青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
T-REXドーパントの騒動から、数日が過ぎた。
あれだけ大きな被害が出た以上、街のすべてが元通りになったわけではない。
崩れた道路には仮設の通路が設けられ、破損した建物の周囲には立ち入りを制限する柵が並んでいる。地中を移動したT-REXドーパントの影響で、一部では今も地盤の調査が続いているらしい。
それでも。
ゲヘナの日常そのものは、驚くほど早く戻ってきていた。
学校へ向かう生徒たち。
営業を再開した店。
道路を走る車。
そして、朝からどこかで響いた爆発音。
「…………」
ひだまりの裏手。
洗濯物を干していた翔は、遠くに上がった小さな煙を見つめた。
「……何だったんだろ、今の」
「気にするだけ無駄だぞ」
背後からニャン次郎の声が飛んでくる。
「そういうもの?」
「ゲヘナでいちいち爆発の理由を考えてたら日が暮れる」
「それもどうなんだよ……」
キヴォトスへ来たばかりの頃なら、音がするたびに何事かと身構えていた。
今では。
爆発音を聞いても、まず煙の大きさを確認する。
危険がこちらへ迫っていなさそうなら、そのまま洗濯へ戻る。
――俺も結構染まってきたな。
良いのか悪いのか。
判断に困る。
翔は最後の一枚を広げた。
黒に近いチャコールグレーのTシャツ。
ハンガーへ掛ける。
その隣には白いTシャツ。
さらに濃紺のシャツ。
黒いパンツ。
似たような色の服が、物干し竿に並んでいく。
「…………」
「…………」
不意に。
横から視線を感じた。
「何?」
振り返る。
ニャン次郎が、洗濯物をじっと見ていた。
「翔」
「うん」
「お前、服これだけか?」
「これだけって?」
「私服だ」
「まあ」
翔は干された服を見る。
「下着とかは別にあるけど」
「そういう話をしてるんじゃない」
「?」
何が問題なのか分からない。
元々。
翔がキヴォトスへ来た時に着ていたのは、自分が通っていた高校の制服だった。
ブレザー。
シャツ。
スラックス。
ネクタイ。
あの日。
いつものように身につけていたもの。
今も残っている。
ただし、キヴォトスで暮らすようになってからは普段着として使わなくなった。
何度も洗えば傷む。
替えが手に入るものでもない。
今では綺麗に洗い、丁寧に保管している。
だから「ひだまり」で働き始めた頃、日常生活に必要な服を最低限だけ買った。
無地のTシャツを数枚。
シャツを二枚。
黒と濃紺のパンツ。
寝間着。
あとは必要な下着類。
それで困ったことはなかった。
一人暮らしをしていた翔にとって、洗濯は日常だ。
三、四日もあれば一巡する。
「ちゃんと着回せてるよ」
「そういう問題じゃない」
「ちゃんと洗ってるし」
「そういう問題でもない」
「じゃあ何が問題なの?」
ニャン次郎の目が細くなる。
「お前、その濃いグレーのTシャツ昨日も着てなかったか?」
「昨日のとは別のやつ」
「同じに見える」
「微妙に色が違う」
「どっちも灰色だろ」
「昨日の方が黒に近い」
「…………」
ニャン次郎が呆れたように息を吐いた。
「何?」
「今日、休憩長めにやる」
「急だな」
「服買ってこい」
「足りてるって」
「足りてない」
「でも――」
「店主命令だ」
「職権濫用じゃない?」
「うるさい」
そこでニャン次郎の視線が、少し離れた場所へ向く。
そこには。
他の衣類とは別に、翔の制服が掛けられていた。
昨日、久しぶりに手入れをしたものだ。
黒に近いブレザー。
元いた場所の校章。
今ではもう、そこへ袖を通すことはほとんどない。
「……そっちは大事にしてるくせにな」
「そりゃ」
翔も制服を見る。
