『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 封印都市ヤーナム』 作:丹波りん
パッチは、聖堂街を一人で歩いていた。
いくつかの道を抜けていくうちに、見覚えのある場所へ出た。
「…この辺りでしたかねぇ」
以前、ルヴィアと一緒に調べた場所だ。
その時は、屋外にあった祭壇と、そこに置かれていた装具に気を取られていた。
珍しい品だったため、あれこれ調べているうちに、
周囲を見る余裕がなくなっていたらしい。
「もう一度、見てみますか」
パッチは建物へ向かった。
中へ入ると、相変わらず薄暗い。
外の明かりは入口付近までしか届かず、少し進んだだけで周囲が見えなくなる。
パッチはランタンに火を灯した。
淡い光を頼りに、建物の中を見回していく。
壁際。
床。
置き去りにされたもの。
一つずつ目を向けていく。
そして、中央に置かれた大きな棺へ視線が止まった。
「……これも、見ましたなぁ」
以前ここへ来た時にも、この棺は調べていた。
周囲を見回し、棺にも手を掛けた。
だが、何も見つからなかった。
パッチは棺の周りを歩く。
今度は、見落としがないよう慎重に確認していく。
床を照らす。
壁際を見る。
反対側へ回る。
やはり何もない。
「……うーん」
パッチは首を捻った。
ランタンを少し高く掲げる。
その光が、壁の端を照らした。
「……ん?」
何かがある。
パッチは近づいた。
壁際に、細い金属の棒が取り付けられている。
その先には、手で動かせそうなレバーがあった。
「こんなもの、ありましたかねぇ」
しばらく眺める。
記憶を辿ってみる。
やはり、覚えがない。
パッチは思わず苦笑した。
「あっしとしたことが、見落としてましたか」
以前は装具に気を取られていた。
そのうえ、この暗さだ。
見逃したとしても無理はない。
そう自分に言い聞かせながら、パッチはレバーへ手を伸ばした。
「さて……何が出てきますかねぇ」
レバーを倒す。
――ガコン。
重い金属が動く音がした。
しばらくして、足元から微かな振動が伝わってきた。
「……おや?」
パッチが振り返る。
中央に置かれていた大きな棺が、ゆっくりと奧へ動き始めていた。
石の床を擦る重い音が、建物の中に響いている。
「これは……」
棺の下から、地下へ続く暗い空間が現れた。
その奥へ、階段が続いている。
「隠し通路ですか」
パッチは身を屈め、階段を覗き込んだ。
先は何も見えない。
暗闇が続いている。
「…行くしかありませんなぁ」
パッチはランタンを持ち直した。
階段へ足を掛ける。
一段。
また一段。
暗闇の中を、ゆっくりと下りていく。
しばらくすると、前方に僅かな光が見えた。
「……おや?」
パッチが足を止める。
暗闇の向こうから、明かりが差し込んでいる。
外の光だ。
パッチはそちらへ向かった。
やがて、大きな扉が見えてきた。
大扉は開いている。
その向こうから、外の明かりが流れ込んでいる。
パッチは扉の傍まで歩いた。
そこで、何かが目に入った。
「……張り紙ですかね」
扉の中央には、古びた紙が貼り付いたまま残されていた。
紙は途中から大きく破れており、
残された部分も雨や湿気にさらされたのか、文字が滲んでいる。
「……読めませんなぁ」
パッチは目を細めた。
いくつか文字らしきものは残っている。
だが、文章として読み取ることはできなかった。
「まぁ、今はいいでしょう」
開いた扉に向き直る。
外から流れ込む明かりが、足元まで伸びている。
パッチはその明かりの中へ足を踏み出した。
扉の向こうには、これまで歩いてきた聖堂街とは異なる街並みが広がっていた。
「……ほう」
パッチは足を止めた。
周囲にはいくつもの建物が並んでいるが、
その多くは長い年月の間に崩れたように見えた。
