『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 封印都市ヤーナム』   作:丹波りん

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第二十八話 隠された月

 三人は、大通りを奥へ進み始めた。

 道の両側には、数階建ての建物が並んでいる。

 その壁際には、奇妙な石像がいくつも置かれていた。

 道端には、壊れた馬車も残されている。

 横倒しになったものや、車輪を失ったものが、そのまま放置されていた。

「……随分と広い道ですわね」

 ルヴィアが周囲を見回す。

「この先に、何かあるようだな」

 獅子劫が大通りの奥へ目を向ける。

 その先には、大きな門が見えていた。

 ここからでも、その門が開かれていることが分かる。

「まずは、あそこまで行ってみましょう」

 グレイが言った。

「ああ」

 三人はその門を目指し、さらに奥へ進んでいった。

 しばらく歩くと、道幅いっぱいに広がる大きな階段が現れた。

 階段は、さらに下へと続いている。

 三人は足元に注意しながら、一段ずつ下りていった。

 階段を下りた先からも、大門は変わらず見えていた。

 そのまま門へ向かって歩いていると、道端に倒れた馬車が目に入った。

 ルヴィアが馬車の陰へ目を向ける。

「……何かありますわね」

 馬車の陰に、一冊の古びた手記が落ちていた。

 グレイが近づく。

「手記……でしょうか」

「そうみたいだな」

 獅子劫が拾い上げる。

 表紙は傷んでいるものの、まだ形を保っている。

 獅子劫が慎重にページを開いた。

「……読めそうだ」

 三人は手記へ目を向けた。

 そこには、この街で起きた出来事の一端が記されていた。

 ※ 

 三人は、倒れた馬車の傍らで見つけた手記へ目を向けた。

 そこには、ところどころ乱れた文字で、いくつもの文章が書き残されていた。

『狂人ども、奴らの儀式が月を呼び、そしてそれは隠されている』

『秘匿を破るしかない』

『悪夢の儀式は赤子と共にある』 

『赤子を探せ。あの泣き声を止めてくれ』

『メンシスの儀式を止めろ。さもなくば、やがて皆獣となる』

「…………」

 三人の間に、重い沈黙が落ちた。

 グレイは、書かれている言葉を一つずつ追っていく。

「……メンシスの儀式について書かれています」

「ああ」

 獅子劫も手記を見つめる。

「それに、『月を呼ぶ』……か」

 獅子劫が最初の一文へ視線を戻す。

「『そしてそれは隠されている』と続いている。

  文の流れからすると、隠されているのは月のことだろうな」

「そう考えるのが自然ですわね」

 ルヴィアも頷く。

「以前の記録にも、『赤い月』という言葉がありましたもの」

「……はい」

 グレイも思い出す。

「ですが、その『月』が何を意味するのかは、まだ分かりません」

「普通に考えれば、空にある月だ」

 獅子劫が言う。

「だが、わざわざ『呼ぶ』とか『隠されている』と書いている以上、

 単なる月のことなのかは怪しい」

 ルヴィアは手記へ目を落とした。

「ええ。今回の『月を呼ぶ』という記述と、無関係とは思えませんわ」

「そして、赤子です」

 グレイが続ける。

「『悪夢の儀式は赤子と共にある』とあります」

「ああ」

 ルヴィアが頷く。

「さらに、その次には『赤子を探せ』とある」

 ルヴィアは一つずつ文章を追った。

「つまり、この人物は赤子がメンシスの儀式に関わっていることを知っていた。

 そして、その赤子を探す必要があると考えていたのでしょう」

「それだけじゃない」

 獅子劫が最後の一文を指す。

「『メンシスの儀式を止めろ。さもなくば、やがて皆獣となる』」

「……儀式と獣化を結びつけていますわね」

 ルヴィアの表情が変わる。

「単に儀式を止めなければ危険だ、と言っているわけではありませんわ。

