青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
翌日の放課後。
翔は来訪受付でもらった簡素な入構証を身につけ、ゲヘナ学園の敷地内を歩いていた。
昨日の帰り道から、考えていたことがある。
黒い戦士として風紀委員会と協力する。
言葉にすれば簡単だが、互いに連絡する手段すらなく、事件が起きるたび偶然同じ現場に居合わせることを期待するようでは、まともな協力関係とは言い難い。
昨日、風紀委員会の面々から指摘されたことはもっともだった。
それに、あの二件で分かったこともある。
黒い装置は、ジョーカーの力でなければ壊せないわけではない。
イオリたちの銃弾でも、装置そのものを正確に破壊できれば使用者を元へ戻せる。
自分が接近して動きを崩し、その隙に誰かが撃ち抜くこともできる。逆に、自分がすぐに近づけない状況でも、風紀委員会なら別の手段を取れる。
助ける方法は、一つでなくていい。
なら、自分もいつまでも相手から見えない場所に立ったままではいられない。
そこまでは決めた。
決めたのだが。
「……やっぱり見られるな」
翔は小さく呟いた。
すれ違った生徒が振り返り、少し離れた場所では何人かがこちらを見ながら話している。敵意があるわけではなく、純粋に珍しがられているだけなのは分かっていた。
キヴォトスへ来てから、この手の視線にはそれなりに慣れたつもりだった。
それでも、人間の男子が女子生徒ばかりの学園内を一人で歩いているのだから、街中以上に目立つのは仕方がない。
「早く用事済ませよう……」
少しだけ歩調を速めたところで、聞き覚えのある声が飛んできた。
「あれ?」
振り向く。
「翔っち!?」
キララが目を丸くしていた。
その隣にいたエリカも、翔を見つけて少し驚いたように瞬きをする。
「……本当に翔じゃん」
「二人とも」
キララは翔の姿を上から下まで見た後、すぐに笑った。
「あ、その服ちゃんと着てる!」
「そりゃ着るだろ。買ったんだから」
「いやいや、翔っちって放っといたらずっと同じような服着そうだったし」
「どういう偏見だよ」
エリカも少しだけ翔の服を見る。
「でも、ちゃんと似合ってるね」
「エリカまで確認するのか」
「選ぶの手伝ったんだから、それくらいは見るでしょ」
「……まあ、それもそうか」
以前二人に付き合ってもらって選んだ、ボルドーの短い上着に落ち着いた色合いのパンツ。最初は少し自分には洒落すぎている気もしたが、何度か着るうちにすっかり馴染んでいた。
そんなやり取りをしている間にも、周囲から翔へ向けられる視線は減らない。
「何してんの、こんなとこで?」
キララがすぐ近くまで寄ってくる。
周囲から翔へ向いていた視線のいくつかが、今度は三人へまとめて集まった。
「翔っち、めっちゃ見られてるじゃん」
「分かってるよ」
「まあ、ゲヘナの中に男の子が歩いてたら見るよね」
「できれば、そっとしといてほしいけどな」
エリカが翔の胸元にある入構証を見る。
「ちゃんと来客で入ったんだ」
「当たり前だろ。勝手に入ったら今から行く相手に捕まる」
「今から行く相手?」
「風紀委員会」
キララの表情が止まった。
「…………」
「なんだよ」
「翔っち、何したの?」
「何で真っ先に俺が捕まる側なんだよ」
「だって風紀委員会でしょ?」
「呼び出されたわけじゃないから」
「じゃあ、自分から行くの?」
「そう」
今度はエリカが僅かに眉を上げた。
「それはそれで珍しくない?」
「……俺もそう思う」
「何の話?」
「ちょっと、話しておきたいことがあるんだ」
詳しく説明するつもりはなかった。
キララは興味深そうに翔の顔を覗き込んできたものの、何かを感じ取ったのか、それ以上は踏み込まなかった。
「なんか真面目な顔してるね、翔っち」
「そんな顔してた?」
「してるしてる」
エリカも少し翔を見る。
「面倒なこと?」
「まあ……面倒ではあるかな」
「大丈夫?」
「大丈夫」
翔は少しだけ考えてから続けた。
「自分で決めたことだから」
「そっか」
エリカはそれだけ返した。
キララも雰囲気を重くするつもりはないらしく、すぐにいつもの調子へ戻る。
「じゃ、終わったらひだまり戻る?」
「そのつもり」
「なら、あとで寄ろっかな」
