滞在に必要な手続きを終え、更にこの街に留まる上で守らなければならないという規則を一通り説明されてから、悠介達は聖堂を後にした。既に日は傾き、地平線の辺りに黒く染まりかけた太陽が沈もうとしている。
(……本当に、いつからああなってたんだろう)
考えてみるが思い出せない。気が付いたら太陽の変色は始まっており、そしてそれは日増しに濃くなっているようだった。だが奇妙なことに陽光そのものはなんら変わらず地上へと降り注いでおり、だからこそ気付くのが遅れたのだろうとも思う。暗くなっているのならともかく、地上に存在する脅威だけで手一杯の状況にあって、わざわざ空を見上げるようなことはしない――とは言えここまで黒くなっていれば、流石に気付いていないものもいないだろうが。
疑問にこそ思うものの、だからと言ってどうにかできるわけもなく、そして具体的な影響が出ているわけでもないので、結局のところ誰も気にしていないのだろう。そう、以前僅かな間だけ報道された、あのシュバルツバースと同じだ。それがなんなのか本当にまったくわからないので、気にかけることもできない。
だが、それはさておき。
「……とりあえず、宿を探さないとね」
沈みゆく太陽を眺めながら、悠介は誰にともなくつぶやいた。いや、有紗とプランクがいるにはいたが、相談相手にするわけにもいかないので独り言には違いない。
先程説明されたこの街の規則によれば、テンプルナイトと呼ばれる治安部隊を除いて、夜間における市民の外出は禁止されているのだという。その他にも色々と細かい規定があったが、正直多すぎて悠介は憶えきれなかった。なので文書にまとめてもらったものを受け取り、有紗が先程からそれに目を通している。と言ってもその内容の半分も理解できていないのだとは、彼女の表情を見れば嫌でもわかるが。
(かなり厳しい内容だと思うけど、みんな反発したりしないのかな……?)
悪魔に襲われる心配をしなくて済む魅力には代えられない、ということだろうか。確かにそれが事実なのであれば、多少の規制は我慢する気にもなるだろう――今のこの国にあって最も危険に違いないものを、ここでは警戒する必要がないとなれば。
「……よくわかんない」
と、早々とギブアップしたらしく、有紗が先程シスター(今度はちゃんと名前を聞いた。
(これ、全部あのシスター――萌衣さんがひとりで考えたのかな)
だとすれば少しばかり彼女への印象に修正を加える必要があるだろうと、悠介は書類を捲りながらシスターの柔和そうな笑顔を思い起こした。規則のひとつひとつもそうだが、それを破った場合の罰則もかなり厳しいように思える。一定期間の拘束に、強制労働、最悪の場合は街からの追放もあり得るのだという。悪魔が出現する前の日本の感覚で見れば、人権団体を自称する連中から抗議が殺到しそうな内容だ。
(まあ、仕方ないか……こんな世の中じゃ)
その辺りは割とあっさり納得して、悠介は書類から目を離した。
宿を探すとは言ったところで、実際に代金を払って宿泊できるような施設があるとは思えなかった。いや、ひょっとしたら自分達のようにこの街を訪れた者を当て込んだ商売をしている人間はいるのかもしれないが、どちらにせよ無一文なのだ。どこか適当な無人の建物でも見つけて、今夜はそこに寝泊まりするつもりだったし、萌衣からも聖堂騎士団からも特に咎められるようなことはなかった。恐らく他にもそういった生活をしている者がいるのだろう。
(……滞在するなら、少なくともその間の生活の算段は考えないといけないか)
食料の蓄えもそれほど多くはない――というか、心許なくなかったことなど一度もないのだが。
流石に聖堂から近い場所には人が住んでいる建物が多かった。つまりは街の中心部であり、人の住んでいない建物を探すとなると、必然的に聖堂から離れることになる。夜間の外出が禁じられている為だろう、既に街を歩く人影も疎らだった。
