「団長。先日捕えた連中に関してですが、住民の一部から処刑を望む声が上がっています」
「意趣返しの私刑がしたいだけだろう。追放が量刑の限度だと言っておけ」
「連中の所持していた武器をリストにまとめておきました」
「紙でだろうな? そこに置いて行け。目を通しておく」
「聖堂騎士団への配属希望者のリストもあるんですが」
「いつの分だそれは? 今月はもう締め切ったはずだろう。まあいい、一応それも置いて行け」
「裁判の内容を住民に対しても公開して欲しいという抗議が来ていますが」
「またか。答えは同じだ。いずれそうするつもりだが、今はまだ早い」
「こちらも抗議です。聖堂騎士団の態度に関してなんですが……」
「具体的な団員の名前を挙げさせろ。話はそれからだ」
「建物の修繕代行に関する申し込みが来ていますが」
「なぜそれがこっちに来ている? シスター・メイに回せ」
次から次へと持ち込まれる報告を淡々と捌きながら、同時に書類にも目を通さなければいけないというのは、一言で済ませれば不可能だった。だったのだが。
(――慣れれば意外となんとかなるもんだ)
そもそも聖堂騎士団の団長などという役職は、単に自分が発案者であるというだけの理由で就いているに過ぎない。おいそれと人任せにできるようなものではないとは自覚しているが、しかしできることなら面倒な部分は誰かに預けて、自分は陰でこっそりと暗躍するようなポジションでいたかったというのが本音だった。無論それを誰かに漏らすようなことはないし、現状でも萌衣との関係がかなりそれに近くはあるが。住民のほとんどはテンプルナイトを束ねる長の顔など把握していまい――顔を隠しているというのを別にしても。
住民からの要望が尽きるなどということはなく、苦情が来ない日というのもない。その内訳は夫婦喧嘩の仲裁から強盗の対処まで様々で、つまりは聖堂騎士団に休日などは存在しないということだ。夫婦喧嘩は管轄外だが。
とは言え、団員のシフトに休日が存在しないわけはない。慢性的な人手不足であることは否めないがだからと言って彼等を二十四時間職務に拘束するわけにもいかず、結果的に自分の休日がスケジュールから消失する。萌衣には建前を優先しているだけと言ったものの、実態としてはそんなものだった。つまり、休むわけにはいかないから休んでいない。
(俺が休んでもこの街が機能するってんなら、そうするがな)
と言うより、そうである方が望ましい。自分がわざわざデジタル・デビルの力を使わずとも悪魔を恐れる必要がなく、組織のトップなどという柄にもない役職にはもっと向いている人物を据える。それに越したことはないのだ。
そのためにこそ、法の整備を万全なものにしなければならない。どれだけ時間がかかろうとも。
そう言えば最後に眠ったのはいつだったか、などと考えているうちに、いつの間にか執務室から団員達の姿は消えていた。そろそろ昼になるので、昼食に向かったのだろう。
いつもなら自分も適当なところで切り上げて食事に出かけるところなのだが(できない日も多いが)、団員達の代わりなのかどうか、ひとりだけ執務室に残ったままでいる人物を見て眉をひそめた。
「どうした。なにか用か?」
扉のすぐ横で所在なさげに、というか不機嫌そうに仏頂面を見せている有紗に声をかける。珍しく彼女ひとりだった。悠介もプランクもいない。
有紗はこちらを見ていなかった。ただし別のなにかを見ているのではなく、単にこちらを見ないようにしているだけのようだが。極めてわかりやすい不機嫌のジェスチャーだった。よく見ると頬まで膨らませている。
「……悠介もぷらんくも、こないだからずーっと、なんかやってる」
「ああ。俺が頼んだからな」
そっぽを向いたまま言ってくる有紗に、椎名は書類をめくる手を止めて答えた。
「しすたーも、ずっといそがしそう」
「当然だろ」
こなさなければいけない仕事の量で言えば、萌衣も自分と大して変わらない。あまり人前に出ないようにしている自分よりも、むしろ彼女の方が気苦労は多いくらいだろう。
有紗はこちらへと視線を向けてきた。表情は変わっていなかったが。
「だから、のこってるのしーなだけ」
「……ほう。俺は忙しそうに見えないってか」