「普通に客として来いよ」
「いつも普通の客じゃん!」
「カウンターでずっと喋ってる客が?」
「それは常連って言うんだよ、翔っち」
「便利な言葉だな、それ」
エリカが横で小さく笑った。
「じゃあ、変なことして怒られないでね」
「だから何しに行くと思ってるんだよ」
「それは翔が教えてくれないから分かんない」
「……それもそうか」
二人と別れる頃には、少しだけ肩の力が抜けていた。
翔は改めて風紀委員会本部へ向かった。
* * *
風紀委員会本部の受付までは、問題なく辿り着いた。
問題は、そこからだった。
「空崎ヒナに会いたいんだけど」
受付を担当していた風紀委員の生徒が、来訪者名簿から顔を上げる。
「ヒナ委員長との面会予定はありますか?」
「いや、ない」
「申し訳ありません。委員長は現在公務中です。事前に予定のない方との面会はお受けできません」
「……やっぱり駄目か」
「ご用件を伝言としてお預かりすることはできますが」
「いや、それは……」
伝言で済ませられる内容ではない。
翔は少し考えた。
「じゃあ、イオリかチナツは?」
「お二人との面会予定はありますか?」
「……ない」
「でしたら、そちらも現在勤務中ですので、直接の面会は難しいかと」
「だよな」
冷たく追い返されたわけではない。むしろ当然の対応だった。
ヒナは風紀委員長で、イオリもチナツも仕事がある。
事件現場で何度か顔を合わせた程度の外部者が、突然訪ねてきたからといって簡単に通されるはずもない。
「伝言だけでも残されますか?」
「いや。大丈夫。ありがとう」
「分かりました」
翔は受付を離れ、本部の外へ出たところで足を止めた。
「……どうするかな」
ここへ来るところまでは考えた。
会えば話せる。
その先ばかり考えていて、肝心の会えなかった場合を考えていなかった。
少しだけ本気で別の方法を探す。
(どこかで変身して、あの姿で出直すか?)
黒い戦士として現れれば、少なくとも無視はされないだろう。
ただ。
(風紀委員会本部の近くで変身して、そのまま入口まで来るのもな……)
どう考えても騒ぎになる。
下手をすれば、正体を明かす以前に侵入者として囲まれかねない。
「正体を話しに来たのに、その前で詰まるとは思わなかったな……」
「何が詰まってるんだよ」
「え?」
振り向く。
そこにいたのはイオリだった。
どうやら外回りから戻ってきたところらしい。
「風間翔?」
「あ」
「お前、こんなところで何してるんだ?」
翔は少しだけ安堵した。
「ちょうどよかった」
「何が?」
「中に入ろうとしたんだけど、断られた」
「当たり前だろ」
「即答だな」
「委員長に予約なしで会おうとしたのか?」
「最初は」
「最初は?」
「駄目だったから、イオリかチナツならって」
「それも予約なし?」
「うん」
「通るわけないだろ……」
心底呆れたような声だった。
「だから困ってた」
「で、何の用?」
翔はすぐには答えず、本部へ出入りする生徒たちを一度見た。
「ここじゃちょっと話しにくい」
「は?」
「昨日の黒い奴のことで話がある」
イオリの表情が変わった。
「……あいつの?」
「うん」
「何か知ってるのか?」
「知ってる」
「何を?」
「それを話しに来た」
イオリは数秒、翔をじっと見た。
「……来い」
「いいの?」
「その話を入口でする方がまずいだろ」
そう言って本部へ向き直る。
「勝手にどっか行くなよ」
「行かないよ」
「お前、前に見えてるからって危ないところに突っ込んだだろ」
「それとこれ関係ある?」
「ある」
「そうかな……」
「あるんだよ」
翔は何とも言えない顔をしながら、その後をついていった。
* * *
通されたのは、小さな会議室だった。
最初にいたのはイオリだけだったが、しばらくするとチナツが入ってきた。
「風間さん?」
「昨日ぶり」
「どうしてこちらに?」
「昨日の件で話があるんだ」
「昨日の……」
チナツの表情が少し引き締まる。
さらに数分後、青い髪の少女が端末を片手に部屋へ入ってきた。
「お待たせしました」
昨日の現場でも姿は見ている。
ただ、こうして間近で向き合うのは初めてだった。
「あなたが風間翔さんですね」
「うん」
「天雨アコです。風紀委員会の行政官を務めています」
