青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
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「……二回目?」
イオリが眉を寄せた。
風紀委員会本部の会議室。
壁面を占める大型モニターには、前日の商店街で起きた騒動についての資料が並んでいる。破損した店舗、路面に刻まれた爪痕、風紀委員会によって回収された黒い装置の破片。そして現在治療を受けている使用者の検査結果。
その中央に表示されている数字へ、イオリはもう一度目を向けた。
「はい」
端末を手にしたチナツが頷く。
「本人から確認が取れました。昨日が初めての使用ではなかったそうです」
「一回目は?」
「ゲヘナ郊外にある施設で、担当者の監督下で使用しています」
チナツが端末を操作すると、モニター上の資料が切り替わった。
一度目の試験。
簡単な健康診断と採血。
装置についての説明。
担当者の指示による起動。
右腕の変質。
その状態で、通常では持ち上げられない重量物を動かすなどの身体能力測定。
「その時にも、昨日とほぼ同じ変化が右腕に起きたそうです。ただ、本人の意思で動かすことはできていたと」
「暴走はしなかったの?」
奥のソファに腰掛けていたヒナが、資料から顔を上げる。
「はい。使用を終了した後は強い疲労感があったそうですが、それ以外に目立った異常はなく、翌日にはほとんど回復したと証言しています」
「……それで、安全なものだと思ったわけか」
イオリが腕を組む。
「そう考えた可能性は高いと思います」
チナツが答えると、その隣で資料を確認していたアコが口を開いた。
「そもそも、募集内容はどうなっていたんです?」
「こちらです」
今度は、街の求人端末に掲載されていた募集内容が表示される。
『新型補助機器・短期運用試験』
数時間程度の拘束。
簡単な適性検査。
試験用装置の運用確認。
身体への危険性はなく、医療技術を応用した安全な補助機器であるとの説明。
そして。
「……随分と高額ですね」
アコが目を細める。
そこに記載された報酬は、一般的な短期労働と比較して明らかに不自然な額だった。
「本人は二か月ほど前に仕事を失っていたそうです」
チナツが続ける。
「運送関係の仕事をしていたそうですが、勤務先の事業縮小で契約を切られています。生活費のほか、いくつか滞納していた支払いもあったようです」
「そこへ、この金額か」
イオリの声が低くなった。
「怪しいと思わなかったのか?」
「思ってはいたそうです。ただ――」
チナツは一度言葉を切る。
「説明を担当した人物から、医療技術を応用した身体補助装置であり、安全性も確認されていると説明された、と」
「医療技術?」
アコの眉が動く。
「そのような技術がゲヘナで認可されたという報告は受けていませんが」
「私も確認しましたが、該当する技術や製品はありませんでした」
「書類は?」
「複数提示されたそうです。ですが、専門的な内容だったため、本人には真偽まで判断できなかったようです」
ヒナがモニターを見る。
「一度使っても何も起きなかった。それで、二回目を断る理由が少なくなった」
「加えて」
チナツが次の資料を表示する。
「二度目の依頼では、報酬額が最初の倍になっています」
「……露骨だな」
イオリが吐き捨てるように言う。
一度目で安全だと思わせる。
その次には、さらに大きな金額を提示する。
金銭的に困っている者にとって、それがどれほど魅力的に映るか。
想像するのは難しくなかった。
「ですが」
アコが資料を見ながら言った。
「問題は報酬だけではありません」
ヒナが視線を向ける。
「二度目の試験場所?」
「はい」
表示された場所は、前日の商店街。
実験施設でもなければ、人のいない郊外でもない。
普段から多くの市民が行き交う場所だった。
「指定された時間にそこへ行き、自分で装置を起動するよう連絡されていたそうです」
「担当者は?」
ヒナが尋ねる。
「現場にはいなかった、と」
数秒。
誰も口を開かなかった。
「……おかしいだろ」
やがてイオリが言った。
「一回目は施設で監督しながら使わせた。それなのに、二回目はいきなり街中で一人?」
「医療上の観点から見ても不自然です」
チナツも静かに同意する。
「一度目より二度目の方が安全だと確認できていたとしても、使用回数による身体への影響を調べるのであれば、むしろ経過を観察する必要があります」
