「……なんでこれなのよ。新しいの持って来てくれなかったの?」
「贅沢ぬかすな。拾って来てやっただけありがたいと思え」
視線を逸らしたまま腕だけをこちらへと伸ばしている椎名から、脱ぎ捨てたはずの服を受け取る。元は悠介がこの街のどこかから(恐らくは聖堂辺りだ)調達してきたもので、自分や有紗の血でかなりの部分が薄汚れていた。
――自分で気付いたのはかなり後のことだったのだが、椎名によればあの刀の柄を握ってすぐに、こちらの悪魔化は解けていたらしい。実体化に必要な生体マグネタイトを吸われたのだから、考えてみれば当たり前の話だ。なのでその自覚もないまま、彼の目の前で裸のまま振る舞っていたということになる。
「せめて下着くらい――」
「それしか落ちてなかったんだよ。つか、なんでそっちは脱がなかったんだ。ひょっとして最初っからはいてなかったのか?」
かなり無遠慮なことを聞いてくる。彼としては下着まで拾ってくるようなことにならずに済んだのがむしろ不幸中の幸いだったのか、どこかほっとしたような声色だったが。
穿いてはいた。有紗から貰った――いや、借りただけだったか?――サイズの合わない下着を。あの場で脱がなかっただけだ。なので当然、姿を変えた際に破れてしまった。
彼の質問には答えず(彼も別に返事など求めていないに違いない)、菜緒は受け取った修道衣に袖を通した。血の汚れは既に乾ききっており、洗ったところで完全に落とすのは難しいだろう。どう考えても、別の服をどこかから調達した方が良さそうだった。
「着たか?」
「着たわよ」
答えると、彼はこちらを向いた。その表情は不機嫌そうに歪んでいる。
椎名はこちらの頭から爪先までをじろりと眺めると、
「……悪魔がシスターの服着てるとか、笑えるんだか笑えねえんだか」
それでも表情を変えぬまま、そんなことを言ってきた。少なくとも、ジョークの類を口にするような顔はしていない。
不本意ながらも、菜緒は同意せざるを得なかった。
「本当にそうよ。一応言っておくけど、これ選んだのわたしじゃないから。悠介くんだからね」
「――あいつのセンスも、相当なもんだな」
椎名が呆れた様子で言ってくる。それにも共感し、菜緒は嘆息した。別に恨むほどのことでもないが。
菜緒は少しだけ視線を下げた。
「その手、大丈夫なの?」
服を寄越してきた方とは反対の、彼の右手を見ながら尋ねる。椎名は軽く右腕を上げて見せると、
「生体マグネタイトを補填したところで、もう元には戻らねえだろうな。邪魔だし、いっそのこと切断しちまった方がいいかもしれん」
刀を掴んでいた形のまま石化している肘から先を示し、彼はそう告げた。割と苦もなく動かしているように見えるが、重くはないのだろうか。
生体マグネタイトを吸われたのは同じだが、自分の方には後遺症のようなものは現れていない。失った分を摂取さえすれば、身体の調子も戻るだろう。つまりはそれだけ、彼の方が刀に吸われた生体マグネタイトの量が多かったということだ。
「なんなら、お前がやってくれるか?」
言って、右腕を差し出してくる。壁を突き抜けてこちら側へと。
目の前には、彼が張った街を覆う壁があった。彼はその内側に立っており、そして自分は外側だ。数十センチしか離れていないが、彼のいる場所は街の中で、そして自分のいるところは彼の定めた法の及ばない場所ということになる。
壁の向こうから腕だけをこちらへと突き出している彼を見ながら、菜緒はかぶりを振った。
「嫌よ。そんなの自分でやって」
「そうか」
存外にあっさりと、椎名が腕を引っ込める。本気で言っていたのかどうか――それは、推し量りようもない。冗談だったのだとしたらえらく趣味が悪いと言うしかなく、本気であれば余計にたちが悪い。
――会話が途切れる。話すべきことがなくなる。
恐らく彼の方は、こうしている時間すら惜しいはずだ。街に入り込んだ悪魔はまだ残っているし、セトに生体マグネタイトを吸い上げられて石化した住民の数がどれくらいに上るのか、その確認もしたいだろう。さっさと切り上げて、街へと取って返したいはずだった。
それは、わかっている。わかっていたが、それでも。
菜緒は口にしていた。
「ねえ――椎名くん」
あ? と椎名が聞き返してくる。多少は苛ついているかもしれない。
彼の顔を正面から見据え、そして。
「わたしと一緒に、来てくれない?」
告げると、椎名の表情が僅かに変わった。
だが、菜緒は更に続けた。
「この街を出て、わたしとどこかへ行かない? ふたり、だけで」
ふと、既視感を覚える。以前にも、こんなことがあったような――月明かりの下で、修道衣を着た自分が彼を説得している。そして最後には彼の方が折れ、こちらの望みを承諾してくれた。そんな光景だ。あれはいつ、どこであった事だったか――
「……お前こそ」
だが、脳裏に過ったその光景と。
椎名の返事は違うものだった。
「この街に、留まるつもりはないのか。萌衣のやつがいなくなっちまって、住民達は少なからず動揺してる。聖堂騎士団もな。あいつは間違いなく、この街にとって心の支えだったんだ」
萌衣というのがあのシスターの名前だということは、菜緒も既に聞き知っていた。彼女もまた、自分の繰り広げた殺戮から逃れたひとりだということも。
