真・女神転生 APOCRYPHA   作:DMDK

18 / 19
第七章

 男に案内されて歩くこと、丸一日。その間に菜緒達は、彼から色々と聞かされていた。

 

 彼らの集まっている場所というのは元々教会だったらしく、それなりに自活のできる環境であること。駐屯地からの撤退を余儀なくされた自衛隊員も何人かおり、彼らの指示の下、悪魔に抵抗するためにやむなく自警団のようなものを結成していること。彼自身、自衛隊員であること。こちらがメデューサと遭遇した際に見かけた男は、教会から目の前の男と共に用があって離れており、教会へ戻ろうとしていたらしいこと。教会とは言っても教徒はほとんどおらず、実質的に取り仕切っているのはひとりのシスターであるらしいこと。そしてそのシスターがそこそこの美人であるらしいこと、等々。

 

 それらを聞いてわかったのは、この自衛隊員の男が相当な話好きらしい、ということだった。特にシスターの容姿など普通に考えてわざわざ話す必要はないはずなのだが、まあ単純に話の種にしたかったのだろう。

 

 とは言え黙って聞き流すばかりというわけにもいかず、こちらの事情もある程度説明しておいた。そして男の言う教会には、正しく自分達のように他の避難場所の当てが外れてしまった人々というのが集まっているらしい。

 

 やがて、いい加減話題も尽きようかという時に――

 

「お、見えてきたよ。あれさ」

 

 言って男が指差した方を見て、菜緒はやや驚いた。

 

 教会というので、石造りの建物の上に十字架が立っているようなものを想像していたのだが――もっと近代的な建物だった。というか、広い。まだそれなりに距離があるので全てを見渡せたわけではないが、男の示している先にあったのは相当な広さを持つ敷地で、その中に建物が複数見えた。恐らく一番大きな建物が教会なのだと思うが。

 

「カテドラル、というらしい」

 

 男が言ってくる。

 

「まあ、私もよくは知らないんだけどね。聖堂とかなんとか、そんなような意味の言葉らしいよ」

 

 説明されても、そうなんですか、としか答えようがなかった。

 

 更に近づいていくと、外観がより具体的に見えてきた。コンクリート造りの近代的な建造物であることには違いないのだが、形状が少しばかり特殊というか、独特だ。一方向からでは全容を見渡すことのできない構造をしているが、これは教義上の理由でもあるのだろうか。あるいは、なにかを模しているだとか。

 

 敷地の正門と思しきところに、見張りなのだろう、銃を持った男が二人立っていた。正門の左右にもそれぞれ建物があり、敷地を取り囲む壁のようになっている。窓を見ると、やはり何人か見張りとして敷地の外へ目を向けているものの姿があった。

 

 先頭を歩いていた男が正門へと駆け寄って行き、見張りの男達となにやら言葉を交わした。男達が頷くと、すぐにこちらを振り向き、

 

「待たせたね、入っても構わないそうだよ」

 

 まったく待たされてはいないのだが、敢えて否定する気にもなれなかった。そもそもこちらは立ち止まってすらいない。

 

 男達にぺこりと頭を下げつつ、正門を通過する。見張りの男二人はなぜかこちらの姿を見てぎょっとしたように目を見張っていたが、別に止められるわけでもなく、あっさりと通してもらえた。

 

 正門を抜けてすぐに曲がると、一番大きな建物――カテドラル?――とは別に、妙に細長い建築物が見えた。高さは五十メートル程か、あるいはもっとあるかもしれない。先端に鐘が付いていた。鐘楼だろう。

 

 その手前でもう一度曲がると、カテドラルの入口が見えた。石造りの段差を上り、それなりに大きな扉に男が手をかける。もったいつけようとしたわけでもないだろうが、扉はゆっくりと開かれた。

 

 男に先導されて中へ入ると、そこでようやく――というのもおかしな話だが――教会らしい光景が視界に飛び込んできた。結婚式の映像などで目にするような、一般的に教会と聞いて真っ先に連想する場所だ。入口から正面に向かってまっすぐ通路が伸び、その左右に木製の長椅子がいくつも並んでいる。通路の先、つまり入口の反対側には結婚式の際に牧師が立つ祭壇が周囲よりも高い場所に設けられており――その手前に、修道衣を着た女性が立っていた。

 

「シスター、戻りました」

 

 男が声をかけると、その女性だけでなく、室内にいた他のものも一斉にこちらへと振り向いてきた。

 

