『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 封印都市ヤーナム』 作:丹波りん
旧市街の至る所から、煙が揺らめいている。
夜分だというのに、立ち上る炎が空を照らし、
まるで夕刻であるかのように、旧市街を茜色に染め上げていた。
車輪の男を先頭に、Ⅱ世は煙の奥や壁際など、
見落としやすい死角に注意しながらも歩を進めていた。
簡易ながら、魔術で治癒を施した身体は痛みこそ鈍いが、回復したわけではない。
無理をすれば、動けなくなる。
幸いなことに、この男は戦闘では頼りになる。
意思疎通ができないのは難点ではあるが、今は頼るより他になかった。
開けた場所へ辿り着いたとき、辺りは十分に明るく、目視するための光源は必要ないだろう
そろそろ松明の火を消そうとしたところで、瓦礫の陰から
獣がこちらの様子を窺っていることに気づく。
「……っ!?」
(見落としたか!?)
咄嗟に松明の炎を獣へ掲げる。
すると獣は唸りながら後退した。
「……なんだ?」
それ以上、獣はこちらへ近づこうともせず、建物の陰へ身を潜める。
(獣らしく炎を恐れている……いや、周囲にも炎は燻っている。なら、この松明の匂いか?)
独特の甘い香りが周囲に漂う。
すると、潜んでいたらしい獣たちが縮こまるように身を伏せた。
その中には、まだ人の外観を残した二足歩行の獣もいる。
それらは手で顔を覆うようにして、暗がりへと消えていった。
「……獣除けの松明か……」
獣の病が蔓延した街だ。
このような品が作られたとしても不思議ではない。
ここまでの効果があるとは思いもしなかったが、
…これで少しは安全に進めるかもしれない。
そう考えた、そのときだった。
視界の端で、車輪の男が蹲った獣へ武器を振り下ろそうとする。
直後、連続した銃撃音が響き渡った。
車輪の男の身体が一瞬で蜂の巣となり、そのまま地面へ倒れ伏す。
断末魔を上げながら、その身体は青白い霧となって消滅した。
「なっ!?……っ」
咄嗟に建物の壁裏へ身を隠す。
すると、遠くから声が響いてきた。
「狩人よ、警告は読まなかったのか?
引き返したまえ
旧市街は獣の街、焼き棄てられて後、ただ籠って生きているだけ
上の人々に、何の被害があろうものか
引き返したまえ……さもなくば、我々が君を狩るだろう」
「いったい何のことだ!?」
たまらず大声を上げる。
だが、再び銃撃が壁へ叩き込まれた。
砕けた外壁や石畳が弾け、辺りへ飛び散る。
焦燥を浮かべながらも、Ⅱ世は絶叫するように答えた。
「話を聞け!! 私は狩人ではないし、そのような警告など、見ても聞いてもいない!!」
暫く沈黙が続く。
頼りにしていた護衛を失ったことに、Ⅱ世の内心は穏やかではなかった。
そして、ヤーナムへ来てから初めて聞いた声の主が、
何を勘違いしているのか、こちらを機関砲らしき物で狙ってきている。
…松明のおかげで付近の獣は襲ってこない。
それでも、自分の命など簡単に奪える存在がすぐ傍にいるというのに、
丸腰でこの場に縫い付けられるなど冗談ではない。
「……待っていろ。妙な真似はするな」
暫くして、一人の男が姿を現した。
年齢は五十を越えているように見える。
身に纏っているのは、煤や埃にまみれた古びた外套。
その下にも幾重かの衣服を重ねているらしく、全体的に厚手で重々しい。
頭には帽子を被り、顔には長い年月を刻んだ皺が深く刻まれていた。
その姿は、この荒廃した街に長く留まっていた者のようにも見える。
だが、何より目を引くのは、その手に握られた大型の銃だった。
こちらへ銃口を向けたまま、男は警戒を解こうともせず、じっとⅡ世を見据えている。
その眼差しには、長い年月を生き延びてきた者だけが持つ、鋭さと疲労が同居していた。
「……狩人には見えないな。……何処から入りこんだ?」
「……下層から戻ったばかりだ。こちらを通ったときには、
警告らしきものなど見当たらなかったぞ」
「……」
「……この都市は滅んだはずだ。お前は何者だ? いったいどうなっている!?」
捲し立てるように詰め寄る。
だが、目の前の男はこちらを観察するような視線を寄こすだけで、質問に答えようともしない。
苛立ちが募る。
「……ついてこい。この場に留まるのは、彼らを余計に刺激するだけだ」
男はそう言うと、踵を返すように歩いてゆく。
Ⅱ世は他に選択肢もなく、警戒しながらも男の後へ続いた。
辿り着いた時計塔の梯子を、息を切らしながらも登り終えと、
再び男へ詰め寄ろうとしたが、脚の痛みに耐えきれず、その場に膝をついた。
「……怪我をしているのか? 狩人でもない者が、何故このような場所へ来た?」
「……この都市で何が起きたのか、仲間と調査に来ただけだ」
Ⅱ世は男を睨みつけるように、言葉を続けた。
「こちらの質問にも答えて貰おう。……我々が訪れたときには、
既に此処は廃墟となっていた。数日間滞在していたが、人も獣も見るのは初めてだ!
