『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿 封印都市ヤーナム』   作:丹波りん

9 / 12
第九話 乾いた銃声

 薄暗い夜道を歩いていた。

 

 目的地は分かっている。

 

 ヨセフカ診療所。

 

 隣には相棒がいた。

 

 いつもなら何かしら軽口を叩く奴だ。

 

 だが、今日は黙ったままだった。

 

 横目で見る。

 

 顔が憂鬱そうに曇っている。

 

「そんなツラしてたら、獣より先にお前が病気になるぜ」

 

 軽く笑いながら言ってやる。

 

 相棒の反応は鈍い。

 

「……そういう仕事だろ」

 

 返ってきたのは、それだけだった。

 

「違いねぇ」

 

 俺も笑った。

 

 まあ、仕方がない。

 

 こんな仕事を続けていたら、気分も滅入るってもんだ。

 

 夜のヤーナムは静かだった。

 

 遠くから酒場の喧騒が聞こえる。

 

 どこかで犬が吠えている。

 

 それ以外は、妙に静かだ。

 

 しばらく歩くと、目的の建物が見えてきた。

 

 診療所。

 

 俺は咥えていた煙草を吐き捨て、靴先で火を消した。

 

 扉を開ける。

 

 中へ入る。

 

 無駄口は叩かない。

 

 余計なこともしない。

 

 寄り道もしない。

 

 一直線に病室へ向かう。

 

 廊下を進む。

 

 消毒液の臭い。

 

 薬品の臭い。

 

 そして、微かに混じった血の臭い。

 

 病室の扉を開ける。

 

 そこに患者がいた。

 

 昼間に見たものと同じ。

 

 拘束具の付いた担架に寝かされている。

 

 身動き一つしない。

 

 その傍らには、院長が立っていた。

 

 こちらを見る。

 

 口元には、胡散臭い笑み。

 

 見た目だけなら、若くて美人で、いい女だ。

 

 媚びてくるなら、抱いてやってもいい。

 

 だが。

 

 メンシスだ。

 

 メンシス学派の女。

 

 イカレた気狂い集団だ。

 

 関わりたい相手じゃない。

 

「こいつか」

 

 声を掛ける。

 

「ええ」

 

 院長は短く答えた。

 

 それだけで十分だった。

 

 だが。

 

 こちらへ向けられた視線だけが、冷たかった。

 

 笑っている。

 

 なのに、目が笑っていない。

 

 俺はそれ以上何も言わなかった。

 

 相棒と二人で担架を運ぶ。

 

 廊下を抜ける。

 

 裏口を出る。

 

 診療所の裏庭には、小さな墓石がいくつも並んでいた。

 

 妙に整然としている。

 

 まるで、誰かに見せるために並べたようだった。

 

 患者は身動き一つしない。

 

 薬が効いている。

 

 担架から患者を降ろす。

 

 この時ばかりは、いつも緊張する。

 

 拘束を外さなければならない。

 

 もし目を覚ましたら。

 

 もし、すでに獣化が始まっていたら。

 

 相棒がすぐに対処できるよう、横目で様子を確認する。

 

 幸い。

 

 患者は、おとなしいままだった。

 

「……よし」

 

 思わず息が漏れた。

 

 俺は斧を構える。

 

 分厚い刃。

 

 人間の頭蓋を叩き割るには十分すぎるほどの重量。

 

 目の前にいるのは、まだ人間に見える。

 

 少なくとも、外見だけなら。

 

 だが。

 

 兆候はあった。

 

 それだけだ。

 

 俺は斧を振り上げた。

 

 そして。

 

 振り下ろす。

 

 鈍い感触。

 

 血が飛び散った。

 

 念のため、もう一度。

 

 斧を振る。

 

 地面へ赤いものが流れていく。

 

 俺たちは、獣になりかけた死体を担ぎ上げた。

 

 そのまま、裏庭の奥にある大穴へ投げ捨てる。

 

 暗闇の底へ、身体が落ちていく。

 

 音はすぐに聞こえなくなった。

 

「終わりだ」

 

 それで今日の仕事は終わりだった。

 

 こんな日は、下街の娼館にでも行って憂さ晴らししたい気分だった。

 

 だが、相棒は相変わらず無口だった。

 

 別の日の夜だった。

 

 獣が逃げ出した。

 

 俺たちは追っていた。

 

 挟み撃ちにするため、暗い裏道を二手に分かれて進む。

 

 足音。

 

 荒い息。

 

 獣の臭い。

 

 次の瞬間。

 

 暗闇から鋭い爪が襲ってきた。

 

「ッ!」

 

 避けるには道が狭すぎた。

 

 腹を抉られる。

 

 身体が吹き飛び、手にしていた武器が石畳を滑っていった。

 

 痛い。

 

 熱い。

 

 腹から何かが流れ出している。

 

 獣の臭い息が間近に迫る。

 

 まずい。

 

 死ぬ。

 

 そう思った瞬間。

 

 銃声が響いた。

 

 獣が怯む。

 

 相棒だった。

 

 相棒は俺を見る。

 

 そして、逃げ出した獣を見る。

 

 一瞬だけ、視線が交わった。

 

 相棒は何も言わなかった。

 

 そのまま、獣を追って走り出した。

 

「……そうだ」

 

 それでいい。

 

 それが正しい。

 

 俺を助けるより、獣を逃がさないことを選んだ。

 

 狩人なら、それでいい。

 

 俺は懐へ手を入れる。

 

 小さなシリンダーを取り出した。

 

 月明かりを受けて、中の液体が赤く煌めく。

 

 嫌な色だった。

 

 それが何なのか、俺は知っている。

 

 血だ。

 

 血を使えば、身体は動く。

 

 だが。

 

 本当は嫌だった。

 

 これに頼るのは。

 

 それでも。

 

 死にたくはなかった。

 

 躊躇していれば死ぬだけだ。

 

「……仕方ねぇ」

 

 シリンダーを太腿へ押し当てる。

 

 注入する。

 

 瞬間。

 

 頭の奥が震えた。

 

 酩酊感。

 

 高揚感。

 

 身体中へ力が満ちていく。

 

 まるで、自分が何でもできるような感覚。

 

 腹の傷を見る。

 

 さっきまで抉られていたはずの傷が、すでに塞がり始めている。

 

 俺は立ち上がった。

 

 武器を拾う。

 

 そして、駆け出す。

 

 薄暗い路地を走る。

 

 前から相棒が獣を追い立てているのが、この暗闇の中でも遠目に見えた。

 

 獣が近い。

 

 俺は暗闇から飛び出した。

 

 武器を叩き込む。

 

 獣の身体が大きく揺れる。

 

 もう一撃。

 

 獣は潰れるように石畳へ沈んだ。

 

「ざまあみろ!」

 

 声が出る。

 

「お返しだ!」

 

 笑いが込み上げてくる。

 

「ペチャンコだ!」

 

 身体中から力が溢れている。

 

 怖くない。

 

 痛くない。

 

 何でもできる。

 

 俺は大声を上げて笑った。

 

 そして。

 

 相棒を見る。

 

 相棒は、俺に銃を向けていた。

 

 なぜだ。

 

 どうして。

 

 俺はまだ――

 

 乾いた音が、暗闇に響いた。

 

 ――パンッ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。