真・女神転生 APOCRYPHA   作:DMDK

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第二章

「ねー悠介。あれ、なーに?」

 

「あれ?」

 

 前方を歩いていた有紗がなにかを指差しているのを見て、悠介はそちらへと視線を向けた。

 

 向けたが。

 

「……どれ?」

 

 これといって目を惹くようなものは見当たらず、聞き返す。有紗は指を向けたまま、

 

「だからあれ。悠介、みえないの?」

 

「うん……ごめん。ちょっと、前より視力悪くなったかも」

 

 目を凝らしてみてもやはり彼女の指し示す方角になにかあるようには見えず、悠介は両目の間を指で押さえながら答えた。今はまだそこまで酷いわけではないものの、そう遠くないうちに眼鏡かコンタクトが必要になるかもしれない。そんなものが都合よく見つかるかどうかは怪しいところだが。

 

「プランクはみえるよね? あれ」

 

 有紗の問いかけを無視するかと思いきや、意外なことにプランクはばう、と応じるように小さく吠えた。

 

(……見えてることより、意思の疎通ができてることの方が驚きだけど)

 

 やや呆れのこもった感嘆を胸中で漏らしつつ、悠介は尋ねた。

 

「で、なにが見えるの?」

 

「わかんないから悠介にきーてるの」

 

「あ、そう。それはそうだね」

 

 一分の隙もなく完璧に論破されて、悠介は項垂れた。無駄とは知りつつもプランクへと視線を向けると、こちらの迂闊さに対して憐憫とも諦観とも取れる表情を浮かべているように見える。たぶん気のせいだろうが。

 

「あ」

 

 と、有紗の声の様子が若干変化を帯びる。

 

「だれかいる」

 

「……え?」

 

 身体に緊張が走る。少なくとも有紗は嘘は言っていないだろう――そうする理由がない。であれば、警戒はほぼ反射的に湧き上がっていた。

 

「有紗。少し、黙っててね」

 

「おっけー」

 

 拳銃を取り出しながら告げると、有紗は短く応じてそのまま口を閉ざした。しばし、プランクも含めて無言で前進する。

 

 ――やがて、悠介にも見えた。確かに、前方に人影が見える。

 

 物影に隠れつつ更に近づいていくと、ある程度細かいところまで見て取れた。男だ。しかも銃で武装している。こちらにはまだ気づいていないようだったが、しかし距離的には感付かれてもおかしくない――こちらが気付いているのだから当たり前だ。

 

 そこで悠介は進むのをやめ、有紗とプランクにも立ち止まるよう手で示した。

 

(ひとりだけか。なにかを見張ってる?)

 

 明らかに、偶さか通りがかったという様子ではない。そうであれば立ち止まってなどいないだろう。

 

(でも見張りだとしたら、こんなところで、しかもひとりでなにを――?)

 

 辺りを見回すが、それほど大勢の人間が身を潜めていられるような建物は見当たらない。もう少し先へ進めばそうでもないはずなのだが――教会のあった場所はそれほど離れていない――この近くにいるのは、あの男ひとりだと断定しても良さそうだった。

 

(……よし)

 

 意を決して、悠介は物陰から出た。有紗とプランクに動かないよう告げてから、男の方へとゆっくりと近づいて行く。

 

 すぐに男の方も悠介に気付いたようだった。こちらへと顔を向け、なにかを言おうと口を開くが。

 

「動かないでください」

 

 向けられた銃口にも当然気付いたらしく、動きを止めた――こちらの指示した通りに。

 

「どうも。そのままで聞いてくださいね。こちらの質問に対する返事以外のなにかをしようとしたら、即座に撃ちますから。そのつもりでお願いします」

 

「あ、ああ」

 

 頷くことはせずに答えてくる。悠介は更にもう少しだけ男の方へと近づいてから、

 

「それじゃ質問です。ここでなにをしてるんですか?」

 

「なにって、見ての通り見張りだが」

 

「こんなところで、なにを見張ってるって言うんです?」

 

「んー……まあ、盗賊とかだな」

 

「あなたは違うんですか?」

 

 疑わしげに尋ねると、男はかぶりを振ろうとしたのだろうが、しかし寸でのところでそれを抑えた。一応こちらの忠告は忘れていないらしい。

 

