『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 封印都市ヤーナム』 作:丹波りん
グレイに声を掛けられ、Ⅱ世とルヴィアは振り向いた。
「師匠」
「どうした、グレイ」
「……あちらを」
グレイが指した先では、獅子劫が医療用カーテンの前に立っていた。
Ⅱ世とルヴィアは獅子劫のもとへ歩み寄った。
そして、カーテンの向こうを覗く。
「……」
そこにあったのは、古びた手術台だった。
手首、足首、胴体。
それぞれを固定するための頑丈な器具が取り付けられている。
周囲には医療器具に似た金属製の道具が並び、床や手術台には黒く変色した古い血痕が残されていた。
何度も拭き取られた跡がある。
それでも消え切らなかった血の染みが、あちこちに残っていた。
「……これは」
ルヴィアが眉を寄せる。
Ⅱ世は黙って手術台を見つめていた。
脳裏に浮かぶのは、先ほど読んだ院長の手記。
血を投与された患者。
身体に生じた変化。
番号で管理された記録。
そして、結果が出なかった患者の処分。
「手記にあった設備と一致する」
Ⅱ世が静かに口を開いた。
「血を投与し、その経過を観察していた場所と考えるのが自然だな」
「治療のための設備というより……実験のための設備ですわね」
ルヴィアが固定具へ視線を向ける。
「ああ」
Ⅱ世は頷いた。
「院長はここで、患者を治療するという名目のもと、血を使った実験を行っていた可能性が高い」
獅子劫が手術台を見回す。
「じゃあ、その手記に書かれていたことは、少なくともここで実際に行われていたってわけか」
「その可能性は高い」
Ⅱ世は答えた。
「ただし、どこまでが院長の独断だったのか、あるいは医療協会そのものと関係していたのかは、まだ分からん」
「そこは引き続き調べる必要がありますわね」
ルヴィアが周囲を見回した。
「ええ。何か残されているかもしれません」
四人はそのまま、手術台を中心に周囲の探索を始めた。
獅子劫が手術台の脇へ目を向ける。
その視線が、床に立てかけられていた一本の杖で止まった。
「ん?」
金属製の杖だった。
細身ではあるが、普通の杖にしては妙に重厚な造りをしている。
表面はくすみ、長い年月を経ていることが見て取れた。
「杖……ですか?」
グレイが尋ねる。
「みたいだな」
獅子劫が手に取る。
ずしりとした重みが手に伝わった。
獅子劫は杖を持ち上げ、表面を調べ始めた。
持ち手側に、奇妙な留め具がある。
「……なんだ、これ」
指先で軽く触れた。
カチリ。
「……?」
小さな音がした。
直後、杖の内部から金属が擦れる音が響く。
ギギギギ――。
「なんだ!?」
獅子劫は咄嗟に杖を手放し、離れた場所へ放り投げた。
直後。
一本だった杖が、内部から弾けるように展開した。
柄から伸びていた金属部分が次々と分岐していく。
そして――。
ガシャガシャガシャッ!
無数の刃が姿を現した。
「……!」
グレイが目を見開く。
それは、もはや杖とは呼べない。
無数の刃を連ねた金属の塊。
刃同士が細かな機構によって繋がり、鞭のようにしなる形状へ変化している。
「……変形機構」
Ⅱ世が目を細める。
「杖に見せかけて、武器として使うものだったようですわね」
ルヴィアも慎重に観察する。
刃は酷く傷んでいた。
表面には血錆が浮かび、ところどころ欠けている。
「長い間、血に晒されていたようだな」
獅子劫が言う。
「それだけじゃない。刃そのものもかなり傷んでいる」
Ⅱ世は連結部分へ視線を向けた。
「一本の武器として固定するのではなく、連結した刃を可動させる構造か」
「鞭のように振り回すため?」
グレイが尋ねる。
「そう考えるのが自然だろう」
Ⅱ世は頷いた。
「通常の剣とは違い、攻撃の軌道を変えやすい。間合いも取りやすいだろう」
ルヴィアが刃を見つめる。
「この形状……獣を相手にすることを想定しているのでしょうか」
Ⅱ世は連結した刃を観察する。
「その可能性は高い。通常の剣や槍とは違って、間合いを変えながら広い範囲を攻撃できる。相手の動きが予測しにくい場合には、こうした構造にも意味がある」
獅子劫が武器へ視線を落とした。
「獣を相手にするために作られたってことか」
「ああ。少なくとも、人間同士の戦いだけを想定した武器には見えない」
ルヴィアが頷く。
「そうなると、医療協会の狩人が使用していた可能性が高そうですわね」
「そうだな」
Ⅱ世も同意する。
「ルヴィアが見つけた本には、獣を処理するために狩人が存在していたとあった。この武器も、その役目を担う者のために作られたと考えるのが自然だろう」
獅子劫が刃の状態を改めて見る。
「それにしても、随分と使い込まれてる」
「血錆の量から考えても、実際に何度も使われていた可能性がありますわね」
「問題は、なぜこれが院長室に残されているのかだ」
Ⅱ世が手術台へ視線を戻す。
「院長は以前から医療協会の狩人と接点を持っていた。患者の手記にも、狩人がこの診療所へ訪れていたことが記されている」
Ⅱ世は一度、血錆に覆われた刃へ視線を戻した。
「ならば、この武器がここにあること自体は不自然ではない。問題なのは、なぜ狩人の武器がこの場所に残されているのかだ」
「……狩人が患者を連れ出したり、獣を秘密裏に処理していたことを考えれば、何らかの目的で院長のもとに置かれていた可能性もありますわね」
ルヴィアが言う。
「あるいは、院長が何らかの理由で保管していたのかもしれない」
獅子劫が刃を眺める。
「どちらにしても、患者を治療するだけの診療所に置いておくような物じゃねえな」
「その通りだ」
Ⅱ世が頷く。
「手記と、この場所に残された物。それぞれを照らし合わせていけば、狩人と院長の関係についても、何か見えてくるかもしれない」
四人は改めて、血錆に覆われた無数の刃を見つめた。
それは単なる古びた武器ではない。
この都市で獣を狩っていた者たちと、この診療所で行われていたこと。
その二つを繋ぐ、重要な手掛かりになる可能性があった。
「ひとまず、構造を記録しておこう。持ち出すかどうかは、その後で判断する」
Ⅱ世が言った。
獅子劫が頷く。
「了解だ」
「拙も記録を手伝います」
グレイも続いた。
四人は再び、古びた武器へ目を向けた。
血錆に覆われた無数の刃。
それは、この都市に存在する狩人という者たちが、何を相手にしていたのか。
その一端を物語る品なのかもしれなかった。