「同じもの、こっちじゃ買えないから」
「だったらなおさらだ」
「?」
「いつまでも数着を洗い回して生活する気か」
少し。
返事が遅れた。
「……別に、それでも」
「翔」
ニャン次郎はそれ以上強く言わなかった。
「今はここで暮らしてるんだろ」
「…………」
「なら、こっちで着るものくらい増やせ」
何気ない言葉だった。
けれど。
翔はもう一度、制服を見る。
元いた場所で着ていた服。
そして。
物干し竿に並ぶ、キヴォトスへ来てから買った最低限の服。
「……分かったよ」
小さく笑った。
「行ってくる」
* * *
午後。
学校が終わり、生徒たちが街へ出始めるより少し前。
翔はゲヘナの商業区を歩いていた。
身体にはまだ、数日前の戦いによる痛みが残っている。
第12話の翌朝ほどではない。
普通に歩ける。
仕事もできる。
だが、身体を大きく捻ったり、腕を強く上げたりすると、打撲の残った場所が時折痛んだ。
「……服か」
改めて考えると。
難しい。
家事用品なら目的がはっきりしている。
料理道具なら使い勝手。
食材なら品質と値段。
でも。
服。
「着られればいいんじゃないのか……?」
その考えが。
すでにニャン次郎から否定された。
三軒目。
翔は一枚のシャツを買った。
黒に近いチャコールグレー。
襟は小さめ。
胸元にポケットが一つ。
装飾はほとんどない。
生地は厚すぎず、薄すぎない。
袖を捲れば長い季節使えそうだった。
「これなら何にでも合うだろ」
自分としては満足。
ただし。
一時間歩いて購入したのは。
それ一枚だけ。
「……さすがに時間かけすぎたかな」
袋を見る。
もう一軒くらい行こう。
そう考えて歩き始めた時だった。
「――あれ?」
聞き覚えのある声。
「翔っち?」
「ん?」
振り返る。
制服姿の少女が二人。
夜桜キララ。
旗見エリカ。
二人とも学校鞄を持っている。
「キララ。エリカも」
「やっぱ翔っちじゃん!」
キララが笑顔で近づいてくる。
「こんなところで何してんの?」
「二人は学校帰り?」
「そー」
キララが鞄を揺らす。
エリカも頷いた。
「翔は?」
「俺は」
袋を持ち上げる。
「服」
「…………」
キララが止まる。
「何」
「いや」
じっと見られる。
頭から。
足元まで。
「翔っちが自分から服見に来てるの意外だなーって」
「俺を何だと思ってるんだよ」
「『着られれば何でもいい』とか言いそう」
「…………」
「図星じゃん」
エリカが笑った。
「分かりやすいね、翔」
「別にいいだろ」
「で、何買ったの?」
キララが袋を覗き込もうとする。
「これ」
翔は取り出した。
チャコールグレーのシャツ。
キララ。
無言。
「……何だよ」
「翔っち」
「うん」
「これ、今着てるのとほぼ同じじゃない?」
「全然違う」
今、翔が着ているのは黒い無地のTシャツ。
「形が違う」
「色」
「こっちはグレー」
「黒じゃん」
「チャコールグレー」
「黒じゃん!」
「違うって!」
エリカも隣からシャツを確認する。
「……翔」
「エリカなら分かってくれる?」
「今持ってる服、何色多い?」
「黒とグレーと紺」
「なるほど」
「何が?」
「キララの言ってること分かった」
「エリカまで!?」
キララが満足そうに腕を組んだ。
「これはダメだね」
「何が」
「うちらが選ぶ」
「何でそうなる」
「放っておいたら翔っちのクローゼット、黒から紺のグラデーションになるよ?」
「困らないけど」
「困る!」
「何でキララが困るんだよ!」
「見てる方が!」
「理不尽だろ……」
エリカは笑っている。
「まあ、せっかくだし付き合ってあげようか」
「エリカ?」
「一時間で一枚なんでしょ?」