「とんでもない! たとえ冗談でもそれにイエスとは答えられないよ。ここから追い出されてしまう」

 

「……追い出される?」

 

「ああ。そういう決まりなんだ」

 

 男の言葉に、悠介は考え込んだ。

 

(もしかして……いや、でも。もうちょっと先のはずじゃないか)

 

 視線を逸らすようなことはしない。銃口もだ。警戒と緊張を解くわけにもいかない。その上で思案を巡らせるというのは、それなりに労力を伴う行為ではあった。

 

「……この先に、以前教会だった建物があるのは知ってますか?」

 

 あくまで口調は変えず、つまり内心の動揺を悟られないよう意識しながら尋ねると。

 

 男がすっと目を細めるのが見えた。

 

「知っている、と言ったらどうするつもりだ?」

 

 こちらの代わりにというわけでは無論ないだろうが、男の声音に変化が生じた。

 

「質問で返さないでください。知っているんですか?」

 

「きみは何者だ? 盗みを働くためにこの先に進もうとしているのなら、俺はきみを撃たなければいけない」

 

「答える気がないなら撃ちますよ」

 

「撃てばいいさ。役目を果たせなければ、どうせ俺は追い出されるんだ。ここできみに撃ち殺されようが、大差ない」

 

 はったりではないと、悠介は直感的に悟っていた。本気でそう言っている――こちらを強盗の類ではないかと疑い、そしてこの先へ進ませまいとしている。それが意味するところは。

 

(……教会からは、まだ結構離れてるはずだ。こんなところで見張りをしているなんておかしい)

 

 だが、この男は明らかに自分をそちらへ向かわせぬよう警戒している。その意図は読み取れるものの、道理にはそぐわない。なにか、こちらが考慮に入れ切れていないピースがあるということだ。男の言葉と、教会から離れたこんな場所で見張りに着いている理由とを結ぶなにかが。

 

 確証を得るためにも、悠介は妥協することにした。即ち、相手に情報を与えてしまうことへの妥協をだ。

 

「この先に、街があると聞きました」

 

「…………」

 

 今度は無言だった。肯定も否定もしてこない。ただし、明らかな警戒の色が目に浮かんでいる。

 

「僕がもし盗賊なら、ここであなたと問答なんてせずに、さっさと射殺して確かめに行ってます。そうした上で、略奪に走る」

 

「……違うとでも? きみは街の存在をここに来る前から知っていたような口振りだ。盗みに入るために事前に所在を確認しようとしているのでないと、そう証明できるか?」

 

 男の言葉を聞いて。

 

(やっぱりか)

 

 疑問のひとつが確信に変わる。悠介はそれを口にした。

 

「ここはもう、街の中なんですね? この先にあるんじゃなくて」

 

 そういうことだった。わかってしまえば単純な理屈だ。この男は街の外から来るであろうなにかを見張る役割を負っており、そして遂行している。ならばここが既に、街だということだ。

 

 男が首を横に振った。

 

「……生憎だが、どこまでがそうなのか、はっきりとした境界線があるわけじゃない。いや、あるにはあるんだが、俺の目にそれが見えているわけじゃないんだ」

 

「まあ、それはそうでしょうけど。地面に線引きでもしてあるならともかく」

 

 悠介は同意した――つもりだったが。

 

「いや、してあるんだよ。線は引いてあるんだ。きみが気付いていないだけでね」

 

「……はい?」

 

 男の言葉に、流石に眉をひそめた。

 

 ここまで歩いてきて、地面に白線などがあったわけではないし、バリケードが築かれていたわけでもない。だからこそ目指していた街とやらはまだ先にあるものと思ってもいたのだ。

 

「まあ、それはいい。……きみは本当に、ここへ盗みに入ったわけじゃないんだな?」

 

「ええ。入るためになにか決まり事を守れというのであれば、それを守りますよ」

 

「なら、まずは武器を渡してくれ。その権限があるもの以外、武器の所持は一切禁止されている」

 

 悠介はしばし、考えて――

 

 持っていた拳銃の向きを変え、男に銃把を差し出した。その途端に男がこちらを撃ってくるのではないかと警戒しないでもなかったが、そんなこともなく、あっさりと銃を取り上げられる。