「俺だけでどうにかするには、この街は広くなりすぎた。大きくなりすぎた。今までは萌衣がいたからなんとかなってたが、もういない。だからお前が、あいつの代わりに――」
彼の言葉に、菜緒は。
ふっと、息を吐き出した。
「――そう。やっぱり、駄目なのね」
それもわかっていたことだ。こちらの願いを、彼が聞き届けるようなことはない。
彼の方もまた。こちらが承服するようなことはないとわかっていたのだろう。表情を消した。
「そういうことだ。生憎な」
わかっていて、それでも口に出していた。それでも尚、願わずにはいられず――そしてやはりわかっていた通りに、それが叶うようなことはなかった。
だから、ただの確認だ。ひょっとしたら、という淡い望みを断ち切るための。
菜緒は彼に背を向けた。
「じゃあね。きっともう、会うことはないと思うけど」
「当たり前だ。二度と来んな」
彼もまた、同じように背を向けているだろうか。それとも、こちらの背中を眺めているのだろうか。
見えないのだから、わからない。
「あなたこそ」
たったさっき、彼が口にしたのと同じ科白を口にする。ただし、後に続く言葉はまったく異なるが。
「その壁から外に出たりしないでね。もしどこかでばったり出くわしちゃったら、今度こそ殺すしかないもの」
「そうだな。そうしない理由がない」
彼の返事を聞いて、菜緒は歩き出した。もうなにも言うべきことが思いつかず、そして恐らく、その必要もない。彼に聞いてほしいと思うようなものは、もうなにも浮かばない。
それが無駄だと、そう思い知っている。
しばらく歩いたところで、菜緒は足を止めた。そして、振り返る。
「椎――」
彼の名を呼びかける。が。
椎名はもう、そこにいなかった。こちらに背を向け、もちろん振り返るようなこともなく、遠ざかっている。
嘆息して、菜緒は改めて壁に、街に、そして椎名に背を向けた。再び歩き出す。今度こそ、振り返るようなことはせずに。
視線を上げる。見えたのは、黒くなりかけている太陽だった。悠介によれば、あれもシュバルツバースらしいが。
(デジタル・デビルが、シュバルツバースから発生したものなら)
と、考える。
(死んだ悪魔の情報は、またシュバルツバースに帰っていくのかしら)
それとも実体化できなくなっただけで、つまりは目に見えない状態へと戻ったに過ぎないのか。再び餌となる生体マグネタイトを求めて、どこかを漂っているのか。
だがまあそんなものは、死んだ人間はどこへ行くのかという、大昔から抱かれ続けてきた疑問と大差ない。考えたところで、死んだ後のことなどわからないということだ。自分や椎名のように、なにかの間違いで死に損ねてしまわない限り。
今度死ぬようなことがあれば、その時こそわかるのかもしれない。悟ることができるのかもしれない。
――そんなことを考えながら。
菜緒はもう一度、ため息を吐き出した。
とりあえずは、餌を探そう。
シュバルツバースによる地球環境への深刻な被害は、ひとつひとつを挙げていけば枚挙に暇がない。後になって判明したことだが、決して悪魔のそれだけではなかったのだ。
発生した有害な情報はやがて発信源を地上とは別の場所へと移し、人類を更なる過酷へと誘った。多岐に亘ると述べたが、代表的な例と言えばやはり、太陽光線に含まれる人体の組成を変質させてしまう情報だろう。
陽の光を浴びた人間の身体を結晶化させてしまうその現象は、後に発見者の名を借りて、キュヴィエ症候群と呼ばれるに至った。地上に居並ぶ無数の彫像の正体は、この症候群の患者というわけだ。
太陽から降り注ぐ有害な情報は年々その規模とバリエーションを増しており、キュヴィエ症候群はその最たるものと言えた。以前のように悪魔を生み出して人類の抹殺を図るなどという迂遠なプロセスではなく、もっと直接的に人類の営みを停滞させようとしているのだ。太陽が狡猾になったと言っては、誤解を招くだろうか。
――もっとも、だからと言って新たな悪魔が生まれないようになった、というわけでもない。以前ほどの頻度でこそないものの、悪魔の脅威は去っていなかった。太陽との交信を試みていた施設を襲った災厄などが、そのわかりやすい事例だ。多数の職員が殺され、そして喰われた。
だが皮肉にもと言うべきか、その事件を契機に人類は、有害な情報から身を守るのに最も適した解を見出した。人体の悪魔化を人為的に行うという、シュバルツバース事変を経験していなければまず湧かなかったであろう着想に至ったのだ。
そしてそれは、間もなく完成しようとしている。後は本格的な実験を残すのみだった。
仮想空間の中に用意された、人工知能同士による市街戦を想定した領域。この中に悪魔化ウイルスを投与することで、最終的な実験データを得る。それでウイルスプログラムは完成を見るだろう。
人類を淘汰どころか、根絶しようとしている、あの黒い太陽に対して。
間違いなく、このウイルスプログラムこそが切り札となる。人類を延命させるための、最後の手段となる。
例え、悪魔へと姿を変えようとも。
To be continued in
“DIGITAL DEVIL SAGA Avatar Tuner”
――Are you ready for the JUNKYARD?