side 渡辺紀仁
翌日、俺は星之宮先生とある交渉をするため、職員室に向かって廊下を歩いていた。……隣には、黒水も一緒だ。
黒水を誘ったのは他でもない、俺自身だ。理由は色々とあるが、一番の目的は彼としっかり話をしたかったからだ。今は互いに無言のままだが、必ず言葉を交わしてみせる。
そんな決意を胸に秘めている内に、職員室の前に到着した。俺は扉を軽くノックしてから、ゆっくりと開けた。
「失礼します。星之宮先生はいらっしゃいますか?」
「はいはい~。あら、渡辺君に黒水君じゃない。珍しい組み合わせね」
星之宮先生がこちらへ歩み寄ってきたので、俺は早速、目的であるサブ携帯を購入出来るか尋ねてみた。
「星之宮先生、携帯を購入することは可能でしょうか? ポイントを預けるだけの機能があれば良いです」
「……出来るわよ。でもポイントを預けるだけだとしてもそれ相応のポイントを要求するわ。10万ポイントで売ってあげる」
10万ポイント。金庫を買った俺の残高でも、なんとか支払える額だ。……だけど、これを払えばしばらくは山菜定食でしのぐ生活になるだろうな。
「分かり——」
「俺が支払う」
「えっ? でも、良いのか?」
「俺の気が変わらない内に了承することをお勧めするよ。10万ポイントなんてすぐに支払える」
「……そう言えば黒水君はもう一つ携帯を買っていたわね」
星之宮先生の口から衝撃の言葉が発せられた。黒水はすでにサブ携帯を持っていたのか。俺よりもずっと早く。だからこそ、あの場でも迷いなく提案が出来たわけだ。
「……でも黒水、ポイントカツカツになるんじゃ……」
「別に大したことないさ。で、俺が支払うから——」
「いや、ここは会計である俺の仕事だ。ポイントなら問題ない」
俺は視線を逃がさず、真っ直ぐに黒水を見つめて言い放った。
「……分かったよ。精々苦しめ」
「一言余計だ。星之宮先生、俺が支払います」
「分かりました」
その後、俺は学生証を端末にかざしてポイントを支払い、無事にサブ携帯を購入することが出来た。用件を終え、黒水と共に職員室を後にする。
「……それじゃ、俺はここまでってことで」
「待てよ黒水。……俺の部屋で少し話さないか。俺はお前に言っておきたいことがあるんだ」
「……あっそ。勝手にすれば」
俺が歩き始めると、吐き捨てるように言った黒水が静かについて来た。そのまま寮の俺の部屋に到着すると、黒水は靴を脱いで上がり、部屋の中央にある机の近くに無造作に座った。俺は冷えた麦茶を淹れて出し、彼と対面するように腰を下ろした。
「それで話したいことって何なのかな?」
「俺は——」
ずっと胸の奥に溜め込んでいた想いを、そのまま言葉にした。
「網倉に一目惚れしている……好き、なんだ」
「……えっ?」
意外な反応だった。冷笑されるか罵倒されると思っていたのだが、返ってきたのは純粋な驚きの表情だった。
「……はっ。そうか。だが俺に話して何になる。自慢か?」
黒水は、本当のことに気付いていなかった。だからこそ、俺はハッキリと伝えることにする。
「……まだ網倉は、お前のことを気にかけていると思う」
「……どうしてそう言えるんだい? 俺は網倉を——」
「分かっている。お前と網倉の会話が無くなったことくらい。関係に深い溝が出来たなってすぐ分かった。……それでも網倉は挨拶だけは欠かさないし、時々お前のことを見ている。気にかけているんだよ」
「それでも……俺に言う必要はなかっただろ。お前は俺に邪魔をして欲しいのか?」
俺は自分の真の不器用な本心を言葉にする。……ここだけは、何があっても絶対に退けない。
「正直、網倉を傷付けたことは許せない。だけどそれと同じく俺は黒水のことを知らないって思ったんだ。……俺はお前には負けない。裏でコソコソとはしないで、正々堂々とするために、お前に言ったんだ」
根拠はないが直感として、俺は黒水と真正面から対決しなければいけないと感じていた。
「……そうか。無様にフラれることを期待してるよ」
黒水の棘のある言い分を聞いても、不思議と怒りは湧いてこなかった。むしろ、黒水ならきっとこう言うだろうと、どこかで分かっていたからかもしれない。
「ああ、俺は絶対に諦めないからな」
「……かっこ悪い、が、良いじゃないか。むしろ期待が膨らんだよ」
俺と黒水の密かな会話はこれで終わるのであった。
side 黒水竜也
昨日の渡辺の話には本当に驚かされた。まさかあの真面目な男が、網倉のことが好きだなんて。応援したい気持ちがないわけではない。だけど渡辺は、こんな捻くれた俺を真っ向からライバルとして認めてくれたんだ。ならば、かける言葉は自ずと違ってくるはずだ。
……渡辺の言葉を信じないわけじゃないが、やっぱり網倉が俺のことなんて気にしているとは到底思えない。でも、あの渡辺が嘘や勘違いを言うだろうか?