 

「武器はこれだけか?……それはなんなんだ?」

 

 男が指し示したのはこちらの腕に着いているPCだった。確かに物珍しいものには違いないだろうが、かと言って武器にも見えないので疑問に思ったのだろう。

 

「これ、パソコンですよ。武器にはならないと思いますけど」

 

「パソコン? そんなものが?――変わった形だな」

 

「ウェアラブルコンピュータってやつです。知りません?」

 

「いや、パソコン自体よく知らないんだが」

 

 こちらのPCをじろじろと眺めてから、男は取り上げた拳銃を懐へとしまった。よくはわからなくとも銃以上の脅威にはならないと判断したようだ。無理もないが。

 

「では確かに、預からせてもらった。繰り返すが、ここはもう街の中だ。たとえきみにそのつもりがなくとも、ルールを破れば処断されることになる」

 

「……ルール、ですか」

 

 久しく聞かなかった言葉だ。今となってはどこか滑稽にも思える。

 

 だが、男は大真面目だった。

 

「そうだ。ここには規律が、法がある。それを守っている限りは相応の安全が保障されている」

 

(……そう思うのはまあ、自由だけど)

 

 文句を言う筋合いではないし、言えば彼は憤慨するだろう。一年程前にそう信じていた人々が一夜にして悪魔に殺されたのだということを知らないのだとしても。

 

 と、そこで悠介は後ろで待たせていた有紗とプランクのことを思い出した。男に聞いてみる。

 

「あの、連れがいるんですけど。呼んでもいいですか?」

 

「ひとりじゃなかったのか? まあ、答えは一緒だ。何人だろうと、ルールを守ればここにいることが許される」

 

「ええ、わかってますから。……有紗!」

 

 後ろに振り返って声をかけると、有紗はすぐに顔を見せた。

 

「悠介? もうそっちいってもいい?」

 

「うん。銃はこのひとに預けてね」

 

 答えると有紗とプランクは物陰から出て、こちらへと歩いてきた。と思いきや、すぐに再び立ち止まる。

 

「どうしたの?」

 

「え、だって……」

 

 有紗はきょろきょろと辺りを見渡している。なにかを探しているのか、あるいはこちらへ来ることに躊躇しているのか。どちらも、その理由には思い当たらなかったが。

 

 有紗はそのまま数秒ほど立ち尽くしていたが、やがて彼女を置いてプランクがさっさと歩き出すのを見て、恐る恐るといった様子で歩みを再開した。なぜかぎゅっと目を閉じ、あまつさえ拳まで握り込んでいる――水の中にでも飛び込もうとしているように見えた。

 

 そのまま何事もなく有紗とプランクがこちらへと近づいてくるのを眺めてから、悠介はもう一度尋ねた。

 

「……有紗、なにしてるの?」

 

「え?」

 

 有紗が目を開く。きょとんとした様子で再び視線を左右へと向けた後、ほっと息を吐き出した。

 

「その子、なにしてるんだ?」

 

 流石に不審に思われたらしく、男が聞いてくる。悠介は居心地悪く頬を掻きながら、

 

「たぶん、心の準備とかです」

 

 適当に答えておく。

 

 有紗は更にもう一度周囲に視線を向けてから、口を開いた。

 

「ここが、まち?」

 

「うん、そうらしいよ。あ、さっきも言ったけど、銃はこのひとに預けてね」

 

「どして?」

 

「それがここのルールらしいから」

 

「るーる?」

 

「そう、ルール。ここに入るには守らないといけないんだって」

 

「悠介は、まもるの?」

 

「もちろん守るよ。僕の銃はもう渡したから」

 

「なら、ありさもまもる」

 

 言うと有紗は腰に巻いたベルトから銃を抜き取り、男へと差し出した。ただし普通に銃把を握って銃口を突き付けているので、傍目には男を撃とうとしているようにしか見えないが。

 

「ああ、うん。預かっておこう」

 

 向けられた銃身を横から掴み、男が有紗の銃を受け取る。

 

「あそこに見える、大きな建物が聖堂だ。まずはあそこに行って、挨拶してくるといい」

 

「責任者の方がいるんですか?」

 

