尋問ということで悠介はてっきり拘置所のようなところへ連れて行かれるものとばかり思っていたのだが、実際に案内されたのは格子のひとつもない部屋だった。聖堂から程近い場所の元は雑居ビルの類だったのであろう建物の一室で、一応ここが聖堂騎士団の詰所ということになっているらしい。ただし部屋の中にあるのは簡素なスチール机と椅子が二脚だけで、殺風景というレベルではなかった。基本的にはこの街の法を犯した者の取り調べの際に用いられる部屋なので、騎士団員の私室よりも調度に気を使う必要などはないのだろうが。
「いや、拘留用の部屋は別にあるんだよ」
自分を案内したテンプルナイトの男はそう言うと、まあ座って、と椅子を示した。断る理由も見つからず、パイプ椅子へと腰を下ろす。
「……取りあえず、きみからの忠告は上司にも報告させてもらうよ」
こちらの対面に座りながら、男がどこか疲れたような顔色と仕種で言ってくる。悠介は聞き返した。
「忠告? 僕の?」
「ボディチェックの話だよ。確かに本気で武器の所持を取り締まるつもりなら、それくらいはやらないと駄目だろうからね」
「……最初に話し合わなかったんですか?」
「仕方ないだろう。テンプルナイツが構想された時点で、既に街にはそこそこの人数の居住者がいたんだ。ボディチェックの件もそうだが、家捜しに踏み込もうっていう案もあったくらいだ。けど、シスター・メイが反対してね」
「あのひとが?」
「こう言っちゃなんだが、団長とシスター・メイは治安維持の方針で対立することが多いんだよ。住民の前ではそんなところは見せないけどね」
「なるほど。差し詰め萌衣さんが穏健派で、団長さんが急進派ってところですか」
「まあ、思い切り噛み砕いて言えばね」
曖昧に頷きながら言ってくる。悠介は疑問のひとつが氷解するのを感じていた。
つまりこの街の法を考案したのは萌衣個人というわけではなく、少なくとも聖堂騎士団の団長なる人物も関与しているということだ。それも恐らくは、萌衣よりもそちらの人物の方が大きな権限を持っているのだろう。あのシスターが考え出したものにしては、妙に罰則が多岐に渡ると思っていたのだ。
「まあそれはいいとして、だ」
男が机に片肘をつき、若干声音を変える。具体的にどうとは言えないが、あまりこちらの態度を歓迎しているようには思えない声だった。
「きみは事前にシスター・メイから、この街のルールをある程度は聞かされていたはずだな?」
「……聞いてます」
「武器の非所持と、指定された時間帯における外出の禁止。並びに場所、時間帯を問わず一切の戦闘行為の禁止――聞いてないはずはないよな? シスター・メイは真っ先に説明したはずだ」
「されました」
男の言う通りだったので、これも肯定しておく。
はあ、と男が盛大にため息をついた。
「だったらなんで、あんなことをしてくれたんだ。しかも状況を聞いた限りじゃ、別にきみが襲われていたわけでもない。我々と賊が交戦しているところに、わざわざ横から首を突っ込んできたそうじゃないか」
男の質問に、悠介はここへ連行されている間に用意しておいた返答を読み上げることにした。それこそ、目の前の男ではなく台本にでも目を通しているような心持で。
「街の安全を一秒でも早く確保する為ですよ。僕にはあなたたちとは別の力があるから、それを使って盗賊の撃退に協力しようと――」
「見え透いた嘘は聞いていてあまり愉快なものじゃないな」
こちらの言葉を遮って、男が低く言い放つ。語気こそ荒らげていないものの、有無を言わせぬ口調だった。
「個人的な感想だが、きみは年齢の割にしっかりしているように見える。この街の法を犯してまで戦闘行為に加担したところで、その後にこうなることはわかりきっていたはずだ。我々がきみを無罪放免にするはずがないということもね。つまり、きみにはまるでメリットのない行為だったと言える」
悠介は答えなかった。用意していた答えをあっさり嘘と見抜かれてしまったのだから仕方がない。他に答えなど考えていなかった。
