真・女神転生 APOCRYPHA   作:DMDK

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Ⅰ 第三章

 靴を履き替えて体育館へ入ると、そこにあったのはそれほど予想していたものとは外れていない光景だった。予想の通りに――痛々しい。

(こんなに、たくさんの人が……)

 言葉を失う。そこかしこから一体どうなっているのか、外にいる化物はなんなのか、自衛隊はいつになったら来るんだと、怒号交じりのやり取りが繰り広げられている。無論、それに明答を返すことのできるものなどおらず、文句と疑問が行き場のないまま体育館内を席巻していた。

「相澤さん!」

 教師のひとりがこちらに気付いたらしく、駆け寄ってくる。

「ちょうどよかったわ、ちょっと手伝ってくれる? まだまだ人が増えそうだし、今のうちに場所の整理をしておいた方がいいと思うの」

 構いませんよ、と言おうとしたところで、横手から別の声が上がった。

「すまんが相澤、ちょっとこっちに来てくれんか!? 自治体と警察が話し合ってるんだが、見張りに割けそうな人手の数がな――」

「おーい相澤ー。教室の机どかすから、何人か寄越してくれい」

 更に別の方向から名を呼ばれる。菜緒はその場で腕組みをして考え込んだ。

(……やることは山積みみたいね)

 頷き、集まってきた教師達の顔を見渡す。菜緒は口を開いた。

「わかりましたから、まずは必要なことをリストアップしましょう。美帆(みほ)、生徒会のメンバーは揃ってる?」

一之瀬(いちのせ)さん以外は、いますよー。召集かけて来ましょうか?」

「大至急お願い。わたしは職員室に寄ってから生徒会室に向かうわ。先生たちは……手、離せません?」

「見ての通りよ」

 即答してくる。他の二人もうんうんと頷いていた。

「わかりました。人員の配備はわたしの方で手配しておきます」

「おう。すまんが頼む」

「お願いね、相澤さん」

 足早に去っていく教師達の姿を見送ってから、菜緒は体育館を出て校舎へ向かった。職員室で出席簿を借り受けてから、生徒会室へと急ぐ。

 廊下を歩きつつ、菜緒は出席簿を眺めた。人員を手配するにも、校内に何人の生徒がいるのかを把握しておかなければならないのだが――

(……これだけ?)

 眉をひそめる。ざっと見た限り、登校している生徒は全体の四割程度の人数だった。残りの六割はつまり――登校することができなかった、ということか。在籍している生徒は全部で八百十二人なので、三百人ちょっとしかいないことになる。

(そうね、クラス毎に分かれてもらって、それから各クラスの担当を――)

 単純に計算すれば一クラス十六、七人となるので、妥当なところだろう。役割の分担には文句が上がるかもしれないが、今は我慢してもらうしかない。

 ――頭の中で算段を立てている間に、生徒会室へ辿り着いていた。

 

 

「……とまあ、自治体や警察と話し合った結果としては、こんな具合かしら。なにか質問は?」

 他の役員達の顔を見渡しながら、尋ねる。まあ概ね全員が似たような表情を浮かべていたが。

「あー……いえ、俺たちに文句はないんですけどね」

 役員のひとりがこちら――というか、こちらの背後にあるホワイトボードを見ながら頭を掻いている。

「生徒たちになんの通達もなく配置を決めちまって、大丈夫ですかね? なんか言われると思いますよ?」

「それはまあ、言われるでしょうね」

 認めて、首肯する。

「けど、緊急事態だから。全員になにかしらやってもらわないといけないし、誰が何に向いているかなんて、吟味している時間もないの。文句を言われたら、そう説明して」

「納得してくれるかなあ……」

 渋い顔で呻くが、一応それ以上の反論をするつもりはないようだった。

 と、今度は別のところから声が上がる。

「あのー、会長。防災用品とか毛布を配るっていうのはわかりますし、名簿の作成っていうのもわかるんですけどー……」

「なに?」

「いえその……避難場所の警備っていうか見張りっていうか、それもあたしたちがやらないとダメなんですかー?」

 彼女がなにを言いたいのか、そして懸念しているのか、それはわかっているつもりだった。しかし誤魔化す意味もないので、はっきりと答える。

「警察の人に全部任せられれば良かったのだけど、はっきり言って人員がまったく足りていないの。もちろん、基本的には自治体の方から選抜した人たちに任せることになるから、わたしたちはあくまで補充要員という形になるわね」