 一年前にも目にした奇妙な形状の建物を男が指差すのを見ながら、聞き返す。

 

「責任者というか、リーダーかな。ここで守るべきルールを、まずは知るべきだ」

 

「わかりました。ありがとうございます」

 

 軽く頭を下げて、悠介は歩き出した。有紗とプランクも後をついてくる。

 

 ――あそこに見える、と男は言っていたが。

 

 聖堂まではまだかなり距離が離れており、男の立っている場所は以前に見た教会の敷地の明らかに外側だ。ここが街の中だということは既にわかったが、それにしても見張りの担当区域が広範過ぎるような気がした。なぜこうも離れた場所に配置しているのか――

 

 と、思っていたのだが。

 

(……あれ?)

 

 それが大いに誤った認識であると、悠介はすぐに思い知った。

 

 一分も歩くと、すぐに別の人影が見えたのだ。それも複数だった。建物の外でなにやら話をしているが、どう見ても見張りをしているようには見えない。敢えて言うなら、ただの談笑だ。

 

 すぐ近くを通りがかった際に若干もの珍しいような視線を向けられたが、それだけだった。こちらを警戒したような素振りも見せず、会話へと戻っていく。

 

 聖堂のある方へと近づいていくと、目につく人数はどんどん増えていった。

 

(……馬鹿な)

 

 歩きながら、悠介は呆気に取られていた。

 

(これじゃ、本当に街じゃないか)

 

 建物が立ち並び、人々が行き交う。悪魔が現れるまではそれこそどこでだって見る事のできた、ありふれた光景だ。

 

 期待は、していなかった。したところで裏切られるのが関の山だと思っていた。もしあるとしても、数十人程度の人間が寄り添ってひっそりと暮らしているだけの、他の集落と変わらない規模だろうと、そう見当をつけていた。どうしたところで悪魔や簒奪者の脅威は払拭できないのだと、そういった諦めを抱えて生きているしかないはずだと――そう思っていたのだ。

 

 だが、予想は大きく外れた。先程の見張りの男も、わざわざ聖堂から距離を置いて配備されていたのではなく、単純に街そのものが広かったのだ。かつての教会の敷地よりも、ずっと。

 

「悠介、ひとがいっぱいいるよ? このひとたちがまちなの? どっからこんなにたくさんでてきたの?」

 

 先程より更に忙しなくきょろきょろと首を動かしながら、有紗がどこかはしゃいでいるような声を上げている。いや、実際はしゃいでいるのだろう。彼女にとっては初めて目にするに等しい光景なのだ。

 

 しかし彼女の質問に、悠介は答えられなかった。

 

(いくらなんでも、広すぎる。こんなに広範囲を悪魔から守るとなると、それこそ軍隊でも持ち出さなきゃ無理だ)

 

 いや、それでもどうにかなるとは思えない。人々が残らず建物の中に避難でもしていない限りは。

 

(どうなってるんだ? こんなに大きな規模で、どうやって悪魔から身を守るって言うんだ――)

 

 道行く人々の表情からは、悪魔に対する怯えも警戒も感じ取れない。かと言ってまったく能天気に見えるかと問われれば、そういうわけでもなく。よく見ればあちこちに街の様子に目を光らせている、警備担当と思しき武装した人間の姿もある。街のすべてをそれだけで悪魔から守るには、どう考えても足りないが。

 

 考えつつも腑に落ちないまま、歩いていると。

 

「ねー悠介、あれ」

 

 有紗が立ち止まり、前方を指差した。そちらを見やると――細い塔のようなものが目に留まる。

 

(あれは……)

 

 見覚えがあった。鐘楼だ。

 

 更に歩いて行くと、これも記憶にある鉄製の門扉が見えてきた。その前にはこれも記憶の中の光景と同じく、銃で武装した二人の男が立っている。

 

「止まれ」

 

 こちらの姿を認めて、男達が手を挙げて制止してくる。悠介は言われた通りに立ち止まった(有紗とプランクもちゃんと立ち止まっている)。

 

「見慣れない顔だが……聖堂になにか用か? 新しい居住希望者か?」

 

 銃に手をかけながら尋ねられ、悠介はどう答えたものかしばし考えた。

 

