 グレイの表情が僅かに強張る。

「ヨセフカの奴もいたぜ」

 獅子劫が吐き捨てるように言った。

「狩人は、メンシスのイカれ野郎って感じていたな」

「……メンシス」

 Ⅱ世が呟く。

 そして、僅かに眉を寄せる。

「……ヨセフカ院長は、医療協会ではなく、メンシス学派の所属だったのか」

「らしいな」

 獅子劫が答える。

「そんで、狩人が悪態ついてるってんなら、

 医療協会とメンシス学派は良好な関係ではなかったんだろう」

「それから?」

 Ⅱ世が促す。

「相棒と共に裏庭で患者を処分したよ」

 獅子劫の声が低くなる。

「見た目は人間だったのに、容赦なしだ」

 少し間を置く。

「そんで死体を……」

 獅子劫が言葉を止めた。

「どうした?」

 Ⅱ世が尋ねる。

「あぁ、すまねぇ」

 獅子劫が頭を掻く。

「昨日伝えるの忘れてたぜ。パッチの野郎の騒ぎのせいだな」

 小さく悪態をつく。

「裏庭に魔術で隠蔽された大穴があってな」

 獅子劫が続ける。

「そこに死体を捨てたのさ」

「後で確認しにいくか」

 Ⅱ世が言う。

「あぁ」

 獅子劫が頷く。

「んで、続きだ」

 獅子劫は再び夢の記憶を辿る。

「別の夜に逃げ出した獣を相棒と追っていてな。ヘマしちまって、手痛い傷を受けたのさ」

 獅子劫は自分の身体を見る。

「普通じゃ助からない傷だ」

 そして。

「あの液体」

 獅子劫の目が僅かに細くなる。

「シリンダー型の注射器だな」

 手で形を示す。

「輸血したら、その場で立ち上がって動けるくらいに回復しやがった」

「……」

「効果が凄ぇっていうより、むしろ不気味なくらいだ」

 獅子劫は苦笑する。

「狩人の奴も、使うの嫌がってたがな」

 Ⅱ世は黙っている。

「自分でも驚くくらいに力が漲ってな」

 獅子劫の声が少しずつ変わっていく。

「あの万能感は凄かったぜぇ!」

「獅子劫?」

 Ⅱ世が眉を寄せる。

 だが。

 獅子劫は止まらない。

「あのバカでかい斧も、枝でも振り回す様に軽く動かせてなぁ」

 獅子劫が斧を振り下ろすかのように手を動かす。

 目が僅かに見開かれている。

「そんで暗闇で待ち伏せして――」

 口元が歪む。

「あのクソったれな獣を、ペシャンコにしてやったのさ!」

「獅子劫!!」

 Ⅱ世の声が病室に響いた。

「……」

 獅子劫が固まる。

 数秒。

 何かに気づいたように、ゆっくりと瞬きをする。

「……あん?」

 自分の声を確かめるように呟く。

「……あぁ」

 獅子劫は額へ手を当てた。

「クソっ」

 小さく息を吐く。

「すまねぇ」

 先ほどまでの熱が、少しずつ消えていく。

「あの感覚が……まだ自分の中に残っているような感じだった」

 Ⅱ世は獅子劫を見つめる。

「……大丈夫なのか?」

「あぁ。問題ねぇ」

 獅子劫は答えた。

 懐から煙草を取り出す。

 一本咥える。

 火を点ける。

 小さな炎が、一瞬だけ彼の顔を照らした。

 煙をゆっくりと吐き出す。

「そんで」

 獅子劫は煙草を指に挟んだ。

「獣を処分してな」

 僅かに視線を落とす。

「バカみてぇに笑っていたら……」

 そこで。

 声が低くなる。

「相棒に撃たれたよ」

 グレイが息を呑む。

「……撃たれた?」

「あぁ」

 獅子劫は煙を吐く。

「おそらく」

 自分の手のひらを見る。

「獣化の兆候ってのが、俺にも出てたんだろう」

 病室に。

 再び沈黙が落ちた。

 その時だった。

 病室の入口付近に張っていた簡易的な結界が、僅かに揺らいだ。

 Ⅱ世の視線が、扉へ向く。

 獅子劫も煙草を持ったまま顔を上げた。

 グレイも振り返る。

 次の瞬間。

 扉が開いた。

「……失礼しますわ」

 入ってきたのは、ルヴィアだった。

 いつものような余裕はない。

 顔色が悪い。

 歩き方も僅かにふらついている。

 Ⅱ世はすぐに立ち上がった。

「君も……」

 言葉を一度止める。

「君も、何かを見たのか?」

 ルヴィアは答えなかった。

 ただ、近くにあった椅子へゆっくりと腰を下ろす。

