『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 封印都市ヤーナム』 作:丹波りん
帰還の道程は順調だった。
襲ってくる獣は、車輪の男が発見次第、ひき潰してゆく。
こちらの指示というよりは、まるでそのようにプログラムされているかの如く、
的確に、そして容赦なく処理していった。
Ⅱ世はその様子に顔を顰めながらも、旧市街の上層へと向かっていく。
やがて、以前通った道へと差し掛かった。
「……やはり、ここもか」
かつて崩れていた道や建物が、
まるで最初からそうであったかのように、その姿を取り戻している。
異常な現象であることに変わりはない。
それでも今は、立ち止まって調べている余裕はなかった。
しばらく進むと、来るときに通り抜けた大きな教会の前へ辿り着いた。
名の知れぬ教会。
一度は聖杯教会なのではないかと考えた、その場所だった。
扉を慎重に開けて内部へ入った途端、炎の匂いが鼻を突く。
そして、その正体を目にしてⅡ世は足を止めた。
巨大な獣が、磔にされている。
その骸には未だ炎が燻り、黒く焦げた身体から僅かな煙が立ち昇っていた。
「……」
これまで見てきた獣とは、体格が違い過ぎる。
だが、その姿や輪郭には似通った点も多い。
――この巨大な獣すら、かつては人であったというのか。
人を獣へと変貌させる血の医療。
かつて灰血病の治療と称して旧市街の市民へ施されていた医療は、
やがて《獣の病》という新たな病の温床となった。
血を施していた医療教会ですら対処できなくなるほどに。
ひとつの街を焼却してなお、探求を続けた彼らの執念は並々ならぬものだった。
ビルゲンワースがトゥメルの地下遺跡から地上へと持ち出した《聖体》。
あの祭壇で朽ち果てていた異形の死骸。
それを取り囲む聖歌隊。
そして、頭上に広がっていた暗黒の宇宙――星々の渦。
夢の先、異なる領域へと手を伸ばしたメンシス学派。
分かたれた組織、それぞれが別の方法で求めたもの。
――いったい彼らは、そこから何を見出し、何を求めたのか。
(……ビルゲンワースか)
かつては歴史や考古学を学ぶための学び舎だった場所。
そして、その学長であるウィレーム。
ルヴィアが夢を見たときに聞いたという言葉が、ふと脳裏に蘇る。
(……《情けない進化は、人の堕落だ》…か)
進化。
獣に至る肉体の変異。
だが、理性を失い獣へと成り果てることが、彼らの望んだ進化ではないはずだ。
獣への進化が堕落だというのならば、それとは別に、彼らが求めた先があったはずだ。
(……ビルゲンワースを調べてみる必要があるな)
だが、これまでの探索では、その学び舎へ赴く方法を記したものは見つかっていない。
この広い都市の何処かに、入口へと続く道があるはずだ。
(……どちらにしても、戻ってからになるか)
逸れてしまったグレイたちのことも気になる。
無事でいてくれればいいのだが――。
Ⅱ世が思考に耽っている間に、車輪の男は付近の獣を処理し終えたらしい。
いつの間にか、教会内に磔にされた獣の前で佇んでいる。
「……終わったのか。では、そろそろ移動するか」
Ⅱ世が再び歩き出そうとしたときだった。
車輪の男が、何処かへ視線を向けていることに気づく。
「……なんだ。向こうに何かあるのか?」
訝しみながら、その方向へ向かう。
すると、建物の隅に、燃え残ったのか周囲が黒く焦げた物入れが目についた。
近づいて錠前を確認すると、どうやら鍵は掛かっていないらしい。
慎重に蓋を持ち上げ、中身を確認すると、
中には、松明らしきものが入っていた。
「……何故、松明なんかを大袈裟に入れてあるんだ?」
持ち上げ、観測するも、普通の松明にしか見えない。
魔力を通してみても、変わったところはない。
だが、先端の部分には妙な液体が染み込んでいた。
燃料の油とは違う。
どこか甘い香りにも似た、独特の匂いがする。
「…これが何なのか、知っているのか?」
問い掛けても、やはり車輪の男は言葉を発しない。
分かっていたこととはいえ、Ⅱ世は小さく溜息を吐いた。
「はぁ……まぁいい」
辺りは下層の街と違い、徐々に視界が明確になってきているが、
それでも、未だランタンの灯りだけでは心許ない。
使える物は使うべきだ。
Ⅱ世は松明に魔術で火を灯した。
すると、辺りに奇妙な匂いが立ち込める。
(……何処かで嗅いだ覚えがあるな……だが、何処だったか…)
記憶を辿る――あの香炉。
確か、オドン教会に残されていた香炉から、僅かに同じ匂いがしたはずだ。
だとすれば、教会に残されていることといい、何かしらの宗教的な品なのだろうか。
松明の炎に照らされ、教会内の奥まで見渡せるようになる。
だが、視界が晴れたということは、
こちらの位置も獣から容易に発見されるということでもある。
「今まで以上に慎重に進む必要があるな」
柱の陰に生じる死角や、曲がり角の先に注意を払いながら、
再び拠点へ向かうため、Ⅱ世たちは歩を進めた。