 ここに留まるかどうかは、まだ決めあぐねているのだ。少なくとも、安全なのかどうかを確認するまでは。

 

「いえ、たまたま立ち寄っただけです。折角だから挨拶でもしようかと思って」

 

「挨拶だと?」

 

「ええ。ここでのルールを聞いておかないと、知らずにやぶっちゃうかもしれないでしょう?」

 

 答えると、男達はなにやら一瞬だけ目配せしたようだった。すぐに告げてくる。

 

「やはり、新参か。……少し待て。この先に入ることを許されているものは限られている」

 

 言われた通りに待っていると、しばらくして門に隣接した建物の中から三人の男達が出てきた。やはり銃を持っており、こちらに警戒の視線を向けている。その中のひとりが口を開いた。

 

「ついて来なさい。ただし妙な真似はしないようにね。撃たなければいけなくなる」

 

「わかりました」

 

 悠介は頷いて、門に向かって歩き出した。

 

 

 

 銃を持った男達に囲まれながら歩くというのは、控え目に言っても連行されているようにしか見えないのだろうと、悠介はそんなことを考えつつも周囲に視線を向けた。

 

(……変わってない)

 

 ここに滞在していたのは一週間程度だが、記憶にははっきりと焼き付いている。目が覚めて周囲が死体の山になっていた、あの時の光景は。

 

 もっとも、今は死体などまったく見当たらなかった。あちこちにやはり武装した男達が立っており、油断なく周囲を警戒している。

 

 やがて中央に建つ聖堂の入口へと辿り着いた。男のひとりが扉を開き、中へと入って行く。悠介はその後に続いて聖堂に足を踏み入れた。

 

 ――既視感があった。まるで初めてここに来た時の光景をそのまま繰り返しているように、建物の中の様子に見覚えのあるものを感じる。並べられた椅子に、正面の祭壇。頭上の窓から入り込む光。そして――修道衣姿の女性。

 

(……相澤、さん?)

 

 いや、それは違う。あの時あそこに立っていたのは彼女ではなく、元からここにいたシスター――そう言えば最後まで名前を聞いていなかった――だったはずだ。そして今、視線の先に立っている女性も当然違った。なので単なる見間違いだ。菜緒があそこに立っていたことなど一度もなかったはずだし、そして立っているはずもない。

 

 それでも悠介は内心の動揺を抑えきれず、もう一度修道衣を着た女性の姿を見直した。やはり違う。菜緒ではなく、そもそもそんなはずがない。その事実に安堵と落胆を同時に抱きつつ、しかし動揺そのものは消えなかった。

 

 菜緒ではないが、見覚えのある顔には違いなかったからだ。

 

「しすたー?」

 

 こちらよりも先にそれを口にしたのは有紗だった。その声に反応してか、修道衣姿の女性がこちらを振り向く。

 

「え……?」

 

 その女性はまず有紗を見、続いてこちらを、そして有紗の足元にいるプランクへと順に視線を動かしていった。

 

「その犬……あなたたち、もしかして」

 

 驚いた様子で目を見開き、こちらへと近づいてくる。悠介は声をかけた。

 

「お久しぶりです、シスター。僕たちのこと、憶えてます?」

 

 最初にここへ通された時にやはり自分達を出迎えた、あのシスターに間違いなかった。正直、死んだものとばかり思っていたのだが。

 

「ええ、憶えています。よかった……無事だったんですね」

 

 口元に手を当て、うっすらと涙まで浮かべて感極まったように言ってくる。自分や有紗とはそれほど面識があったわけでもないはずだが、それでも憶えていたらしい。こちらが憶えていたのと同じように。

 

「……シスター? お知り合いで?」

 

 こちらとシスターの様子を怪訝に思ったのか、男のひとりが尋ねる。シスターは指で軽く目元を拭いながら、

 

「はい。以前にもここに避難していた方々なんです。悪魔に襲われて、助からなかったものと思っていたのですけれど……」

 

「僕も有紗も、それにこのプランクも。どうにか助かって、すぐにここを離れてたんですよ。シスターこそ、無事だったようでなによりです」

 

 言うと、彼女はどこか申し訳なさそうな表情を浮かべて見せた。

 