「きみは単に、私怨からあの連中が許せなかったんだろう。直接あいつらに恨みがあるのか、それとも略奪行為に手を染めているような連中全体に向けられているものか、そこまでは知らないがね」
なかなか穿った意見だ、と悠介は思ったが、しかしすぐに考え直しもした。目の前の男が格別に聡いというわけではなく、単に自分の態度がそれだけあからさまだったのかもしれない、と。
男はもう一度嘆息して見せた。
「処罰は免れない。覚悟しておけよ」
「……具体的に、どうなります?」
こちらの質問に、男はふむと小さく唸り、
「そうだな。規則を破ったとは言え、街や住民に被害を出したわけじゃない。普通なら、武器を没収した上で一定期間の保護観察辺りが妥当なところだと思う」
武器は既に取り上げられている。悠介は男の口にした別の部分に引っ掛かりを覚えて更に尋ねた。もっとも、心当たりは嫌という程にあるのだが。
「普通ならっていうことは、そうじゃないんですね?」
「ああ。きみはよりにもよってというか、悪魔を従わせていたからな」
(やっぱりそこか)
当然の反応だった。悪魔がいるはずのないこの街に悪魔を持ち込んだのだから。
「最悪、街からの追放という線もあり得る。罰則としては最も重いものになるかな」
「……処刑されるっていうことはないんですか? さっき、そんなような話をしてた記憶があるんですけど」
顔面に複数の銃口を突きつけられていた時のテンプルナイト達の会話を思い出し、悠介は聞いてみた。男は小さく手を振り、
「いや、あれは忘れてほしい。恥ずかしい話だが、あの時はきみも悪魔なんじゃないかと疑っていたんだ。人間に対して死刑を量定することはないよ。最初に罰則を定めた時、シスター・メイがそれだけはなにがあっても絶対に許されないと、珍しく強硬に主張したのさ。とは言え――」
と、男は僅かにこちらから視線を逸らした。なにか苦いものでも含んでいるかのように、言ってくる。
「街からの追放というのも、それはそれで問題があるんだがね」
「問題、ですか?」
「ああ。……街に入り込んで来た連中は、概ね全員捕えたんだが」
概ねというのは、殺してしまったので捕縛することができなかった者がいたということだろう。実際、悠介もひとりを撃ち殺している。
「尋問してみたら、何人かは以前この街にいた人間だったんだ。なにかしらの理由で、この街を追放された連中ってことさ」
(ああ、なるほど)
合点がいって、悠介は告げていた。
「追放処分にされた、そのお礼参りってことだったんですか」
「全員がそうってわけじゃないが、そう考えていたのがいたんだよ。まったくもって迷惑な話だ」
言葉通りにうんざりした様子で男がかぶりを振る。そしてこちらを見やり、
「だから、さ。きみへの処断をどうするか、実を言えば決めかねている。シスター・メイや団長には報告せずに、さっさと殺してしまった方が面倒がなくていいんじゃないかなんて主張するようなものまでいるよ」
「それはなかなか、フレキシブルな対処ですね。殺されちゃ困りますけど」
皮肉で言ったつもりはなかったのだが、男はそう受け取らなかったらしい。苦々しい表情を浮かべている。
「追放になった場合、僕のパソコンはどうなるんです? 返してもらえるんですか?」
「いや、それは――」
男が言葉を詰まらせる。答え難いというよりも、こちらの質問に対する答えを持っていないという様子だった。
と、ドアの開く音が聞こえた。
「――悪いが、返すわけにはいかない」
ほぼ同時にくぐもった声が聞こえてくる。悠介は背後へと振り返った。
「団長! ど、どうしてこちらへ?」
驚いた様子で男が椅子から立ち上がり、入室してきたその人物へと尋ねる。聖堂騎士団の長はこちらの横を通り過ぎて机の脇に立つと、男に向かって言い放った。
「尋問はこちらで引き継ぐ。お前は退室しろ」
「は――え? 団長自ら、ですか?」
「二度は言わない」
「は、はい! 失礼致しました」
