『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 封印都市ヤーナム』 作:丹波りん
轟音が地下街を揺らした。
頭上から大量の瓦礫が降り注ぎ、Ⅱ世は反射的に身を伏せる。
ランタンの明かりが大きく揺れ、視界が一瞬だけ白く霞んだ。
「――師匠!」
グレイの声が聞こえた。
「私は無事だ!」
返事をした直後、今度は建物そのものが軋んだ。
古びた石壁が大きく傾き、二人の間へ崩れ落ちる。
地面を叩いた石が跳ね、通路を完全に塞いだ。
「獅子劫!」
「こっちは大丈夫だ!」
瓦礫の向こうから獅子劫の声が返ってくる。
「だが、こいつは簡単には動かせそうにねえ」
「私としたことが、迂闊でしたわ」
Ⅱ世は崩れた建物を見回した。
天井から落ちた石材だけではない。壁そのものが崩れ、
通路の先まで塞いでいる。無理に突破すれば、さらに崩れる可能性が高い。
「……別の道を探すしかないな」
「そうするしかなさそうですなぁ」
隣でパッチが瓦礫の山を眺めていた。
「こっちは別の道を探す。お前たちも無理に戻ろうとするな」
獅子劫の声が続く。
「分かった。見つけたら合流しよう」
「ああ」
それだけ言葉を交わすと、向こう側の気配が離れていった。
Ⅱ世はしばらく瓦礫を見つめていた。
グレイたちの姿は、もう見えない。
それでも、ここで立ち止まっているわけにはいかなかった。
「行きますか」
「ああ」
二人は来た道とは別の通路へ向かった。
地下へ潜るほど、光は失われていった。
壁に沿って進むと、崩れた建物の残骸が幾つも姿を見せる。
柱だけを残して天井が消えている場所もあれば、
逆に壁と壁の間へ別の建物が押し込まれたようになっている場所もあった。
長い年月の間に、この地下に築かれた街そのものが形を失っている。
足元を確かめながら進んでいると、パッチが急に立ち止まった。
「旦那」
「何だ?」
「あっしら、さっきから下へ下へ進んでませんかねぇ」
Ⅱ世も周囲へ目を向ける。
確かにそうだった。
道は緩やかな傾斜を描きながら、さらに地下へ続いている。
階段を下りた覚えはない。それでも、最初にいた場所より明らかに深い。
「……この地下街は、想像していたより広いらしい」
「しかも、まだ人が使っていた頃の道が残っている」
パッチが足元へ視線を落とした。
薄く積もった埃の下から、古い石畳が覗いている。
Ⅱ世もその先を見る。
石畳は崩れた建物の間を縫うように続いていた。
二人はその道を辿った。
やがて建物が途切れた。
視界が少しだけ開ける。
ランタンを掲げると、石畳の先に何かが浮かび上がった。
墓石だった。
一つではない。
左右に並んだ墓石が、暗闇の中へ列を作っている。
「……墓地か」
Ⅱ世が足を止める。
地下の街並みから、いつの間にか墓地へ入り込んでいた。
古い墓石の表面には文字が刻まれている。
しかし、長い年月に削られ、ランタンの明かりを近づけても判別できないものが多い。
パッチが一つの墓石に近づいた。
「これは……」
指先で表面をなぞろうとして、すぐに手を引っ込める。
「読めませんなぁ」
「無理に読む必要はない」
「そうですか」
パッチは少し残念そうに墓石から離れた。
Ⅱ世は墓地の奥へ目を向けた。
暗闇の向こうに、建物の輪郭が見えている。
墓地の先に立つには、あまりにも大きい。
高い壁。
その上へ伸びる尖塔のような影。
さらに近づくにつれ、巨大な扉が姿を現した。
Ⅱ世は足を止めた。
「……教会」
自然と声が漏れる。
その建物には、見覚えがあった。
もちろん、実物を見たことがあるわけではない。
これまでに読んだ記録の中に、何度もその名が出ていた。