「補充要員って言うとー……」

「ええ……人的損害が出た場合に、よ」

 言うと、全員が押し黙った。皆の表情に見て取れる色は、概ね共通している――やらなければいけないとはわかっているが、そんな事態にはなってほしくない。言うまでもなく、菜緒としてもこれ以上ないほどに同感だった。

 軽く咳払いをしてから、菜緒は続けた。

「とにかく自衛隊が救助に来るまでは、ここにいる人間だけでどうにかするしかないの。人手を遊ばせておくような余裕はありません。それでは、解散」

 告げると、全員が椅子から立ち上がり、生徒会室から出ていった。ひとりになって、ふうと息を吐き出す。

(……自衛隊が来るまでは、か)

 それがいつになるかはわからない。なにしろ情報がまったく入ってこないのだ。警察の人間ですら把握していないらしく、それが避難してきた人々の不安を後押ししているのだろうことは想像に難くない――自分も、その中に含まれているが。

 そして、自衛隊が来たとしても。

(それで事態が収拾するかしら――?)

 災害に見舞われたのであれば、自衛隊は避難民を始めとする生存者の救助に全力を注ぐだろう。だが――今この一帯に現れているのは、明らかに単なる災害とは言い難い。人を襲う未知の生物がそこかしこを徘徊しているのだ。自衛隊が救助に駆けつけてくれたとして、当然あの怪物達を無視することなどできないはずだった。

 とは言え、ここで考えていても仕方がない。菜緒は軽く首を振ると、自分も持ち場に向かった。

 やるべきことはいくらでもあるのだから、考えるのは後に回すしかない。

 

 

 ――菜緒がそれに気が付いたのは、自治体の役員と炊き出しの場所について話している最中だった。体育館の一角で視線が止まる。

「……あの子たちは?」

 菜緒が示した先には、小学生か中学生くらいの子供達の姿があった。全部で四人、周囲からはやや離れ、身を寄せ合うようにして固まっている。

【挿絵表示】

 別に子供の姿など、体育館の中では珍しくもなかったのだが、菜緒が彼らに視線を向けてしまったのは、他の子供と――というより、周囲の避難者と様子が違っていたからだった。

 こちらの視線を追って、たった今まで話していた自治体の男性が説明してくる。

「ああ、あの子らは……ここに来る途中に、親をね、その」

「……亡くしたんですか」

 濁した言葉の先を継いで、尋ねる。男性は沈鬱な面持ちで続けてきた。

「あの子たちを庇って、ね。かわいそうに、目の前で殺されてしまったんだ」

「それは……ショック、だったでしょうね」

 そうとしか言いようがなく、顔を伏せる。

「ほんとだよ。特に有紗(ありさ)ちゃんの動揺がひどくてね。その……」

「……どうしたんです?」

 再び言い淀む彼に、菜緒は聞き返した。男性は頭に手を当てると、

「その、なんて言ったらいいのか……専門家じゃないんで詳しいことはわからないんだが、つまり、なにも憶えてないみたいなんだ」

 言葉を選んでいるのだろう、やや歯切れの悪い物言いだった。

 菜緒は眉をひそめ、

「憶えてないって……その、親御さんが殺された時のことを、ですか?」

「いや、それだけじゃなくてね。なにも憶えてないみたいだった。自分の名前とか、なにも」

「え……それって、つまり」

「記憶喪失、ということになるかな」

 彼自身そう呼んでしまってよいものか疑っている様子だったが、それでも言ってくる。菜緒は返す言葉を見つけられなかった。

 ――目の前で、親を殺されて。それがどれほどのショックとなったのか菜緒には見当もつかなかったが、少なくとも幼い少女にとっては途轍もない衝撃だったのだろう。それこそ、自分が誰なのかもわからなくなるほどの。

 言葉が見つからないまま、菜緒はそちらに近づいていった。子供のひとりがすぐに気付いたらしく、不安げな様子でこちらを眺めている。

 四人のうち、少女はひとりだけだった――恐らく彼女が、有紗という少女なのだろう。他の三人は少年で、ひとりを除いてこちらを見ている。残るひとりは、手元でなにやらノートPCを操作していた。