完全にわけがわからないといった様子だったが、それでも食い下がる気にはならなかったらしい。男が軽く(というか慌てているのだろう)会釈をし、部屋を出て行く。
空になった椅子に腰を下ろし、団長と呼ばれていた人物がこちらの姿を見据えてくる。その時点でようやく、悠介はその人物の顔を見ることができた――いや、実際にはできなかったのだが。
フードに覆われたその顔には、包帯が巻かれていた。目元を除いて皮膚の全てが覆われており、実際に顔を隠すのが目的なのではないかとすら思える――傷の手当てなどではなく。
聖堂騎士団長は片手に悠介のPCを持っていた。それを机の上に置き、聞いてくる。
「また、奇妙なパソコンだな。自作したのか?」
フードに口元を覆われているからというわけではなく、もっと根本的なところで奇妙な声色だった。男のものとも女のものともつかず、下手をすれば人間の喉が発するような音ではないようにすら思える。
「……ええ。でも、奇妙ではないでしょう。ウェアラブルコンピュータとしては割と一般的な形ですよ」
「ん、そうなのか? すまんが、パソコンには疎くてな」
身に着けるタイプのPCというのがまず一般的な代物ではないということには考えが及ばないのか、団長は存外にあっさりと言ってきた。
「そちらの方面に詳しい連中に調べるよう頼んだんだが、どいつも触りたがらなくてな。下手にいじって悪魔が出てきたらどうするんだと言われた」
「いじったところで無駄ですよ。ロックをかけてありますし、それを外したところで僕以外の人間には扱えません――その中に入っている、悪魔召喚プログラムは」
はっきりと、名前を言って見せる。だが団長はまったくもって驚いた様子を見せなかった。
「ロックに関しては、詳しい連中の言っていた通りだが――プログラムがお前にしか扱えないというのは、どういうことだ?」
(やっぱり、悪魔召喚プログラムのことを知ってるのか)
そしてそれをこちらに悟られることすら気にしていないらしい。表情は見えないものの、声色までもが変わらなかった。まるでそれすらも最初から織り込み済みとでも言うように。
「最初にそのプログラムを起動した時に、一種の生体認証みたいなものが行われたんです。たぶん、僕の生体マグネタイトを読み取ったんでしょうね」
「なるほど。つまりあの悪魔を元の犬に戻せるのは、お前だけということか」
視線をPCからこちらへと動かしながら、ふむ、と団長が唸る。
「……ケルベロスはどうしてます? 放っておくと、実体化に必要な生体マグネタイトが足りなくなってくるんですけど」
「大人しくしているさ。今のところは暴れるような素振りも見せていないが――餓えてきたら、その限りじゃないということか?」
「保証しかねますね。実体化が解けるだけかもしれませんし、僕の命令を無視して手当り次第に周囲の人間を喰おうとするかもしれません」
それはこちらの把握しきれていない部分だった。つまりは、プランクなのかケルベロスなのかという問題でもある。
こちらの言葉に、団長の目がすっと細められた。
「脅迫のつもりか?」
「そう受け止めてもらえなかったらどうしようかと思いました」
「ガキの浅知恵だな。だが、悪くない」
団長は微かに笑ったようだった。フードに隠れて口元は見えないが、ほんの少しだけ声色が変わっている。
「お前か、あるいはお前の連れに銃口を突きつけて、大人しくさせるよう命令しろと、そう言うだけだ。さて、どうする?」
「まあ、そうされたらどうしようもないですね」
認めて取り下げる。わかりきっていたことではあったが。
団長が机に両肘をついた。顔の前で両手を組み、こちらを覗き込むようにして言ってくる。
「では、次はこちらが脅迫する番だ。我々に協力してもらいたい」
「……協力、ですか?」
脅迫の材料こそいくらでも思い当たったものの、それと引き換えになるものがこちらの予想とは外れており、悠介は聞き返した。団長が頷いて見せる。
「悪魔召喚プログラムを解析させろ。そして、お前もそれに手を貸せ」
(……!)
