『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 封印都市ヤーナム』   作:丹波りん

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第二話 霧の向こう側

 ヤーナムへ向かう道は、長かった。

 舗装された街道を抜け、次第に人の姿が減っていく。

 時計塔を出発してから、すでにかなりの時間が経っていた。

 エルメロイⅡ世は、獅子劫界離が運転する大型のバギーの助手席に座り、

 膝の上に広げた資料へ目を落としていた。

 後部座席にはグレイ。

 調査に必要な荷物は、車両の後部へまとめて積み込んである。

「……ヤーナムについて、もう一度整理しておこう」

 Ⅱ世が口を開いた。

「はい」

 グレイが姿勢を正す。

「今回の目的は、封印都市ヤーナムの調査だ。時計塔から正式な依頼を受けている」

「はい」

「都市に残されている資料や魔術的遺物の確認。そして、ビルゲンワースと呼ばれる古い学び舎について調べる」

「時計塔よりも遥か以前から存在していた可能性がある、というお話でしたね」

「ああ。だが、現時点では断片的な情報しかない」

 Ⅱ世は資料を一枚めくる。

「ビルゲンワースが何らかの研究機関だったこと。その後、そこから複数の派閥が分かれたらしいこと。その一つが医療協会。そして、もう一つがメンシス学派だ」

「医療協会は、血の医療を?」

「ああ」

「特殊な血を使った治療……」

「それがヤーナムの名を広めた。遠方から治療を求めて人が訪れるほどだったらしい」

 そこでⅡ世は一度言葉を切った。

「ただし、その都市には風土病も存在していた」

「……血の医療と関係があるのでしょうか?」

「分からない」

 グレイは少し俯いた。

「分からないことばかりですね」

「だから調査する」

 Ⅱ世は即答した。

 運転席から、獅子劫が小さく笑う。

「相変わらずだな、二世」

「何がだ」

「分からないから調べる。調べて分からなければ、さらに調べる」

「それの何が悪い」

 獅子劫は前方を見たまま答えた。

「悪いとは言ってねえよ」

 少し間を置いて、獅子劫は続ける。

「ただ、今回は普通の遺跡調査とは違うんだろ?」

「ああ」

 Ⅱ世の表情が僅かに険しくなる。

「過去に時計塔が調査隊を派遣している」

「聞いてる」

「帰還した者は全員、その後に死亡した」

 獅子劫の眉が動く。

「全員?」

「自殺、発狂、原因不明の衰弱死。詳しい経緯までは記録されていない」

「そいつは穏やかじゃねえな」

「だからこそ、十分な警戒が必要だ」

 グレイが静かに尋ねる。

「師匠。今回、拙たちは何を一番警戒すればいいのでしょう?」

 Ⅱ世は少し考えた。

「現時点では、明確な答えはない」

「……」

「資料には獣という言葉もある。ただし、それが比喩なのか、文字通りの意味なのかすら不明だ」

「獣……」

「ああ」

 Ⅱ世は資料を閉じた。

「他にも、封印が緩む周期。天体術式に似た構造。古い遺跡から何かが発掘されたという記録がある」

「それだけ聞くと、随分と面倒な場所だな」

 獅子劫が呟く。

「それを今から調べに行くんだ」

「まあ、そういう仕事だからな」

 獅子劫は肩をすくめた。

「以前の事件もそうだったろ」

「……そうだったな」

 Ⅱ世は僅かに苦笑した。

 グレイも小さく頷く。

 三人とも、以前の事件で共に行動した経験がある。

 Ⅱ世にとって獅子劫は初対面の相手ではない。

 荒事になれば頼りになり、魔術師とは異なる視点から状況を見てくれる男。

 そしてグレイもまた、獅子劫が危険な場面で幾度も自分たちを支えてくれたことを知っている。

「師匠」

「何だ?」

「獅子劫さんが同行してくださるのは、やはりライネスさんの判断ですか?」