「……? あなた、なにしてるの?」

 声をかける。その少年はちらりとこちらに視線を向けるも、すぐに手元へと戻した。なにやらキーボードを叩いているが、パソコンにはまったく無知な菜緒としては信じられないほどのスピードに思えた。

 返事をするつもりはないらしいと判断して、他の三人に顔を向ける。口を開いたのは少年のひとりだった。

「ほっといていいよ。悠介(ゆうすけ)のヤツ、さっきからずっとそれいじってるから」

「悠介はパソコンオタクだからな」

 悠介と呼ばれたその少年は二人の言葉にも耳を貸しているのかいないのか、視線をディスプレイから離そうとはしなかった。なにをしているのかと思い、ちらと画面を見やるが――菜緒にはまったく理解できない文字やら記号やらの羅列が映っているのみだった。

「ところで姉ちゃん、なんか用?」

「え? いえ、用っていうか……その、有紗ちゃんっていうのは、そっちの子?」

 先程から口を開いていない少女へと視線を向ける。しかし当の少女は呼ばれたことに気付いていない様子で、きょとんとした表情を浮かべている。というか、こちらを見ていなかった。

「……おい楠牟礼(くすむれ)、お前のことだって」

 別の少年が少女の肩を叩く。それでようやく気が付いたとでも言うように、少女が顔を上げた。

「……?」

 無言でこちらを見返してくる。菜緒は戸惑いつつも、

「あなたが、有紗ちゃんよね? えーと……」

「楠牟礼だよ。楠牟礼有紗」

 横から少年が付け足してくるが、少女の表情はぴくりとも動かなかった。こちらの声が聞こえていないのかとも思ったが――

「あーもう! お前のことだって、さっきも言ったろ!? いい加減に思い出せよ!」

 我慢できなくなった様子で少年が声を張り上げると、少女はびくりと肩を震わせた。二人から離れ、パソコンを操作しているもうひとりの少年、悠介の方へと身を寄せる――その少年はと言えば、煩わしげな視線をちらりと少女に向けただけで、すぐにパソコンへと向き直ってしまったが。

「ちょっとちょっと、落ち着いて。この子、なにも憶えてないんでしょ? 怖がらせちゃ駄目よ」

 慌てて宥めるように声をかける。咎められた少年はふんと鼻を鳴らし、

「そうだよ、記憶喪失ってヤツ。ホントにあるんだな、こういうのって」

「メシの食い方とかトイレの行き方とか、その辺も忘れてんのかな?」

「とりあえず歩き方と座り方は憶えてるみたいだけどな」

 完全に珍しいものを見る視線で、少女に向かって口々に並べ立てる。言われている少女自身はよくわかっていないようだったが――言葉は通じているのだろうか?