夜間の外出を控えるのはどこも同じだ――悪魔は夜になると凶暴性を増す傾向にあり、控えめに言っても自殺行為でしかない。日が落ちれば誰もが身を隠して息を潜めているほかなく、それは武装して略奪に走る輩ですら例外ではなかった。悪魔は喰らう人間を選り好みしたりはしないのだから。
なのでこの街の住人が同じように夜間の外出をしようとしないのは、単純に治安の問題なのだろう。本当に、悪魔が入り込んで来ないのならば。
(って、まだ信じきれてはいないけど)
だが実際に、この街に足を踏み入れてから今まで、それらしい騒ぎは起こっていない。これだけの広さがあるにも関わらず、だ。街の外縁部でテンプルナイツが死力を尽くして奮闘しているというならまだしも、そういった様子もないようだった。
悠介はやがて古びたアパートらしき建物を見つけ、そこを今夜の(というか当面の)寝床にすることに決めた。聖堂からはかなり離れているので人が住んでいる気配はなく、つまりは廃屋ということだ。適当なドアを選んで中を覗くと、悪魔がやったものか人間がやったものか、目ぼしい家具は持ち去られた後のようだった。まあ悪魔がテレビやら箪笥やらを持ち去る理由もたぶんないはずなので、持って行ったのはこの街の住人か盗賊のどちらかなのだろうが。
床も埃にまみれているが、それでもおそらく大きすぎて持ち出せなかったのであろうベッドの存在は魅力的だと思わざるを得なかった。そこに敷かれている布団も、埃さえ払えば十分に使えるだろう。
悠介は隣の部屋の扉も開けて似たような状況であることを確認すると、有紗へと向き直った。
「今日はここに泊まろう。久々に人間らしい寝方ができるね」
「らしいねかた?……たったままねるの?」
それも人間らしいというか人間にしかできない寝方には違いないかもしれないが、悠介は説明する気も起こらずにベッドの埃を払い落とすことにした。打ち付けられているわけではない窓を開き、布団を持ち出して軽く叩く――それだけで目を覆いたくなる程の埃が舞い上がったが、息を止めて続ける。
「悠介、ほこり! ほこりっぽい!」
まともに吸い込んだのか、有紗がけほけほと咳き込みながら悲鳴を上げている。悠介は最後に布団全体を勢いよく打ち下ろしてから、窓を閉めた。それなりに埃の落ちた布団をベッドへと戻す。
まだ涙を浮かべている有紗はそのままに、悠介は隣の部屋へと移動し、同じように窓を開けて布団の埃を落とした。やはりベッドに敷き直し、そこに腰を下ろす。ぎしり、と背筋がうすら寒くなるような嫌な音が聞こえたが、それすらも甘美な響きに思えてくる。
「……まだちょっと早いけど、今日はもう休もう」
頼りない反発を寄越してくるベッドに腰掛けたまま、悠介は有紗に向かって告げた。彼女は小首を傾げて、
「もうねるの? おやすみ?」
「うん。明日はとりあえず、街の中を見て回ろうか」
こちらの提案に有紗は喜ぶかと思いきや、更に深く首を傾けて聞いてきた。
「悠介がねるの? じゃあ、ありさがみはり?」
「いや、今日は見張りはいいよ。戸に鍵だけかけて、有紗も休むんだ」
言ってから、果たしてちゃんと鍵がかかるだろうかと不安になる。だがそれを確認しようと立ち上がる前に、有紗がぱっと顔を輝かせた。
「うん、じゃあねる! そうとなればねる! それはもうねる!」
言うや否や有紗は荷物をその場に置き(というか叩きつけて)、ほとんど滑り込むような勢いでベッドの上に寝転んだ。
「……有紗? こっちで寝るの?」
「ねるよー。よーしゃなくねる」
こちらの隣でうつ伏せになっている有紗を見下ろして尋ねると、彼女は即答してきた。悠介は嘆息して立ち上がり、
「じゃ、僕が隣の部屋で寝るよ」
扉に向かって歩き出そうとするが。
「なんで?」
横になったまま首だけをこちらへと向け、有紗が心の底から不思議でたまらないといった面持ちで訊いてきた。悠介は思わず足を止めて振り返り、
「なんでって、折角部屋があるんだから、わざわざ同じ部屋を使うこともないよ。ていうかそのベッド、どう見てもシングルサイズだし」
自分も有紗も一般的な成人男性と比べれば明らかに身長が足りないが、それでも彼女が横になっているベッドはどう見ても既に満員だった。プランクならば乗るかもしれないが、彼がそれを承諾する理由というのもない。