「安全性を確かめるためじゃない」
ヒナの静かな声に、その場の視線が集まった。
ヒナは商店街の写真を見つめていた。
「そこで使ったら何が起きるのか。それを見たかったんじゃない?」
「委員長……」
イオリが口を開きかける。
だが、その先は続かなかった。
人のいる場所。
監督する者はいない。
使用者には自分で装置を起動させる。
そして実際に、その男は制御を失った。
「周辺に観測要員が配置されていた可能性も考えるべきですね」
アコはすぐに実務へ意識を切り替えた。
「昨日の監視映像は?」
「確認を進めています」
イオリが答える。
「なら、不自然に長時間停車していた車両、同じ場所に居続けた人物、ドローンなども含めて調べてください」
「分かった」
チナツが次の資料を開く。
「それと、患者の身体についてですが」
モニターに映し出されたのは、右腕の検査画像だった。
皮膚だけではない。
筋肉。
神経。
深部にまで、通常の外傷では説明しにくい異常が残っている。
「昨日も確認しましたが、単純な打撲や熱傷ではありません。身体の内側から強い負荷が掛かったような損傷が見られます」
「前に出た怪物と同じ?」
イオリが尋ねる。
「似ている部分はあります。ただし、完全に同じではありません」
「違いは?」
「以前の変身者には、何かを身体へ直接使用したと思われる部位に、特に強い損傷が集中していました」
あの時。
怪物から元の姿へ戻った獣人男性の身体には、明らかに通常とは異なる傷が残されていた。
「ですが、今回の患者には同じ痕跡がありません」
「装置を身体に入れてないから?」
「本人も、手に持って起動しただけだと証言しています」
「なのに、あそこまで腕が変わった」
「はい」
アコが画面を見つめる。
「……昨日、黒色不明戦闘対象が言っていたこととも一致しますね」
イオリが一瞬だけ眉を動かす。
もう誰のことを指しているのかは聞かなかった。
『前に出た怪物と、似た力だと思う』
『ただ……同じものじゃない』
前日の現場で。
黒い戦士は確かにそう言っていた。
「知ってるなら、もう少し話してくれてもいいだろ」
イオリが低く呟く。
「少なくとも、私たちより多くの情報を持っている可能性は高いでしょう」
アコは冷静だった。
「しかし、情報を持っていることと、信用できることは別です」
「分かってる」
イオリも素直に頷く。
「ただ」
チナツが口を挟んだ。
「昨日も、戦闘が始まる前に負傷者の救助を行っていたようです」
「最初に倒れてた人?」
「はい。それと、動けなくなっていた市民も安全な場所まで運んだと」
「……またか」
イオリの脳裏に。
前の怪物との戦いが蘇る。
あの時も。
黒い戦士は、自分が勝てるかどうかより先に、目の前の誰かを助けようとしていた。
「行動を見る限り、少なくとも市民へ危害を加えることを目的としているようには見えません」
チナツが言う。
「そこは私も否定しません」
アコが答えた。
「ですが、正体不明の武装戦力であることには変わりありません。能力、所属、目的。そのどれも把握できていない以上、警戒を解く理由にはならないでしょう」
「じゃあ、次に会ったら聞く」
イオリが言った。
「今度こそな」
「無理に拘束する必要はないと思う」
ヒナが口を開く。
「委員長?」
「今までの行動を見る限り、こちらから敵対しなければ向こうも戦う理由はないはず」
淡々と。
「話せるなら、まず話す。それでいい」
「……分かった、委員長」
イオリが頷く。
「求人を出した会社は?」
ヒナが続けて尋ねる。
「既に調査を開始しています」
アコが画面を切り替えた。
一つの法人情報。
設立されたのは三週間前。
事業実績なし。
登記住所は貸しオフィス。
代表者情報にも、不自然な点が複数。
「最初から消えるつもりで作った会社か?」
イオリが言う。
「可能性は高いでしょう」
「資金の流れは?」
「現在追跡中です。複数の名義を経由していて、かなり複雑になっています」
ヒナはしばらく画面を見ていた。
そして。
「急いで」
アコが顔を上げる。
「委員長?」
「一人に二度使わせてるなら」
ヒナの視線が、モニターの中央に映る黒い破片へ移る。
「他の人にも渡してるかもしれない」
昨日暴走したのは。
たった一人。
だが。
それが最初の一人だという保証など。
どこにもなかった。