「私は……周りの方が、逃がしてくれたんです。でも、逃げたところで行くあてもなくて。ここへ戻って来たのは、あの晩から二日ほど経った後でした」

 

 自分達がここを発った後に戻って来たということか。入れ違いになっていたらしい。

 

「途方に暮れました。本当に、たくさんの方が亡くなられて……せめて悪魔に殺されてしまった方々の弔いを、と思ったんです」

 

「……ひとりで、ですか?」

 

 百人近い数の死体があったはずだが、それを彼女ひとりでどうにかしようと思ったのだろうか。

 

 答えてきたのはまた別の男だった。

 

「シスターは、ここで悪魔に殺された人々の墓を作っていたそうだよ。ひとつひとつ、手作業でね。この建物の裏に墓地があるんだが、さっき通った時に見えたかい?」

 

 気付かなかった。なのでかぶりを振る。

 

 シスターが後を続けてきた。

 

「そうしているうちに、他にも何人か、逃げ延びていた方々が戻っていらしたんです。それでも、私を含めて十人にも満たない人数でしたけど」

 

(……僕たちの他にも、逃げ遂せたひとがいたのか)

 

 その可能性は考慮に入れていたものの、しかしわざわざここに戻ってくるとは思わなかった。というかその者達も、戻ってくるつもりなどなかったのだろう。単なる気まぐれか、あるいは偶然か、一度は逃げ出したここを再び訪れて――そして目の当たりにしたのだ。たったひとりで黙々と、墓を作り続ける彼女の姿を。

 

「最初はそれだけだったんですけれど、いつの間にかどんどんひとが集まってきて。気が付いたら、以前の教会よりもずっと大きな規模になっていたんです」

 

 シスターの言葉に、悠介は思わず身を乗り出しかけた。

 

「それです。これだけ広い街なのに、悪魔や盗賊への対処はどうしてるんですか?」

 

 気になっていた疑問を口にする。そもそもここが安全であるという評判がまずなければ、人々が集まってきたりはしないはずだ。その安全をどうやって保障しているのか、気にならないはずがなかった。

 

「実際、盗賊というか強盗というか、そういった手合いは何度も侵入しているよ。その為の我々、聖堂騎士団だ」

 

 またしても、答えてきたのはシスターではなく男の方だった。

 

「聖堂……騎士団?」

 

 突拍子もなく時代錯誤な単語を聞かされて、悠介は眉をひそめた。こちらの反応は予測済みだったのか。男はどことなく居心地悪そうな表情で頬を掻いている。

 

「いやまあ、大層な名前がついてはいるが、ただの警備担当だよ。この街で武装することを許された治安維持部隊だ」

 

「場所が場所だけにね。若い連中が、それらしい名前を名乗ろうって言い出したのさ。テンプルナイツ、なんて呼ぶヤツもいる」

 

 別の男が補足してくる。

 

 聖堂騎士団、あるいはテンプルナイツと言えば、確か現実にも存在した修道士達の組織だ。恐らくここが教会で、この建物が聖堂だからというだけの理由でそう名付けられたのだろうとは、彼等の表情を見れば想像に難くない。

 

 が、悠介が気になったのは名前などではなかった。

 

「あなたたちだけで、悪魔からも盗賊からもこの街を守っているっていうんですか?」

 

 だとすれば、一体どれだけの武器を貯め込んでいるというのか――あるいはどれだけの手練れ揃いなのか。いや、それにしても無理があるように思えるが。

 

 こちらの疑問に、男はなぜかにやりと笑って見せた。

 

「我々の仕事は、あくまで街の治安維持と、外から武装して侵入してくる強盗団の鎮圧及び撃退だよ」

 

「……悪魔は、管轄外っていうことですか」

 

「それも別に間違ってはいないが――ここでは、悪魔の脅威に怯える必要はないんだ」

 

 男の言葉に。

 

「――はい?」

 

 悠介は聞き返した。恐らく相当に間抜けな顔をしてしまっていただろうとは自覚できたが。

 

 男達は更に得意げな表情を見せた。

 

「信じられないのも無理はない。我々だって最初は信じられなかった。というか、すんなり信じることのできたものなどいないだろうな」

 

「だが事実、この街には悪魔が近寄って来ないんだ」

 