 菜緒は少女の前に屈み込み、彼女の顔を見据えた。通じるものかどうかはわからないが、笑みを浮かべて見せる。

「あのね、有紗ちゃん。なにか困ったことがあったら、遠慮なくわたしたちに言ってね? できる限り、力になるから」

「……?」

 首を傾げられる。やはり通じていないのだろうか。菜緒は顔を上げて、

「あなたたちも、困った時は周りのひとたちに頼るのよ? 非常事態なんだから」

 言うと、少年二人は顔を見合わせた。

「まあ、バケモンが出てるもんな」

「なんなんだろうね、あのバケモノ。宇宙人とか?」

「いや、きっとアレだよ。生物兵器。なんかの実験で作られて、逃げ出したってパターンだよ」

「突然変異かもよ? 放射能浴びて、フツーの動物がバケモノに進化したとかさ」

 いずれもどこかで聞いたような話だったが、否定するにはなにひとつ証拠がない。菜緒は苦笑を浮かべるしかなかった。

「なーなー、姉ちゃんはなんだと思う、アレ?」

「え? ええっと、そうね……」

 話を振られて、菜緒は困惑した。どう答えたものか、迷っていると――

「悪魔だよ」

 ぼそりと。横から声が上がる。

「え?」

 驚いてそちらを見やる――口を開いたのは、悠介という少年だった。キーボードを叩く手を止めて、いつのまにかこちらを見ている。

 自分と、少年二人と、そして少女と。四人分の視線を集めて、少年が再び告げてくる。

「悪魔だよ、あれは」

 その言葉に、いち早く反応したのは別の少年だった。

「……悪魔ぁ?」

 限りなく疑わしげな表情で、聞き返す。

「おい悠介、悪魔って、あの悪魔か? 漫画とかゲームとかに出てくる?」

「…………」

 そこで初めて、少年は表情に僅かな変化を見せた。顔をしかめる――言いたいことが完全には伝わらなかった、というような。

 菜緒は彼へと向き直り、

「えっと……悠介、くん? あなたの言う悪魔って、どういうもののこと?」

 少年たちの尻馬に乗るわけではないが、こちらとしても気になったので聞いてみる。少年はしかめた顔はそのままに、

「悪魔の話なんて、世界中にあるよ。大昔からね。伝説だとか、おとぎ話とか。そういうのに出てくるもののことだよ」

 それで説明は終わったとばかりに、パソコンへと視線を戻す。

 菜緒は思わず、二人の少年と顔を見合わせていた。二人は怪訝な様子だったが、恐らく自分も似たような表情をしているのだろう。

 やがて、少年のひとりが口を開いた。

「……おい悠介。お前、どうかしたか? パソコンのやり過ぎで頭おかしくなったか?」

「そうだよ。お前オバケとか占いとか、バカにしてたじゃん。非科学的だ、とか言って」

 もうひとりの少年が同意する。

「別に、信じなくてもいいよ」

 悠介という少年はあっさりと言ってきた。

「僕としても、半信半疑だしね。ただ――」

 と、そこで一旦言葉を切る。なにかを値踏みするように視線を漂わせた後、更に言ってきた。

「悪魔が非科学的な存在だっていうのは、どうかな」

「……? 意味わかんねえよ」

 少年がぼやくが、菜緒も同感だった。悠介という少年がどういったつもりで悪魔などという単語を持ち出したのか、まるっきり理解できない。

 しかし彼はそれ以上の説明をするつもりはないらしく、再びパソコンの操作に没頭し始めた。彼の言葉に戸惑っているのか(無理もないが)、他の二人の少年も眉をひそめて顔を見合わせている。

(……なんだ? 悠介のヤツ、やっぱおかしくなったか?)

(まあ、悠介のお母さんも死んじゃったしね……平気そうにしてるけど、やっぱショックだったんじゃないかな)

(それ言ったら、俺たちだって同じじゃん)

(うーん……でもなんか、実感湧かないんだよね。バケモノに殺された、なんてさ)

 彼には聞こえないようにか、小声でひそひそと話し合っていた――こちらには筒抜けだったが。

(この子たち、みんな……)

 有紗という少女だけでなく、他の三人も親を喪っているのだ。表面上はそんなことを感じさせないよう振る舞っているように見えるが、やはりそれぞれにショックを受けているのだろう。あるいは、まだその事実を受け止めきれていないのか。

 菜緒は両親と祖母の顔を思い浮かべた――思い浮かべずにはいられなかった。避難してきた人々の中には今も見当たらないままだが、無事でいるのだろうか。楽観できる要素がなにひとつ存在しないので、嫌な予感ばかりが頭をもたげてくる。そしてそれは恐らく、ここにいる全員が等しく抱いている不安でもあるのだ。

 なにかあったら呼んでね、と少年達に告げて、菜緒はその場を離れた。返事は二人分しかなかったが。

 再び自治体の人間と今後の方針を話し合っている間も、菜緒は。

 ――悪魔だよ

 少年の言葉が、なぜか脳裏から離れなかった。

 

 

「……なあ悠介。お前、いつまでそれやってるつもりだ?」

 背後から(あきら)が声をかけてくるが、悠介は振り向かなかった。既に何度も聞かれたことなので、返事もしない。

「それ、ゲームじゃないんだろ? 飽きねーの?」

「ネットにも繋がらないんなら、情報なんか集めようとしても無駄だと思うぜー?」

 こちらに対する忠告というよりは、彼ら自身がこの状況に飽きてきたのだろう。見たところ(見ていないが)特にやることもないようだし、さっきの女子高生が来るまでは有紗に記憶の有無を確かめたりもしていたのだが、徒労と判断したのか、今は彼女を気に留めている様子はない。

