高度育成高等学校に入学して1週間が経過した。今のところ、目立つような動きはしていない。ただの戯れとしてポイントを稼いでいるだけだ。賭け事でポイントを得られるなど本気で考えていなかったため驚きはあったが、そう何度も大金を稼ぐような真似はしない。一番大切なのは、この学校での生活を破綻させず維持することだからだ。
入学2日目に行われた部活動説明会には一応参加した。特に興味を惹かれる部活はなかったものの、生徒会長が見せた場を支配する圧倒的なカリスマ性には息をのんだ。世の中にはここまで人を惹きつけ、屈服させられる人間がいるのだと知った。
対して、俺のクラスでの立ち位置は……まぁ、この口の悪さのせいでお察しだ。わざわざ嫌味を聞きたがる物好きなどいるはずもない。ただ、こちらが挨拶をした際に向こうが露骨に無言になるのだけは寛容な心で許してほしいところだ。
そして今日、体育の授業で水泳があった。
一部の男子生徒は朝からソワソワと落ち着きがなかった。過剰に意識すると余計に毒だと分かってはいるが、年相応の男である以上、こればかりは仕方がないのかもしれない。
授業の時間が訪れ、男子全員が指定のスクール水着に着替える。
俺の体型は細身だが、必要な筋肉はちゃんとついている。決してガリガリなわけじゃない。着替えを終えた俺たち男子は一足先にプールサイドへ集まっていた。女子はまだ到着していない。案の定、一部の男子はプールサイドでもソワソワと視線を泳がせている。同じ男ではあるものの、俺はその群れからそっと離れ、一人ポツンと佇んでいた。
「皆、お待たせ!」
明るく通る一之瀬の声がプールサイドに響いた。男子全員が一斉に声のした方向へ視線を向ける。俺もつられて顔を上げた。……だが、一之瀬のスタイルが良すぎて直視することができず、速攻で目を逸らした。
「? 皆、どうしたの?」
「いや、これは男の問題だから気にすることはない」
ありがとう神崎。完璧な代弁だ。
そう心の中で感謝していると、パタパタとペタつく足音が近づいてきた。それはまっすぐに俺の立つ場所へと向かってくる。
「く、黒水君……」
網倉の声だった。俺はゆっくりと網倉へ視線を戻す。……一之瀬のスタイルも凄まじかったが、目の前に立つ網倉も負けず劣らず素晴らしいスタイルをしている。俺は必死の思いで、網倉の顔だけに視線を固定させた。スクール水着から覗く白い素肌が、嫌でも視界の端にチラついて心臓に悪い。
「なにかな?」
「に、似合っているかな?」
上目遣いだと!?
いつもと違う雰囲気、そして普段は結んでいる髪を降ろした網倉の姿に、胸の奥で鼓動がバクバクと激しく鐘を鳴らす。似合っているどころの騒ぎではない。
「さぁね。あまりに毒々しくて扱いに困るよ。君は自分のスタイルというものを自覚した方が良い」
「そ、そうだよね……」
違う、そうじゃないんだ。目に毒になるくらい魅力的だからこそ、もう少し己の罪深さを自覚してほしいと伝えたかっただけなのだ。どうして俺は、こうも網倉を追い詰めるような言い方しかできないのだろう。
「おい、また言ってるぞ」
「網倉ちゃん可哀想……」
周囲から聞こえる陰口があまりに妥当すぎて、反論のぐの字も出ない。全部俺が悪い。
「ごめんね、急に話し掛けちゃって」
「……ほんと、良い迷惑だよ」
「……」
もう何も言葉にしない方がいいのかもしれない。その方が誰も傷つかずに済む。何度も頭の中で繰り返した思考だが、それでも無視することだけはしたくなかった。
自分が惨めで怖い。これを機に、網倉との数少ない会話がさらに減ってしまうのではないかと思うと。
「よし、集合しろ!」