「ああ。ヤーナムの探索を考えれば、私と君だけでは負担が大きい。人数は多い方がいい」

「俺としても、二世とグレイ嬢なら話が早くて助かる」

 獅子劫が笑う。

「以前にも一緒に仕事をしてるからな」

「そうですね」

 グレイも頷いた。

「それに」

 獅子劫が続ける。

「グレイ嬢がいるなら、俺も少し気が楽だ」

「……拙ですか?」

「二世の無茶を止められる奴がいるって意味だよ」

「獅子劫」

「冗談だ」

 Ⅱ世が眉を寄せる。

「私は無茶などしていない」

「前の事件の時も同じこと言ってたな」

「……」

「師匠は、たまに無茶をされます」

「グレイまで……」

 Ⅱ世は眉間を押さえた。

 獅子劫が愉快そうに笑う。

「まあ、そういう意味でも今回はいつも通りってことだ」

「……君たちは私を何だと思っているんだ」

「面倒の中心にいる人間」

「獅子劫」

「冗談だって」

 車内に小さな笑いが起きた。

 やがて。

 景色が変わった。

 森。

 荒れた山道。

 そして、霧。

 前方を覆うように白い霧が流れている。

「……あれか」

 獅子劫が呟いた。

 霧の向こう。

 古い石造りの門が見えた。

 その奥には、巨大な都市が広がっている。

 高低差のある街並み。

 尖塔。

 古びた建物。

 そして、どこか異様な圧迫感。

「ヤーナム……」

 グレイが呟く。

 Ⅱ世は答えなかった。

 ただ、都市を見つめていた。

 想像していたよりも、ずっと大きい。

 そして――静かすぎる。

 人の姿がない。

 鳥の声すら聞こえない。

「妙だな」

 獅子劫が速度を落とした。

「封印都市ってのは、どこもこんなもんなのか?」

「知らん」

 Ⅱ世は資料を閉じた。

「だが、少なくとも普通ではない」

 大型バギーが入口へ近づいていく。

 その時だった。

「……何だ、あれ」

 獅子劫が前方を指差した。

 都市の入口。

 古い石造りの門の脇に、明らかに周囲の景観と釣り合わない物体がある。

 大型のキャンピングカー。

 現代的な車体。

 大きなタイヤ。

 屋根には何らかの設備まで取り付けられている。

 さらに、その横には簡素なテントまで張られていた。

「……キャンピングカー?」

 グレイが目を丸くする。

「そのようだな」

 Ⅱ世も目を細めた。

 あまりにも場違いだった。

 何百年も時間が止まっているような都市の入口に、現代の大型車両が堂々と停められている。

「先客がいる」

 Ⅱ世が言った。

 地面には新しいタイヤの跡。

 車両の周囲には複数の足跡。

「少なくとも、誰かがここまで来ている」

「しかも、かなり準備してきたみたいだな」

 獅子劫が車両を眺める。

「野営道具まである」

「ということは、短時間の探索を想定していない」

 Ⅱ世は周囲を見回した。

「警戒して進むぞ」

「ああ」

 三人はキャンピングカーには近づかず、そのままヤーナムへ入った。

 門を抜けた瞬間。

 空気が変わったような気がした。

 乾いた風。

 古い石畳。

 そして、どこかに残る血のような臭い。

「……」

 グレイが周囲を見回す。

「誰も、いません」

「ああ」

 Ⅱ世も同じことを確認していた。

 だが、人がいないからといって、生活の痕跡まで消えているわけではない。

 建物は残っている。

 店の看板も。

 民家も。

 道具も。

 まるで、誰かがつい先ほどまで暮らしていたかのようだった。

「まずは拠点を確保する」

 Ⅱ世が言う。

「入口近くに診療所がある。ヨセフカ診療所だ」

「そこを調べるのか?」

「同時に、拠点として使えるか確認する」

 三人は慎重に街を進んだ。

 高低差の激しい街並み。

 複雑に入り組んだ路地。

 石造りの建物。

 道端には、太い鎖で厳重に縛られた棺桶まで置かれている。

 Ⅱ世はそれを一瞥した。

 何故、棺桶をわざわざ鎖で縛る必要がある?

