真・女神転生 APOCRYPHA   作:DMDK

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第五章

 同行者が一頭増えたことで先日までとなにかが劇的に変わったかと聞かれれば、そんなこともなく。変わった点と言えば有紗の機嫌がやや上向きになった程度で、あとはまあ、自分と椎名達が言葉を交わす回数が減ったくらいだろう。ただしこれは、頭数が増えたこととはなんの関係もなく、単に気まずいだけだ。

 

 プランクを連れて行くことに椎名達は難色を示したが、有紗がプランクにしがみついて離れようとせず、また犬の嗅覚は悪魔の察知に役に立つかもしれないという悠介の意見もあり、最終的には渋々了承した。有紗がそれこそ跳び上がらんばかりに喜んだのは言うまでもなく、プランクの方も嫌がっているようには見えなかった――と、思う。

 

 有紗を除いて、足取りは軽いとは言い難かった。別の駐屯地を目指すとは言ったものの、そこが犬一頭を残して全滅してしまった駐屯地と同じことになっていないとは限らず、そもそもどこかに無事な駐屯地があるのかどうかすらわからないのだ。そして見つからない限り、探して歩き続けるしかないのだが――そう遠くないうちに限界が来るのは目に見えている。心が折れるのか先か、それとも食料が尽きるのが先かはわからないが。

 

 元々学校から持ち出した食料は二週間で大分目減りしており、駐屯地で新たに得た分を足しても三週間程度しかもたないだろうと菜緒は踏んでいた。もっと節制を心掛ければ一月くらいはなんとかなるかもしれないが、どちらにせよどこかでまた物資を補給しなければならないだろう。だが、その当てがあるわけでもない。

 

(なにからなにまで――)

 

 見通しが悪い。もっともそれを言うなら、いったいどうなれば目処が立ったと言えるのか、という根本的な問題に直面するのだが。

 

(色々あるけど――そうね、目下の問題は)

 

 駐屯地を出てからもあちこちで見つかる、石像だった。心なしか、目にする頻度が増えているような気さえする。

 

「――あのオッサンの言ってた、蛇の悪魔だけどよ」

 

 と、敏樹が誰にともなく言ってくる。

 

「ひょっとして、こっちの方に逃げたんじゃねえか?」

 

「こっちって、僕たちが向かってる方っていうこと?」

 

 浩一が答えると、敏樹はきょろきょろと辺りに視線をやり、

 

「ああ。なんかこう……あの駐屯地を出てから、ずっと誰かに見られてるような気がすんだよ」

 

「――なに?」

 

 と、先頭にいた椎名が振り返る。今の言葉は無視できなかったのだろう。菜緒も同じく、敏樹へと視線を向けていた。

 

「いや、気のせいかもしんねーけど……なんか、そんな感じがするんだよ」

 

 珍しく曖昧な物言いをする敏樹に、椎名は無言のまま眉根を寄せていた。なにかを考え込んでいるようにも見える。

 

「……実は、アタシも」

 

 と、京香が片手を挙げて言ってくる。驚いたように敏樹が彼女を見た。

 

「気のせいだと思ってたんだけどさ……アタシだけじゃないとなると、マジで誰かに見られてんのかも」

 

「……駐屯地を出てから、か?」

 

 敏樹と京香の姿をじろじろと見比べでもするかのように眺めながら、椎名が尋ねる。

 

「いや――出るちょっと前からかな。なんかこう、視線みたいなのがさ」

 

「……そう、か」

 

 と、椎名がちらりと視線をプランクへと向けたように見えた。つられて視線をそちらへと向けると、有紗が立ち止まったプランクの背中を擦るかのような勢いで撫でている。

 

「有紗、それじゃプランクの毛が禿げちゃうよ」

 

「はげ?」

 

 こうだよ、と悠介が正しいというか普通の撫で方を実践して見せ、有紗がこくこくと頷いている。まあそれはいいとして。

 

(誰かに、見張られてる……?)

 

 悠介に見せられた画像を思い出した。ギリシャ地方に伝わる蛇の悪魔――メデューサ。元は美しい少女でありながら怪物へと変えられたその悪魔は、視線によって人間を石にしてしまうのだという。あの駐屯地を襲ったという蛇の悪魔も、同じようにして自衛隊員や避難民を石像に変えたのだろうか。そう言えば、その辺りの具体的なことは聞いていなかった。

 

(わたしたちを……見てる?)