が、有紗は弾かれたように上体を起こすと、
「や!」
ごく短い抗議の声だけを上げてくる。彼女の表情に悠介は嫌な予感めいたもの(つまりは子供に言い聞かせるための無駄な労力を要求されるということだ)を覚えていたが、それに気づいた時には既に遅かった。
「やーだー! いっしょにねる! 悠介とねる! あとぷらんくも!」
名を呼ばれたプランクが断固拒否すると言わんばかりにさっさと部屋の隅に座り込むのを横目で確認しつつ、悠介はもう一度ため息を吐き出した。嬉しくもなんともないが、予感が的中してしまったらしい。
無駄とは悟りながらも、悠介は一応の説明を試みることにした。
「だから、ベッドが狭いんだってば。久しぶりにゆっくり休めるんだし、思いっきり手足を伸ばしてさ」
「よーきゅーはくつがえらない! われわれはいっさいのだきょうもしない! しょしかんてつ! がでんいんすい! いいからありさとねろー!」
自分でも意味のわからないまま口走っているのだろうが、なんにせよ彼女の態度は頑としていた。
これで最後にしたいと思いつつ、悠介はもう一度だけ嘆息した。無論、自分を諦めさせるためのものだ。
「……はいはい、わかったよ」
これ以上説明というか説得したところで徒労に終わるのは目に見えていたので、悠介はさっさと切り上げることにした。ベッドを目にしたせいか、自分の身体も一刻も早く横になることを要求している。
勝利の快哉を上げている有紗とそれとは別の意味で完全な勝者の座に収まったプランクとを交互に眺めてから、悠介は足元に荷物を置いた。ヘッドマウントディスプレイとPCも外し、荷物の上に乗せる。
(……これ外すのも久々かな)
軽くなった頭と腕に違和感すら覚える。いや、それだけではない。もっと単純に、外してしまうことへの抵抗があった。今日までずっと、悪魔召喚プログラムは文字通りの生命線だったのだ。ノートPCを使っていた時も常に肌身離さず持っていたし、寝る時ですら手放さないようにしていた。既に身体の一部になっていたような気さえする。
ベッドのすぐ脇に荷物を引き寄せてから、悠介は布団の上に横になった。隣に有紗がいるので寝返りを打つ余裕もない程に狭いが、それでも彼女は満足なのか、そのまま一分と待たずに寝息を立て始める。
(……まあ、有紗だって疲れてたんだよね。当たり前だけど)
有紗に気づかれないようこっそりと隣の部屋に移動しようかとも思ったが、その場合は明日の朝になって彼女がどれだけ臍を曲げているか知れたものではないので思いとどまった。子供の行動というのは基本的に読めないものであり、つまりはどういった形で報復を受けるかわからない。未知のリスクを冒す気にはならなかった。
(でも……そっか。考えてみたら、こんなことなかったんだよな。二人で一緒に寝られるなんてこと)
悪魔や人間を警戒する限り、二人揃って眠ってしまうなどということはこれまであり得なかった。その点を省みれば、彼女のはしゃぎようもわからないでもない――いや、それでもゆっくり休めることを喜ぶべきなのであって、敢えて自分と同じベッドで寝る必要はないはずなのだが。
ちらりと視線を部屋の隅へとやると、まだ眠っていなかったらしいプランクが片目だけでこちらを見返していた。相変わらず、なにを考えているのかわからない。犬なのだから当たり前といえばこれ以上ないくらいに当たり前なのだが、それにしても普通、せめて動物的な欲求――腹が減ったとか、眠いとかだ――くらいは見ればわかりそうなものだ。この犬の表情やら仕種からは、それすらも読み取れた試しがなかった。一体元の飼い主にどんな躾を受けていたのだろうか。
会ったこともないプランクの飼い主を想像しているうちに、悠介もまた眠りに落ちた。
恐らくはそれなりに深い眠りになるだろうと、そんなことも考えていた。
――まだ朝にはなっていないのだと、悠介は目覚めた瞬間に気づいていた。ならばなぜ目が覚めたのかと言えば、答えは簡単だ。
(銃声?)
