『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 封印都市ヤーナム』 作:丹波りん
大砲の傍らで話し合いを続けるⅡ世たちを後にして、
獅子劫は石造りの風車小屋へと目を向けた。
「……こっちも調べてみるか」
「私も行きますわ。外から眺めているだけでは、何も分かりませんもの」
ルヴィアも当然のように後へ続いた。
二人は入口をくぐり、ランタンの灯りを頼りに内部を見回すと、
外観から想像していた以上に、建物の中は複雑な造りをしている。
壁や床には古びた木材が組まれ、大小の歯車や軸が幾重にも重なっている。
風車を動かすための機構なのだろう。
だが、長い年月を経て動きを止めたそれらは、
今では用途を推し量ることさえ難しかった。
頭上には木組みの足場が折り重なり、薄暗い空間の奥へと続いている。
ランタンを掲げても、光が届くのはほんのわずかな範囲だけだ。
足元に気を配りながら進んでいくと、やがて下層へと続く階段が見つかった。
階段の先には、外へ通じているらしい開口部がある。
そこから差し込む月明かりが、暗がりの中に細い光の筋を落としていた。
「下にも道があるようですわね」
「みたいだな まぁ先に上を調べてみようぜ」
出口の先がどこへ続いているのかは気になるものの、
まずは外の様子を確かめたい。
二人は階段を後にし、さらに上へと進んでいく。
入り組んだ足場を抜けた先で、ようやく外を見渡せる場所に出た。
二人はそこで足を止めた。
眼下には、月明かりに照らされた森が広がっている。
木々は途切れることなく連なり、斜面を覆い尽くすように生い茂っている。
ここまで歩いてきた道も、点在する廃屋も、
今いる場所からでは森の中に埋もれた小さな一角でしかなかった。
その先にも、さらに奥にも、木々の連なりが果てしなく続いている。
見晴らしのいい場所に出たはずなのに、視界に入るのは森ばかりで、
その広がりを見極めることすらできなかった。
「……まだ、こんなに続いてんのかよ」
獅子劫は思わず溜息をついた。
ようやく高い場所から周囲を見渡せたというのに、
見えるのは果ての知れない森ばかり。
禁域と呼ばれるだけの理由があるのだろうが、
これほどの広さを踏破しなければならないとなると、先の道程を思うだけで気が重くなる。
「せっかく見晴らしのいい場所に出られましたのに、森の終わりすら見えませんわね……」
ルヴィアも眉を寄せ、木々の向こうへと目を凝らした。
その視線を追うように、獅子劫もさらに遠くへ目を向ける。
すると、枝葉の隙間に、月明かりを受けて淡く輝くものが見えた。
水面だった。
森の奥に大きな湖が広がり、その畔には建物がひとつ、
周囲の木々に囲まれるようにして佇んでいる。
遠く離れているにもかかわらず、村で見てきた家々とはまるで違うことが分かった。
あの村の民家は、木材や石を寄せ集めたような粗末な造りばかりだった。
対して、湖畔の建物は重厚な石造りで、屋根には丸みを帯びた
特徴的な輪郭が浮かび上がっている。
朽ちた民家が並ぶ村とは異なり、古い学び舎を思わせる風格があった。
細かな造りまでは見て取れない。
それでも、あの建物だけは周囲の景色から明らかに浮いていた。
「……あれが、ビルゲンワースか」
獅子劫が呟くと、ルヴィアも目を見開いた。
「おそらく、そうでしょうね。ようやく見つけましたわ」
その声には、安堵が滲んでいた。
ここまで手掛かりを追い、先の見えない森を歩き続けてきたのだ。
目指す場所らしき建物をようやく視界に捉えられたことは、二人にとって大きな前進だった。
だが、喜びも束の間だった。
湖畔の建物までの間には、まだ広大な森が横たわっている。
あそこまで辿り着くには、結局この森を抜けなければならないのだ。
「見つかったのはいいが……あそこまで、どれだけかかることやら」
「ええ。道が分かっているわけでもありませんし、簡単には辿り着けそうにありませんわね」
ルヴィアの言葉に、獅子劫も苦笑するしかなかった。