 儀式が進めば、獣化そのものが広がると考えていたようです」

「そう考えると……」

 グレイが手記を見る。

「『月』『赤子』『儀式』『獣化の拡大』は、全部繋がっているのでしょうか」

「可能性は高いですわね」

 ルヴィアが答える。

「ですが、どのように繋がっているのかまでは、まだ分かりませんわ」

 ルヴィアは最初の一文へ目を戻した。

「月を呼ぶ儀式がある」

「赤子が、その儀式に関わっているらしい」

「そして、その儀式が獣化と結びついている……」

 三つの情報を順に並べるように、ルヴィアが言葉にしていく。

「問題は、『赤い月』が何なのか。

 そして、赤子が儀式において何の役割を持っているのかですわね」

「ああ」

 獅子劫も頷く。

「そこが分からない限り、儀式そのものの意味も分からない」

「ですが……」

 グレイが小さく呟く。

「少なくとも、この手記を書いた人は、かなり深いところまで知っていたように思えます」

「そうですわね」

 ルヴィアが答えた。

「そして、この手記を書いた人物が誰なのかも――」

 そこで、ルヴィアが言葉を止めた。

「……いえ」

「どうした?」

 獅子劫が尋ねる。

「思い出しましたわ」

 ルヴィアは、以前に大聖堂で確認した記録を思い返していた。

「医療教会上層部は、メンシス学派を警戒していました。

 その動向を確認するために、直属の狩人を偵察へ向かわせていたはずです」

 ルヴィアは手記を見つめる。

「そして、この内容ですわ」

 メンシスの儀式。

 赤子。

 月。

 獣化。

「メンシス学派を偵察していた狩人でなければ、

 これほど具体的な内容を知ることは難しいでしょう」

「つまり――」

 グレイが続ける。

「この手記を書いたのは、その狩人……」

「おそらく、そうでしょう」

 ルヴィアが答えた。

「医療教会から派遣された直属の狩人が、メンシス学派を追ってここまで来た。

 そして、そこで儀式について知った」

 ルヴィアは手記の文字を見つめる。

「ですが……」

「戻れなかった、か」

 獅子劫が言った。

「ええ」

 ルヴィアが静かに頷く。

「これほど重要な情報を掴んだのなら、本来なら医療教会へ持ち帰って報告するはずですもの」

「だが、この手記はここに残っている」

 獅子劫が言う。

「本人が報告を持ち帰れなかったと考えるのが自然だな」

「おそらく、この人物はここで……」

 グレイが言葉を濁す。

「その先は分かりませんわ」

 ルヴィアが遮るように言った。

「ただ、少なくとも無事に帰還したとは考えにくいでしょう」

 三人は、再び手記へ目を向けた。

 ここに残された言葉は、医療教会へ届かなかった報告だった。

 月。

 赤い月。

 赤子。

 メンシスの儀式。

 そして、広がっていく獣化。

 それぞれの情報は、まだ完全には繋がっていない。

 だが、無関係とは思えない。

「……この手記は持ち帰りましょう」

 グレイが言った。

「師匠にも見せるべきです」

「ああ」

 獅子劫が手記を閉じる。

「Ⅱ世なら、別の角度から何か気づくかもしれない」

「そうですわね」

 ルヴィアも頷く。

「特に『月』が何を意味するのか。そこは、まだ何も分かっていませんもの」

 三人は手記を携え、大門へ向かって歩き始めた。

 その先に何が待っているのか。

 そして――。

 この手記に記された「月」が、一体何を意味するのか。

 ※

 三人は、大きく開かれた大門を抜けた。

 その先で、大通りは途切れていた。

 目の前には、建物に囲まれた大きな広場が広がっていた。

「……これは」

 グレイが足を止める。

 左右には、高い石造りの建物が並んでいる。

 幾重にも重なったアーチ。

 太い柱。

 その上には、広場を見下ろすような高い回廊が設けられている。

 建物そのものが広場を取り囲むように造られているため、