「……なんで分かった?」
「顔」
「そんな顔してた?」
「してる」
逃げ道は。
なくなった。
* * *
「まずパンツ」
「シャツ見に来たんだけど」
「全体で考えるの!」
次に入った店。
キララは完全にやる気だった。
ラックの間を行ったり来たりする。
「翔っちって細身のパンツばっかり?」
「普通のストレートかな」
「じゃあこれ!」
渡されたものを見る。
黒に近いチャコールのスラックス。
腰周りには二本のタック。
そこから裾へ向かってゆったり落ちる、かなり広めのシルエット。
「……太くない?」
「今これくらい普通だよ」
「そうなの?」
「ワイドってもう変わった服じゃないから。上までダボダボにするより、上をちょい短めとかスッキリさせる方が今っぽいし」
エリカも見る。
「これは私もいいと思う」
「エリカまで」
「動きやすそうだし」
「……確かに」
そこを言われると弱い。
しゃがんでも太腿が突っ張らなそうだ。
「じゃ、次これ」
キララが持ってきたのは。
白。
というより、少し生成りに近い無地のTシャツ。
「これは普通だな」
「インナーだからね」
そして。
もう一着。
「じゃーん!」
「…………」
深いボルドーのシャツだった。
普通のシャツより丈は少し短い。
身幅には余裕がある。
袖も広め。
ポケット周りと背面にさりげなく黒いステッチ。
前を閉じるというより、インナーの上から羽織ることを前提にしているらしい。
「……赤?」
「ボルドー!」
「暗い赤だろ」
「翔っち色の認識ざっくりしすぎ!」
「何が違うんだよ」
「雰囲気!」
「説明になってない」
「いいから着て!」
「買うとは言ってないからな」
「着てから決める!」
押し込まれる。
「キララ、押すなって!」
* * *
数分後。
カーテンを開ける。
「……どう?」
「おおー!」
キララの目が輝いた。
生成りのTシャツ。
その上からボルドーのボックスシルエットのシャツを羽織る。
下はチャコールのツータックワイドスラックス。
足元はまだ翔自身のスニーカーだったが。
鏡を見る。
「…………」
思ったより。
悪くない。
上着の丈が短めだからか、パンツが太くても全体が重く見えなかった。
普段なら絶対に選ばないボルドーも、実際に着てみれば派手というほどではない。
暗い赤が。
白いインナーと黒系のパンツの間で、ちょうどアクセントになっている。
「翔っち背高いから、こういうパンツ似合うじゃん」
「そう?」
「うん。あと上をこれくらいの丈にすると脚長く見えるし」
キララが袖を少し捲る。
「ほら」
「勝手に調整するなよ」
「こっちの方がいいって」
肘より少し下。
腕が見えることで、服全体の重さが抜ける。
翔は鏡を見る。
「……自分じゃないみたいだな」
「服変えただけで!?」
「こういうの着ないから」
「だから着るの!」
エリカも少し離れて見ていた。
「確かに似合ってる」
「本当に?」
「うん」
「……二人に言われると否定しにくいな」
そこでキララが。
「翔っち、もうちょい自覚した方がいいよ」
「何を?」
「素材」
「人を服の材料みたいに言うな」
「そういう意味じゃないって!」
エリカが吹き出す。
* * *
「次、私のも着てみて」
「まだあるの?」
「キララに全部任せると怖いから」
「エリカ!?」
渡されたのは。
先ほどとは違う組み合わせだった。
淡いグレーの薄手のカットソー。
ネイビーの短丈ジャケット。
余計な装飾はなく、襟も小さい。
生地は柔らかく。
見た目より軽い。
パンツは同じワイド系でも、キララが選んだものより少しだけ幅が狭い。
濃いグレー。
膝から下へ自然に落ちるストレート寄り。
「こっちは落ち着いてるな」
