真・女神転生 APOCRYPHA   作:DMDK

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第八章

 

 具体的に、椎名がこの街に悪魔を阻む壁を展開したのがいつからなのか、それは悠介にはわからない。遅くともここに人が集まり始めた頃には既に張っていたのだろう。

 

 それ以後、この街には悪魔がいなかった。例外は自分の連れてきたケルベロスと、そして今、目の前にいる悪魔――ロキだけだ。この街における脅威や外敵と言えば概ね略奪の為に侵入した盗賊であり、椎名や萌衣の行ってきた治安維持の組織作りとは、つまるところそういった連中――人間をどうにかすることだけが目的だったと言ってもいい。それはもちろん意味のあることだったし、成果も挙げていただろう。

 

 だから、テンプルナイト達を責めることはできない。突然現れた悪魔を目前にして、反応が遅れてしまったとしても。

 

「なにしてる! 撃て!」

 

 椎名に叱責されても、彼等の反応は鈍いものだった。あるいは単に反応が遅れているのではなく、別の理由もあったのかもしれないが。

 

(生体マグネタイトを喰われて、人間が悪魔になる瞬間を目撃したんだ。戸惑うのも無理はない)

 

 しかもそれは彼等にとってよく見知った、どころかこの街の象徴とも言える人物だったのだ。少なからずショックを受けているのは実を言えば悠介も同じだった。

 

 だがそれでも、自分の反応は彼等よりも早いものだったと断言できる。実体化した悪魔を目の前にして、採るべき選択肢は多くないのだから。

 

 悪魔召喚プログラムを起動させ、プランクの身体にケルベロスを召喚する。待っていたとばかりに、ケルベロスは一蹴りで地面から大きく跳躍した。

 

 ロキは持っていた加嶋の身体を手放すと、弾丸のような速度で飛び掛かっていたケルベロスから身をかわした。着地したケルベロスが即座に方向転換して再び飛び掛かるが、ロキの方も足を止めておらず、振るわれた爪から距離を取る。

 

 そこへ銃弾が襲い掛かった。撃ったのは椎名だ。ケルベロスの攻撃を避けたところを狙ったのだろう、相変わらずこういった状況での瞬間的な判断力には目を見張るものがある。

 

 弾丸はロキの背中へと吸い込まれていったが、大した痛痒も感じていないのか、表情は変わらなかった。白い髪が邪魔で傷口を確認することもできない。

 

 背後から撃たれても、ロキは視線をケルベロスから逸らすようなことはしなかった。この場にあって最大の脅威がこの悪魔に他ならないと、そう認識しているのだろう。正しい判断だが、それを称賛する気にはなれない。

 

「シスター・メイ、やめてください! どうか正気に――」

 

 と、テンプルナイトのひとりがロキに向かって呼びかけるのが聞こえた。当たり前だが、ロキはなにも答えない。振り返ることすらしなかった。代わりに声を張り上げたのは椎名だ。

 

「それはもう萌衣じゃない! 悪魔だ! 死にたくなければ応戦しろ!」

 

 その言葉に応えたというわけではないだろうが、動いたのはやはりケルベロスのみだった。テンプルナイト達はまだ躊躇っているように見える。

 

(そうだ、あれは悪魔だ)

 

 萌衣ではない。プランクとは違い、彼女の生体マグネタイトは完全に食い尽くされてしまった。目の前で実体化した悪魔――ロキに。

 

 名前くらいならば、聞いたことはあった。確か北欧の神話に語られる巨人と神のハイブリッドで、神々の最終戦争を引き起こした張本人とも言われる悪魔だ。その情報が今、眼前で形になっている。

 

 またしてもケルベロスの突進をかわしたところで、ロキは片腕を頭上へと差し出した。なにをするつもりなのかと、恐らくその場の全員の視線が注がれる先で――

 

(……!?)

 

 差し向けられた指の先、ロキの頭上に無数の氷塊が出現するのを見て、悠介は息を飲んだ。咄嗟にその場から離れ、ロキから距離を取る。

 

 ――明らかに、何人かの反応が遅れた。

 

 ロキが頭上から前方へと腕を振り下ろすと、それに呼応するように氷塊――というか、馬鹿げた大きさのつららだ――が一斉に撃ち出された。人間の頭よりも大きなサイズのつららが群れをなして飛来してくるというのは控え目に表現したところで悪夢のような光景でしかなかったが、それをじっくりと眺めているような余裕がなかったのは、果たして幸いだったのかなんなのか。巨大なハンマーが地面を叩くような音が立て続けに響き、実際に足元が小刻みに震動する。

 

【挿絵表示】

 

 離れていたのが奏功したのか、氷柱はこちらにまでは届いていなかった。同じように反応していた椎名ともうひとりのテンプルナイトも逃げ遂せており、有紗と白木は元から届く距離にいなかったのでやはり無事だ。

 

 見やると、地面にはいくつもの氷柱が突き刺さっていた。その中に、氷柱にそれぞれ腹と脚を貫かれたテンプルナイトの姿が見える。逃げ遅れたのだろう。脚を射抜かれた方はともかく、もうひとりは即死していた。

 

(ケルベロスは……!?)