 そして。

「……えぇ」

 小さく息を吐いた。

「最悪の夢見でしたわ」

 その声には、いつもの気丈さがなかった。

 グレイが心配そうにルヴィアを見る。

 獅子劫も黙ったまま、煙草を灰皿へ押しつけた。

 Ⅱ世はルヴィアを見つめる。

「我々も、それぞれ異なる夢を見ていた」

 ルヴィアが顔を上げる。

「……皆さんも?」

「ああ」

 Ⅱ世は頷いた。

「ちょうど今、その内容を話し合っていたところだ」

 Ⅱ世は一度、グレイと獅子劫を見る。

 そして再びルヴィアへ視線を戻した。

「君の見たものも教えて欲しい」

 ルヴィアの眉が僅かに動く。

「何かしらの手掛かりになるはずだ」

「君も、ただの夢とは思っていないのだろう」

 Ⅱ世が言った。

 ルヴィアは答えない。

 視線を落とす。

 指先が、僅かに動いた。

 そして。

 短い沈黙の後。

「……そうですわね」

 ルヴィアは小さく息を吐いた。

「私も……ただの夢だったとは思っていませんわ」

 ルヴィアはそう言って、ゆっくりと息を吐いた。

「私が見たのは、メンシス学派のカレッジでした」

 Ⅱ世の眉が僅かに動く。

「時計塔では各々が、根源を求めて魔術の探求をするのに対し、

 メンシスでは、学派全体である一つの事柄を探求しておりました」

「一つの事柄?」

「えぇ」

 ルヴィアが頷く。

「講義内容を少しだけ聞くことが出来ましたの」

 その表情が僅かに険しくなる。

「夢の探求。いえ……正確には、夢を媒介として、

 異なる領域への接続を求めていたみたいですわ」

「異なる領域……」

 グレイが呟く。

「えぇ」

 ルヴィアは続けた。

「我々人間の側から、向こう側を観測することができるのか」

 そこで一度、言葉を切る。

「そしてもう一つ――向こう側の存在も、こちら側を認識できるのか」

 Ⅱ世は腕を組んだ。

「その講義内容だと、向こう側

 …我々の知覚の及ばぬ別の領域に何者かが存在することを、

 まるで疑いようのない事実として扱っているように聞こえるな」

「えぇ」

 ルヴィアは頷く。

「学徒たちは騒めいておりましたが、

 少なくとも講義をなさっていたお方には

 そう断じるだけの何かしらの根拠があったのでしょう」

 Ⅱ世は黙って考え込んだ。

 単なる仮説。

 そう片付けるには、あまりにも具体的すぎる。

 夢で見たもの。

 そこで聞いた言葉。

 そして、実際にヤーナムで起きている出来事。

 それらが偶然の一致だと片付けるには、あまりにも多くのものが重なりすぎていた。

「学徒たちは行き交っておりましたが、私の姿は見えていないようでしたわ」

 ルヴィアが続ける。

「断片的ではありますが、いくつか情報を聞き取ることができましたの」

「どんなものだ?」

「近々、大規模な儀式を行うこと」

 Ⅱ世の視線がルヴィアへ向く。

「それから……頭蓋を開いて、何かを探していること」

「……頭蓋?」

 Ⅱ世の視線が、病室の隅へ向かう。

 そこに置かれている。

 昨日。

 隠し棚の奥から発見された、黒い箱。

 厳重に封じられていた箱の中には、

 人間の頭蓋が収められていた。

 その頭部は大きく割れ。

 内部では、青白い何かが蠢いていた。

 Ⅱ世は、しばらく箱を見つめる。

 その視線を追うように。

 ルヴィアもまた、黒い箱へ目を向けた。

 二人の視線が、同じ場所で重なる。

「……どうやら、互いに思い当たるものは同じらしいな」

「えぇ、そうですわね」

 ルヴィアも静かに答えた。

「学徒は、頭蓋の内に『瞳』とやらを求めていたようですが」

「瞳?」

 グレイが首を傾げる。

 Ⅱ世も考え込んだ。

 頭蓋を開けば。

 そこにあるのは、本来なら脳だ。

 眼球があるわけではない。

 それでも。

「……そのままの意味で、眼球を指しているとは限らないな」

 Ⅱ世が呟く。

「瞳と称しているだけで、別の何かを指している可能性もある」

「えぇ」

 ルヴィアが頷く。

「私もそう考えていますわ」

 Ⅱ世は黒い箱へ視線を戻した。