間違いなく聞こえた。それも、割と近くから。
反射的に荷物を引き寄せ、PCとディスプレイを身に着ける。同じく今の音で目覚めたのだろう、プランクも部屋の隅で立ち上がっていた(最初から眠っていなかったのかもしれないが)。
有紗はまったく気づいた様子もなく眠りこけているが、悠介は一瞬だけ考えてから、起こす必要はないだろうと判断した。足音を立てぬように気を遣いながら――それよりも明らかに大きかった銃声をものともせずに眠っているのだから、無意味だったかもしれない――ベッドから降りる。
プランクに視線を向ける。考えを読めたことなど一度としてない犬ではあるが、やはり今度も同じだった。こちらになにも悟らせることなく、ただ立ち上がってなにかを待っている――ように見える。こちらの命令を、なのだろうか。
だが悠介が扉に向かって歩いて行くと、プランクはなにも言わずに後をついてきた。これもいつものことと言えば、いつものことではある。悠介は扉を押しやった。
すぐに、再度の銃声が聞こえた。そして怒号。それも複数だ。
「プランク、どっちかわかる?」
悠介の質問に、プランクは無論答えてきたりはしなかったが、なんの迷いもなく走り出した。その後を追ってこちらも走り出す。
プランクは街の外側に向かっているようだった。この街の具体的な範囲がどこまでなのかはわからないが(普通に考えれば、人が住んでいるところまでのはずだ)、しかし声と発砲音は前方から聞こえてくる。まだ街の外には出ていないということだ。
見えるまで、五秒とかからなかった。銃を持った男達が全部で三人。互いに動き回りながら発砲を繰り返している光景が飛び込んでくる。
二人いる方が聖堂騎士団だ、と悠介は即座に判断した。なんのことはない、街のあちこちで見かけたテンプルナイトと所持している銃が同じものだったからだ。では、それと相対している男は――
(盗賊か!)
街に入り込んできたのか、あるいは潜伏していたか。悠介は迷うことなく懐から隠していた拳銃を抜き取り、男に向けようとして。
プランクが立ち止まり、あらぬ方へと視線を向けているのに気づき、すぐに腕の向きを変えた。こちらのほぼ後ろに、なにかの布きれで顔を隠した人影が迫っている。
その手に金槌のようなものを握っているのを敢えて確認するまでもなく、悠介は発砲していた。振り向きながらの動作だった為に当たらなかったが、人影が一瞬だけ怯んで動きを止める。
「なんだ、ガキか?」
こちらの姿を見て、やや驚いたような声を布の向こうから漏らしてくる。それを聞いて悠介は。
(僕に驚いてる……? ということは)
テンプルナイトでない相手に反撃されるとは思っていなかった、ということか。つまり、この街の治安形態を多少なりとも知っている。ならば顔を隠しているのは――
「呼び込み役か。手が込んでるな」
先んじて街に潜入し、外にいる仲間を呼び寄せたのだろう。こちらの指摘に、目の前の男――男だ、声でわかった――は若干たじろいだようだったが、すぐに気を取り直した様子で、
「うるせえよ、死んどけ」
短く吐き捨てて、再び金槌らしき鈍器を振り上げた。悠介は即座にもう一度発砲したが、あっさりかわされる。
が、こちらの銃弾を避ける為に男が身を逸らした瞬間に。
「いてえ!?」
その足首に、プランクが牙を突き立てていた。転倒こそしなかったものの、男が大きくバランスを崩してつんのめる。
すかさず悠介は男の方へと踏み込み、ほとんど肉薄する程の距離で銃口を向けた。
(これだけ近ければ、いくらなんでも外さない)
男からすれば、ほぼ目の前に銃口が見えただろう。いや、そんな暇もなかったかもしれないが。悠介は躊躇なくトリガーを引いた。