教員の太い声がプールサイドに響き渡った。俺たちBクラスの生徒は素早く教員の元へ集まる。先生はこれから始める水泳授業の概要を語り出した。見学者が0人であることを見渡し、「流石Bクラスだ」と満足そうに褒め称える。準備運動を終えたら、すぐに水に入って泳ぐらしい。
泳げないクラスメイトに関しては、夏までに確実に泳げるよう指導するとのことだった。「これは将来必ず役に立つ」と先生は強調していた。
必ず役に立つ、ねぇ……。
入念に準備運動を済ませ、全員でプールに入り軽く泳ぎの感触を確認した。一度プールサイドへ上がると、先生から思わぬ提案が投げかけられる。
「今から競泳を行ってもらう。男女別で泳ぎ、1位になった者には特別に5000ポイントを支給する。逆に最下位になった者には補習を受けてもらうからな」
最下位になる心配はないはずだ。なら、1位を狙ってみるか。ほんの少しだけ、かっこつけたいという見栄があった。
まずは女子のレースから始まった。偶然にも、一之瀬と網倉は同じ組に振り分けられていた。
俺は心の中でそっと網倉に声援を送った。口に出してしまえば、俺の口から出た瞬間に歪んだ嘘へと変わってしまうから言わない。いよいよレースが始まろうとした、その時だった。
「黒水、ちょっと良いか?」
「ん? どうかしたのかい?」
声をかけてきたのは神崎隆二だった。その瞳には強い真剣さと、どこか俺を警戒するような鋭さが宿っていた。
「俺達と勝負しないか?」
「勝負?」
な、なんだ? クラス全員に嫌みを振りまいている俺に、わざわざ勝負を挑んでくるなんて。
「俺以外のメンバーは伏せさせて欲しい。それで勝負の内容は誰が一番早く泳げるかというものだ。勝ったら一つだけお願いを聞く」
「へぇ、面白そうじゃん」
そんな勝負などしなくとも大抵の頼みなら聞いてやるのに、と思いつつも胸が躍る。勝負、か。なんだか少しだけ心が燃えてきたかもしれない。
「それで勝負するか?」
「まっ、受けてやっても良いよ。君達が無様に負けることを期待してるから」
「俺達は負けない」
神崎は静かにそう言い残し、立ち去っていった。お互いに良い勝負をしよう。……あっ、神崎とのやり取りに気を取られて、心の中で網倉を応援するのを完全に忘れていた。
女子の出番が終わり、次はいよいよ男子の番だ。俺と神崎はいきなり第1レースで直接対決することになった。
スタート位置についた俺と神崎は一度だけ視線を交わし、すぐに前を向いた。結果は泳いでみれば分かる。……勝負を受けたからには、一切の手抜きなしで本気で行かせてもらう。
先生の吹き鳴らす笛の音を合図に、俺たちは一斉に水へと飛び込んだ。俺は全力で水をかいた。誰よりも早く、神崎を置き去りにするために。
一気に壁へと到達し、泳ぎ終わった俺は水面から顔を出した。タイムを計測していた先生を見ると、驚愕で目を見開いている。
「23秒18……」
どうやら俺が一番早かったらしい。神崎たちがゴールしたのは、それから少し遅れてのことだった。
その後の決勝戦でも俺の身体能力は遺憾なく発揮され、結果として男子の中でトップの座を勝ち取った。
水泳の授業が終わり、俺には後日5000ポイントが支給されることが確定した。敗れた神崎は、俺の目の前で隠しきれないほど悔しそうな表情を浮かべている。
「(ナイスファイトだったよ、神崎)無様だね、神崎」
「黒水……」
「(お願いの件だけど保留にさせて。今回は勝ったけど次も負けるつもりはないよ)お前らのお願いがなんであれ、叶えられそうにないな。俺のお願いの件だけど、精々怯えて待っているように。また、次の勝負も負けないから」