存分に棘を乗せて椎名は呻いたが、まあ知らなかったのだろうとは理解していた。悠介と有紗がこの街に来てまだ数日しか経っておらず、その間彼女がこの部屋を訪れるなど一度もなかった。基本的に余程のことがない限り自分はこの執務室に籠りっぱなしなので、要するに接点がなかったのだ。
椎名は壁にかけられた時計を見た。他の団員が休憩を終えるまではまだ時間がある。
椅子から立ち上がり、部屋の扉に向かって歩いて行く。その手前で立ち止まり、有紗に向かって声をかけた。
「俺は今から悠介たちの様子を見に行くが、どうする? ついて来るか?」
「…………ついてく」
やや考え込むような素振りを見せてから、有紗は頷いた。正直なにを悩む必要があるのかと椎名は思ったが、この少女も一年の間に多少は変わったということなのだろう。赤子が世の中の道理を飲み込んでいくように。
部屋を出てから、そう言えばここにこの少女がいることを団員達は誰も疑問に感じなかったのだろうかと訝ったが、しかし有紗が部屋に入ってきたタイミングを把握していたわけでもない――ずっと書類に目を通していたのだから。
詰所を出て、悠介達が籠っているはずの研究棟へと向かった。途中で軽く食糧を買い、それを歩きながら胃に収める。こちらの行儀の悪さを有紗が咎めてくるようなことはなかった。
(あいつなら、間違いなく言ってきただろうな)
などと思いつつ横目で有紗を見やるが、彼女は先程からずっと不機嫌そうな表情のまま黙っている。
「なんだ。悠介に相手にされないから拗ねてんのか?」
なんとなく爆発物に針でも差し込むような心境に近いものを感じつつ、椎名は尋ねた。杞憂だったが。
「……ん、よくわかんない」
言って、有紗の表情が少しだけ違うものに変わった。言葉の通り、戸惑っているような色に。
「違うのか?」
彼女の反応が予想をやや外れるものだったので、椎名は更に尋ねた。有紗はやはりかぶりを振り、
「だから、わかんない。ありさは悠介といっしょだけど、悠介のじゃまはできないから」
「……できない?」
したくないのではなく、できないと。有紗はこちらを見ることなくそうつぶやいた。椎名は彼女の横顔を眺めながら、
(なんにも考えてないわけじゃねえってことか。ま、ガキってのはそういうもんなのかもな)
子供の成長の早さというのは、常に周囲の大人の予測より一歩先を行く。それはつまりなにを考えているのか読めなくなっていくということでもあり、悟らせないための術を子供が身に着けていくということだ。そして身に着けてしまえば、もう子供とは呼べない。
(……俺も身に覚えがあるな)
それを振り返って恥としか思えないうちは、まだ大人にもなりきれていないということなのだろうか。聞いてみたところで相手が子供ではわからないだろうし、そうでなければはぐらかされる類の質問だろう。線引きは自分でするしかないということだ。
取り留めのないことを考えている間に、目的地に辿り着いていた。入口を見張っているテンプルナイトが挨拶を寄越してくるのを聞き流しつつ、廊下を抜けて扉を潜る。
「よう、調子はどうだ?」
部屋に踏み入れた瞬間に、即座に理解できたことがひとつだけあった。
(……寝てねえな、こいつら)
こちらが入ってきたことにも気づいていないのか、モニターに向かったままの三人の顔には明らかに疲労の色が見て取れた。が、目の色だけは衰えていない――知識欲と言えばいいのか好奇心と言えばいいのか、そういったものに衝き動されているのだろう。
「……あれ、団長。いつの間に」
やがて団員のひとりがこちらに気づいたらしく、顔を上げて言ってきた。それに反応したのか、もうひとりの団員(確かこちらが
「椎名さん? どうしたんですか?」
「いや、様子を見に来たんだが」
「はあ」
完全に気の抜けたような声音で返事を寄越してから、悠介が壁の時計に目を向ける。よく見ると額にキーボードに押し付けられたような跡があるので、まったく眠っていないわけではないらしい。
「あ、もう昼ですね。どうします? 休憩にします?」
加嶋と白木に悠介が尋ねるが、
「休憩ならさっき取ったし、まだいいだろう。それよりこのデータなんだが」
「さっきって、窓の外が暗かったような気が――」