悠介は小さく息を飲んだ。そう来るとは思っていなかったのだ。
プログラムの解析自体は、むしろ望むところではある。自分の持っている小さなPCだけでは限界があることはとっくにわかっていたし、前々から詳らかにしたいと思っていたものもあった。それなりに安全な場所で、且つそれなりの機材がある環境でじっくりと解析できるというのなら、それは願ってもないことなのだ。
だが、それを目の前の相手が提案してきたのは意外だった。悪魔の蔓延る状況にあって、このプログラムの重要性をよく理解していると言うしかない。
悠介はゆっくりと息を吐き出した。相手の目を見据えて、告げる。
「もう少し、詳しく説明してもらえますか? 内容次第で返答を考えなくちゃいけませんから」
「ああ、当然そのつもりだ。なにが聞きたい?」
「そうですね。まずは――」
少しだけ間を置く。勿体つけようとしたわけではなく、単に質問を選ぶ為の時間だ。
聞きたいことは、聞くべきことはいくらでもある。だが、取りあえずは。
「まずは、あなたの事情から聞かせてもらいたいですね――椎名さん」
「まあ、そうだろうと思ったよ」
言いながら、団長は苦笑を浮かべた。
包帯の上からでもはっきりとわかった。
椎名は包帯もフードも外すつもりはないようだった。ただ組んでいた両手だけを解いて、大きく嘆息する。
「お前たちの方の事情は、萌衣から聞いた。正直、生きていたのが信じられん」
「そうですか?」
「それはそうだろう。一年だぞ? お前やケルベロスはともかく、有紗までがよく生きてこれたもんだ」
多少口調を砕けさせて、椎名が言ってくる。聖堂騎士団の前では敢えて言葉遣いを選んでいるのだろう。
「僕は――あなたなら、ひょっとしたら生き延びてるんじゃないかなって思ってました」
以前の彼の姿を思い出し、悠介は告げた。
椎名と共に過ごしていたのは一月程度だったが、彼が刀一本で悪魔と渡り合っていた姿は覚えている。そして正直なところ、今でもまだその事実が信じられなかった。自分や有紗とは運動神経が根本的なところで違うらしい。
が、椎名はかぶりを振った。
「生憎、その予想はハズレだ」
「…………はい?」
意味がわからず、聞き返す。椎名はこちらから視線を逸らし、
「俺は死んだよ。期待に沿えなくて悪いが」
「死……え?」
やはり彼の言葉が理解できずに、悠介はもう一度聞き返した。
と、こちらの見ている目の前で椎名は服の襟に手をかけた。そのまま襟をずらし、左肩を顕にする。
「――こいつがなんなのか、お前ならわかるだろ?」
「え……」
椎名の左肩にあるものを見て、悠介は眉をひそめた。その周囲にいくつも刻まれた傷痕も気にならないはずはなかったが、それ以上に目を引くものが彼の上腕でその存在を主張している。なにかの模様らしきものが、左肩に貼り付いていた。一瞬、タトゥーかとも思ったが――すぐに思い当たる。
「ひょっとしてそれ、プランクのと同じ――?」
「お前もそう思うか、やっぱり」
それで満足したわけではないだろうが、椎名は言ってきた。自分の左肩を見下ろし、
「彫ったわけでもシールを貼ったわけでもない。気が付いたらこうなってやがった。形も色も違うが、あの犬の額にあるのと同じものだな?」
椎名の質問に、悠介は返事をすることができなかった。確かに、形はプランクのものとまったく違う。色もだ。プランクの額にあるものは黒だが、椎名の左肩にある模様は灰色だった。
――だが。
同じものだ、と。悠介は理解していた。その印がなんなのか、わかっている。
「デジタル・デビルの……情報痕」
「ま、そういうこった」
聞くべきことを聞いたと、あるいは言わせるべきことを言わせたとばかりに、椎名は襟を元の位置に戻した。こちらへと向き直る。
「つまり、椎名さん……あなたは」
動揺が声色に出ていることは自覚できたが、だからと言ってどうにもできなかった。椎名がこちらの後を継いで口を開く。
「死んだところを、もしくは死にかけていたところを、デジタル・デビルに憑依されたってことだ。プランクと同じだな」