「よろしく」
――天雨アコ。
名前も知っている。
そして、もちろん服装も知っていた。
知ってはいたのだが。
(……近くで見ると、やっぱりすごい格好だな)
行政官という肩書きから真っ先に想像する服装では、まずない。
とはいえ、そんな感想を本人へ伝えるほど翔も命知らずではなかった。
何事もなかったように表情を保つ。
実際に向き合ってみれば、服装以上に、その視線や立ち居振る舞いから感じる隙のなさの方が強かった。
「イオリから、黒い戦士について話があると聞きました」
「そのために来た」
「では――」
アコが話を始めようとした時、会議室の扉が開いた。
「待たせた」
ヒナが入ってくる。
別件を終えた直後らしく、片手にはまだ書類を持っていた。
「委員長」
チナツが立ち上がりかける。
「そのままでいい」
ヒナはそう言ってから翔を見る。
「……風間翔」
「昨日ぶり」
「うん」
ヒナの視線が、ほんの僅かに翔へ留まる。
昨日、風間翔と黒い戦士の間に感じた共通点。
確かな根拠は何もなかった。
だから誰にも話さなかった。
それでも、引っかかり自体は残っている。
そして今日、その翔本人が黒い戦士について話があると言って現れた。
「全員揃いましたね」
アコが話を戻す。
「では改めて伺います。黒い戦士について、何を知っているんですか?」
「その前に」
翔は四人を見る。
「昨日、あいつに連絡手段のことを聞いたよな」
イオリが眉を寄せ、チナツも僅かに目を見開いた。
アコの視線が鋭くなる。
「なぜ、それを知っているんですか?」
あの話をしていた場に、一般の市民はいなかった。
イオリもそこへ気づいたのだろう。
「お前……」
途中で言葉が止まる。
ヒナだけは何も言わなかった。
ただ翔を見ている。
昨日から残っていた違和感が、一つの答えへ近づいていく。
「……まさか」
ヒナの声が小さく漏れた。
翔は鞄へ手を入れる。
「口で説明するより、見てもらった方が早いと思う」
取り出したのは、ロストドライバーと一本の黒いメモリ。
イオリが目を見開いた。
「それ……」
翔は椅子から立ち上がり、ロストドライバーを腰へ当てる。
ドライバーからベルトが展開され、そのまま腰へ巻き付いて固定された。
続いてジョーカーメモリのスイッチを押す。
《JOKER!》
聞き覚えのある電子音が会議室に響いた。
メモリをロストドライバーへ差し込む。
「変身」
ドライバーを展開すると、翔の身体を黒い姿が覆っていく。
漆黒の身体に紫の意匠。
赤い複眼。
黒い仮面。
何度も事件現場で目にしてきた戦士が、四人の前に立っていた。
誰もすぐには口を開かなかった。
翔は数秒そのままでいた後、ジョーカーメモリを抜く。
変身が解除され、そこには再び風間翔が立っていた。
「……というわけで」
少しだけ気まずくなって口を開く。
真っ先に声を上げたのはイオリだった。
「お前だったのかよ!?」
「うん」
「うん、じゃないだろ!」
「じゃあ何て言えばいいんだよ」
「知らないけど!」
イオリは頭を抱えそうな顔をした。
「だからか……!」
「何が?」
「前から妙に引っかかってたんだよ! あいつと喋ってる時!」
「そんなに似てた?」
「同じ本人なんだから似てるに決まってるだろ!」
「それはそうか」
「お前なぁ……!」
「イオリ」
チナツに呼ばれ、イオリが口を閉じる。
チナツも驚きを隠しきれてはいない。
「……風間さんだったんですね」
「黙っててごめん」
「いえ。それは……事情もあるでしょうから」
アコは翔とロストドライバーを交互に見ていた。
「正直、予想外でした」
「俺もここまで驚かれるとは思ってなかった」
「普通は驚きます」
そして。
「……驚いてる」
ヒナが言った。
翔が彼女を見る。
「でも、少し納得もしてる」
「納得?」
「昨日」
ヒナは翔の目を見る。
「あなた、変身してなくても同じことしてたから」
「同じこと?」
「困ってる人を見つけたら、先にそっちへ行く」
翔は少し黙った。
「黒い姿の時も、風間翔の時も」
「……そこまで見てたんだ」
「見てた」
返答は短かった。
イオリが二人を見る。
「委員長、気づいてたのか?」
「確信はなかった」
「じゃあ何で言わなかったんだ?」
「根拠がなかったから」