「次が起きる前に見つけよう」
「承知しました」
アコがすぐに端末を操作する。
「同じ求人への応募履歴、同系列の法人、類似した高額募集も含めて洗います」
「私は現場の聞き込みに行く」
イオリが立ち上がる。
「チナツは?」
「私は患者の状態を確認した後、以前の怪物の時に残った医療記録と比較を続けます」
「分かった」
会議はそこで一度区切られた。
モニターの中。
砕けた黒い装置だけが。
何かを真似ようとしたような不完全な形を晒していた。
* * *
「身体に挿してない?」
その日の夜。
閉店後の喫茶店「ひだまり」。
カウンター席に腰掛けた翔は、少し意外そうに聞き返した。
「ああ」
ニャン次郎は洗い終えたカップの水気を拭きながら答える。
「昨日のお前の話じゃ、そいつは装置を手に持って使ってたんだろ」
「うん」
「身体にコネクターらしいものもなかった」
「少なくとも、俺が見た限りでは」
「なら、前の奴とは明確に違う」
翔は昨日の男を思い返した。
異様に膨れ上がった右腕。
黒く硬質化した皮膚。
鋭い鉤爪。
常人のものとは思えない怪力。
けれど。
T-REXドーパントとは違う。
あの時の変身者は、生体コネクターを持たないまま、本物のガイアメモリを直接身体へ使用していた。
その結果、挿入した部分は酷く傷つき。
メモリの力そのものにも飲まれていった。
「でも」
翔は言った。
「身体はちゃんと変わってた」
「そこが妙なんだ」
ニャン次郎はカップを棚へ戻す。
「本物のガイアメモリをそのまま再現したとは考えにくい」
「やっぱり、腕だけだったから?」
「それだけじゃない」
ニャン次郎は布巾を畳みながら考える。
「ガイアメモリは、単純に筋力を上げる補助装置じゃない」
「……ドーパントになる」
「ああ」
「中にある力で、生物そのものを別の姿に変える」
「そういうことだ」
昨日の装置は違った。
変わったのは、右腕だけ。
それでも。
人間離れした力は確かに発現していた。
「今回のは」
ニャン次郎が言う。
「本物を作ったというより、本物で起きる現象の一部分だけを、別の仕組みで無理やり引き出してるように見える」
「一部分だけ……」
「ただし、現物を見てない。あくまでお前から聞いた話を基にした推測だ」
「分かってる」
「実物があれば、もう少し判断材料は増えるんだがな」
「風紀委員会が持ってる」
「なら、今はお前が見たものだけで考えるしかない」
ニャン次郎は淡々と言った。
「少なくとも、話を聞く限りじゃ、本物をそのまま真似た物じゃない。ただ、似た結果を出そうとしてるのは間違いなさそうだ」
翔は、自分の右腕を見た。
「本物じゃなくても、あそこまでできるんだな」
「そこを軽く見るなよ」
ニャン次郎の声が少し低くなる。
「完成度が低いことと、危険性が低いことは別だ」
「……うん」
「むしろ、制御できないまま身体だけ無理に変えてるなら、本物とは別の意味で危険かもしれん」
翔は昨日、元の姿へ戻った男の腕を思い出した。
赤く腫れ。
火傷にも似た傷を残していた。
「マスターが言ってた通りだった」
「何が」
「誰かが一個作ったなら、二個目を作らない理由はないって」
ニャン次郎の手が止まる。
「他にも出たのか?」
「いや。まだ」
翔は首を振った。
「でも、あれを一人に一回使わせて終わりって感じじゃない」
「理由は?」
「安全な試験だって説明されたって言ってた。それに報酬も出るって」
「ああ」
「わざわざ人を集めて試験する仕組みを作ったなら、一人だけで終わるとは思えない」
ニャン次郎は、僅かに目を細めた。
「……少し研究者みたいな考え方になってきたな」
「誰の影響だろうね」
「俺を見るな」
「他にいないけど」
「知らん」
翔は小さく笑った。
だが。
すぐに表情を戻す。
「……カイザーかな」
その問いに。
ニャン次郎はすぐには答えなかった。
「可能性はある」
「うん」
「ただし」
「決めつけない」
「覚えてたか」
「さすがにね」
怪しいものを。
すべて同じ相手へ結びつける。
それは簡単だ。
だが。
間違った前提に囚われれば、本当に見るべきものを見失う。
「それでも」
翔はポケットの中にあるジョーカーメモリの重みを感じる。
「もしカイザーだったら」
「ああ」
「T-REXで終わる気はなかったってことだよな」
ニャン次郎は答えなかった。
だが。
否定もしなかった。
「……偽物でも、人をあんな風にできる」
