『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 封印都市ヤーナム』 作:丹波りん
「そういえば、パッチさんはどうしたのでしょう?」
グレイが、ふと思い出したように口を開いた。
Ⅱ世と獅子劫、ルヴィアが顔を見合わせる。
「……あいつのことだから、どうせまだ寝てるんじゃねぇか」
「雇い主を差し置いて、結構な御身分ですわね」
ルヴィアが呆れたように息を吐く。
「拙が起こしてきましょうか?」
「いえ」
ルヴィアが立ち上がった。
「私自ら、叩き起こして差し上げますわ」
「……それはそれで、少し怖いな」
獅子劫が苦笑する。
「何か問題でも?」
「いや、何でもねぇよ」
ルヴィアは満足そうに頷いた。
「では、行きましょう」
四人は病室を出た。
診療所の廊下を抜け、外へ出る。
朝のヤーナムは、昨夜とは違った静けさに包まれていた。
薄い霧が街路に残っている。
石畳には夜露が残り、朝の光を僅かに反射していた。
少し歩いた先。
キャンピングカーと、その脇に張られた簡素なテントが見えてくる。
だが。
「……あれ?」
グレイが足を止めた。
テントの前。
そこには一枚のシートが地面に敷かれていた。
その上には、人数分の朝食が並べられている。
パン。
温かい飲み物。
簡単な料理。
それらが、きちんと人数分用意されていた。
そして、その中央に。
パッチがいた。
すでに起きている。
それどころか。
ひどく機嫌が良さそうだった。
「おやおや、皆さんお揃いで」
パッチがこちらへ振り返る。
「朝食の準備はできていますよ」
まるで鼻歌でも歌い出しそうなほど、上機嫌な声だった。
「……」
全員がパッチを見つめた。
グレイは目を瞬かせる。
ルヴィアは僅かに眉を上げた。
獅子劫は黙ったまま、パッチを見ている。
Ⅱ世も、何も言わずにその様子を観察していた。
パッチはしばらく笑顔を浮かべていたが。
「……なんです?」
少し不満そうに眉を寄せる。
「皆さん、何だか妙な顔をしていますが」
「いや」
獅子劫が答えた。
「なんで、そんなに機嫌がいいんだ?」
パッチは、きょとんとした顔をした。
「おや」
そして、少し考えるように首を傾げる。
「そうですなぁ」
口元に、また笑みが浮かぶ。
「夢見がよくてですね」
その瞬間。
Ⅱ世の表情が変わった。
「……夢?」
パッチがⅡ世を見る。
「ええ」
Ⅱ世は一歩、パッチへ近づいた。
「君も、何かを見たのか?」
「見ましたとも」
パッチは、あっさりと答えた。
だが。
その顔には、まだ機嫌の良さが残っている。
「ですが」
パッチは朝食へ視線を向けた。
「今は先に食べてしまいましょう」
そして、手を広げる。
「せっかくの食事が冷めてしまいますからねぇ」
「……」
Ⅱ世はパッチを見つめる。
問い詰めたいことはある。
だが、朝食を前にしていることも事実だった。
「……分かった」
Ⅱ世が頷く。
「食事を済ませてから聞こう」
「そうこなくては」
パッチは満足そうに笑った。
全員がシートの周囲へ腰を下ろす。
朝食が始まった。
パンを口に運ぶ。
温かい飲み物を飲む。
簡単な料理を一口食べる。
「……」
しばらくして。
グレイが小さく呟いた。
「美味しいです」
「でしょう?」
パッチが嬉しそうに答える。
「こう見えて、料理くらいはできますとも」
ルヴィアも料理を口に運ぶ。
「……確かに」
少し感心した様な顔をする。
「意外な特技があるのですね」
「人生、何が役に立つか分かりませんからねぇ」
パッチは得意げに笑った。
獅子劫も料理を食べながら、ちらりとパッチを見る。
「……料理ができるのは分かった」
「おや」
「それと、夢の話は別だからな」
「もちろんですとも」
パッチは機嫌よく答えた。
朝食は思った以上に穏やかに進んだ。
張り詰めていた空気も、少しずつ緩んでいく。
やがて。
「師匠」
グレイがⅡ世へ声を掛けた。
「お飲み物を」
グレイが温かい飲み物の入ったカップを差し出す。
「ああ、ありがとう」
Ⅱ世が手を伸ばす。
その瞬間だった。
視界の端で。
グレイの手が――変わった。
青白い。
細長い腕。
人間のものとは思えないほど長い指。
六本の長い指が、こちらへ伸ばされている。
「――っ!」
Ⅱ世の身体が強張った。
反射的に手を引く。
カップが僅かに揺れた。
だが。
そこにあったのは。
いつものグレイの手だった。
細い腕。
五本の指。
何も変わっていない。
Ⅱ世は目を瞬かせた。
先ほどの光景は、どこにもない。
「師匠……?」