「……まあ、そうだけど」
ヒナらしい答えだった。
* * *
「では」
少し空気が落ち着いたところで、アコが端末を机へ置いた。
「確認したいことがあります」
「分かる範囲なら答える」
「まず、先ほどの装置の名称は?」
「ロストドライバー」
「黒い方は?」
「ジョーカーメモリ」
「ガイアメモリの一種ですか?」
「そう。これはガイアメモリ」
「以前の怪物が使用していたものと同じ種類?」
「種類としては同じ。ただ、使い方が違う」
「具体的には?」
「前に出た怪物は、ガイアメモリを身体に直接使ってた。俺はロストドライバーを通して使ってる」
アコは端末へ記録していく。
「それによって、あなたはあの怪物のような姿にならずに済んでいる?」
「そう考えていいと思う」
「では、あなたはなぜガイアメモリについてそれだけ知っているんですか?」
来ると思っていた質問だった。
翔は一度だけ言葉を選ぶ。
「……昔、知る機会があった」
「どこで?」
「そこは話せない」
アコの指が止まった。
「誰から得た知識ですか?」
「それも」
「資料ですか。それとも実物を?」
翔は短く息を吐いた。
「悪い。そこから先は言えない」
「理由もですか?」
「うん」
アコが眼鏡越しに翔を見る。
翔は視線を逸らさなかった。
異世界から来たことを話すつもりはない。
まして、自分がいた場所ではキヴォトスや彼女たちの存在が娯楽作品として描かれていたなど、口にできるはずもなかった。
信じるかどうか以前に、今ここで伝えるべき話ではない。
「では」
アコが質問を変える。
「最近確認されている黒い装置について、あなたはどこまで把握しています?」
「俺が知ってる本物のガイアメモリとは違う」
「つまり?」
「偽物だと思う。何かしらガイアメモリを真似して作ってる」
「誰が?」
「分からない」
「製造方法は?」
「知らない」
「製造拠点は?」
「それも」
「では――」
「本当に知らない」
翔が言った。
アコが止まる。
「そこは隠してるんじゃない。俺も知りたいくらいだ」
「推測は?」
「ある。でも確証はない」
「確証がなくても構いません」
翔は少し考えた。
「カイザーの可能性はあると思ってる」
イオリの表情が険しくなる。
「やっぱりか」
「ただ、俺が直接作ってるところを見たわけじゃない。だから断定はできない」
「そう考える根拠は?」
今度は翔が少し迷った。
「そこには、俺じゃなくて別の人の事情が関わってる」
アコが視線を上げる。
「その人物が、ロストドライバーをあなたへ?」
「うん」
「その人物もガイアメモリを知っている?」
「知ってる」
「カイザーと関係がある?」
「その質問は、俺から勝手に答えない方がいいと思う」
「…………」
「でも、今起きてることを望んでる人じゃない。それだけは言える」
アコはしばらく翔を見ていたが、やがて端末へ何かを書き込んだ。
「分かりました」
今度は食い下がらない。
「あなたが話していないことがあるのは分かりました」
翔も否定しなかった。
「うん」
「ですが、何もかも隠しているわけではないことも分かりました」
「……そう見える?」
「知らないことには『知らない』。話せないことには『話せない』。少なくとも、今のところは使い分けているように見えます」
「そこを嘘ついても、協力する意味ないから」
「そうですね」
アコは僅かに息を吐く。
「では、話せる範囲で続けます」
質問の仕方が変わった。
「本物のガイアメモリを身体へ直接使用する場合、何が起こりますか?」
「かなり危険だよ」
翔は即答した。
「本来、直接使う場合は身体に専用の挿入口を作る」
「挿入口?」
チナツが反応する。
「生体コネクターって呼ぶ。黒い刻印みたいなもので、そこにメモリを挿す」
「それがない状態でも使用できる?」
「できないわけじゃない。でも、メモリ自体に強い毒性があるらしい。無理に直接使えば、挿した場所が酷く傷んだり、毒が身体に回ったりする」
チナツの表情が引き締まる。
「以前の怪物に見られた皮膚損傷も……」
「関係してた可能性は高いと思う」
「断定はできない?」
「俺は実際に使うところを見てないから」
「分かりました」
チナツも端末へ記録していく。
アコが続けた。