「あの生物のような『何か』を指すのかは、分かりませんが」

 ルヴィアが言う。

「……そうだ」

 Ⅱ世の中で、一つの可能性が浮かんだ。

 あの青白く蠢くもの。

 頭蓋の内部に収められていた、正体不明の存在。

 もし。

 あれをメンシスが「瞳」と呼んでいたのだとしたら。

 これまで見つけた情報が、別の形で繋がる可能性がある。

 だが。

 断言するには、まだ材料が足りない。

「可能性として、記憶しておいた方がよさそうだな」

 Ⅱ世は静かに言った。

「少なくとも、あの箱の中身とメンシスの研究が無関係とは言い切れなくなった」

「そうですわね」

 ルヴィアが答える。

「それに」

 少し考えてから、続けた。

「会話の内容を聞くに、どうやら医療協会とメンシスは、

 対立とまでは断言できませんが

 …あまり、お互いに良い印象を持っていなかったようでしたわね」

 Ⅱ世は獅子劫を見る。

 先ほど聞いた話が頭をよぎった。

 狩人はヨセフカを、メンシスの人間として認識していた。

 そして。

 そのことを快く思っていなかった。

「獅子劫の話とも繋がったな」

「ああ」

 獅子劫が答える。

「個人同士の好き嫌いって話じゃなさそうだ」

「派閥として、良好な関係ではなかった可能性がある」

 Ⅱ世は言った。

「医療協会とメンシス学派。それぞれが血や神秘について研究していたとしても、

 その目的や手段は同じではなかったのかもしれない」

 ルヴィアが頷く。

「後は、ヤハグルという地名ですわね」

 Ⅱ世が顔を上げる。

「ヤハグル……」

「今までの資料では、出てきていない名称です」

 ルヴィアは少し考える。

「学徒が、こんなことも言っていましたわ」

 そして。

「『ウィレーム先生は正しい。情けない進化は、人の堕落だ』と」

 その名前に。

 Ⅱ世の表情が僅かに険しくなる。

「ウィレームか……」

「先生と呼ばれている以上、メンシスの教授である可能性は高いと見ていますが」

 ルヴィアが言う。

「可能性としては、派閥が分かたれる前のビルゲンワースの関係者かもしれません」

「ウィレーム……」

 Ⅱ世はその名前を反芻する。

「教授職なのか。あるいは、もっと上の立場の人物なのか」

 今の情報だけでは判断できない。

 だが。

 名前だけでも記録しておく価値はある。

「一応、お名前は控えておきましょう」

「グレイ、頼めるか」

「はい、師匠」

 グレイはすぐに記録用の紙へ目を落とした。

「ルヴィアさんのお話された内容も、記録しておきます」

「頼む」

 紙を走るペンの音が、静かな病室に響く。

 Ⅱ世は記録された情報へ目を向けた。

 血の医療。

 獣化。

 人間とも獣とも判断できない変質。

 狩人。

 ヨセフカ。

 メンシス。

 頭蓋。

 瞳。

 ヤハグル。

 そして、ウィレーム。

「情報は増えるばかりだな」

 Ⅱ世が呟く。

「いくつか繋がることもあるが……」

 そこで言葉を止める。

「同時に、分からないことも増えている」

「まだ一日しか経っておりませんのに」

 ルヴィアが苦笑する。

「考えることが多いですわね」

 Ⅱ世も苦笑を返した。

「ああ」

 その時。

「話の腰を折って悪いが」

 獅子劫が口を挟んだ。

「一旦、休憩しないか?」

 Ⅱ世とルヴィアが獅子劫を見る。

「まだ朝食すら食ってねぇ」

「……あ」

 グレイが小さく声を漏らした。

 その瞬間。

 ぐぅ。

 病室に、小さな音が響いた。

「……」

 全員の視線がグレイへ集まる。

 グレイの顔が、見る見るうちに赤くなる。

「……す、すみません」

 俯くグレイ。

 獅子劫が吹き出した。

「ははっ。そりゃ腹も減るわな」

 ルヴィアも思わず口元を緩める。

「そういえば、私もまだ何も口にしていませんわ」

 Ⅱ世は小さく息を吐いた。

「……確かに。考察は食事をしてからでも遅くはない」

 張り詰めていた病室の空気が。

 ほんの少しだけ、緩んだ。

 

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