 

 ぞくりと、背筋が震えた。

 

 菜緒は思わず辺りを見渡したが、それらしいものはどこにも見えなかった。石像以外には、なにも。

 

 

 

 駐屯地を出て、一週間程が過ぎた。

 

 道程はまずまず順調と言えなくもない――悪魔に襲撃されることにも慣れてきたので、それを含めて順調だった。

 

 人気のない街を悪魔を警戒しながら延々と歩いていれば須く話題など尽きるものだが、それを差し引いたとしても口数は少なかった。取り分け敏樹と京香が常時なにかを警戒しているような様子で、それに釣られてか千晴と浩一もあまり口を利こうとしない。喋っているのは概ね亮と明で、それに悠介が相槌を打つか、あるいは有紗が前触れなくプランクや悠介を呼ぶ程度だった。

 

「……なあ、お前ら本当になにも感じねえのかよ?」

 

 誰に向けてのものか、敏樹が不安げな声を上げる。

 

「間違いねえよ、誰かがオレらのコト見てるって」

 

「それ、まだ続いてるの?」

 

 問い返したのは浩一だった。これまでに何度も繰り返された言葉なので、他には誰も反応を見せない。

 

「ああ、ずっとついて来やがる。どっかからオレらを見張ってんだよ……」

 

「……相澤」

 

 と、椎名が声をかけてくる――妙に久しぶりのような気がした。

 

「お前はどうだ? なんか感じるか?」

 

「ううん、わたしは特に」

 

 敏樹や京香がこの間からずっとその存在を主張している謎の視線とやらを、菜緒は一度として意識したことはなかった。それは他の面々も同様らしく、だからこそ敏樹は何度も訴えてきているのだが――

 

「あれからもう結構経つが、お前の言う視線ってやつの持ち主が現れる気配はねえ。気のせいか、そうじゃないとしても放っとけ」

 

 同じことを何度も聞かされていい加減痺れを切らしたのか、椎名がきっぱりと告げる。

 

「気のせいなんかじゃねえよ! 気のせいがこんなに長く続くかよ! クソ、てめえらオレの言ってること全然信用してねえな……!?」

 

「信用するだけの要素がねえからな」

 

 椎名が切って捨てる。

 

 敢えて挙げるとすれば、そんな嘘を言ったところで敏樹に恐らくなんのメリットもないという点だが、それにしたところで椎名の言った通り(そして敏樹と京香を除く全員が薄々と思っている通り)彼の気のせいだと考えれば済んでしまう話だ。

 

(こんな生活が続けば、過敏にもなるわよね)

 

 ひたすら歩き、悪魔を警戒し、見えるのは人のいない街並みと石像だけ。これでまったく平静を保てというのも無茶な話ではある。菜緒もそろそろ幻覚のひとつやふたつ見えてきてもおかしくない頃合いだと思わざるを得なかった。実際に、幻覚というか幻聴らしきものは聞こえる。必死に助けを呼ぶような――

 

(…………え?)

 

 足を止める。幻聴、ですって?

 

「今……なにか、聞こえなかった?」

 

「あ?」

 

「視線の次は声?」

 

 千晴と浩一が胡散臭げな視線を向けてくる。いやそうじゃなくって、と菜緒は抗弁しようとしたが。

 

「待て」

 

 椎名が立ち止まった。

 

「確かに……聞こえた気がする」

 

 それを聞いて流石に無視できなくなったのか、全員が足を止めた。きょろきょろと辺りを見回し――

 

「……ぷらんく?」

 

 有紗がプランクを見て声を上げた。見ると、プランクが首をある方へと向け、微動だにしていない。

 

「プランク……? もしかして、あっちから聞こえたの?」

 

 悠介の質問に、プランクは返事をすることなく――突然、向いていた方へと走り出した。

 

「ぷらんく!」

 

「あ、有紗! ちょっと待って!」

 

 すぐに有紗がプランクの後を追って走り出し、更に悠介が有紗を追う。菜緒は椎名を見た。

 

「追うぞ。俺たちにはよく聞こえなかったが、あの犬には聞こえたのかもしれねえ」

 

 菜緒は頷き、悠介を追って駆け出した。他の者も同じように走り出している。

 

 どうやら本気で走っているらしいプランクに有紗が追いつけるはずもなく、その差は見る見るうちに開いていった。その有紗に悠介がすぐに追いつき、そこからやや間を置いてこちらが悠介と有紗に追いつく。プランクの姿は――一応、まだ見えている。

 

 プランクとの距離は開く一方であり、このまま走っていたところですぐに見失うのではないかと危惧したが、そうはならなかった。しばらくしてプランクが立ち止まったかと思うと、なにかに――ここからでは建物に隠れて見えない――向かって猛烈に吠え立てている。

 

 やがて追いつき、菜緒はプランクの向いている方へと視線をやった。

 

 ――そこに、いた。

 

(……!?)