 周囲がざわつくが、シスターは軽く手を上げて――それで周囲が静まったわけでもないのだが、少なくとも混乱は起こらなかった――こちらへと近づいてきた。男に向かって笑顔を見せる。

 

「お帰りなさい。あの、そちらの方々は……?」

 

 と、視線をこちらに向ける。まだ若い。二十歳かそこらくらいのように見えるが、ひょっとしたら自分と大して変わらない年齢かもしれないと菜緒は見当をつけた。

 

柿田(かきた)が悪魔に襲われましてね。この子たちは、その悪魔と交戦していたんです。残念ながら、柿田は……」

 

 言って、男が首を振る。シスターはそれだけで察したようだった。

 

「そう、ですか……こちらへは、避難を?」

 

「ええ。その子が悪魔にやられてしまいまして。重傷なので、一刻も早く治療が必要です」

 

 と、椎名が背負っている明を指し示す。シスターは、まあ、と口元に手を当てて小さく漏らすと、

 

「すみませんが、この子をベッドまで運んであげてください。急を要するみたいです」

 

 その呼びかけに、すぐさま周囲から何人かが集まってきた。椎名が一瞬だけこちらを見やるが、すぐに彼らと共に別室へと移動していく。

 

 シスターはこちらへと向き直り、

 

「あなたも、随分と怪我をされているようですけれど。その……大丈夫ですか?」

 

 なぜか微妙に視線を逸らしながら言われて、菜緒は思い出した。そう言えばメデューサの尾に散々打たれて、全身痣だらけだった。ついでに痛みも思い出し、自分の身体を見下ろしたところで。

 

(………………あ)

 

 目の前のシスターの反応と、そして正門のところにいた男達の反応。その意味にようやく思い当たる。自分の服はかなりぼろぼろで、あちこちから下着やら肌やら痣やらが見えていたのだ。すっかり忘れていたが、昨日からずっとこの恰好で歩いていたことになる。

 

 菜緒は慌てて両手で身体の前面を覆いつつ(隠せるような面積でもないのは承知の上だ)、振り返った。少しばかり恨みがましい口調で告げる。

 

「……どうして教えてくれなかったの」

 

「いや、どうしてって」

 

「気付いてないとは思わんだろ、フツー」

 

「めっちゃ堂々としてるから、むしろ見せつけてんのかと思ってた」

 

 千晴に敏樹、京香が口々に言ってくる。揃って呆れたような表情だった。浩一と悠介は苦笑しており、有紗はまあいつも通りだ。

 

 顔の向きを戻すと、シスターもやはり苦笑いを浮かべていた。むしろ気付かせてしまったことを申し訳なく思っているようにすら見える。

 

「あの、すみません……その、着替えを持ってなくて……なにか羽織れるようなもの、お借りできませんか?」

 

 頬が紅潮しているのを自覚しつつ、尋ねる。シスターはやはり苦笑したまま、

 

「ええ、すぐにご用意します。他にもなにか、入用のものがあれば仰ってください」

 

 言われて、菜緒は再び振り返った。皆と顔を見合わせる。

 

 ――彼女の好意に甘えるつもりだと、全員の目が訴えていた。そこには微塵の迷いも見受けられない。我ながら完璧なアイコンタクトだと自画自賛しつつ、菜緒は。

 

「お風呂貸してください」

 

 躊躇なく、そう申し出た。

 

 

 

「――あだっ! クッソ、沁みる!」

 

 湯を頭からかぶるや否や、京香が毒づくのが聞こえた。彼女の身体にも少なからず傷が付いており、久々の(実に三週間以上も入浴できなかったのだ)刺激と痛みに悶絶している。もっとも、まったく無傷のものなどいるはずがないのだ。皆が皆、今日までに様々な怪我を負っている。

 

 シスターに案内されたのは、聖堂を出て少し離れた場所にある建物だった。本来ならば司教と呼ばれる地位にある人物の邸宅らしいのだが、今は持ち主の行方が知れないため借りているのだという。

 

 浴場はひとつしかないので男女で時間を分けて使わせてもらうことになり、外では敏樹達が待機しているはずだった。なのであまりのんびりと湯に浸かっているわけにもいかない。手早く身体を洗ってしまおうと、菜緒は有紗に声をかけた。

 

「ほら有紗ちゃん、こっち」

 