悠介が覇気のない声音で指摘するも、彼等は聞いていないようだった。
(駄目だな、これは)
椎名は嘆息した。有紗の反応も理解できるというものだ。
「……お前ら、人手が足りないならそう言えよ。ぶっ倒れられちゃ元も子もねえんだ」
つい聖堂騎士団の団長としての話し方も忘れて告げるが、それを指摘されるようなことはなかった。どこか気まずげに白木が眼鏡の位置を直しつつ、
「あーその、はい。お願いします。少人数の方が捗るかとも思ったんですがね」
そういうものだろうかと椎名は思ったが、技術者の気質というものなのかもしれない。
椎名は悠介の目の前にあるモニターへと近づき、それを覗き込んだ。意味のわからない画像のような文字の羅列のようなものが映し出されている。
「……で、どうなんだ? なんかわかったのか?」
「ええまあ、一応。あ、ありがとうございます」
途中で買ってきた缶コーヒーを渡すと、彼はラベルを見て一瞬だけ顔をしかめた。
「ブラックですか……まあ、眠気覚ましにはいいかな」
(まだ起きてるつもりかよ)
缶の中身を一口飲んでから――無糖は好みではないのか、苦そうにしている――悠介はふうと息を吐き出した。
「――まず、このプログラムを作った誰かのことですけど」
「ああ」
「どうも、生物から採取した生体マグネタイトを、どこかに蓄積しておくような技術を持っていたみたいです」
「……なんだそりゃ?」
モニターを指差しながら言ってくる悠介に、今度はこちらが顔をしかめる番だった。
「デジタル・デビルの実体化に必要な生体マグネタイトを、召喚の度にわざわざ近くの生物から吸い上げてなかったってことですよ。どんな方法かはわかりませんけど、予め生体マグネタイトを保管しておいて、召喚する時にはそこから必要な分をデジタル・デビルに与える、っていう手順です」
と、悠介は部屋の隅にいるプランクを見た。
「考えてみれば、召喚者のすぐ近くに都合のいい『餌』がなければ召喚できないなんて、使い勝手がいいとは言えませんからね。悪魔の召喚と使役をよりシステマティックにしようと思うなら、確かに辿り着いて然るべき発想ですよ」
「生体マグネタイトを保管して、それだけで持ち歩けるようにしてたってことか? 要するに餌袋を携帯してたと」
「いつでもどこでも餌を与えられれば、いつだってどこだって悪魔を使役できる。ま、そういうことですね」
あっさりと言ってくるが、こちらとしては信じ難い内容だった。そもそもが生体マグネタイトというもの自体、目に見えない代物なのだ。それを生物や悪魔から取り出し、貯蔵しておくなど、最早意味がわからない。他の生物を捕食することで生体マグネタイトを摂取しているらしい悪魔ならば、そういった器官というか機能を備えているのだとはわかるが。
「それから、次はこれです」
悠介がキーボードを操作すると、画面が切り替わった。
切り替わったが。
「……これがどうした?」
それがなんなのかわからず、椎名は尋ねた。画面を埋め尽くすように大量の文字やら数値やらが並んでいる。
悠介は画面の中のカーソルを適当に(そう見えた)動かしながら、
「僕も最初はわからなかったんですけど、これを見てぴんと来ました」
カーソルを止め、エンターキーを押す。画面がまたしても切り替わった。ただし今度は別のウィンドウが表示されただけだったが。
「これ、なんだかわかります?」
「わからん」
即答する。悠介が苦笑いを浮かべた。
「ここの、一番上の文字です。なんて書いてあるかわかりますか?」
「一番上? ミ、ノ……」
目を通して、すぐに思い当った。
「ミノタウロス、か?」
「ええ。これ、あのミノタウロスのデータなんですよ」
悠介が更にキーボードを操作し、別のウィンドウを開く。今度は何の項目なのか、椎名にもわかった。
「これは、メデューサか。てことは――」
「はい。僕がこのプログラムを手に入れてから接触したことのある悪魔のデータが格納されてるんです。デジタル・デビル・アナライズっていうプログラムで、悪魔召喚プログラムとセットになってたんですよ。容量の関係で開けなかったんですけど」
「デビル・アナライズ、ねえ」