壁は黒く煤け、屋根の一部が崩れ落ちている。
焼け落ちた建物の残骸も、ところどころに残されていた。
道の脇には、崩れた石材や焦げた木材が散らばっている。
パッチが辺りを見回す。
ただ古びているだけではない。
街そのものが、何かによって焼かれたような跡が残っている。
「ここが、旧市街ですかい?」
答える者はいない。
だが、目の前に広がる光景は、その言葉を否定するものではなかった。
焼け焦げた街並み。
崩れた建物。
そして、長い間人の手が入っていないような静けさ。
パッチはしばらく黙っていた。
「なるほど……」
やがて、小さく息を吐く。
「ようやく辿り着きましたか」
パッチはランタンの火を消した。
そして、焼け跡の残る街並みへと足を踏み入れていった。
※
パッチは、焼け跡の残る街並みをゆっくりと進んでいった。
聞こえるのは、時折吹き抜ける風の音だけだった。
道はまっすぐには続いていない。
崩れた建物を避けるように、いくつもの道へ分かれている。
パッチは周囲を確認しながら、その先へ進んでいった。
しばらく歩くと、頭上に大きな建物が見えてきた。
「……あれは」
パッチが足を止める。
高い建物だった。
焼けた街並みの向こうから、その姿だけがはっきりと見えている。
「時計塔ですか」
以前、ルヴィアと旧市街を見下ろした時に見たものと同じだった。
あの時は遠くから眺めていただけだったが、今はその足元まで来ている。
「なるほど、ここから見えていたわけですな」
パッチは時計塔を目印にして歩き始めた。
建物の脇を抜ける。
崩れた石壁を回り込み、通路を進む。
やがて、塔の近くまで辿り着いた。
周囲を見回す。
塔へ続く道は見当たらない。
だが――。
「……おや?」
壁際に、上へ伸びる梯子があった。
「これは登れそうですなぁ」
パッチは梯子を見上げる。
慎重に手を掛け、一段ずつ上へ進んでいく。
やがて、塔の上部へ出た。
「……おお」
パッチが周囲を見渡す。
眼下に、旧市街が広がっていた。
焼け落ちた建物。
崩れた屋根。
入り組んだ道。
街の奥には、まだ形を残している建物もあれば、完全に崩れた場所もある。
高い場所から見下ろすことで、街の全体が少しずつ見えてくる。
そして――。
「あそこですな」
パッチの視線が、一点に止まった。
遠くに、崩れた道が見える。
道の先は大きく崩れ落ち、その向こう側へ進むことができなくなっている。
その先には、以前この場所から見えていた街並みが続いている。
「……随分と奥まで続いているようですなぁ」
パッチはしばらく旧市街を眺めていた。
だが、それ以上進むことはしなかった。
「これは一度、旦那方に知らせたほうがよさそうですな」
ここから先もまだ調べる必要がある。
それに、この旧市街は思っていた以上に広い。
一人で深入りするより、いったん拠点へ戻って報告したほうがいい。
そう判断した。
パッチは梯子を下り、再び地上へ戻る。
来た道を戻り始めた。
その途中だった。
「……ん?」
焼け崩れた建物の脇を通った時、瓦礫の下に何かが見えた。
パッチは足を止める。
しゃがみ込み、石や木片をどかしていく。
その下から、一冊の手記が現れた。
「……これは」
表紙は煤けている。
端も焼け焦げていた。
だが、完全には燃えていない。
パッチは慎重にページを開いた。
ところどころ文字が滲んでいる。
それでも、読むことはできた。
『赤い月は近く、この街は獣ばかりだ。きりがない』
パッチの表情から、いつもの軽さが消えた。
さらにページをめくる。
その先に、短い文章が残されていた。
『もう何もかも手遅れ、すべてを焼くしかないのか』
「……」
パッチはしばらく手記を見つめていた。
赤い月。
獣。
そして、すべてを焼くという言葉。
先ほど目にした焼け跡と重なる。
