『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 封印都市ヤーナム』 作:丹波りん
朝の食事を終えた一行は、これからの行動について話し合っていた。
「今日の方針だが」
Ⅱ世が地図を広げる。
「このまま診療所を拠点として使い続けるのは、あまり得策ではない」
「異議なしですわ」
ルヴィアが即答した。
「昨夜までのことを考えれば、私もこの場所には少々懲りましたもの」
「俺も同感だな」
獅子劫が肩をすくめる。
「それに、都市の中心部を調べるなら、もっと近い場所に拠点を移した方がいい」
「ならば、都市の中心へ移動する」
Ⅱ世は地図上の一点を指した。
「オドン教会」
グレイが地図を覗き込む。
「ここですか?」
「ああ。周囲の街路にも接続しやすい。今後の調査拠点としても都合がいいだろう」
「では、荷物をまとめましょう」
ルヴィアが立ち上がった。
「キャンピングカーへ積み込めば、移動そのものは問題ありませんわね」
「拙も手伝います」
グレイも続く。
「俺も車を出す」
獅子劫が言った。
だが。
「その前に、一ついいか?」
獅子劫がⅡ世を見る。
「どうした?」
「昨日の裏庭にあった大穴だ」
Ⅱ世が顔を上げる。
「例の、死体を捨てたという場所か」
「ああ」
獅子劫が頷く。
「昨日見つけた時から気になってたんだ」
獅子劫は少し考えてから続ける。
「夢の中じゃ、あそこに死体を捨ててた。実際に何があるのか、一度確認しておきたい」
「……確かに」
Ⅱ世が頷く。
「この診療所について分かっていることは、まだ少ない。
地下に何か残されている可能性もあるな」
「だろ?」
獅子劫が立ち上がる。
「俺が見てくる」
「ああ。頼む」
Ⅱ世は地図を畳んだ。
「内部を確認したら、そのままオドン教会へ来てくれ」
「了解」
「私たちは先に向かっている」
「分かった。後で合流する」
そう言って、Ⅱ世たちは移動の準備へ戻っていった。
獅子劫は一人、裏庭へ向かった。
*
裏庭は、昨日よりも朝の光がよく届いていた。
それでも荒れている。
伸び放題の雑草。
崩れた石壁。
そして、ところどころに残された古い墓石。
どれも腰元ほどの高さしかない。
長い年月を風雨に晒されたのだろう。
表面はひどく風化し、刻まれていた文字もほとんど読めない。
中には大きく傾いているものもあり、根元から崩れて倒れている墓石さえあった。
その奥に。
昨日の探索で見つけた大穴がある。
地面が大きく崩れ、底の見えない暗闇を覗かせていた。
「……ここだな」
獅子劫が穴の縁へ歩み寄る。
しばらく、底を覗き込む。
夢の中で見た光景が、頭をよぎる。
ここで。
狩人は獣化の兆候が出た患者たちを処分し、死体をこの穴へ捨てていた。
だが。
実際にこの場所へ来ても、その痕跡は見当たらない。
「……まあ、そうだわな」
獅子劫は小さく呟いた。
その脇に。
古びた梯子が掛けられていた。
「……こいつを使えば降りられるか」
梯子の状態を軽く確認する。
多少の錆はある。
だが、今すぐ壊れそうな様子はない。
獅子劫は銃を確認すると、梯子へ足を掛けた。
ゆっくりと下へ降りていく。
やがて。
穴の底へ辿り着いた。
「……」
周囲を見回す。
湿った土。
崩れた石。
古い石組み。
夢の中で死体を捨てた場所と同じなのか。
そう考えながら、慎重に周囲を確認していく。
その時だった。
「……風?」
頬を、僅かに冷たい空気が撫でた。
獅子劫は顔を上げる。
風は、奥へ向かって流れている。
「……こっちか」
風の流れてくる方向へ目を向ける。
天井も高く、壁もある程度の幅を保っている。
自然にできた洞窟にも見える。
だが。
ところどころに、古い石組みが残されていた。
「……自然にできた場所じゃねぇな」
獅子劫は呟く。
銃を抜き、慎重にその中へ足を踏み入れる。
数歩進む。
風が、少しだけ強くなった。
「……どこかに繋がってやがるな」
暗闇の奥へ目を凝らす。
先までは見えない。
だが。
確かに、空気が流れている。
獅子劫は僅かに目を細めた。
「……ちょっと、確認してみるか」
そう呟いて。
風の吹いてくる先へ向かって、歩き始めた。
*
「これは大型車で来るには不向きな場所ですなぁ」
パッチがハンドルを握りながら、前方の狭い道を見つめる。
道幅は狭く、左右には古びた建物が迫っている。
石畳もところどころ崩れ、倒れた木材や瓦礫が道端に散らばっていた。
「少しずつ進めば」
ルヴィアが助手席から周囲を見回す。
「問題ありませんわ」
「そう言っていただけると助かりますがねぇ」
パッチは苦笑しながら、ゆっくりと車を進める。
倒れた看板を避け。
崩れた石材を迂回する。
放置された荷車の脇を、車体を擦らないよう慎重に通り抜ける。
幸い、道そのものが完全に塞がっているわけではない。
多少の手間は掛かるものの、車を進めることはできた。
後部座席では、グレイとⅡ世が窓の外へ視線を向けている。
「……思ったより、道が入り組んでいますね」
グレイが呟く。
「ああ」