カーソルを動かし、画面をスクロールさせる。その時点になってようやく、椎名は画面に表示されているのがデジタル・デビルのリストなのだと理解した。ちらほらと、読めなくもない名前が混ざっている。
「ここにあるのは全部、デジタル・デビルのデータ――つまり情報です。知っての通り悪魔の正体は情報ですから、ここには僕がこれまでに接触したデジタル・デビルが保存されているということになります」
「……なに? てことは、生体マグネタイトさえ補ってやれば」
「はい、召喚が可能です。と言っても――」
と、悠介が小さく首を横に振って見せる。
「残念ながら、完全な情報になっているのはごく一部です。他のはデータとして不十分というか、欠けている部分があるんですよ。名前だとか、身体的特徴とか。どうすればそれを補えるのかは、まだわかりません」
その説明を聞いて、椎名は即座に理解した。
(俺と融合したデジタル・デビルと同じってことか)
もっとも、不完全というだけでまったく同じ状況ではないのだろう。つまりこの中から構成情報の抜け落ちているデジタル・デビルを召喚したとしても、それが自分と同じように『餌』との融合を果たすとは限らないということだ。そして具体的にどうなってしまうかは、恐らく誰にもわからないのだろう。
「……それが、補えるかもしれないんですよ」
と、背後から加嶋が声をかけてくる。振り向いて見やると、彼は徹夜続きであることを窺わせる爛々とした眼光をこちらへと寄越していた。
どういうことだ? と視線で問いかけると、加嶋はどこか興奮というか陶酔しているような表情で言ってきた。
「考えたんです。欠落した部分のあるデジタル・デビル同士を掛け合わせれば、欠落を補填できるんじゃないかって。つまり生体マグネタイトさえあれば召喚可能なデジタル・デビルを、今あるデータから作り出す――いえ、配合するんですよ」
「……できるのか、そんなことが?」
加嶋にではなく、悠介に向かって問いかける。彼は一瞬だけ黙ってから、
「まあ――可能、だと思います。ただ一口に悪魔とは言っても、個体によって構成情報はバラバラですからね。一方のデジタル・デビルの情報をもう一方に与えた結果、まったく違う機能を果たすことも十分にあり得るというか、むしろそうならない方がおかしいというか」
「あー……どういうことだ?」
今一つ把握しかねて、尋ねる。ですから、と悠介は言ってきた。
「複数のデジタル・デビルを掛け合わせた結果、元のどれとも違うデジタル・デビルになる公算が高いっていうことですよ。そしてそうなった場合、どんなデジタル・デビルになるのかはさっぱり予想がつきません」
「欠けた部分を補うと言うよりも、遺伝子をごちゃ混ぜにして強引に突然変異を起こさせる、というニュアンスですかね」
悠介の後から白木が付け足すように言ってくる。
……正直、よくはわからなかったのだが、しかしなんとなく思うところもあった。それをそのまま口にする。
「ヤバくねえか、それ?」
「ヤバいですよ。なにが生まれるかわからないんですから」
悠介はあっさりとこちらの言葉を肯定してきた。が、すぐに続けてくる。
「でも、デジタル・デビルから部分的に情報を取り出すことができれば、それは大いに意味のあることだと思います。場合によっては、悪魔への対抗手段になるかもしれません。悪魔召喚プログラムよりも、もっとわかりやすい形で」
「……? それは――」
どういうことかと、聞くよりも早く。
「実は昨日から、ずっとそのためのプログラムを組んでたんですよ。デジタル・デビルの構成情報を掛け合わせて、合体させるためのプログラムをね」
加嶋が更に目を輝かせながら身を乗り出してくる。なんというか、玩具を目の前にした子供のような雰囲気だった。
「言うなれば、悪魔合体システムです。デジタル・デビルを可能な限り要素ごとに分解して、それらを再結合させるんですよ」
「――そんなことが、できるのか? 本当に?」
先程と同じ科白を、もう一度口にする。
まったくのゼロからというわけではないにしろ、それでももし本当にそんなことができるのであれば――それは既に、新しい生命を、あるいはその設計図を生み出すのと同じことなのではないだろうか。うまく言葉に言い表すことはできないが、それは人事の範疇を踏み越えかねない行為のような気がする。