椎名のその言葉に、悠介は。
「……そんな、馬鹿な」
思わずかぶりを振っていた。包帯に覆われた椎名の表情が僅かに歪んだように見えたが(眉をひそめたのだろう)、構わずに告げる。
「人間が、って言うか生物がデジタル・デビルに生体マグネタイトを喰われたら、悪魔になるはずです。実際に大勢の人間がそうなってる。人間のまま生きていられるなんて、おかしい」
「確かにな」
椎名は否定することもなく頷いた。
「お前の言うことは正しい。だが、プランクはどうだ? 例外に当たるだろう?」
こちらの疑問を肯定した上で聞いてくる。ということはこちらの見落としか、そうでなければ単純に知らない事実を伝えようとしているのだろう。
「ええ。プランクの場合は少し、状況が違います。デジタル・デビルに情報を乗っ取られたわけじゃなくて、言わばケルベロスの情報とプランクの情報との間に、相互に干渉可能なバイパスが通じている状態です。そして、そのオンオフを切り替えるスイッチを取り付けたのが――」
「悪魔召喚プログラムってわけだ」
頷く。椎名の言わんとしているところを、悠介はなんとなく察しかけていた。
「そう、例外はあるんだよ。何事にもな。俺の場合は、前提の段階で例外に当てはまったってだけのことだ」
「前提、ですか?」
「ああ。まずひとつ、俺に同化したデジタル・デビルには、構成上の欠損があった」
言いながら、椎名は自分の胸元を指差した。
「原因はわからんが、俺に転移した時点で既に、情報が欠落してたってことだ。そのせいで俺の生体マグネタイトを完全に取り込むことができず、むしろそれと共存というか、融合するような形になった」
「情報の欠落……? どんなデジタル・デビルなんです?」
「それはわからん。いや、情報が欠けてるからってわけじゃなく、俺がその手の知識に疎いからなんだが。調べた上で世界中の文献を漁ってみれば、それらしいのは見つかるかもな」
そんな面倒なことをするつもりはないという口振りだった。自分の身体のことだと言うのに。
「もうひとつは、前提じゃないな。結論の方だ」
「結論?」
「そうだ。人間のまま生きていられるなんておかしい、って言ったな」
「……まさか」
予測が瞬時に脳裏を過る。椎名の口から告げられたヒントを組み合わせればそれは嫌でも出てくる予測であり、そして結論だ。
「まったくもってその通りだ。デジタル・デビルと融合して、まともな人間のままでいられるわけがない。……おかしくなっちまったよ、俺の身体は」
言って、自分の身体を――頭から足の先まで、素肌がまったく見えないよう覆い隠された身体を示す。
「おかしくなった、って……?」
彼の身体を改めて観察しながら、悠介は聞き返した。
……人間に見える。少なくとも、こうして眺めている分には。だが、服と包帯の下がどうなっているのかはわからない。
こちらの視線の動きを見て取ったのか、椎名は苦笑しながら、
「安心しろ、ってことはねえが、別に見た目がバケモノになってたりはしねえよ。ついでに言うと、プランクみたいに悪魔の姿に変身するわけでもない。おかしくなったのは、目に見えない部分だ」
椎名は顔を上げた。それにつられてこちらも視線を上に向けるが――見えたのは薄汚れた天井と貧相な電灯だけで、特になにがあるわけでもない。
「この街に悪魔が入って来ないって話は、聞いてるな?」
「え? ええ、まあ」
突然話題を変えられて視線を椎名へと戻すが、やはり彼はこちらを見ていなかった。かと言って天井を見ているわけでもない。顔をそちらへと向けてはいるが、そこに彼の見ているものがあるわけではないようだった。
「悪魔の侵入を防いでるのは、俺だ」
ひどくあっさりと――場違いな程にあっさりと。椎名はそう口にした。
「……なんですって?」
眉をひそめる。椎名は繰り返してきた。
「俺が悪魔を防いでるんだよ。どう説明すればいいのか――うまく言えないんだが、悪魔にだけ反応する目に見えない壁みたいなものを展開してる。この街の全部を覆うようにな」