 有紗はなぜか先程から壁際に突っ立っており、浴槽にもシャワーにも近づいて来ようとしなかった。

 

 というかこれまでにも、彼女は身体を拭くのをずっと拒んでいた。裸を見られるのが嫌なのだろうかとも思っていたが、その割にはバスタオルも巻かず、身体の前面を隠そうとしていない。

 

「有紗ちゃん、悠介くんたちが待ってるんだから、ね?」

 

 悠介の名を口にすると、有紗の表情がぴくりと動いた。それでも尚、迷っている様子だったが――やがて観念したのか、こちらへ近づいてくる。菜緒の目の前でぺたんと座り込んだ。

 

「綺麗になるだけだから、ちょっとの間、我慢しててね」

 

「がまん、する」

 

 こくこくと頷く有紗を見て、菜緒はスポンジを取り上げた。なにを嫌がっているのかはわからないものの早く終わらせてやった方がいいだろうと思い、手早く彼女の身体を洗っていく。

 

「有紗ちゃん、背中こっちに向けて」

 

「むける」

 

 くるりと向きを変え、有紗がこちらに背を見せる。

 

 そこで。

 

(…………え)

 

 菜緒は手を止めていた。ついでに沈黙し――しばし、京香が湯を流す音だけが響く。

 

「……なお? おわり?」

 

 不審に思ったのか、有紗が聞いてくる。菜緒はゆっくりと、口を開いた。

 

「有紗ちゃん……この怪我、どうしたの?」

 

「けが?」

 

 有紗が首を傾げた。わかっていないというか、自覚がないらしい。

 

 ――彼女の背中には、大きな傷痕があった。既に塞がってはいるようだが、しかしその痕跡が痛々しく残っている。まるで巨大な爪で抉られたような筋が何本も走り、何かの模様のようにすら見えた。

 

「こんなの、いつの間に……い、痛くないの?」

 

「いたく?」

 

 やはりわからないのか、有紗が更に首を傾ける。少なくとも今、痛みを感じているわけではないらしい。

 

 恐る恐る、有紗の背にスポンジを当てる――が、やはり彼女は無反応だった。どうやら傷自体は完全に塞がっているらしいと判断して、しかしそれでも力を抜いて背中を洗っていく。

 

(こんな大きな怪我、どうして……)

 

 少なくとも自分達と会ってから、そして今まで。彼女がこんな大きな怪我をするようなことはなかったはずだし、そうでなければこれほど早く塞がっているはずもない。ならばこの傷は、もっと以前に負ったものなのだろう。それならば今の彼女が憶えていないのも納得できる。一体なにをどうすればこんな痛々しい傷痕が残ってしまうのか、それは考えたくなかったが。

 

 有紗の身体を洗い終えて、頭から湯をかける。泡と汚れを流して浴槽に入るよう促してから、菜緒は続いて自分の身体を洗い始めた。

 

「いっ……!」

 

 覚悟していたことだが、猛烈に沁みる。自分の身体も大概傷だらけで、特にメデューサに叩かれてできた痣が目立っていた。完全に消えるまでは相当な時間がかかるだろう。ひょっとしたらずっと残ってしまうかもしれない。先程見た有紗の背中の傷のように。

 

 ――全身を洗い終えるまでに、菜緒は何度も悲鳴を上げそうになった。実際に上げもした。

 

 

 

 それほど長く浴場を占拠していたわけではない――三十分ほどだろうか。それでも敏樹は文句を言ってきたが、京香が有無を言わせぬ口調で黙らせた。

 

 ともあれ自分達と入れ替わりに脱衣所へと入っていく彼らを見送ってから、菜緒は京香と有紗と共に、司教邸の居間へと移動した。椎名とシスターが向かい合ってソファに座り、なにかを話し合っている。

 

「そうですか……それは、お気の毒に」

 

「気の毒なのは俺じゃないけどな」

 

 頬に手を当てて神妙な顔をしているシスターとは逆に、椎名の返事と表情は素っ気ないものだった。

 

「椎名くん、明くんは?」

 

 横から声をかけると、椎名がちらりとこちらに目を向け――ほんの少しだけ、驚いたようにぴくりと瞼を動かした。

 

「……なんだ、その恰好」

 

 やや呆気に取られたように言ってくる。

 