「……なるほど」
パッチは小さく呟いた。
「これが、火を放つ前の記録ですかねぇ」
手記を閉じる。
そのまま懐へ収めた。
「これも持って帰りましょう」
パッチは立ち上がった。
もう一度、焼けた街を振り返る。
さっきまで見ていた景色が、少し違って見えた。
この街が焼かれた理由。
そこに至るまでに、何が起きていたのか。
手記は、その一端を残している。
「さて……報告することが増えましたなぁ」
パッチはそう呟くと、オドン教会へ向かって歩き始めた。
※
夕刻。
オドン教会には、すでにⅡ世達が戻っていた。
三人は教会の一角に集まり、今日の探索で得た情報を整理している。
「…随分と色々見つかりましたわね」
ルヴィアが机の上に置かれた記録へ目を向ける。
「ああ。医療教会についても、いくつか手掛かりは得られた」
「そうですわね」
ルヴィアが頷く。
その時、教会の入口から足音が聞こえてきた。
「…戻ってきたようです」
グレイが顔を上げる。
やがて、入口から獅子劫が姿を現した。
「戻ったぞ」
その後ろから、パッチも姿を見せた。
「いやぁ、ただいま戻りましたよ」
「二人とも無事だったようだな。何か見つかったか?」
Ⅱ世が尋ねる。
「俺は地下水道を調べてきたが、目ぼしいものはなかったな。
いくつか繋がる道が確認できたくらいだ」
「そうか」
Ⅱ世が頷く。
「なら、今のところはそれで十分だ」
「他に何か見つかったのか?」
獅子劫が尋ねる。
すると、パッチが軽く手を挙げた。
「あっしの方は、ちょっとした収穫がありましてねぇ」
「収穫?」
ルヴィアが振り向く。
「ええ」
パッチは得意げに笑った。
「旧市街へ続く道を見つけましたぜ」
「……旧市街へ?」
Ⅱ世が顔を上げる。
「以前、御嬢様と一緒に調べた場所を、もう一度確認してみたんですよ」
改めて内部を調べたところ、大きな棺の下に隠すように階段が隠され、
進んだ先に旧市街らしき街があったこと。
「建物は崩れ、あちこちが黒く焼け焦げていました。
道にも焼けた木材や瓦礫が残っていましたからねぇ」
「……記載された旧市街の跡と一致するな」
Ⅱ世が呟く。
「ええ。間違いないと思いますよ」
「よく見つけましたわね」
ルヴィアが言う。
「いやぁ、以前は見落としていたんですがねぇ」
パッチは苦笑した。
「あっしとしたことが、装具に気を取られて周りをろくに見ていなかったようで」
「それで、旧市街へ入った後はどうした?」
「街の奥まで進んで、時計塔のところまで行きましたよ。そこから上へ登りましてねぇ」
パッチは時計塔の上から旧市街を周辺を確認したことを話す。
「それから、帰りの道中で手記を一冊見つけましたぜ」
「手記?」
Ⅱ世が反応する。
パッチは懐から、煤けた手記を取り出した。
「焼け跡の中に残っていたものでしてねぇ。かなり傷んでいましたが、読むことはできました」
「何と書かれていましたの?」
「『赤い月は近く、この街は獣ばかりだ。きりがない』……と」
「……赤い月?」
Ⅱ世が反応する。
「何のことですの?」
ルヴィアも手記へ目を向ける。
「さあ、あっしにも分かりませんなぁ」
パッチが肩をすくめる。
「ただ、わざわざ書き残すくらいですから、
この街では何か特別な意味があったのかもしれませんねぇ」
「そう考えるのが自然だな」
Ⅱ世は手記を受け取った。
「月が赤く見える現象なら、皆既月食などがそうだ」
「ええ」
ルヴィアも頷く。
「大気の状態によって、月が赤く見えることもありますわね」
「だが――」
Ⅱ世は手記の一文を見つめる。
「ここで書かれている『赤い月』が、それと同じものだとは限らない」
「『赤い月は近く』……」
グレイが呟く。
「普通の月食を指しているだけなら、少し妙な書き方ですね」
「ああ」
Ⅱ世が頷く。
「何か別のものを指している可能性もある」
