『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 封印都市ヤーナム』 作:丹波りん
ルヴィアの言葉を受け、一行はひとまず診療所内を拠点として使えるよう整えることにした。
最初に動いたのはグレイだった。
「師匠」
廊下の奥から戻ってきたグレイが、Ⅱ世へ声を掛ける。
「比較的、状態の良い部屋を見つけました。扉も壊れていませんし、窓も無事です」
「そうか」
Ⅱ世は頷いた。
「なら、そこを拠点にしよう。グレイ、悪いが室内の簡単な清掃を頼めるか?」
「はい」
「それと、夜食の準備も頼みたい」
「承知しました」
グレイが一礼する。
すると、横からルヴィアが口を挟んだ。
「夜食でしたら、こちらから差し入れますわ」
「いいのか?」
「長期の探索を想定していますもの。食事くらいはこちらで用意します」
ルヴィアは当然のように言った。
「キャンピングカーにはキッチンがありますから。保存食も、それなりに持ち込んでいますわ」
「それは助かる」
「でしたら、拙は部屋の掃除を」
グレイが頷く。
「師匠たちは探索をお願いします」
「ああ。頼んだ」
グレイは拠点と決めた病室へ戻っていった。
Ⅱ世はその背中を見送り、診療所内を見回した。
「では、始めよう」
「ようやく仕事らしくなってきましたわね」
ルヴィアが腕を組む。
「何しろ、ここへ来た目的は観光じゃありませんもの」
「分かっている」
こうして、一行は診療所の探索を開始した。
◆
診療所には、思った以上に多くの物が残されていた。
まず目についたのは、医師が患者の状態を記録した診断書だった。
紙は古く、端が変色している。
患者の名前。
症状。
処置。
投薬。
血液に関する記録。
しかし、どれも途中で途切れているものが多い。
カルテの中には、治療を受けた後に症状が改善している患者もいれば、逆に急激に悪化している患者もいた。
「……同じ治療を受けた患者でも、経過が随分と違うな」
Ⅱ世がカルテをめくる。
「血の質が違う、と?」
ルヴィアが覗き込む。
「可能性はある。少なくとも、この記録だけでは一律の治療だったとは考えにくい」
「血の医療そのものに、いくつかの種類がある?」
「あるいは、患者側の適性が関係しているのかもしれん」
Ⅱ世はカルテを戻した。
「まだ判断材料が足りない」
別の部屋では、医療器具がいくつも発見された。
点滴器具。
空になった薬瓶。
そして、患者を固定するために使われたと思われる拘束具。
その一部は壁際に転がっていた。
金具は大きく歪み、無理やり引き千切られている。
「……これは」
ルヴィアが眉を寄せる。
「普通の人間がやったとは思えませんわね」
「そうだな」
Ⅱ世は拘束具を持ち上げる。
金属が裂けた痕跡。
単純な破壊ではない。
拘束されていた何者かが、内側から力任せに引き千切ったようにも見える。
しかし、それ以上のことは分からない。
「記録しておこう」
Ⅱ世は拘束具を元の位置へ戻した。
さらに探索を進めると、棚の奥から一つの輸血瓶が見つかった。
古びたガラス瓶だった。
中身はほとんど残っていない。
瓶底に、黒褐色に変色した血液がほんの僅かに付着しているだけだ。
「これも輸血用でしょうか」
ルヴィアが瓶を持ち上げる。
「おそらくな」
Ⅱ世は瓶を光に透かした。
残っている量が少なすぎる。
分析するにしても、十分な量とは言い難い。
「状態は良くない。だが、完全に失われているわけでもない」
「これも持って帰ります?」
「可能ならな。僅かな残留物でも、血の医療について何か分かるかもしれん」
ルヴィアは慎重に瓶を包んだ。
さらに二人は、患者の私物が残されている場所を調べた。
そこで見つかったのが、数冊の小さな手記だった。
手のひらに収まる程度の粗末な日記帳。
表紙は汚れ、角は擦り切れている。
何冊かは途中のページが破られ、文字もところどころ掠れていた。
Ⅱ世は最初の一冊を開く。
――患者の手記 一
治療についての不信感が、断片的に綴られていた。
血を受ければ良くなると言われた。
最初は確かに身体が楽になった。
だが、しばらくすると別の症状が出始めた。
何度訴えても、医師は問題ないと言う。
医療協会への愚痴。
治療そのものへの疑念。
そして、自分の身体が以前とは違っていくことへの恐怖。
文章は途中で途切れていた。
「かなり不安を抱えていたようですわね」
「ああ」
Ⅱ世は手記を閉じる。