 

 距離的に最も避けようがない位置にいたはずのケルベロスの姿を探すと、すぐに見つかった。どういうわけか無傷だ。が、よく見ると口元にちりちりと炎が揺らめいている。恐らくロキに浴びせるつもりでいた熱線を氷柱を蒸発させることに使ったのだろう。

 

「な、なんてことだ……」

 

 無数の氷柱によって穿たれた地面の穴とそれに巻き込まれたテンプルナイト達の姿を見て、白木が呆然とつぶやく。確認することこそできないが、自分も似たような表情を浮かべているのだろう。

 

 ロキはやはりケルベロスの方を見ていた。他に警戒すべき相手などいないということか。あるいは今の氷柱も、ケルベロスのみを仕留めるために放ったものだったのかもしれない――他の者は、たまたま近くにいた為に巻き込まれたというだけで。

 

(悪魔にとって、人間はただの餌ってことか。違いないけどさ)

 

 懐から拳銃を抜きつつ胸中で呻く。椎名から返してもらったものだが、ケルベロスの攻撃すら避けるような相手に自分の腕で命中させられるとは思えない。そして当てられたところで、それでどうにかなるような相手でもない。

 

 再び、ケルベロスが動いた。今度は地を這うような低い体勢でロキに向かって突進し、ロキはそれを寸でのところで避ける。が、今度はケルベロスも予測していたらしく、ロキが回避するのとほぼ同時に向きを変えた。慣性を無視したようなケルベロスの動きは流石に回避しきれなかったらしく、振るわれた爪をロキも同じく刃物のような爪で打ち払う。

 

 ケルベロスが着地するのを待たず、またしても銃声が響いた。今度は複数だ。椎名とテンプルナイトがロキに向かって発砲し――残らず、叩き落される。

 

「な!?」

 

 テンプルナイトが驚愕の声を上げるが、こちらも心境としては似たようなものだった。殺到した銃弾を同時に叩き落すなど、およそ尋常な反射神経ではない。そもそもケルベロスの突進にある程度反応できるという時点でおかしいのだ。野生動物の身体能力というのは、人間のそれなど軽く一蹴している。

 

「ちっ!」

 

 椎名が舌打ちしたかと思うと、持っていた銃を手放した。上着の中から剣――というか、あれは日本刀だ――を取り出し、鞘から抜き放つ。

 

(……まさか、それでやるつもりですか?)

 

 銃が駄目なら、ということなのかもしれないが、短絡的過ぎる。ロキの動きは人間が追随できるようなものではないのだ。しかしこちらがそんなわかりきった忠告をするよりも早く、椎名はロキに向かって駆け出していた。

 

(無茶すぎる!)

 

 せめて牽制くらいになればと、悠介はロキに銃口を向けた。ロキはケルベロスと立ち回っており、こちらにも椎名にも気を向けている様子はない。悠介は発砲した。

 

 ロキは回避らしい動作を見せなかった――つまりこちらの撃った弾は当たらなかった。立ち止まっているわけではないので無理もないと言えば無理もないが、それでもこの距離で外してしまったというのは自分の射撃の腕を呪いたくなってくる。牽制にもなっていない。

 

 ロキがケルベロスの一撃を受け止め、僅かに動きを止めた瞬間を狙って、椎名が踏み込むのが見えた。刀を真横に振り抜く――が、ロキは上体を逸らすことでその一撃をかわし、そのまま受け止めていたケルベロスの爪を受け流した。勢い余ったケルベロスがロキの真上を飛び越えるように通過し、椎名が後ろに跳躍してロキと距離を取る。

 

 一応、形の上では二対一という構図だが、それほど簡単な話でもないだろう。椎名には武器があるとは言え相手に肉薄しなければならないという点ではケルベロスと大差なく、つまり両者とも距離を詰める必要がある。互いに接触してしまわないよう気を遣いながらロキと立ち回るとなると、即席にでも連携を取る必要性が発生するが――それは難しいと言うしかないし、ロキの方も当然そこを突いてくるだろう。

 