まぁ、考えても答えは出ない。時間が経てば自ずと分かることか。
それで今、俺はクラスの勉強会を遠巻きに眺めていた。場所は図書館。いつも時間のある放課後になると足を運んでいる場所だ。
図書館で勉強会をやることに対して、不満も驚きもない。だってクラス会議で話していた通りの場所だからな。それにしても、これだけの大人数が入ってもなお席に余裕があるなんて、さすが高度育成高等学校の施設だと感心する。
「ふふっ、そこまで気になりますか?」
「いや、どこまでやれるか見物しているだけだとも。どんな点数を取ろうが、俺には関係ない」
「相変わらず言葉はドライですが、顔に出てますよ」
「嘘だな」
「いいえ本当ですよ」
俺の隣で静かに口を開いたのは、椎名ひより。空色に似た綺麗な銀髪に、吸い込まれそうな紫色の瞳をした少女だ。彼女は1年Cクラスに所属している。だから本来なら敵同士のはずなのだが、椎名からはそういった対立の雰囲気を一切感じない。俺がクラスの内情を話さないのもあるだろうが、彼女もまたを探るような真似はしてこない。
彼女とは、いわゆる読書仲間というやつだ。きっかけは他愛もないものだった。本棚の上の本を取ろうとして身長が足りなさそうにしていた彼女の代わりに俺が本を取ってやり、いつものように素直じゃない嘘を言っただけだ。
最初はいつものように傷付けるような態度をとってしまったが、不思議と椎名の方から自然に近付いてきてくれた。それ以来、こうして本の感想を語り合うようになった。
それよりも俺、そんなに周囲を気にするような表情をしていたのだろうか?
「……俺がそんな表情をするわけないだろ」
「じゃあ、何故彼女の方を見ているのですか?」
よく見ている、と言うべきか。彼女のように観察眼に長けた相手には敵いそうにない。
そうだ、俺は無意識のうちにクラス全体、特に網倉の姿を目で追ってしまっていた。だけど俺から関われば周りに怪しまれるし、何より「関わるな」と自分から突き放してしまった手前、今更声を掛ける勇気なんてあるはずもなかった。
「……椎名には関係ない」
「……確かに私には関係ありませんね。しかしこうも読書仲間が不調だと気になってしまいます」
「不調?」
椎名はお気に入りの本を腕に抱えたまま、推理するようにぽつりと呟いた。
「まずは視線をクラスメイト達に向けている点」
「それくらい普通だろ」
「ええ。ですが黒水君は現在、いつも選んでいる本ではなく勉強に使うような参考書。それも中間テストの範囲内が載っている本です。……本当は今すぐにでも教えに行きたいのではないですか?」
椎名が視線を向けた先には、Bクラスの集団があった。そこでは一之瀬と神崎、浜口が中心となって勉強を教えていた。しかし教える側にもそこまで余裕があるわけではなさそうで、説明の最中でもついていけず困惑しているクラスメイトが散見されるのが現状だった。
確かに、俺だって教えに行けるなら行きたいさ。だけど——。
「……俺がいなくても大丈夫だって。それに俺嫌われ者だし」
「そんなこと気にする人ではないでしょう、黒水君は。……行くべきです」
椎名……。そうだな、こんな下らない悩みは今までだってずっと抱えてきた。それでも俺は行動してきたはずだ。なら、今だって動くだけだ。たとえ俺自身が嘘を重ねて、余計に嫌われることになったとしても。
「(ありがとう)後悔するなよ?」
「はい」
俺は静かに席を立ち、椎名の元を離れた。目指す先にいるのは、現在進行形で問題に頭を悩ませている網倉と、同じく眉間にシワを寄せている渡辺だった。
「(大丈夫?)無様だな」
「「黒水(君)……」」
「見せてみろ」
唐突な俺の登場に驚く2人を余所に、ノートと問題集を覗き込む。網倉が躓いていたのは、数学の応用問題だった。
俺にかけられた呪いには、いくつかの抜け道がある。それは『説明』『面接』『勉強を教える』といった明確な伝達の場面では、あのひねくれた嘘が発動しないということだ。
「ここは——」
俺はいつもの毒を含んだ表現ではなく、極めて優しく丁寧な説明を言葉にした。
「えっ?」
「黒水?」
「……良いからやってみろよ、解けなくても知らないぞ」
「う、うん!」
網倉は俺が提示した手順に従い、おずおずとペンを動かした。
「す、凄い。解けちゃった……」
「そうだな……うん?」
気が付くと、周りのペンを動かす音がピタリと止まっていた。違和感を覚えて周囲を見回すと、勉強会に参加していた全員が信じられないものを見るような目でこちらを注視していた。……何をそんなに驚くことがあるんだ?
