5月の初めから1週間が経過した。今のBクラスは朝から非常に空気が重い。
一之瀬が生徒会に落ちた。理由までは知る由もないが、そのせいでクラス全体を重苦しい沈黙が支配している。
「……何が駄目だったんだろう……」
「見る目が無かったんだよ、生徒会は」
「そうだよ、帆波ちゃんは悪くない」
クラスメイトたちが口々に一之瀬を励ましている。ここまで慕われているのなら、彼女がどれほど周囲に信頼されているかが良く分かる。
だが、信頼だけで全てが上手くいくなら苦労はしない。もしかしたら生徒会にもそれなりの言えないような闇があるのかもしれない。……いややっぱり、闇があったら困るんだけど。学校に期待されている生徒会に闇なんて、無いよな?
一之瀬は伏せた顔を上げようとしない。彼女は自分に対して過剰なほど厳しいのだろう。もしかしたら今彼女に必要なのは、甘い励ましよりも前に向かう強さなのかもしれない。
仕方がないので、俺はゆっくりと一之瀬に近付いた。
「無様だな、一之瀬」
「黒水君?」
「確かにお前は生徒会に落ちた。こんなんで落ち込むなんて随分と暇なんだな」
一瞬で教室の空気が凍りつく。また始まった。これまで築き上げた信頼が、また一瞬で砕かれていくような感覚に襲われる。
本当にごめんね。だけど、俺が言いたいことはまだ言えていないんだ。
「そんなに落ち込むくらいなら、まだ悔しがった方がマシだ。もしかして、悔しくなかったりするのか?」
「……ううん、悔しい。悔しいよ……」
「……なら立ち上がれば良いだけだな」
「えっ?」
「お前が何度転ぼうが、俺達が立ち上がらせてやる。それに、生徒会に入れなくてもお前の人生は続いていくんだ。ならうじうじしている時間も、まぁ大切だけど、そんな弱い自分も受け入れて立ち上がった方がかっこいいと思うけどな」
全く正直じゃないし、所々嘘は言ったけれど、最後の言葉は全部本心だ。
「(一之瀬は一人じゃないよ)一之瀬、お前は一人か?」
「……違うよ!」
「なら後は自分で考えろ……ああ、らしいことしちゃったなぁ!」
俺は照れ隠し気味に一之瀬から離れる。
「みんな、励ましてくれてありがとう! みんなの言葉はちゃんと届いたから!」
一之瀬の声を聞いただけで分かる。彼女の中でもう迷いは消えたということくらい。何度転んでも立ち上がる強さがあれば、きっとみんなこれからも付いて行くはずだ。
それから数分後、朝のホームルームが始まって星之宮先生が教室に現れた。
「おはよう。今日はちょっと重大で残念なお知らせがあります」
クラスメイト達が困惑する中、俺は嫌な予感を察知して即座に能力をオンにする。
「中間テストの範囲が全科目変更になりました~」
「「ええええええっ!?」」
こんなのありか? だが星之宮先生の言動に嘘はない。
「そんなに慌てなくても大丈夫。時間はまだあるし~、私はみんなが赤点を取らないって確信してるから。それじゃあねぇ」
そう言って嵐のように早々に星之宮先生は教室を後にした。残されたクラスメイトの殆どはパニックになっている。
「みんな、落ち着こう! まずは変更されたテスト範囲を確認しよう!」
「そうだな。変わってしまったものは仕方ないと思って割り切るしかない」
即座に教壇へと立ったのは一之瀬と神崎である。二人の冷静な誘導により、パニックになったクラスメイト達も少しずつ落ち着きを取り戻していった。
それにしても、2回目だな。星之宮先生が『確信』と言ったのは。つまり、この状況を打破する何かしらの方法が存在するんだ。こんな理不尽な状況を覆せるものは——アレしかないな。
それとアレを使って、効果的な過去問や問題を作ることが出来たのなら。Bクラス全体の学力も上がるはずだ。
「みんな、放課後に集まって貰って良いかな?」
「断らせてもらうよ」
「なんで?」
「ちょっとした野暮用さ」
目的を見定めた俺は、堂々と放課後の会議には出られないことを告げるのだった。
俺は放課後になると直ちに行動に移した。鞄を手に取り、迷いなく教室を出る。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「……なんで網倉がいるんだ?」