Ⅱ世はしばらく考えた。
「ただ、今の段階では判断できんな」
「それから、もう一つ」
パッチが続ける。
「『もう何もかも手遅れ、すべてを焼くしかないのか』と書かれていましたね」
「……」
しばらく、誰も口を開かなかった。
「こちらは、かなり切迫した状況だったことが分かりますわね」
ルヴィアが言う。
「ああ」
Ⅱ世が頷く。
「獣が増え続け、書いた人物も手に負えないと感じていたようだ」
「実際に旧市街が焼却されていることを考えれば、その直前の記録だったのでしょうね」
「おそらくな」
Ⅱ世は手記を閉じる。
「だが、気になるのはやはり『赤い月』だ」
「獣が増えたことと、何か関係があるのでしょうか?」
グレイが尋ねる。
「そこもまだ分からん」
Ⅱ世は首を横に振る。
「記述では、赤い月のことが書かれた直後に獣の増加について触れている。
関係があるようにも読めるが……」
一度、言葉を切る。
「これだけでは、因果関係までは判断できない」
「では、旧市街を実際に調べてみる必要がありますわね」
ルヴィアが言う。
「ああ」
Ⅱ世は手記を机へ置いた。
「少なくとも、この記録だけでは『赤い月』が何を意味するのか分からない」
「なるほど……」
パッチは頷いた。
「そうなると、旧市街を実際に調べてみる必要がありそうですなぁ」
「その通りだ」
Ⅱ世は机の上に地図を広げた。
「こちらも一つ報告しておきたいことがある」
「おや、何ですかい?」
「旧市街の下層に、聖杯教会と呼ばれる場所がある」
「聖杯教会……」
パッチの表情が変わった。
「ああ」
Ⅱ世は記録を示す。
「地下遺跡から持ち出された聖杯の一つが、そこに保管されていたらしい」
「ほう、聖杯ですかい」
パッチが目を輝かせる。
「それはまた、随分と興味深いものが残っているじゃありませんか」
「今も残っているとは限らん」
Ⅱ世が釘を刺す。
「だが旧市街が焼却された後も、回収されたという記録はない」
「ということは、まだ残っている可能性も?」
「可能性はある」
「いやぁ……」
パッチが嬉しそうに笑う。
「これは是非とも探してみたいですなぁ」
「お前、聖杯と聞いた途端に元気になったな」
獅子劫が呆れたように言う。
「そりゃあ、そうでしょう」
パッチは悪びれもしない。
「お宝の予感がしますからねぇ」
「まだ、お宝と決まったわけではありませんわよ」
ルヴィアが言う。
「それに、見つけたとしても君のものになるとは限らない」
「……」
パッチの表情が僅かに曇った。
「そこなんですよねぇ」
「何がだ?」
「いやぁ」
パッチは肩を落とす。
「せっかく見つけても、また雇い主の御嬢様に取り上げられそうなのが気になりましてねぇ」
「何か問題でも?」
ルヴィアが笑顔を向ける。
「い、いえ。何でもありませんよ」
パッチはすぐに視線を逸らした。
獅子劫が小さく笑う。
「懲りない奴だな」
「それだけ魅力的なお宝だということですよ」
パッチはそう言って肩をすくめた。
Ⅱ世は机の上の地図へ視線を落とす。
「ともかく、明日の方針は決まったな」
全員が地図へ目を向ける。
「明日は、全員で旧市街へ向かう」
「入口は、あっしが案内しやすぜ」
「ああ、頼む」
「旧市街の内部も、全員で調べた方がいいだろう」
「私も賛成ですわ。聖杯教会も、実際に確認してみたいですもの」
「拙もお供します」
Ⅱ世は四人を見回した。
「決まりだな」
地図の上で、旧市街の位置を指で示す。
「明日はここへ向かう」
こうして、翌日の探索場所が決まった。
パッチが見つけた旧市街への道。
その先にある、まだ見ぬ聖杯教会。
そこに記録に残された聖杯が今も残っているのか。
そして、「赤い月」が何を意味していたのか。
五人は、それらを確かめるため、翌日の探索に備えることとなった。