 

 同じようにプランクの見ていたものを確認したであろう椎名たちも、やはり息を飲むのが気配でわかった。

 

 ――駐屯地の男は、蛇のような悪魔だと言っていた。そして悠介のノートPCで見た画像では、上半身が人間の女性で、下半身が蛇のそれになっていた。だから菜緒は会ったこともないその悪魔の大きさを実際の蛇と同等か、あるいは人間と大して変わらない程度なのだろうと、そう思っていた。

 

 だが違った――その悪魔は、もっと大きかった。以前に見た牛面の悪魔程ではないが、それでも椎名と比べてすら遥かに背が高い。恐らく二メートル以上――頭頂から尻尾の先端までならば、もっとなのだが――はあるだろう。なのでその悪魔の顔を、菜緒は見上げていた。

 

 細かな差異こそあるものの、概ね画像と似たような外見だった。腰から下は蛇、上半身は人間の女性――そして頭髪の代わりに、無数の赤い蛇が頭から生えている。両目はかっと見開かれており、口には鋭い刃物のような歯が覗いていた。

 

「メデューサ……」

 

 つぶやいたのは悠介だった。他には誰も言葉を発しようとしない。呆然と、蛇の悪魔の姿を眺めている。

 

 メデューサ――としておく――はこちらを見ていなかった。もっと前方にいる、誰かを見下ろしている。

 

「よ、よせ……! 俺を見るな!」

 

 その誰かはメデューサに向けて引きつった声を上げ、少しずつ後退していた――つまり、こちらへと近づいている。菜緒は反射的に声をかけていた。

 

「こっちです! 早く!」

 

「え!?」

 

 弾かれたように、その男(男だった)が振り向く。彼からすればいきなり現れたように見えたのだろう、こちらの姿に一瞬驚いたようだったが、すぐにメデューサに背を向けて走り出し――

 

 と、なにかが光ったような気がした。次の瞬間。

 

「うっ……!?」

 

 ぴたりと、男が立ち止まった。

 

「おい……? なんだよ、なんで走れないんだよ? クソ! 放せよ!」

 

 必死の形相で上半身を動かすが、彼の足はまったく走り出そうとしなかった。その理由に、他でもない彼自身が気付いていない。錯乱しているのだろう。

 

 男の足は、石になっていた。どころかどんどん上に登っていき、すぐに男の腰までが石へと変化する。

 

「やめ、やめろ……! 俺を見るな! 畜生! やめてくれ!」

 

 腰から胸、更に首へと、変質が広がっていく。残っているのは既に顔だけだった。

 

「嫌だ、嫌だ! 俺は、戻らないと……! やめろ! 俺を、見るなぁっ!!」

 

 そして、髪の一本すら残すことなく。

 

 男の全身が石へと変わり、同時に男の叫びも止んだ。後には、怯えきった表情の石像が立っているだけだ。

 

 なんの言葉も見つからず、菜緒はその光景をただ見つめていた。プランク以外、誰もが押し黙っている――が。

 

「……散れ! 固まってんな!」

 

 真っ先に硬直から脱したのは椎名だった。言いながら既に駆け出しており、悪魔からは死角になるであろう建物の陰へと移動している。

 

「あなたたちは下がってて!」

 

 悠介達に向かって叫び、菜緒もまた椎名に倣ってメデューサからは見えないであろう位置へと移動した。

 

 言い伝えられるところのメデューサは、視線によって相手を石にしてしまうのだという。そしてさっきの男が石に変えられてしまう直前になにかが光ったような気がしたが、あれはメデューサの両目ではなかったか。だとすれば、彼女の視線の範囲内に留まっているのは危険に過ぎる。

 

 椎名とこちらに遅れて、敏樹達四人がそれぞれ思い思いの方へと散開するのが見えた。残った悠介達は、こちらの指示通りメデューサから離れるように逃げ出している。

 

 菜緒は建物の陰から顔だけを突き出して悪魔の位置を確認しつつ、付近にいるはずの椎名に向かって叫んだ。

 

「椎名くん、どうするつもりなの!? 隙を見て逃げ出せない!?」

 