翔が呟く。
「本物じゃないから大したことない、とはならないんだな」
「ああ」
ニャン次郎はカウンターへ片手を置く。
「それに」
「?」
「もし本物より簡単に作れるなら」
翔も。
その先を理解した。
「……数」
「可能性の話だ」
「分かってる」
一つなら。
止められるかもしれない。
だが。
十。
二十。
それ以上。
もし。
そんなものが街へ出回れば。
「翔」
「ん?」
「今日はもう上がれ」
「まだ片付け残ってるけど」
「俺がやる」
「これくらいなら――」
「腕」
翔が止まる。
「……ほとんど痛くないよ」
「ほとんど、な」
「普通に動くし」
「昨日ぶん殴られて、今日は朝から走って、その後ずっと店で働いてる」
「走ったのは軽くだけ」
「痛みや強い違和感がある日は休むこと」
「…………」
「何だ」
「スミレにもらったメモ、完全に覚えてるじゃん」
「当然だ」
「何で?」
「お前が守らなさそうだからだ」
「信用ないな……」
「実績がある」
翔は反論しようとして。
やめた。
「……否定できない」
「なら休め」
「はい」
素直に立ち上がる。
店の奥へ向かいかけ。
翔は一度だけ振り返った。
「マスター」
「何だ」
「もし、また出たら」
ニャン次郎は翔を見る。
「無茶はするな、なんて言っても聞かんだろ」
「……まあ」
「だったら」
ニャン次郎は淡々と言った。
「帰ってこい」
翔は少しだけ目を見開いた。
そして。
「うん」
短く答えた。
* * *
翌日の夕方。
前日に騒ぎが起きた商店街は、既に日常を取り戻しつつあった。
壊れた看板は撤去され、割れた窓には仮の板が打ち付けられている。路面の一部には補修用の柵が置かれていたが、その脇を買い物帰りの生徒や市民たちが当たり前のように行き交っている。
「……何もないな」
少し離れた建物の屋上。
ジョーカーは腕を組み、通りを見下ろしていた。
生身で来ることも考えた。
だが。
昨日、黒い戦士が現れた場所を。
翌日になって見知らぬ男が何度も嗅ぎ回っている。
そんな印象を風紀委員会に残すのは避けたかった。
まだ。
風間翔と。
ジョーカーを。
繋げるつもりはない。
「部品か何か落ちてればと思ったんだけど……」
期待する方が無理だったか。
風紀委員会が現場を調べた後だ。
残っていたものは、既に回収されているだろう。
「求人端末の方を調べた方がよかったかな」
「上から眺めてても、求人は落ちてこないぞ」
「っ!」
背後から聞こえた声。
翔が振り向く。
隣の建物の屋上。
銀鏡イオリが立っていた。
「……いつからいた?」
「お前が同じ路地を三回覗いた辺りから」
「かなり最初じゃないか」
「不審者みたいな動きしてるから目立つんだよ」
「この格好で言われてもな……」
「自覚はあるんだな」
イオリは軽く助走をつけ。
二つの建物の間を跳び越える。
着地。
銃は持っている。
だが。
銃口は翔へ向けられていない。
「今日は撃たないんだ」
「撃ってほしいのか?」
「いや」
「だったら余計なこと言うな」
イオリは翔の横から商店街を見下ろした。
「昨日の装置について調べてるのか?」
「……うん」
「何か見つかった?」
「何も」
「本当に?」
「本当に」
「じゃあ何しに来たんだ」
「何か残ってるかと思ったんだよ」
「昨日のうちにこっちが調べてる」
「だよなあ」
思わず肩を落とす。
「なら帰れ」
「冷たくない?」
「正体も分からない奴に、これ以上どうしろってんだ」
「昨日は一応手伝ったけど」
「そこは否定してない」
イオリは翔へ顔を向ける。
「だから、前より話を聞く気になってるんだろ」
「前より?」
「最初だったら、今頃もっと警戒してた」
「……それはどうも」
「褒めてない」
その時。
屋上へ続く扉が開いた。
「イオリ」
聞こえてきた声。
翔がそちらを見る。
橙がかった茶髪。
小型端末を手にした少女。
昨日。
変身者の救護を担当していた風紀委員。
「ここにいたんですね」
「悪い、チナツ。こいつを見つけた」
その名前を。
翔は頭の中だけで繰り返した。
火宮チナツ。
もちろん。
知っている。
ずっと前から。
けれど。
今の自分が。
それを知っているはずはない。
「……昨日の方ですね」
チナツがジョーカーを見る。
「こんばんは」
「……こんばんは」
普通に返す。
イオリが一瞬だけ二人を見る。
「何だ、この妙に普通の空気」
「挨拶されたから返しただけだよ」