 そんな疑問が脳裏をよぎったが、今は調査を優先する。

 やがて、古びた診療所が姿を現した。

「ここか」

 獅子劫が扉を確認する。

 鍵は掛かっていない。

「入るぞ」

 先頭に立って中へ入る。

 受付。

 待合室。

 廊下。

 いくつもの病室。

 しかし、誰もいない。

「……診療所まで無人か」

 獅子劫が呟く。

 Ⅱ世は周囲を観察した。

「生活の痕跡はある」

 机。

 椅子。

 医療器具。

 棚に残された薬品。

 だが、人間だけがいない。

「グレイ」

 Ⅱ世が呼ぶ。

「はい」

「先に病室を確認してくれ。使えそうな部屋があれば教えてくれ」

「分かりました」

 グレイは一礼すると、廊下の奥へ進んでいった。

 Ⅱ世と獅子劫はその場に残り、周囲を見回す。

「……妙だな」

 Ⅱ世が呟く。

「何がだ?」

「荒らされているわけではない。それなのに、人間だけがいない」

「まるで、ある日突然いなくなったみたいだな」

「ああ」

 その時だった。

 Ⅱ世が顔を上げる。

 獅子劫も同時に動いた。

「……誰かいる」

「だな」

 廊下の先。

 ごく僅かだが、人の気配がある。

 足音。

 衣服が擦れる音。

 獅子劫が銃へ手を伸ばす。

「グレイじゃねえな」

「ああ」

 Ⅱ世は相手の気配を探るように目を細めた。

 敵意は感じられない。

 その直後。

「まあ」

 廊下の奥から声がした。

「こんなところでお会いするとは思いませんでしたわ」

 現れたのは、一人の少女だった。

「……ルヴィア」

 Ⅱ世が呟く。

 ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。

 そして、その後ろには黒い外套をまとった男が立っている。

 スキンヘッド。

 盗賊を思わせる顔。

 そして、何とも胡散臭い笑み。

「へぇ……」

 男が目を細める。

「これはこれは」

 その顔を見た瞬間、獅子劫の表情が露骨に険しくなった。

「……お前か」

「おや?」

 男――パッチが笑う。

「旦那じゃありませんか」

「なんでお前がここにいる」

「そりゃあ、仕事ですぜ」

「お前の仕事は、人の足元を崩すことか?」

「いやいや、昔の話でしょう」

 パッチは悪びれる様子もない。

「そもそも、あの時はちゃんと詫びの品も渡したじゃありませんか」

「それで済むと思ってるのか?」

「旦那、結局死んでないでしょう?」

 パッチはニヤリと笑った。

「なら、最後に死んでなければノーカウントってもんですよ」

「……お前、本当にそういうところ変わらねえな」

 獅子劫は呆れたように息を吐いた。

 そして、その隣に立つ少女へ視線を移す。

「それで、お嬢ちゃんは?」

 獅子劫はその顔に見覚えがあった。

 エーデルフェルト。

 時計塔でも名の知られた魔術師の家系。その令嬢であるルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。

 直接顔を合わせるのは初めてだが、名前くらいは知っている。

「ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトですわ」

 少女――ルヴィアは堂々と名乗った。

「あなたは?」

「獅子劫界離。まあ、二世の護衛みたいなもんだ」

「なるほど。あなたが」

 ルヴィアは獅子劫を一瞥する。

「お噂は聞いたことがありますわ」

「そいつは光栄だ」

 獅子劫は軽く笑う。

 そして、ルヴィアへ向き直った。

「ルヴィア嬢。念のため言っておくが――」

 声の調子が少しだけ真剣になる。

「こいつは雇い主だろうが何だろうが、隙があれば崖下に蹴り飛ばすような男だ」

「……」

「雇ったからって、絶対に油断するなよ」

 ルヴィアはパッチを見る。

 そして、盛大に呆れた顔をした。