「翔が普段着るなら、これくらいでしょ」
着替える。
カーテンを開ける。
「……楽」
最初の感想がそれだった。
肩を上げる。
突っ張らない。
ポケットへ手を入れる。
「ちゃんと深い」
エリカが笑う。
「そこ見ると思った」
「大事だろ」
「うん。翔ならそう言うと思った」
鏡を見る。
こちらは。
最初のコーデよりも自分らしい。
ネイビーとグレー。
慣れた色。
ただ。
普段自分が着ているものより、シルエットが整っている。
ジャケットの丈が短めで。
パンツに少しボリュームがある。
地味ではあるが。
古臭くも見えない。
「これ好き」
「でしょ?」
「翔っち、即決じゃん!」
「だって着やすいし」
「さっきのも買うからね?」
「なんで決定してるんだよ」
肩を回す。
もう一度。
ジャケットの動きやすさを確かめようと身体を捻った。
「……っ」
鈍い痛み。
脇腹。
ほんの一瞬。
けれど。
鏡越しに。
エリカと目が合った。
「翔?」
「ん?」
「今、痛そうにしたよね」
「してない」
「した」
キララが寄ってくる。
「翔っち?」
「いや、ちょっと身体痛めてるだけ」
「どこ?」
「脇腹とか」
「とか?」
「……肩」
「とか?」
「背中」
キララの目が細くなる。
「全身じゃん」
「もうかなり治ってるから」
エリカが尋ねる。
「いつから?」
「…………」
「翔?」
「数日前」
二人の顔から。
笑いが少しだけ消えた。
「……もしかして」
エリカが言う。
「あの怪物が出た日?」
「…………」
嘘をつく。
という選択肢が一瞬浮かぶ。
けれど。
「……近くにはいた」
「ほらー!」
キララが声を上げる。
周囲から視線。
「あ」
キララが小さくなる。
「ごめん」
「声」
「でも翔っち!」
今度は小声。
「また危ないとこ行ってたの!?」
「まあ……」
「まあじゃない!」
「事情があって」
「何の事情!?」
当然。
言えない。
怪物の前へ飛び出した。
ロストドライバーを受け取った。
ジョーカーメモリで変身した。
そして。
T-REXドーパントと戦った。
「……無事だったから」
苦し紛れ。
キララが翔の脇腹を見る。
「現在進行形で痛がってる人が言わないで」
「……はい」
エリカも少し真面目な顔をしていた。
「前にも危ない方に行ってたよね」
「…………」
「人を助けたいのは分かるけど」
静かな声。
「翔まで怪我したら意味ないからね」
その言葉が。
少しだけ胸に残った。
今は。
以前とは違う。
自分にはロストドライバーがある。
ジョーカーの力もある。
T-REXのような相手とも。
戦える。
でも。
戦えることと。
傷つかないことは。
同じではない。
「……うん」
「ほんと?」
キララ。
「気をつける」
「それ守らない人の返事」
「じゃあ何て言えばいいんだよ」
「無茶しません」
「それは約束できない」
「ほら!」
「翔」
「……努力します」
「もっと怪しくなった」
「どうしろっていうんだよ……」
少しずつ。
空気が戻った。
* * *
「最後!」
「まだあるの?」
キララが。
何かを持って戻ってくる。
「これ絶対!」
「…………」
翔は黙った。
黒いショート丈のジップブルゾン。
袖には濃い紫のライン。
背面には大胆なグラフィック。
金属製の小さなパーツまで付いている。
「キララ」
「何?」
「これは何?」
「ブルゾン」
「それは分かる」
「かわいいでしょ」
「どこに着ていくんだよ」
「街」
「俺にはその勇気ない」
「絶対似合うって!」
「着ない」
「試着だけ!」
「着ない」
「翔っちー!」
エリカが横から見る。
数秒。
「……これは私も翔側」
「エリカぁ!」
「だってこれはちょっと攻めすぎ」
「絶対いいのに!」