「く、黒水が勉強を教えた!?」
「しかもめっちゃ丁寧だったぞ!?」
「想像出来るかよ!? いつもの毒づいた態度から!?」
「……君達超失礼じゃないかな?」
思わず呆れたように口に出したものの、まあ普段のあの態度からじゃ到底想像できないのも無理はないか。そこで、渡辺が俺に向かってノートを差し出してきた。
「じゃあここも分かるか?」
「ああ。ここは——」
俺は渡辺にも噛み砕いて分かりやすく説明を行う。渡辺の手とペンは迷いなくすらすらと動き、提示した解法に従ってスムーズに問題を解いていった。
「す、凄いな、黒水」
「(そうかな?)よせよ、お世辞は要らない」
「お世辞じゃないよ」
「黒水君!」
そこへ、騒ぎを聞きつけた一之瀬と神崎が駆け寄ってきた。その瞳には、救世主を見つけたかのような期待が満ちあふれていた。
「手伝ってくれるの?」
「(うん、手伝うよ)勘違いするなよ。俺は見てられないだけだ」
「それでも俺達は猫の手も借りたい状態だ。頼む、手伝ってくれ」
「……精々無様に教えを乞うが良いさ」
「うん! ありがとう!」
こうして俺は、クラスみんなの勉強を手伝うことになった。最初はやはり俺の存在が怖かったらしく遠巻きにされていたが、俺の方から声を掛けて教え始めた。すると次第に、向こうから声を掛けられる回数も増えていった。
歪んだ嘘のせいでこんな風に教えることしか出来ない俺だが、少しでも一之瀬たちの負担が減れば良いなと考えながら、図書室内を巡って教えて回った。
「よし、今日まではここまでにしよっか!」
一之瀬が明るい声で今日の勉強会の終わりを告げた。あちこちから安堵の溜息が漏れ、みんな固まった体を伸ばしている。
俺は目立たないように静かにその場を離れると、借りていた参考書を元の棚へと戻した。そしてそのまま、一人で図書館を後にする。
「黒水君!」
「うぉっ!? なんだよ」
図書館の出入り口の影で、網倉が待っていた。意図しない待ち伏せに、俺は正直かなり驚いてしまった。
「今日はありがとう!」
「(いいえ、どういたしまして)……別に」
「ねえ、私ってもしかして、黒水君のこと誤解していたのかな。だとしたら……」
網倉は自分の中で整理がつかないのか、ひどく混乱しているようだった。まぁ、いつも罵倒してくるような相手が急に丁寧に勉強を教えてくれたのだ、困惑するのも当然だろう。それに、あの時の絶交まがいのやり取りが今も尾を引いているのか、その表情は暗く陰っていた。
「……気にすんな。気持ち悪い」
「で、でも……」
「俺は正直者の暴君さ。だから……網倉は勝手にすれば良い。だけど、本当に気にしなくて良いから」
「……黒水君!」
俺の吐き出す嘘で固められた言葉。それでも「気にしなくて良い」という本心だけは伝えることができた。その言葉を受け止めた網倉は、何かを決意したような真剣な表情で俺をまっすぐに見つめてくる。
「もう一度、もう一度信じて良いかな!」
「……勝手にしろ」
「うん!」
網倉の見せた笑顔は、あまりにも眩しかった。直視すれば目が潰れてしまいそうなほど太陽のような笑顔だったけれど……おかげで少しでも頑張れて良かったと、俺は心から思った。