……いきなり銃撃をしてくるなど、何を考えている!?」
男は考え込むように暫く黙っていた。
やがて、ゆっくりと言葉を返す。
「……確かに旧市街は滅びたも同然だが、ヤーナムの都市そのものが既に滅びていたとはな」
男は物思いに耽るように、この都市で起きたことを語り始めた。
既に知っている事柄もある。
だが、これまでに得た情報と、この男の証言を合わせれば、それが事実であることは間違いないだろう。
しかし、その中には無視できない事柄もあった。
男は組織が出来た頃の古い元狩人であり、使命のままに獣を狩り続けた。
幾夜も、獣狩りの夜が訪れる度に、率先して己たちは武器を振るっていた。
そして狩り続けるうちに、自らの内に疑念が生じるようになった。
我々狩人が獲物にしているモノたちは、本当に狩るべき存在なのか。
彼らと我ら、いったい何が違うというのだ。
その疑念を内に留めながらも、己の仕事を全うしていった。
――医療教会が、市街に取り残された住民共々、街に火を放つまでは。
「……貴公は、獣だというが……あれは……やはり人だよ……」
男の言動からは、どうにも獣を庇っているようにも聞こえる。
「……人を襲い、血肉を喰らう者を、お前は未だに人だというのか」
「……ここの者たちは、上へ向かうことはない。ただ、静かに過ごしているだけだ」
男は都市へ続く扉を塞ぎ、自らは狩り続けた者たちへの贖罪のためにこの場に留まり、彼らを見守っているのだという。
「……お前の信条に理解は示さないが、こちらとしても無用な戦闘は避けたい。私たちは、あくまで調査に来ただけだ」
「……そのようだな……連れのことは詫びよう。だが、こちらに住む者が無残に殺されるのを止めるには、ああするしかなかったことも理解して頂こう」
――やはり、この男はいまだに獣と化した者を人だと信じている。
最早、人に戻れる術などないだろうに。
結局、あの車輪の男については何も分からないまま消滅してしまった。
こちらが一方的に使役してしまったようで、今更ながら申し訳なさが浮かぶ。
「……ヤーナムを調べているといったな。詫びになるかは分からんが、調べるのなら、全ての始まりであるビルゲンワースへ赴くのがいいだろう」
市街地へと続く道の脇に、目立ちにくい通路がある。
その先は古い観測所へと続き、階段を下ると医療教会が禁域指定した深い森が広がっており、最奥には古い記録が残る、かつての学院が残っているという。
「……禁域の森への入口は閉ざされている。警句を知る者だけが、通ることを許される」
「……特定の文言を利用した封印術式のようなものか。……で、その警句とは?」
男は過去へ思いを馳せるように、その言葉を呟いた。
「……ローレンスはウィレームの警句を守らなかったのだろうか……いや、今更の話か」
医療教会を立ち上げた初代教区長ローレンス。
かつてビルゲンワースで学び、学長ウィレームの師事を受けた人物。
だが、思想の違いからか袂を分かたれた。
――後は、貴公が知ってのとおりだ。
血の医療は別の病を齎し、この街は滅んだ。
「……《かねて血を恐れたまえ》……」
去り際に伝えられ、そして守られることのなかった警句だ。
それを知る者は、私みたいな古い狩人か、医療教会の上位の立場の者だけだろう。
男は市街地へと続く道を眺めると、そこまでは安全に届けると約束する。
だが、二度とこの場所には戻らないようにも忠告された。
「私の連れは、こちらに来てはいないか? 途中で逸れてしまったのだが」
身形や特徴などを伝えるも、残念ながら出会ったのはⅡ世だけだという。
「……見かけたら、その者たちも市街地までは送り届けよう」
「……最後に、ひとつ聞きたい」
「……なんだ」
「お前の名を聞いていなかった」
男は古い証を懐から取り出すと、それを見つめながら答えた。
「……デュラだ。古狩人のデュラ……最早、名など何の意味もありはしないがな」
そう言い残し、Ⅱ世を伴って、市街地へと続く道を進んで行く。
やがてⅡ世たちの姿が煙の向こうへ消えていくと、旧市街には再び静寂が戻っていった。
ただ、遠くで燻る炎だけが、かつてこの場所で起きた惨劇を静かに照らし続けていた。