俺はまたしても心とは裏腹な悪態で神崎を傷つけてしまった。いっそお願いの件もそのまま風化させてしまいたい。
……でも、もしも本当に一つだけお願いが叶うのだとしたら。気兼ねなく話せる話し相手が欲しい。
高度育成高等学校に入学してから3週間が経過した。俺のクラスでの立ち位置は相変わらず劣悪なままだ。だが、もしこれで誰にも話しかけられず、完全に孤立するのだとしたら、それはそれで悪くないのかもしれない。これ以上誰も傷つけずに済むのならその方がいい。まあ、人間としての成長など望むべくもないのだろうけれど。
今日は少し不思議な出来事があった。担任の星之宮先生がやってきて、突然の小テストを実施したのだ。評価や成績表には一切反映されないと彼女は言っていた。成績に関わらないのだとしたら、一体どんな意図があってそんなテストを行ったのだろう。不思議で仕方がない。
小テストは、難なくとは言わないが無事に終わった。最後に出題された3問はかなり手強かったが、どうにか解き明かすことができた。いつもならこの後は、静かな図書館へ向かって気の向くままに読書でも楽しむところだ。
「ねえ黒水君!」
「……なんだよ」
突然隣から声をかけられ、思わず心臓が跳ね上がった。びっくりした……。それにしても、網倉はどうして俺なんかに声をかけてきたのだろうか。
「今日は予定空いてる?」
「(いつでも暇してますよ)今から図書館に行くから暇じゃないね」
「お願い! 今日は私に、時間を貰えないかな?」
本当に珍しいこともあるものだ。いつもなら仲のいい友達に囲まれて、賑やかに放課後を楽しんでいたはずなのに。
「別に、俺と話しても得にならないよ」
「それでも良いから……」
「はぁ……分かったよ」
よし、どうにか会話としての言葉を返すことができたぞ。
網倉に連れて来られたのは、生徒たちで賑わうカフェ『パレット』だった。周囲ではクラスメイトたちが楽しそうに会話のの花を咲かせている。俺と網倉が通されたのは、ゆったりとした4人掛けのテーブル席だった。
なんだかスペースが勿体ないな。網倉と話すだけなら、2人掛けの席で十分だったはずなのに。
「今日は私の奢りで良いよ。何頼む?」
「じゃあ、高級パフェにでもしようかな?」
「げっ……高級パフェかぁ……」
分かりやすく顔をしかめる網倉。どうやら彼女のお財布事情はあまり芳しくないらしい。
「……冗談。コーヒーでも貰うことにするよ」
「うん、分かった。……なんで変更してくれたの?」
「(理由なんて必要ですか?)君のポイントが無くなっても良いなら頼むけど」
「す、すみませんでした……」
俺の注文したブラックコーヒーと網倉の紅茶がテーブルに運ばれてきた。俺はコーヒーに、網倉は紅茶に口をつける。そこに会話はない。沈黙が流れるが、網倉が話したいタイミングを待てばいいと思い、静かに待つこと数分――。
「ねえ、ここ空いているから座って良いかな? 麻子ちゃん」
「あっ、偶然だね、帆波ちゃん。それに神崎君も」
俺たちのテーブルへ、吸い寄せられるように一之瀬と神崎がやってきた。……本当に偶然か? 網倉の表情は、まるで待っていましたと言わんばかりだ。
「良いよ、座って座って」
「じゃあお言葉に甘えて座らせてもらうね」
「失礼する」
俺の許可は一切取られていないのだが。まあ、別に構わないけれど。一之瀬が網倉の隣に、神崎が俺の隣に腰を下ろした。もしかして……。
「なるほど、こういう状況にするのが目的だったとはな」
「うっ……」
「(まぁ、こうでもしないと会話出来ないもんね)心外だな。お前がそんなことするとは思ってもいなかったよ」