旧市街の下層。
そのさらに奥。
古い聖杯を保管していたという教会。
「まさか……」
Ⅱ世は建物を見上げた。
「ここが、記録にあった聖杯教会なのか?」
「聖杯教会……」
パッチの声が低くなる。
先ほどまでの軽い調子が、少しだけ消えていた。
二人は墓地を抜け、教会へ向かった。
足音が、地下の静寂へ吸い込まれていく。
扉の前でⅡ世が手を伸ばした。
錆びついた金具が僅かに軋む。
押し開けると、冷たい空気が流れてきた。
教会の内部は、外から見た以上に広かった。
ランタンの光が床を照らす。
長い時間、人の手が入っていないのだろう。
床には細かな埃が積もり、歩くたびに靴底の跡が残った。
Ⅱ世は無言のまま先へ進んだ。
柱の間を抜ける。
左右へ伸びた通路の先は、すぐに闇へ消えている。
何かを探すようにランタンを動かすと、正面の奥だけが僅かに形を持った。
祭壇だった。
Ⅱ世の足が止まる。
パッチも、その横で立ち止まった。
祭壇へ近づく。
光が届く距離まで来たところで、祭壇の上に置かれていたものがはっきりした。
大きな杯だった。
古い金属とも石ともつかない質感を持ち、表面には見慣れない文様が刻まれている。
長い年月に晒されていたはずなのに、輪郭はほとんど崩れていない。
Ⅱ世は記録の記述を思い返した。
地下から持ち出された古い聖杯。
焼き払われた、旧市街。
そして、聖杯教会。
それが、その後回収された事を示す記録は残っていなかった。
「……これが」
パッチが小さく呟く。
次の瞬間には、すでに一歩前へ出ていた。
「旦那、これは――」
「触るな」
パッチの手が止まった。
「……まだ何もしてませんよ」
「今からするつもりだっただろう」
「いやぁ、まあ……」
パッチは祭壇を見上げる。
その目は完全に聖杯へ向いていた。
「あれだけ古いものです。少しくらい調べても――」
「調べるのと触れるのは別だ」
Ⅱ世は祭壇から目を離さない。
「ここが本当に聖杯教会なら、これは偶然ここへ置かれているわけではない」
「ですが、目の前にあるんですよ?」
「だから慎重になれと言っている」
「見るだけでは分からないこともありますからなぁ」
「分かっている」
Ⅱ世は一歩、祭壇へ近づいた。
聖杯には、長い年月の痕跡が残っている。
しかし、それだけではない。
誰かが最後にここへ置いたまま、時だけが過ぎていったようにも見えた。
「……トゥメルの聖杯」
Ⅱ世が呟く。
記録に残されていた名が、頭の中で繋がった。
地下に眠る古い文明。
その遺跡。
そして、そこから持ち出された聖杯。
これが本当に同じものなら、これまでの調査を大きく変えることになる。
「旦那」
パッチが再び声をかける。
「本当に触ってはいけませんか?」
「駄目だ」
「ちょっとだけでも?」
「駄目だ」
「では、持ち上げるのではなく、縁だけ――」
「パッチ」
「……はい」
渋々と手を下ろす。
それでも、視線だけは聖杯から離れない。
Ⅱ世は小さく息を吐いた。
「まず記録を取る。それから、この場所について分かる限り調べる」
「触らずに、ですか」
「触らずにだ」
「……難しい注文ですなぁ」
パッチはそうぼやきながらも、ようやく一歩下がった。
祭壇の上には、古い聖杯が静かに置かれている。
その周囲には、何百年もの間、誰も触れなかったような静けさが残っていた。
Ⅱ世はランタンの光を聖杯へ向けたまま、その形をじっと見つめた。
ここまで来たことで、ようやく一つの記録に手が届いた。
だが、それが何を意味するのかは、まだ分からない。
調べるべきことは、残されている。
そして二人の探索は、まだ終わっていなかった。