その言葉を聞いて、悠介は椎名が見ていたのが天井でも電灯でもなく、つまりはこの街全部だったのだと理解した。見えないが、彼はそれを見ている。
「悪魔ってやつの成り立ちを考えれば、俺の力が生体マグネタイトと結合し実体化を果たしたデジタル・デビルを遮断するものだってのは、なんとなく理解できる。お前の連れてきたプランクには、俺の力は反応しなかったからな」
「いや、ちょ……ちょっと待ってください」
どこか得心したような様子で言ってくる椎名に、悠介は慌てて声をかけた。椎名が視線を天井からこちらへと下ろしてくる。
「悪魔を阻む力を、その……手に入れたってことですか? デジタル・デビルと融合したせいで?」
「そうだろうな。他に説明がつかん」
それも含めて説明がつかないような気がしたが、椎名の口調は反論を許さないというか、そんなものを想定していないというものだった。既に解答に至っており、それを話して聞かせているだけ、というような。
深呼吸をして、ついでに与えられた情報を整理する。頭の中だけでなく、実際に口にも出した。
「ええと、つまり。椎名さんの生体マグネタイトがデジタル・デビルと融合した結果、悪魔の情報に干渉できるようになった……と、こういうことでしょうか。悪魔召喚プログラムと似たような情報処理能力を手に入れた、と」
「干渉と言えば干渉だな。悪魔召喚プログラムとは違って、情報を遮断するだけの限定的なもんだが」
椎名が肩をすくめて見せる。
「正直、予めお前からデジタル・デビルのことを聞かされてなかったら、自分でも持て余してたところだ。力の処理の仕方がわからずにな。その点じゃ、お前に感謝してる」
「はあ……」
どう答えていいのかわからず、悠介は唸った。
悪魔召喚プログラムがコンピュータの中でデジタル・デビルを情報として処理できているのは、CPUという演算装置があるからだ。その処理の仕方を完全に把握さえしてしまえば、確かに人間にも似たようなことはできるのかもしれないが――それは天文学的な数値を扱う数式を暗算だけで済ませるのと同義であり、およそ現実的とは言い難い。
(あるいは、椎名さんと融合したデジタル・デビルそのものが、演算装置としての役割を果たしてる――のかな)
逆に言えば、演算処理以上の役割を果たしていないからこそ、椎名の肉体までが悪魔へと変質せずに済んでいるのだろうか。完全にただの憶測に過ぎないが、そんな理屈でもつけておかなければ説明できない――というか、納得できそうになかった。
「なんか、小難しいこと考えてやがるな、その顔は」
黙り込んだこちらの様子を見てか、椎名が指摘してくる。悠介は彼の顔を見据え、
「その、椎名さんがそんな力を持っているっていうことは、街のひとには――?」
「知ってるのは萌衣だけだ。他の連中には話してねえ。テンプルナイツにもな」
ふっと息を漏らしながら、椎名は多少身体の力を抜いたようだった――楽にしたように見える。
「街の住民やテンプルナイトの連中は、神に仕えるシスター・メイの起こした奇跡だと思ってる。いや、もちろんそんな馬鹿げたことを信じてるようなヤツばかりじゃないが、かと言って俺の方を疑ってるようなのはひとりもいない。勘違いしてくれてるなら、そのまま勘違いさせておくさ」
「……萌衣さんを、求心力のための偶像に仕立て上げてるんですか」
それがなんとなく彼らしからぬ言動のように思えて、悠介は聞いてみた。
「こんな世の中だ。誰も彼もが救いを求めてる。そんな連中を纏めるためのシンボルになる気はないかと、萌衣にそう持ちかけたのは俺だよ。俺はなるべく表に出ないから、代わって表に立て、ってな」
「彼女は、それを承諾したんですか?」
「だからこの街にいる。性分なのかなんなのか、面と向かって聞かれた場合ははっきり否定しているようだがな」
「……みたいですね」
つい昨日のことを思い出して、悠介は首肯した。嘘がつけないのだろう、彼女は。
――そう、彼女の方なら、まだわかる。だが。
「なんか……雰囲気、変わりましたね。いえ、雰囲気って言うか」
「俺がこんなことをしているのが意外だって?」
