『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 封印都市ヤーナム』 作:丹波りん
扉を抜けた先には、石造りの通路が続いている。
周囲を高い壁に囲まれているため、先ほどまでのように街を見渡すことはできない。
ランタンの明かりを頼りに、三人はゆっくりと歩いていく。
しばらく進んだところで、通路の先が開けた。
「……あら」
ルヴィアが足を止める。
そこには、広い庭が広がっていた。
頭上を遮るものはほとんどない。
見上げれば、すでに夜の帳が下りている。
雲の切れ間から、白い月が姿を覗かせていた。
月明かりが庭を淡く照らしている。
「もう夜ですか」
「いつの間に、こんな時間になったんでしょうなぁ」
「上層へ来てから、随分と時間が経ったからな」
Ⅱ世が言った。
「探索に集中していたせいで、時間の感覚がなくなっていたようだ」
「教会へ戻る頃には、かなり遅くなりそうですわね」
ルヴィアが呟く。
「グレイも心配しているかもしれませんわ」
「ああ」
Ⅱ世が少し考える。
「一度、戻るか」
「そうですわね」
ルヴィアも頷く。
しかし、Ⅱ世はすぐに上層へ続く道を振り返った。
「……とはいえ、またここまで登ってくるのか」
「それは……」
ルヴィアも言葉を詰まらせる。
ここへ辿り着くまでにも、昇降機や長い階段を越え、いくつもの通路を抜けてきた。
「…面倒だな」
パッチが苦笑する。
「なら、あっしが戻って伝えてきやすぜ」
「君が?」
「ええ」
パッチが軽く手を挙げる。
「グレイ嬢には、まだ調べていると伝えておきます。
ついでに、戻るのが遅くなることも伝えておきましょう」
「……それがいいな」
Ⅱ世が頷く。
「頼めるか」
「お任せください」
パッチは踵を返した。
「では、あっしはお先に教会へ戻りますぜ」
「よろしくお願いしますわ」
「お二人の夜食もちゃんと残しておきやすよ」
パッチはそう言うと、来た道を戻っていった。
その姿が見えなくなるまで待ってから、Ⅱ世は庭の奥へ視線を向けた。
「さて……」
「私たちはどうしますの?」
「ここまで来たんだ。もう少しだけ調べておこう」
「分かりましたわ」
二人は庭を横切り始めた。
庭一面に、見慣れない花が咲いている。
細い茎の先に、いくつもの花弁を広げた白い花。
その姿は、夜空に浮かぶ星を思わせた。
月明かりを受けると花弁の縁が淡く浮かび上がり、
風に揺れるたび、無数の小さな星が揺れているようにも見える。
花は一輪だけではない。
庭のあちこちに群生し、石畳の隙間にまで根を伸ばしていた。
「…これほどの数が」
ルヴィアが足を止める。
「人の手で植えられたものなのでしょうか」
Ⅱ世も花を見下ろす。
「これだけまとまって生えているなら、少なくとも偶然ここに集まったとは考えにくい」
ルヴィアはしゃがみ込み、一輪をじっと観察した。
「形も普通の植物とは少し違いますわね」
「ああ。私の知識にも、これに似た植物はない」
Ⅱ世は花弁や茎を注意深く観察する。
「植物科の連中なら、何か手掛かりを掴めるかもしれんが
…少なくとも、私が見たことのあるものではないな」
「それほど珍しい植物ですの?」
「珍しいというより……未知だな」
Ⅱ世は花を見つめた。
「少なくとも、私の知る植物の中には、これに該当するものはない」
「でしたら、少し調べてみる価値はありそうですわ」
ルヴィアは花を傷めないよう、慎重に数本を摘み取った。
茎の長さを揃え、持っていた布に包んでいく。
「これくらいあれば十分ですわね」
「研究材料にするつもりか」
「もちろんですわ」
ルヴィアは包みを閉じた。
「この場所でこれほど育てられているのなら、何か理由があるはずですもの」
Ⅱ世も異論はなかった。
二人は再び庭の奥へ進んだ。
やがて、壁面に大きな窓が現れた。
だが、その窓は無残に割れている。
床には、色鮮やかなガラス片が散らばっていた。
ルヴィアが足を止める。
月明かりが割れた部分から差し込み、床に淡い色の影を落としている。
「かなり古いもののようですわね」
「そうだな」
Ⅱ世は割れた窓を見上げた。
「元は何か描かれていたのかもしれん」
「ここまで大きなものなら、この場所も何らかの宗教施設だった可能性がありますわね」
「ああ」
二人は割れたステンドグラスの脇を抜け、さらに奥へ進んだ。
その先には、大きな空間が広がっていた。
ただし、二人が立っているのは、その二階部分だった。
手すりの向こうには、広い空間が下へ続いている。
Ⅱ世が身を乗り出し、下を覗き込む。
「……かなり深いな」
ルヴィアも下を見る。
そこで初めて、二人はその空間の全体を把握した。
下に広がっていたのは、礼拝堂だった。
広い床面と、かつて祭壇があったと思われる奥行き。
その規模から見ても、かなり大きなものだった。
「……礼拝堂、ですわね」
