『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 封印都市ヤーナム』 作:丹波りん
獅子劫たちは、教会の奥から聞こえてくる声を警戒しながら進んでいた。
蝋燭とランタンの明かりが届く先に、倉庫へ続く扉がある。
その向こうから、数人の人間が言い争う声が聞こえていた。
「おい、この惨状はお前たち医療教会のせいなんだろ!?」
「あたしの息子は、いつになったら戻ってくるんだい!!」
獅子劫は一度足を止めた。
声には怒りと不安が混じっている。
ただの口論というより、何かをきっかけに一気に爆発したような様子だった。
獅子劫はグレイとルヴィアへ目を向け、それから扉へ近づく。
慎重に押し開けると、そこには尼僧らしき女性と、男と老婆の二人の市民がいた。
尼僧は倉庫の奥へ追い詰められるように立っている。
「お、落ち着いて下さい。私は、なにも……」
彼女の声が震え、目線を逸らした先でこちらに気づく。
一瞬だけ目を見開いたあと、その表情に僅かな安堵が浮かんだ。
助かった。そんな気持ちが、その顔からはっきりと伝わってくる。
獅子劫は市民たちの様子を窺った。
ひとまず危険はないと判断し、サーベルの柄から手を離した。
「おいおい。あんたら、何やってるんだ」
「……あん?」
男が振り返った。
獅子劫たちの姿を見た瞬間、その顔が険しくなる。
「おい……なんで余所者がここにいる」
老婆も獅子劫たちへ目を向けた。
その目が細くなる。
「あんたたちだね!?」
老婆が獅子劫たちへ詰め寄った。
「ヤーナムに妙な物を持ち込んだのは! あたしゃ知ってるんだよ!!」
「妙な物って……」
獅子劫が言いかける。
だが、老婆は止まらない。
「外に置いてある、あんな鉄の塊まで持ち込んで! こんな夜に、何をしに来たんだい!」
どうやら、外に停めた車のことらしい。
獅子劫はようやく話が繋がった。
この街の住人からすれば、見慣れない大型の車両など、妙な物以外の何ものでもないのだろう。
「待て待て」
獅子劫は両手を上げた。
「外の……あー、外の馬車は俺のだ。勝手に停めて悪かったよ」
「ふん。これだから余所者は」
老婆は吐き捨てるように言い放つも、それでも怒りは収まらないらしい。
獅子劫たちを押しのけるようにして、倉庫の外へ出ていく。
男もその後に続こうとしたが、ふと足を止めた。
その視線が、獅子劫の後ろにいるルヴィアとグレイへ向く。
「ふん。こんな夜に女連れか。いい御身分なこった」
「俺はこいつらの護衛だ。変な勘繰りは止めてくれ」
獅子劫は疲れたように答えた。
しかし、男は疑い深い目を向けたままだった。
「私がここまでの護衛をお願いしたの」
アリアンナが口を挟む。
「あなたも、こんな時くらい落ち着いたら?」
男がアリアンナを見ると、その表情がさらに険しくなった。
「ふん、娼婦風情が偉そうに指図するんじゃねぇ」
男は吐き捨てるように続ける。
「余所者を連れ込みやがって……」
アリアンナは言い返さなかった。
ただ、僅かに目を伏せる。
男はそれ以上何も言わず、倉庫から出ていった。
先ほどの老婆も、すでに広間の方へ姿を消している。
「……何なんですの、いったい」
ルヴィアが呆れたように息を吐いた。
「ごめんなさいね」
アリアンナが小さく笑う。
「ヤーナムの人たちは、今夜のことで余裕がなくなっているのよ。
いつもより、ずっと神経質になっているみたい」
「それにしても、随分な言い方でしたわ」
「気にしないで」
アリアンナは首を横に振った。
「私も、こういうことには慣れているもの」
そう言ってから、獅子劫へ向き直る。
「ここまで守ってくれて助かったわ」
「いや、こっちも助かった。道を知ってる奴が一緒じゃなきゃ、
あの霧の中で迷ったままだったからな」
「そう言ってもらえるならよかったわ」
アリアンナは柔らかく微笑んだ。
「また別の日にでも、お店に寄ってね。サービスしてあげるわ」
「こっちも、ここまでの案内感謝するぜ。……まあ、そのうちな」
獅子劫が苦笑する。
「ふふ。待っているわね、色男さん」
アリアンナは冗談めかしてそう言うと、広間の奥へ目を向けた。
「私も、少し休みたいわ。さすがに今夜は疲れたもの」
それから三人へ軽く会釈する。
「それじゃあ、またね」
アリアンナはそのまま広間の奥へ歩いていった。
その背中が見えなくなるのを見送ってから、ルヴィアが獅子劫へ視線を向ける。
明らかに何か言いたげな目だった。
「……なんだよ」
「別になんでもありませんわ」
ルヴィアはそれだけ答えた。
「……あの」