こちらの言いたいことを察したらしく、椎名が聞いてくる。悠介は若干躊躇したものの、看破されているのなら隠す必要もないと思い頷いた。
ついでと言うわけではないが、更に口にする。
「確かに、その……意外です。以前のあなたはなんて言うか、自分の身を守ること以外に興味なんてないように見えましたから」
「ああ、間抜けだったよ。救いようもないくらいのな」
と、こちらの言葉を大いに拡大解釈して椎名はそんなことを言ってきた。だが、決して皮肉で言っているのではない――本当に心の底から、そう思っているような口振りだった。思わず、こちらが呆気にとられる程の。
「自分が生きていくには、周りなんか気にせずに、自分だけがしっかりしてりゃいい――そんな子供じみたことを本気で信じてた。ついでに、誰もがそうだともな。とんだ笑い話だ。おためごかしにも程がある」
それは明らかな、嫌悪の色だった。侮蔑とも呼べるし、憎悪とも言えるかもしれない。椎名の顔――は見えないが、声音には間違いなくそういったものが浮かんでいる。
「だが、思い知った。身をもってな。人が生きていくにはルールが必要だ。個人があがいたところでびくともしない、大勢の人間に支えられた強固なルールが。それを犯すような輩は、徹底的に排除されなきゃならない――ああ、思い知った」
椎名のその言葉は、果たして誰に向けられたものだったのか。少なくとも目の前にいる自分にではない。独り言なのかとさえ悠介は思った。
「俺が手に入れた力は、そのために使う。一握りの馬鹿が馬鹿な真似をしでかさないような、しようとも思わないような、そんなルールを敷くためにな」
(……?)
彼の様子にただならぬものを覚え、悠介は告げるべき言葉が見つからなかった。
なので口をついて出たのは、極めて単純なものにならざるを得なかった。
「変わりましたね、椎名さん」
「そりゃ変わるさ。誰だって変わる。お前だって変わったはずだ。違うか? こんな世の中で一年も生きてきて、なにも変わってないなんて言えるか?」
心臓に冷たいものでも突き込まれたような気分だった。こちらのことを見透かしているのか、あるいはただの当てずっぽうか――そんな単純な判断もできなくなるような。
「僕は……人を、殺しました。殺せるようになりました」
言うつもりなど毛頭なかった言葉が口の端を離れる。椎名は驚きもしなかったが。
「ああ、報告は聞いてる。街に入り込んだ賊を撃ち殺したそうだな」
それだけではない、とは言えなかった。ここに来るまでに、既に何人も手にかけている、などとは。
「知っているはずだな? この街の法では、テンプルナイトでない人間が武器を所持することも、それを使った戦闘行為も禁止している」
「……今回みたいに、外から入ってきた誰かに襲われたような場合でも、ですか」
「そうだ。例外はない。一度でも例外を認めれば、そいつは後続への取っ掛かりになる」
「あなたたちが――いえ、あなたが決めたルールですよね、それ」
「今のところは住民も従ってるさ。従ってる以上は、俺個人のものとは言えないな」
こちらの指摘に微塵も怯んだ様子を見せず、椎名は告げてくる。
「単純な構図だ。この街にいたいのなら、この街のルールに従ってもらう。従いたくないってんなら、勿論それでいい。街から出て行ってもらうだけだ」
「みんな、それに納得してるんですか」
「この街に留まってる時点で、してないなんざ言わせねえよ。俺はルールを一切隠してないし、出て行こうとするヤツを引き止めもしない」
きっぱりと言ってくる。
そこで悠介は反駁の言葉が尽きた。どうにも納得しきれないなにかが胸の中に残っているような気もするが、それを語彙にして言い表すことができない。
だがそれでも、押し黙ってしまっては彼の言い分を全面的に認めてしまうことにほかならず、そしてそれには抵抗があったので、どうにか言葉を紡ぎ出す。反駁にはならないとしても。
「……一体、なにがあったんです?」
反論ができないのなら、せめて探るしかない。そうなるに至った経緯を知るしかない。それを彼が話してくれるかどうかはわからないが。