 まるで巨大な礼拝施設の中へ入り込んだようにも見えた。

「随分と大きな場所ですわね……」

 ルヴィアが周囲を見回す。

 これまで歩いてきた大通りとは違い、ここには道の先へ進むための街並みがない。

 ただ、建物に囲まれた広場だけが、目の前に残されている。

「……ここは、何かの施設だったのでしょうか」

 グレイが呟く。

「教会関係の場所にも見えるが……」

 獅子劫も周囲を見渡した。

 しかし、通常の礼拝堂とは明らかに規模が違う。

 広場の左右には、上へ向かう階段が設けられている。

 その先には高い位置にある回廊が続き、さらに奥には螺旋階段へ繋がる構造が見える。

「上にも通路がありますわね」

 ルヴィアが指差す。

「ああ」

 獅子劫が頷く。

「この場所そのものが、何かを囲むように造られているらしい」

 三人はゆっくりと広場へ進んだ。

 広場の中央には、何もない場所が大きく残されている。

 その周囲を、石造りの建物が取り囲んでいる。

 どこか儀式のために用意された場所にも見えた。

「……」

 グレイは無意識に足を止める。

 これまで見てきたヤーナムの建物とは、どこか違う。

 単なる街の一角ではない。

 ここには、何か特別な目的があった。

 そんな感覚だけが残る。

「……奥に、何かありますわ」

 ルヴィアが言った。

 三人の視線が、広場の奥へ向く。

 そこには、周囲の建物とはまた異なる、大きな建物があった。

 高い壁。

 大きな窓。

 そして――。

 その建物の中央部分だけが、異様な形で失われている。

「……あれは、何なのでしょう」

 グレイが建物を見上げる。

「随分と奇妙な造りですわね」

 ルヴィアも目を細める。

 中央には、本来なら建物が続いていたはずの空間がある。

 だが、そこには何もない。

 壁や床が崩れて残ったというよりも、

 建物の中央部分だけが、巨大な何かによって丸ごと抜き取られたようだった。

「……普通の崩壊には見えないな」

 獅子劫が低く呟く。

「ああ」

 グレイも頷く。

「建物そのものが、途中から消えているように見えます」

 三人はしばらく、その異様な建物を見つめていた。

 そして――。

 広場の中央近くに、一つの人影があることに気づく。

 椅子。

 その椅子に、誰かが座っている。

 動かない。

 遠目には、ただの人間が座っているようにも見えた。

「……人、でしょうか」

 グレイが目を細める。

 しかし、近づくにつれて、それが生きた人間ではないことが分かってくる。

 身体は干からびている。

 衣服も古び、長い年月を経た遺骸のようだった。

 そして――。

 頭には、奇妙な金属製の檻が被せられている。

「…………」

 ルヴィアの表情が、ほんの僅かに変わった。

 だが、それ以上は何も言わなかった。

 ただ、座ったまま動かない遺骸を見つめている。

「……妙な格好だな」

 獅子劫が呟く。

 グレイも遺骸を見つめた。

「どうして、こんな場所に……」

 三人の前には、建物に囲まれた広場。

 その奥には、中央を失った巨大な建物。

 そして、その中央に残された、檻を被った遺骸。

 この場所が、何のために造られたのか。

 なぜ、建物の中央だけが失われているのか。

 そして、この遺骸は何者なのか。

 まだ、三人には分からなかった。

 ※

 三人は、しばらく広場の中央にある遺骸を見つめていた。

「…建物の方も、調べてみる必要がありそうですわね」

 ルヴィアが周囲を見回す。

 広場を取り囲む建物は大きく、外から見ただけでは内部の構造までは分からない。

「そうだな」

 獅子劫が頷く。

「俺とグレイで、周囲を見てくる」

「では、私はここに残りますわ」

 ルヴィアが答える。

「この遺骸も気になりますもの」

「分かった」

 獅子劫はグレイへ目を向けた。

「行くぞ」

「はい」