「そうしたいとこだが、黙って見過ごしてくれるはずもねえだろ! 逃げ出すにしろ、やり合わないことにはそれも無理だ!」

 

 見えない位置から椎名の声が飛んでくる。逃げるための隙を見つけるのではなく、どうにかして作らなければならないということか。

 

 と、メデューサが移動を始めた。見た目通り蛇のような動きで――といって、人間の上半身は起こしたままだが――舗装された道路の上を這って近づいてくる。

 

 菜緒は建物の陰へとさっと顔を引っ込め、近づいてくるメデューサから距離を取るように後退した。メデューサが直前まで菜緒がいた場所へと顔を向けるが、その時には既に別の死角へと移動している。

 

 そのメデューサの背後へ、銃弾が叩き込まれた。誰が撃ったものかはわからないが、メデューサの身体がほんの僅かに揺れる。

 

 それだけだった。大した痛痒も感じていないのか、銃弾の飛来してきた方へと向き直り、今度はそちらへと移動する。

 

 即座に菜緒は銃口を向け、メデューサの背中へと発砲した。メデューサが動きを止め、再びこちらへと振り向いてくる。菜緒は慌てて身を引っ込めた。

 

(……もぐら叩きでもしてる気分だわ)

 

 どちらかと言えば、もぐらなのはメデューサではなくこちらのような気もするが。

 

 更に別の場所から弾丸が撃ち込まれ、再びメデューサが向きを変える。菜緒はメデューサの側面に向かって銃口を向け――ようとしたが。

 

(!?)

 

 そこにいたはずのメデューサの姿が見えず、菜緒は目を疑った。というかメデューサだけでなく、なにも見えない。目の前をなにかに塞がれているような――

 

 ほぼ同時に、全身を強烈な衝撃が貫いた。なにが起こったのかまったく理解できないまま、平衡感覚を手放してしまったことだけを辛うじて自覚する。

 

(今の、は――!)

 

 真後ろに吹き飛ばされて地面を転がりながら、菜緒はどうにか直前に見えたものの正体を思い起こしていた。尾だ。メデューサの尾の先端に叩き飛ばされたのだ。

 

 銃を手放してしまわなかったことに少なからぬ幸運を感じつつ、菜緒は立ち上がった。先程の位置から数メートルほど離れている。メデューサはこちらを見ていないはずだが、彼女の尾はまるでそれだけでひとつの生物であるかのようにうねっていた。

 

「……えほっ、えほっ!」

 

 尾に胸を打ち据えられたため、菜緒は咳き込んだ。幸い骨が折れるほどではなかったものの、ひたすら巨大な鞭で叩かれたような衝撃が肺にまで貫通している。

 

 どうにか呼吸を整えて、菜緒はすぐにメデューサの尾に向けて発砲した。弾丸は易々と命中したが、あまり効果があったようには見えない――どころか、再びこちらに向かって尾が伸びてくる。菜緒は慌てて建物の陰へと転がり込んだ。

 

 メデューサの尾が一瞬前まで自分の立っていた場所を空振りするのを見て、

 

(見えてるわけじゃない……当たり前だけど)

 

 彼女はこちらを向いていない。なので尾は単に、標的がいたはずの場所に見当をつけて振っているだけなのだろう。

 

 背後からメデューサを撃ったところで同じ場所でじっとしていてはあの尾に跳ね飛ばされるだけだと判断し、菜緒は距離を取るように移動した。

 

 至極当たり前の話だが、メデューサの視線を逃れるために隠れるということは、つまりこちらからも彼女の姿が見えなくなるということだ。そして相手の位置がわからないのでは、銃など撃ちようがない。こちらからは相手の位置がわかり、且つ相手からはこちらの位置がわからなくなるような、そんな都合のいい手段があればいいのだが――

 

(……あら?)

 

 違和感を覚え、足を止める。が、それは失敗だった。

 

「――きゃっ!?」

 

 振り向いた瞬間にメデューサの尾が迫っているのが見え、菜緒は咄嗟に真横に跳んでいた。しかし完全には避けきれず、尾の先端に脇腹を叩かれる。

 

「あつっ――!」

 

 空中でバランスを崩すが、今度はどうにか転ばずに着地することができた。

 

(なんで!? 見えないはずなのに――)

 

 こちらからメデューサの姿が――尾を除いて――見えない以上、彼女からもこちらは見えないはずなのだ。にも関わらず、尾は距離を取ろうとしたこちらを的確に追跡している。

 

(あ……そういえば)

 

 うろ覚えだが、蛇の中には視覚が退化している代わりに獲物の体温などを感知する器官を顔に持つものがいる――とかなんとか、聞いたことがあったような気がした。この悪魔を自然界に存在する爬虫類と同列に考えてしまって良いものかどうかはさておき、いずれにせよこちらの位置をきっちりと把握した上で狙ってきているのは間違いないだろう。

 

(こっちからは見えないのに……!)