 流石に元の制服はもう着ることができず、菜緒はシスターから借りた、というかここの教会にあった修道衣に袖を通していた。京香も同じものを渡されたのだが、動きづらいという理由で別の服をねだり(菜緒は窘めたが、彼女は頑として聞き入れなかった)、どうにか借りてこれた男物のツナギを着ている。有紗はサイズこそ違えど、菜緒と同じ修道衣を着ていた。ただし彼女が嫌がったので、フードは被っていない。

 

「や、やっぱり変?」

 

 当たり前だが着たことのない服なので、着替えにもそれなりに手間取った。有紗に着せるのは更に手間だったが。

 

「変っつーか、むしろハマり過ぎてて違和感があるくらいだ」

 

「ええ。よくお似合いですよ」

 

 椎名に続いて、シスターもぽんと手を叩いて言ってくる。両者のリアクションには微妙なニュアンスの違いというか明らかな温度差があったが、少なくともシスターはそれに気付いている様子はなかった。

 

 気を取り直し、もう一度尋ねる。

 

「それで椎名くん、明くんは――」

 

「目を覚まさねえ。覚ますかどうかもわからねえ、とよ」

 

 間を置かずに椎名は答えてきた。そのまま立ち上がり、部屋を出て行こうとする。

 

「あ、ちょっと椎名くん! どこに行くの!? それに、覚ますかどうかわからないって――?」

 

「風呂だよ。明に関しちゃ、言った通りの意味だ」

 

 言い放つと、椎名は浴場の方へと歩いていった。自分と京香と有紗、そしてシスターだけが部屋に残される。

 

「どうぞ、おかけになってください」

 

 シスターに促され、菜緒はソファに腰を下ろした。京香と有紗も同じように座る。

 

【挿絵表示】

 

「あの、明くん――わたしたちと一緒にいた男の子ですけど、どうだったんです?」

 

 改めて尋ねる。シスターは沈痛な面持ちを浮かべ、

 

「医療の心得があるという方に、診て頂いたのですけれど……その、申し上げにくいのですが、昏睡したまま目覚める様子がない、と……」

 

「え……」

 

「なにかのきっかけで、目覚める可能性がないわけではないと仰っていたのですが……逆に、目覚める保証もないと……」

 

 言葉を失った。そして同時に、痛烈な悔恨が湧き上がってくる。

 

(わたしたちがもっと、しっかりしていたら……!)

 

 奥歯を噛みしめる。手にも力が入り、膝の上で握り締めていた。

 

 明だけではない。亮もそうだし、それ以前――学校にしろ駐屯地にしろ、ずっとそうだった。もっと早く気付いていれば、もっと巧く立ち回っていれば。そう思わずにはいられなかった。

 

 誰も口を開かず、沈黙はそれなりに長く続いた。やがて、シスターが口を開く。

 

「あの……皆さんは、どこへ向かおうとされていたんですか? 避難することが目的だと、椎名さんから窺ったのですけれど」

 

 尋ねられ、菜緒は元々別の駐屯地を目指していたこと、しかしそこがとっくに壊滅していたこと、そして別の無事な駐屯地を目指していたことを話した。無論、悪魔召喚プログラムなどという突拍子もないもののことは伏せておいた。

 

 こちらの話を聞いて、シスターはなにかを考え込むような素振りを見せた。と言ってもそれほど長い間黙っていたわけではなく、数秒程で結論を出したようだったが。

 

「あの男の子――明くんでしたか。あの子は動けないようですし、あなた方もこちらに留まられてはいかがですか?」

 

「え。その、いいんですか?」

 

 実を言えば、それはむしろこちらから願い出ようと思っていたことだった。このまま見つかるかどうかもわからない無事な駐屯地を探すより、どこか――駐屯地程ではなくともそれなりの安全を確保できるところに、腰を落ち着けた方がいいのではないかと、そう考えていたのだ。

 

 言うまでもなく、ここが絶対的に安全というわけではない。それはわかっている。恐らくもう安全と言えるような場所などどこにもないのだろうと、それも理解していた。なので単純に比較の問題だ。このまま見つかるかどうかわからないものを探す危険性と、ここで妥協してしまう危険性と、その両者を秤にかけて――前者の方が、重いと判断した。その結果だった。

 

「あなたたちは、どう? どうすればいいと思う?」

 

 と、京香と有紗に訊く。

 

「んー……あのさ、ここってなんか、自警団? みたいなのがあるんだよな」

 

「はい。自衛隊員の方に指揮を執って頂いています。悪魔から身を守るために、やむなくですけれど」

 

