5月1日。ポイントが支給される日だ。
俺はポケットから携帯端末を取り出し、画面に表示された残高を確認する。支給されたポイントの額は、6万5千ポイント。
(やっぱり10万じゃなかったか)
校門をくぐり、俺はいつも通りの歩調で校舎へと足を進め、自室のような既視感のある教室のドアを開けた。
「おはよう」
俺がそう声をかけると、教室内の一角からざわめきが一瞬だけ途切れ、静寂が落ちた。しかしそれも束の間、クラスメイトたちは何事もなかったかのように視線を外し、再び互いのポイントの支給額についての話題へと戻っていく。完全に浮いている俺の存在を、誰もが見ないふりをしていた。
俺は意に介さず、決まった足取りで自分の席へと向かい、隣の席に座る網倉に挨拶を投げかける。
「おはよう」
「おはよう……」
網倉は視線をうつむかせたまま、絞り出すような声で小さく返した。
あの後以来、俺と網倉の間からまともな会話は消え失せている。隣の席という物理的な距離の近さにもかかわらず、彼女すら会話に加わろうとはしなくなった。
……寂しくないと言えば嘘になる。
網倉は以前、気さくに話しかけてくれた貴重な相手だったからだ。まぁ、こうなったのも俺の自業自得なわけだが。
「ねぇ、黒水君にもポイントが支給されたの?」
不意に、遠慮がちな問いかけが耳に届く。
「(されたけど、10万じゃなかったね)何、支給されちゃ悪い?」
「……そうは言ってないじゃん」
「……6万5千ポイントだな」
「そう、なんだ」
気まずい沈黙が流れるが、まぁポイントを言えただけ良しとするか。会話を打ち切るように、俺は窓の外へと視線を投げ、どこまでも広がる青空をぼんやりと眺めた。
時間の経過とともに、朝のホームルームの開始を告げるチャイムが校内に鳴り響いた。ガラリと扉が開き、担任の星之宮先生が軽やかな足取りで教室に入ってきた。
「はい、みんな席に着いてるね。それじゃ、朝のHR始めるね。まずはこれを見て」
星之宮先生は手にしていた1枚の厚い紙を、黒板の中央にペタリと貼り付けた。そこには各クラスの記号と、その横に並んだ数字が刻まれていた。俺達Bクラスの横に書かれていたのは、650という数字だった。
「この数字はクラスのポイント。あなた達の成績、実力から反映されているわ。このクラスのポイントはランクにも反映されるからね」
俺は静かに能力をオンにし、星之宮先生の説明に集中する。言葉の裏にある「嘘」や「偽り」を探るためだ。――今のところ嘘はない。ごくありきたりで、規定通りの説明なのだろう。
「どうして数字が綺麗に分かれているかと言うと、クラスを選ぶ基準があるの。最も優秀な生徒はAクラスへ、最もダメな生徒はDクラスへ行くようになってる。君達はAクラスに近いBクラス! 凄いねぇ!」
先生はパチパチと楽しそうに拍手をしてみせる。これもただの説明だな。最後の「凄い」という言葉も、生徒の機嫌をとるためのお世辞に過ぎない。
続いて、黒板に新たな紙が追加で貼り付けられた。先日行われた小テストの結果だ。
「みんな凄いね。よく解けてるよ。平均点も上々だし。だけど、中間テスト、期末テストで1教科でも赤点取ったら退学になるからそこだけ注意しようね。赤点は平均点÷2だよ」
「「えええええっ!?」」
一瞬の静寂の後、赤点を取ったら即退学という容赦のないルールを突きつけられたクラスメイト達は、悲鳴に近い大声を上げた。
俺は騒ぎを余所に貼り出されたリストから自分の名前を探すと、それは一番上の行にあった。取った点数は100点であった。暇潰しに勉強していただけだからな、これくらいは当然の結果だ。
「最後にみんな希望した進学先や就職先を持っていると思う。……だけどこの学校で望みを叶えて欲しかったらAクラスに行くしか方法は無いよ。それ以外の生徒達には何一つ保証しないからね」
「えっ?」
「嘘だろ!?」
「そんな!?」
……どうやら本当のことを言っているらしい。絶望的な事実を前にしたクラスメイトの動揺はもっともだ。だけど俺個人の意見としては、100%の保証はしなくても、せめてその手助けくらいはしてくれても良いと思うんだけどね。
「これで説明は以上。何か質問あるかな?」
静まり返った教室の中で、まっすぐに手を挙げたのは一之瀬だった。
「なにかな、一之瀬さん」
「ポイントの増減について教えてくれませんか?」
「ごめんね。ポイントの増減は人事考課、つまり詳細な査定の内容はこの学校の決まりで教えられないの。社会でも同じだからね」
「そう、ですか」
納得のいかない表情を残しつつ一之瀬が席に座った後、間を置かずに俺は手を挙げた。
