『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 封印都市ヤーナム』   作:丹波りん

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第十六話 残響のオルゴール

 オドン教会。

 

 拠点として整える際に内部を確認した二人には、以前から気になっているものがあった。

 

 教会の至るところに置かれた、大量の香炉だ。

 

 壁際や柱の傍ら、礼拝堂の奥にまで、大小様々な香炉が置かれている。

 

 どれも古びてはいるものの、装飾は細かく、決して粗末な造りではない。

 

「師匠。この香炉は……何か意味があるのでしょうか?」

 

 グレイが近くの香炉を覗き込む。

 

「ああ。宗教的な意味なら、十分に考えられる」

 

 Ⅱ世も香炉へ目を向けた。

 

「香を焚くための器だ。宗教施設では、それほど珍しいものじゃない。

 キリスト教でも、カトリックや東方の教会では礼拝の際に香を焚く習慣がある」

 

「香を焚くことに、何か意味があるんですか?」

 

「ある。香の煙によって空間を清める意味を持たせたり、立ち昇る煙を祈りの象徴としたりする。

 宗教というのは、目に見えないものを象徴するために、こうした道具を使うことが多い」

 

 Ⅱ世は香炉の蓋を持ち上げた。

 

 内部には、黒くなった灰が残っている。

 

「ただし……」

 

 Ⅱ世は香炉から周囲へ視線を移した。

 

「ここにある数は、少々多すぎるな」

 

 グレイも改めて教会内を見渡す。

 

「礼拝のためだけなら、これほど必要でしょうか?」

 

「普通なら、そこまで必要ないだろうな」

 

 Ⅱ世は香炉に残された灰を眺めた。

 

「香りには、別の臭いを覆い隠す効果もある。

 使われる香によっては、空間そのものの臭いを変えることもできる」

 

「では、宗教的な意味とは別に、何か目的があったのでしょうか?」

 

「可能性はある」

 

 Ⅱ世は答えながら、周囲に並ぶ香炉を見渡した。

 

「この街の状況を考えれば、獣を遠ざけるために使われていたとしても不思議ではない。

 だが、宗教儀礼の一部だった可能性も捨てきれん」

 

「どちらなのかは、まだ分からない……」

 

「そういうことだ」

 

 Ⅱ世は香炉を元の場所へ戻した。

 

「使われていた香の種類でも分かれば、もう少し推測できるんだがな」

 

「調べる方法はあるのでしょうか?」

 

「今のところはない。まずは、この教会に何が残されているのかを調べるほうが先だ」

 

「はい」

 

 二人は香炉の並ぶ礼拝堂を後にした。

 

 

 

 教会の端へ向かう。

 

 やがて、壁際に設けられた一枚の扉が目に入った。

 

 Ⅱ世が扉へ手を掛ける。

 

 古びた蝶番が、低い音を立てた。

 

 扉の向こうには、小さな空間があった。

 

 そして、その中央に――昇降機が設置されている。

 

「……昇降機ですね」

 

「ああ」

 

 グレイが近づく。

 

 木製の足場に、金属製の機構。

 

 鎖や滑車が組み合わされ、古びてはいるものの、完全に朽ちているわけではない。

 

 Ⅱ世も足場へ近づき、機構を確認する。

 

「長い間使われていなかったようだが、まだ動く可能性はあるな」

 

「上には何があるのでしょうか?」

 

「それを確かめるには、動かしてみるしかないだろう」

 

 Ⅱ世は顔を上げた。

 

 昇降機は教会の高い天井へ向かって伸びている。

 

 見上げれば、かなりの高さまで続いていることが分かる。

 

 その先には、教会の上層へ続いているらしい構造も確認できた。

 

「少なくとも、我々がまだ見ていない場所が上にあるようだ」

 

「ここから行けるんですね」

 

「ああ。だが、今は後回しでいい」

 

 Ⅱ世は昇降機から離れた。

 

「動かす前に、周囲を調べておこう」

 

「分かりました」

 

 二人は昇降機のある小部屋を後にした。

 

 再び教会の広間へ戻る。

 

 そこから改めて周囲を見渡し、まだ確認していない扉へ向かった。

 

 Ⅱ世が扉へ手を掛ける。

 

 古びた扉を開くと、その先には別の部屋があった。

 

 中は倉庫だった。

 

 木箱や古びた道具が積み上げられ、棚には空になった容器が並んでいる。

 

 壁際には用途の分からない器具も残されていた。

 

 どれも長い間使われていないらしく、薄く埃を被っている。

 