「んじゃ、食料は? 蓄えとかあんの?」

 

「あまり贅沢はできませんけれど、蓄えならばそれなりに。敷地内で作物を育ててもいますので……」

 

「なるほどねえ」

 

 シスターの答えに唸って、京香は腕組みをした。指先をとんとんと動かし、考え込んでいるように見える。

 

「……明くんが動けないっていうのも、忘れないでね」

 

「あ? ん、まあな。わかってるって」

 

 割とどうでも良さそうに答えてくる。本当にわかっているのかと菜緒は追及したかったが、堪えて彼女の返事を待つ。やがて。

 

「……まあ、アタシは賛成。ぶっちゃけ、これ以上歩きたくないんだよな」

 

 顔を上げて、京香はそう言ってきた。ほっと胸を撫で下ろし、今度は有紗の方を見る。

 

「有紗ちゃんは、どう? ここにいたい? それとも、余所がいい?」

 

 よく考えればシスターの目の前でひどく礼を欠いた聞き方のような気もしたが、彼女は特に文句を告げてくるようなことはなかった。有紗が目を瞬かせ、

 

「……?」

 

 首を傾げる。まあ、予想していた通りの反応ではあった。

 

 菜緒はシスターへと向き直った。

 

「他の皆とも、話し合ってみますけど……その、お願いすることになるかもしれません」

 

「はい。焦る必要はありませんから、よくお考えになってください」

 

 そう言って、シスターはにこりと微笑んだ。

 

 隣から、

 

「――今度は、ひとりで勝手に決めなかったな」

 

 京香がそうつぶやくのが聞こえた。

 

 

 

 椎名達が入浴を終えて戻ってくるのを待ち、シスターからの提案について話すと、彼らの反応は概ね京香のそれと似たようなものだった。

 

「もう歩きたくねえ」

 

「野宿も御免だね」

 

 と言って敏樹と千晴が真っ先に賛成した。

 

「まあ、どっちのリスクが大きいかっていう話だよね」

 

「ですね。どちらにもメリットとリスクがあると思いますから、あとはその比重を気にするだけです」

 

 浩一と悠介の反応はそんな感じだった。つまりは賛成ということらしい。

 

 最後まで返事を保留していたのは椎名だった。彼にしては珍しく、迷っているようだった――そうでなければ、なにかを危ぶんでいるのか。

 

「……お前ら、一応聞いておくが」

 

 と椎名は前置きして、

 

「ここだって、絶対に安全ってわけじゃない。それはわかってんだろうな?」

 

 その質問に頷いたのは菜緒と悠介だった。有紗を除いた他の面々は、そんなことはとっくに承知しているとでも言いたげな表情を浮かべているのみ。

 

 椎名は尚も返答を決めず、考え込んでいた。明がここから動けないこと、動かすわけにはいかないことを菜緒が告げても、んなこたわかってる、と返してくるだけだった。

 

 やがて椎名は。

 

「――少し、様子を見てからだ」

 

 それだけを言った。

 

 

 

「……と、いうわけなので」

 

 改めてシスターの元を訪れ、菜緒は頭を下げた。話し合って答えを出すと言っておきながら、結論を先延ばしにしてしまったことに少し後ろめたさを感じてもいたが。

 

「しばらくの間、お世話になります」

 

「先程も申しましたけれど、焦って答えを出す必要はないと思いますよ。その椎名さんも、考えがあってそう仰ったのでしょうし」

 

 嫌味もなにもない口調だった。心底からそう思っているのだろう――ある意味、それが逆にこちらの抱いている申し訳なさをちくちくと責めてもいたが、それは完全に自分達側の問題だ。

 

「ただ」

 

 と、シスターは少しだけ表情を変えた。

 

「ここでの生活に当たって、いくつか守って頂きたいことがあります。それを約束してもらえるでしょうか?」

 

「……約束、ですか」

 

「ええ。まず――」

 

 そう言って彼女が説明し始めた内容は、なんのことはない、至極当たり前のものだった。つまりは、人が集まって集団を形成する上で当然のルールだ。

 

 各人に割り当てられた労働を必ずこなすこと。食事の量と回数を厳守すること。口論程度ならばともかく、暴力を伴う私闘は厳に戒めること。自衛隊員の指導を受けたもの以外は武器を手にしないこと。勝手に敷地外へ出ないこと。これらの決まり事をやぶった場合にはそれなりのペナルティが課せられること――主には、そんなものだった。