「なー悠介ー。避難生活って、ずっとこんなんなのかなー。ヒマだよなー」

 ……要するに、そういうことらしい。

 悠介はディスプレイから視線を上げた。確かに二人の言う通り、ネットに繋がらない以上情報を集めることはできない。バッテリーにも限界があり、ちょうど作業も行き詰っていたところだった。

 こちらがノートPCを閉じて顔を上げたのを見てか、(りょう)と明が寄ってくる。

「お、やっと休憩か?」

「……まあね。できれば充電もしたいし」

「お前、いつも予備のバッテリー持ってるんだろ?」

「予備は予備だよ。充電できるならその方がいいに決まってる」

「あーあ。こんなヒマなら、ゲーム持って来りゃよかったよなー」

「……携帯は? 繋がらないまま?」

 ポケットから携帯電話を取り出しながら一応尋ねる。亮が面倒臭そうな表情ではたはたと手を振った。

「ダメ、アンテナ立ってねーよ。まったく肝心な時に使えねーとか、金返せってカンジだよなー」

「いつになったら復旧するんだろーな。地震の時とかって、どれくらいかかったっけ?」

「程度によるだろうけど……下手したら、何日もかかるかもね」

 マジかよ、と二人揃ってげんなりした声を上げる。

「あーヒマだ。外に出ようにも、あのバケモンがうろついてるしなー」

「暇が嫌なら、走り回ってる人たちの手伝いでもして来たら? ほら、あの人だって忙しそうだよ?」

 言って、悠介は先程こちらに話しかけてきた女子生徒のいる方を指し示した。ただの女子高生だと思っていたのだが、ひっきりなしに他の生徒や教師、更には自治体の人間に警察官までもが彼女の元を訪れている。どういう生徒なのかはわからないが、周囲からは頼りにされているらしい。

 が、明は即答してきた。

「ヤだよめんどくせー。大体、オレたちみたいな子供になにができんだよ」

「……まあ、それは否定しないけどね」

 苦笑いしつつ答える。

(実際、さっきだって)

 ここに来る前のことを思い出す――自分を逃がすために、母親が命を落とした時のことを。

(僕はなにもできなかった……逃げ出すしかなかった。母さんを見捨てて、逃げることしか……)

 立ち向かっていたとしても、恐らく殺されていただけだ。それはわかっているし、だからこそ母は自分だけでも逃がそうとしてくれた。母の行動と自分の行動、そのどちらも、誰が非難できるようなことでもないはずだった――客観的に見るならば。

 悠介が押し黙っていると。

「ところで悠介。さっきの、なんの冗談だったんだ?」

 繋がらないはずの携帯電話をそれでも弄りながら、亮が聞いてくる。

「あ、そうそう。さっきの悪魔がどうとか、お前にしちゃ珍しいギャグだったよな」

(……ギャグ扱いか)

 まあ、無理もないと言えば無理もない。自分で口にした通り、半信半疑なのは悠介も同じなのだ。

「……あのさ」

 自分でもまだ信じられないことだが、しかし頭から否定するのにも抵抗がある――その根拠を、自分は見つけてしまっている。

「悪魔って、なんだと思う?」

 明が即答してきた。

「あれだろ? コウモリの羽とヤギの角」

「あとは尻尾だね。先っぽが三角形になってるやつ」

 こちらも迷いなく、亮が後を継ぐ。

 ……少なくとも、責めるのは筋違いではあった。彼らの挙げたものがその単語から連想される普遍的なイメージであることには違いなく、であればこそ、それは真実の一端を担っているとも言える。つまり、間違っていないのだ。あとはまあ、自分の聞き方が悪かった。

(でもまあ……そんなもんだよね)

 自分自身、そうだったのだ。少し前までは。だが、今は違う。少しだけ、彼らとは違う認識でいる。

 つくづく、ネットに繋がらないのが口惜しい。せめてもう少し情報があれば、なにか掴めるかもしれないのだが――

 手元のノートPCを見下ろす。ついさっきまでディスプレイに映し出されていた文字は、脳裏に焼き付いていた。

 ――DDSプログラム。

(DIGITAL DEVIL SUMMONING――悪魔召喚、プログラム?)