 

 向こうからは見えず、こちらからは見える。そんな状況を望んでいたのに、これでは真逆だった。だからと言ってこちらからも見える位置に移動すれば、今度は視線に注意を払わねばならない。

 

 だが尾の先端に追われ、むしろメデューサとの距離は開いてしまっているように思えた。と言っても彼女の尾は真後ろに迫っているので、付かず離れずのままと言えなくもないが。

 

 と、尾との距離が僅かに開いた。見ると、たまたま近くに立っていた石像に巻き付いている――そのまま締め上げて、粉々に砕いてしまった。

 

 ぞっとする。もし今のが石像でなく、生身の身体であったとしたら。控え目に見積もったとしても、胴体が何分割かにされていただろう。

 

 菜緒は背後に向かって銃弾をばら撒きながら、とにかく走った。速度自体はそれほどでもないので、逃げ続ければ引き離すことはできる――そのつもりでいたが。

 

(っ!?)

 

 いきなり眼前に、メデューサの上半身が見えた。建物の陰からぬっと姿を現したそれに、思考が停止しかける。

 

(誘導されたの!?)

 

 混乱と動揺は一瞬だった――いや、動揺はもう少し長く続いたか。とにかく菜緒は走っていた向きを変え、メデューサの眼光から逃れるべく手近な建物の陰へと入った。

 

 ――誘導されたにしても、なぜこうもあっさりと向こうの思惑通りになってしまったのだろうか。尾が菜緒ひとりを狙ってきている以上、椎名達が上半身を相手にしていたはずなのだが。

 

 再び尾の先端がこちらを向く。むしろそれこそが上半身に代わり蛇の頭部としての機能を持っているとでも言うように、鎌首をもたげているように見えた。それに向かって立て続けに発砲しつつ、更に距離を取る。

 

(効いてるんだか、いないんだか――!)

 

 考えたところで。

 

(あれ?)

 

 気付く。いつの間にか、周囲からの銃声がほとんど聞こえていない。なにがあったのかはわからないが、上半身への銃撃を行っていないということだ――先程こちらがまんまと誘い出されたのは、それが理由だろうか。

 

(ど、どうなったの? まさか、誰かが――)

 

 嫌な予感が頭を過った。ひょっとしたら椎名達は既に石にされ、もう残っているのは自分だけなのではないか――そんな不吉な考えが湧いてくる。それを振り払うように、菜緒は発砲しながら走った。

 

(! また――!)

 

 胸中で悔恨の叫びを上げる。またしても誘導された。走った先に、メデューサの上半身が待ち構えていた。気付かなかったが、ひとつの建物の周囲をぐるりと回ってきただけらしい。

 

 今度はメデューサも、悠長にこちらを見つめようなどとはしてこなかった。もっと直接的な手段として、鋭い爪の生えた腕を伸ばしている。

 

「相澤っ!」

 

 出し抜けに、メデューサの背後から椎名が飛び出して来た。こちらへ伸ばされようとしていた彼女の腕を刀で斬りつけ、そのままこちらのすぐ傍まで駆け寄ってくる。

 

 礼を言う間もなく、菜緒は椎名と並んでメデューサの死角となるであろう場所へと走っていた。

 

「椎名くん! 良かった――無事で」

 

「全然良くねえよ! おい、あいつら見かけなかったか!?」

 

 こちらが言い終えるよりも早く、椎名が聞いてくる。え? と菜緒は呻いた。

 

「あいつら? って、まさか――」

 

「あの馬鹿どもだ。さっきから姿が見えねえ。どっかに逃げ出しやがったんじゃねえだろうな!?」

 

 メデューサがこちらを追ってくるのを見て、更に距離を取る。走りながら、菜緒は椎名に向かって尋ねた。

 

「うまく逃げられたの!? ならわたしたちも――」

 

「この状況でどうしろってんだ!? あいつら、俺たちにあの蛇女を押し付けて逃げやがったんだよ!」

 

「それ、は――」

 

 返事に詰まる。

 