 

「なるほど。わかりました」

 

 真っ当な社会通念があれば、特に意識する必要もない内容ばかりだ。どんな厳しい規則を聞かされるのかと、無意識のうちに身構えてしまっていた身体から緊張感を退散させつつ答えたこちらに、しかしシスターは少しだけ意外そうな表情を浮かべて見せた。

 

「? どうしたんですか?」

 

「いえ……その、気を悪くしたらごめんなさい。あなたの反応が、ちょっとだけ意外だったものですから」

 

「意外、ですか?」

 

 別に気を悪くするような理由もなく、単純に意味がわからなかったので聞き返す。

 

「ええ。新しくここへ来た方にこの約束事を説明すると、皆さんその、少し――煩わしそうな顔をなさるんです。ですから私、ちょっと厳しすぎるのかしら、なんて思っていたのですけれど……」

 

「――厳しい、ですか?」

 

「特に最後のペナルティというのが、皆さん不服に思われるみたいで――事情があって破ってしまったものはどうするんだって、必ずお聞きになられるんですよ。もちろんその場合は、その事情というものを考慮に入れますよ、とお答えしてるんですけれど」

 

「はあ……そう、なんですか」

 

 よくわからなかった。決まり事を破ればペナルティが課せられるが、拠所ない事情があるのならその限りではない――なにもおかしなことなどない。どこにも誤謬の存在しない理論だった。なぜ彼女はわざわざそんなことを気にして、自分に話したのだろうか。

 

 疑問に思っていると、彼女はくすりと笑った。

 

「あなた、修道女に向いているのかもしれませんね」

 

「……はい? 修道女って、その、シスターのことですよね?」

 

 あなたみたいな、と続ける。

 

 よくは知らないが、修道女というのは禁欲的な生活をするものだというイメージを菜緒は持っていた。現代文化の恩恵を最大限に享受して(したはずだ)育った自分に果たしてそんな真似ができるかと聞かれれば、盛大に疑問符がつくところだ。

 

 だがシスターは、なぜか頭を振った。

 

「実は私、その……修道女ではないんです」

 

「…………えっ?」

 

 唐突と言えばこの上なく唐突な告白だった。わけがわからず聞き返すと、彼女は心の底から申し訳なさそうな表情で、

 

「いえ、あの、皆さんを騙すつもりはなかったんですけど。本当は私、まだ志願期の身で……この修道衣も、着られるような立場ではないんです」

 

「え。だってわたし、着ちゃってますよ?」

 

 自分だけではない。有紗もそうだ。と言うか、この服を着るのに相応の資格が必要なのだということ自体、たった今知ったところだが。

 

 彼女は見ているこちらが気の毒に思ってしまうほど、全力で頭を下げた。

 

「ほ、本当にごめんなさい! ここの聖堂にいた方たちが、私以外みんないなくなってしまって……それでその、つい……」

 

「……いなくなった?」

 

「は、はい。あの日からずっと……外は悪魔だらけで、私、ずっと心細くて……そんな時に、ここへ避難してきた方々が、私を見てシスターって呼んでくれたものだから、それで私……」

 

 彼女の告白――あるいは懺悔か――を聞きながら、しかし菜緒は別のことを考えていた。

 

(――悪魔になった、のね。ここにいたひとたちも)

 

 悠介の言っていたデジタル・デビルに、生体マグネタイトというものを喰われたのだろう。そしてプランクがケルベロスという悪魔に変じたのと同じく、その人々も悪魔になってしまった――このシスター(ではないらしい)が悪魔と呼ぶ存在に。無論、全員が全員悪魔になったわけではなく、それに殺されたものも含まれてはいると思うが。

 

 彼女はこちらが何を考えているのかなど知る由もなく、顔を上げて言ってきた。

 

「あ、あの! 私、皆さんを騙すつもりなんて本当にないんです! ですから、秘密にしててもらえませんか!? どうかお願いします!」

 

「そ、それは構いませんけど――そもそも、どうしてわたしにそんなことを?」

 

 彼女に悪気があったわけではないということは見ればわかったので、承諾しておく。

 

 こちらの質問に、彼女は恥じ入った様子のまま答えてきた。

 

「さっきも言いましたけど、その――あなたが、私なんかよりずっと、この服を着るのに相応しいように思えたんです。本当の修道女のように見えてしまって、それでつい」

 