「おっ、今度は黒水君、どうかしたのかな?」
「(退学を帳消しにしてクラスメイトを守れるポイントの額は何ポイントですか?)退学を回避するための必要な額、それとクラスを移動するためのポイントはどれくらい必要かな?」
俺の言葉が響いた瞬間、周囲のクラスメイト達が一斉に息を呑み、驚いたようにこっちを見た。
退学を帳消しにしてクラスメイトを守れるポイントの額を尋ねたつもりだったが、能力の影響か、口から出た言葉はクラスを移動するためのポイントにすり替わってしまった。おかげでクラスメイトからは完全に「自分だけ逃げ出そうとしている裏切り者」を見るかのような冷たい視線が注がれている。
「どっちも2000万ポイントだよ」
「そうかい」
膨大な金額を聞き終えると、俺は静かに席へと座った。刺さるような周りの視線は気にしないことにする。
「中間テストまで後3週間。赤点を回避できると確信しているわ。みんな、頑張ってね」
星之宮先生がそう締めくくると同時に、朝のホームルーム終了を告げるチャイムが教室中に響き渡った。先生はそのまま教壇を降り、教室を後にした。
俺は発動させていた能力をオフにする。星之宮先生は言葉を濁しながらも、嘘は言ってなかった。最後の最後まで、全て事実だ。
先生がいなくなると、すぐに近くにいるクラスメイト同士で焦燥感を交えた会話が始まった。そんな狂騒の中、俺はただ一人、窓から外の景色を見つめていた。学校のシステムやこの状況の仕組みについては、大体は分かっていたことだ。
カツカツと、教壇へ向かう足音がした。
「みんな、ちょっと良いかな?」
凛とした声が響き、俺は窓から一之瀬の声がした方へ視線を向けた。一之瀬は教壇の前に立ち、まっすぐな眼差しでみんなの注目を集めている。
「放課後、全員教室に残ってくれないかな。これからのことで会議を開きたいと思ってるんだ。みんなも協力して欲しい」
不安に揺れていたクラスメイトたちの間から、一之瀬の提案に賛成する声が次々と集まっていく。この状況を打破しようとする彼女の姿勢に、俺は心の中賛成した。
「ありがとう。それじゃあ放課後に会議を開こう」
こうして、放課後にクラス全体での会議が開かれることが決定したのだった。
時間が経過し、放課後を迎えた。黒板には、これから話し合って決めるべき議題が整然と書き出されている。教壇に立つ一之瀬へ、教室中の生徒たちの視線が一斉に注がれていた。
「それじゃ、始めよう!」
一之瀬が明るく言葉を発し、会議の開始を告げた。
黒板に並んだ議題は『クラスを率いる役職の選出』『ポイントの管理・集金』『勉強会の開催』の三つだ。
「じゃあまずは、クラスを率いる役職を決めようか。推薦でも自薦でも良いよ。まずは学級委員長は誰が良いと思う?」
一之瀬の投げかけに対し、Bクラスの生徒たちの思いは最初から一致していた。
「一之瀬さんが良い」
「賛成!」
あちこちから、一之瀬を推薦する声が次々と上がっていく。
「にゃっ!? わ、私なんかで良いの?」
予想外の勢いに一之瀬が目を丸くして狼狽えると、勢いよく席を立ち上がる人物がいた。網倉だ。
「なんかじゃないよ、帆波ちゃん!」
網倉は熱のこもった視線を一之瀬に向け、力強く言いのけた。
「私達は、帆波ちゃんに率いて欲しい。帆波ちゃんが良いの!」
「そう、よく言った!」
「網倉ちゃんナイス!」
その光景は、紛れもなくBクラス全員の総意を表していた。当然、俺も一之瀬が委員長に適任だと考えている一人だ。もし彼女がこの先道に迷うようなことがあれば、どんな手段を使ってでも――たとえ罵倒してでも――正しい道を示してやるくらいの覚悟はある。
みんなの熱意に押され、一之瀬も腹を括ったようだった。
「私は、学級委員長になります!」
彼女の決意表明とともに、教室中に大きな歓声と割れんばかりの拍手が響き渡った。これだけで、彼女がどれほどクラスメイトから深く慕われているかが良く分かる。
「ありがとう! じゃあ次は副委員長なんだけど、私が決めていい?」
「誰かいるのか?」
腕を組んでいた神崎の問いかけに、一之瀬は大きく頷いた。
「うん。私は……神崎君を推薦するよ。副委員長をやってくれないかな?」
「……分かった。俺で良ければ力になろう」
神崎は静かに一之瀬の推薦を受け入れた。神崎は頭が切れる上に観察眼も鋭そうだから、副委員長として申し分ない手腕を発揮するだろう。
神崎も教壇の前に出て、スムーズに話し合いが進んでいく。書記には白波、渡辺、そして網倉の3人が選出された。
