シュバルツバースの発生がつまるところ人類に対して如何なる訓示であったのか、あるいは警告であったのか。それは今のところわかっていないし、恐らくこの先もずっとわからないままなのだろう。だからこそのシュバルツバース調査隊であり、だからこその次世代揚陸艦、そしてデモニカスーツだったはずだ。米軍の誇る虎の子のテクノロジーの数々はひょっとしたら誰にも触れられない深淵で真実を掴んでいたのかもしれないが、誰も知らない真実に意味はない。だからその真実は今後もずっと存在しない。
レッドスプライト号を始めとするシュバルツバース調査隊が南極へ向かってから既にそれなりの時間が経過していたが、その正確な日数を憶えている人間が、果たしてこの時どれだけいただろうか。そもそも大多数の人間は調査隊の存在など知らなかったはずだし、場合によってはシュバルツバースという単語自体に聞き覚えがなかったかもしれない。関係各所はこの得体の知れない空間をそのまま得体の知れない何かとして報道することを躊躇ったはずなのだ。ひっそりと発見され、ひっそりと調査され、そしてひっそりと全容が明かされる。それが最善だと、誰もが思ったことだろう。
いや、ある意味では、それは適っていた。なぜならこの時、シュバルツバースの事を気にかけていた人間は激減していたのだから。遠く離れた地のよくわからないものより、目と鼻の先にあるよくわからないものの方が差し迫って見えるのは当たり前の事だった。
つまり、それどころではなかったのだ。
結果としてシュバルツバース調査隊の面々が帰還しない事態に眉をひそめる人間は本当に数えるほどしかおらず、大きな混乱は起こらなかった。
いや、混乱はあった。それはそうだ。あったに決まっている。ただ、それをシュバルツバースと結び付けようとした者が少なかっただけで。
だが。
考える者もいる。もしもあの時、世界中に発生している混乱とシュバルツバースを結び付けていたら、結果は変わり得たのだろうか、と。事前に防ぐ事が出来ていたのだろうか、と。
しかしその思索は既に無意味なものだった。シュバルツバースの謎は解き明かされないまま、それどころか更に解明も説明も出来ない事態が災厄として降りかかっている。わけのわからない何かではなく、明確に人類に害を与える存在として、比喩ではなく牙を剥いている。
だが、ならばこれはなんなのかと聞かれたところで、誰も答えられないだろう。わけがわからないという点であれば、目の前の危機もシュバルツバースも同じなのだ。
これは一体なんなのか?
どこから現れたのか?
どうやって?
なんの為に?
答えを知るものは、恐らくどこにもいない。
シュバルツバースの発生がつまるところ人類に対して如何なる訓示であったのか、あるいは警告であったのか。
実を言えば、知っている人間はいる。明答に至った人間は存在する。それは当然と言うべきか、シュバルツバース調査隊の面々だ。彼らはそれを知るべく南極へ向かい、そして知ったのだ。知る事が出来たのだ。
そして、更に言えば。
彼らは帰還した。シュバルツバースからこの地上へ、生きて戻ったのである。多大な犠牲を払いはしたが、それでも間違いなく、目的を果たした上で生還したのだ。
――ただし。
絶望的に手遅れだったことは、否めない。