グレイが困惑したように首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「……」
Ⅱ世は、自分の呼吸を整えた。
青白い肌。
異常に長い腕。
六本の指。
夢の中で見た、あの異形。
それが一瞬、グレイの手と重なって見えた。
「……いや」
Ⅱ世は眼鏡を押し上げる。
「何でもない」
「そうですか……?」
「ああ」
グレイは納得しきれない様子だったが、それ以上は尋ねなかった。
朝食は続いた。
やがて。
全員の皿が空になる。
温かい飲み物もなくなった。
朝食を片付けると、パッチが満足そうに息を吐く。
「さて」
パッチが言った。
「お腹も膨れたところで、そろそろ夢の話といきますか」
Ⅱ世がパッチを見る。
「ああ」
ルヴィアも頷いた。
「私の話も、途中でしたものね」
Ⅱ世は改めて全員を見る。
「まず、ルヴィア。君が見た夢の続きを聞かせてくれ」
「ええ」
ルヴィアは、ちらりとパッチへ視線を向けた。
「あなたにも、最初からお話ししたほうがよろしいかしら?」
「あぁ、あっしのことはお気になさらず」
パッチは懐へ手を入れる。
何かを指先で弄びながら、気楽な調子で答えた。
「どうぞ、皆様でお話しになってください」
「そうですの」
ルヴィアは少しだけ考える。
「では」
改めて、Ⅱ世へ視線を戻した。
「私が次に見たものは、研究室の奥にある
…おそらくですが、夢に関する魔術的な実験場でしたわ」
「ふむ」
Ⅱ世が頷く。
「内部はどのような感じだった?」
「中央にはガラスケージがありました」
ルヴィアは記憶を辿るように続ける。
「そして、部屋の四方には大型の姿見が配置されていましたわ」
「鏡が?」
「えぇ」
ルヴィアは頷いた。
「四枚の鏡が、すべて中央のケージを映すように配置されていましたの」
「…四方の合わせ鏡か」
Ⅱ世が呟く。
「鏡を触媒とした魔術は多岐に渡る」
その目が僅かに細くなる。
「霊的通路。境界の裂け目。二重性と虚構。
そして、物質世界そのものの確実性を揺るがす解釈――」
そこで、ルヴィアが呆れたような顔をした。
「貴方、他派閥の講義内容まで把握していますの?」
「……」
Ⅱ世が黙る。
ほんの僅かに、気まずそうに視線を逸らした。
「そんなんだから、略奪公だなんて言われるんですのよ」
「……余計なお世話だ」
Ⅱ世が小さく返す。
パッチが懐の中で何かを弄びながら、くすくすと笑った。
「いやぁ、実に旦那らしいですなぁ」
「君は黙っていろ」
「はいはい」
パッチは楽しそうに笑った。
ルヴィアは小さく息を吐く。
「それで――」
話を本筋へ戻す。
「ケージの中に入れられていた物は、あの頭蓋の中で蠢いていたモノと酷似、
…とまでは言えませんが」
ルヴィアは、少し言葉を選ぶように続けた。
「見た目だけでしたら、大きな青白い蛞蝓のように見えましたわね」
「なるほど」
Ⅱ世が頷く。
「頭蓋の中にあったモノより、明らかに大型だったと?」
「えぇ」
ルヴィアは頷いた。
「それに、厳重に魔術で封じられていましたので。貴重な品だったのではないかと」
「頭蓋のモノよりサイズが違うとなると……」
Ⅱ世が少し考える。
「仮に生き物だと仮定すれば、親個体とも言えなくはないが」
そこで言葉を切った。
「断言できることではないな」
「えぇ」
ルヴィアも頷く。
「それから……」
だが。
そこで、ルヴィアの言葉が止まった。
「……?」
Ⅱ世がルヴィアを見る。
「どうした?」
ルヴィアは答えない。
必死に言葉を探している。
何を見たのか。
どう説明すればいいのか。
頭の中には、あの光景が鮮明に残っていた。
四方の鏡。
何重にも続く鏡像。
そして、その奥にいたもの。
青白い巨大な身体。
無数の触手。
割れたような頭部。
そこに浮かんでいた、いくつもの瞳。
――こちらを見ていた。
「…………」
いや。
見間違いのはずだ。
そうに決まっている。
夢なのだ。
鏡の反射と、夢による錯覚が重なっただけ。
あのような異形の存在が、こちらを覗いていたなど。
そんなことがあるはずがない。
ルヴィアは何度も自分に言い聞かせる。
けれど。
思い出そうとするほど。
あの濁った青白い光が、脳裏に浮かんでくる。
視線。
確かに、視線を感じた。
自分を。
まっすぐに。
見ていた。
「ルヴィアさん?」
グレイが心配そうに声を掛けた。
ルヴィアは、はっとする。
気がつけば。
顔から血の気が引いていた。
指先が震えている。
肩も僅かに震えていた。
「……大丈夫ですわ」
そう言おうとした。
だが。
声が、僅かに掠れた。
パッチが、いつものような笑みを浮かべた。
「おやおや、お嬢様。ずいぶん顔色が悪い」