悲鳴もなにもなく、眉間を貫かれた男はあっさりとその場に崩れ落ちた。表情は見えなかったが、わざわざ確認する必要はない。
(盗賊なんかやってるような人間なんて、大体みんな似たような表情しかしないよ)
唾棄するような心持で男の死体に一瞥をくれてから、悠介は視線をテンプルナイト達の方へと戻した。いつの間にか銃声は止んでおり、どうやら気絶させたらしい相手を見下ろしている。
当たり前だが、彼らもこちらに気づいているようだった。二人のうち片方が銃を持ったままこちらへと近づいてくる。
「おいきみ! どうしてこんなところにいるんだ!?」
盗賊と間違われなかったことに多少驚きつつも、悠介は足元の死体を指差し、
「このひと、街に潜伏してたみたいですよ。たぶん他にも仲間がいます」
「なに――? いや、それは確かに大変だが、きみがここにいることも看過できない。きみ、昨日ここにやって来た子だろう?」
「……僕を知ってるんですか?」
意外な返答に、悠介は思わず聞き返していた。自分がこの街を訪れてから、まだ丸一日も経っていない。数人のテンプルナイトと顔を合わせはしたが、目の前の男に悠介は見覚えがなかった。つまりは初対面のはずなのだ。
こちらの疑問を察したのか、男は言ってきた。
「新しく街に来たもののことは、その日のうちに団長から全員に知らされるんだ。連絡を密にすることが治安維持には重要だからね――って、だからそうじゃない。どうしてきみはこんなところにいるんだ? おまけに武器まで所持しているなんて。この街の規則を聞いていないとは言わせないぞ」
「聞いてますよ」
「だったら――」
男が尚も言おうとしたところで、再び銃声が聞こえた。悠介はそちらへと首を動かしながら、
「そんなこと、気にしている場合ですか? 賊が入り込んでいるんですよ。ここで僕を尋問するのと、連中をどうにかするのと、どっちが治安維持に直結します?」
「ああ――くそ、わかってるよ! そんなこと言われなくても!」
明らかに納得していない表情で、しかしそれでも理解だけはしたのだろう――いや、していたのか。ともあれ男は盗賊を後ろ手に縛り上げていたもうひとりの男の元へと駆け寄ると、いくつか言葉を交わしてからすぐに走り出した。ただし、途中で一度だけ振り向いて、
「いいか! きみがこの街に留まるつもりなら、俺たちはこの後で尋問の続きをしなけりゃならない! 場合によっては拘束だってあり得る! 忘れるなよ!」
そうされたくなかったら、有耶無耶にできるうちに立ち去れ、ということか。当たり前だが、彼等の掲げる治安維持というのはこの街の中だけのことであって、取り締まりの手を外にまで向けるつもりはないらしい。
(テンプルナイツ、か――意外に職務熱心っていうか、モチベーションが高いんだ)
だからこそ聖堂騎士などという大仰にも程がある名前を名乗っている、のだろうか。街に入り込んでいる盗賊がどれ程の規模なのかはわからないが、しかし有象無象の群れには違いない。恐らく大した時間もかからずに鎮圧できるだろう。
そう――撃退することは、できる。だが。
(連中はなにも、テンプルナイトに喧嘩を仕掛けに来てるわけじゃないんだ)
目的は略奪に他ならない。その障害になると判断すればテンプルナイトでない市民が相手だろうと暴行を加えるだろうし、もちろんそれ以外の理由でも手を出すだろう。
銃声はあちこちから聞こえており、今もどこかで聖堂騎士団と盗賊が立ち回りを演じていることが窺い知れた。この音が聞こえている限りは、武器を手に反撃することを禁止されている市民は危険に晒され続けているということだ(自分と同じように隠し持っている住民も当然いるだろうが)。
(治安と人命はイコールじゃないってことか。もうちょっと、融通は利かないのか!)