「挨拶を返すのは普通では?」
チナツが首を傾げる。
「いや、そうなんだけど……まあいい」
イオリは深く追及しなかった。
チナツは端末を下ろし。
「昨日は、負傷者の救助に協力していただきありがとうございました」
「俺はそんなにしてないよ」
「戦闘前に瓦礫の下から負傷者を助けたのも、あなたですよね?」
「……聞いたの?」
「現場にいた方から」
「そう」
「動けなくなっていた市民も、安全な場所まで運んだと」
翔は少しだけ黙った。
「別に」
「別に?」
「目の前にいたんだから、助けただけ」
チナツが。
一度だけ瞬きをした。
「……そうですか」
「それより」
翔は尋ねる。
「昨日の人は?」
「命に別状はありません」
答えはすぐに返ってきた。
「腕は」
「しばらく経過観察が必要ですが、現時点では切断などの処置が必要になる可能性は低いと考えています」
「……よかった」
胸の奥に溜まっていたものが。
少しだけ抜ける。
呼吸も自然に軽くなる。
チナツは。
そんな翔の様子を静かに見ていた。
「さて」
イオリが言う。
「安心したなら、昨日の続きだ」
「やっぱり?」
「当たり前だろ」
「忘れてくれてもよかったんだけど」
「忘れるわけないだろ」
イオリは一歩前へ出る。
「お前が何者なのか」
一つ。
「前の怪物について、何を知ってるのか」
二つ。
「昨日の装置が何なのか」
三つ。
「……増えてない?」
「お前が話さないから増えるんだ」
「なるほど」
「納得するな」
チナツが二人を見る。
「まず、話せる範囲からで構わないと思います」
「チナツ」
「何も話さない相手に問い続けるより、今共有できる情報を確認した方がいいでしょう」
「……それはそうだけど」
イオリは小さく息を吐く。
「じゃあ、一個ずつだ」
「話せる範囲なら」
「本当に話す気はあるんだな?」
「そのために来た部分もある」
「先に言えよ」
「会えると思ってなかったし」
「私だって、お前が来ると思ってなかったよ」
「それもそうか」
「……本当に調子狂うな」
イオリは一度頭を振る。
「前の怪物と、昨日の装置」
鋭い視線が翔へ向いた。
「何が違う?」
翔は答えなかった。
すぐには。
どこまで言うべきなのか。
ガイアメモリ。
ドーパント。
生体コネクター。
そして。
自分がその知識を得た理由。
全部を明かすことはできない。
でも。
何も話さないまま。
この人たちを同じ危険へ向かわせるのも違う。
「……ガイアメモリ」
「何?」
イオリの眉が動く。
「前に出た怪物が使ってたもの」
チナツも端末へ指を添えた。
「それが、あの装置の名称ですか?」
「俺が知ってる呼び方では」
「知ってる呼び方?」
「……そこを説明すると長い」
「時間はある」
「俺にはない」
「今作れ」
「無茶言うなよ」
「イオリ」
「……分かってる」
チナツに呼ばれ。
イオリはそれ以上追わなかった。
「続けろ」
「前の怪物が使ってたのは、本物のガイアメモリだったと思う」
「本物?」
「少なくとも、俺が知ってるものとは一致してた」
「昨日のは?」
「違う」
そこだけは。
翔も迷わなかった。
「形も違った。使い方も違う。それに、身体の変わり方も」
「偽物ってことか?」
「……たぶん」
「また、たぶんか」
「俺だって全部分かってるわけじゃない」
「でも、本物とは違うと判断した」
「見た限りでは」
チナツが口を開く。
「一つ、確認してもいいですか?」
「うん」
「本来のガイアメモリは、昨日の装置のように手に持って使用するものではない?」
翔は少し迷った。
けれど。
ここは話した方がいい。
「直接身体に使う場合は」
「場合は?」
「生体コネクターっていう、専用の接続部を使う」
「生体……コネクター?」
イオリが聞き返す。
「身体に作る、メモリの挿入口みたいなもの」
チナツの表情が変わった。
「以前の変身者にあった損傷……」
「たぶん」
翔も思い出す。
「前の人にはコネクターがなかった」
「それなのに使用した?」
「俺が聞いてる範囲では」
チナツが端末へ記録する。
「昨日の患者には、そのようなものは確認できませんでした」
「だと思う」
「では」
チナツが続ける。
「昨日の装置は、本来必要な接続を行わずに、身体へ変化を起こしていたことになりますね」
「……たぶん、そこを別の方法で飛ばしてる」
昨夜。
ニャン次郎と話したこと。
本物で起きる現象の一部だけを。
無理やり。