 こちらの心配を余所に、再び椎名が踏み込んだ。自分としても素人なので判断しきれるものではないが、それでも彼の刀の扱い方にはどこか慣れのようなものを感じる。迷いなく、ロキに向かって振り抜き――やはり、かわされた。

 

 そこへ即座に、ケルベロスが飛び掛かった。椎名の一撃をかわしたところへの追撃であり、まず避けられるようなタイミングではない。事実避けられず、ロキはケルベロスの爪を受け止めていた。当然、その場に立ち止まって。

 

「らぁっ!」

 

 その隙を椎名は見逃さなかった。というか、最初からこれが狙いだったのか。考えてみれば、反撃の隙を与えない波状攻撃というのは、最もわかりやすく数の上での有利を活かせる立ち回り方だ。無論、それに即座に対応できる身体能力こそ必要だが。

 

 椎名の刀が振り抜かれ、ロキの脇腹を薙ぐ。完全に避けようのない一撃だったが。

 

「クソが!」

 

 毒づきつつ、距離を取ったのは椎名だった。人間であれば胴体が両断されていてもおかしくない勢いだったにも関わらず、ロキの身体には痣しか残していない。ロキの方も大してダメージを負っていないのか、すぐに反撃へ移ろうとし――横から飛び掛かってきたケルベロスを避ける為に、後退する。

 

 先程と同じように椎名とケルベロスは交互に攻め込むことでロキの攻め手を封じながら立ち回っていたが、やはり結果も同じものだった。椎名の刀がロキの身体を捉えるものの、大したダメージを与えられずに後退する。

 

(椎名さんの動きはとんでもない。ケルベロスやロキにだってひけを取らない――けど)

 

 元々彼の身体能力に目を見張るものがあったのは知っていたつもりだが、それに拍車がかかっているような気さえする。ひょっとしたらこれもデジタル・デビルと融合した影響なのだろうか――単純に鍛錬の賜物という可能性もあるが。

 

 しかし踏み込めたところで、致命傷を負わせる手段がないようだった。刀で駄目だということは、恐らくケルベロスの爪や牙でも同じことだろう。無傷というわけではないので、何度も繰り返していればいずれはダメージを蓄積させることができるのかもしれないが、それまでこの立ち回りが続くかどうかはわからない。

 

(となると――ケルベロスの火しかない)

 

 だが、それはそれで問題がある。即座には放てないのだ。ロキがそんな猶予を与えてくれるとは思えないし、外してしまえば逆に椎名とケルベロスの方が危険に晒されることになるだろう。

 

 と、ロキが違う動きを見せた。椎名とケルベロスから僅かに距離を取ったかと思うと、片足を地面へと叩きつける。空き缶でも潰すかのように。

 

 瞬間、ロキの足元で異変が起こった。地面が凍結している。そのままロキの足先から広がっていき、周囲の地面を凍らせていく。速度自体は大したものではなく、椎名とケルベロスは軽く跳躍して拡がっていく氷の膜をかわしはしたが、当然着地した地面は凍りついていた。

 

「な――」

 

 椎名の声が聞こえる。言いたいことはわかるつもりだった。凍った地面はロキを中心に半径5メートル程にまで広がっており、巻き込んだものを残らず氷の彫像と化している。先程の氷柱で腹を貫かれたテンプルナイトの死体も倒れたまま凍りつき、脚を穿たれたもうひとりは元々動けずにいたところを腰から下まで凍らされていた。

 

 だが無論、椎名が懸念したのは凍らされたテンプルナイトではなく、足元から摩擦がほぼ失われたということだろう。あれでは刀を振り回すなどできないし、足を滑らせたりすればそれだけで致命傷になりかねない。それはロキにとっても同じだろうが、しかしあの悪魔には椎名とは決定的に違う点がある――即ち、距離を詰める必要がないということ。

 

 こちらと椎名の懸念を裏付けるように、ロキは再び氷柱を出現させた。腕を椎名とケルベロスに向け、同時に氷柱が撃ち出される。

 

「――っざけんな!」

 

 罵声を上げ、椎名が刀を振った。飛来した氷柱を二つ同時に切り払ったかと思うと、返す刃で更にもうひとつの氷柱を切り落とす。

 

 が、流石にそこまでだった。足を滑らせたのか三撃目には繋がらず、バランスを崩す。そこへ残りの氷柱が殺到した。それでも驚異的とも言える体さばきで氷柱のいくつかを避け、しかも転倒もしなかった。だんっ! と凍った地面に足の裏を叩き付け、踏み止まる。氷柱が掠めたのだろう、服のあちこちが破れ、血も流れ出していた。