 まるっきり関連性のない単語の組み合わせのようにも思えたが、それがなにを意味するものなのか、まだわかっていない。そもそも理解する必要があるのか、それもわからない。いやむしろ、いつもの自分であれば一笑に付していただろう。

 だが。

(タイミングが噛み合いすぎてる)

 そういうことだった。無視することはできない。

 まだぶつぶつと暇であることを訴えてきている二人のことはきっぱりと無視して、悠介は先程までの作業の続きをどうすべきか、考え始めた。

 

 

 菜緒がどうにか人心地つくことができたのは、要求された人員の手配を粗方終えてからだった。ひとりきりになった生徒会室で、思い切り息を吐き出す。

(なんとか、目処が立ったけど――)

 眼鏡を外して机に突っ伏し、少しでも疲労を追い払うべく目を閉じる。普段は生徒と教師の折衝を行うのが生徒会の、そして会長である自分の役割なのだが、今日のは明らかに違った。自治体に警察といった、校外の人間とのやり取りがほとんどだったのだ。

 ――いや、だったではない。まだ終わったつもりになるのは早すぎる。実際、校庭や体育館では防災用品の配給に、炊き出しの準備、寝床の支度などに駆り出されている生徒が大勢いるのだ。自分はと言えば、決めるべきことを決めただけで、身体を動かしていない――まあ、校内を駆けずりはしたが。

(……それに)

 目を開き、顔を窓の外へと向ける。既に日は傾き始めていた。

(もうすぐ、夜になる)

 怪物の敷地内への侵入はどうにか――主に警察を中心に――防いでいるようだったが、日が落ちてしまえばまた勝手が違ってくる。当然だが夜間の人員は昼間のそれよりも増やさなければいけないし、なによりも危険性が大きい。寝床の準備には早い段階から取り掛かるつもりだが、枕を高くして眠れるものはいないだろう。

 自分も同じだった。確かに疲れてはいるが、眠気はまったくない。もっとも、今ここで眠ってしまうわけにはいかないのだが。

(一休みしたら、炊き出しの手伝いに――)

 と考えていると。

「会長、いますか!?」

 勢いよく扉が開き、役員のひとりが入ってきた。菜緒はさっと眼鏡をかけ直し、

「なにか、あったのね?」

 居住まいを正して尋ねる。飛び込んできた生徒はここまで走ってきたらしく、肩で息をつきながら言ってきた。

「ちょっと、問題が。先生たちも警察も忙しそうで、会長に頼るしか」

「どこ? 校庭?」

「ええ。炊き出しをしてたんですけど、順番待ちをしていた人たちが、その……」

「すぐに行くわ」

 なんとなく言わんとしているところを察して、菜緒は椅子から立ち上がった。生徒会室を出て、校庭へ向かう。

 外へ出てみると――果たして、概ね予感した通りの状況だった。炊き出しの列からやや離れたところで(離されたのだろう)、なにやら言い争いをしている。

 そちらへと駆け寄って行くと、なにを言い合っているのか、聞き取ることができた。

「ざっけんなよ! そっちが割り込んで来たんだろうが! なんでオレが外されなきゃなんねーんだ!?」

「はあ? 割り込んでねーし。つかお前、さっき一回並んだろ。なに二回も食おうとしてんだよ」

 お互い相手に掴みかからんばかりの勢いで言い合っているのは、恐らく菜緒とそれほど年齢は変わらないだろう二人の少年だった――見覚えがない上に私服なので、おそらくここの生徒ではないのだろうが。更にその二人を、これも私服姿の少年と少女が背後から抑えている。