悠介は銃声の聞こえてくる方角のひとつへと駆け出した。走りながらヘッドマウントディスプレイを目の位置まで下ろし、PCを操作する。
すぐに銃声の発生源が見えた。格好も持っている銃の種類もばらばらの一団と、それと銃撃戦を展開しているテンプルナイト達だ。民家から程近い場所だが、付近に市民の姿は見当たらなかった。家の中に隠れているのか、それともこの辺りには誰も住んでいないのか、そこまではわからないが。
ここから撃ってはテンプルナイトに当たりかねないと思い、悠介は悪魔召喚プログラムを起動させた。隣を並走しているプランクの姿がすぐにケルベロスへと変じる。
特に命令を下すまでもなく、ケルベロスは一直線に標的へと飛び掛かっていた。一番近くにいた誰か(顔を隠しているので性別まではわからなかった)の脇腹をすれ違いざまに爪で抉り、即座に次の獲物へと襲い掛かる。
「なんだ!?」
「馬鹿な、悪魔だと!?」
盗賊とテンプルナイト達が同時に叫ぶ。突然の乱入者に泡を食っている様子だったが、ケルベロスはそんなものに付き合う義理はないとばかりに二人目の喉を切り裂いた。
「どうして悪魔が――くそ、応戦しろ!」
混乱から先に立ち直ったのはテンプルナイトの方だった。そこは流石に訓練を受けている(と思われる)者の反応だと悠介はこっそり感心していたが、やはりケルベロスにとってはどうでもいいことだったのだろう。テンプルナイト達が向けた銃口から次々と放たれた弾丸を素早い身のこなしで避け、三人目の標的へと向かっている。
「じょ、冗談じゃねえ!」
為す術もなく爪に切り裂かれた二人とは違い、三人目の男はそれでも一応ケルベロスの動きに反応して見せた。振るわれた爪をぎりぎりのところでかわし、そのまま一目散に走り出す。野生の獣に襲われた際の咄嗟の判断としては、それなりに悪くないと言える部類に入るものだろう。
ケルベロスは追い縋ろうとしたようだったが、しかしテンプルナイトの銃撃がその足を僅かに止めた。
「クソ! ここには悪魔はいねえんじゃなかったのかよ!」
誰に向けてのものか罵声を上げつつ、男がそのまま逃げて行く。テンプルナイト達はそちらよりも唐突に現れた白い魔獣こそをより明確な脅威と認識したのか、男を追うことなくケルベロスへと銃を向けていた――その認識は大いに正しいのだが。
「ケルベロス!」
こちらの呼びかけに、ケルベロスは間を置かずに応じていた。周囲を囲んでいるテンプルナイトの事は完全に無視して、逃げた男の背中に向かって口を開き――そこから、光線にも似た炎の帯を吐き出す。
「へ――」
男の悲鳴は聞き取れなかった。背後から放たれた熱線にまともに焼かれ、男が足を止めてその場に倒れ込む。
倒れた男と、炎を吐いたケルベロスと、そしてやはり闖入してきたこちらとを順に眺め、なにに対してどう対処すればいいのか混乱している様子のテンプルナイト達の間をすり抜けて、悠介は背中から後頭部にかけて深刻な火傷を負っている男の元へと駆け寄った。死んではいないらしく、倒れたまま苦しげな呻き声を漏らしている。そのこめかみへと、悠介は銃口を向け――
「ま、待て! 殺すな!」
慌てた様子でテンプルナイトのひとりがこちらへと駆け寄って来る。悠介は視線だけをそちらへと向けた。
「尋問しなけりゃならないんだ。殺すな。というか、きみにそんな権限はない。あー……確か、五十嵐悠介くん、だったか?」
やはり既にこちらの事は知っているらしい。
テンプルナイトの男はすっかりわけがわからないといった様子で頭を掻きながら、
「まったく、なにがどうなってるんだか――色々と聞きたいことはあるが、とりあえずその銃を渡してくれ。武器の所持は認められない」
「そんなこと――」
言ってる場合じゃないでしょう、と悠介は先程と同じ答えを返そうとしたが。
いつの間にか周囲からの銃声が止んでいる事に気づき、顔を上げた。そのまま数秒程耳を澄ませてみるが、やはり喧騒は収まっている。
「……片付いたみたいですね」
「そうらしいな」
こちらへと手を差し出したまま、男がどこか疲れたように言ってくる。視線を動かすと、他のテンプルナイト達はケルベロスを取り囲んだままだった。
「……なんで銃なんて持ってるんだ? この街に入る時に取り上げられなかったのか?」