 

 表面積の差か、ケルベロスの方は無傷だった。氷柱の大半が椎名に向けられたものだったというのもあるだろうが、ともあれ被弾した様子はない。

 

 ロキは笑っているように見えた。今の攻撃で椎名とケルベロスとの距離が開き、一方的に自分だけの間合いになったことを理解しているのか。

 

(駄目だ、このままじゃ)

 

 分が悪い、どころの騒ぎではない。距離を詰めたところで決定打を叩き込むことができないというのに、その距離を詰めることすら困難になってしまった。こうなると益々ケルベロスの熱線を頼りにするしかないのだが、そんな隙は得られそうにない。ケルベロスが炎を吐く素振りを見せれば、ロキは即座に標的をそちらに絞るだろう。例えその瞬間に椎名に斬りかかられたとしても、一撃で首を刎ねられたりはしないとわかっていればどうにでもなるのだ。

 

「くそっ! こんな武器じゃ、悪魔には通用しないってのか!?」

 

 有紗と白木を守るように二人の前に立っていたテンプルナイトが悔しげに言い放つ。

 

 ――そんなことはない、はずだ。これまでにも悪魔には何度も遭遇しているが、その多くは銃弾を跳ね返す程の頑強な肌など持っていなかったし、椎名が刀一本で悪魔を斬り捨てるところを見たことだってある。つまりは単純に、ロキがこれまで遭遇してきたものと比べて強大な悪魔であるという、ただそれだけの理由だ。それこそが捨て置けない最大の問題なのだが。

 

(……待てよ)

 

 悠介はテンプルナイトへと向き直った。彼が手に持っているのは小銃のみだが、もしかしたら持ち歩いているかもしれない。

 

「すみません。もしかしてあなたも、持ってます?」

 

「うん? なにをだ?」

 

 聞き返される。悠介は親指を椎名の方へと向けた。

 

「――あれです。もし持ってるなら、貸してもらえませんか?」

 

 こちらの質問に、目の前のテンプルナイトは戸惑ったようだったが。

 

 すぐに頷き、悠介にそれを手渡した

 

 

 

 慣れてしまえば、凍った地面の上で立ち回るというのも大して難しいことではなかった。それはケルベロスにしても同じことらしく、散発的に撃ち出される氷の矢をどうにか捌くことができている。とはいえそれは相手の攻め手から身を守ることに限っての話で、距離を詰めるには至っていないのだが。

 

 膠着状態と言えばそうかもしれないが、圧倒的に有利なのが相手の側という点も変わっていない。近づかなければ話にならないこちらとその必要がない相手を比較すれば、当然の見解だ。

 

「くっ!?」

 

 避け損ねた氷柱が脇腹を掠める。だが体勢を崩すわけにはいかず、痛みも無視を決め込むしかなかった。動きを止めてしまえばそこを狙い撃ちにされるだろう。椎名は舌打ちしようとしたが、そんな余裕もないのでやめた。

 

(ジリ貧だな、このままじゃ)

 

 だが、打開策はある。ケルベロスだ。先程から何度も熱線を吐こうとしているらしく、今も牙の隙間から揺らめく炎が見えている。あれを吐き出すことができれば、少なくともこの凍った足場を溶かせるし、もっと運が味方をしてくれればロキの身体を焼くことも不可能ではない。

 

 しかしロキもそれを警戒しているのか――最初に氷柱を蒸発させられたのを憶えているのだろう――ケルベロスが炎を吐こうと動きを止めるのを見逃さず、タイミング良く(いや、悪く)氷塊を射出してくる。先程からその繰り返しで、心なしかケルベロスも焦れているように見えた。

 

(溜まるよな、ストレスが。だから――)

 

 そろそろ、賭けに出るべきタイミングだ。椎名は再び飛来した氷塊を打ち払うと、踏ん張りが効かないのを承知でロキへと踏み込んだ。

 

 斬りかかられたところで大したダメージはないと理解しているはずだが、それでも無視する気にはなれなかったのだろう――こちらの目的がケルベロスが炎を吐き出す為の時間稼ぎだと見抜いているのなら尚更だ。氷塊を差し向けてこちらの動きを止め、即座にケルベロスの方を対処する。

 

 ――そう考えたはずだ。悪魔の思考形態が人間のそれとは違おうとも、状況判断に大きな違いがあるはずはない。それはここまでの立ち回りからわかっていた。

 

 目前にまで迫った氷の矢を、しかし椎名は防がなかった。完全に無視して、代わりにケルベロスの方へ向かった氷柱を腕を伸ばして切り落とす。

 