「ああ」
ルヴィアは手すり越しに、さらに下を確認する。
「下へ降りられる階段は……ありませんわね」
周囲を見回しても、下へ続く道は見当たらない。
「こちらから降りるのは無理そうですわ」
「別の場所から下へ回る必要があるようだな」
二人は二階部分を奥へ向かって進んでいく。
礼拝堂の内部は暗い。
割れたステンドグラスから差し込む月明かりだけが、
かろうじて内部の輪郭を浮かび上がらせていた。
しばらく進んだところで、奥に小さな空間が見えてきた。
「……あれは?」
ルヴィアが目を細める。
そこには、古びた昇降機が設置されていた。
Ⅱ世が近づく。
「ここから、さらに別の場所へ行けるようだ」
二人は昇降機を調べる。
長い間使われていないように見える。
だが、完全に壊れているわけではなさそうだった。
「……まだ使えるかもしれんな」
「次は何処に繋がっているのでしょうか」
「分からん」
Ⅱ世は昇降機を見つめた。
「だが、ここまで来た以上、確かめるしかない」
二人は昇降機の前に立った。
月明かりの差し込む礼拝堂を背に、Ⅱ世がゆっくりと装置へ手を伸ばす。
そして――。
昇降機が、低い音を立てて動き始めた。
※
昇降機は、ゆっくりと下へ降りていった。
金属が擦れるような低い音が、暗い昇降路の中に響いている。
Ⅱ世とルヴィアは、周囲を警戒しながら沈黙を保っていた。
やがて。
昇降機の動きが止まる。
その先は薄暗い空間が広がっている。
ランタンの明かりでは、その先までは見通せない。
「……何かあるようですわね」
ルヴィアが目を細める。
「ああ、だが、ここからではよく見えん」
二人は慎重に周囲を確認してから、昇降機を降りた。
足元に、冷たい感触が伝わってくる。
「……水?」
ルヴィアが足元へ目を向ける。
薄く張った水が、石の床を覆っていた。
水面はほとんど動かない。
ランタンの明かりがそこへ落ち、淡い光が揺らめいている。
二人は水を踏みながら、ゆっくりと先へ進んだ。
そこは、広大な地下空間だった。
周囲には崩れた石造物が残されている。
かつて建物だったのか、それとも別の何かだったのか。
長い年月によって大部分が崩れ、壁や柱だけが辛うじて形を留めていた。
その奥には、いくつもの石造物らしきものが並んでいる。
どれも細かな意匠は失われ、風化した表面だけが残されていた。
「……随分と古い場所ですわね」
「そうだな」
Ⅱ世が周囲を見回す。
「ここは、後から造られた施設というより
…もっと古い遺跡を利用しているように見える」
二人はさらに奥へ進んだ。
頭上には大きな裂け目があり、そこから僅かな光が差し込んでいた。
地下深くにあるはずなのに、完全な闇には包まれていなかった。
その光が、崩れた石造物と水面をぼんやりと照らしていた。
そして、その先に――
祭壇があった。
周囲の崩れた遺跡とは違い、そこだけは辛うじて形を保っている。
古びた石造りの祭壇。
※
二人は祭壇へ向かって歩き始めた。
そして、その奥に何かが横たわっていることに気づいた。
「……あれは?」
ルヴィアが足を止める。
最初に目に入ったのは、灰白色の塊だった。
石の彫像か、崩れ落ちた建造物の一部にも見える。
しかし、淡い光がその輪郭を照らしたことで、Ⅱ世は違和感に気づいた。
不自然に盛り上がった胴体。
その周囲から伸びる、いくつもの細長い肢。
石にしては、あまりにも生々しい。
さらに目を凝らす。
胴体の奥にあるものが、ゆっくりと輪郭を現した。
そこにあったのは、異形の生物だった。
丸みを帯びた胴体。
そこから伸びる複数の肢は、力なく折れ曲がっている。
そして何より異様だったのは、その頭部だった。
白い石を思わせる、異様に大きく膨らんだ頭部。
その表面には、いくつもの目のような器官が不規則に並んでいる。
それらは閉じられているのか、それともすでに機能を失っているのか、動く様子はない。
さらに目を凝らすと、その下には口を思わせる器官まで確認できた。
複数の目のような器官と口らしきものが、白い頭部に集中している。
何のために存在するのかさえ、見ただけでは判断できない。
生物としての構造そのものが、二人の知るものとは大きく異なっていた。
「……っ」
ルヴィアの息が止まった。
Ⅱ世も、すぐには言葉を発することができなかった。
それは動かなかった。
微動だにせず、祭壇に横たわっている。
死んでいるのだろう。
だが、その姿を見ているだけで、本能的な嫌悪感が込み上げてくる。
「……何、ですの……これ……」
ルヴィアの声が僅かに震えた。
「分からん……」
Ⅱ世も低く答える。
魔術師として、異形の存在を目にした経験は少なくない。
それでも、目の前の生物には既知の分類を当てはめることができなかった。
ただ一つ確かなのは――
これは、単なる石の彫像などではない。
かつて確かに生きていた、何かの死骸だということだった。