隣に視線を向けると、なぜか網倉がぴったりと後ろについて来ていた。
「なんでって、帆波ちゃんに頼まれて仕方なくサポートするように言われただけだから」
「(そうなんだ、ありがとう)ふん、余計なお世話だ」
「もう、そんなこと言って。嫌って言っても付いて行くからね!」
「(じゃあ、付いて来て)分かったよ。付いて来い、犬」
「う——ちょっと待って、犬!? 私には網倉麻子っていう名前があるんですー!」
網倉は俺の「犬」発言にキーキーと噛みついてきた。一方的な網倉の抗議をのらりくらりとかわしている内に、目指す目的地へと到着した。ドアの脇にある看板には娯楽部と書かれている。
「娯楽部? まさか遊びに来たんじゃないよね!?」
「入学してから1ヶ月は暇つぶしに通ってた。そこで先輩たちとある程度は仲良くなったんだよ」
俺はそれだけ言い捨てて娯楽部の扉を開ける。無言で入っていく俺に対して、網倉は慌てて「失礼します」と丁寧にあいさつをしてから入ってきた。
部屋の中には3年生と2年生の先輩達が数人集まっていた。
「おっ、黒水君じゃないか。久しぶりだね。そこのお嬢さんは誰だい?」
代表して部長の先輩が明るく声を掛けに来てくれた。この部長は本当に心が広いんだよな。無茶な賭けじゃなければそれなりに応じた交渉をしてくれる。ボードゲームを楽しくやることをモットーにしているからか、口の悪い俺に対しても分け隔てなくフラットに接してくれるのだ。他の先輩達も同じように、どこか好感が持てる人ばかりだ。
「狂犬」
「違うよ!? 初めまして、網倉麻子って言います。……黒水君の世話係をしてます!」
「は? 冗談言うな」
「あははは、黒水君の世話係か、苦労してそうだね」
「お前も冗談に乗るなよ。……今日は悪いが交渉に来た」
俺が「交渉」と口にした瞬間、先輩達の目の色がガラリと変わった。察しが良いな。
「交渉?」
「網倉も知っていると思うが、この学校でポイントで買えないものは無い。星之宮先生の言っていたことだ」
「確かに、でも何を買うの?」
「過去問だけど」
「過去問!?」
網倉は素で驚いていた。ここに来るまでの間にちゃんと言い含めておけばよかったか。
「やっぱり、君ならそこに気付くと思ったよ」
「俺をあまり見くびらないで欲しいな。それで、3万ポイントで買おうと思っているんだけど」
「5万ポイントだ」
「間を取って4万」
「5万ポイントじゃなきゃ手を打たない」
なぜそこまで5万ポイントという数字に拘る。俺からポイントを搾り取りたいのなら最初からもっと高額を提示すべきだ。……何か事情でもあったのか?
「あ、あの、なんで5万ポイントなんですか?」
俺と同じく違和感に気付いた網倉が、率直な疑問を娯楽部の先輩達に投げかけた。先輩達は気まずそうに露骨に目を逸らし、部長は申し訳なさそうに頭を掻いた。
「いやぁ、前に来た1年生にポイントを全部取られてしまってね。今ポイントが無いんだ。だから一人1万ポイントを得るために言ってたんだ」
「……何やってんだか。しょうがないから、5万ポイントで手を打ってやりますよ」
「すまないね。情けない先輩で申し訳ない」
俺と部長は無事に交渉を成立させ、俺が端末からポイントを支払った。直後、俺の携帯に過去問、そして過去の小テストの答案データが送られてくる。
「おい、1つ余計なデータが入ってるぞ」
「おまけとして受け取って欲しいね」
「……網倉、見てみろ」
「うん? ……これって前にやった小テストの答案!?」
「そうだな。今回の中間テストの過去問の信頼性を裏付けてくれるものでもある」
網倉は納得がいったように目を大きく見開いて驚いていた。
よし、過去問とそれを裏付ける小テストの答案を無事に確保できた。用は済んだからさっさと退散しよう。
「それじゃ、これらは有効活用してやりますから」
「分かったよ。今度も彼女を連れて、遊びに来て欲しい」
「……は?」
「えっ?」
「なんだ、黒水の世話係と言うくらいだからてっきり彼女かと」
不意打ちの一言に、俺と網倉は完全にフリーズしてしまった。俺と網倉じゃどう考えても釣り合わないだろ!?