 ロキに動揺の気配が上がるのと、こちらへ飛来した氷塊が脇腹へめり込むのは同時だった。歯を食いしばって激痛を堪えつつ、再びロキがケルベロスに向けて撃ち出した氷の矢をやはり叩き落す。

 

 痛みと衝撃で呼吸が止まっているのは理解していたが、まだやるべきことは終わっていなかった。ケルベロスとロキを結ぶ線上から退かなければならない。呼気と休息を要求してくる身体に鞭打って、椎名はもう一度だけ跳躍した。凍った地面の上で飛び跳ねるというのは、それだけで普段の何倍もの筋力を要求される。

 

 ケルベロスが口を開くのが見えた。椎名が稼ぐことのできた時間は氷柱二つ分でしかなかったが、それで足りたということらしい。

 

 ケルベロスの口から熱線が奔った。が、それと同時に。

 

(……!?)

 

 見えた。ロキが身の丈程もある巨大な氷の塊を眼前に発生させたのが。盾代わりのつもりなのだろうが――その氷の盾すら見えなくなる程の巨大な熱線が、ロキの全身を真正面から貫いた。

 

 一瞬にして周囲の温度が上昇する。凍っていた足元が融けるのではなくひび割れ、蒸気が立ち上った。が、それもすぐに熱波に追いやられる。

 

 相変わらず凄まじい威力だった。急激な温度変化のせいで気流が入り乱れているが、こちらの呼吸は先程から止まっているので関係ないと言えばまあ関係ない。

 

「……ぶはっ!」

 

 椎名が息を吸えたのは、ケルベロスの炎が収まってからだった。痛みと酸素不足で頭と視界がくらくらするものの、どうにかずたずたになった地面を踏みしめて立ち上がる。肋骨は辛うじて折れずに済んだようだが、息を吸う度に引きつるような激痛が走った。

 

(野郎は――?)

 

 ロキの方を見やる。氷の盾は跡形もなく消し飛んでいたが、ロキはそこに立っていた。

 

(……マジかよ)

 

 流石に無傷というわけではない。白い長髪が削り取られたように短くなっており、皮膚のあちこちにも焼け焦げた痕が見える。

 

 ――それだけだった。

 

(防がれた……!)

 

 一か八かのつもりだった。被弾を覚悟してケルベロスの為の時間を稼ぎ、その目論見の通りになった。賭けには勝った。

 

 だが、その勝利だけでは届かなかったということだ。具体的にどの程度の痛手を与えたのかはわからないが、こちらの損害は軽視できるものではない。少なくとも自分は、どう考えても先程までと同じには動けそうになかった。痛みが完全にひくまで、二、三日はかかるだろう。

 

 再び、ロキが腰を落とすのが見えた。

 

(まずい!)

 

 また地面を凍らせるつもりだろう。椎名は斬りかかるべく身体を前に押し出そうとしたが、脇腹の痛みのせいで反応が遅れた。

 

 ぱんっ、と。銃声が響いた。

 

 咄嗟にロキが顔面の前に手を掲げ、銃弾を防ぐ。続けてケルベロスがロキへと飛び掛かって行った。たったさっきあれ程の一撃を放ったにも関わらず、まだロキと互角に立ち回れるだけの余力があるらしい。

 

 椎名は刀を構え直しながら、僅かに視線を動かして銃声の出所を探った。すぐに見つかる。最初に氷柱で脚を射抜かれたテンプルナイトが、地面に転がったままそれでも銃口をロキへと向けていた。ケルベロスの炎で、凍結していた下半身も動かせるようになったらしい。

 

(――上出来だ!)

 

 胸中で称賛を送りつつ、椎名はロキへと斬りかかっていった。ケルベロスの一撃をロキが防いだ瞬間を見計らい、側面から刀を振り抜く。

 

 かわせないと悟ったのか、ロキはこちらの一撃を避けようとはしなかった。代わりに手を突き出し、素手で刀身を受け止める。

 

 椎名は咄嗟に刀を手元に引き戻そうとしたが、刀身がロキの手に一瞬だけ触れ――次の瞬間、ロキの手に触れた箇所が凍りついた。見る間に刀身を伝って根元までが氷に包まれ、慌てて柄から手を離す。

 

 ばぎん! と甲高い音を立て、ロキが刀身をへし折った。真ん中から分断された刀の残骸が地面に転がる。

 

(化け物が!)