催促するように差し出した手をひらひらと動かしながら、男が聞いてくる。早く銃を渡せということなのだろうが、悠介は肩をすくめて見せた。
「本気で武器を取り上げたいのなら、ボディチェックくらいはするべきですよ。まさか隠し持ってるのが僕だけだなんて思ってませんよね?」
「テンプルナイツの目の前で堂々と抜いて見せたのは、きみくらいだ」
と、倒れたまま呻き声を上げ続けている男の姿をちらりと見やり、
「わざわざとどめを刺す必要はないだろう。なぜ撃とうとした?」
悠介は答えなかった。視線をケルベロスへと戻して呼びかけると、すぐにこちらへと駆け寄ってくる。テンプルナイト達は制止しようとしたが、遅かった。
こちらの真横にまで近づいてきたケルベロスに若干腰を引かせつつ、男は更に聞いてきた。
「……殺す必要性があったんじゃなくて、動機があった、か?」
悠介はやはり答えなかった――それこそ、その必要性を感じなかった。男が疲れたように息を吐き出す。
「えらく憎んでるようだな。まあ、込み入ったところまでを聞くつもりはないが――とにかく、その銃を渡してくれ。あと、その悪魔はなんなんだ?」
手を出した格好のまま、ケルベロスへと視線を向ける。
「安心してください。僕が命令しない限り、あなたたちを襲ったりするようなことはありませんよ」
こちらの言葉に、男はぎょっとしたようにケルベロスから距離を取った。恐る恐る聞いてくる。
「あ、悪魔を手懐けてるのか?」
「ちょっと違いますけど、そんな感じです」
説明する気にもなれなかったので、適当に肯定しておく。男――だけでなく、他のテンプルナイト達も――は更にこちらから距離を取った。
どうやらこの街に悪魔が入って来ないというのは本当らしいと、悠介は彼等の反応から察していた。賊に対してはまったく臆することなく相対していたというのに、ケルベロスには明らかに怯えている。不慣れな相手、ということなのだろう。
一応、悠介は念を押しておく事にした。
「あ、命令しない限りは大丈夫ですけど、命令したらちっとも大丈夫じゃありませんからね。気を付けてください」
「そ、そうか」
頷きながら男が更にこちらから(というかケルベロスから)離れる。それでも矜持というか職業意識が働いたのか、持っていた銃をこちらへと向けて来たが。他の者達もだ。ある程度の距離を取ってこちらを取り囲み、銃を構えている。
「……僕を殺すんですか?」
「場合によってはな」
「うーん、それは困りましたね。即死できなかったら、死に際にあなたたちを食い殺せってケルベロスに命令するかもしれません」
無論はったりだったが、それなりの効果はあったらしい。誰も引き金にかけた指を動かそうとしない。
(……どうしようかな)
自分も彼等も、動けなくなってしまった。撃たれれば、間違いなく自分は死ぬだろう。そうなった場合ケルベロスがどうなるか、どうするつもりなのかというのは実のところさっぱりわからず、彼等に告げたのは完全にでまかせだった。まあ死んだ後のことなど気にしてもしょうがないのだが、彼等にとってはそうではない。こちらの言ったことを完全に鵜呑みにしているとは到底思えないものの、しかし無視もできないといったところだろう。
そのまま、自分も彼等も口を開くことなく十秒程が過ぎ――
沈黙を破ったのは、こちらにとってあまり有り難くない声だった。
「悠介?」
横手から聞こえてきたその声に、反射的に振り向く。見ると、怪訝そうな表情でこちらと周囲のテンプルナイトとを見比べている有紗の姿があった。
まずい、と思った時にはもう遅かった。こちらの状況を察したのか、有紗の表情が驚愕に歪む。
「悠介! あぶない!」
撃たれようとしている、と思ったのだろう。それはそれで間違ってはいなかったのだが、しかし歓迎しかねる行動であることには違いなかった――こちらへと駆け寄ろうとした有紗の腕を、テンプルナイトのひとりが素早く掴み上げる。
「あいた!」
その男が有紗の身体を引き寄せるのと、悠介がそちらへと踏み出したのはほぼ同時だった。
「有紗――」
咄嗟の状況判断は、残念ながら相手の方が上手だったと言わざるを得ない。こちらが踏み出すや否や、即座に別の男に足を払われた。呆気なくその場に転んで顔を上げると、複数の銃口が眼前に突きつけられていた。
「悠介!」
再び有紗が悲鳴を上げる。片腕を掴まれて身動きできないでいるが、それでもこちらに近寄ろうともがいていた。