「何か残っているでしょうか」

 

 グレイが棚を調べる。

 

「重要なものは、既に持ち出されているようだな」

 

 Ⅱ世も倉庫の中を見回した。

 

 大半の木箱は空だった。

 

 いくつか蓋の開いた箱があるものの、

 

 中に残されているのは古い布や壊れた道具ばかりだ。

 

 二人がさらに奥へ進んだところで、グレイが足を止めた。

 

「師匠」

 

「どうした?」

 

「ここ……床が」

 

 グレイが指差した先。

 

 木箱の陰に、床板とは違う形状の板があった。

 

 Ⅱ世が近づき、屈み込む。

 

 板を持ち上げる。

 

 その下には、暗い空間が口を開けていた。

 

 そこから古びた梯子が下へ伸びている。

 

「地下か」

 

 Ⅱ世が覗き込む。

 

 梯子の先は、そう深くない。

 

 下には石造りの床が見えている。

 

 さらに、その先には地下へ続く空間が広がっているようだった。

 

「降りられそうです」

 

 グレイが梯子を確認する。

 

「ああ。足場も問題なさそうだ」

 

 Ⅱ世は灯りを向け、地下の様子を確認する。

 

 冷たい空気が、下から静かに流れてきた。

 

「地下にも何かあるらしいな」

 

「調べますか?」

 

「もちろんだ」

 

 Ⅱ世が答える。

 

「この教会について知るなら、見られる場所はすべて見ておいたほうがいい」

 

「はい」

 

 グレイが梯子へ手を掛けた。

 

 その先に広がる暗闇へ、静かに視線を向ける。

 

 地上とは違う、湿った空気が二人の間を抜けていった。

 

 グレイは梯子を降りていく。

 

 一段、また一段。

 

 やがて足元に石造りの床が現れ、グレイはそこへ降り立った。

 

「着きました」

 

「ああ。今行く」

 

 Ⅱ世も後に続く。

 

 梯子を降りた先は、思っていたよりも広かった。

 

 地下ということを考えれば、十分な広さがある。

 

 壁は湿った石造りで、床にはところどころ薄く水が溜まっている。

 

 壁際には排水のためと思われる溝が走り、その中を濁った水がゆっくりと流れていた。

 

 湿気を含んだ空気には、土と水、それに古びた石の臭いが混じっている。

 

「……ここは」

 

 グレイが周囲を見回す。

 

「地下水路のようですね」

 

「そう見えるな」

 

 Ⅱ世は灯りを掲げた。

 

 頭上には教会の床があるはずだが、ここからではその気配すら感じられない。

 

 それでも、地下の空間そのものは思ったより広い。

 

 二人が並んで歩いても、窮屈さを感じるほどではなかった。

 

「教会の下に、こんな場所があるとはな」

 

「この先にも続いているようです」

 

 グレイが前方を指した。

 

 薄暗い通路が、緩やかに奥へ伸びている。

 

「行ってみよう」

 

「はい」

 

二人は水の溜まった床を避けながら、ゆっくりと先へ進んだ。

 

しばらくすると、湿った空気の中に、わずかに違う風が混じり始めた。

 

地下の淀んだ空気ではない。

 

どこか開けた場所から流れ込んでくる、冷たい風だった。

 

「師匠」

 

「ああ。前が開けているな」

 

二人は足を止めず、そのまま通路の先へ進んでいく。

 

やがて視界が大きく開けた。

 

その先に広がっていたのは――

 

静かな墓地だった。

 

 

 

地下水路を抜けた先に、広々とした屋外の空間が広がっている。

 

地面には石畳が敷かれ、その上に無数の墓石が並んでいる。

 

長い年月を経ているのだろう。墓石の表面は風雨に削られ、

 

刻まれた文字の多くは判別できなくなっていた。

 

それでも、ここが死者を弔うための場所であることは、一目で分かった。

 

「……墓地」

 

 グレイが小さく呟く。

 

「ああ」

 

 Ⅱ世も足を止め、周囲を見回した。

 

「まさか教会の地下が、これほど広い墓地へ繋がっているとは思っていなかった。」

 

 墓石は一つだけではない。

 

 いくつもの列を作り、奥へ奥へと続いている。

 

「かなり広いですね」

 

「そうだな」

 

 Ⅱ世は近くの墓石へ目を向けた。

 

 名前を読み取ろうとしたが、風化が激しく、ほとんど判別できない。

 

「ここに眠る人間も、少なくなかったのだろう」

 

「……」

 