翔は。
もう一度ブルゾンを見る。
黒。
紫。
「…………」
妙に。
嫌な既視感がある。
――いや。
考えるのやめよう。
「却下」
「えー!」
* * *
結局。
翔が買うことにしたのは。
最初に自分で選んだチャコールグレーのシャツ。
生成りのインナー。
キララが選んだボルドーのオーバーシャツ。
チャコールのツータックワイドスラックス。
エリカが選んだネイビーの軽いジャケット。
濃いグレーのパンツ。
それから。
履き古していた靴を見つけられ、白と黒を基調としたシンプルなスニーカーまで追加された。
「……増えた」
会計前。
翔は山になった服を見る。
「最初シャツ一枚だったのに」
「いいじゃん」
キララは満足そうだ。
「これで翔っちも着回しできる!」
「今までもしてたよ」
「洗い回しと着回しは違うの!」
「……そうなの?」
「違う!」
エリカが笑う。
「そこはキララが正しいかな」
翔は。
ボルドーのシャツを見る。
迷った。
一人なら。
絶対に買わなかった。
店へ入っても。
手に取ることすらなかったと思う。
「……これ」
「ん?」
「本当に買うの?」
「買う!」
「俺の服なんだけど」
「じゃあ翔っちは?」
キララが見る。
翔は。
もう一度シャツを見る。
「……まあ」
ハンガーから外した。
「一着くらい」
少し笑う。
「自分じゃ選ばないのがあってもいいか」
「…………!」
キララの目が大きくなる。
「翔っち……!」
「何」
「成長した!」
「服一着で成長扱いするな」
エリカも小さく笑った。
「でも、いいんじゃない?」
「うん」
翔はボルドーのシャツを籠へ入れる。
「二人が選んだなら」
何気なく。
「たまには着てみるよ」
「絶対だからね!」
「分かったって」
「写真!」
「何で」
「着た証拠!」
「面倒くさいな!?」
* * *
店を出た時には。
翔の手に提げられた袋は、かなり増えていた。
「……予算内ではあるけど」
「よかったじゃん」
キララは上機嫌。
「翔っち一人だったら絶対半分も買ってないよ」
「たぶん一枚で帰ってた」
「ほら!」
「否定しないんだ」
エリカが笑う。
三人で。
夕方の商業区を歩いていく。
制服姿の生徒たち。
屋台。
店から流れる音楽。
友人を呼ぶ声。
数日前の光景が。
遠いもののように感じる。
「ねえ、あれ見た?」
すれ違った生徒の声。
「この前の黒いやつでしょ?」
「そうそう。怪物と戦ってたって」
「…………」
翔の歩みが。
ほんの少しだけ遅くなった。
「あ」
キララが反応する。
「翔っち知らない?」
「何を?」
「この前、怪物と戦ってた黒い人」
「……へえ」
できるだけ自然に。
「そんなのいたんだ」
「いたらしいよ」
キララがスマートフォンを取り出した。
「ほら」
「…………」
画面。
遠い。
揺れている。
壊れた街路。
瓦礫。
その中を。
黒い影が駆けている。
漆黒の身体。
紫の意匠。
赤い複眼。
自分。
「…………」
妙な感覚だった。
変身している時。
自分の姿を見る余裕なんてなかった。
こうして第三者の映像で見ると。
初めて。
あの姿が。
本当に自分だったのだと実感する。
――俺、こんな感じだったのか。
「画質悪いけどね」
「他にもある?」
「あるよ」
「……ちゃんと映ってる?」
「どれも微妙」
「そっか」
少し安心した。
「何で翔っち安心してんの?」
「してない」
街灯。
あれだけは。
残っていないでほしい。
「それで」
エリカが画面を見る。
「結局、この人何なんだろ」
「さあ?」
キララが首を傾げる。
「風紀委員会じゃないんだよね」
「たぶん」
「名前は?」
「分かんない」
「…………」
翔は。
そこで。