「…………そんな、馬鹿な」

 

 俄かには受け入れ難く、悠介はただつぶやいた。どう見ても適当なことをでっち上げているようには見えない男達の表情と、ここへ来るまでに見た街並みが、その受け入れ難い事実を裏付けているのだとしても。それでも、すんなりと信じるにはあまりにも道理に背くものだった。

 

「色々と言われているよ。シスターが神から授かった不思議な力で悪魔の侵入を阻んでいるだとか、彼女がいるおかげでこの辺りの土地が清められているから、悪魔は恐れをなして入って来れないんだろう、とかね」

 

 その言葉を無条件に信じることなどできず、悠介はシスターの方を見た。彼女は曖昧な笑み(というか、苦笑いか)を浮かべている。

 

「ええ、その……確かに、そういった噂をされているとは聞き及んでいますけれど。噂ですよ? 私にそんな力はありません」

 

「……本当なんですか?」

 

「え? いえ、ですから噂です」

 

「そっちじゃなくて。悪魔が入って来ないって」

 

「あ、ごめんなさい。ええ、そっちは本当ですよ」

 

 あっさりと、シスターは頷いて見せた。おおー、と有紗がなにやら感心したように歓声をあげる。

 

「しすたー、すごいね。おーらとかでてる? それともばりやー? たいあくまようぜったいりょういき?」

 

「いえ、だから私じゃありませんてば」

 

 有紗の視線をやはり苦笑いして受け止めるシスターの言葉を聞きながら。

 

(……どうなってるんだ)

 

 悠介はまだ信じられない思いだった。悪魔が、街の中へ入って来ない?

 

 シスターも男達も、結託してこちらを担ごうとしている――というわけではないのだろう。その意味がないし、実際にここには街と呼べる規模の人々が集まっているのだ。そして見た限り、実際に街として機能しているようにも思えた。その原因はともかく――彼等にもわかっていないようだが――悪魔の侵入を防いでいなければおよそ不可能なことだ。

 

 つまりは、なにかがある。悪魔を拒む何らかの要素が、この街にはあるのだ。ただの偶然というのも――限りなく低い確率だろうが――含めて。

 

(調べてみる価値は、あるかも)

 

 そのためには、この街に滞在しなければならない。腰を落ち着けるかどうかはその上で判断すればいいだろう。

 

「シスター」

 

「はい?」

 

 どう説明すれば有紗を納得させられるのかわからないらしく困り果てた様子のシスターに声をかけると、彼女はすぐにこちらへと向き直った。

 

「しばらく、この街に滞在させてもらいたいんですけど……構いませんか?」

 

 こちらの提案に、彼女はぱっと顔を輝かせた。胸の前で小さく両手を打ち、

 

「ええ、もちろんです。しばらくと言わず、いつまででもどうぞ。外は危険ですものね」

 

「ありがとうございます」

 

 軽く頭を下げて礼を述べる。こちらの思惑に気付いているのかどうかは定かではないが、少なくとも彼女は自分達のことを歓迎してくれているように見えた。

 

「では、早速手続きを――あ、いえ、その前に」

 

 と、シスターが僅かに表情を曇らせた。どことなく後ろめたいような顔色を見せた後、こちらの反応を窺うように聞いてくる。

 

「あの……お二人とも、お見せしておきたいものがあるのですけれど」

 

「はい?」

 

「なーに?」

 

 こちらと有紗が交互に答える。シスターは男達に視線を向け、

 

「申し訳ありません。その、少し、外していただけませんか?」

 

「は……? シスター、どちらへ?」

 

「……墓地です」

 

 彼女の言葉に、男達は顔を見合わせた。なにかを察したのか、互いに小さく頷き、

 

「……わかりました。それでは、我々はこれで失礼します」

 

「はい。お疲れ様です」

 

 会釈して男達が建物から出て行く。それを見届けてから、シスターはこちらへと向き直った。

 

「ではお二人とも、ついてきてください」

 

 やはり建物の外へ向かう彼女の後を追って、悠介達も外へ出た。そのまま聖堂からはやや離れたところにある、恐らく元は教会の中庭だったのであろう場所へと移動する。そこには小さな石塔のようなものが立ち並んでいた。ざっと見た限り――その数はおよそ、百ほどか。