 ここでメデューサに遭遇してしまったのは単なる偶然だ。だからそれをなかったことにしてしまうのが最善の道で、次善は交戦を回避することだった。無事に逃げ遂せたというなら、それは目的を果たしたのだと言うこともできる。後は自分と椎名が逃げ切れれば言うことはないのだが、どう考えても二人揃ってそれを達成するというのはできそうにない状況だった。

 

 メデューサの尾が突っ込んでくる。菜緒と椎名はそれぞれ反対の方向に跳んでそれをかわし、すぐさま尾の左右から刀と銃弾を減り込ませた。尾が怯んだように、すっと上半身のある方へと引っ込む。ダメージがないわけではないらしい。

 

 と、そこで。

 

 メデューサの横から、銃声が聞こえた。菜緒の撃ったものではない。

 

 敏樹達の誰かが戻ってきたのかと思いそちらを見やるが、予想は外れていた。そこにいたのは――

 

「亮くん!?」

 

 真っ先に逃げさせたはずの少年が拳銃を握り締めて走ってくる姿が見え、菜緒は悲鳴にも似た叫びを上げていた。

 

 彼だけではない。その足元にはプランクが、後ろには明と悠介、有紗の姿までもが見えた。有紗とプランク以外は拳銃を手にしている――護身用以外には決して使うなと釘を刺しておいたはずの拳銃を。

 

「姉ちゃん! 兄ちゃん! 無事か!?」

 

 走りながら亮が叫ぶ。メデューサが彼の方へと振り向こうとするのが見えて、菜緒は飛び出していた。メデューサの顔面目掛けて銃を撃ちつつ、

 

「どうして戻って来たの!? 逃げなさいって言ったでしょう!」

 

 横合いからメデューサの尾が向かってくるが、こちらから一瞬だけ遅れて飛び出していたらしい椎名が刀を叩きつけて押し止めた。信じられない腕力だが、驚嘆しているような暇はない。

 

「だけど、浩一兄ちゃんから聞いたんだ! 椎名の兄ちゃんたちがまだ逃げてないって! だからオレら、助けに――」

 

 メデューサに向かって発砲しながら、亮が言ってくる。もっとも最初の一発も含めて、ろくに命中していなかったが。

 

 菜緒はとにかく亮をこの場から引き離そうと、彼に向かって腕を伸ばした。届くまで、あと数十センチ――のところで。

 

「――くっ!?」

 

 背後から椎名の声が聞こえたかと思うと、直後に背中を思い切り殴りつけられた。

 

「あう――っ!」

 

 見なくともわかった。メデューサの尾だ。椎名が刀で押さえ込んでいたはずのそれが、こちらの背中に叩きつけられたのだろう。

 

 あまりの衝撃に一瞬両足が地面を離れ、そのまま菜緒の身体は吹き飛ばされていた。数メートル程の距離を為す術もなくごろごろと転がり、どこかの建物の壁に激突して止まる。

 

 失神しなかったのは全身の痛みのせいだろうと思いながら、しかし感謝などする気にもなれず、菜緒はどうにか顔を上げた。視界がふらふらと定まらないが、こちらと似たような恰好でやはり吹き飛ばされた様子の椎名の姿が見える。つまり、諸共に尾で弾き飛ばされたということか。

 

 そして。

 

(――!!)

 

 その場に残される形になった亮と、その姿を見下ろしているメデューサが、立て続けに視界に飛び込んできた。

 

「あ……」

 

 メデューサの姿を見上げて、亮が引きつったような声を上げる。

 

(駄目――!)

 

 痛む身体に無理矢理に力を込めて、立ち上がろうとする。だが頭と視界がふらふらと揺れるばかりで、動かせなかった。

 

「逃げろ、クソ……!」

 

 刀を杖代わりにして立ち上がろうとしながら、椎名が声を絞り出した。彼の方も弾き飛ばされたダメージが深刻らしい。あるいは、自分以上に。

 

「あ、あ……」

 

 亮は動かなかった。拳銃をメデューサに向け、ただ呻いているだけだ。

 

「亮!」

 

 明の声が響く。駆け寄ってくる足音も聞こえる。プランクの吠える声も聞こえた。だが、その時にはもう。

 

「あ、ああ……ああああああ!」

 

 亮の足が、石へと変わっていた。

 

 

 

「亮おっ!!」

 

 明の二度目の叫び。しかしもう遅いのだと、悠介は走りながら悟っていた。

 

 ここからでもわかる――亮の身体は既に、腰まで石に変わっていた。その顔は笑っているのか泣いているのか、どちらともつかない表情でメデューサの方を向いている。動かせないのだろうとは、理解できた。