別の仕組みで引き出す。
「少なくとも」
翔は二人を見る。
「俺の知ってるガイアメモリと、昨日の装置は同じじゃない」
イオリが目を細める。
「その知識」
来る。
翔にも分かっていた。
「どこで手に入れた?」
「…………」
「そこまで詳しく知ってるなら、誰かに聞いたか、何か見たかしたんだろ」
「そこは」
「そこは?」
「今は言えない」
「……やっぱりそこか」
イオリの声が低くなる。
「ごめん」
「謝って済む話じゃないだろ」
「分かってる」
「本当に分かってるのか?」
「イオリ」
チナツが静かに呼ぶ。
「何だよ」
「今の時点で話せないのであれば、ここだけ問い詰めても進みません」
「でも」
「代わりに、今まで知らなかった情報は得られました」
「…………」
イオリは少しだけ考え。
「……分かった」
「いいの?」
翔が聞く。
「よくない」
「どっちだよ」
「今日はここまでにするって意味だ」
「なるほど」
「何でお前が納得するんだ」
それでも。
空気は。
以前とは少し違っていた。
一方的に追われるだけではない。
互いに。
少しずつ。
持っている情報を出し始めている。
「じゃあ」
イオリが端末を取り出した。
「こっちからも教える」
「いいの?」
「お前が情報を出した分だ」
そこは。
実にイオリらしく実務的だった。
「昨日の装置を使った奴」
画面を開く。
「あれが初めてじゃなかった」
「……え?」
「二回目だ」
翔の視線が止まる。
「一回目は施設の中。誰かに見られながら使ってる。その時には暴走しなかった」
「二回目が昨日?」
「ああ」
「商店街で?」
「そうだ」
「……担当者は?」
「いない」
翔の声が止まった。
「一人で使わせた?」
「指定された場所へ行って、自分で起動しろって指示されてたらしい」
「…………」
胸の奥が。
冷たく沈む。
もし。
暴走したら。
周囲には。
関係のない人がいる。
それを。
分かった上で。
「会社は?」
「今追ってる」
「何か分かったら」
「教えろ?」
「できれば」
イオリは呆れたように翔を見る。
「お前、まだ自分の名前すら言ってないんだけどな」
「……それを言われると弱いな」
「だろ」
「でも」
「何だ」
「何か分かったら、俺も教える」
「だからどうやって連絡するんだよ」
「…………」
翔が止まる。
イオリも止まる。
数秒。
「……確かに」
「そこからかよ!」
イオリが額へ手を当てた。
「お前、本当に協力する気あるのか?」
「あるよ」
「なら、せめて連絡手段くらい――」
その時。
チナツの端末が短く鳴った。
「連絡です」
画面を確認する。
表情が僅かに引き締まった。
「イオリ」
「何?」
「アコ行政官からです」
端末を差し出す。
求人を出した法人。
貸しオフィス。
短期契約。
そして。
被害者が一度目の試験を受けたと証言していた場所。
「候補地が特定されました」
イオリが住所を確認する。
「……近いな」
「既に部隊が向かっています」
イオリは端末から顔を上げ。
ジョーカーを見る。
「お前」
「行く」
「まだ何も言ってない」
「一緒に来るかって聞くつもりだっただろ?」
「……そうだけど」
「なら行く」
イオリは少しだけ考え。
「勝手な行動はするなよ」
「善処する」
「善処じゃなくて守れ」
「努力する」
「お前、その言葉好きだな!」
「二人とも」
チナツが静かに言った。
「今は急ぎましょう」
* * *
ゲヘナ郊外。
使われなくなった倉庫が立ち並ぶ一角。
指定された建物の前には。
既に数名の風紀委員が展開していた。
「内部から反応は?」
到着したイオリが部隊員へ尋ねる。
「ありません」
「裏口は?」
「二名配置済みです」
「分かった」
イオリは銃を構える。
大型扉。
錠は。
既に外されている。
「……嫌な感じだな」
ジョーカーが呟く。
「奇遇だな。私もだ」
イオリが扉へ手を掛けた。
ゆっくり。
開く。
最初に風紀委員が左右へ分かれて侵入。
イオリが続き。
翔も少し距離を置いて中へ入る。
チナツは最後尾。
内部は暗い。
「照明は?」
「電源が落ちています」
「携帯灯を」
白い光が。
倉庫内部へ伸びる。
長机。
折り畳み式の椅子。
簡易ベッド。
身体測定に使ったと思われる機材。
採血用の器具。
空になった棚。
人影は。
ない。
「……本当にここだったみたいだな」
翔が周囲を見る。
「だった、だな」
イオリが机の上を確認する。
薄い埃。