「だが、これは患者側の主観に過ぎない。治療そのものが原因だったのか、それとも別の要因があったのかは分からん」
次の手記を開く。
――患者の手記 二
こちらは別の患者のものだった。
隣の病室にいた患者が、医療協会から来た黒服の者たちに連れていかれた。
黒服たちは、医療協会に所属する狩人らしい。
患者たちの間では、それは周知の事実だった。
狩人が来ると、誰かが連れていかれる。
そして――連れていかれた者が、戻ってきたことは一度もない。
何のためなのかは分からない。
医師に尋ねても答えてくれない。
その後に残されていたのは、短い一文だった。
あいつらは俺たち患者にとっての死神だ。
そこから先は、ページが破られていた。
「狩人……」
ルヴィアが呟く。
「医療協会に属する実働部隊、と考えるべきでしょうね」
「ああ」
Ⅱ世は考え込む。
「だが、患者を連れていった目的までは分からない」
次の手記を開く。
――患者の手記 三
今度は、病そのものに対する恐怖が綴られていた。
自分は灰血病になったのではないか。
そう疑っている。
咳が出る。
身体が重い。
熱もある。
だが、ただの質の悪い風邪だ。
そうであってくれ。
何度も自分に言い聞かせるように、同じ言葉が書かれている。
そして最後に。
――また旧市街のようになるのではないか。
その一文だけが、妙に強く書き込まれていた。
「灰血病……」
Ⅱ世が呟く。
「病名ですわね」
「ああ。そして、旧市街という場所」
Ⅱ世は手記を見つめる。
「患者がこれほど恐れる以上、何か過去に大きな事件があったと見るべきだろう」
次の手記。
――患者の手記 四
そこには、これまでとはまったく違う内容が書かれていた。
ヨセフカ院長への感謝。
親身になって診察してくれること。
誰にでも治療を施してくれる素晴らしい人であること。
その文章は、ほとんど妄信と呼んでもいいほどだった。
だが、その一方で。
よそ者にまで貴重な医療を施していることへの強い憤りが書かれている。
――どうして、よそ者にまで血を分けてやる必要がある。
――あいつらが病を持ち込んだに違いない。
――ヤーナムの人間を差し置いて、なぜ外から来た連中を治す。
そこには、露骨な排他的感情が綴られていた。
「……同じ診療所の患者とは思えませんわね」
ルヴィアが呟く。
「院長への評価も、患者によって正反対だ」
Ⅱ世は四冊の手記を並べた。
「患者の証言だけでは、ヨセフカ院長がどういう人物だったのか判断するのは難しいな」
「だからこそ、本人の記録が必要ですわ」
「ああ」
Ⅱ世は頷いた。
「院長室を調べる」
◆
二階へ上がる。
廊下の突き当たり。
そこに院長室があった。
扉は閉ざされている。
ルヴィアがノブを回す。
動かない。
「鍵が掛かっていますわ」
「いや」
Ⅱ世が扉へ手をかざす。
「それだけじゃない」
魔力の流れを探る。
扉そのものに、薄い魔力の膜がまとわりついていた。
「侵入防止の術式だ」
「まだ生きていますの?」
「ああ」
Ⅱ世は眉間に皺を寄せる。
「この診療所が放置されているにもかかわらず、ここだけは機能している」
ルヴィアも術式を観察する。
「かなり古い術式ですわね」
「だが、構造は単純じゃない」
Ⅱ世は扉の周囲を調べた。
「術式の核がどこにあるのか分からん。無理に解除すれば、術式そのものが消える可能性もある」
「それでは、せっかく残っている術式という手掛かりを失いますわね」
「ああ」
二人は扉を前に考え込んだ。
院長室。
ここに、この診療所の中でも特に重要な何かが残されている可能性は高い。
だからこそ、侵入を拒む術式まで施されている。
「……少し時間を掛けて解析する必要があるな」
「ええ」
二人はその場に残り、扉の術式を調べ始めた。
◆
一方、獅子劫は診療所の裏手へ回っていた。
建物の裏には、小さな墓所がある。
墓石はどれも妙に小さい。
膝ほどの高さしかない石碑が、いくつか並んでいる。
「墓……か」
獅子劫は一つの墓石に近づく。
刻まれた文字は風雨によってほとんど読めなくなっている。
周囲を見回す。
その時だった。
「……ん?」
墓所の奥。
地面に僅かな違和感があった。
獅子劫は一歩踏み込む。
瞬間。
足元の感触が消えた。
「っ!」
咄嗟に身体を後ろへ飛ばす。
地面だと思っていた場所が、実際には存在していなかった。
そこにあったのは、底の見えない大きな穴だった。
「危ねえ……」
獅子劫は慎重に縁から覗き込む。
暗闇。
光が届かない。