(……まあ、それを言ったら悪魔も同じか)
そしてその悪魔と融合してしまった自分もまた。自分が知っていたはずの常識という枠からは明確に逸脱した存在には違いない。
椎名はモニターから離れ、悠介達の顔を見渡した。すっかり忘れていた団長らしい声音を呼び起こしつつ、告げる。
「とにかく、少しは休め。人員は近いうちに補充する。それから悠介」
「はい?」
椎名は先程から入口のすぐ傍で立ち尽くしていた有紗を指差し、
「有紗の面倒を見るのはお前の役目だろう。プログラムの解析だけをやっていればいいというものじゃない。少しは相手をしてやれ」
「あれ、有紗? いつの間に?」
気づいていなかったらしい悠介のその言葉に、有紗がショックを受けたような表情を浮かべるのが見えた。更にそのまま彼女の目に涙が滲むのを見て取り、
「じゃあな。わかったら休めよ」
椎名はそそくさと部屋を後にした。
背後から有紗の泣き声が聞こえてきたのは、それから数秒後のことだった。
子供の泣き喚く声は苦手だ。以前も、そして今も。
考えてみれば、一年前のあの日から彼女とは常に一緒だったのだ。少なくとも、彼女が目を覚ましている間は。
つまりこういった事態になることは当然予想して然るべきであり、それを怠っていたのは迂闊としか言いようがない――ひくひくとしゃくり上げている有紗を眺めながら、悠介はそんなことを考えていた。現実逃避とも言うかもしれない。
が、いつまでも逃避しているわけにはいかないだろう。一頻り有紗に謝り倒してから、悠介は加嶋と白木に向き直り、
「すみません。この様子なので……今日のところは、切り上げますね」
「ああ、その方がいいな。私もそろそろ、家に戻るよ」
有紗の泣き声にすっかりやる気を削がれてしまったのか、白木が目の前のモニターのスイッチを切って立ち上がる。
それを見てか、加嶋が意外そうな顔をした。
「なに? お前も? もう少しで合体システムが形になりそうだってのに」
「いや、妻と子供に連絡も取ってないんだよ。流石にそろそろ帰らないとまずい。いらぬ誤解をされそうだ」
「……あー、はいはい」
納得したのか不貞腐れたのか微妙に判断のつかない表情で加嶋が首を振る。適当に手を振りつつ、
「わーったよ。独り身の俺はここでせっせと働いてるよ。ったく、女なんて面倒なものより、プログラム相手にしてる方が気が楽だってのによ」
「そういうこと言ってられるのは、若い間だけだ。そのうち嫌でも考え方が変わる」
「いいんだよ。俺にとっちゃ自分で作ったプログラムこそが子供だ」
「……そういうもんですか?」
男達のやり取りについ口を挿む。彼等はほぼ同時にこちらへと振り向き、なにやら妙な笑みを向けてきた。若輩の無知をからかうような――あるいは知っていながら後進に罠の存在を敢えて教えまいとしているような――年長者にしかできない類の笑みだ。
「そういうものだよ。きみもいずれわかる。結婚というのは概ね、必要に迫られてするものなんだ。気が付けばするしかない状況に陥ってるのさ」
「そういうもんだ。およそこの世の厄介ごとってのは、大抵の場合女が運んでくる。女は嘘をつくからだ。そこいくと、自分で組んだプログラムは決して嘘をつかない。間違えるようなことがあれば、それは自分が間違えたってことだからな」
最初の一言以外はまったく違うことを言いながら、しかし二人の口振りは限りなく似通ったものだった。つまり、お前も早く同じ憂き目に遭え、と暗に語っている。自分に共感しろ、と。
悠介は思わず有紗の姿を見下ろしていた。彼女はまだ完全には泣き止んでおらず、二人の話を聞いていたようには見えない――まあ、聞いていたところで理解できたとも思えないが。
(……全然違う種類の苦労ならしてるけど)
それとも違うように見えるだけで、実は違わないのだろうか。自分が有紗に煩わされているのは、正しく二人が伝えようとしている――というか、伝えきらずにこちらが落とし穴にはまるのを待っているというか――労苦なのだろうか。そうなのだとすれば、確かに気づいていないこちらをからかいたくなるのも無理はない、かもしれない。そして、決してそれを直接的に告げたりはしないのだろう。年長者の忠告というのはそういうものだ。
