プロローグ Ⅳ
シュバルツバースが人類に残したものとはなんだったのか。無論、それを発生させた誰か――いや、誰かではなく、地球意思という名が既に判明しているが――の意図はさて置いて。
幾つかを挙げることはできる。ひとつは災禍の爪痕だ。これは最もわかりやすいものと言えるだろう。悪魔に蹂躙された地上では多くの人命が失われ、生き残った人々に対しては少なからぬ恐怖を刻み付けた。と言うより、まだ終わっていない。悪魔は消え去ったわけではないのだ。完全に抹消することなど不可能だろうし、だからこそそれはいつまでも禍根として残り続ける。人々の心の中にも、そして現実の脅威としても。
そしてそれに付随する形で、人類は悪魔という存在に対する明確な認識を持つにも至った。それまで空想の産物でしかなかった悪魔を、物理的な代物として認知したということだ。人を喰らい生存圏を脅かす、コミュニケーションの取れない外敵として。野生動物による獣害と同列にしてしまった、と言うこともできるし、幻想からの脱却を余儀なくされたのだとも言える。幻想を幻想のままにしておけなくなったのだと。
人類を脅かす敵と、それによる被害。残されたものの中で取り分け目立つのはこの二つだ。だがそれに対抗する為の手段もまたシュバルツバースが残していったというのだから、人類が地球意思なるものの考えている(いた)ところを把握しきれる日というのはまだまだ遠いのだろう。永遠に来ないのかもしれない。
ともあれ人類は悪魔召喚プログラムを手にし、そしてそれを解析することで更に宇宙の真理へと近づいた。どこかの誰かがもう十分だろうと、これ以上なにを望むのかと発したはずの警告には耳を貸さず、またひとつ真理を覆うベールを引き剥がしたのだ。人間であれば平手打ちを喰らうか通報されるかするところだが、生憎とそうしてくるはずの相手を力尽くで捻じ伏せたのはシュバルツバース調査隊だ。そして彼等はそのしっぺ返しを既にこれ以上ないほど受けている。人類を代表して被害を請け負ってくれたのだと言い切ってしまえば、恐らく彼等は憤慨するだろう。少なくとも慰めにはなるまい。地上に現れた悪魔に殺された人々にしてもそれは同じはずだ。
艱難を与え、それを打破する為の手段も用意していたとなると、当然こう考える輩というのも出てくる。つまりシュバルツバースとは地球意思が人類に課したある種の試練だったのではないか、と。そしてそれを乗り越えた人類は、またひとつ生物としての高みに上ったのではないか。霊長へと近づいたのではないかと。
人が抱きがちな夢想なのだが、それを否定する要素が今のところ見つかっていないというのが厄介な点だった。つまり、その可能性は大いにあるということだ。地球意思が人類を害悪でしかないと捉え、全力で排除にかかったのだとは考えたくないのだろう。課せられた試練を乗り越えた人類は、自分達の暮らすこの星から新たな寵愛を受ける資格を得たのだと、それを証明したのだと、そういった結論に至るのは至極当然のことだ。
地球意思は人類を見捨ててなどいない。だからこそ試練を与え、それを乗り越えて人は次のステージへと立つに至った。それは解釈として間違っていないし、敢えてけちをつける理由もない。そういうものだと納得できるのであれば、それに越したことはない。
乗り越えられなかったもの達は、納得などしないだろうが。
シュバルツバースが人類に残したもの。
実を言えば、それは悪魔と悪魔召喚プログラムだけではない。人類がそれに気づいたのは、シュバルツバースが消失してかなりの時間が経ってからのことだった。そしてその間にそれは致命的なまでに進行していたのだが、気づいていたところで手の施しようもなかったに違いない。考えてみれば、シュバルツバースが発見されてからというものずっとそんな調子なのだ。
気づかないうちに人類を脅かし始め、例え気づいていたとしてもどうしようもなかったのだと、後になって理解する。ずっとそうだった。その繰り返しだった。それこそ、シュバルツバースが南極に現れるよりも遥かに昔から。
人々が気づかなかった理由。単純だった。
遠過ぎて手が届かなかったからだ。