『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 封印都市ヤーナム』 作:丹波りん
三人は、本棚に残された書物を一冊ずつ確認していた。
聖歌隊に関する記録以外にも、まだ目を通していない資料が残っている。
Ⅱ世はその中から、比較的新しい記録を一冊取り出した。
「……これは、教会内部の記録のようだな」
「何が書かれていますの?」
「少し待て」
Ⅱ世はページをめくっていく。
そこには、医療教会内部で交わされた報告が記されていた。
メンシス学派。
その研究内容と、最近の動向。
そして、それに対する医療教会上層部の判断。
「……どうやら、メンシス学派を警戒していたようですわね」
ルヴィアが記録を覗き込む。
「ああ」
「研究の内容だけではない。彼らが何をしようとしているのか、
その進展を把握しようとしていたらしい」
さらに読み進める。
医療教会上層部は、メンシス学派の動向を確認するため、
直属の狩人を偵察へ向かわせていた。
それ以上の詳しい内容は、記録には残されていない。
「狩人まで動かしていたのですね」
Ⅱ世は記録を見つめる。
「相手の研究を警戒し、何をしているのかを確認しようとしていた。
少なくとも、この記録から読み取れるのはそこまでだ」
「同じ道から分かれた者たちが、それぞれ何を求めているのかを探っていた……」
ルヴィアが呟く。
「そういうことだろうな」
Ⅱ世は記録を閉じた。
三人は、しばらく黙っていた。
やがてⅡ世が、別の書類へ手を伸ばす。
「……こちらは、旧市街についてだ」
その言葉に、ルヴィアが顔を上げる。
「旧市街?」
「ああ」
Ⅱ世は紙面へ目を落とした。
そこには、かつて旧市街で発生した騒動について記されていた。
獣となった住民が大量に発生したこと。
事態の拡大に伴い、医療教会による情報統制が次第に機能しなくなっていったこと。
さらに、獣への対処も困難になり教会側だけでは事態を抑えられなくなっていったこと。
「……それで、火を放ったのですか」
グレイが尋ねる。
「ああ」
Ⅱ世は頷いた。
「最終的に、旧市街そのものを焼却する判断が下されたらしい」
記録には、その判断に至るまでの経緯が淡々と書かれていた。
だが、その後に起きたことについては、別の意味で興味深い記述が残されている。
住民からの反発。
医療教会への不信。
これまで信頼されていた血の医療や教会そのものに対する疑念。
火を放つという決定が、住民たちの間に大きな不安と怒りを生んだこと。
「……医療教会への不信が、ここから表に出てきたわけですわね」
ルヴィアが言う。
「そうらしい」
Ⅱ世は記録を読み進める。
「それまでなら、病を治してくれる存在として受け入れられていた。
だが、街そのものを焼いたとなれば話は変わる」
「獣を止めるためだったとしても、住んでいた場所を焼かれた側からすれば……」
グレイが言葉を濁す。
「ああ」
Ⅱ世も短く答えた。
「納得できる話ではないだろうな」
記録には、その混乱が長く続いたことも記されていた。
そして――。
Ⅱ世が指を止める。
「何かありましたの?」
「…聖杯についてだ」
ルヴィアが身を乗り出した。
そこには、旧市街下層にある聖杯教会についての記述があった。
地下遺跡から持ち出された聖杯の一つが保管されていたという。
「聖杯教会……」
ルヴィアが呟く。
「ああ」
Ⅱ世は続ける。
「地下遺跡から持ち出された聖杯の一つが、そこに置かれていたらしい」
その記述を見た瞬間、Ⅱ世の指が止まった。
「……聖杯、か」
ほんの一瞬。
脳裏に、冬木での記憶が浮かぶ。
魔術師たちが求めた器。
第四次聖杯戦争。
そして、自分自身がその戦いを生き延びたこと。
だが――。
「……いや」
Ⅱ世はすぐに意識を切り替えた。
ここに記されている聖杯は、願望器として扱われているわけではない。
そもそも、この土地の地下遺跡から発見された古い器だ。
Ⅱ世はページをめくった。
「地下遺跡から持ち出された、古い器。それを聖杯と呼んでいるだけのようだ」
「それでも、十分に興味深いですわ」
ルヴィアの目が輝く。
「地下遺跡から持ち出された聖杯なら、立派な聖遺物になり得ますもの」
「君は本当に、こういうものには目がないな」
「当然ですわ」
ルヴィアは微笑んだ。
「実物を確認できるのなら、ぜひ見てみたいものです」
Ⅱ世は呆れたように息を吐いた。
「問題は、その聖杯が今も残っているかどうかだ」
記録をさらに読み進める。
旧市街が焼却された後も、聖杯は回収されなかった。
「……回収されていない?」
グレイが尋ねる。
「ああ」
Ⅱ世は頷く。
「焼却後の混乱が大きかったからだろう」
住民からの反発。
医療教会への不信。
街中に発生した獣への対処。
それらが重なり、聖杯の回収にまで手が回らなかった。
さらに、焼却された旧市街そのものが危険な状態になっていた。
崩れた建物。
焼け落ちた通路。
入り込むことが難しくなった下層区域。
「つまり……」
ルヴィアが記録を覗き込む。
「聖杯は、聖杯教会のどこかに残された可能性があるということですわね」
「可能性はある」
Ⅱ世は慎重に答えた。
「だが、これも古い記録だ。現在まで残っていると決まったわけではない」
「それでも、調べる価値はありますわ」
「ああ」
Ⅱ世は頷いた。
「私もそう思う」
Ⅱ世は記録を机の上へ置いた。
医療教会が何を恐れ。
何を隠し。
何を回収しようとしていたのか。
そして、何を回収できなかったのか。
その一端が、ようやく見えてきた。
「旧市街へ行く必要があるな」
Ⅱ世が言った。
「聖杯のためですか?」
グレイが尋ねる。
「それだけじゃない」
Ⅱ世は地図へ目を向ける。
「メンシス学派についても、旧市街についても、まだ分からないことが多すぎる」
ルヴィアも地図を見る。
「昨日見た場所から、直接向かうのは難しそうでしたわね」
「ああ」
「でしたら、別の道を探しましょう」
ルヴィアは迷いなく答えた。
「その聖杯が残っているのなら、ぜひこの目で確認したいですもの」
「……分かった」
Ⅱ世は地図を畳んだ。
「まずは旧市街へ入る方法を探す」
三人は、それぞれに残された記録を整理していった。
聖歌隊。
メンシス学派。
医療教会上層部の警戒。
そして、旧市街に残された聖杯。
まだ断片的な情報にすぎない。
だが――。
これまで別々に見えていた出来事が、少しずつ一つの場所へ集まり始めていた。
その場所は、かつて炎に包まれた旧市街だった。
古き血を求めるのです。祈りましょう… 望みましょう… 聖体を拝領することを。
聖体を拝領致しましょう… そして古き血をいただきましょう。
血への乾きが我々を満たしてくれ、我々の恐れを和らげてくれます。
古き血を求めるのです… しかし人の弱さを忘れてはなりません。
人の意志は弱く、また心は幼く流されやすいものです。
穢らわしい獣は美酒を釣り餌に、弱き人々を深みへと誘います。
人間の弱さを忘れてはなりません。その意志は弱く、流されやすい。
恐れがあるからこそ、死を悼むことができるのです。