しかし。
長期間放置された量ではない。
「最近まで使ってる」
「ですが」
チナツが壁際を見る。
「持ち運べる医療機器はほとんど残っていません」
「端末もない」
イオリが奥へ進む。
「逃げた後か」
床には。
破られた紙。
切断されたケーブル。
中身のなくなったケース。
証拠になりそうなものを。
急いで持ち出した。
あるいは。
壊した。
そんな跡。
「……これ」
翔が立ち止まった。
机の下。
踏みつけられ。
大きく割れた黒い筐体。
「触るな」
イオリがすぐに言う。
「分かってる」
部隊員が手袋を着け。
慎重に回収する。
「昨日の装置と同じか?」
イオリが聞く。
「似てる」
「同じ?」
「……ここまで壊れてると分からない」
「了解」
無理に答えを求めず。
イオリは次へ意識を移した。
さらに奥。
壁際の棚。
そこには。
小さな黒いケースがいくつも並んでいた。
中身はない。
だが。
側面には。
『P-03』
『P-04』
『P-06』
『P-09』
番号だけが残っている。
「……個体番号?」
翔が呟く。
「その可能性はあります」
チナツが近づく。
「イオリ」
「何か見つけた?」
「こちらを」
床。
半分ほど焼けた紙束。
処分しようとして。
途中で放棄されたらしい。
文字の多くは。
黒く潰れている。
それでも。
辛うじて残った部分。
『第二段階試験』
『連続使用時――』
『対象――』
『出力――』
『次期個体――』
その下。
本来なら。
企業名か。
所属を示す情報が記載されていたと思われる部分だけが。
不自然なほど綺麗に。
切り取られていた。
「……証拠隠滅してる」
イオリの声が低くなる。
「ですが、完全には処分できなかったようですね」
「昨日の騒ぎで、急いで撤収した?」
翔が聞く。
「可能性はあります」
チナツが答える。
「それか」
翔が。
ふと口にする。
二人が見る。
「もう、ここが必要なくなった」
「どういうこと?」
イオリが尋ねる。
翔は。
昨日の男を思い出していた。
一度目。
施設内。
安全。
二度目。
商店街。
暴走。
「昨日の時点で」
自然と声が低くなる。
「欲しかったデータを取れたから、ここを捨てた」
静寂。
否定する材料はない。
だが。
証明する材料もない。
「まだ決まったわけじゃない」
イオリが言う。
「……分かってる」
「証拠がない」
「分かってるよ」
握られていた翔の拳が。
僅かに強くなる。
仮面の奥。
翔は一度目を閉じた。
怒るのは簡単だ。
でも。
今は。
まだ。
「だから探そう」
拳を開く。
周囲を見る。
「何があったのか分かるものを」
イオリが。
ほんの少しだけ。
翔を見る。
「……ああ」
短く答えた。
* * *
調査は。
しばらく続いた。
残されていたものは多くない。
破壊された試作品。
簡易的な測定機器。
一部だけ残されたデータ用紙。
使用済みの医療器具。
そして。
「……十二人」
チナツの声が。
静かな倉庫内に落ちた。
「十二?」
イオリが振り返る。
チナツは回収された資料を照合している。
「個人情報は全て削除されています。ただ、検査番号が十二件あります」
「昨日の人も含まれてる?」
「おそらく」
「全員が装置を使ったのか?」
「そこまでは分かりません」
チナツは首を振る。
「健康診断だけ受けた方が含まれている可能性もあります」
「でも」
翔が言う。
「少なくとも、十二人がここへ来た」
「そういうことになります」
昨日は。
一人だった。
だが。
同じような装置を渡された者が。
まだいるかもしれない。
「急いで探す」
イオリが即座に言った。
「求人への応募者と照合する。まだあの装置を持ってる奴がいるなら、暴走する前に回収したい」
「俺も――」
「待て」
「何?」
「勝手に一人で探し回るな」
「でも」
「こっちは風紀委員会だ」
イオリは真っ直ぐ翔を見る。
「人を探すなら、お前一人で動くより早い」
翔は。
反論できなかった。
その通りだからだ。
「その代わり」
「?」
「お前も何か見つけたら教えろ」
「……うん」
「だから」
イオリが続ける。
「どうやって連絡するんだよ」
「…………」
「…………」
また。
二人の会話が止まった。
「やっぱりそこに戻るよな」
「当たり前だろ」
「何か方法考える」
「だから名前を――」
「それはまだ」
「お前なぁ……!」
イオリは言いかけ。
大きく息を吐いた。
「……まあいい。今日はこれ以上言わない」