軽い調子で言いながら、ルヴィアを見つめる。
「いったい、何を見てしまったのやら」
そこで。
ほんの僅かに、声の調子が変わった。
「あるいは……見られてしまったのやら」
ルヴィアの身体が跳ねた。
Ⅱ世の視線が、鋭くパッチへ向く。
「パッチ……」
「あぁ、すいません」
パッチは肩をすくめる。
「心配でしたもんで、つい」
「心配してるってツラじゃねぇが」
獅子劫が呆れたように言う。
「おや、心外ですね」
パッチは笑った。
だが。
その笑みの奥に何を考えているのかは、分からない。
「……まず、状況を整理しよう」
Ⅱ世が口を開いた。
「何らかの防衛術式が反応した可能性もある」
ルヴィアを見る。
「呪い。邪眼。あるいは、精神そのものへ干渉する術式」
指を一本ずつ折るようにしながら、可能性を並べていく。
「夢そのものを媒介とした術式であるなら、
術者が直接こちらへ干渉する必要すらないかもしれない。
対象の認識に干渉し、夢の中で接触した人物を介して――」
Ⅱ世の声が続く。
けれど。
ルヴィアには、その言葉が頭の上を滑っていくように感じられた。
何を言っているのか。
理解できないわけではない。
ただ。
今は、それを考える余裕がなかった。
ルヴィアは静かに目を閉じた。
ゆっくりと息を吸う。
そして。
ゆっくりと吐き出す。
大丈夫。
大丈夫ですわ。
自分に言い聞かせる。
震えていた指先を握り込む。
そして、目を開いた。
「……続きを、お話ししますわ」
「無理をするな」
Ⅱ世がすぐに言った。
「今、解呪の方法を――」
「いえ」
ルヴィアは首を横に振った。
「問題ありませんわ」
「……」
Ⅱ世はルヴィアの顔を見る。
しばらく沈黙した後。
「……分かった」
短く答えた。
グレイが心配そうにルヴィアを見つめている。
その視線に気付いて、ルヴィアは小さく微笑んだ。
「大丈夫ですわ、グレイ」
それから。
再び話を続ける。
「男に……肩を掴まれました」
「男?」
獅子劫が眉を寄せる。
「えぇ」
ルヴィアは思い出すように、自分の肩へ手を置いた。
「気配もありませんでした。魔力の反応もなかった」
それなのに。
「いつの間にか、背後を取られていましたわ」
Ⅱ世の表情が険しくなる。
「他の学徒たちは、私の存在を認識していなかったのに」
ルヴィアは一度、息を呑む。
「その男だけが……私の存在を認識していました」
「……」
周囲の空気が重くなる。
Ⅱ世は何も言わなかった。
ただ。
頭の中で、必死に思考を巡らせているのが分かる。
夢の中に存在する人物からの干渉。
通常の幻覚ではない。
高位の術師による精神干渉。
あるいは、夢そのものを利用した魔術。
だが。
それだけでは説明がつかない。
夢の中の人物が、夢を見ている側の存在を認識する。
しかも。
こちらの認識に干渉し、直接接触する。
もし、それが可能だというのなら。
「……」
Ⅱ世の思考が止まる。
いや。
そんな術式が成立するなら。
それを可能にする術師は、少なくとも自分の知る魔術師の常識から大きく逸脱している。
封印指定。
そんな言葉すら、頭をよぎった。
いや。
それでも足りないかもしれない。
「どんな人物だった?」
Ⅱ世が尋ねた。
ルヴィアは少しだけ目を伏せる。
「男は……頭部に、細長い檻のような物を被っていましたわ」
「檻?」
「えぇ」
ルヴィアは眉をひそめる。
「あれにどのような意図があったのか。魔術道具だったのか。それとも別の意味があったのかは分かりません」
そして。
「ただ……」
声が僅かに低くなる。
「あの目は」
ルヴィアの脳裏に、男の姿が蘇る。
「狂人の類の瞳でしたわ」
グレイが小さく息を呑む。
「その男は、学徒から……」
ルヴィアは一度言葉を切った。
「『ミコラーシュ教授』と呼ばれておりましたわ」
「……ミコラーシュ」
Ⅱ世が、その名前を繰り返した。
先ほど聞いたウィレームという名前。
メンシス。
夢の研究。
そして。
その学派に所属する教授。
「その男は、また会おうとも言っていましたわ」
誰も答えなかった。
重い沈黙が、その場に落ちる。
ルヴィアは視線を落とした。
「メンシスの大掛かりな儀式とやらも……成功したのかどうか」
「成功しましたよ」
唐突に。
パッチが答えた。
全員の視線が、一斉にパッチへ向く。
「……なんだと?」
Ⅱ世が低い声で尋ねる。
パッチは何でもないことのように笑った。
「ですから、成功したんですって」
「……」
Ⅱ世の目が細くなる。
「なぜお前が、そのことを知っている」
お知らせ
短いので後日、本文を出来次第追加する予定です。
編集に難儀しておりますので、更新に少しお時間がかかります。