 つまり先程の告白は、本当に懺悔のつもりだったということか。自分を修道女に見立てての。

 

(……わたし、そんなにこの服が似合ってるのかしら)

 

 思わず、菜緒は自分の恰好を見下ろした。そう言えば椎名も先程こちらの姿を見て、ハマり過ぎだと感想を寄越してきた。わざわざお世辞を言うような性格でもないはずなので――あれはそもそも称賛ではない――本当にハマっているのだろう。少なくとも、椎名からはそう見えたということだ。

 

 別にシスターという職種に偏見は持っていない――と言い切ることもできないが、とにかく悪いイメージを抱いているわけではない。だがそれでも、菜緒は首を捻るしかなかった。本当に、自分はそんなものに向いているのだろうか、と。

 

 教義に身を捧げ、戒律を重んじ、貞淑且つ慎ましく生きる――菜緒がシスターに抱いているイメージと言えば概ねそんなものだったが、生憎と自分は神というものを信じていないし、そもそも無宗教だ。その時点で既に、修道女になるための資質としては外れているような気がする。

 

 まあ、それとはまったく別のところで。

 

 ごく単純に、服が似合っていると言われて悪い気がしないのも事実だが。

 

 ともあれ秘密を守ってくれるようにと繰り返し懇願してくる彼女にもう一度了承の返事をしてから、菜緒は部屋を退出した。

 

 司教邸を出ると、椎名と悠介、そして有紗とプランクが待っていた。残りの面子はどうしたのかと椎名に尋ねると、

 

「早速駆り出されてった。仕事は腐る程あるんだとよ」

 

「せめて今日くらいは休みたいって、ぼやいてましたけどね」

 

「……あなたたちは?」

 

「俺も周囲の見張りに加わるよう言われてる。あと三十分くらいか」

 

「僕と有紗は、後で夕食の準備を手伝うようにって。あ、相澤さんもですよ」

 

「てつだうー」

 

「そう、わかったわ」

 

 答えてから、菜緒は視線をプランクへと移した。敷地内には他に動物がいるわけでもないので、入れてもらえるかどうかはわからなかったのだが、こうしてここにいるということは許されたのだろう。

 

「……ここの教会のひとたちだけど」

 

 と、シスターから聞いて知るに至ったことを口にする。

 

「あのシスターを除いて、いなくなっちゃったみたい。悪魔に殺されたか、それとも」

 

「悪魔になったか、か?」

 

 椎名はこちらではなく悠介に対して言ったようだった。

 

「それなんですけど」

 

 と、悠介が顎に手を当てて言ってくる。

 

「ちょっと――気になることが」

 

「……今度はなに?」

 

 少し身構えて、菜緒は聞いてみた。如何せん悠介の気になることというのは単なる勘や根拠のない憶測などとは別物である可能性が高く、またぞろなにか宜しくない話を聞かされるのではないかと思ったのだ。

 

 こちらの警戒にはまったく気づいていないのか、悠介は視線をあらぬ方へと向けたまま続けてきた。

 

「さっき聞いたんですけど……相変わらず、余所との連絡が取れないみたいなんです」

 

 それは悪魔が出現した時からずっとそうだ。はっきりとした原因は不明だが、今もまだそれが続いているということだろう。

 

「あの駐屯地のオッサンが言ってたな。電波障害の類だろうって」

 

 ちらりとプランクの方を見やりつつ、椎名が答える。

 

「電波障害――僕は、少し違うと思うんです」

 

「どういうこと?」

 

「通信とか、電波とか――そういったものを阻害しているのは、情報じゃないかと思うんですよ」

 

 菜緒は椎名と顔を見合わせた。

 

「――って、それもお前の言ってたデジタル・デビルってことか?」

 

「…………」

 

 椎名の質問に、なぜか悠介は沈黙した。しばらく黙った後、言ってくる。

 

「あの日、どこからか――まあ予想はついてるんですけど――発生した大量のデジタル・デビルは、その多くが人間の生体マグネタイトを取り込んで実体化しました。それは間違いありません。つまり情報が、広範囲に渡って放出されたわけです」

 

「……その情報が、電波とかを遮断してるんだろう、って?」

 

「ええ。そういう意味では、電波障害には違いないんですけど」

 

「なら別にいいじゃねえか。なにが言いたい?」

 

「ですから、おかしいんです」

 