初めて気づいた。
そういえば。
名乗っていない。
変身した。
戦った。
ヒナたちとも言葉を交わした。
でも。
自分が何者なのか。
口にはしていない。
「だからねー」
キララが楽しそうに笑う。
「ネットで勝手に名前付けられてる」
「……例えば?」
「黒い戦士」
「普通」
「黒仮面」
「怪しい」
「ゲヘナブラック」
「それは絶対嫌だろ」
即答。
数秒。
二人から。
同時に見られた。
「……何」
「なんで翔っちが嫌がるの?」
「本人が嫌そうだと思って」
「本人の気持ち分かるんだ」
「一般論だよ」
エリカも笑う。
「ゲヘナブラックは私もちょっと嫌だけど」
「だろ?」
「でも翔が一番嫌そう」
「何で俺基準なんだよ」
キララがスマートフォンをしまう。
「ま、そのうち本人が名乗るんじゃない?」
「……名乗る?」
「名前ないと不便じゃん」
「…………」
頭の中に。
二つの言葉が浮かんだ。
仮面ライダー。
そして。
ジョーカー。
けれど。
今はまだ。
口にはしなかった。
* * *
「翔っち、この後どうすんの?」
「ひだまり戻るよ」
「じゃあ寄っていい?」
「いいけど」
「やった」
エリカが横を見る。
「急だね」
「いいじゃん。せっかく会ったんだし」
「……じゃあ」
翔は二人を見る。
今までは。
二人の方がひだまりへやって来ることが多かった。
今日は。
自分が外で二人に会った。
「寄ってく?」
自分から。
そう言った。
キララが一瞬目を丸くする。
すぐ。
笑った。
「もちろん!」
「じゃあ私も少しだけ」
「了解」
三人は。
並んで。
ひだまりへ向かった。
* * *
「ただいま」
「おかえ――」
ニャン次郎が厨房から顔を出す。
翔。
その後ろの二人。
そして。
両手いっぱいの服の袋。
「……増えたな」
「どれの話?」
「全部だ」
「拾われましたー!」
「誰が拾ったんだよ」
キララが店内へ入る。
「マスター聞いて! 翔っち全然服選べない!」
「キララ」
「黒とかグレーばっか!」
「キララ」
「一時間でシャツ一枚!」
「言わなくていいって!」
ニャン次郎は。
翔を見る。
「連れて行って正解だったな」
「マスターまで!?」
エリカも袋を見る。
「でも結構いいの買えたよ」
「そうか」
「私が選んだのもある!」
キララが胸を張る。
「ほう」
「今度着てくるから!」
「キララが決めるな!」
「着るって言ったじゃん!」
「言ったけど!」
ニャン次郎が少し笑う。
「楽しみにしてる」
「マスター!」
三対一。
完全に負けていた。
* * *
その後。
キララとエリカは客として席についた。
翔はエプロンをつける。
「翔っち、本当に仕事すんの?」
「そのために戻ってきたんだから」
「休んでれば?」
「もうほとんど治ってるって」
「さっき痛がってたじゃん」
「細かいなあ」
「じゃあ水ー」
「自分で取れ」
「店員なのに!?」
「休めって言った直後だろ!」
エリカが笑う。
ニャン次郎が厨房から声を飛ばす。
「翔、注文上がったぞ」
「今行く!」
翔は皿を受け取る。
運ぶ。
注文を取る。
テーブルを拭く。
キララが笑い。
エリカが呆れ。
ニャン次郎が料理を作っている。
何でもない。
放課後。
少し前まで。
怪物と戦っていた。
ロストドライバーを使い。
ジョーカーになり。
その後には。
カイザー。
ガイアメモリ。
古代のキヴォトス。
財団X。
そんな話まで聞いた。
けれど。
今は。
「翔っち、ケーキもう一個」
「自分で払えよ」
「え、奢りじゃないの?」
「いつ奢るって言った!」
「服選んだ!」
「だからって!」
「労働には対価が必要だよ?」
「急にもっともらしいこと言うな!」
エリカが笑っている。