目的地が分かったところで、そこへ至る道まで見つかったわけではない。
獅子劫は湖畔の建物をもう一度見据え、それから森の広がりへと視線を戻した。
***
そのとき、木々の間で何かが動いた。
はじめは、枝葉が風に揺れたのかと思った。
だが、動いているものはあまりにも大きく、木々の間を横切るようにゆっくりと移動している。
「……あん?」
獅子劫は目を凝らした。
森の奥を這う黒ずんだ塊。その輪郭は木々に遮られ、はっきりとは見えない。
折り重なった枝のようにも見えたが、次の瞬間、塊の表面が波打つように蠢き、
そこから細長い影がいくつも伸びた。
枝に見えていたものは無数の大蛇だった。
太い蛇の胴体が幾重にも絡まり、互いの身体を巻き込むようにして、一つの塊を成している。
その隙間からは、大小さまざまな頭がいくつも突き出していた。
ある頭は周囲を探るように持ち上がり、別の頭は地面すれすれを這う。
無数の蛇がそれぞれ別の方向へ動いているというのに、
その全体もまた一つの生き物として森の中を進んでいた。
幾本もの蛇身がうねるたび、周囲の草木が押し分けられる。
木々の陰に隠れてなお、その異様な大きさは隠しきれなかった。
「……なんだ、ありゃ」
獅子劫の口から、思わず呟きが漏れた。
隣で、ルヴィアが息を呑む。
「……蛇、ですの? あれが……全部?」
遠目にも、ひとつの生き物とは思えない姿だった。
何匹もの大蛇が絡まり合い、巨大な塊となって蠢いている。
いくつもの頭が別々に動く様は、異様という言葉だけでは片づけられない。
「…まさかヒュドラじゃねぇだろうな だとしたら厄介なんてもんじゃねぇぞ」
獅子劫は目を離せなかった。獣とも違う。
これまでに見てきた異形とも、明らかに様相が異なる。
あれほどの怪物が、この森を徘徊しているとは思いもしなかった。
ようやく見つけたビルゲンワース。
その湖畔へ至るには、眼下に広がる森を抜けなければならない。
だが、あの怪物がいる以上、ただ道を進めばいいというわけにはいかなかった。
見つからずに通り抜けられるのか。迂回できる道はあるのか。
それとも、森にはあれ以外にも同じような怪物が潜んでいるのか。
考えるべきことが一気に増えた。
「……こりゃ、進み方を考えねえとな」
獅子劫は森の奥をもう一度見据えたあと、ルヴィアに目配せした。
「いったん戻ろう。Ⅱ世たちにも話しておいた方がいい」
「そうですわね。あのようなものがいると分かった以上、慎重に進む必要がありますわ」
二人は来た道を引き返した。
内部へ戻ると、先ほど確認した下層への階段が目に入った。
その先の出口からは、変わらず月明かりが差し込んでいる。
獅子劫は一瞬、足を止めた。
「……そういや、下にも外へ出られる場所があったな」
「ええ。森の方角に開いているようでしたわね」
上層から見た森と、出口が向いている方角。確かに、同じ方向を向いていた。
「さっき見た森に繋がってる可能性もある。別の場所へ抜けられるなら、
ビルゲンワースへの道を探す手掛かりになるかもしれねえ」
出口の先がどこへ続いているのかは、まだ確かめていない。
だが、森へ通じているのなら、別の道を探る手掛かりになる可能性はある。
「……下も調べるべきか?」
「気にはなりますけれど、先に先生へ報告するべきではありませんこと?
あの怪物のことも、出口のことも、皆で情報を共有してから判断した方がよろしいでしょう」
「そうだな、まずは合流しよう」
二人は下層への階段を後にし、ランタンの灯りを頼りに風車小屋の入口へと戻っていった。
大砲の傍らでは、残してきた二人がまだ話し合っていた。
獅子劫たちの姿を認めたⅡ世が、すぐに顔を向ける。
「……何か見つけたのか?」
獅子劫は森の奥へ目を向けたまま答えた。
「森の先に湖があった。その向こうに建物も見えた。おそらく、ビルゲンワースだ」
目的地を見つけたという報告に、Ⅱ世の表情がわずかに動く。
だが、獅子劫は安堵させるような言葉を続けなかった。
険しい顔のまま、森の方角を顎で示す。
「ただし、あの森には……とんでもないものがいる」