 

【挿絵表示】

 

「う……うああああああああああああっ!!」

 

 亮の口からこぼれた絶叫が、その場にいた全員の耳を劈いた。恐らくは、目の前にいたメデューサも含めて。

 

 ――次の瞬間には、もうそこに亮の姿はなかった。ただ、彼と同じ形をした石像が立っているのみ。

 

「りょ……」

 

 完全に石となった亮のすぐ傍で、明が立ち止まる。拳銃を突き出したままでいる石像に向かって、手を伸ばし――

 

 プランクがその腕に飛びかかり、明の身体を引きずり倒した。直後、メデューサの尾が明の頭のあった箇所を通過する――すぐ隣に立っていた亮の石像を、打ち砕きながら。

 

「亮!」

 

 飛び散った石片を見て、明が今にも泣き出しそうな表情で叫んだ。膝から下の部分だけを残してばらばらになってしまった亮の石像の傍らに屈み込み、わなわなと手を震わせている。

 

「明、こっちに戻って! そんなところにいたら――」

 

 悠介は叫んだが、遅かった。再び飛来したメデューサの尾が、明の身体を横殴りに吹き飛ばす。

 

「明!」

 

 なんの抵抗もせず、明の身体はきりもみしながら宙を舞っていた。そのまま地面へと落下し――動かなくなる。

 

「馬っ……鹿野郎!」

 

 罵りながら椎名が立ち上がるのが見えた。だが脚が震えており、無理をしているのは一目でわかる。少しだけ遅れて菜緒も立ち上がり、地面に横たわる明の元へと駆け寄って行った。

 

「明くん!」

 

 倒れたまま動きを見せない明の身体に触れ、菜緒が呼びかける。生きているのかそうでないのか、ここからではわからないが――

 

「――相澤さん!」

 

 と、菜緒の頭上でメデューサが腕を振り上げているのが見え、悠介は声を張り上げた。咄嗟に持っていた拳銃を向けるが、この距離から当たるとは思えないし、下手をすれば菜緒を撃ってしまう恐れもある。こちらの声に反応してか、菜緒が顔を上げた。

 

 だが次の瞬間、一体どこから跳躍したのか、メデューサの腕にプランクが噛みついていた。メデューサが腕を振って振り落とそうとするが、余程強く食らいついているらしく、腕と共にプランクの身体を振り回している。

 

 菜緒が銃口をメデューサの顔に向けるのが見えた。そのままフルオートで連射し、メデューサの顔面に細かな穴をいくつも穿つ。メデューサがプランクに噛みつかれていない方の手で顔を庇い――そこへ駆け寄った椎名が、メデューサの腹へと刀を突き立てた。

 

 メデューサの口から咆哮とも絶叫ともつかない声が漏れた。痛みにもがいているのか、闇雲に腕を振り回している。

 

 恐らく、狙ったわけではないのだろう。たまたまだったはずだ。振り回されたメデューサの腕が、プランクの身体ごと傍にあった建物の壁へと叩きつけられた。

 

「ぷらんく!?」

 

 有紗が叫び、止める間もなくそちらへと駆け出した。

 

「有紗!? 駄目だ!」

 

 彼女を追って即座にこちらも走り出す。メデューサの腕を叩きつけられた壁面は崩れ落ちており、その中に埋もれたプランクの姿が見えた。有紗がその傍へと駆け寄る。

 

「ぷらんく! ぷらんく!」

 

「有紗! 駄目だって!」

 

 こちらの声が聞こえたのか、椎名の怒声が聞こえた。

 

「こっちに来んな! あの二人と同じになりてえのか!?」

 

 それが亮と明のことなのだとは、考えるまでもなかった。

 

 メデューサの気をこちらから逸らそうとしてか、菜緒が素早い手付きで弾倉を交換し、再び彼女の顔に向かって連射し始めた。メデューサはやはり手で顔を覆ってそれを防ぎつつ、自由になったもう一方の手を菜緒へと向ける。振り下ろされた彼女の爪を、ぎりぎりのところで椎名が刀で受け止めた――ところを、背後から尾で打たれる。

 

「がっ!?」

 

 悲鳴を上げながらそれでも倒れなかった椎名に驚きつつ、悠介は瓦礫に身体を押し潰されかけているプランクへと視線をやった。有紗も心配そうな顔で何度もプランクの名を呼んでいる。

 

「ぷらんく! ぷらんく!」

 

「有紗、動かしちゃ駄目だよ!」

 