続いて会計の選定へと移ると同時に、話題はポイントを集めて管理する話へとシフトした。
「会計にはポイントを集めて欲しいんだ。責任のある仕事だけど、誰かやってくれる人いない?」
一之瀬の問いかけに、それまで賑やかだった教室が一転して沈黙に包まれた。これはあまりにも重大な責任を伴う役目だ。全員から絶対的な信頼を得ている人間でなければ務まらないだろう。
「一之瀬さんじゃ駄目なのかな?」
「俺も一之瀬なら預けられるぜ」
「あははは、嬉しいけど本当にやる人いない?」
困ったように苦笑する一之瀬を見て、俺は思案する。信用も信頼も何ひとつ持ち合わせていない俺だが、ここらで一言釘を刺しておくとしよう。
「(一之瀬に頼り過ぎるのは良くない。だけどもし集めるならサブの携帯が必要だね)一之瀬頼りには反吐が出るよ。それに集めると言っても、そのまま携帯に入れるとか正気かな? 普通はサブの携帯に入れた方がマシだね」
途端に教室の空気が凍りついた。俺にはその場の空気を一瞬で冷やし込む特殊能力でもあるのだろうか。……だが、言うべきことはきっちり口にできた。
「サブの携帯?」
「……そうか。情報の漏洩を防ぎつつ、サブの携帯を銀行代わりにするのか。それに持ち歩くことさえしなければ他クラスにはバレない」
「(まぁ、そんな感じだよ)おめでたい頭でそこまで考えられるなら及第点といったところかな」
「だがどうやって買う? 普通に売っているとは思えない」
「学校側と交渉すれば出てくるはずだ。この学校はポイントとのやり取りなら何でもする。星之宮先生も買えないものは無いって言ってたからね」
「そういうことか」
一之瀬と神崎は即座に意図を汲み取り、深く納得した様子で頷いた。よし、これで俺が助言することはもう何もない。
「それじゃ、ポイントは誰が集めた方が良い?」
そう言えば、一之瀬だけに頼りすぎるのは良くないと指摘したばかりだ。筋を通すためにも、ちゃんと答えを出してやる必要がある。
「別に一之瀬以外なら誰でも良いよ。書記3人で分割して集めるより、神崎に集めた方がまだマシだ」
すべての負担を一之瀬に集中させれば彼女が背負い込んでしまうし、書記3人分のサブ携帯を購入すれば無駄なポイントがかかりすぎる。それなら神崎一人が代表して集めた方が圧倒的に効率的だ。
「お前、一之瀬を信じてないのかよ!」
俺のドライな言い分に、クラスメイトの柴田が憤ったように声を荒らげた。……そうだな、ここは波風を立てないよう、穏便に嘘で流すとしよう。
「いや? 俺は誰も信じてない」
俺の突き放した回答に、クラスメイトたちは絶句し、呆然とした表情を浮かべた。これ以上相手をするだけ無駄だと判断したのか、柴田も言い返すのをやめて押し黙ってしまう。
——まっ、もちろん嘘だ。俺はみんなのことを信じている。この1ヶ月間を共に過ごして、彼らが本当に根は良い人たちばかりだと知っているからだ。
「俺が、俺が集めるよ!」
不意に沈黙を破って声を上げたのは、書記に選ばれていた渡辺だった。一之瀬に頼んで教壇の前に立ち、真剣な眼差しでクラスメイト一人ひとりの顔を見渡す。
「こんななんの取り柄の無い俺だけど……頼む! 俺にポイントを預けさせてくれ!」
渡辺は深く頭を下げた。懸命な彼の姿に、教室の雰囲気は温かいものへと変わっていく。
「良いよ!」
「よく言った!」
「預けるね!」
「みんな、ありがとう!」
良かったじゃないか、渡辺。みんなお前の熱意を認めてくれたぞ。
「……黒水!」
「なにかな?」
「お前がクラスメイトを信じてないのは分かった。こんな俺にポイントを預けたいことすら分からないけど、特別扱いはしないからな」
渡辺、お前かっこいいよ。今この瞬間、間違いなくお前がクラスの誰よりも眩しく輝いている気がする。
「(うん、ちゃんと預けるよ)勝手にしろよ」
不器用な言葉を残し、俺はそっと窓の外へ視線を向けた。今の俺は一体どんな顔をしているのだろうか。……きっと、柄にもなく口角が上がってしまっているに違いない。
その後も一之瀬を中心として会議は滞りなく進んだ。渡辺が会計を引き受けたことで空いた書記の枠には浜口が入り、これで全ての役職が無事に埋まった。
テストに向けた勉強会は強制ではなく自由参加の形となったが、なるべく参加してほしいという一之瀬の切実な言葉がクラス全体に染み渡り、全員が力強く頷いていた。
「これからどんな困難があるか分からないけど……まずは中間テストを乗り越えよう!」
「「おおおおおっ!」」
クラス全体の団結を促す勝ちどきが響き渡り、放課後の会議は幕を閉じたのだった。