Ⅱ世も周囲を確認する。
「都市の中心部へ近づくほど、建物も大きくなっている」
キャンピングカーは、ゆっくりと街路を進んでいく。
やがて。
古びた住宅の間から、重厚な石造りの建築物が姿を現し始めた。
尖塔。
幾重にも連なる石造りの橋。
複雑に入り組んだ街路。
そして。
その中央に、ひときわ巨大な建物が見えてきた。
「……あれが」
グレイが窓の外を見上げる。
「オドン教会ですわね」
ルヴィアが答える。
パッチも前方を見据えたまま、慎重に車を進める。
「ようやく、それらしい場所へ来ましたなぁ」
キャンピングカーは教会の近くまで進み、道の端へ寄せて停車した。
エンジンが切れる。
静寂が戻った。
パッチが運転席から降りる。
続いて、ルヴィア、グレイ、Ⅱ世も車を降りた。
全員が、目の前にそびえ立つ教会を見上げる。
間近で見るそれは、遠くから見た以上に巨大だった。
*
オドン教会の内部は、外観以上に荘厳だった。
扉を開ける。
重い音が、静かな礼拝堂へ響いた。
その向こうには、広大な空間が広がっている。
高い天井。
太い石柱。
壁面には古い装飾が施され、長い年月を経た今もなお、
その細部には宗教施設としての威厳が残されていた。
正面には祭壇。
その周囲には、古びた燭台が並んでいる。
火は消えている。
それでも。
かつてここで、幾人もの人間が祈りを捧げていたことだけは、
空間そのものから伝わってくるようだった。
床には、長い年月を経た石材が敷き詰められている。
ところどころにひびが入り、埃も積もっている。
しかし。
完全に崩れているわけではない。
むしろ外の街並みと比べれば、異様なほど原形を保っていた。
「……広い」
グレイが小さく呟く。
その声が礼拝堂の奥へ響く。
返事はない。
ただ、僅かな反響だけが戻ってきた。
ルヴィアは周囲を見回した。
高い窓から差し込む朝の光が、薄く舞う埃を照らしている。
光の筋が、静かに床へ落ちていた。
壁際には、いくつかの古い長椅子が残されている。
背もたれが折れたもの。
脚が欠けたもの。
長い年月を経て、表面が黒ずんだもの。
それでも、まだ使えそうなものもあった。
「ここなら、少なくとも診療所よりはまともですわね」
ルヴィアが言った。
「同感です」
グレイも頷く。
Ⅱ世は返事をせず、礼拝堂の奥へ進んでいった。
壁。
床。
祭壇。
天井。
視線を巡らせながら、一つずつ確認していく。
強い魔力反応はない。
少なくとも、今すぐ危険を感じさせるものは見当たらなかった。
ただ。
教会全体には、古い神秘の痕跡が残されている。
それは、時計塔で扱われる魔術とは少し異なっていた。
宗教。
信仰。
血。
そして、この都市そのもの。
それらが長い時間をかけて染みついたような、不思議な重みがある。
「ここを拠点にする」
Ⅱ世が言った。
全員が頷いた。
それから、最低限の準備を始めた。
キャンピングカーから荷物を運び込み、資料を一か所へまとめる。
食料を整理し、使えそうな長椅子を利用して簡単な寝床を整える。
Ⅱ世は入口と窓の周囲に、簡単な警戒術式を施した。
それだけだった。
大掛かりな設備を用意する必要はない。
ここは、これからしばらくの間、都市の調査を行うための中心拠点となる。
必要な物資や資料を集め、各区画へ向かうための起点として使う。
診療所よりも都市の中心に近く、周囲の探索にも都合がいい。
当面は、ここを拠点として活動することになるだろう。
準備を終えると、全員が礼拝堂の一角へ集まった。
Ⅱ世が地図を広げる。
「ここからなら、都市の主要区画へ移動しやすい」
地図上のいくつかの地点を指す。
「問題は、この都市が広すぎることだ」
ルヴィアが頷く。
「全員で一か所ずつ調べていては、時間が掛かりすぎますわね」
「そこで、二組に分かれる」
Ⅱ世が言った。
「私とグレイ」
「では、私とパッチですわね」
ルヴィアが答える。
「そうなる」
Ⅱ世は地図へ視線を落とした。
「互いに別の区画を調べ、重要な施設や異常がないか確認する。
夕方までには一度、ここへ戻ろう」
「了解です」
グレイが頷く。
パッチも軽く手を上げた。
「では、御嬢様。行きましょうか」
「ええ」
ルヴィアが立ち上がる。
こうして。
一行は二組に分かれ、それぞれの調査へ向かうことになった。
*
ルヴィアは立ち上がった。
教会の大きな扉へ向かう。
その先には。
まだ誰も知らないヤーナムの街が広がっている。
ルヴィアとパッチは、並んで教会を出た。
朝の街は静かだった。
しかし。
昨日まで歩いた場所とは、明らかに違っている。
都市の中心部。
建物は大きく、道も広い。
教会を離れると、すぐに複雑な石造りの街路が現れた。
階段。
橋。
細い路地。
その先には、さらに別の区画が広がっている。
「さて」
パッチが周囲を見回す。
「どちらへ向かいましょうかねぇ」
ルヴィアは地図を開いた。
「まずは、この先にある区画を確認しますわ」
「承知しました」
二人は歩き始めた。
朝のヤーナム。
霧の向こうへ。
新たな調査が始まろうとしていた。