「――即死なら、命令はできないんだよな?」
先程のこちらの言葉を受けて、男が言ってくる。確かにそうだ。その命令が有効なのかどうかはさて置いて、頭を吹き飛ばされれば流石に即死するしかないだろう。
首は動かせず、視線だけでケルベロスの方を見やる――普段からなにを考えているのかわからない犬は、悪魔にその姿を変えたところで、そしてこんな状況になったところで、やはりなにを考えているのかわからないままだった。少なくとも、自分と有紗の危機(と呼んで差支えないはずだ)を命令もないまま積極的に打開しようとはしていない。
こちらが答えられないでいると、テンプルナイト達は視線を僅かに別の方向へと移した。見えないが、複数の足音がこちらへと近づいている。
「その少年も、入り込んできた連中の仲間ですか?」
「いや、違うようなんだが……なんと言えばいいのかな」
頭の上から彼等のやり取りが聞こえてくる。どうやら他のテンプルナイトが来たらしい。
「街に入って来た連中は既に、可能な限り捕えました。戻って団長に報告をお願いします」
「わかった。おい、こいつらも連れて行くぞ」
「あの悪魔は、どうします?」
「え、あ、悪魔!?」
「いや、取りあえずは大丈夫らしいぞ。この子供が命令しない限りはな」
悠介は黙ってそれらを聞いていた。銃口はこちらの目の前から動いていないので、迂闊に口を挿むこともできない。
「ゆ、悠介? どうなってるの?」
片手をねじ上げられたまま訊いてくる有紗にも、当然答えられなかった。
「けど、どうするんです? あの悪魔を放っておくわけにもいきませんし」
「そうだな……やっぱりこの子供、ここで殺しておくか」
「あるいは、ここで尋問するか、ですね」
「え。ここに団長を呼ぶんですか?」
「――必要ない」
と。
その声は、また別の方から聞こえてきた。
男達の声が途切れた。のみならず、雰囲気までもが変わったような気がする。
(……なんだ?)
首は動かさず、再び視線だけで男達の様子を探る。どういうわけか、こちらを見ていなかった――新たに近づいてきた別の足音の方へと向けられている。
「団長、どうしてここに?」
男達の誰かが新たに訪れた者へと尋ねる。明らかに、驚いたような声音だった。
(団長? 聖堂騎士団の団長か?)
足音がこちらの目の前で止まる。悠介は視線を動かしたが、首がそれに伴わないので見えるのは眼前に立っている人物の腰の辺りまでだった。
「……あの、団長?」
戸惑ったような声。目の前の人物はそれに答え――いや、答えなかった。
「これを外せ」
くぐもった声でなにかを告げる。口元に布でも押し当てているような、男女の区別もつかないような声色だった。
「え? 団長、なにを」
「このパソコンを外せ。そこの悪魔を操作しているのはこいつだ」
(……え?)
怪訝に思っていると、男達はやはり戸惑いながらもこちらの腕からPCを外した。
「これで、あの悪魔に命令は送れん。連行しろ」
「あ、その……わ、わかりました」
両腕を掴まれ、そのまま強引に立たされる。そこでようやく悠介は周囲のテンプルナイト達が団長と呼ぶその人物の姿を目にすることができた――が、既にこちらには背を向けている。何かフードのようなものをかぶっており、その手にはこちらの腕から外したPCを持っていた。
「ほら、さっさと歩け」
背中を小突かれ、仕方なく歩き出す。こちらよりも背の高い男二人に両腕を掴まれているため、かなり歩きにくかったが。
「悠介! どこいくの!?」
まだ腕を掴まれたままの有紗の声に、それを掴んでいる男が団長らしき人物へと困ったように尋ねる。
「……団長、こっちの子はどうします?」
「ついでに連れて行け。仲間には違いないからな」
あっさりと言い放ち、その人物はさっさと先を歩いて行った。文句を上げている有紗と、微妙に納得しきれていない様子のテンプルナイト達を振り返るようなこともなく。
その後ろ姿を眺めながら、悠介は。
(悪魔召喚プログラムを、知ってる……?)
眉をひそめていた。
迷いも疑いもなく、悠介の着けていたPCを取り上げるよう命じた。自分はそんなことは一言も口にしていないにも関わらず。
こちらの疑問に、前を歩くその人物はなにも言ってこなかった。聞いたところで答えてもらえるような気もしなかった。