 プランクへと手を伸ばそうとした有紗を止めながら、悠介は考えていた。

 

 プランクはあちこちから血を流しており、また瓦礫に挟まれているために動けないようだった。いや、この傷では瓦礫があろうがなかろうが関係ないかもしれない。放っておけば、間違いなく死ぬ。

 

 背後へと視線を向けると、椎名と菜緒がメデューサを相手に立ち回っているが――恐らく長くはもつまい。メデューサの視線を警戒しつつ彼女の爪と尾を同時に防ぐなど不可能に近く、事実、先程から何度も避けるのに失敗しているようで、二人ともあちこちに傷を負っていた。そして傷つけば、益々メデューサの攻撃を避けられなくなる。

 

 ――悩んでいる暇はない。そんなことは許されない。即座に判断を下して、悠介は荷物の中からノートPCを取り出した。

 

「……ゆう、すけ?」

 

 有紗が怪訝そうな声を上げるが、聞いていられない。悠介は最短の手順で待機させておいたプログラムを起動した。

 

 悪魔召喚プログラム。その名の通り、悪魔の召喚を行うべく組み上げられたプログラム。

 

 これを作った誰かの意図はともかく、実際に召喚できるかどうかを証明することはできないと、そんな手段などないと、椎名や菜緒にそう説明したのは他でもない悠介自身だった。だが、それは事実の全てでもない。

 

(証明する方法は――ある)

 

 プログラムの解析を進めていくうちに、悠介にはいくつかわかったことがあった。それは無論このプログラムのことであり、そしてこのプログラムが扱う悪魔に大きく関わることでもある。

 

 悪魔など存在しない。だから自分達が目の当たりにしているものは、姿を似せただけの別物に過ぎない――菜緒は何度もそう言い張っていたし、悠介もそれは否定しなかった。今もそうだ。彼女の主張は間違っていない。

 

 間違っていたのは、なにをもって「存在しない」と断定するか、という部分だった。まずそこを理解しなければ、そもそもこのプログラムは単なる悪戯でしかない。もっとも、認識を改めるのには大きな抵抗と苦労が伴ったが。

 

 モニターに表示された画面が切り替わり、奇妙な模様が浮かび上がる。円に囲まれた六芒星と、中央に浮かぶ顔のようななにか。その左右にはギリシャ文字のアルファとオメガが書かれており、他にもあちこちに文字が見えた。円の外側にも、なんと読むのかわからない――恐らくラテン語辺りだ――ふたつの単語が繰り返し書き込まれ、それが円と六芒星の周りを取り囲んでいる。

 

 ――この画像がなにを意味するのか。なにを意図してこれを組み込んだのか、悠介にはそこまでは推し量りようがなかった。なにを表しているのかは予測がつくのだが、どういったつもりでこんなものを選んだのかはわからないし、今はどうでもいい。

 

 画像に続いて、今度は文章が表示された。

 

 

 

 ―― I Invocate and conjure you spirit, and being wth power armed from ye supreame Majesty ――

 

 

 

 英語、だろうか? 少し違うような気もしたが、これはまあ、読めなくもない。

 

 だが続いて表示された文字列は、なんと書いてあるのかすらわからなかった。

 

 

 

 EL ELOHIM ELOHO ELOHIM SEBAOTH

 

 ELION EIECH ADIER EIECH ADONAI

 

 JAH SADAI TETRAGRAMMATON SADAI

 

 AGIOS O THEOS ISCHIROS ATHANATON

 

 AGLA AMEN

 

 

 

 英語ですらない。これもラテン語のように思えるが、確証はなかった。

 

 文章はすぐに消え、こちらの操作を要求する画面へと切り替わる。

 

(――ここだ)

 

 先日までは、ここで手詰まりだった。ここから先をどうすることもできなかった。だが今は違う。具体的な方法が、ある。証明できる。

 

(でも、それは――)

 

 迷っている暇などないとはわかっていたが、それでも躊躇われた。もしそれを実行すれば――自分の推測の裏付けを取ろうとしてしまえば、どうあれ取り返しのつかないことになるのは間違いないのだ。

 

 小さく唾を飲み込みながら、キーボードを操作する。それほど複雑なわけでもない短い手順を終えて――

 

 最後に、一言。画面に了承を確認するメッセージが表示された。

 

 

 

 SUMMON READY, OK?

 

 

 

 一瞬の間を置いて、悠介は。

 

 エンターキーを押した。

 

 

 

 ―― GO

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