 

 そこがなんであるのか、考えるまでもなかった。並んでいる粗末な石塔はつまるところすべて墓碑で、シスターが作ったものなのだろう。

 

「誰なのか、わからないものがほとんどだったのですけれど」

 

 その中を歩きながら、シスターはぽつりと言ってきた。

 

「中には、その……判別できるものもあったんです。だからできる限り、その方達の顔を覚えておこうと思いました」

 

 あの時の惨状は悠介も憶えていた。誰なのかわからないほど損壊した死体が多く、酷いものでは手足の一部が転がっているだけということすらあったのだ。個人の特定など、そうそうできるものではなかっただろう。

 

 やがて、シスターはある石塔の前で立ち止まった。他とは違い、石塔だけでなくなにかの木片に文字を刻んだものが傍らに置かれている。

 

 それを見て、悠介は。

 

「…………明?」

 

 呆然と、木片に刻まれた文字を読み上げた。日本語ではっきりと、不破明、と書かれている。

 

「へ? あきら、って……」

 

 有紗がこちらと、そしてシスターの顔を交互に眺める。

 

 ゆっくりと、悠介はシスターへと顔を向けた。彼女は石塔の前に屈み込みながら、

 

「悪魔に襲われた形跡こそなかったのですけれど……私が見つけた時にはもう、手遅れでした。もっと早く手を施せていたら、違ったのかもしれません」

 

「……そんな、こと」

 

 彼女の言葉を聞いて、悠介は短く吐き捨てた。

 

 恐らく彼女の後悔――ではないのかもしれないが――はまったくの見当外れだ。明はここが悪魔に襲われるよりも前から意識が戻らず、自力での生命維持すら出来ない状態だった。彼女が延命技術の専門家とかであるならともかく、そうでない以上ここへ戻って来たところでどうにかできたはずがない。つまりはもっと前の段階で、既に手遅れだったということだ。

 

 悠介は彼女の隣に膝をついた。なにかを言う気にもなれず、黙って石塔を見下ろす。しばらく、そのまま沈黙が訪れ――

 

【挿絵表示】

 

「……ありがとう、ございます。弔ってくれて」

 

 やがて口から漏れたのは、礼だった。シスターがこちらを見る。

 

「同級生だったんですよ。僕と、有紗と……それにもうひとり」

 

 彼女はなにも言ってこなかった。黙ってこちらの顔を眺めている。

 

「まあ、そんなに仲が良かったわけでもないんですけどね。薄情って言うかなんて言うか……あれから今日まで、実はほとんど思い出すこともありませんでした」

 

 こうして墓を目にしなければ、そのまま忘れてしまっていたかもしれない。礼の言葉は、そういう意味でもあった。忘れてしまうぎりぎりのところで、思い出させてくれたのだと。

 

 悠介は首を動かし、有紗を見た。きょとんとした様子で石塔へと視線を落としている。

 

「有紗、明だよ。憶えてない?」

 

「おぼえてる、けど……」

 

 なにやら困ったように眉根を寄せているが、無理もない。彼女からすればほんの数週間程度を共に過ごした相手でしかないのだ。それ以前の記憶がないのだから、仕方がない――そう、彼女からすれば。

 

(でも……僕は、違う)

 

 少なくとも今の有紗よりは、多くのことを憶えている。その上で、思い出さなかったのだ。それどころではなかったというのももちろんあるが――そうでない理由も、やはりある。

 

(薄情なんだ、僕は。必要がなかったから思い出さなかった――必要がないっていう、ただそれだけで、思い出そうとしなかった)

 

 他に考えるべきこと、やるべきことが山積みだったので、それらに押しやられていく記憶を繋ぎ止めようともせず、そしてそれを咎める者もいなかった。それは酷薄なことなのだと、そう責める誰かがいなかったのだ。

 

 今もそうだ。こうして打ち明けても、シスターも有紗もこちらを非難するようなことはない。そして無論、そのことで彼女達に文句を言えるような筋合いでもない。百も承知だった。

 

 だから自分で判断するしかないのだ。自分は薄情者だと、その烙印を自分で自分に刻むしかない。

 

 涙は出なかった。それをおかしいとも思わなかった。

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