 少年のひとりが、再び声を張り上げた。

「オレの分じゃねえよ! 浩一(こういち)のだ!」

「はいはい、んじゃ本人に聞いてやるよ」

「……えっ?」

 と、片方を抑えていた少年が不意を突かれたように声を上げる。

「おい浩一。お前、まだ食ってねえの? 敏樹(としき)のヤツに頼んだりしたか?」

「え、いや、僕は……」

 二人の少年を交互に見ながら、浩一と呼ばれた少年は言葉を詰まらせた。

「どうなんだよ? はっきりしろよ」

「いや、僕はその……さっきまで、体育館の方を手伝ってたから……」

「食ってねえんだよな!?」

「う、うん」

「……けど、頼んでもないじゃん?」

 と、もう一方の少年に後ろから組み付いている少女が口を挟む。

「頼んでもないのに、敏樹が勝手に並んだってことっしょ? ねえ浩一?」

「あ、それは……そう、かな」

「おい浩一! ぶっ殺されてえのか!」

「ほれ図星。どうせ自分で食うつもりだったクセによー」

「てめえが割り込んで来たことには変わりねえんだよ!」

 口汚く罵り合う様子を眺めながら、菜緒は大体の事情を察知していた。まあ察するもなにも、概ね聞いたままなのだろうが。彼らの方へと歩み寄りながら、

「あー、あなたたち。色々と言いたいことはあるけれど、まずは静かにしてもらえる?」

「あ、会長……!」

 背後から呼び止める声が聞こえるが、気にせず更に近づいていく。

「そ、その……すみません」

 浩一と呼ばれていた少年が真っ先に答えてくるが、他の三人はなにやら胡散臭いものでも見るような視線を向けてきた。

「うるせーよ。外野は黙ってろよ」

「っていうか、あんた何?」

 言い争っていた少年二人が妙に挑発的な口調で言ってくる。菜緒はその場で腕組みして彼等を見据えた。

「この学校の生徒よ。とにかく、静かにして。周りのひとたちが迷惑してるの、見てわからない?」

 言って、炊き出しの順番待ちをしている人々の列を示す。そのほとんどが、少年達に対しておよそ好意的なものとは程遠い視線を送っていた。

 が、少年達は気にした様子もなくあっさりと、

「ああ? んなモン知らねえよ」

「迷惑とか誰も言ってねーし」

 ……周囲の様子に気付いていないはずはないだろうが、知ったことではない、ということなのだろうか。

「ちょ、ちょっと二人とも。やめようよ」

「アタシはカンケーないからね。お前らで勝手にやってなよ」

 浩一という少年がおずおずと宥めようとするのに対し、少女の方はしがみついていた少年からさっと身を離すと、順番待ちの列の最後尾へと身を翻した。周りからの視線は彼女にも向けられているのだが、どこ吹く風という様子だ。

「うっせーよ浩一。お前、あとでどうなるかわかってんだろな?」

「あーイヤだねー裏切り者は。カッコ悪ー」

「いや、別に裏切ったわけじゃ……」

 止めに入った少年に対して、他の二人の少年が言いがかり以外のなにものでもない論調で責め立てる。菜緒は嘆息した。

「とにかくメガネ。誰も迷惑だなんて言ってねーんだから、出しゃばんなよ」

「……言われないとわからない? 本当に?」

 心底から呆れ果てて、思わず半眼になりつつ聞いてみる。と、少年はたまたま近くにいた男性の肩を掴み、

「よーオッサン、俺ら迷惑か? 迷惑ならそう言えよ、なあ?」

「え? ああいや、うん……どうかな」

 当たり前だが、いきなり話を振られて戸惑っているのだろう。まあそれ以外にも理由はあったかもしれないが、もごもごと口篭もる。しかし少年はと言えば、鬼の首でも取ったような口調で、

「おい、迷惑じゃねえってよ。なに勝手に決めつけてんだよ。死ねよメガネ」

 はあ、と菜緒はもう一度嘆息した。少年達を見返しつつ、告げる。

「ここでのルールが守れないのなら、あなたたちに配るものはなにもありません。今後一切食事は出せないし、毛布もないから夜はその辺で寝てね。それから校舎と体育館にも入らないこと」

「……ああん?」

「なんでそんなこと決められなきゃいけないワケ? あんた何様?」

 こちらの言葉を聞いて、少年達の顔に明確な怒りの色が浮かんだ。が、構わず更に続ける。

「まさかとは思うけど、避難して来たからってここで施しを受けられるのが当然だとか勘違いしてないわよね? 最低限のルールも守れないようなひとに、そんな資格はありません。好き勝手にしたいのなら、他人には関わらないところで好き勝手やってなさい」