「……」
「待って。麻子ちゃんは悪くないの。この場を設けようと考えたのは私だから」
なるほど、発案者は一之瀬か。ここまで回りくどい真似をしてまで、俺に言いたいこととは一体何なのだろう。
「(うん分かったよ)はいはい、じゃあお前ら全員のせいにしといてやるよ。それでさっきの茶番をしてまで俺を引き留める理由はなにかな?」
相変わらずの悪態だが、彼らの真意を知りたいのは確かな本心だ。
「あのね、黒水君。もうちょっとみんなと仲良くなれないかな? このままだと、孤立しちゃうよ。もし不満があったら言って。私で良ければ協力するから」
このBクラスという空間の居心地の良さは認めている。クラスメイトたちも根は良い人ばかりだ。……だからこそ、不満なんて何一つない。仮にあったとしたら、罵倒を交えてでもとっくに口にしている。俺は、一人でも十分にやっていけるのだから。
「(不満はない。一之瀬はよく頑張っていると思うよ)不満、大ありだよ。こういうのも迷惑なんだ。よくこんなんで頑張っているなんて思えるよな、一之瀬は」
「私達は黒水君のことが心配なの。だから……」
「(本当に大丈夫だよ。気にしないで)うざい。気にするなって言っているのが分からないのか? おめでたい耳だ」
どうして俺の口は、本心とは正反対の嘘と胸を刺す悪口をセットで吐き出してしまうのだろう。
「なんで、なんでそんなこと言えるの?」
網倉が涙ぐんだ目で俺を強く睨みつけてくる。そこには誤魔化しようのない明確な怒りが宿っていた。
「帆波ちゃんは黒水君のことを心配しているんだよ。なのにどうして、そんな酷いこと言えるの? なんでみんなを拒絶するの? お願い答えて」
皆を拒絶しているのは紛れもない事実だ。酷い言葉で踏みにじっているのも俺だ。……正論すぎる問いかけに、返す言葉もない。今の真剣な網倉に、生半可な言い訳など通用しないだろう。
「(……ほんと、どうしてなんだろうね)何もかもが嫌いって言ったはずだけどな」
「それじゃ納得出来ないよ」
「納得しろなんて言わないが、勝手な理想論を俺に押し付けるな。反吐が出る」
「やめて! 2人とも!」
「……全部は本心からの言葉なの? そうだとしたら、もう許せない」
網倉は、どこまでも優しい。こんな最低な俺のことすら、心の底では信じようとしてくれていた。そんな気がして胸が痛む。……これ以上、彼女たちを傷つけたくはない。これが最後だ。俺自身の身勝手な嘘。
「俺は誰の許しも得ない。必要ない。そうやって自分勝手な正義感に振り回されてろ。……俺にはもう、関わるな」
俺にかけられたこの呪いは、どれほど望んでも嘘を真実に変えてはくれない。吐き出された嘘は、悪意ある嘘のまま言葉となって空間に放たれる。
「……もう良いよ。信じた私が、馬鹿だったよ……っ! 帆波ちゃん、もう行こう……こんな奴なんか……関わったって良いことないよ」
「麻子ちゃん……。ごめん、黒水君……」
網倉が一之瀬の手を強く引っ張り、先にパレットの店外へと去っていった。俺は去りゆく背中を気に留めないフリをしながら、冷めかけたコーヒーを一口煽る。
「黒水! お前――っ!?」
「なんだよ、神崎」
今の俺は、最高に機嫌が悪い。まあ、すべて俺が自招した自業自得の結果なのだが。
「何故、そんな顔が出来る?」
「さぁね。……お会計するから、邪魔だ」
「……ああ、そうだな」
本当は、最後に言いたい言葉があったのだ。短い期間だったけれど、俺なんかと会話をしてくれてありがとう、と。
そんな当たり前の感謝を、網倉に直接伝えたかったな。
・最後に神崎が見た黒水の表情はどんな感じだったんでしょうかね?