魔術的な隠蔽が施されていた。
目を凝らすと、穴の壁に沿って下へ伸びる梯子が見える。
「……降りられるのか」
かなり深い。
だが、梯子は下まで続いているらしい。
「今はやめとくか」
獅子劫は穴から離れた。
先に二世たちへ報告する。
それからどうするか決めればいい。
◆
その頃、パッチは一人、診療所内を歩いていた。
やがて、ふと天井を見上げる。
建物の構造を眺め、何かを考えるように顎へ手を当てた。
「……ふむ」
視線の先。
院長室のある二階、そのさらに上。
屋根へ通じる経路がある。
「正面から駄目なら、別から入ればいい」
パッチは懐から鍵縄を取り出した。
それを天井の梁へ引っ掛け、器用に身体を引き上げていく。
やがて屋根へ出る。
屋根伝いに進み、院長室側へ回り込む。
下からでは見えにくい位置に、一つの窓があった。
「ここですかねぇ」
パッチは窓へ近づいた。
まずは懐からいくつかの道具を取り出す。
細い金具を鍵穴へ差し込み、慎重に動かしていく。
カチャ。
……動かない。
「……」
もう一度。
カチャ、カチャ。
やはり駄目だった。
長い間放置されていたせいか、錠前そのものが錆びついている。
「古すぎるでしょう、これ」
パッチは小さくぼやく。
道具を変える。
角度を変える。
さらに慎重に錠前を弄る。
だが、錆びついた金具は頑固に動かなかった。
「…………」
パッチは無言で錠前を見つめる。
そして、小さく息を吐いた。
「……もういいですかね」
道具をしまう。
窓枠へ手を掛けた。
「えいやっ」
ガシャァン!
力任せに窓を蹴破った。
「よし」
砕けたガラスを踏まないように注意しながら、パッチは院長室へ入り込む。
室内を見回す。
机。
本棚。
書類。
長期間使われていなかったと思われる家具。
そして、反対側には扉。
その先には、先ほどまでⅡ世とルヴィアが立っていたはずだ。
「さて……」
パッチは扉へ向かった。
内側から鍵を外す。
カチリ。
錠が外れる。
扉を開く。
ギィィ……。
「おや」
案の定。
扉の前にはⅡ世とルヴィアがいた。
二人は先ほどまで、この扉を調べていたのだ。
そして、目の前で突然扉が開いたことで、同時に顔を上げる。
「……」
「……」
Ⅱ世とルヴィア。
その二人の目の前に、窓を蹴破って侵入したパッチが立っている。
「…………パッチ」
Ⅱ世の声が低くなる。
「何をした?」
「見ての通りですよ、旦那」
パッチはいつもの胡散臭い笑みを浮かべた。
「あっしが中に入って、扉を開けただけです」
Ⅱ世は開いた扉を見る。
先ほどまで確かに存在していた魔術的な侵入防止術式は、すでに消えていた。
「君は……」
Ⅱ世の眉間に皺が寄る。
「術式そのものが貴重な手掛かりだったかもしれないんだぞ」
「そりゃあ残念ですなぁ」
パッチは悪びれもせず肩をすくめる。
「でも、入れたでしょう?」
「そういう問題ではない!」
ルヴィアも呆れた顔でパッチを見る。
「そもそも、どうやって中へ?」
「屋根からですよ」
パッチは親指で背後の割れた窓を指した。
「窓の鍵を開けようと思ったんですがね。長いこと放置されてたせいか、錆びついてまして」
「だから蹴破った、と」
「ええ」
「…………」
ルヴィアは額を押さえた。
「あなたという人は……」
その時だった。
廊下から慌ただしい足音が響いた。
「おい!」
獅子劫の声。
続いてグレイの声も聞こえる。
「師匠!」
窓ガラスが割れた音。
その後に響いた扉の開く音。
二人も異変を察して、二階へ上がってきたのだ。
獅子劫が院長室へ姿を現す。
「何があった?」
そして、割れた窓を見る。
パッチを見る。
最後に、開いている院長室の扉を見る。
「……お前か」
「あっしですよ」
パッチは笑った。
「いやぁ、正面からは入れなかったんでね」
獅子劫は深々とため息を吐く。
「お前は本当に……」
その後ろからグレイも顔を覗かせる。
「師匠、院長室に入れたのですか?」
「ああ」
Ⅱ世は答えた。
そして、改めて院長室の中へ視線を向ける。
これまで閉ざされていた場所。
そこには、診療所で何が行われていたのかを知るための資料が眠っているかもしれない。
術式を失ったことは痛い。
だが、それでも。
今まで入ることのできなかった場所へ、ようやく足を踏み入れることができた。
「……調べよう」
Ⅱ世は静かに言った。
「ここには、この診療所で何が行われていたのかを知る手掛かりが残っているはずだ」
一行は揃って、院長室の内部へ視線を向けた。