尼僧が遠慮がちに声を掛けた。
「助かりました」
獅子劫が振り返る。
「気にするな。……あんたは?」
「私は医療者のアデーラと申します」
尼僧――アデーラは、胸元で手を組んだ。
「先ほどは取り乱してしまって……申し訳ありません」
「いや。あれだけ詰め寄られりゃ、誰だって困るだろ」
獅子劫は倉庫の外へ目を向けた。
「……ところで尼さん。ここに黒の長髪で顰めっ面をした男や、
禿頭の悪人面な奴は来なかったかい?」
アデーラは少し考えた。
やがて、申し訳なさそうに首を横に振る。
「いいえ。私もつい先ほど到着したばかりでして。……残念ながら」
「……そうですか」
グレイが小さく呟く。
アデーラはグレイへ目を向けた。
その表情が少しだけ柔らかくなる。
「きっと大丈夫ですよ」
「……」
「医療教会の狩人たちが、今もこの状況に対処するために頑張ってくれていますから」
グレイはその言葉を聞き、僅かに頷いた。
「……はい」
「どなたか怪我をされた方や、気分が悪い方がいらっしゃれば、仰って下さい。
多少ながら、医術の心得がありますので」
「ああ。その時は頼む」
「ええ」
アデーラは穏やかに微笑んだ。
「貴方たちに《血の加護があらんことを》」
そう告げると、アデーラは再び倉庫の中へ戻った。
先ほどまで中断していた目録や在庫の確認を再開する。
「これからどうしましょうか?」
ルヴィアが獅子劫を見る。
「とりあえずは休息しよう。Ⅱ世たちが戻ってくるかもしれねえ」
「拙はもう少し、他の人にお話を伺ってきます」
「……あの様子じゃ、厳しそうですわよ」
ルヴィアは先ほどの市民たちを思い出し、悩ましげに溜息を吐いた。
「それでも、何か分かるかもしれません」
グレイはそう言って、教会の広間へ目を向けた。
「俺は車から装備を移してくる」
獅子劫は入口の方へ目を向ける。
「獣除けの香が焚いてあるみたいだが、どれほど効果があるのか知れないしな」
「では私も、入口付近に簡単な結界でも張っておきましょう。
害意のある者に反応する程度ではありますが」
「ああ、頼む」
三人は、それぞれの準備に入るため倉庫を後にした。
獅子劫とルヴィアは入口へ向かう。
グレイはもう一度、倉庫で作業するアデーラの姿を見やると、二人の後へ続こうと脚を進めた。
だが、広間へ出ようとしたところで、ふと足を止める。
「……?」
視界の隅で、何かが動く気配を感じた。
グレイはそちらへ顔を向けた。
壁際。
人の行き交う場所から少し外れたところに、薄汚れた襤褸が積み重なっている。
元は真紅だったのだろう。
しかし今では埃と汚れに覆われ、その色もほとんど残っていない。
その中に、何かが丸まっており、よく見ると僅かに動いている。
「っ!?」
グレイは反射的に足を止めた。
襤褸の中から、小さな笑い声が漏れる。
「ヒヒッ…ああ、驚かしてすまないね、お嬢ちゃん」
「……」
布の隙間から、男が顔を覗かせた。
痩せ細った体、伸びた髪。
頬はこけ、肌には汚れが染みついている。
男は床に伏せるような姿勢のまま、グレイを見上げていた。
「ヒッ……ヒヒ」
「……あの、あなたは?」
グレイが尋ねると、男は少しだけ目を細めた。
「オレかい?」
周囲を気にするように、男が広間へ視線を向ける。
他の人間がこちらを見ていないことを確かめると、声を落とした。
「オレは、ただの浮浪者さ」
男は自分の襤褸を指先でつまんだ。
「追い出されないように、こうして隅に縮こまっているんだ」
「追い出される……?」
「あぁ、ここらを塒にしてるんだ」
男は教会の中を見回した。
「オドン教会の内は安全さ。獣除けの香も、たんまり焚いてある」
そこまで言ってから、男はグレイへ視線を戻す。
「……こんな子供まで巻き込まれちまうなんてな」
男は悩ましそうな顔でグレイを見つめていた。
「…あんまりオレに話かけない方がいい。他の人に見つかると君まで咎められてしまう」
この男は、少なくとも自分たちを追い払おうとはしていない。
むしろ、自分が近づくことでグレイまで
周囲から責められることを心配しているようにもみえた。
「……あなたは、悪い人ではないのですね」
男は困ったように笑った。
「オレはただの浮浪者さ。善人だなんて言われるほど立派じゃないよ」
そう言ってから、自分の纏っている襤褸へ目を落とす。
「拙はグレイといいます。…あなたは?」
「オレなんかに名乗ってくれるのかい?…お嬢ちゃんは優しい子なんだね」
赤茶けた布の端を、指先でつまんだ。
「オレには名前がないんだ……そうだな」
男は少し考えた。
「……赤布とでも呼んでくれるかい?ヒッ、ヒヒ」