「はっ、こんな奴が彼女なわけないだろ」
「黒水君とは、ただのクラスメイトです! そ、それに、私には、その……やっぱりなんでもありません!」
「ははっ、そうか。でも今度はただ遊びに来て欲しいな」
「……ふん。考えといてやる。行くぞ、網倉」
「う、うん。失礼しました」
毒気を抜かれた俺と、顔を真っ赤にした網倉は逃げるように娯楽部を後にした。
静かに教室へと到着する俺と網倉。放課後だというのに、クラスの全員が教室に残っていた。
「黒水君、麻子ちゃん。そっちはどうだった?」
「まるで仕事してきたと分かっている言い方だけど……」
「戻ってきたってことは、何かあったってことでしょ。それに前の会議ではちゃんと残ってくれてたから」
一之瀬は本当にクラスメイトをよく観察しているようだ。本当は少し手を加えてから提示したかったが、この空気なら仕方ない。
「過去問貰って来た。恐らくそのままテストに出てくる」
「過去問!?」
「ちょっと静かに、反応もなるべくするな。他クラスにバレる」
俺の静かな制止により、教室内の興奮は多少収まった。全員の表情が驚きに満ちている。理解して動いてくれれば助かるんだが。
「過去問って何処で……」
「先輩から貰って来ただけ。5万ポイント失ったけど」
「……本当に貰って来たな。だが、ズルではないのか?」
「頭が固いな、神崎。むしろ学校はこのやり方を推奨しているみたいなもんだ。それに今はクラスを救うことだけを考えろ」
「……そうだな、すまない」
ただ、だからといって過去問をそのまま全員に丸暗記させるつもりなんて更々ない。
「でも過去問があれば余裕だよね?」
「口は悪いけどよ、こればかりはナイスだぜ」
「愚かだな、お前達は。過去問をそのまま使わせるつもりはないぞ」
「「えっ?」」
「じゃあ、どうするの?」
網倉は過去問を使ってどうするのかと尋ねてきた。その瞳には期待の光が宿っている。俺は、悪巧みをする時の歪んだ笑みを浮かべた。……おい網倉、露骨に引くな。
「お前達が理解出来るまで、過去問を使って問題を作るんだよ」
「! そうか、過去問を使った問題で学力を向上させるんだな」
「そうだ。生憎と俺達には時間だけはある。その時間全てを理解と向上のために使うんだよ。過去問丸暗記っていう楽な道を選ばせるつもりはない。ちょっと教壇借りるぞ」
「えっ あ、うん」
俺は一之瀬を押しのけるように教壇に立つ。ここで言うべきことはただ一つ。そのために俺は、どれだけ嘘で塗り固められようとも言葉を紡ぐ。
「俺はお前達を信じてない。今の態度や言葉だってそうだ。すぐに楽な方へ行こうとする。そんなことはただの停滞だ。何も成長しちゃいない。だから俺はお前達を信じない。もしこの言葉を聞いて悔しければ……お前達がBクラスであることを証明してくれ」
たかが中間テストの勉強なだけかもしれないが、やる気を引き出した方が効率的だろ。
「やってやるよ! 黒水!」
「ここまで言われて何もしないのは、なんか嫌だ」
「俺達はBクラスだ。それは誰にも否定させねえ!」
「やろう 絶対!」
クラスメイト達が煽りに乗せられ、次々と熱っぽい声を上げる。俺の役目は一旦これで終わりだ。後は本物のリーダーの仕事である。
「一之瀬、命じろ」
「うん!」
一之瀬が力強い足取りで再び教壇に立つ。
「私から言うことはただ一つだよ。……絶対みんなで中間テスト乗り越えよう!」
「「おおおおおっ!!」」
この一体感と熱量のまま突き進めば、Bクラスは無敵だ。もし俺がこの場所に存在する意味があるのだとしたら、みんなとこの居場所を守るためなんだろうな。
・評価が貰えて嬉しいです。欲張りだけど感想も増えて欲しい。
・目指せ赤バー、です。