 

 ロキから距離を取りつつ、即座に周囲へと視線を巡らせる。見えたのは、腹を貫かれたテンプルナイトの死体だった。即座にそちらへ駆け寄って上着を捲り上げ、鞘に納められた刀を取り上げる。銃という選択肢もあったのだが、凍りついた上に高温で溶かされた後とあっては暴発の危険性を考えないわけにはいかない。

 

 と。

 

「椎名さん!」

 

 唐突に悠介の声があらぬ方向から聞こえ、椎名はそちらへと視線を向けた。どういうわけか、研究棟の入口に立っている。いつの間に移動していたのか――そもそもなぜあそこに移動しているのか。彼だけでなく、有紗や白木も一緒だった。

 

 しかしこちらが疑問をどうにかする間もなく、悠介はなにかを頭上に掲げて見せた。それをこちらへと投げてくる。

 

 狙いを外したのか単純に届かなかったのか、こちらのかなり前方へと落ちそうになったそれを椎名は駆け寄って掴み取った。そして、眉をひそめる。

 

「……あん?」

 

 悠介が投げて寄越したのは、自分の手の中にあるのとまったく同じものだった。テンプルナイトの備品である日本刀だ。自分がたったさっき死体から剥ぎ取ったものと見比べてみるが、間違いない。鞘の装飾が一致している。

 

 どういうことかと椎名は悠介の方を見たが、彼の答えは短い上に単純なものだった。

 

「使ってください!」

 

 わけがわからないものの、椎名は先に拾っていた刀をその場に落とし、悠介から受け取った方の刀を鞘から抜き放った。

 

 と。

 

(……うっ!?)

 

 握った柄からなにか妙な感覚が湧き上がり、椎名は声に出して呻きそうになった。うまく言葉には言い表せないが、刀の柄を握っているとは思えないような感触が手の中にある。

 

 再び悠介の方を見ると、それを見越していたように悠介は言ってきた。

 

「椎名さん! その刀にはデジタル・デビルの情報が宿ってます! 生体マグネタイトを与えれば、活性化するはずです!」

 

(……なんだと?)

 

 さらりととんでもないことを言ったような気がするが、こちらの反論を待たずに悠介は更に続けてくる。

 

「刀の構成情報を探って、デジタル・デビルから抽出した情報と生体マグネタイトを結合させてください! 椎名さんならできるはずです!」

 

 どんな根拠があってそう断言してくるのか、椎名は文句を返してやりたい気分だったが、しかしすぐに思い当った。

 

(――情報操作か!)

 

 自分がこの街に張った目に見えない壁と、原理は同じだ。特定の情報だけを検出して、それに干渉する――この場合はデジタル・デビルから抽出したという情報を探り当てて、それにこちらの生体マグネタイトを送り込めということだろう。実際のところ言うほど簡単なことではないのだが、関係ない。それを処理するのは自分の頭ではなく、自分の中にいるデジタル・デビルだ。

 

 左肩が熱を帯びたような気がした――そこに刻まれているはずの、デジタル・デビルの情報痕が。それに呼応するように、刀身の中程に模様が浮かび上がった。これがこの刀に付与されたデジタル・デビルの刻印なのだろう。

 

(……!)

 

 頭とは別のところ、恐らくは自分の体内に潜むデジタル・デビルが、変化を感じ取るのがわかった。目で見て取ることはできないが、刀身が変質している。無機物であるはずの鋼鉄に、自分の生体マグネタイトが結合していくのが知覚できた。正確には、刀身に含まれたデジタル・デビルの情報に、なのだろうが。だが情報レベルで封入されたデジタル・デビルの因子の変化は、材質にすら影響を及ぼす。人間が悪魔へ変じるのと同じように。

 

 自覚は一瞬で済み、理解はそれよりも更に短かった。つまり頭では理解できず、その辺りは自分の中のデジタル・デビルに任せておく。役割分担だ。煩雑極まる情報処理は名前も知らないデジタル・デビルに丸投げして、自分はただこの刀を相手の体内へと滑り込ませる算段だけを立てればいい。悪魔を殺す術だけを考えればいい。

 

 変化に気づいたのは自分だけではないようだった。ロキもまたケルベロスから視線を外し、こちらに顔を向けている。

 

 椎名はロキへと向かって駆け出した。ロキもまたケルベロスから距離を取り、こちらに向かって氷の矢を撃ち出してくる。飛来するそれらをあるいは避け、あるいは切り払い、更に距離を詰める。氷塊のいくつかは横からケルベロスが叩き落した。

 

 ケルベロスが地面を蹴り、こちらに先んじるようにロキへと飛び掛かる。先程までと違い、ロキはそれをかわすのではなく真正面から叩き落した。わざわざそうした理由は考えるまでもなく、その直後の隙を狙うこちらに対処する為だろう。

 

 ケルベロスの頭上からこちらが放った刀の一撃を、ロキは大きく身をのけ反らせてかわした。が、そこから体勢を戻すよりも先に、地面に叩き付けられたケルベロスが身を起こし、ロキの足首へと牙を突き立てた。

 

(ナイスだ!)