「では、今出回っている黒い装置には、その生体コネクターがない」
「俺が見た人たちにはなかった」
「それでも身体変化は発生している」
「だから、本物とは別の方法で力だけを身体に作用させてるんじゃないかって話は聞いた。ただ、そこは推測」
「装置本体が身体の外に残っていることも、それと関係している可能性がある?」
「あると思う。でも、それもまだ仮説だな」
「現時点では、それで十分です」
アコは記録を続ける。
「ロストドライバーを使えば、誰でもあなたのように変身できるんですか?」
「分からない」
「あなた以外に使用した人物は?」
「俺は知らない」
「ジョーカーメモリ以外をロストドライバーで使用したことは?」
「ない」
これは事実だった。
アコはそれ以上そこへ踏み込まず、次の質問へ移った。
「最後に。そのロストドライバーを、風紀委員会で調査させてもらうことはできますか?」
翔はすぐに答えた。
「悪いけど、それは無理」
「理由は?」
「俺が託されたものだから」
「こちらで分解や破壊をするつもりはありません。非破壊で外観や反応だけ確認する形でも――」
「それでも」
翔はロストドライバーへ手を添えた。
「これは預けられない」
少しだけ空気が張る。
「アコ」
ヒナが呼んだ。
「はい」
「無理に預けてもらう必要はない」
「ですが、委員長」
「本人がここまで来て、自分から正体も話した」
ヒナの視線が翔へ向く。
「協力する意思があるなら、今はそれでいい」
アコは少し考えた後、頷いた。
「……分かりました」
翔もヒナを見る。
「ありがとう」
「別に」
ヒナはそれだけ答えた。
* * *
「では、今後についてです」
アコが話を切り替えた。
「同様の事件が再び発生する可能性は高いでしょう。あなたにも協力する意思があり、こちらとしてもあなたの力や知識を無視する理由はありません」
「うん」
「ただし、あなたはゲヘナ学園の生徒でも、風紀委員でもありません」
「なるつもりもないけど」
「でしょうね」
さらりと返された。
「ですので、風紀委員会の外部協力者として扱います」
「外部協力者?」
「正規の隊員ではありません。こちらから必要に応じて協力を要請し、あなたが対応可能であれば参加する。逆に、あなたが例の装置やガイアメモリに関係する異常を発見した場合はこちらへ連絡してください」
「命令じゃなくて?」
「あなたに命令する権限はこちらにはありません」
アコは当然のように答えた。
「ただし、現場で共同して動く場合、避難計画やこちらの配置を無視して独断で動くのは控えてください」
「それは分かってる」
「本当に?」
「何で疑うんだよ」
横からイオリが口を挟む。
「お前、普通の姿でも危ないところに突っ込むじゃないか」
「昨日はヒナに言われた通りに動いたぞ」
「その前だよ!」
「……それは」
「あるんですね」
アコが冷静に確認する。
「あります」
チナツが答えた。
「チナツまで」
「事実ですから」
翔は反論できなくなった。
ヒナの口元が、ほんの僅かに緩んでいる。
「ともかく」
アコが話を戻す。
「今後はこちらと確実に連絡を取れるようにする必要があります。あなたの端末の連絡先を登録してください」
「あ」
翔が止まった。
「何です?」
「それなんだけど」
「はい」
「今、使える端末持ってない」
会議室が静かになった。
最初に口を開いたのはイオリだった。
「……持ってない?」
「うん」
「携帯を?」
「使えるやつは」
「使えないのはあるのか?」
「まあ」
「何で?」
「色々あって」
さすがに、元いた世界から持ってきたスマートフォンだからキヴォトスでは使えない、とは言えない。
アコは数秒ほど翔を見た。
さっきまでのやり取りを思い出したのだろう。
「……それも、話せない範囲ですか?」
「ごめん」
「分かりました。では聞きません」
思っていたよりあっさり引いた。
「こちらで用意します」
「いいの?」
「連絡が取れない外部協力者を抱える方が問題です」
「それは……そうだな」
「正式な風紀委員用端末ではありません。外部との連絡に使用する予備端末へ制限を掛けて渡します」
アコは自分の端末を操作しながら説明を続ける。
「通話、簡易メッセージ、緊急通知。必要な場合のみ位置情報を共有できます。風紀委員会内部の資料や部隊通信へ自由にアクセスすることはできません」