警告を発したいのか同病を相憐れみたいのかわからない二人に心の中だけで罵声を送りつつ、しかし悠介はそんなことはおくびにも出さず、
「合体システムのプログラム、もうちょっとで目処が立ちそうなんですよね? 後で僕も手伝いますよ」
言うが、しかし加嶋はかぶりを振った。
「いや、大丈夫だよ。今日中に終わる。なにしろお手本があるからな」
と、デスクのPCとケーブルで接続された悠介のウェアラブルコンピュータを指し示す。
「……そう言えば、団長に言いそびれたな」
帰り支度を整えながら、白木がぼそりとつぶやく。
(言われてみれば――)
確かにそうだ、と悠介は自分のPCを見やった。
デジタル・デビル・ミキシング――悪魔合体という名前は、なにも自分達が考えたものではない。これも解析するまでは気づかなかったのだが、元々それは悪魔召喚プログラムに内包された機構の一部だったのだ。ただし悪魔を召喚するよりも更に高度かつ煩雑な処理を要求される為、自分達やここのPCでは実行することができなかった。
加嶋が行っているのはそのプログラムの翻訳であり、要するにダウングレードだ。そのままでは処理しきれない合体プログラムを、どうにか扱う為の悪あがきと言ってもいい。
(――つくづく、このプログラムを作ったひとは化け物じみてる)
悪魔召喚プログラムにデビル・アナライズ、そして悪魔合体システム。どれもこれも常識外れとしか言いようがない代物であり、しかも悠介の見立てた限り、恐らくまだ終わりではない。先がある。
(このプログラムの全容は、まだまだ解明しきれてない。もしかしたら、一生かかっても終わらないかも)
そう思わずにはいられない程、これを組み上げたプログラマーの腕は底知れないものだった。だが、それはそれで望むところでもある。
(――きっと、このひとたちも)
同じ考えでいるのではないか。
二人の顔を眺めながら、悠介はそう思っていた。
「個人的にはね」
研究棟を出て、市街を歩きながら。
悠介は隣を歩く白木の言葉を聞きつつ、街並みを見渡していた。
「きみがこのまま聖堂騎士団に所属するのは、お勧めしないな」
「どうしてです?」
既に昼休みの時間は終わったらしく、街のそこかしこに銃を持ったテンプルナイトの姿が見える。彼等に対して市民は露骨に避けて通るような真似はしないものの、しかし路上で談笑しているようなこともない。官憲への態度というのは、どんな世の中であろうとそんなものかもしれないが。
「もう知ってると思うけど、テンプルナイトの仕事はこの街の治安維持だ。そしてその中でも最も物騒な部類に入るのが、武装盗賊の取り締まりだよ」
「……悪魔の撃退じゃなく?」
住民達のほとんどは悪魔に怯えている様子もなく、平然と往来を出歩いていた。かと言って危機感を持っていないはずはないだろう――数日前にそれなりの規模の盗賊に襲われたばかりなのだ。ただ悪魔がこの街に入って来れないという、その事実だけは当然のこととして受け止めている。理由にまで想いを馳せるようなことはなく。
「悪魔がこの街に入って来ることはないよ。きみが連れてきた、あのケルベロスという悪魔みたいな例外を除けばね。その理由はいろいろ噂されているけど、どれも決め手には欠ける」
(……まあ、普通は考えないよね。悪魔と融合した人間が、悪魔の力を逆に利用して悪魔を防いでる、なんて)
自分にしたところで本人の口からそう聞かされただけで、実際に目の当たりにしたわけではない。見たものと言えば、彼がデジタル・デビルに憑依された証と、実際に悪魔が近づいて来ないというこの街の現状だけだ。根拠に足るかどうかと問われれば確かに首を縦に振るしかなく、つまりは信じるしかないから信じている。
「悪魔の脅威がない以上、実働部隊としての聖堂騎士団の戦力は武装盗賊に向く。もちろんそれだけじゃないけどね。一番重要で、そして危険な任務だ。きみもテンプルナイトになれば、そういった任務に駆り出されることになる。おいそれと勧めることはできないね。前途ある若者に対して、仮にも年長者の身としては」