 と、悠介はこちらへと顔を向けてきた。

 

「今もまだ通信ができない、つまり、現在進行形で情報がそれを妨げているままなら――一体どうして、僕たちはデジタル・デビルに感染しないんですか?」

 

「どうして、って……」

 

 聞かれて、考える。

 

 電波を妨げていると思しき大量の情報とはデジタル・デビルのことであり、それがまだ残留しているというのは、今もって通信の類が回復していないことからも明らかだった。だがそれならば――確かに、自分達が悪魔になっていないというのはおかしい。今この瞬間もまだ、悪魔の情報は生体マグネタイトを求めているはずなのだ。

 

「まだ、なにかあるんです。あの日デジタル・デビルに感染して悪魔になってしまった人間と、無事だった人間と。その明暗をはっきりと隔ててしまった理由があるはずなんですよ」

 

「体質……ってことはねえのか? どんな体質が関係するのかはわからねえけど」

 

「十分に考えられる理由です。でも」

 

 悠介はプランクに親指を向け、

 

「プランクの場合はどうでしょう。あの日は無事だったはずなのに、僕が悪魔召喚プログラムを使って呼び出したケルベロスの情報は、問題なくプランクの生体マグネタイトを取り込みました。あの日から昨日までの間に、なにかプランクの身体に突然変異でも起こったのでない限り、ちょっと納得できる理由が見当たりません」

 

「へんいぷらんくー!」

 

 有紗の言葉はプランクも含めて誰も取り合わず、沈黙が訪れる。そうしたところで特に有紗が落ち込むこともないとわかっているので、既に慣れた反応だった。

 

 悠介にもわからないのならこちらに理解できるはずがない――というのは何度も思ったことだ。かと言ってプランク自身に聞くというのも無理がある。菜緒は鎖に繋がれているわけでもないのに大人しく座っているプランクを見やり――

 

「……あら?」

 

 ふと気になり、プランクへと近づいていった。腰を屈め、プランクの顔を覗き込む。

 

「これ、なにかしら?」

 

 今の今まで気付かなかったが、プランクの額に妙な黒いマークが張り付いている。なにかのシールでもくっついているのかとも思ったが、そうではない――プランクの体毛の一部分だけが、黒く染まっているのだ。こんなもの、昨日まではあっただろうか?

 

「あ、それですか」

 

 悠介があっさりと答えを寄越してきた。

 

「たぶんそれは、ケルベロスの情報の一部ですよ。QRコードみたいな二次元コード――とは、ちょっと違うんだと思いますけど」

 

 QRコードというと、携帯電話に読み取らせることで色々できるとかいうあの黒い模様のことだろう(よくは知らないのだ)。

 

「僕がプランクの身体にケルベロスを召喚した時に現れたんです。きっとデジタル・デビルに感染した刻印みたいなものですね」

 

 悠介の言葉に。

 

 菜緒はしばし、口を閉ざして考え込んだ。聞いていいものかどうか悩んだのだ。だが意を決して、菜緒は尋ねた。

 

「ねえ、悠介くん」

 

「なんです?」

 

「ここにいるプランクは、その――プランクなの? それともその、ケルベロスっていう悪魔?」

 

 実を言えば、それは昨日から――悠介がプランクの生体マグネタイトを用いてケルベロスを召喚したのだと聞かされた時から、ずっと気になっていたことだった。これまでそれを聞こうとしなかったのは、こうして目の前にいるプランクが昨日までとなにも変わっていないように見えるのと、そして確かめるのが躊躇われたからだ。

 

 つまり、プランクはあの時に死んでいて、ここにいるのは外見が似ているだけの、ケルベロスという悪魔なのではないか、と。

 

「……わかりません」

 

 悠介はゆっくりと首を横に振った。

 

「そこは本当に、無責任で申し訳ないんですけど。プランクとケルベロスのどちらなのかは、僕にもわかりません。ケルベロスがプランクの生体マグネタイトを取り込んだ時、諸共にプランクの情報を全て食い尽くしてしまったのか――まだプランクの情報がちゃんと残っているのか。それを判別する方法はないんです」

 

 しようとすれば、つまりプランクとケルベロスの情報を分離させてしまえば、プランクは死ぬ。わかっているのはそれだけなのだ。

 

 そう、とだけ菜緒は返事をしておいた。プランクはなにを言うでもなく、こちらの顔を見返していた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。