 

 思わず感嘆のつぶやきを漏らす。ロキにとっては大したダメージでもないはずだが、ケルベロスは相手の動きを止めることを優先したのだろう。今更ながら、瞬間的な状況判断ではこの場にいる誰よりも優れているかもしれない。

 

 再び刀を振り抜く。ケルベロスに足を取られたロキはかわそうとせず、それを腕で受け止めようとし――

 

 その肘から先が、宙を舞った。

 

 

 

「やった!」

 

 椎名の振るった刀がロキの腕を斬り飛ばしたのを見て、白木が歓声を上げる――それを聞きながら、悠介は胸を撫で下ろしていた。突貫工事にも程がある作業だったが、うまくいったらしい。研究棟内の機器が無事だったのも僥倖だった。

 

 ――デジタル・デビルの情報を細分化して抽出し、別の物質に宿らせる。その発想自体は、以前からあったものだ。改めて考えてみればそれはプランクに対してやったことと同じであり、ただ生体マグネタイトを喰わせるのではなく、ある程度の条件を付与してデジタル・デビルの召喚を限定的に実行するということに他ならない。プランクの場合は肉体をケルベロスへと変化させるスイッチを取り付けたようなものだが、今回の場合はデジタル・デビルから抽出したソースを刀身の構成情報に織り込み、その上で情報を活性化させるスイッチを悪魔召喚プログラムではなく別のものに委ねた。つまりは、それを扱う者の生体マグネタイトに。

 

 言うまでもなくそれは使う側に生体マグネタイトというか情報の操作を要求するものであり、早い話が椎名以外の人間には扱えないということだ。流入を制御できなければ、刀に生体マグネタイトを吸い尽くされることになる。それが単に死ぬだけなのかはたまた刀そのものになってしまうことを意味しているのかは、試していないのでわからないが。

 

 以前までは、単なる発想に過ぎなかった。思いついていたところで実行に移すだけの環境がなかったのだ。その点に関しては、加嶋の組み上げた合体プログラムに感謝せざるを得ない。デジタル・デビルの構成情報を要素毎に分解するというあのプログラムがなければ、この着想を実現させるには至らなかっただろう。

 

 とは言え、急場しのぎには違いない。取り出したソースにしても、本当ならもっと別の因子を選別するつもりだったが、時間がなかったのだ。なので単純に刃の強度と切れ味を向上させる程度の効果に留まっている(そもそも情報を操作できる人間にしか扱えないようなものを拵えるつもりなどなかった)。

 

(ともあれ、後は椎名さん次第か)

 

 刀を振り回しても銃で狙いをつけてもロキに対して有効な手立てにはなりそうにない以上、自分にできるのはここまでだ。それはテンプルナイト達にしても同じらしく、二人とも銃口をロキに向けてはいるが、撃つ気配を見せずに椎名とケルベロスを見守っている。

 

 片手を失っても、ロキに焦った様子は見られなかった。単にそういった感情を持ち合わせていないだけなのかもしれないが、痛みに悶えるようなこともなく冷静に(傍目にはそう見える)椎名とケルベロスから距離を取り、再び氷の散弾を放つ。

 

 ダメージを与える手段を得たところで、あの飛び道具が厄介なことには変わりないようだった。踏み込むにはある程度の被弾を覚悟せねばならないのだろうが、心なしか椎名の動きが先程までよりも鈍って見える。どこかを痛めているのだろうか。

 

 と。

 

「……悠介!」

 

 突然、有紗が声を張り上げた。何事かと思って振り向くと、彼女は椎名達とはまったく違う方へ顔を向けている。彼女の視線を追って、こちらも首を動かすと――

 

(あれは……?)