「年齢……ですか? でも、椎名さんはあなたより年下ですよ」
指摘すると、白木は僅かに動きを止めた。がすぐに気を取り直した様子で、
「ああ、うん、団長ね。すまない。周りもみんな団長って呼んでいるから、名前で言われてもぴんと来ないんだ」
ていうか、名前を知らない団員もいるんじゃないかな、と白木が首を傾けながら言ってくる。言われてみればこの街に来てからというもの、彼のことを名前で(というか苗字で)呼んでいるのは自分や有紗くらいだ。
「でも、そうか……なんとなくそんな気はしていたんだけど、やっぱり年下だったのか。ひょっとして、具体的な年齢まで知ってるのかな?」
興味をひいたらしく、それを隠しきれていない様子で聞いてくる。悠介は以前に聞いたはずの話を思い起こし、
「……確か、十八か十九くらいです。一年前に高校三年だって言ってましたから」
「えっ。そ、そんなに若かったのかい?」
どのくらいの年齢を予想していたのかは知らないが、外れたらしい。まあ包帯やフードであそこまですっぽりと顔を隠していれば外見から年齢を推し量ることなどできないのだろうが。
「それは流石に、予想外だったな。そっか……学生だったのか。にしてはなんて言うか、こう――らしからぬというか」
「そう、ですか?」
以前の彼らしくはない。それは間違いのないところだ。大して長くも深くもない付き合いだったが、それでも印象が変わったことだけは断言できる。だが年齢のこととなると、自分から見れば椎名にしろ白木にしろ年上なのだ。受ける印象は自分と白木とでは異なるのだろう。
「こう言ってはなんだけど――あ、オフレコでお願いするよ――十代の若者の態度とは思えないんだよ。人命よりも規律を優先する、なんていう考え方は」
「それは――」
それは極端な物言いだ、と悠介は反駁しようとしたが。
(いや……違わない、のかな)
たとえ武器を持った盗賊に襲われようと、同じように武器を手に取って反撃することを禁じるとは、そういう意味なのだ。テンプルナイトが駆けつけるのが遅れたとしても、それに文句をつけることはできるかもしれないが、そこまでだ。既に被害が出た後で、そして被害が出ているということは文句も言えない状況になっている可能性だってある。
「なんて言うかな。地に足のついていない理想論というか、理念ばかりが先走って住民感情を顧みていない――ああ、そういう意味ではむしろ若者らしいと言えば若者らしい、かな?」
白木の言葉に、悠介はなにも言わなかった。反論の余地がなかったからだ。
――ルールが足枷になって盗賊に殺されるようなことにでもなれば、それは誰の目にも明らかな理不尽だ。そのリスクに常に見舞われている住民達が不服に思わないはずはない。
(椎名さんは、納得してないなんて言わせない、って言ってたけど――)
しているはずがないのだ、納得など。理不尽に納得できる人間などいない――それを理不尽だと思っている限りは。命に関わるような理不尽であれば尚更だ。
椎名とこの街の住民の間に認識の違いがあるとすれば、ここなのだろう。住民達はルールの為に命を落としかねないことを理不尽と感じており、それはテンプルナイトである白木の口から今のような科白が出てくる時点で明らかだ。椎名の掲げる理念と住民感情が乖離しているのだと。
いや、恐らくは住民と聖堂騎士団の問題などではない。椎名とそれ以外の人間の問題と言ってもいいだろう。実際に椎名には、住民の命運を左右するような力が備わっているのだから。
(……地に足のついていない、理想論か)
先程の白木の言葉を思い出す。彼がそう思うのも無理はない。だから反論しなかった。
住民の感情を無視したまま、理念だけを貫き通すことなどできない――だから理想論だと断じたのだろう。それはそうだ。誰だってそう考える。
(けど――それはたぶん、違う。椎名さんは、無視なんてしてない)
規律の強いる理不尽に住民が不満を持っているということに、恐らく椎名は気づいている。気づいた上でそのルールを守らせているのだ――そうすることに意味があると思っている。あるいは、そうでなければルールたり得ないと思っているのか。
(この程度のルールも守れないような人間に用はない、ってことなのかな?)