「珍しい」
「お前が話す気はあるって分かったからだ」
「…………」
翔が。
僅かに目を見開く。
「でも次は、もう少し話してもらうからな」
「……努力する」
「またそれか」
「今回はかなり真面目に言ってる」
「今まで真面目じゃなかったのか?」
「そういう意味じゃないよ」
チナツが二人を見る。
「少なくとも」
ジョーカーへ視線を向ける。
「次に会った時は、今より少しでもあなたのことを教えていただけると、こちらとしても助かります」
「……分かった」
今度は。
翔も。
少しだけ真剣に答えた。
そして。
もう一度。
十二人分の記録へ目を向ける。
昨日。
あの男は。
一人だった。
もし。
他にも。
同じ力を渡された者がいるなら。
次に暴走するのが。
街中ではないという保証は。
どこにもない。
仮面の奥で。
翔の表情が。
静かに引き締まった。
* * *
同じ頃。
ゲヘナから離れた場所。
白い照明に満たされた室内。
整然と並んだ機材。
複数のモニター。
「旧試験区画が風紀委員会に発見されました」
報告を受けても。
男は表情を変えなかった。
T-REXメモリを用いた実験の頃から。
現場へ通信越しに指示を出し続けてきた。
同じ男。
「予定より早かったな」
「資料の処分が一部不完全です」
「回収された物は」
「破損した試作品。検査記録の一部。個体番号も残っています」
「こちらへ直接繋がる情報は?」
「ありません」
「なら問題ない」
あまりにも。
簡単な返答だった。
「しかし」
「旧区画は捨てる予定だった」
男はモニターへ視線を向ける。
十二の試験番号。
その一つ。
『暴走』
別の一つ。
『回収不能』
「第二段階で必要なデータは取れている」
「予定稼働時間には到達していません」
「それもデータだ」
男は淡々と言う。
「連続使用時の身体負荷」
数値が表示される。
「出力の上昇」
グラフが伸びる。
「精神状態への影響」
記録映像。
「そして、制御不能に至るまでの時間」
一人の人間が。
自分の腕を制御できず。
街中で暴れる姿。
それを。
男は。
ただの数字として見ていた。
「試作段階としては十分だ」
「ですが、実用化には――」
「本物と同じものを作る必要はない」
研究員の言葉を遮る。
「必要なのは商品として成立する性能だ」
「……はい」
「出力を抑える必要があるなら抑えればいい。使用可能時間が短いなら用途を限定する。使い捨てになるなら、それに見合った価格設定をする」
そこに。
使用者の身体が壊れることへの懸念は。
含まれていなかった。
「そして」
画面が切り替わる。
黒。
赤い複眼。
紫の意匠。
ジョーカー。
「副次データも得られた」
「例の対象ですか」
「ああ」
最初に記録された戦闘映像。
大きすぎる踏み込み。
制御できない着地。
自身の身体能力へ追いつかない動き。
画面が変わる。
商店街。
異形の腕を受け。
真正面から押し返さず。
力を流す。
踏み込み。
止まる。
姿勢を戻す。
「動きが変化しています」
「誤差ではない」
映像を巻き戻す。
「最初の戦闘では、自分の出力に身体が振り回されていた」
再生。
「今回は、動いた後に自分で止まっている」
「訓練を?」
「あるいは実戦から学習した」
男の声に。
初めて。
微かな興味が混じった。
「人工メモリの試験を続ければ」
画面が切り替わる。
『P-10』
『P-11』
『P-12』
新たな番号。
「こちらの性能だけではなく、対象の対応能力も測定できる」
「では、次期試験を予定通り?」
「ああ」
「前回の事故が既に一部で噂になっています。応募者が減少する可能性がありますが」
「条件を上げろ」
「報酬額を?」
「他に何がある」
「危険性について質問された場合は」
「安全基準内であると説明しろ」
研究員が。
一瞬。
言葉を止める。
「……実際には」
「説明に必要なのは」
男は画面から目を離さなかった。
「応募者が納得する理由だ」
新しい報酬額。
前回より。
さらに大きな数字。
「危険を恐れる人間がいるなら」
確定。
「恐怖より高い値段を付ければいい」
送信。
ゲヘナ各地。
複数の求人端末へ。
新しい募集が。
静かに配信される。
『新型補助機器・短期運用試験』
『安全性確認済』
『短時間』
『高額報酬』
そのどこにも。
前日。
一人の男が。
自分の腕すら制御できなくなったことは。
一文字も。
書かれていなかった。