「それだけあれば十分」
「連絡先はこちらで設定しておきます。本部と緊急窓口、それから私たち四人」
アコがヒナ、イオリ、チナツへ順に視線を向ける。
「全員に直接連絡していいの?」
「必要な場合だけです」
「必要な場合って?」
「事件、黒い装置、ガイアメモリ、それ以外でもこちらと共有する必要がある緊急情報です」
「雑談は?」
「想定していません」
「しないよ」
「なら結構です」
即答だった。
「それと、紛失しないでください」
「分かった」
「本当にお願いします」
「そんなに信用ない?」
「今日、面会の取り方も分からず本部前で困っていたと聞いています」
翔がイオリを見る。
「言ったの?」
「事実だろ」
「そうだけどさ」
チナツが僅かに笑う。
ヒナも何も言わなかったが、少しだけ楽しそうに見えた。
「設定には少し時間が必要です。帰るまでには用意させます」
「分かった」
正体を明かすことに比べれば、連絡手段なんて小さな問題だと思っていた。
けれど、こういう小さなことを一つずつ決めていくことこそ、誰かと一緒に動くということなのかもしれない。
* * *
必要な確認が一通り終わる頃には、窓の外も夕方の色へ変わっていた。
イオリとチナツは次の仕事へ戻り、アコも端末の準備と別件の処理のため会議室を出ていった。
残ったのは翔とヒナだけだった。
「どうして話そうと思ったの?」
不意にヒナが尋ねる。
「昨日言われたから」
「連絡手段のこと?」
「それもある」
翔は少し考えた。
「昨日、俺が言っただろ。助ける方法が一つじゃない方がいいって」
ヒナが小さく頷く。
「うん」
「だったら、俺もちゃんとそっちと繋がってた方がいいと思った」
昨日までは、風紀委員会と黒い戦士がそれぞれ別々に事件を追い、偶然同じ場所へ辿り着けば一緒に戦っていた。
それでも目的は同じだった。
「一緒に助けようとしてるのに、ずっと何も話さないままなのも違う気がしたんだ」
「……そう」
ヒナは短く答えた。
「後悔してる?」
「まだ話したばっかりだろ」
「じゃあ、今は?」
「してない」
翔は迷わず答えた。
「そっか」
それからしばらくして、アコが準備させた小型端末が届けられた。
黒を基調とした、飾り気のないものだ。
翔が受け取り、画面を確認する。
風紀委員会本部。
緊急窓口。
アコ。
イオリ。
チナツ。
そして、ヒナ。
「これで、こっちからも呼べるね」
ヒナが言う。
「できれば呼ばれない方が平和だけど」
「それはそう」
翔が少し笑う。
ヒナの口元も、ほんの僅かに緩んだ。
* * *
夜。
翔が喫茶店「ひだまり」の扉を開けると、カウンターの向こうにいたニャン次郎が顔を上げた。
「ただいま」
「おかえり」
翔は鞄を置き、空いている椅子へ腰を下ろす。
ニャン次郎は手元の作業を続けながら聞いた。
「話したか」
「うん」
「そうか」
「それだけ?」
「自分で決めたんだろ」
「まあ、そうだけど」
翔は今日受け取ったばかりの端末をポケットから取り出し、カウンターへ置いた。
「それは?」
「風紀委員会との連絡用。外部協力者ってことになった」
ニャン次郎の手が一瞬だけ止まった。
「ずいぶん話が進んだな」
「俺もそう思う」
「後悔してるか?」
「ヒナにも同じこと聞かれたよ」
「で?」
「してない」
「ならいい」
ニャン次郎はそれだけ言って、また作業へ戻った。
翔は端末を手に取る。
登録されているのは、風紀委員会本部と緊急窓口。そして、今日まで事件現場でしか繋がりのなかった四人の名前。
できれば、事件の知らせなんて来ない方がいい。
何も起きなければ、それが一番だ。
それでも、次に何かが起きた時。
もう、偶然同じ場所で会えることを願う必要はない。
翔は端末をポケットへしまうと、カウンターの向こうにいるニャン次郎へ顔を向けた。
「マスター。何か手伝うことある?」
「帰って早々それか」
「まだ閉店前だろ」
「なら、まず手を洗ってこい」
「了解」
立ち上がった翔は、そのまま店の奥へ向かった。
正体を明かしたからといって、明日から何もかもが変わるわけではない。
ひだまりで働き、誰かと話し、必要なら黒い仮面を被る。
そのどちらも。
風間翔だった。