なぜか以前の――顔を隠す前の――彼がそう吐き捨てる姿が思い浮かぶ。もっとも、既に記憶の中にしかないその顔はひどくあやふやなものだったが。
「椎名さんが年下だと、なにか困ることでもあります? 若輩には従えない、とか」
「いや、別にそんなことはないさ」
白木がやや慌てた様子で首を振ってくる。
「現状、この街はちゃんと街として機能している。そしてそれは間違いなくシスター・メイや聖堂騎士団の功績だ。団長の掲げる理念を否定する気はないよ」
苦笑いを浮かべながら言ってくる彼の姿を見ながら、我ながら底意地の悪い聞き方だったかと思い悠介は頬を掻いた。
こほん、と白木が咳払いをし、
「ともかく、聖堂騎士団への配属は返事を保留しておいた方がいいと思うよ。あくまで外部からの協力者という形にして」
「……まあ、僕も今のところはテンプルナイトになるつもりはありませんよ」
答えてから、悠介はふと思い出し、白木に尋ねた。
「あ、そうだ。聞こうと思ってたんですけど、テンプルナイトのひとが持ってる武器って、あの銃だけなんですか?」
と、道の端に小銃を持って立っているテンプルナイトの姿を指差す。白木はかぶりを振った。
「いや、他にもあるよ。状況に応じて支給されるんだ」
「どんなのがあるんです?」
「どんなのって、色々としか」
「銃だけなんですか?」
「いや、確か剣もあったかな。私は使ったことはないんだけどね。一体どこから調達してきたのやら」
「剣――ですか」
言われて真っ先に思い浮かべたのは、椎名が以前使っていた幅広の刀だったのだが。
(銃なら弾丸でいいとして、それに剣か――いまいちピンと来ないけど、試してみる価値はあるかも)
歩きながら頭の中で算段を立てていると。
「ところで、きみたちはこの後どうするつもりだ?」
問われて、悠介は先程から黙って後をついて来ている有紗とプランクの姿を振り返った。
「どうって、アパートに戻るつもりですけど」
「食事はどうするんだ?」
「どこかで適当に。当面の生活費は椎名さんから受け取ってますし」
「きみたちだけで?」
「まあ、他に知り合いもいませんし」
椎名や萌衣は誘ったところで応じられないだろう。なので当然選択肢から除外する。
白木は立ち止まると、なにやら含むもののある表情を見せて言ってきた。
「なら、うちに来ないか? 子供だけで食事というのも、味気ないだろう」
「え、それは――いいんですか?」
再び有紗の方を見ながら尋ねる。彼女はぽかんとした様子で白木を見返していた。
白木はどこか気まずげな笑みを浮かべながら、
「いやその、しばらく帰ってなかったから、妻も子供も怒ってそうでね。円満な家庭を維持するために、お客様という形で協力して欲しいというか」
「……ああ、そういうことですか」
無論、それは本音であると同時に建前でもあるのだろうが。
悠介はしばし考え――ついでに有紗の機嫌も窺って――やがて。
「じゃあ、お邪魔します」
そう答えた。
有紗からもプランクからも不満の声が上がることはなかった。