 グレイが頷く。

 二人は広場の端へ向かって歩き始めた。

 建物の入口や、周囲に残された構造を確認しながら、少しずつ奥へ進んでいく。

 やがて、その姿が建物の陰へ消えた。

 広場に残ったのは、ルヴィアと遺骸だけだった。

「…………」

 ルヴィアは、改めて遺骸へ目を向ける。

 椅子に座ったまま、微動だにしない。

 身体はすでに干からびている。

 衣服も古びている。

 だが――。

 何よりも目を引くのは、その頭部を覆う金属製の檻だった。

 見覚えがある。

 夢の中で見た。

 あの時も、この檻を被った男と出会った。

 あれは、ただの夢だったのではない。

 少なくとも、今こうして目の前にあるものが、それを否定している。

「……やはり」

 ルヴィアが小さく呟く。

 あの時、男は一方的に語り続けていた。

 自分は何もできなかった。

 声を返すことも。

 身体を動かすことも。

 ただ、その言葉を聞くことしかできなかった。

 それでも、その声も、その姿も、はっきりと記憶に残っている。

 ルヴィアはゆっくりと遺骸へ近づいた。

「あなたは……」

 そこで言葉を止める。

 答えが返ってくるはずはない。

 それでも、確かめずにはいられなかった。

 ルヴィアが手を伸ばす。

 指先が、檻へ触れようとした――。

 その瞬間。

「……っ」

 空気が揺れた。

 周囲の景色が、僅かに歪む。

「……何ですの?」

 ルヴィアが手を止める。

 目の前にある広場が、遠ざかっていくように感じられた。

 建物の輪郭が崩れる。

 地面が、波打つ。

 音が遠のいていく。

「これは……」

 ルヴィアは咄嗟に周囲を見回した。

 だが、視界に映るものすべてが、現実の形を保てなくなっている。

 まるで世界そのものが、薄い膜を隔てて別の場所へ引きずり込まれていくようだった。

「……っ!」

 ルヴィアが一歩後退する。

 しかし、足元の感覚すら曖昧になっていく。

 目の前の遺骸が遠ざかる。

 広場が消える。

 獅子劫も。

 グレイも。

 その姿を探そうとしても、もうどこにも見えない。

「……待って!」

 声を上げる。

 だが、その声さえも空間に吸い込まれていく。

 次の瞬間――。

 すべてが消えた。

 音も。

 光も。

 そして、足元の感覚さえも。

 ルヴィアは、自分が立っているのかどうかすら分からなくなった。

 ただ、どこかへ落ちていくような感覚だけがあった。

 長いのか。

 短いのか。

 時間そのものが意味を失っていた。

 やがて――。

 足元に、確かな感触が戻ってきた。

「……っ」

 ルヴィアが目を開く。

「ここは……?」

 そこに広がっていたのは、先ほどまでいた広場ではなかった。

 空気が違う。

 周囲の景色も違う。

 眼前には、どこまでも続くような高台が広がっている。

 その向こうには、巨大な建造物がそびえていた。

 そして、頭上には――。

 異様なほど大きな月が浮かんでいる。

 月明かりが、周囲を青白く照らしていた。

「…………」

 ルヴィアは、しばらく言葉を失った。

 ここが何処なのか分からない。

 少なくとも、先ほどまでいた場所とはまったく異なる。

 それでも、妙な感覚だけが残っていた。

 この場所を、自分は知らない。

 だが――。

 この光景のどこかに、以前の夢と繋がる何かがある。

 そんな確信だけが、胸の奥に残っていた。

 ルヴィアは周囲を見回した。

 誰もいない。

 獅子劫も。

 グレイも。

 あの広場も、もうどこにもない。

「……一体、何が起きたというのです」

 ルヴィアは、月明かりに照らされた見知らぬ場所を見つめた。

 そして――。

 その静寂の中で、何かの気配を感じ取った。

 

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