 ぴしゃりと言い放つ。少年達の顔が徐々にどす黒くなっていることには気づいていたが、だからと言って自分の意見を引っ込めるのも曲げるのも、菜緒には受け入れられなかった。

「…………」

 無言のまま、少年達がこちらへと一歩踏み出した。そのまま怒りに任せて飛びかかってくるのかと思い、菜緒はいつでも動けるように腰を落とした――のだが。

「嬢ちゃん、いいコト言うな。あんたの言う通りだ」

 声は、まったく別の方から聞こえた。驚いてそちらを見やると、順番待ちの列の中のひとり、五十代ほどの男性がこちらと少年達に視線を向けている。

「おいガキ共。お前らここに来てからというもの、なんの手伝いもしとらんだろう。動けないならともかくぴんぴんしとるくせに何もせず、しかも貰うものはきっちり貰おうなんてのは、通らんよ。その嬢ちゃんの言った通り、ルールは守らんとな。でなきゃお前たちが動きたくとも動けなくなった時、誰もお前たちを助けてくれたりせんぞ?」

「ああ? おいジジイ……」

 反論の矛先をそちらへと向けようとしたのか、少年が振り返る。が、すぐに別の方向からも声が上がった。

「そうだ! お前らずっと中で騒いでただけじゃねえか! ここの生徒はみんな自治体や警察の手伝いをしてたってのに、恥ずかしくねえのかよ!?」

「だっせえ真似してんじゃねえ! 食いたけりゃ働け!」

 一度火が点くと、もう止められなかった。あちこちから口々に少年達を非難する声が上がり、むしろ彼らの方が少年達に向かって飛びかかって行きかねないほどだ。菜緒は慌てて静止の声を上げようとしたが、それよりも早く。

「……なんだこりゃ。バッカじゃねえの?」

「さっきまで黙ってたクセにさー。袋叩きとか、マジ最悪」

 ああいうオトナにはなりたくないよなー、などと吐き捨てると、二人の少年はもうひとりの浩一という少年の襟首を掴み、尚もぶつぶつとなにかをつぶやきながら列から離れていった。

 いつでも逃げ出せるように落としていた腰を元の位置に戻して、菜緒は三度目のため息を吐き出した。視線を列の方へと戻し、

「すみません、お騒がせしました」

 ぺこりと頭を下げる。そのまま炊き出しを手伝うべく、歩き出そうとして――それを阻むように、というわけでもないのろうが、列からわっと歓声が上がった。

「いやあ、あんた若いのにしっかりしてるなあ!」

「ほんとにねえ。うちの娘とは大違いだわ」

「生徒会長さんですって? きっと親御さんの躾がよかったのねえ」

 今度はこちらを持ち上げるようなことを言ってくる。菜緒は面映ゆく感じて俯くと、早足で炊き出しの担当員がいる方へと歩いていった。その間も周囲からの囃し立てる声は収まらなかったが、我慢するしかない。

「……よかった。なんとかなりましたね、会長」

 と、こちらの隣に並びつつ、自分を呼び出した張本人が声をかけてくる。菜緒はじろりと横目で彼を睨み、

「あなた、まったくなんの役にも立たなかったわね」

 恨みがましく告げる。彼は気まずそうにこちらから視線を逸らした。

「いやまあ、勘弁してくださいよ。誰だって危ない橋は渡りたくないんですって。ていうか会長、正直ちょっと無茶でしたよ。あいつらがあそこでキレてたらどうするつもりだったんです?」

「そうね。とりあえずあなたを盾にして、逃げ出してたわ」

 突き放すようにきっぱりと、菜緒は言い放った。

 いやもうホントに赦してくださいってば、と苦笑いしている彼の返事を聞きながら、菜緒は。

(もしさっきので、彼らが逆上していたら……)

 逆上して、自分に飛びかかられていたら。

 恐らく、自分はなにもできなかった。逃げる準備こそしていたものの、それで本当に逃げられたかどうかはわからない。

(わたし……そこまでは、考えてなかった)

 後先のことはなにも考えずに、ただ言いたいことを口走っただけだ。そうすることを我慢できなかった。

 ……今更ながら、震えが全身を襲った。

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