「キララ、それはさすがに自分で払いなよ」
「エリカまでー」
翔も。
思わず笑った。
そして。
ふと。
二人を見る。
――なくしたくないな。
自然に。
そう思った。
世界を救う。
街を守る。
そんな大きな言葉ではなく。
こういう。
何でもない時間。
友達とくだらないことで笑う時間。
自分で選ばなかった服を。
似合うと言われて買うような時間。
そういうものが。
明日も。
明後日も。
続けばいい。
ただ。
それだけだった。
* * *
夕方。
「じゃーね、翔っち!」
「またね」
「うん。また」
店の前。
キララが振り返る。
「ちゃんとあのシャツ着てよ!」
「着るって」
「写真!」
「まだ言ってるのか」
「証拠!」
「分かったよ」
「約束!」
「分かった!」
満足。
キララが笑う。
エリカも。
「私のジャケットもちゃんと着てね」
「エリカも?」
「選んだ側としては気になるし」
「……分かった」
「よろしい!」
「キララが言うな」
また。
三人で笑う。
そして。
エリカの表情が少しだけ落ち着いた。
「あと」
「ん?」
「ほんとに無茶しないでね」
「…………」
キララも。
少しだけ笑顔を柔らかくする。
「次また怪物とか出てもさ」
翔を見る。
「翔っちは、ちゃんと翔っちのことも大事にしなよ」
「…………」
胸の奥に。
小さく残った。
誰かを助けたい。
そればかり考えて。
自分がいなくなれば。
誰かが悲しむ。
心配する。
そんなことを。
忘れていたわけではない。
父を失った翔だからこそ。
本当なら。
分かっているはずだった。
「……うん」
今度は。
軽く流さずに。
「気をつける」
「ほんと?」
「ほんと」
「よし!」
キララがいつもの笑顔へ戻る。
「じゃあまたねー、翔っち!」
「じゃあね、翔」
「うん。また」
二人は。
制服姿のまま。
学校鞄を手に。
夕方の街へ歩いていく。
翔は。
その後ろ姿を。
しばらく見送った。
「言わなかったな」
背後。
ニャン次郎の声。
「何を?」
「あの黒い奴が自分だって」
「…………」
翔は。
少し苦笑する。
「言えるわけないだろ」
「そうか」
「……でも」
エプロンのポケット。
その上から。
ジョーカーメモリへ触れる。
「秘密にするって」
一度。
キララとエリカが消えていった通りを見る。
「思ってたより気分良くないな」
「そういうもんだ」
「経験者みたいに言うなよ」
言ってから。
昨夜聞いた話を思い出す。
「…………」
翔が横を見る。
「……経験者だったな」
「気づくのが遅い」
「何年秘密にしてたんだよ、マスター」
「さあな」
「そこは教えないんだ」
「もう店に戻れ」
「はいはい」
翔は。
扉へ向かう。
途中。
買ったばかりの服が入った袋が目に入った。
ボルドー。
ネイビー。
自分一人なら。
きっと選ばなかった色。
元いた場所から持ってきた制服は。
今でも大切なものだ。
父と暮らしていた家。
学校。
友人。
あの場所で送っていた生活。
それに繋がる。
自分のもの。
けれど。
今日買った服も。
きっとこれから。
自分のものになっていく。
この街で。
新しく知り合った友人たちと選んだ服。
キヴォトスで暮らしていく。
今の自分が着るためのもの。
「……翔!」
「今行く!」
厨房から飛んできた声。
翔は。
袋から目を離した。
窓の向こう。
人々が行き交う。
夕暮れのゲヘナ。
最初にこの街を歩いた時より。
知っている道が増えた。
知っている店が増えた。
知っている人も増えた。
そして。
今日。
自分一人では選ばなかった服まで増えた。
「……悪くないか」
ほんの少しだけ笑い。
翔は。
いつもの場所へ。
ひだまりの奥へと戻っていった。