 

 見えたのは人影だった。二つだ。こちらへ向かって歩いて来ている。

 

「こっちへ来るな! 危険だ!」

 

 白木が叫ぶが、人影は聞こえているのかいないのか、どちらも立ち止まろうとはしなかった。業を煮やしたのか、白木がそちらへ駆け出そうとする。

 

「だめ!」

 

 制止の声を上げたのは有紗だった。驚いて見やると、彼女はどこか怯えたような表情を浮かべている。

 

「……有紗? 一体――」

 

 言いかけて、悠介は気づいた。

 

 こちらへ近づいてくる人影は二つだが、奇妙なことに歩いているのは片方だけだった。もう一方は頭を鷲掴みにされ、地面を引きずられている。更によく見れば、腰のベルトから銃と刀をぶら下げていた。ということはテンプルナイトか。

 

 そのテンプルナイトと思しき人物を引きずっている誰かは、どことなく見覚えのある風体だった。すぐに思い当たる。先日この街に入り込んできた盗賊だ。布を巻きつけて顔を隠している。

 

 白木も思い出したらしく、はっと息を飲んだ。

 

「あ! あいつ、この間の!」

 

「捕縛したっていう盗賊ですか?」

 

「恐らくそうだろう。あっちは騎士団の詰所だし、尋問中に脱走して来たのか?」

 

 話している間にも、顔を隠したその人物はどんどんこちらへと近づいていた。人をひとり引きずっているとは思えない程にしっかりした足取りで、迷いなくこちらへ――いや、椎名達の方を目指しているように見える。

 

「おい、聞こえていないのか!? 忠告なんてしてやる義理はないんだが、悪魔がいるんだ! 近づくんじゃない!」

 

 白木がもう一度叫ぶものの、やはり立ち止まらない。仕方ないだろうと思い、悠介はそちらに拳銃を向けた。

 

「もしかして、この騒ぎに乗じて逃げ出すつもりでした? まあそんなに悪い判断ではなかったと思いますけど、方向が悪かったですね。こっちは取り込み中なんです」

 

 告げると、人影の肩がぴくりと動いた。その場に立ち止まり、布に覆われた顔をこちらへと向けてくる。

 

「思い直してくれましたか? ならそこで回れ右を――」

 

 次の瞬間、悠介はなにが起きたのかわからなかった。

 

 なにか固いものがひしゃげるような音が聞こえた。それと同時かあるいは先か、目の前の人影の腕が僅かに動いたような気もしたが、目を奪われたのはそちらではなく、頭を掴まれていたテンプルナイトの方だ。どさりとその場に落下し、それっきり動かなくなる。

 

 ――首から上が、消え失せていた。

 

(……っ!?)

 

 突然の出来事に息を飲む。更に次の瞬間には、直前までテンプルナイトの身体を引きずっていたはずの人影までが見えなくなっていた。残っているのは、頭のあった箇所からどくどくと血を流しているテンプルナイトの死体のみ。

 

 人影とテンプルナイトの首と、一体どこに行ったのかと顔を動かそうとした瞬間、有紗が叫んだ。

 

「悠介、あっち!」

 

 彼女の指差す方を向く。いた。右手を真っ赤に濡らし、椎名達のいる方へと一直線に駆けていく人影が。

 

「――誰だ!?」

 

 椎名が誰何の声を上げるが、人影は立ち止まらなかった。というか、異常に早い。あっという間に椎名の隣を通り抜けたかと思うと、勢いそのままにロキに向かって拳を振り抜く。

 

 唐突な乱入者にロキは特に面食らった様子もなく、信じ難い速度で繰り出されたその拳を身を捻ってかわした。乱入者に向けて氷の飛礫を無数に射出し――そのことごとくを、素手で叩き落とされた。

 

 そして、その瞬間に。

 

 悠介ははっきりと目撃した。ロキの繰り出した氷を鞭のようにしなって弾いたその右腕が、不自然なまでに伸びていたのを。

 

(人間じゃ、ない――!?)

 

 驚いている間に、その人物は再びロキに向かって腕を突き出した。今度は拳を握っていない。五指の一本一本が、ナイフのような銀色の刃物になっていた。

 

 ロキはやはりそれを避けようとし――直前でその腕が伸長した為に目測を狂わされたらしく、ぎりぎりのところでかわし損ねた。首筋をナイフのような指(いや、指のようなナイフ?)が掠め、浅い傷をつける。

 

 それで終わりではなかった。伸ばされた腕が即座に縮み、今度はロキの顔面へとナイフの束が飛来する。それでもロキは信じられない程の反応でそれを避けると、元の長さへ戻ろうとするその腕に掴みかかった。そのまま力任せに引っ張り、腕の先にある身体を地面から引っこ抜くように引き寄せる。

 

 ――布の下にあるはずの顔で、果たしてその時どんな表情を浮かべていたのか。

 

 それはわかるはずはないし、実を言えば気になったわけでもない。だが案外、どうということもなくけろりとしていたのではないだろうか。ロキの背後に迫っていた、椎名の姿を認めていたのであれば。

 

 椎名の振り下ろした刀はロキの脇の下へと吸い込まれ、そして反対側の脇腹までを、ほぼ一瞬で通り抜けた。

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