「……あなた、本当に最低ですわね」

「おやおや。あっしはそんなに信用されてませんかい?」

「信用できる要素がどこにありますの?」

「腕は確かですぜ」

「そこだけは認めていますわ」

「なら問題ありませんな」

「大問題ですわ」

 パッチは楽しそうに笑った。

 その時。

「師匠?」

 廊下の奥からグレイが顔を出した。

「どうしました?」

 そして、見慣れない二人の姿に気づく。

「……あ」

「グレイ」

 Ⅱ世が振り返る。

「彼女たちも先客だったようだ」

 グレイは一瞬驚いたものの、すぐにアッドを下ろした。

「ルヴィアさん……」

「お久しぶりですわね、グレイ」

 ルヴィアが微笑む。

「それから……」

 グレイの視線がパッチへ向く。

「こちらの方は?」

「パッチと申します」

 パッチは恭しく一礼した。

「以後、お見知りおきを」

「……はい」

 グレイは少し困ったように頷いた。

 Ⅱ世はその様子を見ながら、改めて口を開く。

「ライネスが言っていた人物は君だったのか」

「おや、あっしの名前までご存じで?」

「時計塔の記録にある」

 Ⅱ世は淡々と答えた。

「遺跡から発掘した魔術品を闇市場へ流している魔術使いだ。探索能力については、それなりに評価されている」

「いやぁ、そこまで調べていただけるとは」

 パッチは悪びれる様子もなく、胡散臭い笑みを浮かべた。

 ルヴィアが一歩前へ出る。

「彼は私が雇いましたの」

「護衛として?」

「ええ。それだけではありませんわ」

 ルヴィアはパッチを見る。

「彼の遺跡探索に関する知識と経験は確かなものですもの」

「なるほど」

 Ⅱ世はパッチを観察する。

 胡散臭い。

 個人的には信用しづらい。

 だが、探索能力についてはルヴィアも保証している。

 何より、既にここまでヤーナムへ入り込んでいる。

「君たちはいつからここに?」

「少し前ですわ」

 ルヴィアが答える。

「入口に停めてある車が見えたでしょう?」

「ああ」

「あれは私たちのものです」

「……やはり君か」

「長期探索を想定して準備してきましたの」

 ルヴィアは胸を張った。

「キッチン、ベッド、トイレ。それに小さいながらシャワーもあります」

 グレイの視線が僅かに動いた。

「シャワー……」

 Ⅱ世がそれに気づく。

「グレイ。後で使わせてもらうといい」

「はい」

「もちろん構いませんわ」

 ルヴィアは快く頷いた。

「宿泊については――」

「いやぁ、あっしも車で寝かせてもらえるなら――」

「あなたは外のテントですわ」

「えぇ?」

「当然でしょう」

「あっしも車がいいんですがねぇ」

「却下です」

 パッチが肩を落とした。

「まったく、雇い主ってのは厳しい」

 獅子劫が小さく笑う。

「自業自得だろ」

「旦那までそんなこと言いますかい」

「お前に同情する理由がねえよ」

 Ⅱ世は小さく息を吐いた。

 ひとまず、敵ではない。

 そして、この都市について情報を持っている可能性がある。

 ならば。

「ルヴィア」

「何でしょう?」

「君たちがここで何を見つけたのか、聞かせてもらおう」

 ルヴィアは微笑んだ。

「ええ。もちろんですわ」

    *

 その返答を最後に、一行はそれぞれの荷物を置き、診療所内の簡単な整理を始めた。

 外は相変わらず静まり返っている。

 人の気配はない。

 それなのに、どこかに誰かがいるような気がする。

 窓の向こうには、霧に霞むヤーナムの街並みが広がっていた。

 誰もいない街。

 しかし、そこには確かに人が暮らしていた痕跡が残されている。

 その痕跡だけが、この街で何が起きたのかを静かに語ろうとしていた。

 ――封印都市ヤーナム。

 彼らの調査は、今始まったばかりだった。

 

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