 グレイは黙って墓石を見つめた。

 

 人の気配はない。

 

 風の音もない。

 

 聞こえるのは、二人の足音だけだった。

 

 墓地そのものが、周囲の音を吸い込んでいるような静けさだった。

 

「師匠」

 

「ん?」

 

「少し、見て回ってもいいでしょうか?」

 

「ああ。ただし、何かあればすぐに知らせろ」

 

「はい」

 

 二人は墓石の間を進んでいく。

 

 Ⅱ世は墓石に刻まれた文字や、その周囲に残された痕跡を確認していた。

 

 一方のグレイは、少し離れた場所にある墓石へ目を向けながら歩いている。

 

 その時だった。

 

「……?」

 

 グレイの足が止まった。

 

 墓石の脇。

 

 土と埃に紛れるようにして、小さな箱が置かれている。

 

「師匠」

 

「どうした?」

 

 グレイがしゃがみ込む。

 

「何か見つけました」

 

 Ⅱ世が近づく。

 

 グレイが拾い上げたのは、手のひらに収まるほどの小さな木製の箱だった。

 

 表面には細かな傷がいくつも刻まれている。

 

 金具も古び、ところどころ錆が浮いていた。

 

「これは……」

 

 グレイが蓋を開く。

 

 中には小さな音楽機構が収められていた。

 

 細かな歯車。

 

 金属製の櫛。

 

 そして、旋律を奏でるための機構。

 

「オルゴールか」

 

 Ⅱ世が呟いた。

 

「はい」

 

 グレイは側面の小さな金具に気づいた。

 

「動くでしょうか?」

 

「試してみるか」

 

 グレイが金具を回す。

 

 ゆっくりと、慎重に。

 

 しかし――

 

 音は鳴らなかった。

 

 グレイがもう一度回してみる。

 

 それでも、何も起こらない。

 

「……壊れているようです」

 

「ああ。内部の機構が傷んでいる」

 

 Ⅱ世が覗き込む。

 

 歯車の一部は錆びつき、細かな部品も欠けていた。

 

 これでは、かつて奏でていた音を聞くことはできないだろう。

 

「長い間、放置されていたんでしょうか」

 

「その可能性が高いな」

 

 グレイはオルゴールを手の中で慎重に裏返した。

 

 そして、蓋の内側に何かがあることに気づいた。

 

「師匠。ここに……紙が」

 

「紙?」

 

 グレイが蓋の内側を覗き込む。

 

 そこには、小さな紙片が残されていた。

 

 古びて黄ばんでいる。

 

 文字も薄くなっているが、二つの名前だけは読み取ることができた。

 

「……ヴィオラ」

 

 グレイが読み上げる。

 

 その隣には、もう一つの名前が記されていた。

 

「それから……ガスコイン」

 

 Ⅱ世は、その名前を一度だけ口の中で繰り返した。

 

「ガスコイン……」

 

 聞き覚えのない名前だった。

 

「この二人は、知り合いなのでしょうか?」

 

「名前が同じ場所に残されている以上、その可能性はあるな」

 

 Ⅱ世は紙片を覗き込む。

 

「だが、それ以上は分からない。夫婦なのか、家族なのか、

 それとも別の関係なのか……現状では判断できん」

 

「そうですか……」

 

 グレイは壊れたオルゴールを見つめた。

 

 音を失った小さな箱。

 

 そこに残された、二人の名前。

 

 何故これが墓地に置かれているのか。

 

 誰が持っていたものなのか。

 

 それを示すものは、どこにもなかった。

 

「師匠」

 

「何だ?」

 

「このオルゴールは……持っていったほうがいいでしょうか?」

 

 Ⅱ世は少し考えた。

 

「ああ。何かの手掛かりになる可能性はある」

 

「はい」

 

 グレイはオルゴールを慎重にしまった。

 

 二人は再び墓地の奥へ目を向ける。

 

 墓石の列は、さらに先へ続いている。

 

そして墓地の奥には、ヤーナムの市街地へと続く道があった。

 

その先には、見慣れた街並みがわずかに見えている。

 

「……まだ先がありますね」

 

「ああ」

 

 Ⅱ世は目を細めた。

 

 二人は、墓地の先へ続く道へ視線を向けた。

 

 その先には、ヤーナムの市街地へ続く道がある。

 

 教会の地下に隠された静かな墓地。

 

 そして、そこに残されていた一つの壊れたオルゴール。

 

 その二つがどのように繋がっているのか――

 

 今の二人には、まだ分からなかった。

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