案の定、彼は口を閉ざした。やはり答えるつもりはないのかと思ったが――
こちらが次の言葉を口にするよりも僅かに早く、
「――大したことじゃねえ。俺と似たようなことを考えてた連中がいて、そいつらを見て考えを改めたってだけだ」
感情を読み取らせない口調で、椎名がつぶやいた。問いに対する答えには違いないが、こちらの目論見は外れたと言うしかない――探ることも知ることもできないとあれば。
椎名が軽く頭を振った。
「さて、そろそろ脅迫に戻ってもいいか?――お前には、悪魔召喚プログラムの解析に手を貸してもらいたい」
言われて、悠介は。
(……断る理由は、ないけど)
口には出さずに考える。
この街が悪魔に襲われない理由というのは、概ね把握することができた。そして悪魔召喚プログラムを解析する必要性があるというのも変わっていない――変わるはずがない。それを持ちかけてきたのは単に相手が椎名だったからで、つまりは悪魔召喚プログラムの解析こそが諸々の鍵を握っているに違いないと知っていたからだ。その点に異論はない。
「……脅迫だって言いましたね。僕にそれをさせるために、なにを引き換えにするんですか? この街の法を犯した罪を帳消しにするとかですか?」
「違う。これも聞いてるかもしれんが、お前のやったことは街に被害を与えたわけじゃないからな。はっきり言って大した罰則は適用できない。だが」
と、椎名は机の上のPCを指し示し、
「問題なのはこいつだ。悪魔を街の中に持ち込まないなんてのは、流石にルールの中に入れちゃいないが――これからその一文を付け足すことはできる。こっちが脅迫の材料だ」
「……なるほど」
合点がいき、悠介は短く答えた。
「じゃあ、もうひとつ――いえ、三つ聞きます。脅迫なんて回りくどいことはせずに、最初から協力を持ちかけようとは思わなかったんですか?」
こちらの質問に――椎名は包帯の上からでもわかる程、はっきりと表情を変えた。意表を突かれたように。
そのまま、言ってくる。
「いや、そんなもん最初から思ってたに決まってんだろうが」
「……はい? なら、どうして」
「先に脅してきたのはお前だろ」
「…………」
しばし沈黙して、思い起こす。そう言えばそうだったかもしれない。
椎名が嘆息して見せた。
「お前が変なこと言い出さなけりゃ、普通に協力を要求してたんだよ。お前だって、安全にプログラムを解析できる環境は望んでるだろうと思ったからな」
「まあ……そう、ですけど」
なんとなく気まずくなり、視線を逸らしながら答える。が、すぐに気を取り直し、
「じゃあ、二つ目です。悪魔召喚プログラムを解析して、具体的にどうするつもりなんですか?」
「この街の治安に役立てる。ひょっとしたらそれ以上のことも望めるかもしれんがな」
今度は即答だった。が、こちらを納得させるには程遠いものだ。
「それ以上のこと、って言うと?」
「そいつは後で説明する。長くなるからな。……それが三つ目か?」
「いえ、違います」
かぶりを振って、悠介は椎名の目を――いや、彼の顔を見据えた。包帯に肌の全てを覆われ、なにも見えない顔を。
「さっき、見た目が悪魔になってるわけじゃないって言いましたよね。だったらどうして、顔を隠してるんですか?」
三つ目の質問に、椎名は。
ひどく、言い表し難い表情を見せた。いや、見えたのはあくまで目の動きだけだったが、むしろそれだけでもわかる。戸惑っているのか、迷っているのか。
数秒程待っていると、やがて椎名はフードを脱ぎ、顔に巻いた包帯を解き始めた。
「……ま、これも大した理由じゃないんだが」
するすると汚れているわけでもない包帯が解かれ、その下にある彼の顔が顕になっていく。
完全に包帯が彼の肌を離れ、そして――悠介は、息を飲んだ。
「なんつーか、単に、隠したいってだけだ」
以前の彼の面影はどこにもなかった。言われなければそうとわからない、どころか言われても同じ人間の顔とは思えない程に。
見えたのは肌ではなく、傷痕だ。そうとしか言えないくらいに、椎名の顔はいくつもの痛々しい痕跡に覆われていた。